ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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まだギリギリ姫さま


その4

 何が気に入った、だ。そんなことを吐き捨てるように呟くと、エスターシュは目の前の光景から視線を外した。彼は直接現場にいるわけではない。証拠を見せてやる、というノワールの挑発に乗りトリステインにある隠れ家代わりの屋敷の一室で様子を覗いているだけだ。『遠見の鏡』、魔法学院にも同型が学院長室にあるそのマジックアイテムが映し出しているのは、まんまと魔女に誘われてしまったアンリエッタの姿。エスターシュにしてみれば、それは傀儡になった有象無象と変わりない結果でしかなかった。いつぞやのユニコーン隊のアンジェロのように、体よく使い潰されるのが落ちであろう。

 ふん、と鼻を鳴らす。だが、まあ、それでもいいかと肩を竦めた。もう既に摩耗してしまったかつての野望が、こんな形で転がり込んでくることになろうとは。そんなことまで考えた。

 

「それで、整った舞台とやらは、と」

 

 もう一枚の方を見る。路地裏を走り回っていたルイズが、多数のゴロツキに囲まれているところであった。圧倒的に不利な状況にも拘らず、彼女の表情は真っ直ぐ相手を睨みつけている。

 あの忌々しい単純馬鹿とかっこつけの娘らしいその態度を見て、彼の口角が思わず上がる。はてさて、一体どんな言い訳が飛び出すのやら。そんなことを思いつつ、エスターシュは向こう側の様子を見守った。

 

「……どいて欲しいのですけれど」

 

 明らかに下賤な輩ではあったが、ルイズの口調はそこそこに丁寧であった。向こうがそれで聞くはずもないと分かってはいるが、それでも彼女はその態度を取った。勿論ゴロツキはニタニタと笑うばかりでどきはしない。こっちはお前の素性を知っている、そう言いながら、ルイズを捕まえようと手を伸ばした。

 それを姿勢を低くして躱すと、足に力を込め一気に前へと跳ぶ。己の嫌いな蛙のような姿勢でその囲いを抜けると、そのままルイズは振り返らずに走り去った。向こうがその気なら、こっちもその気だ。走りながら、そんなことを呟いた。

 待て、と当然のようにゴロツキは追いかける。子供のルイズと大人のゴロツキの早さが大体同じくらい。路地裏を知っているというアドバンテージによってその均衡を崩され、段々と彼女は差を縮められていった。

 

「……撒けない、か」

 

 仕方ない、とルイズは息を吐いた。こっちは姫さまを捜さないといけないのに。ギリリと奥歯を噛みながら、彼女は腰に提げていた木剣に手を掛ける。そのついでに、左の手の平に指で勇気と文字を書いた。

 足を止める。反転し、突っ込んでくるゴロツキを視界に入れた。右手で木剣を抜き放ち、その切っ先を真っ直ぐに相手へと向ける。息を吐き、左の手の平を舐め、視線を鋭くさせ。

 

「邪魔よ! ぶっ飛ばされたくなかったら、どきなさい!」

 

 自分よりも数段大きな大人の男に向かい、彼女はそう啖呵を切った。

 

 

 

 

 

 

 アンリエッタが案内された場所は、路地裏の一角。ここにルイズがいるのですか、と隣に立つノワールに尋ねると、笑みを浮かべたままええそうよという答えが来る。その言葉を証明するかのように、アンリエッタの耳に男のうめき声のようなものが聞こえてきた。

 

「あの声は……?」

 

 声のした方へと足を動かす。角を曲がり、少し広くなっているそこを覗き込むと、一人の男が吹き飛んでいるところであった。ぐえ、と蛙を轢き潰したような声を上げ、男は地面に倒れ伏す。そして、吹き飛ばした相手らしき人影は、小さな少女で。

 

「ルイズ!?」

「姫さま!」

 

 思わず叫んだ。それを聞いたルイズも、思わず彼女の方を向く。ゴロツキがまだ残っているにも拘らず、注意を離れているアンリエッタに向けてしまった。まだまだ未熟な身の上である。荒事に慣れた大人の男を数人相手にするのに、そんな余裕を持っているほどではない。

