その1
白刃が舞う。
剣士が振るったそれは目の前の相手をたやすく切り裂き、その命を散らす。人ではないその怪物はパクパクと口を動かしていたが、やがて糸の切れた人形のようにゆっくりと崩れ落ちた。
そんな相手を振り返ることなく、剣士は別の一体へと斬りかかる。あっという間に倒された仲間を見ていたことで反応が遅れたのか、その怪物も持っていた武器を振るうことなく剣士の太刀筋の露と消えた。
瞬く間に二体が倒されたことにより動揺をする残りの怪物達。その隙を逃すことなく、剣士は即座に間合いを詰めると彼らの血で真っ赤に染まったその刃を翻す。袈裟斬りにされた怪物を蹴り飛ばすと、その勢いを利用して剣士はその場から後退した。一瞬遅れてそこに別の怪物が振り上げていた武器が突き刺さる。その行動を確認した剣士は再び足に力を込め、一足飛びに駆け抜ける。振り下ろした腕を切り裂くと、返す刀で首を刎ねた。
はっと背後を振り向くと、また別の怪物が投石をせんと石を握り込み振り上げているのが見えた。現在の剣士の位置では間合いを詰めている暇はない。出来ることは、避けるか受けるか。反撃をするという選択肢はない。
その状況であっても、剣士は尚反撃を選んだ。剣の柄の部分に組み込まれている杖のような物を握ると、短く何かを呟く。ここ、ハルケギニアに住むメイジと呼ばれる者が扱う呪文を唱えた剣士は、魔法を使う杖代わりの剣を怪物に向けた。
刹那、怪物の上半身は爆発した。意図的に威力を弱めたのか、木っ端微塵とまではいかなかったようだが、その体は既に投石云々の状態ではなくなっている。焼け焦げた臭いと共に倒れ伏した怪物を飛び越えるように残りの群れに突っ込んだ剣士は、そこで再び剣を振るった。
既に動いている怪物はいない。そのどれもが、切り裂かれたか、爆死したかのどちらかとなっている。
べっとりと血で汚れた剣を布で拭くと、剣士はそれをゆっくりと鞘に納めた。完全にはまらないようになっているのか、鍔の部分が少し鞘からはみ出しており、カタカタとひとりでに動いている。
カタカタと鳴るその鍔から、人の声が発せられていた。
「相棒、これはただのストレス発散じゃないのか?」
剣のその質問に、剣士はそれがどうしたと胸を張った。暴れる理由を用意した、ただそれだけだ。一切悪びれることなく、剣士はそうのたまった。
剣はそんな相棒の言葉を聞き、おおよそ剣とは思えないような溜息を吐く。
「まあ、俺っち剣だし、相棒には文句ないし、何より毎度のことと言えば毎度のことだから今更なんだけどさ」
流石に今日はストレス発散でオーク鬼を倒している場合じゃない気がする。そう述べた剣に向かい、剣士は先程の剣と同じように溜息を吐いた。そして、デルフ、と剣を呼ぶ。
そんなことは分かっている。若干不機嫌に剣士はそう述べると、その場から去るために歩みを進めた。いくらストレス発散とはいえ、これは一応正式な依頼だ。倒した報告はしなくてはならない。証拠となる剥ぎ取った牙を入れた袋を弄びつつ、剣士はもう一度溜息を吐いた。
その動きで、剣士のピンクブロンドの髪がさらりと揺れる。
「相棒、溜息を吐くと幸せが逃げるぜ」
「うっさいデルフ」
「だから落ち着けって。大丈夫、相棒ならちゃんと立派な使い魔を召喚出来るからよ」
「下手な慰めは却って惨めになるだけよ」
「いや、ちゃんと本心だぜ」
「どうだか」
そう言うと、剣士はスカートを翻しながら今度こそ本当にその場から立ち去った。血の臭いの漂う森から、依頼者の待つ村へと帰る。証拠の牙を渡し、幾ばくかの報酬を受け取ると、剣士はその足で村から去った。
向かうは、自身が帰る場所。
「しっかし相棒。いくらストレス解消っつっても、流石にその格好はなかったな」
「……そうね。今更ながら、わたしも後悔してるわ」
剣士の服装は、紛れもないトリステイン魔法学院の女子制服。それが、オーク鬼の返り血で真っ赤に染まっていた。
いてもたってもいられなくなり、着の身着のままで飛び出した代償がこれである。
「で、どうするんだ? ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールさんよ」
「どうするも何も、そのまま帰るに決まってるじゃない。呆けたのかしら? 魔剣デルフリンガー」
そんな軽口を叩きながら、一振りの魔剣と剣士の少女は、学園への道をのんびり歩く。
