ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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その2

 ギシリ、と椅子が鳴った。そこに座っている年老いた男は、短く溜息を吐くと机の上の本を閉じる。扉がノックされる音に気付き、どうしたのだと述べると、来客だという返答が来た。

 ふん、と鼻を鳴らした。今更こんな男に会いに来るような酔狂な人物は一体誰だ。使用人が一言述べた以上、出入りの業者や領民、付近の貴族達でないのは確かだろう。面倒事も舞い込んできたか。そんなことを思いつつ、彼はその来客をこの部屋に通すように告げた。

 暫くすると、再度のノックの音と共に、一人の人物が部屋へと入ってくる音がする。来たか、と振り向いた彼は、しかしその姿を見て目を見開いた。

 

「お久しぶりですわ」

 

 美しい女性であった。見た目は若く、妖艶な色気を纏ったその女性は、ゆっくりと彼へと近付いていく。

 その途中で、彼は彼女を押し留めた。待て、一体何の用だ。そう問い掛けると、彼女は少しだけ考えるように頬に手を当てる。修道服に身を包んでいるにも拘らず、その肢体は男を惑わす力で満ちていた。

 

「王都への観光のお誘いに。というのはいかがでしょう?」

 

 クスリと彼女は笑う。その笑みを見て、彼は相変わらずだと舌打ちをした。もう何十年前になるか、まだ自身が野望に燃えていた頃と何ら変わりがない。中身も、そして見た目も。

 彼は返答をする。己はこの領地を出ることはならぬと先王に告げられた身だ。だからお前の提案は飲めん、と。

 そんな彼の言葉に、彼女はクスクスと微笑んだ。おかしな人ね、と笑った。

 

「そんな言葉を、今更になるまで律儀に守るようなお方だったかしら?」

「……何が言いたい?」

 

 ジロリと彼女を睨む。彼女は変わらず笑みを湛えたまま、一歩前へと踏み出した。

 

「近付くなと言ったであろう」

「あら、怖い。変わらず、臆病なのですね」

「臆病の何が悪い」

「そうね。……その結果、今の貴方の姿がある、といえば分かってもらえるかしら」

 

 ギリギリと歯軋りをする音が響く。射殺さんばかりに彼女を睨む彼の眼光は、しかし当の本人にとって何の脅威にも成り得ない。

 微笑を湛えたまま、彼女は更に一歩踏み込んだ。椅子に座ったままの彼は、その行動で思わず後ずさる仕草を取る。そしてそれが叶わぬことに気付き、再度舌打ちをした。

 

「今はもう、フィリップ三世の時代ではない。だから、この私の枷も無効だと、そう言いたいのか?」

「少なくとも、おおっぴらに吹いて回らぬ限りは、誰も貴方がかつてのエスターシュ大公だとは気付かないでしょうね」

 

 時間の流れというのは、それほど残酷なものなのだから。そんな彼の質問の答えになっていない返答をした彼女は、それでどうかしらと再度問うた。

 エスターシュは暫し目を閉じる。何かを考える素振りを見せた後、ノワール、と目の前の女性の名を呼んだ。

 

「何故そうまでして、私を王都に向かわせようとする?」

 

 ノワールは答えない。笑みを浮かべたまま、可愛らしく小首を傾げるのみである。それがエスターシュの癇に障り、ふざけるなと彼を思わず立ち上がらせた。

 まあまあ、と彼女はそれを宥める。人差し指を自身の唇に軽く押し当て、そしてその指を彼へと向けた。

 

「あのマリアンヌの娘の姿、一度ご覧になってもいいのではなくて?」

 

 王家は、血筋だけで頂点に立っている者は、果たして順当か。彼女の問い掛けは、かつての彼の野望を再度思い起こさせるような、そんな一言であった。

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいルイズ! ……どうしたの?」

 

 ルイズと会いたい。アンリエッタのその我儘に、マリアンヌは一も二もなく了承した。この間の一件で愛娘にも大事な友人が出来たのだと喜んだのだ。

 それに反比例するように侍従達はいい顔をせず、一部の貴族はそんな暴れ馬よりも己の子供を勧めてくる。マザリーニ枢機卿はそんな急に降って湧いた仕事に少しだけ胃を痛めていた。

 さて、そのような内情は露知らず。アンリエッタはやってきたルイズを盛大に歓迎していた。そんな彼女にルイズはペコリと頭を下げ、ご機嫌麗しゅうと言葉を紡ぐ。当然のことながら、前回の遊びを体験していた彼女にとって、その態度は気になった。

 

「いえ、わたしのような者が姫殿下に無茶をさせるなど」

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい態度はやめてちょうだい! わたくしと貴女は、おともだちなのよ!」

「もったいないお言葉でございます」

 

 ルイズの声は固い。それがアンリエッタには余計に不安を煽ってしまう。何故、どうして。そんなことを考え、思わずじわりと涙が浮かんだ。

 

「ひ、姫さま!?」

「だって、だってルイズ……わたくしは、貴女が、貴女になら、心を許せると思って……貴女しかいないと思って……なのに」

 

