とある科学の極限生存(サバイバル)   作:冬野暖房器具

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 注意、長いです(いまさら)









077 《永劫》を示す旅人の物語  『9月1日』 Ⅷ

 

 

 

 

 あの校長室での騒動からしばらくして。木原統一はぐったりしながら職員室へ続く廊下をとぼとぼと歩いていた。興奮冷めやらぬ教頭に対し校長先生とのタッグで対抗するもなかなか事態は進展せず。懐のルーンのカードに意識を向け始めるくらいにはイライラが募り始めた所で、「ここは私に任せて、君は小萌先生を連れて先に出たまえ」との校長先生のありがたいお言葉(真)により教頭焼死体ルートは回避と相成り。首振り人形状態の小萌先生の手を引き、無事校長室の脱出に成功したのである。

 

「ったく、想定以上に時間を食われちまったな。大騒ぎし過ぎなんだっつうの教頭(アイツ)……」

 

「それは違うと思う。超能力者(レベル5)って名前を聞けば。むしろこの小萌の状態が一般的なはず」

 

「はわわわわわわわ」

 

「いや、いくらなんでも担任の教師がぷるぷる健康器具化するのが普通はねえだろ。というか、いつになったら治るんだこの人は」

 

 その後、小萌先生の手を引いて歩き出した俺を待ち受けていたのは、学生服装備のエセ巫女こと姫神秋沙であった。どうやら姫神は小萌先生に呼び出されていたらしく、HRが終わった後も小萌先生を探し回っていたらしい。ぷるぷるピンク幼女に怪訝そうな顔をする姫神へ、俺は自分の学生証を放り投げかくかくしかじかと事のあらましを説明。何故かすんなりと納得した彼女は空いていた小萌先生のもう片方の手を取り、捕獲された宇宙人を護送するがごとく職員室へ一緒に行くこととなった。

 

超能力者(レベル5)って言っても数字が一つ上がっただけだし、序列としては一番下の第8位。手から電撃やビームが出るわけでもなし、翼が生えて無限分裂するわけでも人間ラジコンも出来ないわけで……実際はそこまで価値あるもんじゃねえんだがなぁ」

 

 付け加えるなら、学園都市における再生医療は研究しつくされた枯れた鉱山であるという事情もある。一般公開されている技術も相当高度なものだが、学園都市の最奥……暗部や『木原』に至ってはほぼ全身の代替技術が完成しているというのだから恐ろしい。そしてその闇を置き去りにするほどの、他の追随を許さない医療技術の頂点。熱力学第二法則をぶち壊すファンタジー名医こと冥土返し(ヘブンキャンセラー)がいるこの現状で、一個人の保有する肉体再生(オートリバース)如きがなんだというのか。

 

「一般に。超能力者(レベル5)個人情報(パーソナルデータ)はそんなに出回ってないから。『能力者の頂点』を想像しか出来ない以上は過大評価になるのも仕方ないと思う……ところで、ビームとか翼って何?」

 

「第4位と第2位の能力だよ。そっか、まぁそんなものなのかな。俺としては姫神の能力とかの方がよっぽど凄いと思うけど」

 

 ビームに翼と聞いて若干引き気味な姫神であったが、姫神自身の能力について俺がさらっと触れると、眉を寄せ睨むような目つきを向けてきた。

 

「私の『吸血殺し(ディープブラッド)』は、能力強度(レベル)の判定も曖昧だから。それに、今となっては証明のしようもないし。()()()()()()

 

 最後の言葉を姫神は殊更に強調していた。胸元で揺れるロザリオを掴んだ彼女の想いを知らぬ俺ではないわけで。ほんのりピリついてしまった姫神に対して、俺は肩をすくめることしかできなかった。

 

「あー……ま、証明する気がないって点は俺も同じなんだが。肉体再生(オートリバース)、つまりは大怪我するのが前提って事だし」

 

「存外。そういう人ほど証明の機会に恵まれたりするもの」

 

「おいやめろ。姫神(オマエ)が言うとホントになるから洒落にならねえんだって。前回それでトンでもねえ目に遭ったんだからな?」

 

 『上条当麻を目指したら死ぬ』。そんな巫女さんのありがたい予言の結果として、先日は身体が爆散した。より具体的に言うと一方通行(アクセラレータ)の血流操作によって弾けてしまったのだ。そんな致命的な状態からの完全復活、それが出来たからこその超能力者(レベル5)であるが……改めて言葉にしてみると、正直人間を辞めちゃってる気がしないでもない。心配するな、自覚はある。

 

「別に気にはしてない。事実を言ったまで」

 

「いや滅茶苦茶気にしてるだろそれ……いや悪かったって」

 

