パチリ、と目が覚めた。どうやら床に倒れていたらしいということを認識したクリスティナは体を起こし、周囲を見渡す。地下室の入り口の扉が少し離れたところに見え、自分が倉庫に入ってすぐの空間にいることを確認した。確認し、自身の記憶と照らし合わせ、おかしいなと、首を傾げた。
「わたしは確か、地下空間の暗闇の中で……」
一人呟き、言葉を途中で止めた。あれは一体どこからが夢でどこからが現実だったのか。リシュは夢が現実を侵食したからと言っていた気がするが、それで疑問の答えになるかといえばそうでもない。
彼女の近くには同じように倒れている、というよりも眠っている三人も見える。ベアトリスのみ疲れたようにうなされているので、少なくとも先程までの光景は自分だけの夢というわけではないはずだ。そう判断した。
だとすれば、今自分がいるこの空間は何だ。それほど広くもないこの倉庫は何なのだ。
「荷物もガラクタばかり……他に部屋もない」
紛れもなく倉庫である。何か調査などする必要もないほどに、ただの部屋である。何か疑問を挟む余地すら無いほど、極々普通の場所であった。
駄目だ、自分一人で考えていてもしょうがない。そう判断したクリスティナは未だ眠っている三人を起こすことにした。ティファニアとファーティマは別段問題なく目を覚ましたが、一人だけ揺すってもうんうんと唸るだけで目を開かない少女がいる。言うまでもなくベアトリスだ。
「ベアトリス?」
ティファニアが心配そうに彼女の名を呼ぶ。が、ベアトリスは無反応。ファーティマが頬を張ったがやはり無反応。どうでもいいがちょっと刺激を与えるだけでいいのにベチベチという効果音がするほど引っ叩くのはどうかと思う、とクリスティナは思った。
「彼女が悪夢の迷宮の製作者だったんでしょうね」
刀から声がした。うお、と思わず身構えてしまったクリスティナは、何よその反応というリシュの声を聞いてすまないと頭を下げる。夢か現実か疑問に思っていた彼女は、リシュの存在も少しだけ疑っていたのである。そういう意味ではこの彼女の声はクリスティナにとって先程までの出来事がきちんと自らに反映されていることを確信させる存在であったわけで。謝っているのに笑っているじゃないか、とリシュが再度文句をいうのは仕方ない。
「それでリシュ。ベアトリスがその製作者だとして、どうすれば起きる?」
「別に特別何かをする必要は無いと思うけれど。ただ眠りが他より深いだけでしょうし」
「ふむ」
切なげな表情でこむら返りをするベアトリスを見ながら、どうしたものかと思考を巡らせる。リシュは夢魔、言ってしまえば夢のスペシャリストだ。その彼女が問題ないと言うならば問題はないのだろう。が、だからといってここに放置しておくわけには。
「いや、よくよく考えればこのまま運んでいけばいいのか」
「あ、そうか」
クリスティナの言葉にティファニアもその手があったかとばかりに手を叩く。そうと決まれば早速とクリスティナは呪文を唱えベアトリスを浮かし、とりあえずここを出ようと扉に向かった。それに同意したティファニアもその後に続き、難しい顔をしているファーティマがそれに続く。
「……やはり魔王を友人というだけあって、こいつらは頭がおかしい」
何でここに放置が第一選択肢なんだ。そう呟きながら、うなされつつふわふわと浮かぶベアトリスを眺めて彼女は溜息を吐いた。
ここはどこだ、とベアトリスは考える。確か暗闇の中、悪夢が現実になって、それから。そんなことを考えながら体を起こした彼女は、自身がベッドに寝させられているのに気付いた。どうやら医務室らしい、と理解するのに数秒、何故ここにいるのか、と頭を悩ませること数分。
「あら、目覚めたのですね」
「ひっ!」
扉が開いてまずやってきたのがアンリエッタであったことでそれら全てが吹き飛んだのが一瞬である。
