ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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とある部分を書いていたら、何がこのエピソードの主題だったのか忘れかけた。


その3

「別にさ、憎くて堪らない、ってわけじゃないの」

 

 エルザはそう言って才人の顔を見た。なら、どうして。そんな言葉を言ってくるだろうと待ち構えていた彼女は、しかし彼が黙って話の続きを促してきたことに少しだけ驚いた。

 さっきまではもっと慌ててたのに。肩透かしを食ったことで不満そうに頬を膨らませながら、まあいいやと彼女は口を開く。

 

「あの時の光景が、ずっと頭に残ってるんだ。あいつにバラバラにされたわたしの両親の姿が、消えないの。仇を取らないのか、って騒ぐの」

 

 元々、そんなことは考えもしなかった。自分一人で生きていくことになって、そんな余裕は消え去っていた。だから、そうなった理由は一つしかない。

 幸せになったからだ。余裕が出来て、生きるのが楽しくなって。だから、余計なしがらみが掘り出された。

 

「そうなっちゃったらさ。もう、やることは一つじゃない」

「エルザ、それは――」

「聞いて。わたしは、わたしのためにあいつを殺すの。親の仇だとか、吸血鬼の同胞を殺して回っていたメイジに報いを、とか。そういう気取った答えなんかじゃない」

 

 ふるふると頭を振り、そして微笑んだ。真っ直ぐに目を見て、言葉を紡いだ。

 

「これまでの自分を、捨てるために。けじめをつけるために、あいつを殺す」

「……それも十分気取ってるっての」

「そうかな?」

「そうだよ」

 

 はぁ、と才人は溜息を吐いた。言い方はあれだが、結局は復讐だ。自分の中で折り合いを付けるために、親の仇を取る。説得の聞かないタイプの、一番厄介な復讐だ。

 こういうタイプはきっと止まらない。アニエスのようなタイプより一層始末が悪いやつだ。そんなことを思いながら、さてどうするかと首を捻る。これならまだファーティマを説き伏せた時の方が楽だった。そんなどうでもいいことまで考えた。

 

「……あー……やっべ、俺最悪だ」

 

 悩んで出した結論は、冷静に考えれば人としてどうなのかというものだ。日本人である彼からすればその呟きも仕方ないといえるもの。だが、それでも。もう一つの選択肢は、絶対に選びたくない。

 そんな葛藤の最中、ふと、自身の主人が言っていた言葉が頭に浮かんだ。ああそうか、こういう時のことなのか。納得したように二・三度頷いた才人は、よし決めたと彼女に向き直った。

 

「エルザ」

「何? 止めるなら殺す気で来ないと――」

「手伝うぞ、復讐」

「え?」

 

 目の前のこいつは何を言っているのか。そんな表情で目をパチクリとさせたエルザは、正気かと才人に詰め寄った。ははは、と苦笑した才人は、勿論だと力強く頷く。

 その言葉が嘘でないということを理解したエルザは深く溜息を吐いた。確かにこちら側に付いてくれるのは望むところなのだけれど。そんなことを言いながら、ちらりと彼を見てもう一度溜息を吐いた。

 

「一応聞くけど、手伝うっていうのは、この場を見逃すこと――」

「全部だよ全部。場合によっては子爵を捕まえてエルザの前に突き出すぜ」

「じゃ、ないんだね。本当にいいの? お尋ね者になるかもしれないよ?」

「ま、そん時はそん時だろ」

 

 三度目の溜息を吐いた。相変わらず自分の気持ちも知らずに好き勝手言う人だ。そんなことを思いながら、じゃあせめて偽装工作くらいはしておこうと彼に告げる。一時的に屍人鬼にしておいて操った。そういう体で動いてもらおうと考えたのだ。

 

「あいよ。……で、どうすんの?」

「んっと……ちょっと座って」

 

 幼い少女の姿をしているエルザでは身長が足りないらしい。彼女の言う通りに腰を下ろした才人は、それで何をするのかと再度問い掛けた。

 その問いに、彼女は少しだけ赤い顔で、じっとしていて、とだけ返した。そっと彼に抱きつき、衣服を捲ってその部分を露わにする。

 

