「んぁ?」
意識を取り戻した才人はゆっくりと体を起こした。どうしてこんなことになっていたのか、それを記憶から辿り、ああそうだったと横を見る。あ、起きた、と呑気にのたまう主を見る。
「随分とお寝坊ね」
「ご主人様の子守唄のおかげだよ」
物理のな、と心の中で付け足しつつ、それでと才人はルイズに問う。今の状況は? そう言いながら、中央へと目を向けた。
灰髪ツーサイドアップのメイドが、スカートを翻しながら小剣を振るっていた。聖騎士の一撃を明らかに長さが不利の得物でいなし、ダメージを受け付けない。ち、と舌打ちした聖騎士を一瞥し、メイドの少女はクスリと笑った。
「……防御だけは一流のようだな、ミス――」
聖騎士の述べた名前を聞いて、才人は訝しげな顔をする。どういうことだ、とルイズを見ると、まあそういうことよと答えにならない答えが返ってきた。それじゃあ分からん、そう言おうとしたが、本当に分からないのかと聞き返されると言葉に詰まるのでやめておいた。まあつまりそういうことなのだ。
「大丈夫なのかよ」
「……あの娘がそうそう名乗りを上げて戦う場面なんかないでしょうから、大丈夫じゃないかしら」
「だといいけどな」
とはいえ、それはどちらかといえば事後処理の話。今現在重要なのはこの腕試しに勝つことであり、そして戦っている『地下水』の勝利を願うことだ。どうやら相手はこれまでの騎士達とは一味違うようで、始める際に彼女が言っていた一人か二人の苦戦しそうな輩らしい。それに勘付いた才人は何か出来ることは、と立ち上がりかけ。
「……いや、何でだよ」
ガリガリと頭を掻いて再度腰を下ろした。『地下水』が彼女の名前を名乗っていることで、思わず彼は彼女と同一視してしまった。あいつはナイフあいつはナイフ、と短く繰り返し、ふう、と大きく息を吸う。
「何? 心配なの?」
「そういうわけじゃねぇって。てか、何であんな駄ナイフの心配しなきゃいけねぇんだよ」
「はいはい」
まあ確かに心配することはないでしょうけど。そう続け、ルイズも中央に視線を向けた。
聖騎士のブレイドが掛けられた杖の斬撃を、『地下水』は避け、弾く。先程から続いているそれを、当事者であるカルロは焦りと苛つきを募らせながら続けていた。少し魔法が使える程度の貴族崩れが、始祖のしもべたるこの自分を上回るなどということはあってはいけない。先程より更に目付きを鋭くさせた彼は、一瞬だけ身を引くとすぐさま杖を突き出した。
鋭いその突きの狙いは、足。成程まずは相手から回避能力を奪おうという腹積もりなのだ。そう判断した『地下水』は体を捻り、その直線上から身を逃がす。
「ふっ」
それを見て、カルロは笑った。確かにこの突きは向こうの考えた通り機動力を奪うためのものだ。が、それそのものは当たれば御の字程度のものでしかない。ブレイドを消し去り、予め唱えておいたルーンを完成させる。剣であったそれが、魔法を放つ杖に戻る。
しまった、と彼女が思った時には、既に呪文は放たれていた。威力の抑えられた風の刃は、しかし鋭く『地下水』の太腿を切り裂いたのだ。衝撃で吹き飛んだ彼女は、ゴロゴロと地面を転がった。
「……意外に、凄腕でしたか」
瞬時に呪文を切り替えられるメイジはそうそういない。そのことから考えても、目の前の男は有象無象とは桁が違うのだろう。そのことを理解、というよりも再認識した『地下水』は、しかし変わらず微笑を浮かべた。まあこの程度でこちらが焦る必要などない。そんなことを思いながらゆっくりと立ち上がった。
「まだやるのかな? 次はそのおみ足が泣き別れるかもしれませんよ」
カルロは勝ち誇ったように笑う。美しい女性をいたぶるのは趣味じゃない。そう続けながら、しかし再度ブレイドを展開させた杖を真っ直ぐに彼女へと突き付けた。
「まあ、確かに主人の見ている前で無様な姿は見せられないというのは分かりますが」
「……は? 主人?」
