書状によって呼び出された大聖堂での話し合いはすぐに終わった。あの騒ぎの後に彼女をどうこうすることなど出来ないのは明白であったからだ。それがたとえ、教皇であっても。
そのことを分かっているのか、ジョゼットはヴィットーリオのその言葉を聞いても別段驚いた様子はなかった。否、正確には、喜び始祖へ感謝をする素振りを見せた。勿論表向きにはそんなことはおくびにも出さず、それを指摘する気のないヴィットーリオも同意するような笑みを見せる。護衛についている聖騎士くらいであろう、その光景を素直に受け止めているのは。
そんなやり取りは前座に過ぎない。ヴィットーリオは姿勢を正すと、この場で続けて話すのは性急かもしれませんが、と前置きをし言葉を紡いだ。
「わたくしの直属に、なっていただけないでしょうか」
ピクリ、とジョゼットの眉が動いた。貼り付けたような笑みが消え、何かを考えるような表情に変わる。傍から見ていれば、突然の申し出に驚きを隠せないように見えるかもしれない。
勿論彼女の心情はそんなものではなく。舌打ちしたい衝動に駆られながら、平静を保つためにヴィットーリオの隣にいる愛しの彼の顔を見た。そいつの横から、すぐに自分の隣に立たせてあげるから。そんな決意を内心でしながら、ジョゼットは目を閉じ、神妙な表情で首を横に振った。
「ありがとうございます。しかし、わたくしは聖下にそのように取り立てて頂くほどの器ではございません。ですから――」
「そうですか。貴女にはジュリオの補佐として、彼と共に行動してもらおうと思っていたのですが……」
「――至らぬところも多いでしょうが、この身で良ければ聖下の力となりましょう」
今若干前後の文脈おかしくなかったか、と護衛の聖騎士はそう思った。が、当事者達は特に気にせずに話が進んでいる以上、自分達の気のせいであろう。そう判断し、彼等はビシリと姿勢を正した。どうやら今日のところはここまでにして、これからのことはまた追って話をするらしい。失礼します、と一礼をし去っていくジョゼットの姿を目で追い、あるいは見送りのために付き従い。
ではこちらも戻ります、というヴィットーリオの命に従い、彼等は通常の仕事に戻っていった。
「すみませんね、ジュリオ」
「何がですか?」
そうして二人になったヴィットーリオは、隣を歩くジュリオに謝罪をする。意味が分からない、というポーズを取ったジュリオに対し、誤魔化す必要はないですよと彼は苦笑した。
「貴方を餌に、してしまった」
「ははは。その言い草だと、まるで彼女が猛獣のようではないですか」
「猛獣ですよ。貴方には悪いですが、彼女はとても獰猛な魔獣だ」
押し黙る。やはり想い人を悪し様に言われるのは気分を害して当たり前か。そんなことを思いながら、ヴィットーリオは再度ジュリオに謝罪をした。表面上は、などということはない。そんな形だけの謝罪ではないことを理解しているジュリオは、とんでもないと手を振る。聖下ともあろう方が、そう簡単に頭を下げるべきではない。そう言って彼を窘めた。
「……まあ、確かに。その言い方は聖下といえどもあまり許容は出来ませんでしたが」
「そうですよね。申し訳ありません」
「だから頭を下げないでください」
若干口調が強くなったのを確認したヴィットーリオは苦笑しながら頬を掻く。辿り着いた執務室の扉を開け、中にジュリオを招くと、自身の椅子へと腰掛けた。
しかしそうなると、この続きはとても話せない。そんなことを言いながら、呆れた表情のジュリオを見た。
「彼女の手綱を、握っていて欲しい。と、思ったのですが」
「承諾しかねますね」
「ああ、やはりですか」
こればかりは、もし頭を下げられたとしても無理だ。口には出さずにそんな意志を視線で述べたジュリオは、しかしやれやれと肩を竦めると苦笑した。