「……お兄ちゃんのここ、案外、太くて、大きいんだ……」

「何か物凄い誤解招く物言い!?」

「あ、固い……」

「首だよ! 首だよ!? 鍛えてるからね! 筋肉でね!」

「ん……咥えられないよぉ……」

「当たり前ですヨ!」

 

 才人のツッコミを余所に、エルザはそっと彼の首筋に舌を這わす。最初はゆっくりと、小さく。徐々に範囲を広げていく。ぺちゃぺちゃと、夜の森に彼女の舌使いの音だけが暫く響いた。

 目の前で幼い美少女が自分の首筋を舐めている。ファンタジーとは別の意味でどこか現実離れしたその光景に、才人は全身に血が上るのを感じ取った。心臓がバクバクと鳴っているような気までする。抱きついているエルザに、それが聞こえないだろうかと余計な心配までしてしまった。

 

「え、エルザ……? それは、一体なにを?」

「うん……唾液で、牙を突き立てやすくするの。あまり痛くないように」

「あ、そ、そうか……」

「くすぐったいかもしれないけど、我慢してね」

「い、いや、むしろ気持ちいいっていうか」

「え?」

「何でもないデス!」

 

 チロリ、と可愛らしい舌を出したまま小首を傾げるエルザから視線を逸らした才人は、時間ないだろうと彼女を急かした。うん、そうだね、と返事をしたエルザは、じゃあ、と唾液が月明かりに反射しているその首筋にそっと噛み付く。つぷ、と小さな音が耳に届き、才人の首筋に少しだけ痛みが走った。

 

「あ……ん……んっ……」

 

 エルザの小さな吐息混じりの声と、こくりと鳴る喉元。当然ながら彼女の口内で舌は動き、彼の首筋を攻め立てる。無意識なのか、更に強くしがみついたことで彼女の未成熟な体は才人の胸元に押し付けられた。

 本気で屍人鬼にしてはいけない。それを分かっているからこそ、彼女はその吸血に力を込めない。食事の時のように、あるいは、別の意味を込めるように。エルザはそっと、それでいてじっくりと、才人の首筋に、自身の噛み跡を刻み込む。

 ゆっくりと顔を離した。彼の首から彼女の口に、ツツッっと糸のような筋が伸びる。赤色混じりのそれを、エルザは指で軽く拭い取った。指についた赤い唾液を、才人の血を無駄にしないように、ペロリと舐める。

 

「えへ。お兄ちゃんのそれ、凄く濃かった。飲み込むのに苦労しちゃったな」

「だーかーら! 誤解を招く言い方止めて!」

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで二人は屋敷の入口へと向かい、今に至る。エルザは出来るだけ早く屋敷へと侵入しなければならないし、才人はそれを援護するため目の前の二人を押し止めなければならない。

 とはいえ、そう簡単にいかない相手なのは重々承知。啖呵を切ったものの、場合によってはすぐさまノックアウトされる可能性だってなきにしもあらずだ。

 

「っと、んな弱気でどうすんだよ」

 

 再度気合を入れる。苦虫を噛み潰しているような顔をしているルイズとキュルケを睨みながら、とりあえずどちらかに攻撃を集中しようと刀を構えた。キュルケならばクロスレンジに持ち込めばほぼ確実に時間稼ぎが出来る。判断から行動に移るのは一瞬だ。

 

「流石に、分かってるわよぉ!」

 

 近付けさせるか、とキュルケは火柱を三本才人へと撃ち込んだ。当たれば戦闘不能、避ければ隙が出来る。普段の彼ならばそうなるはずが、ルイズのように速度を落とさず火柱の間を縫って接近してきたことで思わず声を上げた。ブレイドを唱え斬撃を防ごうとしても、動作が一瞬遅れたせいで間に合わない。

 杖ごと吹き飛ばされたキュルケは、思い切り悔しそうな表情を浮かべながら隣の悪友に向かって叫んだ。

 

「サイトが何か無駄に強いわ!」

「見りゃ分かるわよ」

 

 いったぁい、と戦闘領域から外されたキュルケが尻餅をつくのを横目で見つつ、ルイズは才人に横薙ぎの一撃をお見舞いする。まあ当たるとは思っていないけど。そんな彼女の予想通り、剣はあっさり空を切った。