さて、所変わってここはトリステイン魔法学院の女子寮。ヴァリエール公爵家三女、ルイズ嬢の部屋である。
「まったく、部屋がもぬけの殻だから何処行ったのかと思えば、ねぇ」
「相変わらず、猪突猛進」
血塗れになった制服から着替えようと自室に入った彼女が見たものは、他人の部屋で堂々とくつろぐ二人組であった。加えて、悪びれる様子もなければ出掛けていた理由を聞いた挙句、感想すらこの体たらく。どうやら彼女達はここが人の部屋だという自覚が全くないらしい。
もっとも、ルイズ自身もそのことは分かっているのか不法侵入については何も文句を言わない。文句自身は他の観点から腐るほど述べたようだが。
そんな三人の会話が一段落ついた辺りで、侵入者の一人、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーはゆっくりとルイズの方へと向き直った。そして、何やら十字を切っている。
「何よ、縁起悪いわね」
「悪友の冥福を祈っただけよ。別に他意はないから気にしないで頂戴」
「気になることしかないわよ、それ」
さあキリキリ吐け、と彼女はキュルケに詰め寄る。だが、キュルケはキュルケで豊かな胸を揺らすように肩を竦めると、清々しい程あからさまにしらばっくれた。それが彼女には余計に気に食わず、尚もキュルケを問い詰めようと一歩踏み出し。
「来る」
「え?」
ポツリとその隣の青髪の少女の言葉に耳にして足を止めた。
一体何が来るのだろう。そんなことを思いながら、対象をキュルケから隣の通称タバサと呼ばれる少女、シャルロット・エレーヌ・オルレアンへとシフトさせる。だが、キュルケよりもポーカーフェイスな彼女はルイズに詰め寄られた程度では全く動揺を見せることはない。それが結果としてルイズをますます焦らせることになるのだが、その辺りは分かっているのか、彼女も少しだけ口の端を歪ませた。
不法侵入者にそこまでからかわれたらどうなるかといえば、普通は怒るだろう。となれば、ただでさえ短気の彼女なのだからその結果は推して知るべし。
「説明しろぉぉ!」
「――では、説明致しましょうかミス・ヴァリエール」
振り切っていた怒りは、叫びと同時に返ってきた新たな人物の声であっさりと消え去った。そして今度は底冷えするような冷や汗が背中を伝う。
聞こえてきた方向へと極力振り向かないよう細心の注意を払いながら、ルイズは元々の侵入者へと視線を移した。二人共が神妙な顔で冥福を祈っていたので、とりあえず彼女は中指を上に立てた拳を突き出した。凡そ公爵家令嬢とは思えない行為である。
半ば現実逃避のようなそんな行為をしていたルイズであったが、自身の背後に佇む存在からのプレッシャーを浴び続けるのもそろそろ限界に達してきた。振り返りたくないが、仕方がない。錆びた金属製の扉を開けるような固い動きで振り向くと、そこにいたのは一人のメイドの少女。この国では珍しい黒髪黒目のその少女は、ニコニコと笑顔で立ちながら、尋常ではないオーラを発していた。
「あ、あらシエスタ。ど、どうしたのかしら?」
「はい。ミス・ヴァリエールに少々説明をしたいと思いまして」
シエスタと呼ばれたその少女は笑顔を崩さないままそう告げる。ルイズとそれなりの付き合いもあるこの少女は、立場の違いを気にすることもなく仲良くしている身である。そんな彼女がルイズを「ミス・ヴァリエール」と呼ぶ時は如何なる時か、と問われれば、それは勿論。
「お、怒ってる?」
「いえ。決してそんなことはございませんわ、ミス・ヴァリエール」
笑顔。だが、その額に十字の模様が出来ているのをルイズは見付けた。もう確定である。
彼女は怒っている。
「ね、ねえシエスタ? わ、わたしもちょっと勢いに任せて動き過ぎちゃったところもあるからって、は、反省をね、してるから。だ、だ、だから、その、ね」
「ルーイーズーさーまー!」
「ぎゃー! ごめんなさいー!」
そして、そんな彼女の怒りはえらくあっさりと爆発した。火山の噴火もかくやという勢いでルイズを叱り、そして説教を始める。その大半は心配からくるものであったので彼女は大人しくその説教を受け、そして反省をした。確かに自分の行動は軽率だった。それは言われることなく自分で分かっている。そして、友人達を心配させたということは言葉での謝罪では足りないくらいのものだということも分かっている。
だから、ルイズは素直に頭を下げ、そして心から謝った。ごめんなさい、と。
