ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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エレ姉さまの話……話?


飢えるか、熟れるか、それとも――
その1


 トリステインのアカデミーは、かつては『始祖をより深く理解する』などという名目の神学に近い研究の行われる場所であった。生活に根付くものは殆ど無く、魔法の本質を探るための研究が大半。それらから生活に役立つような技術が生まれたとしても、それはアカデミーの研究には役に立たないものとして破棄され、あるいは異端とされて処理された。

 それが変わったのは、今から十数年ほど前。トリステインに世継ぎが生まれた、という喜びで前トリステイン王が蝶よ花よと一人娘を育てていた頃だ。

 神学は神学できちんと残されたが、そこから生まれる応用技術や実用的な魔法の使用方法、生活に役立つマジックアイテムなど、今まで異端とされたものを扱うようになっていった。

 そこに至る過程は、現在になっても正確には公表されていない。一説によると、評議会のメンバーに怪しい修道女が混じっただとか、幼い子供の鶴の一声によりトリステイン王が許可を出しただとか。勿論噂であるし、そんなものを信じる輩はまずいない。

 その再編成を隠れ蓑に、とある貴族は自身の汚職を隠し通し何食わぬ顔でそれからも高等法院を続けるのだが、それはまた別のお話。

 ともあれ、結果としてアカデミーは今までの伝統とは違う存在へと移り変わった。人によっては何でも研究対象にする頭のおかしい施設、などと揶揄するほどの別物になった。

 それでも月日が経てば慣れてしまうもので。今ではトリステインのメイジの研究職としては最高位に位置するという往年の評判を取り戻しつつあった。

 

「はぁ……」

 

 そんなアカデミーの主席研究員の一人、エレオノールは机に体を預けながら溜息を吐いていた。目の前には細く伸ばされたと思われる金属片が数枚転がっている。少し前に上からの指示で渡されたそれを指で軽く弾き、澄んだ音を立てるのを聞きながら再度溜息を吐いた。

 

「無茶言うわね……」

 

 彼女の目の前にあるそれは、ゲルマニアのシュペー卿末妹が鋳造した魔法合金と、エルフの武器に使われている特殊合金のサンプルである。これらを解析し、双方の特性を持った素材を作れないか、というのが現在彼女に与えられた研究であった。はっきり言って実生活には何の役にも立たない趣味の領域である。少なくとも、周囲の研究員はそう判断していた。

 一方命じられた当の本人は、自分に国の命運背負わせるなと半ギレ気味であったとかなんとか。腐ってもルイズの姉で、カリーヌの娘である。

 

「まあ、王妃のことだから、趣味というのもあながち間違いではないでしょうけれど」

 

 誰が命じたのか、という情報は全く入ってきていない。が、彼女は犯人に確信を持っていた。同時に、こういうことを任される程度には信頼されているのだということを再確認し、少しだけ微笑ましくなった。

 コンコン、と扉がノックされる。どうぞ、というエレオノールの声で部屋に入ってきたのは、同僚の女性であった。今日も悩んでいるのね、と笑いながら、手に持っていたコーヒーを彼女の机に置く。

 

「あら、珍しい」

 

 普通、トリステインで出されるのは紅茶だ。最近手軽に買えるようになったから、と笑みを崩さず彼女に返した同僚の女性は、まあ飲めと手で促す。

 では遠慮無く、とエレオノールはコーヒーに口を付けた。

 

「何だ、普通に飲めるのね」

「……そういう意図か」

 

 別の事柄で苦い顔になったエレオノールは、ヴァレリー、と彼女の名を呼ぶ。まさかそのためだけに来たわけではあるまい。そんなようなことを言いながら、ジロリとその顔を睨んだ。

 

「いや、大体そんな用事よ。ほら、気分転換の差し入れ」

「はいはい」

 

 それはどうもありがとう。全く心の篭っていないお礼を述べ、エレオノールはヴァレリーから視線を外す。はぁ、と通算何度目か分からない溜息が漏れた。

 そんな彼女を見て、ヴァレリーは苦笑する。出来る女は大変ね、などと言いながら、机の上の金属片をひょいと摘んだ。

 

「こんなものの研究を任されるなんて、ストレス溜まってしょうがないんじゃないの?」

「……ん、まあ、そうね」

 

 向こうの考えているのとは別のところではあるが、別段訂正する気もなかったエレオノールは曖昧に頷く。やっぱりか、と頷く相手を見て、まあ適当に相槌でも打っておこうと彼女は思った。

 

「私でよければ、愚痴を聞くわよ」

「あ、うん。ありがとう」

「何よ、歯切れ悪いわね。……あ、ひょっとして、そういう相手は間に合っているなんて――」

 

 ヴァレリーは途中で言葉を止めた。エレオノールの目が、急激に鋭くなっていったのを見たからだ。自分が何を言おうとしたのかを覚ったのだろう、そんなことを考えたりもした。