 がしりと肩を掴まれた。しまった、と目を見開いた時にはもう遅い。木剣を弾き飛ばされ、そのまま羽交い締めにされてしまう。ジタバタともがくが、足を宙に浮かされ、口も塞がれた状態では碌に振りほどくことも出来ない。

 その一連の流れを眺めていたアンリエッタは、顔面蒼白で隣に目を向けた。ノワールは変わらず笑みを浮かべたままで、必死の抵抗を続けるルイズを見続けている。助け出そうという気はさらさらない。それが如実に態度に表れており、アンリエッタの心に更なる焦りが浮かぶ。

 一体どうすれば、と縋るように彼女に問い掛けた。クスリと微笑んだノワールは、そんなアンリエッタを見て、それは自分で考えることだと言い放つ。完全に梯子を外された形になったアンリエッタは、その場でガクリと膝をついた。

 

「おかしな娘ね。どうするのかを決めたからここに来たのではなかったの?」

「……え?」

 

 顔を上げる。アンリエッタの視線の先で、挑発的な笑みを浮かべたノワールが真っ直ぐに彼女を見詰めていた。それ以上は何も言わず、アンリエッタの答えを待っているかのように頬に手を当てたまま動かない。

 何をするのか決めたからここに来た。そう目の前の彼女は言った。意味合いを理解しようと頭の中で反芻しても、一体何のことなのかアンリエッタは検討がつかない。そもそもここに来た理由など、この状況をどうするかではなく、ルイズに。

 

「あ」

 

 そこで思い出した。正確には、思い付いた。そういうことなのかとノワールの瞳をじっと覗き込むが、そこに浮かぶ色からは何も読み取れない。だが、それでも構いはしなかった。今重要なのは彼女に答え合わせをしてもらうことではなく、自分の吐いた言葉を真実にすることだ。

 アンリエッタは立ち上がる。杖を取り出し、拙い詠唱を行い。捕まっているルイズごと、ゴロツキに大量の水を浴びせかけた。突如生まれたその水を受け、男の拘束がほんの少しだけ弱まる。対するルイズは、そんなことなど知らんとばかりに暴れ続けている。

 

「解けた!」

 

 つまりどうなるかといえば、こうなるわけである。男の腕から脱出したルイズは、思い切りそのすねを蹴り上げた。ぎゃあ、と情けない声を上げて蹲ったのをこれ幸いと、木剣を拾い上げ顔面を蹴り飛ばす。鼻血を出しながら倒れるゴロツキを一瞥し、ルイズはもう一人へと視線を向けた。

 聞いてないぞ、とゴロツキはその顔を歪める。ここに迷い込んだ貴族のガキがいい商品になる、という話を聞いたからわざわざ来たのに、この体たらく。楽な商売のはずが、気付けば既に立っているのは自分一人。この状態でやることなど、男には一つしかなかった。

 

「あ、待ちなさい!」

 

 一目散に逃げ出した。弱いものから奪い取って生きるのをモットーとしている男達にとって、強い相手は割に合わないものでしかないからだ。ルイズの静止を聞くこともなく、気絶している仲間を見捨てて、男は路地裏へと消えていった。

 伸ばしていた腕を力なく下げる。はぁ、と溜息を一つ吐くと、ルイズは気を取り直し乱入者であり捜していた相手に視線を向けた。その視線を受け、当の彼女はビクリと体が震える。

 

「姫さま」

「はい」

 

 それでも、アンリエッタは真っ直ぐルイズを見詰めたまま、はっきりと返事をした。彼女に引っ張られるだけでは駄目なのだ。彼女に依存しているだけでは駄目なのだ。だから、アンリエッタは視線を逸らさなかった。

 

「助けてくれて、ありがとうございます」

「……」

 