「……ほら、その制服をこちらに下さい。早く洗わないと染みになっちゃいます」
そんな彼女の態度を見たシエスタは、苦笑をしながらそう述べた。表面上ではない心からのものだということをしっかりと受け止めた彼女は、ルイズの血塗れになった制服を受け取ると、気を付けて下さいねと一言残して部屋から出て行った。言った通り、染みにならないように洗濯をしにいったのだろう。
そんなシエスタが部屋から出て行くのを目で追っていたルイズは、扉が閉まるのを確認すると、二人のやり取りを見ていたキュルケとタバサに顔を向けた。そして、シエスタにしたようにごめんなさいと頭を下げる。
「別に、あたし達はあの娘ほど心配しちゃいないわよ」
「明日が特別ということを除けば、いつも通りのルイズの行動」
頭を下げたルイズに、二人はそう返した。心配はしていたが、彼女ほどではない。言外にそういうニュアンスを含ませる。それはルイズ自身も分かっていたのか、それでもよ、と言葉を続けた。
そんな彼女を見て、キュルケも顔を綻ばせる。そして彼女に近付くと、その頭をゆっくりと撫でた。
「ま、緊張するのも仕方ないわよねぇ。明日は使い魔召喚の儀式だし」
「うぅ……」
「戦闘には役に立つ爆発も、召喚には使えそうにないでしょうしねぇ」
「わ、分かってるわよ」
撫でられるがままになっていたルイズは、そう言いながらそっぽを向いた。そんなことは重々承知、だからこそ腹いせに外へと飛び出したのだ。
ヴァリエール公爵家三女、ルイズ・フランソワーズは一般的な魔法が使えない。それは、ここ、トリステインの貴族にとって致命的であった。貴族はメイジとして、大小あるにしろ魔法は使えて当然。その理から外れている彼女は、この魔法学院において嘲笑と侮蔑の対象でもあった。そして明日行う使い魔召喚に失敗すれば、彼女は留年ないし退学となる。
彼女の体質は特異であり、全ての呪文は爆発へと変化してしまう。そんな彼女であるが、しかし自身の心は吹き飛ばなかった。同年代の貴族の子女に馬鹿にされても尚、彼女は堂々と胸を張った。彼女が幼い頃から積み上げてきたものは、その程度では揺るがない。
それでもやはり、学院にいられなくなるという不安は拭い去れない。今こうして笑い合っている悪友や、自分を心配してくれた親友と別れるのは、辛い。だから、彼女が我武者羅に外に飛び出したのも仕方ないだろう。
「何暗い顔してるのよ。成功すればいいだけの話でしょ? ほらほら、気合入れなさいよ」
「大丈夫」
「……キュルケ、タバサ」
ありがとう、と彼女は頭を下げた。そうだ、落ち込んでなどいられない。自分は召喚を成功させるのだ。そして、明日もこうして皆で笑い合うのだ。
そうと決まれば、少しでも成功率を上げるためにもう一度復習だ。そう気合を入れて参考書を読み始めるルイズと、それを見守る二人。
夜は、こうしてゆっくりと更けていく。
「……どうしろと?」
さて翌日。魔法学院の生徒がそれぞれ思い思いの使い魔を召喚している中、ルイズもまた同じように『サモン・サーヴァント』を唱えていた。最初こそ上手くいかずに爆発していたものの、数回である程度コツを掴んだのか、破裂音程度まで縮小した後に見事召喚の鏡を浮かび上がらせるのに成功したのだ。
だが、ここからが問題であった。一体何を召喚したのか、一部の者が固唾を呑んで見守っている中、ゆっくりとその鏡から出てきたそれは。
紛れもない、人間の少年だったからだ。
「ミミミ、ミスタ・コルベール!」
「ん? あ、ああ済まない、流石に予想外の事態でどう反応していいものか」
「人間、ですよね?」
「亜人やエルフではないだろうね」
念の為に、とコルベールは『ディテクトマジック』を唱えるが、そこに反応はない。正真正銘の人間、それも恐らく平民であろう。彼はそう判断した。となれば、ここは申し訳ないがこの少年にはある程度犠牲になってもらうしかない。教師として目の前の教え子と初対面の少年のどちらを取るかと言われれば、無論前者であろう。だから彼はルイズに向かい、使い魔の契約を済ませるように告げた。ここで契約出来なければ彼女は留年か退学になってしまうことは想像に難くない。それを避ける為にも、とコルベールは考えたのだ。
「え? あの、失礼ですが、正気ですか?」
「自分でも無茶だとは分かっているとも。しかしミス・ヴァリエール、そうしなければ君は留年だ。ここは一つ、君も妥協してくれないかね?」