 慌てたのはルイズである。姫殿下を泣かせた、となってはたとえ幼子であっても処罰は免れない。もったいぶった言い方だが、要は母親と姉に本気で怒られるというわけだ。どうにかしなくてはいけない。そんなことを瞬時に考え、とりあえず泣き止んでくださいと彼女を抱きしめた。

 

「ルイズ……」

「大丈夫です。わたしはちゃんと、姫さまのおともだちですから」

 

 ぐすり、と鼻を啜る音が聞こえた気がしたので、ルイズは知らないふりをした。荒い息が段々と落ち着き、やがてアンリエッタはゆっくりとルイズから離れていく。ごめんなさい、と少し赤い顔で謝罪をし、恥ずかしいのか目の前の彼女から視線を逸らした。

 

「で、でもルイズも悪いのですよ。どうしてあんな態度だったのです?」

「あんな態度、と言われましても」

「この間は、もっと砕けていたではありませんか。わたくしを突き飛ばして蝶を捕まえようとするくらいに」

「……いや、それでしこたま叱られたからなんですけど」

 

 やれやれ、といった態度ではあるものの、きちんと注意をするカリーヌ。そして、お前は一体何やってんだと雷を落としたエレオノール。大体後者が原因である。

 しゅん、と肩を落とすルイズを見て、アンリエッタは憤った。自分は楽しかったのだ、あれこそ友人のあるべき姿だと思ったのだ。だというのに、それに説教をするとは何事だ、と。

 勿論それを口に出す。そんな分からず屋よりも、自分を優先すべきだ。そんなことをルイズに述べた。が、彼女はゆっくりと首を横に振った。

 

「どうしてですか!? わたくしがいいと言っているのですよ!」

「それでも、です。確かに姫さまはそれでよかったかもしれないですけれど、他の人にも同じ態度で大丈夫かといえばそういうわけじゃない。姉さまに言われたんです。無茶をさせるならば相手を選べ、友人ならば尚更だって」

 

 あはは、とそう言ってルイズは頭を掻く。叱られたという割に、彼女のそれを語る表情は晴れやかである。よく分からない、と首を傾げるアンリエッタを見て、ルイズはわたしもですよと笑った。

 

「そもそもルイズ。わたくし相手で問題なかったのならば、先程までの態度は何なのですか?」

「え? あー、それは、その……」

 

 さっと視線を逸らす。子供心に、叱られたからちょっと真面目になろうと思っただけだ。などと言ってしまえば、直前の言葉の説得力が減じてしまうからだ。とはいえ、アンリエッタは聡明な子供である。成程、と何かに納得するように頷くと、まあいいでしょうと話を打ち切った。

 

「それで、今日は何をしましょう?」

 

 そう言いながらちらりと窓を見る。抜け出すぞ、と言わんばかりの露骨なその動きを見て、ルイズは盛大に溜息を吐いた。だからそれで叱られたのだけれど。そう言いかけたが、姉の言葉を借りれば今回はむしろ向こうが無茶を推奨している状態で問題はない。

 とはいえ、それでもやっぱり怒るんだろうな姉さま。はぁ、ともう一度溜息を吐いたルイズは分かりましたよと窓へと手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 前回は中庭、では今回は。そんなことを歩きながら話していた二人は、こちらに向かってくる魔法衛士隊を見付け慌てて物陰に隠れた。既に対策済みであったらしく、二人が抜け出したことは城に知れ渡っているらしい。このまま王宮内で遊んでいれば、程なく見付けられ連れ戻されるであろうことは想像に難くなかった。

 

「ルイズ」

「何ですか?」

「王宮を抜け出しましょう」

「はぁ!?」

 

 今コイツ何つった。思わずそんな顔でアンリエッタを見たルイズは、自信満々の笑顔を浮かべている彼女を見て顔を引き攣らせた。ここまではまだ子供の悪戯で済む。が、これ以上は笑い事では済まない。王宮の外は、何も知らない幼い子供が走り回るには危険過ぎる。

 

「あら、ではルイズ。貴女はそんな体験は一度もないと?」

「う……」

 

 公爵領のヴァリエールの屋敷を飛び出し色々やらかし始めたルイズは、彼女の言葉に答えることが出来ない。一人じゃない、ツェルプストーのところのアホ娘と二人だし、いざとなったらそいつを生け贄に逃げる算段だから出来る芸当だ。そんな言い訳も浮かんだが、言ったら言ったできっと彼女はそれなら条件を満たしているから大丈夫だと返すであろうことも予想が付いた。

 

「それでも、駄目です」

「何故?」

「姫さまが、危険だからです」

「……わたくしでは、貴女の足手まといなのね」

 

 二人が、ではなく、アンリエッタが危険だとルイズは言った。それはつまりそういうこと。あるいは、己の身よりも彼女の無事を優先しなければいけないということ。どちらにせよ、ルイズの枷であることは間違いない。

