その1
「と、いうわけで」
お願いしますね。そう言って、シエスタは微笑んだ。
何がだ。そう言って、ルイズはシエスタを睨んだ。
「一から十まで言わないと分からない、と。ルイズ様はいつからそんな物分りの悪いお方になってしまったんですか? あ、元から?」
「だーらっしゃぁ! というか、大体、わたし以外の面々も分かってないでしょうが。悪いのはわたしの物分りじゃなくて――」
「頭か」
「ぶっとばすわよ駄エルフ」
やれるものならやってみろ蛮人。そう言ってルイズを見下したファーティマは、そのまま彼女の拳で床に沈んだ。まあそうなるよな、と彼女の行動を一切止めなかった他の面々は、頭を押さえてプルプル震えるエルフを見ながらうんうんと頷く。
間違ってもファーティマの言葉に同意したわけではない。多分。
「まあそれはそれとして。確かに俺も状況分かんないんで教えてくれないか?」
「ふむ。とは言っても、そこまで説明が必要だとは思えないんですよね」
ここに集められている時点で察せるだろう、とシエスタは他の面々を見渡す。現在の場所は学院の厨房。ここで何をするのかといえば、まあまず間違いなく料理であろう。学院に雇われた料理人が腕を振るい、使用人はその手伝いや配膳をする。そうして今日も生徒達に食事が振る舞われるのだ。ということから考えればそれに関係するであろうことは想像に難くない。予想は出来る、が。
問題は、集められている面々の大半がその学院の生徒で、かつ身分が他の生徒より数段上の連中だということだ。何せ国のトップクラスが二人もいるのだから。
勿論彼女にとってはそれがどうした、である。仕方ないですねとシエスタは溜息を吐き、では最初から説明しましょうと指を一本立てた。
「見ての通り、マルトーさんが現在いません」
「あら、本当ね。何かあったのかしらぁ」
「あれ? ひょっとして知らなかったんですか?」
「知らない」
そういえば昨日まで依頼で学院離れていたんだっけか。そのことを思い出したシエスタは、納得したようにルイズを見た。申し訳ありませんでしたと頭を下げると、では改めてと姿勢を正す。表情は先程よりも少しだけ真面目になった。
「マルトーさんは現在仕入れの遠征中です。三日は帰ってきません」
「何でまた? 今までそんなことなかっただろ?」
「えっと、それは……」
ちらり、と未だにダメージの抜け切っていないファーティマを見る。ふらふらと体を揺らしつつ、しかし視線に気付き何だお前らと立ち上がってメンチを切った。
「そこのミス・ファーティマがマルトーさんの料理にケチを付けたのが始まりでして」
「……私は間違ったことは言っていない。ここの料理は口に合わん」
ふん、とそう言って彼女はそっぽを向く。エルフとこちらの味覚の違いだろうか、とルイズ達は思ったが、しかしそれだとルクシャナやビダーシャルが気にしていなかったのが気にかかる。とりあえず結論を先延ばしにし、シエスタの話の続きを促した。
「それで、最初はエルフの方とは味覚が少し異なるのかと思ったらしいのですが、どうも違ったんです」
「違う?」
そうなんですよ、とシエスタは溜息を吐く。まあ単純に好みの問題だったんですけど。そう続けながら、彼女はやれやれと肩を竦めた。
「……辛いのが、好きらしいんですよ」
「辛いの?」
「はい、それも、特別な香辛料を使ったやつがいいらしくて」
トリステインでは手に入らないスパイスが数種必要で、代用も利かない。その状態で彼女を満足させる料理はとても作れないと判断したマルトーは、ならば自ら手に入れるまでだと腰を上げたらしい。
オスマンに許可を取り、アンリエッタ監修の元、昨日の朝から彼は自由都市へと旅立った。曰く、コルベールの蒸気船試作機の運行テストも兼ねているらしく、護衛としてコルベール、アニエス両名も随伴しているのだとか。
ああだからこないだの姫さまは普段と違うお供を連れていたのか。そんなことを納得しながらうんうんと頷いた才人は、しかしそれがどうしたのというのだと首を傾げた。まさかその間の人手不足を埋めるために呼んだわけじゃあるまい。
