……別にそこまで貴重じゃなかった。
状況についていけない。用意された席に座りつつ、しかし内心エレオノールは混乱の極みにあった。そもそも、何故自分がこんな場所で、この席に腰を下ろしているのか。
何故、目の前にいるこの二人は実に楽しそうな笑顔でこちらを見ているのか。それが、さっぱり分からない。
唯一分かることは、部屋の端の方で空気になろうとしているおちび達三人とその使い魔はこの状況に深く関与していないということくらいであろう。
「それで」
仕方ない。そう判断したエレオノールは、溜息と共に二人を見た。割と本気で機嫌が悪い。そう言わんばかりの眼光を見せた彼女により、その内の片方は若干トラウマを刺激されたのかビクリと後ずさる。それでも笑顔を崩さない辺り、やはり相当なものであろう。
褒めていない。
「この状況の説明は、してくれるのですよね?」
あはは、と言葉を聞いた片方は笑う。視線をエレオノールから端にいるルイズ達に向け、原因は大体向こうのせいだという前置きでもしようと口を開いた。
が、それよりも早く。ちょっと待て、とルイズが物申すよりも早く。
「おちび達が悪い、というのは通用しませんから」
目を更に細め、ジロリと睨みつけるように彼女を見ながら、エレオノールはそう言い放った。
それを聞き、一言目を発しかけた彼女の開いた口はそれきり何か音を発することなく、半開きの状態で暫し固まる。ゆっくりと口を閉じると、声の代わりに溜息を吐いた。普段の彼女の態度から考えると、信じられない行動であった。
「それで」
エレオノールは再度問う。この状況の説明を、彼女に求める。その隣に立っている修道女の格好をしたもう一人には目もくれず、シンプルであるが高貴さを隠そうともしない衣服に身を包んだ少女へと問い掛ける。
えっと、と言葉を濁しながら、彼女は目を泳がせた。普段であればもっと余裕を持ってからかいの言葉を交えながら全部自分の仕向けた計画だと高笑いを上げるところであるが、いかんせん若干マジギレしかけている目の前の彼女の前でそんなことをすれば、すぐさま床に座らせられて数時間の説教コースが待っている。隣の師はそんな自分を面白いと見守るだけであろうし、部屋の隅のおともだちは被害が自分に及ばないよう気を付けつつざまあみろと言わんばかりに勝ち誇るだろう。
そうならないように向こうを巻き込む一言を紡ごうと思っていたが、それは先程潰された。再度挑戦してもいいが、その場合まず間違いなくルイズの倍説教されるであろうことは想像に難くない。トリステイン王妃という立場が何の意味も持たない現状、彼女に出来ることはほんの僅かだ。
「……事の発端は、ルイズがエレオノールさんの独り身の原因を何とかしようと思い立ったことにあります」
「ちょ!?」
思わず叫ぶ。が、ルイズのその言葉など知ったこっちゃないとばかりに彼女は言葉を続けた。バーガンディ伯爵との破局の原因を調べようとこっそり王宮の徴税官に連絡を取ったこと。当たり前のようにそれに勘付いた自身が、その原因であるゴンドラン卿他多数の嫌がらせを調べあげたこと。その過程で自分にとって特に害もない低俗であった連中が幅を利かせようとして、少々きな臭いことを実行しようとしていたこともついでに発覚したため、この際掃除してしまおうと思い付いたこと。
「それで?」
「ルイズ達を灰色卿の雇った『掃除人』に偽装させ、向こうの企みをとりあえず台無しにしようと仕向けましたわ」
「……それだけ?」
「台無しにさえなれば、後はこちらでどうとでもなりますもの。書類偽造の罪に始まり、国家反逆罪。その他諸々適当に罪をでっち上げて、しかしそれを許すという餌をちらつかせながら牙を抜き体のいい貯金箱に仕立てあげました」
しかしその過程で少しだけ問題が起きた。そう言うと、彼女はこの部屋を見渡す。アカデミーの最上階、評議会長室。ここの管理をする者がいなくなってしまう。そんなことを続けながら、少し調子が戻ったのかニコリと微笑んだ。
「ここは元々開かずの間では?」
「ええ。ゴンドラン卿が地位を追われてから、十年以上部屋の主は不在のままです」
「……不在ではあっても、管理はゴンドラン卿がされていたのですか」
「部屋の中に入る許可は与えませんでしたが」
クスクスと笑いながら、そういうわけなのですと彼女はエレオノールを見た。とどのつまり、エレオノールがその椅子に座っているというのは、そういうわけなのだ。