元気そうですわね、と笑みを絶やさずこちらに歩いてくるアンリエッタに最大級の警戒をしながら、一体何故こんな場所にと震える声でベアトリスは問い掛ける。が、彼女は笑顔を浮かべるばかりでそれに答えることはしない。次いで部屋になだれ込んでくるティファニア、ファーティマ、そしてクリスティナがやってくるまで、それは変わらなかった。つまりは役者が揃うまで待っていたということなのであるが、起き抜けのベアトリスにそんなことが分かるはずもなく。
その顔は処刑台に自分の足で登っていく罪人のようであった、とファーティマは語る。
「さて、皆さん。お疲れ様でした」
そう言ってペコリと頭を下げた。国の王妃が、ある程度の身分はあるとは言え現在一介の魔法学院生徒に、である。普通であればどういう状況だと目を丸くする場面で、身分を考えろという苦言の一つでも飛んできかねないのであるが。いかんせん彼女はアンリエッタ。むしろ別の意味でどういう状況だと目を丸くする方が妥当と思われたりする人物である。
実際ファーティマとベアトリスは、何を企んでいるのか、いや既に企みは終わって戦果も受け取り終わったので用済みだ宣言なのかもしれない、などと物騒な予想を立てていたりする。
「えっと、アンリエッタ。わたし達何かお礼を言われることしたかな?」
「お礼、とは少し違いますわね」
一方純粋、というより段々とそっちに傾きつつあるティファニアは極々普通に反応をした。そしてアンリエッタもそんな彼女に対し極々普通に対応をした。身構えている二人を尻目に、である。変な顔だな、とベアトリスとファーティマを見ながら素直な感想を述べたクリスティナは多分悪くない。アンリエッタがそう仕向けただけなのだ。
ともあれ、魔王と普段から称されるトリステイン王妃は、クリスティナの刀を指差しクスリと笑った。随分な戦力を手に入れたようですわね、と微笑んだ。
「リシュのことか?」
「ええ。クリス、貴女ならばきっとやってくれると思っていましたわ」
そういうことか、というベアトリスの呟きをアンリエッタは受け流した。ニコリと彼女に笑いかけ、そういうことだと表情で述べた。
そうして視線をクリスティナに戻すと、笑みを潜め少しだけ真剣な表情に変える。それで、と彼女は指を立てる。
「貴女は、その力で何を思い、何を為すの?」
「ん? ……いや、別に何も」
質問の意味がよく分からん、とクリスティナは首を傾げた。リシュは自分のパートナーとなった夢魔。今のところはそれ以外に何か思うところはない。サキュバスの力が凶悪で、自身の家系がそれを封じていたという歴史はあるが、所詮そんなものは伝聞でしかないわけで、交流をしたクリスティナにとってはリシュは信頼出来るという純然たる事実がある。
だからこそ、アンリエッタが言うように何か過剰な力を手に入れたというような自覚は全くない。
「ふふっ。そうね、貴女はそうでなくては」
そんなことでいいのか、と普通ならば言うであろう。それでも力は力、強力なそれを制御するにしろ振るうにしろ何かしらの自覚を持つべきだ。そう言ってしかるべきだろう。それらを全て脇に置いて、アンリエッタは微笑んだ。それでいい、と頷いた。
「魔王さん」
「魔王、は正式な称号ではないので、初対面の方にそう呼ばれると若干傷付きますが。どうされました、夢魔殿?」
それに待ったをかけたのは、他の誰でもない刀の中。休憩中のリシュであった。夢魔の力を使うために、友人に制御をさせたのではないのか。これまでの語りやあからさまに顔を顰めている二人から聞いたやり口の話を聞く限りそうとしか思えなかった彼女はアンリエッタにそう問うた。が、当の本人はいいえ別に、と即答してしまう。真意を隠している様子も見られず、本気でそう言っているのだと思えてしまうほどで。