それはひょっとして後ろで呑気に観戦しているあの脳筋ピンクメイジのことか。それとも、冴えないくせにお人好しでスケベで馬鹿なあの男のことか。どちらにせよ、『地下水』にとってそれは心外でしかない。本気でぶちのめそうと思ってしまう程度の侮辱だ。
「よく聞きなさい生臭坊主。私の主はあんな頭空っぽの連中なんかではなく、もっと聡明で立派な方だ。……お前達のお山の大将より、余程」
「始祖を、侮辱するのか?」
「そっちじゃありませんよ唐変木。……まあ、ひょっとしたらもうすぐ貴方もお嬢様の下につくことになるのかもしれませんけど」
「ふざけるな!」
「先に言い出したのはそっちでしょう」
やれやれ、と肩を竦めた『地下水』は、足の傷など無かったかのように一気にカルロの懐へと飛び込んだ。否、無かったかのように、ではない。
彼女の足の傷は、既に無かった。
「いつの間に治療を……!?」
「話しながらですよ。本当に、唐変木ですね」
怒りと驚愕の表情を隠すこともせず、彼は素早く突きを繰り出した。普通の人間相手ならばそれで勝負が決まってしまうような、それほどの攻撃を、連続で。おそらく、このような場所で被害を抑えるための技術を色々と学んでいるのだろう。白兵戦の強化もその一端。それを理解し、『地下水』は再度微笑んだ。
こちらは元傭兵だ。汚い手段や、様々な状況。それらを学ぶのではなく実践してきたのだ。加えるならば、今この姿になってからは柄にもなく修業と呼べるものも行った。
権威と栄光に塗れたそんな腕では、こんな自分程度も倒せない。
「まあ」
少しだけ、感謝をしておこう。そんなことを思いながら、彼女は小剣を振るう。同じ体を使い続け、己を鍛えた結果がきちんと反映される。その確認のちょうどいい的になってくれたのだ。侮辱されたことを差し引いても、プラスだ。
「……なん、だと……」
持っていた杖を縦に切り裂かれたカルロは、残っている残骸を見て目を見開いた。信じられない、という表情でそれを見やり、そして視線を己の腕から下手人に向ける。
クスリ、と笑った彼女は、しかし次の瞬間表情を鋭くさせると右足を振り上げた。綺麗に弧を描いて繰り出された回し蹴りは、驚愕の表情を浮かべたままのカルロの顔面に突き刺さる。彼の顔がグルリと回り、そしてその衝撃は体全体へと伝わっていき。
錐揉みしながら、戦う前に散々もったいぶった向上を並べていた聖騎士は吹き飛んだ。
「そんなわけないじゃないですか。お嬢様をコケにするような馬鹿に、手心なぞ加えるか」
ふん、と鼻を鳴らし、『地下水』は動かなくなったカルロを尻目に踵を返した。
「サイト」
「ん?」
「ちょっと殴らせなさい」
「ざっけんな! ルイズならともかく、何でお前に殴られにゃいかんのだ!」
「……その発言は、そのままの意味で取っていいのかしら」
「ミス・フランソワーズ、貴女の使い魔はマゾだったようですね」
「違いますよ!? 理由がないって意味よ!?」
遠回しにルイズには殴られるようなことをやらかしていると自白した才人は、それで何でそんな結論になったんだと『地下水』を睨んだ。そんな彼を分からないのかと睨み返した彼女は、やれやれ、と肩を竦め頭を振る。
「私の機嫌が悪い時に、お前のアホ面があったからです」
「お前ちょっとルイズ達の影響受け過ぎじゃね!?」
「どういう意味よ」
ジロリと横の使い魔を睨んだルイズは、はぁ、と溜息を吐いた。付き合ってられん、とそんなことを思いながら、彼女は少女の方へと向かう。『地下水』は休憩のようだから、交代でもう一度自分が出よう。そう述べ、視線を中央に戻し。
「ん?」
そこに誰も追加がいないのを見て眉を顰めた。確かまだもう少し参加者はいたはずなのに、どうして。ちらりと少女を見ても、あはは、と苦笑するだけで返事はなし。まあいいか、とルイズはゆっくりと中央へと歩いて行った。
しかし、それでも挑戦者は現れない。不満気に長兄や次兄の方を見ても、残っている参加者は皆一様に視線を逸らし、当の兄弟達も諦めたように不貞腐れている。
