ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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この物語は群像劇なんですと言い張る。


その3

 成程、とジョゼットは一人頷いた。周囲にいる聖騎士の下っ端連中を眺め、そしてお手上げだと言わんばかりのポーズを取っているダミアンを見る。その表情が笑顔なのを確認し、こんにゃろうと悪態をついた。

 

「思ったより早かったわね」

「そのようです」

 

 淡々と『地下水』がジョゼットにそう述べる。ぐぬぬ、と少しだけ悔しそうな顔をした彼女は、しかしすぐに表情を切り替えると周りの下っ端騎士に向かい口を開いた。

 裁判にかけられるのは自分だけなのだから、他の皆に手を出すな、と。

 

「お嬢!?」

「何を驚くのドゥドゥー。わたしはお金を出して貴方達を雇っただけの、いわば使い捨ての駒よ。これからわたしが無罪になった後、余計なしがらみを持たれては困るの」

 

 表情を変えずに、淡々とジョゼットは告げる。その言葉に眉を顰めたドゥドゥーは、更に何かを言おうとしてジャックに肩を掴まれた。憮然とした表情のまま、彼はそこで押し黙る。

 

「しかしお嬢様。そのような発言をする者がこれから無罪になるとは思えませんが」

「いいえ、そんなことはあり得ないわ。だってわたしは」

 

 そこで言葉を止めた。クスリ、と微笑むと、下っ端に案内を要求する。そのあまりにも堂々とした態度に一瞬気圧された聖騎士達は、言われるがままに彼女を聖堂の外へと連行していった。

 そうして残されたのは、ジョゼットに使い捨ての駒呼ばわりされた元素の兄妹と、『地下水』と呼ばれていた灰髪ツーサイドアップのメイド少女。

 

「さて」

 

 ダミアンがコキリと首を鳴らす。じゃあ仕事を再開しようか。そう続けながら、彼は軽い調子でヒラヒラと手を振った。やれやれ、と肩を竦めたジャックがそれに続き、ジャネットは若干首を傾げながらも指示に従う。

 ついていけないドゥドゥーが、ちょっと待ったと声を上げるのがその後である。

 

「何がどうなっているんだ!? そもそもぼく達はさっきお嬢様に」

「嘘に決まってるだろう。あんなのを信じる方がどうかしている」

「え?」

 

 視線を長兄に向ける。こくり、と頷かれたので、妹へと顔を向けた。馬鹿じゃないの、という表情をされたので、彼はゆっくりと崩れ落ちた。

 だからさっき止めたんだよ、と言うジャックの言葉を聞いてああそうかと頷いたドゥドゥーは、立ち上がり体勢を取り繕うと再度皆に問いかけた。どうやら承知の上であった他の面々はやることが分かっている。ならば自分がやることは。

 

「そうだね……やはりドゥドゥーに腹芸は難しそうだ」

「ジャック兄さんの方がよっぽどなのに。見た目が」

「ほっとけ」

 

 兄二人と妹からの散々の評価を受けつつ、いいから、と彼は続きを促す。ダミアンは少しだけ考える仕草を取り、仕方ないかと息を吐いた。

 視線を先程から動かないメイドの少女に向ける。整った顔を見詰め、視線を下へと動かし、そして。

 腰の短剣が一本しかないのを確認し、よしよし、と頷いた。

 

「ドゥドゥー」

「何だいダミアン兄さん」

「お前の仕事は、彼女の運搬だ」

 

 そう言って、ダミアンは『地下水』の抜け殻の肩をポンと叩いた。

 

 

 

 

 

 

「それで、どうする気ですか?」

 

 ジョゼットを連行している聖騎士の下っ端の一人が問い掛ける。主語のないその問いに、彼女はどうしたものかしらね、と呑気に首を傾げた。

 

「このままではまず間違いなく異端審問にかけられます。こちらが広めたように」

「ちょっと突いた程度でここまでの騒ぎになるのだもの、ロマリアの神官共も大概よね」

「お嬢様もロマリア神官なのでは?」

「何言ってるのよ。わたしは特別よ。勇者さまに選ばれたヒロイン、それがわたし」

「……その勇者様は今頃大聖堂で青い顔をして頭を抱えているのでしょうけど」

「あら、それはいけない。早く慰めに行かなきゃ」

 

