何でフラグ立ったんだ……?
その顔を見て、ルイズも思わず目を見開いた。確かに人間離れしているとは思っていた、キュルケとも意見をすり合わせ、何か人ならざる特別な能力でも持っているのかと考えていた。
だが、まさか。根本から人でないとは、予想していなかった。
「ミノタウロス……」
「先程も言ったが、私は人だ。……まだ、人だ」
ルイズの呟きに、ラルカスはギロリと視線を向けた。フードで隠されず露わになった牛頭、その口が不満気に歪められる。手にしていた大斧を構え直し、続きだと言わんばかりに足に力を込めた。
それを感じ取ったルイズも、相手を迎撃せんと剣を構える。カタカタと鳴った鍔からは情けない声が聞こえてきたが、彼女は知らんとそれを無視した。
「構えておいて何だが……続けるのかね?」
「当たり前でしょ? まあ、貴方がもう引くってんなら、話は別だけど」
「……」
ラルカスは少しだけ視線を落とした。が、再度顔を上げると、大きく息を吸い、吐く。猛烈な勢いで、ルイズに向けて大斧を振るった。
嘗めんな、と彼女はそれに剣をかち合わせる。盛大に激突音が響き、お互いの得物が両者の中心点でギリギリと音を立てた。
巨大な体躯を持った相手のその一撃に、ルイズは全く揺るがない。むしろ、先程よりも力強いほどだ。それを感じたラルカスは、成程と口角を上げた。
「先程とは違う。それが君の本気か」
「……さて、どうかしらね」
ふ、と薄く笑ったルイズは握りに力を込め、目の前の相手を睨み返すと裂帛の気合を入れた。叫び、そして押し出さんと前に歩みを一歩進める。
む、と驚愕の表情を込めたラルカスは握りに力を込め、目の前の相手を睨み返すと獣のような咆哮を上げた。叫び、相手を吹き飛ばさんと前に一歩足を踏み出す。
美女と野獣の鍔迫り合いは、天秤が美女へと傾いた。押し負けたラルカスはバランスを崩し、そこへルイズが問答無用の追撃を与えるため剣を振りかぶる。短く舌打ちした彼は、しかしそうそう食らうわけにはいかんと防御のために大斧を構えた。
「まとめて! ぶった斬る!」
生半可な一撃では斧の防御と魔獣の肉体とで弾かれる。先程の攻撃でそれを理解していた彼女は、全身を使って斬撃の威力を底上げせんとした。頭の先からつま先まで、余すことなく攻撃に集中させる。
「がぁ!」
「ち、浅いか」
大斧の柄が切り裂かれ、それでも尚威力を減じなかったルイズの一撃は、ラルカスの肉体に傷を付けた。肩口からばっさりと剣閃が刻まれ、その傷口からは赤い液体が流れ出た。
ヨロヨロと後ずさる。切り裂かれたその場所を撫で、まさか、といった表情を彼は浮かべた。
「この肉体を、己の力のみで、切り裂いたとは……」
「割としんどかったけれど。……火竜より硬い皮膚っておかしいわよ」
「色々と試したからな。この見てくれを、ただの、ミノタウロスだと思ってもらっては困る」
三分の一ほどが欠けた大斧を掲げると、ラルカスは短く呪文を唱えた。水の治癒魔法により、ルイズの付けた傷が見る見るうちに塞がっていった。
げ、とルイズの顔が曇る。メイジとしてのレベルは相当高いとは思っていたが、まさかあそこまでとは。気合入れた攻撃をあっさりと回復されるのを見ると、流石の彼女もいい顔はしない。
「ねえフレデリカ」
「キツイんじゃないかしらぁ」
二人の相乗攻撃ならどうだ。そう思い隣のキュルケに声を掛けたが、あの回復力を見るとそう簡単にはいかないだろうと彼女は肩を竦めた。そうよね、と同意するように肩を落としたルイズは、ではどうしたもんかと目の前の相手を見る。