 急停止、そして後退、という動きでそれを躱した才人は、入り口を背にする形に位置取りを変えていた。ふう、と息を吐くと、足を肩幅程度に開き大地を踏みしめる。攻める姿勢から、守る姿勢に。

 

「行け!」

「うん。……お兄ちゃん、無理しちゃ駄目だよ」

「心配すんなって」

 

 才人によって道筋を作られたエルザは、そのまま一気に屋敷へと飛び込む。隠密など全く考えていないその動きは、扉が壊れてしまわないか心配になるほど轟音で開けられたことからも伺えた。

 成程、とタバサは本から顔を上げた。ルイズ達を倒して先に進むのは現状の彼では無理。ならばその逆の形にすれば、少なくとも吸血鬼の目的は達成に近付く。どちらが考えたか知らないが、まあ脳筋には有効であろう。そんなことを思いながら、ちらりと脳筋筆頭に顔を向けた。

 

「ねえタバサ。アンタひょっとしてわたしのことバカにしてない?」

「してない」

「本当に?」

「本当。そんなことを話しているより、今はサイトをどうにかするほうが先決」

「誤魔化されないわよ」

「聡明な者なら、そう判断する」

「うまく躱すわねぇ」

 

 キュルケの言葉を聞き流しながら、タバサはほれ、と才人を指差す。ここは通さんと仁王立ちしている彼の表情は真剣そのもので、ふざけている様子は見受けられない。そこまでの覚悟がある相手を前にしているのならば、成程確かにそんなことを話している場合ではないなとルイズも思い直した。

 ちなみに、タバサ自身は割とそんな場合だと思っている。

 

「ねえタバサ。あなた事情を察しているんでしょう? 教えて頂戴」

「めんどい」

「そういう問題なのぉ!?」

「そういう問題。……あ、でも」

 

 少しだけ考える仕草を取った。出来ることならば『彼女』を犠牲にしたくない。となれば万全を期したい。そこまでを考えたタバサは、よし、と立ち上がり歩みを進めた。

 才人の隣に、である。

 

「タバサ!?」

「実はわたしも吸血鬼に操られていたのだ」

「無理があるわよぉ……」

「駄目?」

「ダメに決まってんでしょうが!」

 

 呆れるキュルケとは逆に、ルイズは思い切り叫んだ。ざっけんな、と剣を振り上げ、そして大地に叩き付ける。石畳は割れて吹き飛び、地面に亀裂が出来た。割と本気でイライラしているらしい。

 これはそろそろぶっちゃけた方がいいな。そう結論付けたタバサは才人を見やる。が、彼は彼で左手のルーンの効果なのか何故かやる気満々であった。絶対に通さん、という鋼の意志が隣に立っているだけでもひしひしと伝わってくる。彼女にとってはウザいだけであった。

 

「サイト」

「何だよタバサ」

「『エルザ』は、子爵に勝てるとは限らない」

「……大丈夫だよ、俺は信じて――」

「エルザぁ!?」

 

 は、と才人は視線をタバサからルイズに向けた。まあ確かに何か事情があるのは分かっていたけど、と肩を竦めるキュルケの横で、マジかよ、と絶句している少女へと顔を向けた。

 しかしすぐに表情を戻したルイズは、まあつまりそういうことなのかと納得したように頷いた。脳筋と揶揄される彼女ではあるが、別段頭の回転が鈍いわけではないのだ。これでも学院の座学はトップクラスなのだから。

 

「だからそこまで全力だったのね。まったく、そういうことは早く言いなさいよ」

「いや、でもエルザに協力するってことは、子爵を見殺しにするってことだし」

「わざわざ姫さまがわたし達を指定してこの展開ってことは、あの子爵きっと何かしら脛に傷持ってるわよ、どうせ。エルザが討伐対象になる可能性なんか限りなく低いわ。いや、むしろ功績に仕立てあげて吸血鬼とも交流を結ぶきっかけにしようとか企んでるのかも」

「……なんつうか、信頼すげぇな」

「で、タバサがあたし達より早く気付けたのは、大分染まってるからってことかしいったぁ!」

「違う」

「でも、何だか最近タバサその辺隠さなくなってき痛い痛いわぁ!」

 