 むー、と唸る姫神をすまし顔でやり過ごしつつも内心俺は焦っていた。正直ここまで怒るとは思わなんだ。布束といい姫神といい、何故俺は誰かの怒りの導火線を無意識につけてしまうのだろうか。

 

(よくよく考えてみれば、御坂に土御門に親父、ステイル……意図してやらかした事を数に入れるなら一方通行(アクセラレータ)騎士団長(ナイトリーダー)とかもか。人の反感を買うのが半ば特技になりつつあるな)

 

 洒落にならない。今に挙げた人物のうちの大多数が、俺を殺しにかかってきている。男女関係なくあらゆる方面に喧嘩を売ってしまうこの性質を放置すれば、間違いなく命に関わる。

 

(つまり口を開かなければ? 俺の目指すべきは無口キャラ? いやでも、口を開かなくても魔術を撃ってきたミーシャみたいな例もあるしな……もっと根本的に、こう───

 

「目立たないキャラとかなら、もしかすると……?」

 

 思わず口から出た迂闊な言葉。瞬間、姫神の取り出した魔法のステッキ(スタンガン)が俺の首に押し当てられた。

 

「いっぺん、死んでみる?」

 

「……今、俺たち3人が仲良く手を繋いでる事はわかってるよな? みんな仲良くぷるぷる健康器具コースが御望みか?」

 

「嘘。このスタンガン(魔法のステッキ)から出る電流(魔力)は人間の皮膚を伝って感電することは無い。よって小萌は大丈夫。賢い木原君なら知っているはず」

 

『人間の構造上最も電気伝導率が高いのは血液。スタンガンの出力にもよるが、姫神秋沙の見解は概ね正しい』

 

 そんな事知るわけねえだろ、というツッコミを入れるのをぐっとこらえ。頭の中で勝手に流れ出した『木原統一』の知識(アドバイス)を無視し、2本の指でスタンガンを押しのけながら粛々と降参の意を伝えた。

 

「…………悪い。ちょっと考え事をしてただけで、別に姫神の事を言ったわけではないんだ」

 

「よろしい」

 

 大きくため息をつき、姫神はスタンガンを下ろした。いやため息を吐きたいのはこちらの方なんだがな。薄手な夏服の一体どこに隠し持っていたのかは知らんが、転校初日の学生の持ち物ではないぞそれは。

 

「相変わらず。木原君は女性の扱いがダメダメ」

 

「まぁ……確かに。そこに関してはぐうの音も出ねえよ」

 

 今のスタンガンの件はさておいて。朝からずっと気まずい雰囲気で、先ほどはとうとう俺を引っ叩いた自分のパートナーの事が頭を過ぎる。あの冷静沈着(多少のドジっ娘属性は否めないが)な彼女があそこまで怒るのだ。夏真っ盛りだというのにも関わらず、真冬の如き冷え込んだ空気が今後俺と布束の間に流れる事はおそらく必定だろう。女性の扱いとはかくも難しいモノなのか。今日それを一番実感している学生である自覚は十二分にある。

 

「ふむ。なにやら訳アリな様子」

 

 俺の言葉を濁すような返事に、姫神は好奇な眼差しを向けてきた。渡りに舟とはまさしくこの事だな。『話があるなら聞いてやるぞ』という姫神の姿勢に、俺は心の中で感謝を捧げた。迷える者を導く巫女……微妙に役割がおかしいがそれはこの際置いておこう。巫女の役割、神の御使いと言えば西洋では天使に該当する。哀れな子羊を導く者としてはこの上ない人選と言える。

 

「実は……恥ずかしながら、最近になって、まぁその……俗に言う彼女、ができたんだが───

 

「え?」

 

 だがしかし。俺の告解(そうだん)は巫女様の疑問符によって遮られた。姫神のこんな声は初めて聞いた気がする。

 

(かの)……(じょ)?」

 

「どうかしたのか?」

 

 そう尋ねてみても姫神は黙りこくったままである。未だかつてこんな姫神の表情は見たことが無い。眉根を寄せ、真一文字に口を引き結ぶ姫神なんぞ、後にも先にもこの瞬間しか見られない貴重映像と言っても過言ではないと思う。

 

(俺に彼女が出来た事がそんなに意外だったのか? いや、どちらかと言うとこの姫神の表情は驚きではなく……迷い?)