「わたしに管理をしろ、と?」
「ええ。是非とも」
笑みを崩すことなくそう言い放った彼女を一瞥し、エレオノールは視線を机に落とす。はぁ、と盛大に溜息を吐くと、承りましたと返答をした。
現在、評議会長室は開かずの間であることに意味を持たせている節がある。ゴンドラン卿はその意味を掴めずにただ自身の地位を戻そうと画策していたが、もし気付けていればきっと彼の未来は輝かしいものに変わっていたであろう。
そしてエレオノールは、付き合いの長さというアドバンテージを持つことで、彼女の言いたいことを理解してしまった。だから、返答は是と答えたが、言いたいことは湯水のように湧いてくる。
「王妃」
「……? はい」
「ちょっとそこに座りなさい」
「え?」
「座りなさい」
「え、いえ、でもわたくしは」
「座りなさい」
立ち上がったエレオノールが指差したのは床であった。わざわざ絨毯の敷かれていない、石畳の上であった。
「おちび達! あんたらもよ!」
「やっぱり!?」
「そうよねぇ……」
「と、思った」
「俺もカウントされてるんだよな、これ」
さて、とエレオノールは視線を移動させる。解放されたルイズ達四人と未だ正座中のアンリエッタから、説教を微笑みながら眺めていたノワールへと。
「おばさまは、何の用でここに?」
「あら、特に用事はないけれどここにいる、では駄目かしら?」
「もしそうなら、こちらには一切干渉しないと誓ってください」
憮然とした表情でそう述べるエレオノールを見たノワールはクスクスと笑う。やっぱり姉妹なのね、と彼女の頭を軽く撫でると、視線を正座中のアンリエッタに向けた。頬に手を当て、少し困ったようなポーズを取りながら小首を傾げる。
「アンリエッタ。どうするつもりかしら?」
「師匠(せんせい)のお手を煩わせるつもりはありません。わたくしが、きちんと己の口を持って話しますわ」
「そう。なら、私の用事はこれでおしまい。一観客として、貴女の踊る様を見させてもらうわ」
「ええ。とくとご覧ください」
そう言うと、お互いにクスリと笑った。ノワールは一歩下がり、手出しはしないとばかりに肩を竦める。これから起こることがたとえどんな結果であろうとも、彼女はこのまま傍観を決め込むであろう。
それが分かっているアンリエッタは、ほんの少しだけ表情を真面目なものに変える。息を吸い、吐く。そうして再び微笑みを湛えた彼女は、とりあえずやることはこれだとばかりにエレオノールへと顔を向けた。
「そろそろ、立ち上がっても?」
「駄目よ」
「……流石にこの体勢は格好が付かないのですが」
「ええ。だからこそよ」
「中々に無理難題を言われますわね」
「当たり前でしょう。人を勝手に撒き餌に使って、自身の利益を確保した後に抱え込むための飴が出来たからそれを与えようと考えるような小賢しいお馬鹿は、それがお似合いよ」
「ふふっ。よく分かっているわね、エレオノール」
付き合いも長いので。そう言ってちらりとノワールを見た彼女は、再度アンリエッタに目を向ける。悪戯がバレた子供のような表情をしているのが見えて、やれやれと頭を振り溜息を吐いた。
「……なあ、ルイズ」
「何よ」
「俺さ、エレオノールさんの本気? を見たの今回が初めてなんだけど」
「あら、そうなの。で、それが?」
「いや、なんつーか」
確かにこれを王宮でやってたら男寄り付かんわ。説教から説教のコンボを自国の王妃に叩き込んでいる彼女を見て、彼は頬を掻きながらそう思った。その辺はもう手遅れよ、とどこか遠い目をするルイズを見て、だろうなと才人は頷いた。
それはさておき、正座のまま顛末を語るという割とアンリエッタにとって屈辱な状況のまま、しかしそれでも話が進まないので渋々彼女は語り出す。凡そは説教前に述べたことで、これから話すことはその先。
すなわち、エレオノールをこれからどうしたいか。
「それで、エレオノールさん」
「何?」
「この部屋の管理がどういう意味を持つかは、承知の上なのですよね?」
「勿論。だから貴女をそこに座らせたの」
余計な仕事増やしやがって。口にはせずに視線だけでそう述べたエレオノールは、ぐるりと部屋を見渡した。かつてゴンドラン卿が主であった時とは一見すると変わらないように見えたそこは、その実ガラリと様変わりしている。具体的には、壁に並ぶ本棚の中身とか。