「おい夢魔、気を付けろ。そいつはな、平気で人を騙し思うように動かす外道だ」
「あら酷い。わたくし、そんなこと言われたらショックで寝込んでしまうわ」
よよよ、と泣き真似をするアンリエッタを見て鼻を鳴らしたファーティマは、ほれこの通りと言わんばかりの表情である。まあなんとなく察した、とリシュは刀の中で苦笑し、でもとりあえず大丈夫だろうと彼女に返した。
「信頼してくださるのですね」
「いいえ。私にはまだ貴女の人となりが分からないから何も言えないわ。大丈夫だろう、と思った理由は」
刀から出て、姿を現す。羽をたたみ、クリスティナの隣に立ったリシュは、彼女を見て、ティファニアを見て、そしてベアトリスとファーティマをそれぞれ眺めた。四人の表情を一通り確認してから、笑みを浮かべてアンリエッタに視線を戻した。
「この四人が、貴女を信頼しているから」
「ちょっと待て夢魔! 誰が誰を信頼してるだと!?」
「あらミス・ファーティマ。わたくしを信頼してくださっていたのですか?」
「そんなわけないだろう! 誰が貴様なんかを信頼するというんだ! おいベアトリス、お前も何か言え」
ブンブンと全力で首を横に振るベアトリスを見て使えないと舌打ちしたファーティマは、とにかく信頼していないと再度叫んだ。
勿論ティファニアとクリスティナはやっぱりな、と微笑ましい視線を送っている。
「まあ、ミス・ファーティマのことはさておき。とりあえずはわたくしも貴女の味方という立場になれたと考えてよろしいのかしら?」
「貴女がクリスティナを裏切らない限り」
「友人を利用はしても、切り捨てる真似はしない。自身の誇りに、そう誓います」
「利用はするんだ」
まあでもそんなもんか、とティファニアは今この場にいないピンクブロンドなアンリエッタの『おともだち』を思い浮かべる。それなら大丈夫だね、と何故か納得したようにうんうんと頷いていた。
頭おかしい。ベアトリスは全力でそう思った。
「テファ、あんたの頭確実におかしいわ」
「酷い!?」
訂正、口に出した。
リシュをパートナーにした話はこのくらいにして、とアンリエッタは傍らに置いてあった鞄から書類を取り出した。内容はクリスティナ達四人が受けた学院地下倉庫の調査の件についてである。改めて報告を聞いておこう、そう言って彼女は皆の顔を見渡した。
「と、言ってもだな。大体報告書に纏めた通りだぞ」
「え? 報告書?」
「あ、そうか、ベアトリスずっと目が覚めなかったものね。今回の事件はもう報告書にして提出したよ」
「……ちょっと待って。ずっと? わたしどのくらい寝てたの?」
「三日」
「三日ぁ!?」
マジかよ、と他の面々の顔を見るが、別段何も言わずに頷いた。それが肯定を意味するのだと気付かないベアトリスではなく、だからこんなにだるいのか、と肩を落とす。
話を続けてもいいだろうか、というクリスティナの言葉に力なく手で返事をしたベアトリスは、とりあえず後で食事をしようと心に誓った。正直腹ペコだ。
「それで、報告書の通り、でしたか? それはつまり、あの倉庫は夢魔の力を使った迷宮と化していて、入った人間の悪夢を使い広がっていた、と。そういうことですわね?」
「ああ。リシュを開放したから、もうあの場所はただの倉庫でしかないはずだ」
成程、とアンリエッタは頷く。既に部下に証拠の裏付けのための調査を命令しており、地下倉庫は何の変哲もない部屋であったことは確認してある。彼女の話が正しければ、今回の冒険の舞台は消えてなくなってしまったということだ。
別段珍しいことでもない。少なくともアンリエッタにとってはその程度である。重要なのはその過程と、そこで手に入れた代物。早い話がリシュであり、そしてその話は既に済ませてある。
では彼女は一体何を聞きたいのか。それは。
「ねえ、クリス」
「何だ?」