 

「木原君」

 

「はい」

 

「その彼女と言うのは……女性?」

 

「………………」

 

 巫女様はどうやらご乱心の様子だった。誰だコイツを天使とか言った奴は。堕天してんじゃねーかオイ。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 そんなこんなで。巫女の脳内お花畑(腐海)を焼き尽くすのに精一杯で、本題の相談事は一切出来ないままに俺は姫神と別れた。布束を待たせているため、相談に時間を割く余裕はまったくなかったのだ。小萌先生をどうにか職員室に預けた後に、精神的に疲労困憊で昇降口に向かう気分はさながら、MP切れでボス部屋に向かう勇者の気分である。

 

(畜生、結局八方塞がりのまま布束のとこへ向かうのかよ。やっぱり誤解を解くのは後回しで、相談を先にした方がよかったのか? いやでもあの勘違いをされたままってのは流石に嫌だしな。そもそもあのふざけた考えに至った姫神に相談したところで、はいそうですかと従う気にもなれない……いや違う。こんな事を考えている場合じゃなかった。本格的にまずいぞコレは)

 

 暴落の一途を辿っている姫神株はさておいて。このままでは何の対策も練らずに布束の元へと合流するはめになる。後先考えずの出たとこ勝負で何とか出来るほど、俺の恋愛強度(アルカナレベル)は高くない。さりとて対策を立てようにも、傾向も対策も要因も原因も不明。肝心の有識者(アドバイザー)初春飾利(ハッピーヘッド)で頼れないとくれば。選択肢は殆どないのは明白である。

 

(……とりあえず平謝りだな。ひとまず評価をマイナスからゼロへ戻すところから始めよう。それこそさっきの姫神みたいに、悪気はなかったと素直に伝えればあるいは───

 

『それはお勧めできないな。まさか君は、せっかく出来た彼女に対してクラスメートと同じ対応をするのかい?』

 

 突然の事態に、俺は階段を下りる足を止めた。聞き覚えのある声。というより、理論上俺とまったく同じ声であるはずなのだが。録音、そして再生された自分の声がまったくの別人の声に聞こえるように、俺はそれを自分のモノとは思えなかった。

 

「……おい。もしかして俺はまた気絶したのか? 階段を下りている最中にコレは洒落にならねえぞ」

 

『まさか。どうにか僕の声を届ける方法はないものかと、あれこれ試してみた成果物だよ。こうなる事なら、感覚神経に流れる電気信号の解析はあらかじめ済ませておくべきだったと、散々に後悔しながらの地道な作業だったがね』

 

 木原統一。有能なのかポンコツなのかいまいちはっきりとしない、俺の中にいるもう一人の人格の言葉が頭の中に流れ込んでくる。

 

『……ポンコツとは随分とご挨拶じゃあないか。この閉塞した現状を打開してあげようと、苦労して出てきたあげたというのにさ』

 

「心を勝手に読むな……いや。何の用か知らねえけど、今の俺は過去最高に忙しいんだっつうの。お前の話はおいおい聞いてやるから、今は黙っててくれないか」

 

『ダメだね。事が事だ、砥信ねーちゃんの悲しむ顔を見るくらいなら、君の迷惑なんて安いものだ。ここは口を出させてもらうよ』

 

 どうやら俺に拒否権は無いらしい。まぁ口ぶりから察するに、内容は俺が思い悩んでる事柄に関連しているらしい事はわかる。それに、布束の悲しむ顔と言われれば聞かないわけにはいくまい。それにしても砥信ねーちゃんってお前呼び方……

 

「まぁいい。参考までに聞いてやるよ……手短にな」

 

『今君がしようとしている事。謝罪から関係を修復するのはやめた方がいい。関係が悪化……いやもっと悪いな。下手を打てば、不可逆的な変化が生じる可能性が高いと僕は見ている』

 

「手短にとは言ったが、理解不能なレベルにまで略せとは言ってねえよ。不可逆的な変化? それってつまり───

 

『修復不可能。取り返しのつかない事態。君と彼女の関係性の終わりだよ。彼女が求めているのは謝罪じゃないんだ。それを理解する事が、今の君にとっての最優先事項さ』

 

 淡々と告げられたその言葉の意味を、俺は理解できずにいた。あそこまで怒らせたというのに、求められているのは謝罪じゃないだと? 眉唾な話ではあるが、下手を打てば関係が終わるとまで断言されてしまっては無視はできない。たとえそれが、人の感情に関して鈍感な側面を持つ『木原統一』の言葉だとしてもだ。

 

『鈍感か。その評価に関して特段反論はないんだけどさ。第三者の目線でしか気づけない事柄はあるものだよ。鏡に映すことで初めて自分を認識できるように、今の君は君自身がどう思われてるかをわかっていない……丁度あの日の土御門のようにね』

 

 あの日の土御門、というのは先日の御使堕し(エンゼルフォール)での一件を指しているのだろうか。あの致命的(文字通りの)ミスを言われると立つ瀬がないのは事実だが、それとこれとでは話がまったく違うはずだ。如何に彼女から不興を買っているとはいえ、それが殺意にまで昇華しているとは流石に考えにくい。

 