「聖下。彼女は可憐な乙女です。そんなことをせずとも、真摯に話し合えば聖下の意志に同調を」
「して貰う必要はありませんよ。いえ、そもそもわたしと彼女では目指している場所が違う」
言外に、そんなことは不可能だと続けながら、ヴィットーリオは机の上の書類を手に取った。少々過激とも言える内容のそれに一通り目を通し、少しばかり考えるように顎に手を当てる。己の目指すもののために必要な犠牲。そう切り分けていたものに今一度目を向け、そして溜息を吐いた。
「ジュリオ」
「はい」
「始祖は、意外と意地悪ですね」
「……は?」
「自分がやろうとしていたことを、自身の到達点をついで扱いで片付けてしまう存在を同じ世に遣わしたのですから」
やれやれ、とヴィットーリオは肩を竦めた。自分の凡庸さが嫌になる。そんなことを思わず愚痴りながら、やってられんとばかりに机の上に体を投げ出した。
そんな彼の姿にジュリオは当然眉を顰める。つかつかと彼に近付くと、ふざけたことやってないでくださいとその頭を叩いた。
「そうは言われてもね。あたた、わたしみたいな小物では魔王に打ち勝つなんてとてもとても」
「あっという間に弱気になり過ぎでしょう! これまでロマリアを立て直した実績は確かなのですから、もっと胸を張ってください」
「ジュリオの手助けがあったからこそです。わたし一人では、何も成せないゼロの男ですよ」
「それでも、です。ぼくが居たからというのならば、それを見出した聖下の手柄です。誇ってください」
「成程……。ジュリオ、貴方はいいことを言いますね」
ははは、とヴィットーリオは笑った。まったく、とジュリオはそんな彼を見ながら苦笑した。体を投げ出した拍子にばらまかれた書類を拾いながら、先程のヴィットーリオと同じようにその内容に目を通していく。これまでならば、別段変更する必要もなかった事柄だが、しかし。
先程一応自身と同じ立場になったあの少女のことを思い浮かべた。彼女はこれに是を出すであろうか。出したとして、では諸外国の君主達は。
「聖下」
「はい」
「……今すぐに約束の地へ向かう必要は、あるのでしょうか」
「エルフと事を構える必要などない、融和を済ませてから、着実に行えばいい。……そう、言いたいのですね」
「ほんの少し前までは、そんなことは不可能だと思っていました。ですが、今はもう夢物語ではなくなっている」
ヴィットーリオは答えない。机を見詰めながら、ただ静かに彼の言葉を聞くばかり。
「三国同盟と、もう一度話をしてみるべきではないでしょうか。きっと真摯に話し合えば、こちらを理解してくれるはずです」
「……まったく、貴方はいつからそんな真っ直ぐな人になってしまったんでしょうね」
「元々です。……まあ、しいて言うならば」
彼女に会ってから、ですかね。そう言ってジュリオは笑った。しょうがないですね、とヴィットーリオも笑った。お互いに笑い合った二人は、仕方ないとばかりに溜息を吐く。
そうして、集めた書類を纏めてゴミ箱へと投げ入れた。
「計画を見直しますよ」
「はい」
さっきまでとは明らかに違う、力強い返事。それを聞いたヴィットーリオは、そうこなくてはと笑みを強めた。
「小物は小物らしく、狡賢く足掻いていこうではないですか」
期待していますよ、と彼はここにいない猛獣へと言葉を紡いだ。
「へっぷし!」
「風邪ですか?」
さて、その猛獣である。大聖堂を出て、待機していた『地下水』と合流し、帰るのかと思いきや、そのまま酒場へと足を進めていた。別段『地下水』も何か言うことがない以上、それが元々の予定なのだろう。
店の中には、殆ど客がいなかった。昼間から酒を飲むようなものは不信心者とされているこの国で、そんなことをするのは精々旅商人か旅行客。あるいは、本当の不信心者くらいだろうからだ。