とりあえず殺す気で攻撃してもお釣りが来る相手だということは分かった。まだ体力も残っているし、こちらが不利というわけではない。回復といっても精神力の限度があるだろうからだ。
とはいえ、それがどのくらいなのかは分からないし、何より相手のガス欠を狙うというのはどうにも気に食わない。そんな結論を出したルイズは、よしと気合を入れるとデルフリンガーを肩に担いだ。
「相棒、一応聞くぜ」
「あによ」
「どうする気だ?」
「とりあえずぶっ飛ばす」
「それが出来ないから困ってるんでしょうが」
「ううううっさいわね。じゃあデルフ、キュルケ、アンタ等は何かいいアイデアあるっていうの?」
がぁ、と捲し立てたルイズを一瞥したキュルケは、まああることはあるけれど、と頬を掻いた。思わぬ返しにへ、とルイズが間抜けな声を上げるのを見つつ、それでいいならやるわよ、と続ける。
彼女のその言葉に、ルイズは何だか嫌な予感がした。とはいえ、聞かないわけにもいかない。何をするのか、と彼女はキュルケに向かい問うた。
「アンに投げる」
「それやったらわたし達が負けって分かって言ってんの?」
「だって、もう面倒じゃなぁい?」
「こいつ……!」
確かにそうなのだが、同意しかねる。思い切り顔を顰めたルイズは、しかし暫し動きを止めた。ぐぬぬ、と唸ると、視線をキュルケから部屋の壁にもたれかかりながら呑気に観戦している仮面女に移す。
無性にムカついたので、落ちていた壺の残骸を拾い上げて投げ付けた。
「まったく、子供のような癇癪を起こしては駄目よ、フラン」
「ぐぎぎぎぎぎぎ!」
「……気持ちは分からなくもないけど、まあ今のはあなたが悪いわ」
「分かってるわよ!」
「相棒は、本当に、そういうところはアレだなぁ……」
「黙れボロ剣!」
ああもう、と叫ぶと、いきなり展開された頭の悪いやり取りで毒気を抜かれていたラルカスに向き直った。みっともないところを見せた、そう告げ、ルイズはもう一度先程のように大剣を肩に担ぐ構えを取る。
「……この空気で、まだやるのかね?」
「そっちが引くんなら話は別よ。さっきも言ったわ」
「ふむ。確かに言ったな……」
ポリポリと頭を掻く。ミノタウロスがそんな仕草をしているのがどこか滑稽で、キュルケは少しだけ吹き出した。ラルカスもそれを分かっていたのか、ジロリと彼女を見たものの、仕方ないとばかりに溜息を吐いた。
「ミスタ・ラルカス」
そんな彼に声を掛ける人が一人。先程キュルケに話を振られ、ルイズに壺の破片を投げ付けられたアンリエッタその人だ。傍観者を貫いていた彼女が動いたことで、ラルカスは少しだけ警戒の色を滲ませながら視線を向け問い掛けた。何か用かね、と。
「ええ。この辺りで手打ちにして頂けたら、と思いまして」
「……その心は?」
「今の貴方のお姿では、これ以上騒ぎになるのはよろしくないでしょう? 代わりの外套もご用意しますわ」
「本気か?」
「勿論。わたくし、こう見えて平和主義ですの」
嘘吐け、とその場にいる二人と一振りは叫びたかったが、心の中に止め飲み込んだ。ここで話の腰を折るわけにはいかない。
そんなことなど重々承知、と言わんばかりにちらりと仮面の向こうで視線だけルイズ達に向けたアンリエッタは、それに、とラルカスに言葉を続けた。世間話でもするような気安さで、言葉を紡いだ。
「そろそろ、夕食の時間ではないですか?」
「……っ!?」
空気が変わるのがはっきりと分かった。視線の先にいる牛頭の男性が、思い切り仮面の少女を睨み付けるようになったのが見て取れた。
違ったかしら、と頬に手を当て小首を傾げたアンリエッタは、それでどうするのかとラルカスに問い掛ける。彼のその殺気など気にしないとばかりに、平然と言ってのける。