『その通りまったく違う。僕が言いたいのは彼と舞夏との関係性の話だよ……まったく君は、どういう思考回路をしているんだい? その様子じゃ、僕を鈍感呼ばわりするほど、君は鋭敏な感覚を持っているとは言い難いように思うんだけどね』

 

 なんだかいい加減イライラしてきたな。ちっとも話が進みやしない。手短にと言った事をコイツは忘れてるんじゃなかろうか。これが布束に関する事じゃなけりゃ、とっくに会話を打ち切っているところだ……無論、頭に直接語り掛けてくる奴を締め出す方法があればの話だが。

 

「それで、結局何が言いたいんだお前は。謝罪がダメなら俺はどういうアプローチを取るべきだと? そこまで言うなら何か具体的な案があるんだろうな?」

 

『上書きだよ。ギクシャクしてしまった苦い思い出は、楽しかったと思えるような出来事で塗りつぶすのさ。君が思っているほどに、彼女は君に怒りは抱いていない。照れが残っているせいで、うまくコミュニケーションが取れない事に不安を抱いているってのが、僕の見解だね』

 

「……なんだか急に嘘っぽくなりやがったな。照れも何も今さらな気がするし、俺には的外れな意見にしか思えないんだが?」

 

『それは奥ゆかしい砥信ねーちゃんの魅力を君がわかっていない証拠だ。まぁ騙されたと思って、仲直りの印に()()()()()()()()()()()()()()()()()。アプローチやデートプランは君に任せるよ。もし二人きりが不安なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のもいいかもしれないね』

 

 そこまで言うと、それっきり『木原統一』の声は聞こえなくなった。どうやら言いたいことは全部言ったらしい。突然出てきて突然消える、何だか夕立のような奴だったな。

 

「……他に宛ても無い……か」

 

 その選択が、致命的な間違いであると。

 この時の俺が気づくことはなかった。

 

 

 

 


 

 

 

 結局のところ、俺が上条たちの待つ校門へと辿り着いたのはお昼前。時刻にして11時を過ぎた辺りであった。本日のHR終了時刻が9時半ごろと考えれば、かれこれ2時間近くの大遅刻(オーバータイム)である。少し離れた木陰で涼むインデックスと風斬を一瞥しつつ、俺は微妙な距離感で並ぶ上条と布束の元へと辿り着いた。

 

「いやーすまん、遅くなっちまった。色々とハプニング続きでさ……昼飯奢るから許してくれ」

 

「……っ」

 

「統一君、何故上条君はここまで感極まっているのかしら」

 

「あー、うん……真実(こたえ)はあっちの猫使いが握っている」

 

 感動のあまり一生の悔いなしポーズを決めた上条を、布束は不可解な目付きで見ていた。この感情の理由を説明するのは……まぁ難しくはないのだがそれをするのはあまりにも無粋な気がする。そう判断した俺は早々に見切りをつけ、話の核心へと理由をぶん投げたのだが。言われるがままに布束が目を向けるとそこには、アニマルセラピー真っ最中の風斬とインデックスの姿がいて───?

 

「Exactly,つまり上条君は、あの女性の象徴でバタつく子猫を見て喜んでいた、と」

 

「……まぁ、そういう事にしておこうか」

 

「って、おい!? さっきの保健室の一件で崖っぷちまで追い詰められた上条さんの評価を、ここに来てまだ叩き落そうとしやがりますか!?」

 

「既にストップ安よ。失うモノは何もないから安心しなさい」

 

「だそうだ。とりあえずインデックスたちを呼んできてくれよ。急がないと、そろそろ噛みつきミサイルが飛んでくる頃じゃないか?」

 

「……不幸だ」

 

 弁明の機会も与えられず、とぼとぼと上条は離れて行った。正直な所、保健室の一件だけで何故上条の株価がそこまで低迷しているのかという疑問はあるが今はそれどころではない。なにしろ残されるのは俺と布束のみなわけで……なんだろう、最も親しい間柄でなければおかしいはずなのに、この場に流れる空気はさながらRPGの最終決戦のような雰囲気を醸し出していた。

 

(アイツの言うには平謝りは最悪手……まぁ確かに、何について謝ればいいのかもわからないのに謝罪するのがナンセンスってのは一理ある。だけどこのまま、何もなかったかのように振舞うのも違う気がするし───

 

「ごめんなさい」

 

「……え?」

 

 小さくもはっきりとした声量で、布束はそう口にした。

 

「貴方を叩いてしまった事。謝れてなかったから……」

 

「そう……だったけ? 正直混乱してて、気がつかなかったというか気にしてなかったというか。自分が何をやらかしちまったかを考えるのに精一杯で───

 

「貴方は何も悪くないわ。アレは、完全に私の落ち度よ」

 

 俺の言葉を遮るように布束はそう宣言した。それ以上続く言葉はなく、じっとこちらを見つめるようにして押し黙る。

 

「……そうなの?」

 

「そうよ」

 

 返す刀で思わず『それで?』という言葉が出かかり、俺は寸でのところで飲み込んだ。彼女の様子は変わらない。『待て』をされた子犬のような表情で、ただひたすらにこちらを見つめたままだ。ここまで露骨に態度で示されては、流石の俺も黙らざるを得なかった。

 

(俺の言葉を待ってる……のはわかるけどそもそも一体何を? なんかわからんけどすげー試されてる感が伝わってくるんですが!?)