「サイトさん」
「……え? マジで?」
「マジです」
「いやいやどう考えても無理だろ? ここの面々が厨房に立つ? ありえねぇよ! その辺の魔獣材料に暗黒ディナーパーティーやるんじゃないだから!」
ポロッと本音が出た。嘘偽りない言葉が口から零れた。言っている本人も、思わず想像した地獄絵図を前にして抑えることが出来なかったのだ。
だから、言い終わった時には既に遅し。皿の上のミルクはこぼれてしまったのだ。取り返しなどつくはずもない。敢えて日本の言葉で言うならば。
「覆水……盆に、返らず……」
ルイズ、キュルケ、タバサ。三名に睨まれた才人は、土下座で許してもらえるだろうかとどこか冷静に自身の末路を頭の中で描き出した。
少し前のファーティマより酷い状況になった才人を尻目に、ルイズはシエスタへと問い掛けた。まあコイツの言うほどではないが、それでも流石に無理がある、と。
対するシエスタ、そんなことは分かっていますと笑みを見せた。喧嘩を売っている、と取られてもしょうがない発言であった。
「いや、馬鹿にするもなにも。一応曲がりなりにも貴族様であるルイズ様達が、マルトーさんと同じくらい料理出来るはずないじゃないですか」
「確かにそうなんだけどもう少し歯に衣着せなさい」
「ですから、皆さんには他の人達の補佐をお願いしたいんです」
当たり前だが、厨房にはマルトー以外のコックがいる。彼がいない間、そのコック達が全力で腕を振るうわけだが、いかんせん厨房最強の男の代わりを務めるというのは並大抵の腕では出来ない。普段の自分達の仕事を放り出して、複数で当たり、それでようやくトントンといったところだろうか。
そうなると困るのはその放り出した調理補佐である。下拵えや鍋の見張り、あるいは材料の運搬。それらが無ければ当たり前だが調理そのものが出来ない。
「というわけで、そういう仕事をやってもらえないかな、と」
「……うん、分かった。シエスタの言いたいことはよく分かったわ」
でもね、とルイズはシエスタの肩を叩く。幾分かげんなりした顔で、彼女を見やる。
「一応、わたしこれでも公爵家の三女なわけ」
「そうですね。わたしも敬愛するルイズ様にそんなことをさせていいのか。そう思い、声を掛けるのを躊躇しました。三秒くらい」
「ほぼ即決じゃないの!?」
「……いやまあ、正確にはこんな時一番頼れるのはルイズ様だったので、つい」
ぐ、とシエスタのその言葉にルイズは唸る。そんなことを言われたら、断れないではないか。アンリエッタとは違いこういう時の彼女は本心から述べているので、余計な裏を勘ぐることもない。本気でそう思っているのだ、いざという時に頼る相手はルイズだ、と。
「はぁ……仕方ないわね。キュルケ、タバサ、アンタ達はどうするの?」
「ま、普段お世話になってるし。ちょっとくらいは、ねぇ」
「雑用程度は別に問題ない」
本人の意志はともかくガリアの姫的には大問題なのだが、ともあれ二人も同意したので、ルイズはそういうわけよとシエスタに笑顔を向けた。ありがとうございます、と彼女はそんなルイズ達に嘘偽りない感謝の言葉を述べ頭を下げる。
「ちょろいなぁ、俺のご主人」
「何か言った?」
「ナンデモナイデス」
ギロリと向けられた視線から目を逸らす。まあとはいえ、困っている人には手を差し伸べる、という彼女の行動は才人にとっても好ましいものであるので、文句などあるはずがない。じゃあ俺も気合入れて手伝いますかと袖まくりをするほどだ。
そんな四人とシエスタに向かい、ちょっと待ったと声が掛かった。ん、とそこに目を向けると、金髪のツインテールが腕組みしながらふんぞり返っているのが見える。
「わたしは嫌よ。というか、最初から頭数に入れていないでしょう?」
「あ、はい。ミス・クルデンホルフはわざわざご足労いただいて申し訳ありませんでした」
「本当よ。まったく、何でわたしが」