 うふふふ、と頬に手を当て微笑むジョゼットを見て、聖騎士の下っ端はやれやれと頭を振った。このような体たらくで、本当に奇跡が起こせるのだろうか。そんなことをついでに考えた。

 

「ま、どちらにせよ。……あの事件に関する連中のみを処断するよう誘導しているのに、わたしにことが及んだということは」

「お嬢様の作戦に不備があった、ということですね」

「……『地下水』」

「申し訳ありません、失言でした」

 

 ペコリと聖騎士の下っ端は頭を下げる。ふん、とそれを見て鼻を鳴らしたジョゼットは、じゃあ真面目に答えを出しましょうと視線を前に向けた。

 自分を生け贄に身の保身を図ろうとしている神官の姿が目に映り、ああやっぱりかと吐き捨てるように彼女は述べた。

 

「飼い主なしと勘違いした犬の仕業ではないのですね」

「どうかしら。これを機に便乗している可能性はあるけれど」

 

 だとしても、決して表には出てこないだろう。失敗する可能性の高いこの状況を使って餌をくれた者の手を噛む必要はない。

 とりあえず奴は置いておこうと結論付けたジョゼットは、姿勢を正すと神官の前へと歩みを進めた。来たな、とその口元を歪めた神官は、彼女がここで裁かれる理由を広場に響き渡るように語り出す。ここ数日の裁判の連発により騒ぎになっていたこともあり、多くの者がその様子を見ようとその広場に押し掛けていた。無論、裁く側もそれを見越しわざわざ人が多数集まれる広場を異端審問の場として選んでいた。

 

「それで、わたしをどうするおつもりですか?」

 

 ジョゼットは神官に問い掛ける。知れたこと、と返した神官は、背後に用意してあった高台に視線を向けた。大釜の真上に続く階段付きの台、そこへ彼女を連れてこさせると、もう一度ニヤリと笑みを浮かべる。これ以上言葉は要らないだろう。その目がそう物語っていた。

 大釜に入っている液体は煮えたぎる湯。それをどうするのか、などと疑問に思う者はおらず。神官も、観衆も、ジョゼットを拘束している聖騎士も、これから起こり得る光景を想像し各々の表情を浮かべていた。

 ジョゼットはそんな周囲の状況を気にすることなく、さてどうするかと目を細める。本来ならば色々と準備を済ませてからやる予定であったこれが、もう既に目の前にやってきているのだ。もう少し待って、などと呑気なことを言えるわけもなく、さりとて助命を請うのは不可能。というより、したくない。

 となればやることは一つ。はぁ、と溜息を一つ吐くと、横にいる聖騎士に目配せをした。

 

「では」

 

 聖騎士は神官へと声を掛ける。うむと頷くのを確認すると、そのままジョゼットを台の端へと誘導させた。後は一歩踏み出すだけで、彼女は熱湯の中に落ちる。

 そうして見目麗しき少女は、茹で上げられるのだ。

 ジョゼットは自身にはめられている指輪に視線を落とした。一つは元素の兄妹に取ってこさせた『火のルビー』、そしてもう一つは。

 

「はぁ……仕方ないか。ぶっつけ本番でいくわよ」

「御意」

 

 ジョゼットの呟きに、聖騎士は小声でそう返す。周りがそんなやり取りを不審に思う前に、彼女は勢い良く台から飛び降りた。

 台の高さはそこそこあるとはいえ、落ちるまでに時間が掛かることもない。精々出来るのは、一言二言何かを口にする程度だろう。

 そう。

 

「ウリュ・ハガラース」

 

 言葉に出来るのは、一言、二言だ。

 

 

 

 

 

 

 ドボン、と大釜に何かが落ちるのを見て、ジュリオはその動きを止めた。彼の愛しいあの少女が、あの中に飛び込み、そして水飛沫を立てるほど勢い良く落ちた。それが、彼の目にした光景であった。