 

 謝罪されながら追い込まれるという貴重な体験に、どっと嫌な汗が噴き出してきた。本能がここが勝負の分かれ目、彼女との関係の分水嶺だと訴えてくる。選択肢は無限大、制限時間は向こうで上条に噛みついているインデックスが飽きるまで。いや、助けを求めに風斬がこちらに来るまでか? とにかくそれほど多くは残されていまい。

 

 もう何度目かの思考の大回転。アレイスターとの邂逅時、その個人記録を大幅に更新するほどに、俺の脳細胞はフルスロットルで活動していた。これまで得た知識と記憶と情報を掘り返しつくして再統合した結果として、『すいませんわかりません』と俺の頭脳が報告書を提出してくる。『やっぱりダメダメ』と脳内書記官たる姫神女史も首を横に振っていた。畜生なんだこいつら!? もう少し頑張ってくれ!

 

『もう既に、僕の見解は伝えたよ』

 

 どこからともなく聞こえてきた声に応える事もなく。俺は意を決して口を開いた。

 

「それじゃ、この件は一件落着だな! 仲直りの印に、これから一緒に地下街にでもいかないか? まぁ上条やインデックスもいるから二人でとはいかないけど……ほら、朝言ってた新しい携帯の件。せっかくだから布束も一緒に選んでほし……?」

 

 俺の言葉に、布束はポカンとした表情でこちらを見ていた。セーフなのかアウトなのか。いまいち判断に困るその反応に、俺は思わず押し黙ってしまった。

 

「あのー、布束さん?」

 

「まさか、ね。貴方からそんな言葉が出て来るなんて思いもしなかったわ」

 

「……?」

 

「及第点よ。試すような真似をしてごめんなさい。どうしても、私には必要な事だったから」

 

 そんな意味深な言葉を残して、布束はくるりと向きを変え上条たちの方へと行ってしまった。

 

「……及第点ってどういう意味だ?」

 

 誰に宛てたわけでもない独り言。だがしかし、提示された疑問に対して、答えを返す機能が木原統一には実装されている。

 

『もっとがんばりましょう、ってところかな。まさか本当に君が、僕から言われたことをそのまま口にするとはね。レポートの締め切りに追い込まれた大学生でももうちょっと上手くやると思うけど……とりあえず単位(合格)は貰えたようでなによりだ。つまりは、君にとってはそれが何より重要だったんだろう? ()()()()()

 

 皮肉の込められた祝福に思わず拳を握る。最良の結果ではなく試行錯誤の課程こそが大切であるという事実。今この瞬間さえやり過ごせればいいという浅はかな考え。それをもう一人の自分に諭されている現状に、吐き気を催すような屈辱を感じていたのだ。

 

「……言う通りにしたのに、不満そうだな」

 

『僕は土台さ。それ以上のモノを提示するのが君の存在価値だと……僕はそう考えている。君はどうだい?』

 

 想定を超えた追撃に、俺は何も言う事ができなかった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「……本当にいいんだな? 後で請求されても上条さんは一銭も返せないですの事よ?」

 

「意外に思うかもしれないが、そんな事はとっくにご存じだよ。すいませーん、メニューの上から順番に持ってきて下さーい」

 

 俺が絶望に打ちひしがれたところで世界は回る。沈み込む気持ちを無理矢理奮い立たせて、俺たち5人は第7学区の地下街へと来ていた。上条たちは遊び場を求め、俺が携帯を購入したいと言ったためにその両方が叶う場所に来た形である。無論、そのまま直接ゲーセンやら電話の契約会社やらへと飛び込もうものなら、今度こそ上条の頭蓋骨がかみ砕かれる事は必至。白い悪魔への供物を捧げるために、まずは儀式場(レストラン)へと足を運んだのだ。

 

(まさか、狙ったわけでもないのに原作通りの学食レストランになるとは思わなかったが……というか他の店がちょっとニッチ過ぎて、消去法でここが一番マシってどういう事だよ)

 