「素晴らしい趣味ですわね、王妃」
「ありがとうございます」
「皮肉よ」
「ええ、存じていますわ」
ニコリと微笑んだアンリエッタは、今度こそ立ち上がる許可を貰うとその本棚の一角へと歩みを進めた。列ごとに揃えられた装丁の本の一冊を取り出すと、その表紙を埃を払うようにパンパンと軽く叩く。
そしてそれを開くと、適当な頁に目を通した。これでいいか、と顎に手を当てると、その部分を朗読し出す。とある日付を述べ、そして、ちらりとある人物を見て。
「その日、ルイズ・フランソワーズはカジノに大負けし『魅惑の妖精亭』へと退却。軍資金を集めるためにそこの給仕に参加。このままでは翌日も大敗するであろうと危惧したジェシカにより、使い魔サイトをあてがわれる」
「ぶふっ!」
ルイズが吹いた。目を見開き、なんじゃそらと叫びながらアンリエッタへと食って掛かる。彼女の持っていた本を奪い取ると、その表紙に書かれているタイトルを口にした。
「『ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール』」
「ええ、ルイズ。それは『貴女の本』ですわ」
しれっとそんなことを述べたアンリエッタを睨むと、彼女は本棚へと視線を動かした。そこにはところどころ見覚えのある名前をタイトルとした本が並べられているのが見える。見覚えのないタイトルも、恐らく人の名前であろうことは予想が付いた。
「姫さま」
「ただの調査資料ですわ。それっぽく装丁したのはわたくしの趣味。それに、今更驚くようなことではないでしょう?」
「う」
確かに、とルイズは口ごもる。目の前の魔王は、この手のプライバシーの侵害を当たり前のように行いながら証拠を集め悪巧みをしてきたのだ。むしろ、こうしてわざわざ物品として残しているのが不思議なくらいに。
理解したようですわね。そう言って微笑んだアンリエッタは、ルイズからエレオノールに目を向ける。ルイズの本をアンリエッタが朗読せずとも本の内容を理解していた彼女は、別段驚いた様子もなくそこに佇んでいた。ただ、視線だけはこれからのことを考えているのか忙しなく動いている。
「王妃」
やがて考えがまとまったのか、彼女は視線をアンリエッタで固定させた。はい、とそれを見つめ返した彼女に向かい、エレオノールは少し質問してもいいかと尋ねる。アンリエッタが頷くのを確認すると、では遠慮無くと彼女は口を開いた。
「開かずの間の入室許可は、誰が?」
「今まではわたくしか師匠の二人だけでしたわ」
「入室許可と、閲覧許可は別々で?」
「入室許可を出すような者に、閲覧制限をかける必要性はありません」
「部屋の管理……掃除などを担当するのは?」
「基本はわたくしの大事なメイド達が。ここのところはアニエスと、最近はエルザが手伝ってくれていますわ」
成程、よく分かった。そう言わんばかりに頷いたエレオノールは今の質問の答を己の考えと照らし合わせながら結論を出す。既に是を出してしまっている以上、これからどういう風に進むのか、その道筋を組み立てる。逃げるという選択肢を取らないのは、腕っ節は強くなくともヴァリエールだからなのだろう。
「王妃。では管理するにあたって三つほど聞いていただきたい願があります」
「ええ、どうぞ」
「一つ目。入室許可と閲覧許可を、わたしも出せるようにすること」
「当然ですわね」
「二つ目。わたしが管理者である限り、わたしに恒久的な入室許可と閲覧許可を与えること」
「それは勿論」
では三つ目。そう言って立てた三本目を軽く振ると、彼女は言い淀むことなくそれを口にする。
アンリエッタの本を、作ること。
「どういうことでしょうか?」
「言葉通りよ。貴女自身の本も、ここの本棚に並べて欲しいの」
「……それに一体何の意味が?」
「お説教の延長線上。後は」
貴女も己を見直すいい機会でしょう。そう言ってエレオノールはアンリエッタの頭をクシャリと撫でた。その顔は、先程までの困ったような表情や呆れたような表情ではなく。
妹を見るような、姉の笑顔であった。
「……」
「あらぁ? どうしたのルイズ」
「別に」
「大事な姉を取られて妬いてる?」
「違うわよ」
「こういう時は素直になった方がいいぞ」
「違うってば」
「そういう意地っ張りなところ、カリンにそっくり」
「だから違う!」
姉エンド