 すぐに引き上げなくては、間違いなく死ぬ。そう判断し体に再起動を掛けた頃には、既に手遅れであった。少女は煮立った釜の中で茹で上げられており、悲鳴すら聞こえてこない。彼にとってそれは、どうしようもない絶望を突き付けられた気分であった。

 

「何故……何で、彼女が、ジョゼットがこんな目に」

 

 ヨロヨロと後ずさり、力無く呟く。誰に聞かせるでもなく、自分に向けているわけでもない。それはただの慟哭。認められない堅実を、否定したくとも出来ない目の前の光景を、ただ口にしただけ。

 

「何故? それを貴方が言うのですか?」

 

 は、と後ろを振り返った。一見すると少年に見えるその人物は、笑みを浮かべたまま、ジュリオを見つめ続けていた。

 

「貴方は既に知っているはずだ。彼女を選んでいれば、こんな悲劇は起きなかったことを」

「……何を……?」

 

 理解出来ない。この少年が何を言っているのか、自分が彼女を選んでいないと断言されたことが。彼には、理解出来ない。

 そんなジュリオの心情など知らぬとばかりに、少年はそこで言葉を止めると踵を返した。では僕はこれで。そう言いながら、少年は雑踏に消えていく。

 

「待――」

「僕よりも、彼女を見てやった方がいいのでは?」

 

 わぁ、と歓声が上がった。思わず振り返ると、周囲の観衆が物凄い勢いで騒ぎ立てている。一体何が、と視線を彷徨わせたが、見えるのは立ち上がり祈りを捧げるような仕草を取っているロマリアの貧民達と、台の上の聖騎士達くらい。

 後は青褪める異端審問官役の神官と、大釜の中からゆっくりと出てくる少女の姿。

 

「ジョゼット!?」

 

 目を見開く。どういうことだ、とかすれたような呟きが口から漏れた。彼女は確かに大釜の中へと飛び込み、釜ゆでにされ死んだはずだ。なのに、どうして。そんなことが次々に浮かんでは消え、しかしありえないと頭を振る。

 異端審問官を受けて無事であるということは、それこそまさに奇跡。ブリミルの信徒としてこれ以上ない確固たる証拠となり得るのだ。それこそ、『新教徒教皇』などと揶揄されるものよりも。

 出鱈目だ、と誰かが叫んだ。あの大釜の中身は煮えたぎったお湯ではなく、異端審問をくぐり抜けるトリックだ、と幾人かの神官が騒ぎ立てた。

 ジュリオはその顔に見覚えがある。ヴィットーリオが書状を出した者の中で、それもこの騒ぎで処刑されていない連中だ。これは処刑でなければならない、異端審問を受けた者は例外なく死ななければならない。そうでなければ、自分達は。

 

「お任せあれ」

 

 神官の傍らにいた聖騎士らしき服装の大柄な男が杖を振るった。数体のゴーレムが現れ、ジョゼットの入っていた大釜を殴り飛ばしひっくり返す。釜を熱していた火はその中身で消えたが、周囲に撒き散らされた熱湯は容赦なく観衆に襲いかかる。歓声が一瞬にして悲鳴に変わり、熱湯を被ったロマリアの民は熱さと痛みでのたうち回った。

 

「いけない!」

 

 釜の中身とともに外に放り出されたジョゼットは、そんな民衆を見て声を張り上げた。誰か治療を。そう叫び、それを聞いた彼女の部下らしき修道女が素早く火傷の治療を行っていく。その修道女を民衆が目で追っている中、ずぶ濡れの体も服装の汚れも気にすることなく、彼女自身もその治療に加わった。

 その姿は周りの民衆にはどう映ったであろうか。異端審問にかけられ、周りの見世物になっていたにも拘らず。自身を見世物にしていた者達を助けるために自身の姿を気にすることなく。

 そして、あの煮えたぎる湯の中でも無事であるという奇跡を目の前にして。

 

「聖女様!」

 