 が、既に後の祭りである。ガシリと肩を掴まれ、目は鋭いまま無表情でこちらを見詰めるエレオノールを見て。あ、これは死んだな、とヴァレリーは色々諦めた。

 

 

 

 

 

 

「おちび! 聞いてるの!?」

「聞いてます聞いてます」

 

 バン、と机を叩き、目の前の妹を睨む。もう閉じ籠もって研究などやってられるか、という心境になったエレオノールは、そのまま魔法学院へと直行、ルイズを呼び出し延々と愚痴っていた。尚、ヴァレリーは始末された。比喩表現である。

 一方、対するルイズは既に涙目であった。何でこうなるんだ、と思いつつ、しかし姉の心労の大半は自分達の大暴れなので強くは言えず。結果として素直に愚痴に付き合うこととなっていた。

 

「でも、姫さまも無茶言いますね」

「本当よ。こういうのは専門家に任せるのが一番でしょうに」

「いや、それエレオノールさんが専門家って認識なんじゃなぁい?」

「多分」

 

 横合いから声。いつの間にか隣のテーブルに座っていたキュルケとタバサが、こちらを見ながら紅茶を飲んでいた。ついでにちゃっかり避難していた才人も見える。ある程度愚痴が終わったのを見計らったらしい三人は、そんなわけでと会話に加わった。

 

「確か、『オストラント号』の造船にも関わったんでしょう?」

「まあ、王妃に頼まれたから仕方なく……」

「ほぼ未知の領域である特殊高速船の造船補佐を「仕方なく」で済ませる時点で相当」

 

 キュルケとタバサの追撃。むむ、と苦い顔を浮かべたエレオノールは、理不尽だと肩を落とした。無駄にスペック高いと大変だな、と才人は呑気にそんな感想を抱いた。

 

「あ、でも。そういう意味じゃコルベール先生の方が適任じゃねぇの?」

 

 フォローとは少し違うが、才人は彼女の負担が減るかもしれない案を思い付いたまま口に出した。確かにエレオノールは専門家かもしれないが、研究者という部分ではある意味ネジがぶっ飛んでいるコルベールがいる。先程の造船で言えば、彼女は補佐だが彼は設計から何から何まで全て携わっているのだから。

 

「サイト。残念だけどそれは無理ね」

「へ? 何でだよ」

「金属の研究、素材開発ってことは、土属性のエキスパートじゃないといけないのよぉ」

「ミスタ・コルベールは火のメイジ。こういう時は数段落ちる」

「……成程」

 

 助け舟を出したつもりが、トドメになってしまった。そうなのよね、と項垂れるエレオノールを見て、才人は何だかとても申し訳ない気持ちになってしまう。そんなわけで、彼はごめんなさいと頭を下げた。謝る必要などどこにもない、と叱られた。

 

「……ああ、潤い、欲しいなぁ……」

 

 再度項垂れ、普段の彼女らしからぬ弱気な発言が口に出た。何かちょっとこれヤバいんじゃないか、と妹とその悪友が心配してしまうような発言が飛び出した。

 が、誰もそれについて触れることはしない。エレオノールにとって、潤い、すなわち恋人あるいは伴侶というのは禁句中の禁句だからだ。何故かといえばそれはもちろん。

 

「……わたしに難がある、だけじゃないのだけれどなぁ……」

「うぐぅ!?」

 

 半分はルイズ達の仕業だからである。当たり前のようにもう半分は彼女自身なのだが、そのもう半分の悪評を肥大化させている効果も担っているというおまけ付きであった。

 誰も好き好んで暴れドラゴンの姉と付き合おうとは思わない。現王妃旧王女を王宮の廊下のど真ん中で正座させて説教するような女傑と、付き合おうなどと考えない。それより酷いのは山程いる、と言われても、そうじゃない可憐な女性も同じくらい山程いるわけで。

 何かにスイッチが入ったらしいエレオノールは、そのままやさぐれたように頬杖をつき天井を見上げた。その目は遠く、一体何を見ているのかルイズ達では検討もつかない。

 ただ、なんとかしなくてはいけない。そんな決意を彼女達に持たせるのには十分であった。

 

 

 

 

 

 

 とりあえず言いたいことを言って少しだけスッキリしたエレオノールが帰っていった翌日。いつもの面々は、毎度のようにテーブルを囲んでどうしたものかと唸っていた。今日は何の悪巧みですか、というシエスタの言葉にはとりあえず反論をした。

 

「今回は本気で切実よ」

「はあ」

「エレオノールさんに関わることなのよぉ」

「……はぁ」

「どうにかしないと」

「そうですか」

 

 さっきから要領の得ない言葉しか返さない三人を見て適当に相槌を打ったシエスタは、ちらりと横目で才人を見た。それが説明を求めているということだと理解した彼は、物凄くゲンナリした表情で頭を掻く。

 