「え? ベアトリスやらないの?」
そう言って小首を傾げるティファニア。ベアトリスと対照的にやる気満々な彼女は、こういうの久しぶりだとウキウキしながら準備を始めていた。ほんの少し前まで家事全般を行っていたティファニアにとってはむしろ得意分野なのだ。友達作りの際に選択肢として浮かべる程度には。
「テファ。いつも言っているけれど、わたしは貴族の中でも上の地位なの。そんな使用人の仕事なんかやってられないわ。他にやるべきことがたくさんあるもの」
「あ、うん、そっか……」
「そんな顔されてもやらないわよ。大体わたしは最初から来る気なかったのにあんたが無理矢理引っ張ってきたんでしょうが」
「うぅ……ごめんなさい」
そう思うのなら、もう少し聖女らしくしていろ。そう言うとベアトリスは踵を返した。まあ、止めはしないからやるなら精々頑張ることね。そう続け、ヒラヒラと手をさせながら厨房を出て行く。ありがとー、と手を振るティファニアは、どこか微笑ましかった。
「私も付き合わんぞ。何故蛮人の手伝いなどしなければならん」
「いやお前は手伝えよ。原因じゃねぇか」
「何だと蛮人!?」
ふん、と鼻を鳴らして出ていこうとするファーティマを、才人はそう言って呼び止めた。至極当たり前、と言っていいのか、それにいたく気分を害されたらしい彼女は振り返ると彼に詰め寄る。
エルフはハルケギニアの一般人にとって恐怖の対象である。才人はハルケギニアの人間でもなければ一般人でもないので、当然のごとく睨み返した。そして、そんな二人へティファニアが喧嘩はダメよと間に入る。
当たり前のようにファーティマの矛先はティファニアに向かった。
「黙れティファニア。そもそも貴様がこんな場所にいなければこんなことには」
「こんな場所って……。この学院はとても暖かくていい場所よ? 自由都市で暮らしていたことがあるファーティマさんなら分かるでしょ?」
「エウメネスには悪魔を率いた魔王が統治などしていない」
苦々しい顔を浮かべながら、ファーティマは悪魔を率いているという国の統治者を思い出す。ちなみに件の彼女は現在『英雄を堕落させた始祖の名を辱める宗教国家』という汚名を着せるためにロマリアの悪事を有る事無い事捏造中である。ウキウキしながらガリアの兄王も参加しているともっぱらの噂だ。
さておき、彼女の言葉に反論する者がいない、ということは勿論ない。よしんばトリステインが女王国家であったならば誰もが頷いたかもしれないが、生憎と現在の国の頂点は慣れてきたのか胃薬を常備しなくなったウェールズである。
「あんなお飾りがなんだというのだ」
「いや、あの人いないとこの国マジでヤバいから。姫さま止められる人いなくなるから、下手すりゃ国滅ぶから」
「……今はそんなことはどうでもいい」
鬼気迫る勢いで才人に言われたファーティマは、興味なさげに、だが若干冷や汗をかきつつそう言い放った。そんな下らんことを話していても時間の無駄だと再度踵を返した。今現在重要なのは、彼女は手伝わないという意志を示すことなのだから。
「逃げるの?」
「――何だと?」
そんな彼女の足が、ルイズの一言でピタリと止まった。振り向き、憤怒を露わにして彼女を睨み付けたファーティマは、しかし平然と自身を見るその瞳に若干気圧される。先程殴れらた後頭部がズキリと傷んだ気がした。
「どういう意味だ悪魔」
「どういう意味も何も、そのままよ。ティファニアは出来るけど、アンタは出来ない。にっくきあいつに敵わないから逃げるんでしょ、ってことよ。――後テファ、アンタの連れはわたしを化け物だの悪魔だの言い過ぎ」
あながち間違ってないよな、という才人の呟きは心の奥底に沈められたので覚られなかった。ティファニアはごめんなさいと素直に頭を下げた。
ともあれ、ルイズのその挑発にファーティマは拍子抜けするほどあっさり引っ掛かった。ふざけるな、と激高したファーティマは、いいだろうとルイズに指を突き付けた。