 第7学区。いやこれは学園都市全体に言える事なのだが、『実地試験』の名のもとにトンでも方向に振りきれた店が多すぎるのだ。近所の薬局と提携済みの激辛中華料理店や昆虫料理店といった冒険的過ぎる店(不思議なダンジョン)が辺りをひしめき、能力強度(レベル)を伸ばすバーガー、能力開花ラーメンなど胡散臭い売り文句を掲げる店は数知れず(ずるずると麺をすする吹寄の事は見なかった事にした)入店にドレスコードを要求される繚乱家政女学校監修のフレンチメイドレストランを通り過ぎたところで、風斬の一声もあってこの学食レストランへと決まったのである。

 

「嗚呼、天にまします我らの父よ。あなたのいつくしみに感謝して、この食事をいただきます……」

 

「Well……本当に今さらなのだけれど。やっぱりこの子ってどこかのシスターさんなのね。昼食の時だけお祈りするなんて、かなり珍しいとこの出なのかしら」

 

「昼食の時だけ? ああ、そういや布束はインデックスと土御門の部屋に泊まったんだったか。ま、そういう認識でいいと思うよ」

 

 珍しいどころかそこそこなメジャー宗派だったりするのだが、ここは敢えて何も言うまい。ちなみに俺は今まで何度もインデックスと食事をする機会はあったものの、食前のお祈りを聞くのはこれが初めてだったりもする……まぁ、感極まって自然にお祈りが出て来るなら、シスターとしてはアリなのだろうか。

 

「あの、このドリンクバーっていうのは……?」

 

「バーっていうのはね、お酒が出てくるところなんだよひょうか。私たちには関係ないかも」

 

「思いっきりドリンクの部分をスルーしやがったな。ったく、取ってきてやるからインデックスはここに……」

 

「いや待て、上条が飲み物を取りに行くのは危険だ。半径10m以内の女性が危ない」

 

「自然な感じで一体何を言い出しやがりますかコイツは!?」

 

「Indeed,なら私が取りに行きましょうか。せっかくご馳走になるのだし、それくらいはさせて頂くわ」

 

 そう言って布束が席を立ち、それにインデックスが興味津々で付いていく。インデックスが行くならと、風斬もこそっと二人を追う様にして去っていった。残されたのは二人。俺と、弁明のタイミングを逃してげんなりとしている上条である。

 

「なぁ木原……Indeedってどういう意味だ?」

 

「まぁ、色々意味はあるがこの場合”一理ある”みたいな感じじゃねえかな」

 

「つまり上条さんの評価ストップ安は絶賛継続中って事か……不幸だ」

 

 そう言って上条はテーブルへと突っ伏した。その様子を見るに若干の罪悪感が無い事もないが、まぁ『女性が危ない』発言は100%の本音なので撤回もし難いのが現状である。

 

「あー、アレだ。一応フォローの機会があったらやっとくからよ。そんな落ち込むなって」

 

「別にいいんですよ上条さんの評価なんて……むしろ気にするべきは……」

 

 突っ伏し体勢からいも虫のポーズへ上条は移行し、何とも言えない表情で俺を見やった。

 

「……なんだ?」

 

「いや、外野が気にすることでもないんだろうけどさ。あの人と……もしかして、また喧嘩でもしたのか?」

 

 意外な一言だった。疑問形ではあるもののどこか確信を持った言葉。問題に対する解答を求めているのではなく、次のステップに移行するための足場作り。迷いの色を孕みながらも、確実に一歩を進めようとする姿勢は上条らしいと言えばらしいのだが、まさかこの方向性に上条が食いついてくるとは思いもよらなかった。

 

「ふむ。ちなみに何故そう思った?」

 

「なんかこう、布束(あの人)の元気が無いように見え───

 

「上条が女性の気持ちを慮るだと!? 今日の天気予報は晴れのち魔術の嵐か!!? おのれアレイスター! 上条当麻に何をしやがった!!?」

 

「オイ!! どう考えても今の流れは真面目な感じだったでしょーが!! というか、上条さんを何だと思っていやがりますか!!?」

 

「…………通り魔?」

 

「ド直球で犯罪者じゃねえか!!? 上条さんの株ってもうそこまで落ちちゃってるの!?」

 

 落ちているも何も出会った時からこの評価なのだが。ちなみに落ちるというのも間違いだな。上とか下とか、もはやそういう次元に在らず。颯爽と走り抜けては旗を立てて去っていくその様は、もはや上条当麻という概念と言っても差し支えない。堕ちるのは女の子だったり男の子だったり神様だったりなのだ。

 

「とまぁ本音はさておきだ」

 

「いや、冗談はさておきみたいに言うんじゃねえよ」

 

「やかましい……あー、喧嘩はしてない。してないんだが……もしかしたらした方がいいのかもしれない。そんな事を考えちまうくらいには混乱してる」

 