その中に当てはまるとしたら、自分は本当の不信心者であろう。そんなことを思いながら、彼女は店にいる数少ない客の座っているテーブルへと歩き出す。男女四人組がカードをしながらちびちびと酒を飲んでいるのを確認し、ジョゼットは待たせたわねと声を掛けた。
「お帰りお嬢さま」
「ええ、ただいま」
最初に彼女に声を掛けたのは四人の中で一番小柄な男性。子供のような見た目に反した老獪な雰囲気を纏いながら、手にしていたカードを二枚交換する。
「おうお嬢、どうだった、首尾は」
「ぼちぼちかしらね。とりあえずジュリオに近付いたわ」
カラカラと笑いながら、大柄な男はカードを一枚変える。ふむ、と頷き、隣の青年に目を向けた。
「ということは、一応仕事は成功というわけだ」
「まあ、ね。あくまで一応だけれど」
優男に見える青年は、よかったよかったとカードを三枚交換した。げ、とその表情が一瞬にして曇る。
「それで、どうするのお嬢さま。それで終わり、なわけないでしょう?」
「勿論。こんなの序の口よ」
鼻歌を歌いながら、フリルの付いた服を着た少女はカードを伏せる。まあこれでもドゥドゥー兄さんには勝てるでしょう、と隣の青年を見た。
勝負、とそれぞれの役を出す。下りるのは許可されていない、ということだったらしく、一人ボロ負けしたドゥドゥーがちくしょうと恨みがましく残り三人を睨んでいた。追加で増えた二人が座るのは手狭なので、もう少し広いテーブルへと一行は移動する。そしてそれまでの注文はドゥドゥーの支払いとなった。
気を取り直して、と残りの三人、元素の兄妹のダミアン、ジャック、ジャネットがもう一度酒とツマミを注文する。それに合わせて、ジョゼットと『地下水』も少々の注文を行った。
「それで、どこまで話せるのかな?」
そうして口火を切ったのはダミアン。笑みを消さずに、ジョゼットの次の言葉を待つ。
対する彼女は、まあ別に隠すこともないとばかりに肩を竦めた。ジュリオに近付いた、という先程の一言をよりはっきりと正確に彼等へと伝えたのだ。ヴィットーリオの直属となった、と。
「おいおいお嬢様。いいのかい、それで」
「ジュリオと一緒に仕事をしてくれって言ったのよあの人は。断れるわけないじゃない」
ジロリとドゥドゥーを睨む。はいはい、と諸手を上げて降参した彼は、自身の酒に口をつけながらちらりと視線を妹に向けた。そんなもんかね、と視線でジャネットに問い掛けたが、そんなものよと返され成程と頷く。
「相変わらず恋が第一なのね、お嬢さまは」
「当然よ。わたしはジュリオのために生きてるの。ジュリオと一緒にいることが全てなのよ」
「そのためには他の全てを犠牲にしても、かい?」
「当然。……ま、そうするとジュリオが悲しむし、程々にするけれど」
怖い怖い、とジャックが肩を竦める。言外に自分達は切り捨てられる側だと言われたも同然にも拘らずその態度。それは信頼か、あるいは自身も同じように思っているのか。今回のことを踏まえると、どちらかと言えば前者なのかもしれない。
ふう、とジョゼットは息を吐く。ヴィットーリオの直属になったことなどは彼女の野望にはまるで関係がない。ジュリオと共にいられる時間が増えたちょっとしたご褒美程度だ。
元々彼女はそんな着実に進むのではなく、一足飛びで教皇になろうとしていたのだ。『虚無』のメイジであること、奇跡の御業を扱える者であることをロマリアへと知らしめ、自身の正当性を認めさせ教皇を追い落とす。本来ならば今回の到達点はその予定であった。
想像していた以上にヴィットーリオの人望があったことと、本人も案外したたかであったこと。この二つが、彼女の展望の邪魔をした。
「ジュリオから聞く限り、そんなでもないと思ったのに」
「まあ、人は誰しも二面性を持っているものさ。今回のことを糧に、次に向かえばいい」
「そうね」