 容赦のない一撃がキュルケを襲った。

 

 

 

 

 

 

 廊下を歩く。使用人は見当たらない。部屋に戻っているのか、それとも何か別の理由か。どちらにせよ、余計な手間が掛からないのならばそれでよかった。

 自分の狙いはあの男一人だ。無用な殺生はしたくない。元々変わり者ではあったものの、それ以上に彼女達に感化されたらしい吸血鬼らしからぬその思考に、思わずクスリと笑みを浮かべた。

 ぱさり、と外套のフードを外す。素顔を晒したエルザは、集中するように目を閉じた。あの男の痕跡は体に刻み込まれている。傲慢で、歪んだそれを見付けると、彼女はそれを辿って歩みを進めた。

 恐らく屋敷の主の部屋であったのだろうそこ。扉の向こうに、痕跡は続いている。待ち構えているのか、はたまた気付かずに寝こけているか。どちらにせよ、やることは変わらない。

 

「……っ!?」

 

 扉を開けようと手を掛けたエルザは、すぐさま横っ飛びで距離を取った。瞬間、風魔法により扉が吹き飛び木片が舞う。勘のいい奴め、と舌打ちしながら廊下と繋がった部屋の中から男が一人、現れた。

 

「……王妃の用意した騎士達も、存外役に立たんな」

 

 そんなことを言いながら、子爵はエルザに杖を向ける。そうしながら、まあ元より信頼などしていなかったがなと口元を歪めた。

 呪文を放つ。エルザの四肢を切り裂かんと撃ち出されたそれを、彼女は真上に飛んで躱した。ふん、と子爵はそれを見て鼻で笑う。所詮は人の姿をしているだけの化け物か。そんなことを思いながら、空中で身動きの取れないであろうエルザに向かって風の刃を放った。

 彼女の袖口からツタが伸びる。壁に張り付いたそれはエルザを引っ張るように移動させ、そのまま彼女を壁に着地させた。垂直のそこで静止しているエルザは、お生憎様と口角を上げる。

 

「袖口には、精霊と契約を済ませた花が仕込んであるわ。これで自由に移動出来る」

 

 こんな風に、ともう片方の袖口からツタを伸ばした。天井に張り付くと、そのまま彼女を引っ張り上げる。振り子のように遠心力を込め、エルザは目の前のいけ好かない男に向かって勢いのまま蹴りを放った。

 

「ちっ……先住魔法か」

 

 子爵はそれを横に飛んで躱すと吐き捨てるようにそう言った。人の姿を真似た怪物が自慢気に喋るのを、心底不快だと顔を歪めた。

 が、すぐにその表情を元に戻す。まあいい、と自身の杖を構え直し、楽しそうに口角を上げた。どうせ勝つのは自分だ。そして、いたぶって殺されるのは目の前の少女の姿をした怪物だ。

 

「感謝するぞ、吸血鬼」

「……何を、いきなり」

「貴様ら化け物が人の姿をしているおかげで、私は存分に欲望を満たすことが出来る!」

 

 吸血鬼ならば、どれだけ拷問しても、どれだけ虫けらのように殺しても何の問題もない。むしろ賞賛される。それが彼にとっては堪らない幸福であった。

 目の前の幼い少女も吸血鬼。ならば、じっくりと泣き叫ぶまで傷付けても構わない。

 

「さて、どうするか……。まずは風の刃でめった刺しにしよう。吸血鬼は頑丈だから、それでもまだ死なんだろう? その後は……土を錬金で油に変え、ゆっくりと燃やす。これだ」

「……趣味、悪いわね」

「はははははっ! 囀るだけ囀っておけ! 命乞いをしながら燃えていく様が映えるようにな!」

 

 どれだけ罵られようが、相手は吸血鬼。理はこちら側なのだ。そう信じてやまない子爵は、舌舐めずりをすると再度杖をエルザに向けた。

 彼の呪文が放たれるのと同時、エルザも屋敷の石床に手をかざすとそれを撫でる。

 風の刃と、生み出された石柱が、屋敷の廊下でぶつかり合った。




傍から見ると幼女を攻撃するおっさんというどうしようもない絵面。

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