「……なんですと?」

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「私ととうまがうらやましい?」

 

「ええ。上条君と一緒にいる貴女を見てるとね。そう思わずにはいられないわ」

 

 昼食の時間帯は過ぎているとはいえここは新学期初日の学園都市、久しぶりに再会を果たした旧友との懇談会……なんて洒落た言い方を出来るような代物でもなく。端的に言えば昼からだらだらとダベり倒す学生たちで店は溢れかえっていた。必然的にそこそこ長くなったドリンクバーへと続く行列にインデックス達3人は仲良く並んでいる最中(さなか)。ドリンクバーの仕組みを説明され感動に打ち震えながらもコップを二つ握りしめるインデックスへと、布束は思わず心情を吐露してしまっていた。

 

「まぁ、原因の半分以上は私にあるという自覚はあるのだけど。どうにも彼と……噛み合わない? とでもいうのかしらね。なかなかあなた達二人の様にはいかないのよ」

 

「……? 私が一方的に噛みついてるだけで、とうまは私に噛みついていないかも」

 

「あの、噛み合ってるっていうのはそういう意味じゃ……ないと思う」

 

 そんなツッコミに疑問符を浮かべるインデックスを見て、風斬は引き気味に笑みを浮かべた。これは絶対に通じてない。でもちゃんと伝える必要性もないと。彼女は何故か確信していた。

 

(よくわからないけど、インデックスちゃんとあの人の関係性って結構あやふやというか……あの人への噛みつきは、そのあやふやな部分が形になっちゃってる危ない部分な気がする……!)

 

 女子高校生型AIM拡散力場こと風斬氷華。人間と同じような精神形成過程を経ているかはほとほと怪しい彼女ではあるものの。この瞬間だけは人間の如き心の成長の第一歩を踏み出していた。

 

 そして。心の殻を突き破ったばかりの新参者(プロベイショナー)。そんな彼女に次なる試練が襲い掛かる。

 

「でも……インデックスを見習うなら……むしろ私が彼に噛みついた方がいいのかしら?」

 

「………………え?」

 

 知性の象徴たる白衣を纏う少女から、なにやらとんでもない言葉が飛び出してきた。電子辞書を開いたらただの電卓だった、などという騒ぎではない。某ステルス迷彩装備の戦闘民族宇宙人よろしく、開いた瞬間に時限爆弾のタイマーがスタートしたかのような戦慄が、色んな意味で純粋培養の少女へと襲い掛かってきた。

 

「うん。何を悩んでいるかはわからないけど、すっきりするからしのぶにもお勧めなんだよ」

 

「え、ええ!? いや、流石にそれはちょっと───

 

肉体再生(オートリバース)もある事だし、彼とのスキンシップにはそれくらいが丁度いい可能性も……」

 

「全然丁度良くないです! というか、再生しちゃうほど強くやるつもりなんですかっ!? 」

 

「彼とご両親の関係を考えれば、それくらいの勢いがむしろ当たり前かもしれないわね」

 

 どういうご両親だそれはと風斬は思わず心の中で叫んだ。手の付けようがなくなってきた暴走列車だが、ここで降りるわけにはいかない。年齢や容姿が幼く見えるインデックスだからこそ、あの嚙み付き(スキンシップ)は許されていると風斬は見ているのだ。決して、子供と大人の境界線をはみ出しつつあるアダルティーなジト目美少女が手を出していい領域では断じてない。その制御領域(クリアランス)の取得はまだ二人には早いと、彼女の本能(AIM)が告げていた。

 

「と、とにかく嚙み付きはダメです! まずはよく話し合って下さい!」

 

「そうね。最終手段に出るのはまだ早いかしら」

 

「さ、最終手段とかそういう話ではなく───

 

「あ、どりんくばーが空いたんだよ。しのぶー、ボタン押してー」

 

「……別にいいけれど、何故私に押させるのかしら?」

 

「私が押すと爆発するかもしれないんだよ」

 

 追及の機会を失い風斬はがっくりと肩を落とした。まるで核兵器発射スイッチでのお手玉を目撃したかのような緊張感。それも終戦ではなく停戦という結果なため、心から落ち着く事すら出来ない始末である。

 

(すごく理知的でいつでも冷静……って木原君から聞いてたんだけどなぁ。このままだとこの人はあ、あっちの方の木原君と……!!? だ、ダメっ!! やっぱりそれはすごくダメだと思う!! でもどうしたら彼女がそれをやめてくれるかわからないっ!!)