 だが、ルイズから放たれた次の言葉には。罵倒でも文句でもなく、感謝の言葉を耳にしてからは。その顔を歪め、視線を彼女から外してしまった。皮肉でも何でもなく、真っ直ぐにそう言っているのが分かったから、アンリエッタはルイズを見ることが出来なかった。

 ぽん、とその頭を撫でられた。顔を上げると、ノワールが微笑んでいるのが見える。彼女は何も言わない。ただただアンリエッタを見詰めるばかり。

 くしゃりと更にアンリエッタの顔が歪んだ。目には大粒の涙がたまり、今にも零れそうになっている。それを拭うこともせず、表情を変えないノワールを見詰め。そして睨み付けるようにルイズへと向き直った。

 

「ルイズの馬鹿ぁ!」

「えぇぇ!?」

 

 面食らったのはルイズである。一体全体、何がどうなって突然そんなことを言われなくてはいけないのか。頭にハテナマークを浮かべながら、困惑の表情でアンリエッタを見詰めていたルイズは、しかし彼女がずんずんと詰め寄ってくるのを見て思わず後ずさる。

 

「何故、どうして! そこでお礼なのですか! わたくしはルイズの邪魔をしたのに!」

「え? いや、あれはわたしが未熟だからで、姫さまはその後助けてくれたじゃないですか」

「わたくしは! 自身の失態のフォローをしただけです! 褒められる要素は何一つありません!」

「……それでも、やっぱり助けられたんだから、ありがとうですよ」

 

 ルイズの言葉に迷いは見られない。それがアンリエッタの中にある、自分でも気付いていなかったプライドをいたく傷付けた。おべっかでもなんでもなく、立場の違いも関係なく。それでいて、自分の失敗を責めずに許す。どうあってもお前は対等ではない、と宣言されたように感じたアンリエッタは、そこで堤防が決壊した。恥も外聞も関係なく、みっともなく泣きわめいた。

 オロオロとそんな彼女を見て慌てるルイズ。そしてその二人を楽しそうに眺めるノワール。路地裏での一幕とするのならば、あまりにも場違いな光景であった。

 

 

 

 

 

 

 さて、と。ノワールは誰にも聞こえないほど小さくそう呟くと、視線をついと向こう側に移した。路地裏の一角、先程男が逃げていった場所。そして虚空、恐らくエスターシュが眺めているであろう位置。それらを順繰りに見た後、右手で自身の口元を隠した。何かを覚られないためか、あるいは余裕の現れか。彼女の性格を鑑みた場合、恐らく後者であろう。

 悲鳴が聞こえた。先程ルイズがゴロツキをぶっ飛ばした時とはまた性質の違うそれは、今にも命が無くなろうかというほど切羽詰まったものだ。喧嘩というにはあまりにも一方的であったそれを行っていたルイズとアンリエッタも、それを聞いて思わず動きを止めたほどだ。

 声のしたであろう方向へ視線を動かす。先程逃げたはずのゴロツキが、必死の表情でこちらへと駆けてくるところであった。木剣を再度構えながら、ルイズはアンリエッタを庇うように前に立つ。一体何があった、と視線を鋭くさせる彼女であったが、庇われた方はふざけんなとばかりに一歩前に出た。

 

「姫さま! 危ないですから」

「危ないからなんなの!? そうやって、いつもいつもいつもルイズはわたくしを馬鹿にして!」

「意味分かんないんですけど!?」

「そういう、余裕ぶったところが大嫌い!」

 

 会話がどうしようもなく噛み合ってない。目を白黒させながらそんなことを思ったルイズは、アンリエッタから背後にいるノワールに視線を動かした。また何かやらかしたのか。そんな意味合いを込めて睨み付けてみたものの、涼しい顔で相も変わらず笑みを浮かべるばかりである。

 

「ちょっと! ノワールおば――」

「ルイズ。今はそれどころじゃないでしょう?」

 

 ほら、とノワールは向こう側を指差す。逃げてきたゴロツキが躓き転んでおり、そしてそんな男を追いかけるように現れた巨大な。

 

「じゃ、じゃじゃじゃじゃジャイアントスコーピオン!?」

 