「……君は、言っている意味が分かっているのか?」
「当然ですわ。貴方は、『無駄な殺人は趣味ではない』のでしょう?」
ぐ、とラルカスは押し黙る。その言葉に彼女が込めた意味を汲み取って、忌々しげに舌打ちをした。
成程、流石はトリステインの黒百合魔王というわけか。呆れたようにそう吐き捨てると、彼は大斧を持っていた手をだらりと下げた。約束は守ってもらうぞと続け、三人から視線を外した。
その返事を聞き仮面の奥でニコリと微笑んだアンリエッタは、残骸となっていたカーテンを手に取り『錬金』でラルカスの体格にあった外套へと作り変える。少し不格好ですが、とそれを彼へと手渡した。平然と近付き、何ら怯える様子も見せず。極々普通に、一人の人間として接していた。
「ところでミスタ」
「ん?」
「先程の黒百合魔王というのは?」
「……トリステインのアンリエッタ王妃に付けられた二つ名だと聞いているが、違ったかね?」
暫しの間、沈黙が降りる。仮面を被っているのでルイズ達には彼女がどんな表情を浮かべているか定かではない。が、付き合いの長いルイズは何となく察した。察して、ニヤリと口角を上げた。
「色々規模がでかくなってますね、アン」
「……まあ、いいでしょう」
王妃らしからぬ盛大な舌打ちをしながら、アンリエッタはそれだけを述べた。踵を返し、ラルカスから離れ気絶している女性へと向かう。呪文でその体を軽く浮かせると、ではこちらも退散しましょうかと皆に告げた。ルイズ達だけではなく、ラルカスにも、である。
それに気が付いたラルカスは、やれやれと頭を振り渡された外套を纏った。牛頭を覆い隠し、人ならざる四肢を見せないようにし。ではさらばだ、と短く告げた。
正門から堂々と出るには少々目立ち過ぎている。そう判断した彼は、壊れている窓の桟に手を掛けた。後は適当に呪文でも唱え、空を移動すればいい。
「ミスタ」
「ん?」
そんなラルカスの背中に声が掛かる。振り向くことなく何だと返した彼に向かい、その声の主、アンリエッタはこう告げた。横でルイズが何かを諦めたような顔になるのを見ながら、こうのたまった。
「もし、今の雇い主の下で働くのが嫌になったのならば、いつでもこちらにいらっしゃってください」
「……本気か?」
「勿論。わたくし、こう見えて野心家ですもの」
見たまんまだよ。そう叫びたいのを、二人と一振りは必死で耐えた。
それで、と机に体を投げ出している才人はルイズ達を見やった。結局今回は無駄骨だったってことか。そう続けながら、同じように椅子に体を預けているタバサを見た。
「そうは言うけど、こっちはこっちで大変だったのよ」
「いやまあそりゃ分かるさ」
そのラルカスって人こっちにも来たし。そう言いながら体を起こした才人は、給仕の少女に飲み物を頼んだ。はあいと返事をして去っていくのを眺めつつ、まあ戦いはしなかったけどと続ける。
「メンヌヴィルに声を掛けて去っていった」
「意外と律儀なのね、あの人」
あんまりそうは見えなかったけど。牛頭を思い出しながらそんなことを呟いたルイズは、それで何でそっちはそんなに疲れてるのと首を傾げた。
そんなもん決まってるだろ、と才人はタバサを見る。コクリ、と彼の言葉に彼女も頷いた。
「あの火炎野郎、無茶苦茶しやがって」
「わたしと向こうだと致命的に相性が悪かった」
火竜の目を移植されたことにより獰猛さと火力、そして炎の生み出し方が増幅されていたメンヌヴィルに、流石のタバサも一人では苦戦を強いられたのだ。そして、共に戦っていた才人ではその相性を覆すには至らなかったというわけである。
ルイズ達に、物凄く不満気な表情でタバサはそう述べた。あの野郎ふざけやがって。大体そんな感じのオーラが彼女から立ち上っている。