そこに至り、ルイズはようやく理解した。つまり、そういうことなのだろう、と。
「この勝負、わたし達の勝ち。ってことで、いいのかしら?」
後ろへ向き直る。かも、しれません、と少女は自信無さげに彼女に述べ、兄達の返答を待った。どちらかといえば武器より使い手の比重が大きい気がするんだがな、と負け惜しみのように呟いた次兄は、まあそう言うなと長兄に窘められた。
揃って二人は介添人を頼んでいた者へと向き直る。いいのですかな、という返答に、ああ、と二人は頷いた。
「少しだけ、待ってもらおう」
そこに割り込んだのは一人の騎士。まあ確かにこの雰囲気を覆すのは厳しいな、と苦笑しつつ、しかし迷うことなく中央へと歩みを進めた。その最中、ルイズを促すように視線を自身の背後に向ける。
ん? とそこを見た彼女は、悪友二人がヒラヒラと手を振っているのが目に入った。
「あ、よく見たら貴方」
「その通り。バッソ・カステルモールだ。このままでは彼等の武器が相当な粗悪品に見られかねんのでね、一手お相手願おう」
ふうん、とルイズは目を細くする。彼の言っている言葉の意味は、つまり自分を倒して向こうを勝者にするか。あるいは、実力が拮抗している様を見せて名誉ある敗北者にするか。
どちらにせよ、前提となるのは彼女を上回ることだ。
「面白いじゃない」
向こうの二人ばかりそれなりな相手と戦う機会があって、自分はない。それがどうにも不完全燃焼であった彼女にとって、カステルモールの提案は願ったりかなったりであった。
大剣を正眼に構える。それに合わせるように、カステルモールも杖を構えた。
一瞬で間合いを詰めた。巨大な得物を持っているとは思えない動きで、ルイズは斬撃を繰り出す。下から上、そして上から下。だが、そのどちらもカステルモールは自身の持っていた杖でいなし切った。
まだまだ、とルイズは刃を返し横薙ぎに振るう。強烈な風切音と共に生まれた横一文字は、そのまま彼を真横に両断せんと唸りを上げ。
目の前の男が消えた。一瞬だけ目を見開いたルイズは、む、と不満気な声を上げつつ横薙ぎの軌道を縦に差し替える。L字になったその斬撃は、空中に飛び上がったカステルモールが放っていた反撃の一撃とかち合った。
甲高い音が広場に響く。お互いに距離を取るように離れると、ルイズもカステルモールも持っている武器を軽く振るった。
「流石はシャルロット様の御友人。改めて対峙するとその強さがよく分かる」
「あら、お褒めいただいて光栄ですわミスタ。……ま、でも負ける気は無いわよ」
今度は大剣を上段に構える。姿勢をぶらさず真っ直ぐに距離を縮めたルイズは、そのまま一直線に振り抜いた。当たればまず間違いなく戦闘不能となるその一撃を、カステルモールはブレイドを纏った杖で受け止めながら体を捻る。
杖のぶつかり合った箇所が悲鳴を上げていた。それを瞬時に確認した彼は、そこに呪文を集中させる。回避と同時に細かい呪文制御を行ったためか、彼女の大剣が地面を深く斬り裂いた頃には、彼の息は上がっていた。大きく息を吐きながら、しかし視線は逸らさずルイズを見やる。
ここで相手の息が整うまで待つ、というのも一つの選択である。が、当の本人はそれを望んでいるようには思えなかった。情けを掛けるに等しい行為だと考えているのかもしれない。あるいは、こちらの攻撃を誘っている罠なのかもしれない。ともあれ、ルイズは大地に突き刺さっているままの大剣を引き摺りながら、重ねて一撃を繰り出した。抉られた地面から土砂が舞い、斬撃の回避を困難にさせる。ともすれば卑怯だと言われかねないそれを、しかしルイズは迷うことなく行った。
間違えていけないのは、元来彼女としても真正面から切り伏せるのが好みであるということだ。今回のそれは、あくまで地面に剣が突き刺さっていたからそのまま振り抜いたに過ぎない。相手の目潰しを兼ねたなどという小賢しい理由ではなく、むしろ一々引き抜いて攻撃するのが面倒だという頭の悪い理由である。