 巨大なハサミ、甲冑のような口角。針の先こそ消失しているものの、長く強靭な尾はこれ以上ないほどに自己主張をしている。どう考えてもこんな町中の路地裏にいるはずもない魔獣であった。普通の人間であれば、出遭えばまず間違いなく、死ぬ。

 目の前のジャイアントスコーピオンは本来とは比べ物にならないほど鈍重であったが、しかし威圧感はかなりのものである。必死で逃げてきたゴロツキも、躓いたことで気力を削がれたのか立ち上がれずに尻餅をついたまま情けない声を上げて後ずさりをするばかり。そう時間もかからず、恐らく彼女達の目の前でゴロツキは物言わぬ屍と化すであろうことは想像に難くなかった。

 ああもう、とルイズは足に力を込める。が、意志とは裏腹に中々動いてはくれない。視線を下ろすと自身の手が震えているのにも気が付いた。野生動物や下級の魔獣退治をしたことはあれど、このレベルの魔獣と戦うのは初めての経験だ。ツェルプストーのアイツもいない状態で、果たしてどれだけやれるだろうか。そんな不安が、ルイズの体の震えとなって表れていた。

 ねえルイズ、とノワールはそんな彼女に声を掛ける。そちらに振り向くことなく何ですかと返したルイズに向かい、ノワールはどうして戦おうとしているのと言葉を続けた。

 

「どうしてって、人が襲われて」

「あれは、さっき貴女を攫って奴隷商人にでも売り飛ばそうとしていた輩よ。助ける理由はどこにもないわ」

「だからって、見捨てていいなんてことはないわ」

「そういう言葉は、カリンほどの実力を持ってからいいなさい。そして、覚えておきなさい。何処の世界にも、死ななければどうしようもないものはいるのよ」

 

 む、とルイズは顔を顰めた。そんなこと言われなくたって分かってる。そう言いながら、無理矢理にでも前に出ようと気合を入れた。

 アンリエッタは、そんなルイズの手を掴んだ。行ったらルイズが死んでしまう。そんな思いからの無意識の行動であった。それを自覚した彼女は、同時に先程のノワールの言葉を呟いた。

 

「世界には、死ななければならないものがいる」

 

 そうかもしれない、と思った。でも、それは本当に今言いたかったことなのだろうかという疑問も湧いた。出会ってまだほんの少し。だが、そのほんの少しの間でも、彼女の性格を垣間見ることは出来た。説明出来るような性格ではないが、そんなアドバイスを素直に言うような人物ではないのは確かだ。

 つまり、それを加味した場合、彼女の言葉の意味は。そして、自分の取るべき行動は。

 手を放した。ルイズの背中を軽く押し、行ってやれと言わんばかりの行動を取る。それを激励と受け取ったのか、ルイズは左手に素早く勇気と書くとそれを一舐めして一気に駆けた。

 

「あら、『おともだち』を見殺し?」

「……ルイズは死にません」

「根拠は?」

「わたくしは、ルイズが大っ嫌いだからです」

 

 成程、とノワールは笑った。素早くゴロツキを蹴り飛ばしてジャイアントスコーピオンの射程距離から遠ざけ、自身も即座に退避するルイズを見て、その笑みを更に強くさせる。

 

「残念。冷静になっちゃったわね」

「ええ。わたくしの自慢の『おともだち』ですから」

 

 クスリと笑った。どこか目の前の彼女に似たようなその笑みを浮かべたアンリエッタは、ルイズを呼び寄せると二人を交互に見やる。少し、お話を聞いてもらえますか。そう言いながら、自身の口元を手で隠した。

 

「――理由を、作りますから」

「――いいわ。聞かせてもらいましょう」

「は? へ?」

 

 一人意味の分かっていないルイズは、先程と同じように頭にハテナマークを浮かべながら二人の顔を見るばかり。

 そして、そんな二人のやり取りが終わるのをまるで待っているかのように、ジャイアントスコーピオンの歩みは止まっていた。




バレバレのネタバレ:大体ノワールの仕業

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