ぐい、と酒を飲み干す。現在聖女として有名になったジョゼットがそんなことをしている、という肝心な部分で何も考えていない時点で既にその展望は無理があったのだろうと『地下水』は思ったが、敢えて口には出さなかった。以前までと違い、自分もずぼらになったものだ、と彼女は一人小さく笑った。
「何よ『地下水』。言いたいことがあるならはっきり言いなさい」
「いえ、何も」
「むぅ。そんな心配しなくても、アンリエッタ王妃と仲良くするのは変わらないわよ。またトリステインに行く用事だって、ちゃんと用意してあげ――」
「違います。お嬢様の肝心なところで抜けているのが間抜けで微笑ましかっただけです」
しれっと表情を変えることなく言い放ったその一言で、ジョゼットの笑顔がピシリと固まった。持っていた杯をコトンと置くと、ゆっくりと『地下水』へと顔を向ける。どういう意味だ、と眉尻を上げながら問い掛けた彼女に、『地下水』は言ってもいいのですかとその目を見詰めた。
「……随分と反抗的になったじゃない。やっぱりあの人の影響?」
「全く全然これっぽっちもあいつは関係ありません。お嬢様が最近ポンコツになったのが理由であると思われます」
「まあ、確かに何だか最近変わったわよね。丸くなったというか」
「ジャネット、女性に丸くなったは厳禁だぜ」
ジロリ、とジャネットとドゥドゥーを睨み付けたジョゼットは、再度『地下水』に目を向ける。知ったことかと食事を続けようとしていたのが目に入り、ふざけんなとその肩を掴んだ。
「痛いですお嬢様」
「そりゃあ思い切り掴んでいるもの。というか『地下水』、貴女わたしが掘り返してやった恩をもう忘れたの!?」
「いいえ、お嬢様に助けていただいたことは片時も忘れておりません」
「じゃあ何で」
「犬は恩を忘れぬと言いますが、人は案外恩に報いることを忘れてしまうものなのですよ」
「貴女ナイフでしょうが!」
ギャーギャーと騒ぐジョゼットをのらりくらりと躱しながら、『地下水』はテーブルの上の料理をつまんで口に入れる。そして、やっぱり向こうの料理の方が美味かったな、と至極どうでもいいことを考えた。
「まあまあ二人共。遊ぶのはその辺にして」
ダミアンの言葉にジョゼットは我に返る。失態だ、と顔を顰めながら席に座り直したのを見て、彼はクスクスと笑った。そういう部分があるから、こちらも多少の損があっても付き合っているのだけれど。口には出さずに彼女の評価をし、彼は表情を少しだけ真面目なものにする。
「さて、それで。これからの方針を聞かせて欲しい」
「こんな場所で?」
「こんな場所だからさ」
ふうん、とジョゼットは彼に返す。辺りを見渡し、客のいない酒場の様子を確認すると、まあ納得出来なくもないかと頷いた。いつの間にか、ジャックもドゥドゥーもジャネットも、『地下水』も同じように表情をある程度真面目なものに変えている。
流石の切り替えだな、とジョゼットは皆を評価しながら、コホンと咳払いを一つした。
「教皇になる、というところは変わらないわ」
「だろうね。そこがブレるようなら僕らは見限っていた」
「あら怖い」
クツクツとジョゼットとダミアンは笑う。笑いながら、ダミアンは彼女の言葉を待ち、そして彼女はトントンと机を軽く叩いた。
「教皇聖下がこれまでの方針を変えないのならば、トリステインとのパイプがあるわたしがそれを糾弾して万々歳」
「変えるなら?」
「そうね。……もし、こちらの思うように動いてくれるのならば」
つい、と視線を遠くに向ける。今頃向こうで頭を抱えているのか、それとも腹に野望を隠し持ったまま策を練っているのか。
そのどちらだとしても、自分の邪魔にならないのならば。自分に有利になるならば。
「暫くは、お飾りになってもらおうかしら」
期待していますよ。彼女はここにいない路傍の石に、そんな言葉を呟いた。
聖女の皮を被った悪女エンド。