 聖騎士の一人がそう叫んだ。そうだ、その通りだ。間違いない、あの方は本物の聖女だ。段々と広がっている彼女を称える歓声は、やがて広場全体を包み込んだ。

 そうして民衆の大半がジョゼットの味方になってしまえば、後に残された者は絶望を味わうこととなる。はじめは彼女を異端審問にかけた神官。ついで、彼女の奇跡を騒ぎたて大釜をひっくり返し民衆に怪我を負わせた神官達だ。観衆に混じっていた聖騎士達は、一体どういうつもりだと彼らを糾弾し始めた。

 異端審問の神官は違う、何かの間違いだと青褪めた顔で言い続けた。奇跡に異議を唱えた連中は、自分達ではないと主張し続けた。あんな聖騎士は自分は知らない、そんな命令も出していないと必死で弁明した。

 

「見苦しい」

 

 ジュリオはそんな彼等にそう吐き捨てた。周囲の聖騎士に命令を出し、あっという間に神官達はひっ捕らえられていく。無罪だ、濡れ衣だ、と叫ぶ連中を民衆は冷ややかに眺め、対照的にジョゼットは尊敬の眼差しを送り続ける。

 そうして騒ぎは一応の終息を見せた。やれやれ、と肩を竦めたジュリオは、そこでようやくジョゼットへと近付いた。濡れネズミになっていた彼女を見て思わず目を逸らすと、自身のマントを羽織らせる。

 

「そんな格好を、他人に見せるものじゃない」

「……ふふっ。ごめんなさい、ジュリオ。でも、しょうがなかったの」

「分かっているさ。君の心の優しさが奇跡を起こしたんだ。だからこそぼくは」

 

 そこまで言うと気恥ずかしくなったのか、ジュリオはガリガリと頭を掻いた。普段ならばもっと気の利いた言葉がいくらでも出てくるのに。そんなことを思いつつ、それでも彼はジョゼットを真っ直ぐに見つめた。

 

「ジュリオ」

「……何だい?」

「愛しているわ」

「……ぼくもさ」

 

 

 

 

 

 

 なんだありゃ、と灰髪メイドを背負ったドゥドゥーは思った。二人を眺めている聖騎士の下っ端へと近付くと、持ってきたよと背中の少女を下ろす。

 もう少し丁寧に扱ってください。そんなことを言いながら、聖騎士は持っていたナイフをメイド少女の手に握らせた。

 

「で、ありゃ何だい?」

「恋人の逢瀬でしょう。お嬢様と彼にとってはいつものことです」

 

 元の体に戻った『地下水』が立ち上がりながらそう返す。もう今はやっぱりこれじゃないと落ち着かない。そんなことをぼやきながら、体の調子を確かめるように軽くジャンプをした。

 どうでもいいが、そこそこの大きさの胸でも跳躍時に案外揺れるのだ。

 

「いつものこと、ねぇ」

「空気に酔うというやつでしょう。今回は特にそれが激しい」

 

 聖女と勇者だ。燃え上がらない方がおかしい。やれやれ、と肩を竦めた『地下水』は、そろそろこちらも撤収しましょうと踵を返した。

 いいのかい、とドゥドゥーは問い掛ける。何が、は口には出さなかった。今この場で、聖女のカラクリを口にするわけにはいかなかった。流石の彼も、それは弁えている。

 

「問題無いでしょう。後は、お嬢様の仕事です」

 

 こちらで手伝えることはない。そう言い切り、『地下水』は広場から立ち去る。はいはい、とそれを追い掛けながら、彼はもう一度ちらりと二人を見た。恋する少女の横顔を眺めた。

 怖いねぇ、と彼は呟く。それが何を意味しているのか、分かっているのは当事者のみ。

 

「少なくともお嬢様の恋は本気ですよ」

「だから怖いのさ。……そこだけならあの魔王とも張り合える気がしてね」

 

 精々敵対しないようにしないと。そうぼやきながら、ドゥドゥーは彼女から視線を外した。

 それから広場を立ち去るまで、彼は一切向こうを見なかった。




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