「だから」
「ん?」
「次は絶対、叩きのめす」
ギリリと拳を握り、目を細め。タバサはそう宣言した。相性が何だ、そんなもん気にしないだけの一撃を叩きこめばそれでいいだろう。そんな大分頭の悪いことをのたまった。
それを見て、いいんじゃない、とルイズは笑う。まあでもわたしもあいつには借りがあるし、と目の前のエールを飲み干しながら拳を握った。
「どっちが先にぶちのめすか、勝負よ」
「望むところ」
握った拳を、ゴツンとぶつけ合った。いい感じに思考が脳筋になってきた二人は、そう言って笑い合った。
「キュルケさんや」
「何よ」
「あれ、どうなん?」
「別にいつものことでしょ。気にするだけ無駄よぉ」
クスリと笑ったキュルケは、それより、と視線を彼女達の横に向けた。ニコニコと笑みを浮かべながら、仮面を外し思い切り顔を晒して酒を飲んでいるアンリエッタを見た。まあ今回の調査という名目の悪巧み的な何かは終わったのだから変装を終えてもいいのだろうが、しかし上機嫌なのが彼女は少し気になったのだ。
コクリと手にしていたワインを飲む。ふう、と息を吐き、そしてキュルケの視線に応えるようにアンリエッタはそちらへと目を向けた。
「ミス・ツェルプストー。どうかされました?」
「いえ。……機嫌が、良さそうだなって思いまして」
「今回の調査が無駄に終わったのに……ですか?」
頷く。そんなキュルケを見て、彼女はクスクスと笑った。そんな風に思っていたのね、と言葉を続け、皆そうなのかしらとルイズ達を見た。
「違うんですか?」
「まあ、確かに犠牲者は二名出てしまいました。こちらに弓引いた者とはいえ、トリステインの民です。そこは反省しなくてはいけないわね」
「……それだけ?」
「ミス・オルレアン。それだけとは?」
「リッシュモンに通じる手掛かりを探しに来たんじゃ?」
「誰がそんなことを言いました?」
は、と四人が素っ頓狂な声を上げるのは同時であった。ニコニコと笑みを絶やさないアンリエッタを見ながら、ルイズ達は目の前のこいつが一体何て言っていたか記憶を辿る。
『散歩』に行くからそのお供に。彼女が述べたのはそれだけであった。
「い、いやでも姫さま。確か俺がいた時に言ってた散歩の理由は」
「被害が増える前に手を打ちたい、というものね。狼は追い払ったのだから、概ね達成したと見てよいでしょう」
「ちょ、ちょっと姫さま。まさか本当に、それだけ?」
「おかしなルイズ。『散歩』に、大層な理由がいるの?」
絶句したルイズを見て、アンリエッタは楽しそうに笑う。してやったり、と小さく舌を出す。
元々、見付かった死体の用途の一つは撒き餌なのだ。ならば目的は彼女がここに来ればそれでいい。撃退し、こうして翌日にでも帰路につける時点で、達成したも同然なのだ。調査など、予想を立てた後の答え合わせに過ぎない。
そんなことより重要なのは。
「やはりこうして色々な場所に足を運ぶものね。思わぬ掘り出し物に出会えるのだから」
二つ、いい掘り出し物を見付けた。ただ問題は、現在それがどちらも他人のものであるということであろうか。リッシュモンの持っている方は始末した後奪えばいいが、もう一つは。
「姫さま」
「どうしたのルイズ」
「物凄く悪い顔してましたよ」
「あら、それはごめんあそばせ」
いけないいけない、と頬を撫で、アンリエッタは残っていたワインを飲み干した。
「ひっ」
「ベアトリス? どうしたの?」
「い、いや、何だか悪寒が……」
「……変なベアトリス」
「あんたに言われたくないわ無駄乳!」
「酷い!?」
家に帰るまでが遠足よエンド。