 思わず顔を伏せた。『おともだち』であろうと思ったのに、対等で有りたいと願ったのに。どうしてもそんなしがらみが邪魔をする。血筋や伝統、地位。それらが二人を上下に分ける。関係ないと、対等だと主張したくとも、その発言に力を持たせるには己はあまりにも矮小で無力。

 

「……姫さま。今回は王宮で遊びましょう。幸いまだ大人に見付かっていないので、いっそ見付かるまでかくれんぼという手も」

「いいえルイズ。戻りましょう」

「姫さま……」

 

 顔を伏せたまま、アンリエッタは踵を返す。表情をルイズに見せることなく、彼女が追ってきているかなど気にすることなく。アンリエッタは城内へと足を進めた。コツコツと足音がやけに大きく響いた気がして、彼女の気持ちはどんどんと暗く沈んでいく。

 ああ、どうして。どうして自分はもっと自由でないのだろう。どうして自分には力が無いのだろう。そんな思いだけがグルグルと回り、周囲の警戒すら疎かになる。

 どん、と何かにぶつかった。思わず尻餅をついたアンリエッタは、そこで床ばかり見ていた顔を上げた。

 

「あら、ごめんなさい」

 

 修道女の姿をした美しい女性が、尻餅をついた自身に手を伸ばしていた。その手を取り立ち上がったアンリエッタは、大丈夫という言葉にコクリと頷く。

 女性はそんな彼女を暫し見詰めると、微笑を浮かべたままその頭に手を置いた。

 

「あまり思い詰めては駄目よ。貴女はまだ子供、これからの可能性に満ちているのだから」

「え?」

 

 女性はそれだけを言うと踵を返す。近くにいた老いた男性を伴うと、そのまま王宮の出口へと向かって歩いて行った。その途中、男性がこちらをちらりと見たような気がして、アンリエッタは思わず姿勢を正す。

 何故だか、その男に隙を見せてはいけないと思ったのだ。

 

「姫さま、待ってください」

「あ……ルイズ」

「ルイズ、じゃないですよ。何度も呼び止めたのに上の空で」

「それは、ごめんなさい」

 

 ペコリとアンリエッタが頭を下げたことで、ルイズは慌ててやめてくださいと手をブンブンと振る。城のど真ん中でそんなことされたら、またわたし叱られます。そんなことを言いながら、戻るなら戻りましょうよとアンリエッタの手を取った。

 そんな彼女の行動にされるがままになっていたアンリエッタは、ふともう一度背後を振り返った。修道女の女性と、年老いた男性。その二人が去っていった廊下を見た。

 

「……どうしたんですか?」

「……いいえ、何でもないの。そう、何でも」

 

 あるいは、もしかしたら。ここでアンリエッタがルイズに何かを尋ねていたら。その女性の特徴を述べていたら。烈風の伝説をもう少し詳しく聞いていたら。現在の彼女は、無かったかもしれない。

 そのくらい、アンリエッタにとって、この邂逅はルイズと同じくらい大事な思い出として刻まれているのだ。あくまで、後々を振り返れば、の話である。

 

 

 

 

 

 

「それで、どうでした?」

 

 王宮を出たノワールが、隣のエスターシュに問い掛ける。先程ぶつかった幼い少女がアンリエッタである。そう説明し、彼に感想を求めたのだ。

 ふん、とエスターシュは鼻を鳴らした。話にならん、と言い放った。

 

「あら、そうですか」

「含みのある言い方だな?」

「そう思うのならば、そうなのでしょう」

 

 クスクスと笑いながら、ノワールは口元を手で隠す。それが彼にはどうにも気に入らず、苛ついた様子でトントンと腕組みをした己の腕を叩いていた。

 そんな様子を見てごめんなさいと笑顔のまま謝罪をしたノワールは、ではわたしの考えを述べましょうと頬に手を添えた。

 

「気に入りましたわ」

「……何だと?」

「己の無力さを歯痒く思い、それを打破するための力を求める。そんな意志が眠っているように感じたのです」

「ふん。くだらんな。貴様の妄想話には付き合いきれん」

 

 歩みを早くする。そんな彼に追い付くことなく、ノワールは一定の距離を保ちながら、エスターシュの背中を眺めながらクスリと微笑んだ。

 

「では、試してみては如何?」

 

 エスターシュの足が止まる。振り向かずに、しかし背後に意識を集中させながら、彼はそこにいるであろう『魔女』へと言葉を紡いだ。

 あんな子供に何をする気だ。彼自身でも思ってもみないようなその問いに、ノワールはあらあらと軽い調子で返す。そんな慈悲の心があったのですね、とからかうように彼へと述べた。

 

「ふざけるな。私は真面目な話をしている」

「ええ、勿論ですわ。わたしも、ちゃんと、真面目な提案よ」

「試す、というのがか?」

「ええ」

 

 そこでようやくエスターシュは振り向く。相も変わらず、美しい顔と肉体の女性は、笑みを湛えたまま。

 なんてことのないように、ノワールはそれを言い放った。

 




ノワールさんは基本悪役ポジ

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