どちらにせよ、カステルモールの現状は避けにくい一撃を目の当たりにするという一点しかない。細かな理由はどうでもいいのだ。
「……嘗めるな」
ブレイドを維持したまま、更なる呪文を詠唱した。風が生まれ、周囲の土砂を吹き散らす。逆に飛ばされた砂は剣を振り上げているルイズの方へと飛来し、彼女の視界を奪い去った。
相手の攻撃が緩む。そう判断したカステルモールは大剣へと自身の杖をかち合わせた。このまま剣を破壊し返す刀でルイズに一撃を見舞う。それで倒せずとも、評価を覆すには十分だ。
「っ!?」
「ざ、っけんなぁ!」
カステルモールは目を見開く。対するルイズは砂が目に入り瞳を閉じていた。若干涙目になりつつも、彼女はむしろ握る手に力を込め、足を踏ん張って真上にそれを振り上げた。
再度ぶつかり合う杖と剣。上から振り下ろすカステルモールと、下から振り上げるルイズ。その二つがもたらした衝撃と音は、思わず観客達も目をつぶるほどのもので。
「……駄目か」
半分ほど吹き飛んだ杖を振り下ろした体勢のまま、カステルモールは無念そうにそう呟いた。一歩後ろに下がると、まあ悪いものではないという証明にはなっただろうと肩を竦めた。
とりあえずゴシゴシと目を擦っているルイズに大丈夫かと問い掛け、気にするなと手をヒラヒラされたことで彼は安堵の息を吐く。これ以上勝負を続ける気はなかったので、向こうのその態度はありがたかった。
「とりあえず、この勝負は私の負けだ」
そう述べ、カステルモールは踵を返す。こういう形の決闘でなければ勝負を続けてもよかったが、今はそこまでする意味が無い。何より、仕える者の友人と殺し合いになりかねない戦いなど許されない。
無様なところをお見せしました、と戻ったカステルモールは頭を下げる。そんな彼を見たタバサは、そんなことない、と首を横に振った。
「見直した」
「それは、真ですか!?」
「ん」
今まで一番テンションの高い雄叫びを上げるカステルモールを見ながら、キュルケはちょとキモいな、と少しだけ距離を取った。
よしじゃあこれで終わりかな。まだ目がチカチカする、と暫し瞬かせていたルイズは、そんなことを言いながら視線を後ろに向けた。少女に向かってブイサインをした。
が、そこで彼女が目にしたのは困ったようにオロオロとする少女と。
「二回とも負けてんのによく言うぜ」
「聞き捨てなりませんね。誰が誰に負けたと?」
「お前だよお前。再生怪人は素直に一話で退場しろっての」
「言っている意味はよく分かりませんが。まあ、私を侮辱しているというのはよく分かりました」
「だったらどうするんだ?」
「決まっているでしょう?」
何故か同陣営のはずなのに武器を構え睨み合う二人の姿。くい、と才人が顎で移動する旨を示し、ふんと『地下水』はそれに従って移動する。
呆気に取られているルイズの横を、アホ二人はそのまま通り過ぎた。
「ちょ、ちょちょちょちょっと待った!」
「あん?」
「何ですか?」
ルイズの声に揃って振り向く二人。その顔は邪魔するな、と言わんばかりで。
動きから何から何まで、何故か妙に息ぴったりであった。ああもうこれはどうしようもないな。そう彼女に思わせるには充分であった。
「……アンタ等、もうちょっと場所をわきまえなさいよ」
「いや、お前には言われたくないぞ」
「そうですね、それは同感です」
「うるさい! もういい! 勝手に戦え!」
がぁ、と捲し立てたルイズは、知らんと吐き捨てると少女のいる場所へと戻っていった。決して振り向かず、自身の述べた台詞を覆す気などないとばかりに。少女がいいんですか、と問い掛けたが、そんなことより向こうの貴女の兄貴達と話付けに行くわよと彼女の手を取った。
ルイズの視線の先には、タバサとキュルケが揃って爆笑している姿が映っていた。
エクストラステージに突入。