「私がそこのハーフエルフより優れた存在だということを貴様達に分からせてやる!」
「……ちょろ過ぎて泣けてくるな」
エルフの認識を改めた方がいい。気合を入れながらエプロンを装備するファーティマを見ながら、才人はそう思い溜息を吐いた。
では、とシエスタはお手伝いさんを見渡す。元々手伝いを行っていた才人を筆頭に、ルイズ、キュルケ、タバサの三馬鹿。ティファニアと元凶であるファーティマ。
そして、会話に参加出来ないまま手伝いを始めたケティ十号の総勢七名である。
「……いたんだ、十号」
「……いました。皆さんが濃過ぎてついていけなかったのです」
地味ですし、と才人の言葉に若干自虐的に言葉を返す。オリジナルと差別化するために髪型をアップにし、エプロンをしているその姿は可愛らしいが、確かに他の面々と比べれば地味であろう。才人もフォローの言葉が出来ず、あははと乾いた笑いをすることしか出来なかった。
「ま、まあ、あれだ。普通に手伝いが出来れば、それだけで十分だろ」
何せ他の面々が面々だ。戦力として数えられるのはティファニアくらいであろう。そう思っていた才人は何とかそれだけを絞り出し、だから頑張れと拳を握った。
そんな彼に少し癒やされたのか、十号は分かりましたと頷くと、シエスタへ指示を仰ぎに向かった。彼女の背を目で追っていた彼も、うし、と手伝いをするために視線を動かした。差し当たって一番安全そうな場所を選ぼう。そう思い、ティファニアへと彼は近付く。
「何やってんのよサイト。アンタはこっちよ」
「……へーい」
分かってた、と才人は踵を返す。それで何ですかご主人様、とルイズを見ると、芯だけになった林檎が彼女の前には転がっていた。
視線を動かす。皮なのか実なのか分からない物体が散乱していた。
「うおぉい……」
「しょ、しょうがないじゃない! ここの包丁を、つつ、つ使い慣れてないのよ!」
「使い慣れてないってレベルじゃねぇだろ……」
全くだ、とルイズの背中でデルフリンガーがケタケタ笑う。うっさい、と背中から取り外し厨房の端へと投げ捨てたルイズは、ジロリと才人を睨みだったらお前がやれと林檎を突き出した。
そう言われてもな、と包丁を受け取った才人は、溜息を吐きながら林檎の皮を剥く。普段彼女が授業に行っている間はシエスタの適当な雑用を彼は手伝っている。つまり、これくらいはお茶の子さいさいだ。
「んなぁ!?」
「普段野宿する時とかは適当に乱切りだけど、やろうと思えばこんなもんだ、っと」
「ぐ、ぐぎぎぎぎ……」
今更であるが、ルイズは不器用である。剣の腕は立つし、身体能力も高い、頭脳だって悪くなくむしろ高い方だ。それらを駆使してこと戦闘では精密な動きや攻撃が出来るが、そうでない場合の精密さは割とポンコツである。スカロンとジェシカも、以前彼女が働いている時にそういうことを教えるのは三日で諦めた。
「……なあルイズ」
「あによ」
「お前にはお前にしか出来ないことがあるんだから、無理すんなって」
「わたしにしか、出来ないこと?」
「ああ」
そんな彼女を見て、才人はどこか困ったようにそう述べた。ご主人が弱々しいのは似合わない。そんなことを言いながら、笑顔でサムズアップをした。
何だこいつ、一丁前にカッコつけやがって。そんなことを思いながらルイズは口角を上げた。少しだけ胸が暖かくなりながら、じゃあわたしの出来ることを教えてちょうだい、と彼に尋ねた。
「とりあえず力仕事だろ。ほら、今男連中みんな調理に掛かりっきりだから、重い肉の塊とか大量の野菜とか運ぶのはやっぱりルイズみたいなのがいないと――」
「ざっけんなバカ犬!」
「おぶぅ!」
見目麗しく華奢な淑女に対して力仕事をしろとは何たる言い草だ。失礼な使い魔にボディーブローを一撃お見舞いしたルイズは、ふんと鼻を鳴らすと踵を返した。ふざけやがって、と言いながら、それでもまあその方が分かりやすいと重い荷物を運びに向かった。
「思い切り体現してますよね」
「……なのです」
バトルは少なめ、のはず。