留年。その言葉を言われてしまえば、ルイズとしても口を噤まざるを得ない。昨夜散々頭を過ぎった最悪の結末、それが今目の前まで来ているのだ。それを回避するには、未だ状況が掴めていないのか半ば放心状態で辺りを見渡している少年と契約すること。ただ、それだけでいい。
ルイズは少年の目の前に立つと、『コントラクト・サーヴァント』の呪文を唱える。少年にはちゃんと事情を説明し、そして謝ろう。そう心の中で思いながら、ルイズは呪文の仕上げを行おうと身体を動かし。
「……ミスタ・コルベール」
「どうしたのかね?」
「キ、キキキキスを、するんですよね? この少年と」
「…………割と男前だと思うよ、この少年は」
「そんな慰めいりません!」
そう叫んだ勢いのまま、ルイズは少年の唇を奪った。
「よし、さっぱり分からない」
美少女にキスをされ一瞬にして表情をデレデレにした少年は、次の瞬間左手の甲に強烈な熱を感じて蹲った。どうやらそれがルーンの痛みらしく、熱が引いたそこには使い魔の印がはっきりと記されていた。そんな急展開についていけなかった彼にとりあえずの説明をルイズがしたわけなのだが。
うんうんと頷いていた少年が出した答えがこれであった。
「普通、ここは分かりましたって言う場面じゃないの?」
「いや、俺としてもそうしたいんだけどさ」
実際分からないんだから仕方ない。そう言って少年は空を仰いだ。
その視線の先には、空を飛ぶ魔法学院の生徒やその使い魔が見えている。紛うことなきファンタジーであった。現代の地球上ではありえない光景であった。何かの撮影やアトラクションであるかを念の為に聞いたが、何の話だと首を傾げられた。
「つーか、普通異世界に喚ばれるのって勇者になるのが相場だろうに……。使い魔だなんてなぁ」
この手の物語の展開では最悪の部類に入る。大抵はこの後使い捨てにされる使い魔その一程度の役割を与えられて終わりだろう。早い話が、自分は選ばれなかったのだ。そのことを実感した少年は、もう一度溜息を吐いた。
尚、異世界に召喚された驚きだとか、果たして戻れるのだろうかとか、その辺りはほとんど考えていない。この順応性の高さが彼の長所でもあり短所でもある、と今まで生きてきた中で散々に周りに言われたことだった。事実、今ここに彼の知り合いがいたのならばちゃんと彼に言ったであろう。
他に考えることがあるだろう、と。
「……わたしの使い魔なのが不満?」
「へ? いや、そういうわけでもないかな。ちょっと色々考えることはあるけど」
「考えること? 何よ」
「そうだな、例えば」
使い魔って何すればいいのか、とか。
ここで呪文の生贄だとか言われたら迷わず逃げようと足に力を込めつつ次の言葉を待ったが、対するルイズはどこか拍子抜けしたような顔で少年を見詰めていた。
「……使い魔、やってくれるの?」
「生贄になれとか、私のために死んでとかなら丁重にお断りしますが」
「そんなんじゃないわよ。主人の目となり、採取を手伝い、主を守る。これが使い魔の主な役割。まあ、わたしとしてはどれもそんなに要らないから気にしなくて良いわよ」
それはそれでじゃあ自分を喚んだ理由は何なんだと言いたくなったが、とりあえず少年は頷いた。藪をつついて蛇を出す必要は無い。なら問題ないと言って右手を前へと突き出した。
「ん?」
「握手だよ握手。これからよろしくお願いしますご主人様ってね」
「何か、喚んだわたしが言うのもなんだけど、恐ろしく適応能力高いわねアンタ」
普通はもう少しパニックになるものではないのだろうか。突如別の場所に連れてこられて使い魔になれと強要する。誘拐といっても過言ではないこの行為に動じることなく対応するこの少年の神経の図太さに、ルイズは少し感心しながらもその手を取って握り返した。ともかく、これで自分は使い魔を手に入れた。これでちゃんと進級出来る。
「あ、そうだ。アンタ、名前は?」
「言ってなかったっけ。平賀――ってこっちじゃ名前が先だっけ。俺は才人・平賀。よろしく、ルイズフランソワーズ何とかさん」
「ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ! ってそうじゃなくて、え? アンタ家名持ち? 貴族なの?」
そんなことで頭が一杯だったルイズは、才人自身のことについては全くもって気にするのを忘れていた。
大分前に書いていたものを発掘→そのまま勢いで続きを書き始める。
そして今に至る。