「ミス・リシュの封印を破壊した物は、貴女達の誰かが持っているの?」
鱗。竜の鱗らしきそれが、棺の鍵になっていた。その部分に彼女は引っ掛かりを覚えたのだ。ティファニアが触れたことで輝きを増した、それまで岩のようであったのに鱗として形作られた。それらの出来事が、アンリエッタの調査対象になったのだ。
クリスティナは首を横に振る。そもそも自分はそれを投げ、棺から離れていた。だから知らないと述べる。
ティファニアとファーティマも、そう言えばどうしたのだろうか、と首を捻るのみ。リシュが開放されてすぐに骨から生身に戻ったこともあり、そのまま暴れて鱗など頭から抜け落ちていた。
残る最後の一人。皆の視線を一身に受けたベアトリスは短く悲鳴を上げた。ベッドに寝ているくせに後ずさりしようとして背もたれに頭をぶつけていた。
その拍子に、コロンと胸ポケットから拳大の宝石のようなものが転がり落ちた。
「ひっ!」
「何で驚いているんだお前は」
「だって、わたし知らない! こんなもの拾った覚えないもの!」
「……ミス・クルデンホルフ。それを手に取らせていただいても?」
「て、手に取るなどと言わずに持っていってくださいませ!」
では遠慮なく、とアンリエッタはそれを拾い上げる。明らかにポケットに入っているようなものではないそれが、彼女の知らないうちに、今の今まで全く気付かずに存在していた。そんなことはあり得るのだろうか。そこまで思考し、実際にここにある以上あり得るのだろうと頷いた。
ためつすがめつ。厚みや硬さを調べながら、これは確かに鱗であると彼女は確信を強めていった。それらしき何か、から、竜の鱗に目の前の物体の名称が固定されていく。
「ミス・リシュ」
「何? 魔王さん」
「この鱗に、心当たりは?」
「古代竜の鱗でしょう? 私の時代には封印されていたけれど、ばらまかれた鱗が古代竜に力を与えているってもっぱらの噂だったわ」
それを利用して色々とやっていた、とリシュは続ける。竜の後釜、あるいは竜の封印解除のために鱗を使う魔獣なんかもいた。そう言って少しだけ懐かしむように彼女は述べた。
「まあでも、昔の話よ。今はもう骨董品でしょうし、古代竜の封印だって――」
「解かれています」
「え?」
「ついこの間捕縛した愚者が、中途半端に目覚めさせていましたわ。古代竜――エンシェントドラゴンを」
じっと鱗を見る。既に役目を果たした、とばかりに輝きを失っているそれは、紛れもなくルイズが彼女に渡した岩の破片と同じものだ。そして、リシュの言葉の通りだとすれば、この鱗の果たした役目とはつまり。
「これが『風』の封印だとすれば、残るは『土』・『水』・『火』といったところでしょうか。……少し、予定を変更する必要があるかもしれませんわね」
残る封印は三つ。まだ猶予があるとは言え、楽観視は出来ない。エンシェントドラゴンを討伐する算段を組み立て始めねばならない。いくらなんでもすぐさま封印が解除されるほど強大な力が注ぎ込まれることはないだろうが、念の為。
そこまで考え、いいや違うとアンリエッタは顎に手を当てた。珍しく真剣な表情で、思考を巡らせ、この場にいる皆を見る。
「クリス、テファ、ミス・ファーティマ、ミス・クルデンホルフ。そしてミス・リシュ。貴女達の力も、借りるかもしれません」
聞いたこともないようなその声色で言われた言葉は、五人の首を縦に振らせるだけの何かがあった。
が、アンリエッタはすぐに表情を戻す。ふう、と息を吐き、力を抜く。
「……まあ、でも。きっと大丈夫でしょう」
自分には、とっておきの戦力があるのだから。そう言って彼女は笑った。本人がいないからなのか、心からの信頼を表すがごとく微笑んだ。
そのとっておきの戦力が『土』の封印を解除しているのを知るのは、それから少ししてからである。
風の封印が解除されましたエンド