「昨日、エレオノールさん来ただろ」

「ええ。わたしは他の問題児の方に取り掛かっていたのでご挨拶出来ませんでしたが」

 

 アルビオンの聖女とクルデンホルフ大公の娘とエルフのことである。他のメイドでは彼女達の暴走を止める度胸を持っていないので、必然的にシエスタの負担と給料が増していた。

 それはさておき、彼女はそれで一体何があったのかと才人に話の続きを促した。当り障りのない愚痴を零しに来たという訪問理由やら、アンリエッタの無茶振りで疲れているのだとかいう近況やら。その辺りを彼は話し、そして。

 

「……恋人、欲しいなって、呟いてた」

「……あー」

 

 成程、それは切実だ。納得したように頷いたシエスタは、そういうことならお手伝いしましょうと彼女達に視線を戻した。敬愛するルイズの姉のある意味一大事、メイドとしてここは一肌脱がなくては。そんなこともついでに考えた。

 

「それで、どうするんですか?」

「いや、それがね……」

「なぁんにも浮かばないのよぉ」

「大ピンチ」

「……」

「いや、こっち見られても」

 

 そもそもこの面々に恋愛をどうこう出来るようなら苦労しないのだ。キュルケはともかく、ルイズとタバサはその辺りが致命的であるからだ。片や許嫁がいる、片や姫である。そういう裏事情がなければ、現在のエレオノールと同じ道を歩くに違いない。何の横槍もないのに。

 

「ん? いや、待った」

 

 ふと才人が何かを思い付いたように視線を天井、ルイズ、皆の順に動かし声を上げた。そういえば、自身の主人であるルイズには、許嫁というかなり強力な独身ストッパーがいるではないか。人物についてはノーコメントのまま、彼はそんなことを言いながら、何でどうしてと言葉を続けた。

 

「エレオノールさんにはいないのか?」

「許嫁?」

「そうだよ。ルイズですらいるのに」

「ちょっと待て」

 

 今聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ。そう手を伸ばしたルイズは、タバサが今はそれどころじゃないと遮ったことで渋々引っ込めた。若干の不満顔のまま、彼女はとりあえず使い魔の質問に答えるために口を開く。

 

「いたわよ、婚約者」

「あ、やっぱりそうなんだ……過去形?」

 

 つまり今はいないということである。何故そうなったかを少し考え、才人は何となくその先が予想出来るような気がした。ちらりとキュルケとタバサを見ると、乾いた笑いを上げながら目を逸らされた。やはりそういうことらしい。

 

「限界だって、言われたらしいわ」

「ちょ、直接……?」

「一応伝聞ね。それきり二人で会うことはなくなったらしいわよ」

「うーむ」

 

 それはそれは。才人はどういう表情をしていいのか分からず何とも微妙な表情のまま、とりあえず分かったと頷いた。エレオノールはかつて婚約者がおり、そしてその婚約を解消されてからは独り身である。とても寂しい話であった。

 

「そんなにエレオノールさん駄目なんかね」

「んー。あたし達からすれば、そんなことはないと思うんだけれど」

「個人的には優良物件」

 

 ヴァリエールの魔境で暮らすだけのタフネスを持っているにも拘らず、常識的な思考を持って行動をする女性である。見た目もスタイルが多少残念ではあるものの、あの二人の娘なだけはあり相当な美人だ。普通に考えれば、引く手数多でもおかしくない。

 

「……まあ、そうね。説教グセさえなければ」

 

 それを台無しにする、といえば言い過ぎかもしれない。が、少なくともトリステインの男性貴族の大半にとってはどうにも許容出来ない部分があるわけで。

 それがルイズの呟いたエレオノールの性格である。

 

「相手が間違ってると、多少の身分など関係なしにズバズバ言っちゃうのよねぇ」

「人によっては、確実に気に入らないと思う」

 

 ちなみにそうなった原因も含めると、エレオノールが独り身の理由の七割はルイズ達である。必死になるのも無理ないことであった。

 

「まあとりあえず。つまりエレオノールさんが説教をしてもキチンと聞いてくれる人を見付ければいいわけだな」

「後はわたし達の評判を聞いても尻込みしない人」

 

 ルイズの付け足しを聞き、一同ううむと暫し考えこんだ。そういう人物は果たしているのだろうか。そんなことを考えたのである。

 とりあえず知り合いから該当しそうな人物をピックアップしてみるか。物は試しで、口には出さずに各々そんな結論を出した。

 

「ウェールズ陛下、かな」

「ウェールズ陛下かしらねぇ」

「ウェールズ陛下」

「ウェールズ王子じゃねぇの?」

「……それ、世界滅びますよ」

 

 全員一致であった。そして勿論却下であった。

 尚、至極どうでもいいことであり、まったくもって関係のないことであるのだが。同時刻、トリステインの王宮では、アンリエッタがルイズ達に何か新しく無茶振りさせようとこめかみをひくつかせながら書類をしたためていたとか何とか。




実は才人も該当者。

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