 

「さ、ひょうかの番だよ。爆発しないってわかったから、ひょうかの分は私が押してあげるんだよ!」

 

 むしろ爆発しそうなのは風斬自身なのだが、そんな事はインデックスが知る由も無く。頭を抱える風斬をよそに、インデックスは”いちごおでん COLD”と書かれたボタンへと得意げに指を伸ばすのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうにもギクシャクしてちっとも通じ合えた気がしない……ってのは言い過ぎかもしれんが。距離は近いのに互いの事はさっぱり見えてこない。見えてこないから、言うべき言葉が見つからない。そんなこんなで困り切った挙句に、他人から貰ったアドバイスをそのまま実行してそれを見透かされちまう始末だ。だからさ、議題も正否も善悪もなんでもいい。一回喧嘩でもしちまって感情をぶつけ合った方がいいんじゃねえかって。そう思ったんだよ」

 

 テーブルに突っ伏し怪訝そうな顔を向けてくる上条へと、俺はそう畳みかけるように言い切った。自然と早口になったのは後ろめたさが故か。それでも、言い訳のようにも聞こえるがコレが偽らざる本心だった。どうしようもない袋小路に追いつめられた自分を、地獄の底から救い上げてくれた恩人であるのは今も変わらない。その恩を返したいという思いがある。幸せでいて欲しいという願いもある。でもそれだけではない。そんな彼女と心を通わせたいという願望だってあるのだ。

 

「わかってる。雨降って地固まるを望むのなら、まず雨を降らさなきゃいけないのが問題な事も。でもそんな酷いマッチポンプを夢想するくらいには追い込まれちまってるんだよ……情けない事にな」

 

 ここまで言い切って俺は背もたれに寄り掛かり天井を仰ぎ見た。この話を聞いて、上条はどんな表情をしているのだろうか。怒りか、哀悼か、嘲笑か。憐憫って可能性もあるかもしれない。ともかく反応が怖くて上条の顔が見れない。とんでもなく重たい上に解決不能の相談事を何故(なにゆえ)この場で口走ってしまっているのかと。そんな後悔の念がむくむくと沸き立ってきた頃に、不意に上条から声がかかった。

 

「……なぁ木原。お前───焦り過ぎじゃないのか?」

 

「……ん?」

 

 身体を起こして上条を見やると、そこにあったのは俺が想像したどの表情でもなかった。困惑、そして呆れ。その二つが混ざり合った微妙な顔つきであったのだ。

 

「焦り……過ぎ?」

 

「ああ。詰まる所、仲良くなり方がわからない。でも仲良くしたいって、たったそれだけなんだろ? だったらそれで充分じゃねえか」

 

「……いやでも、現に俺らの仲はその……」

 

「今はあまりよくないかもしれない。それは俺の目にだってそう見えたさ。でも喧嘩をしてるわけではなくて、仲良くなりたいって気持ちも相手を思いやる心も互いにある……だったらここから先は良くなるだけだ。別に一気に仲を改善しなきゃいけないなんて決まりは無い。何日、何週間、何か月間。長い時間をかけていけばいつかきっと仲良くなれる。ちょっとずつでもいい、二人で歩み寄る事をやめなければ幸せな結末(ハッピーエンド)にたどり着ける……だから俺は安心したよ木原。お前もあの人も、同じ方向を見て悩んでるって事がわかったからさ」

 

 そう言って、上条は安心しきった表情でこちらを見ていた。納得出来たかと言われればそうではない。事態が好転したわけでも、問題が解決したわけでもない。それでも上条のその言葉は、胸の内にすとんと落ちてきた。足場が安定したかのような安心感。そして、叱責でもなく説得でもなく説教でもない。上条の口からこんな言葉が出て来るとは俺は思いもよらず。その衝撃にただただ俺は呆然と上条を見やる事しか出来なかった。

 

「おまたせなんだよ」

 

 不意にかけられたインデックスの言葉に、ハッと俺は気が付いた。いつの間にか飲み物を取りに行っていた彼女たちが戻って来ていたらしい。布束とインデックスが二つずつ、風斬が一つのグラスを持ってテーブルの横へと立っていた。

 

「はい、コレがとうまの分だね」

 

「お、インデックスが上条さんに飲み物を渡してくれるとは……いちごジュースか? ありがとなインデックス」

 

 幸せそうにグラスを受け取る上条を見て、何故か風斬がふっと目を逸らした。自分の持つ緑色の液体の入ったグラスをいそいそと隠しつつ、流し目で下を見ながらの苦笑いである。そのなんとも言えない表情が気になるところだが、深く追及している余裕などはあるはずもなく。俺はその理由へと向き直った。

 

───最も親しいはずなのに一番遠い人だと思っていた。心の距離感を埋めることに躍起になって、たくさんの空回りと気まずい時間を過ごす事になった。この残夏の温度差は、もう消える事は無いんじゃないかと。そう考えた時もあった。

 

「……統一君」

 

「お、おう。コレは……紅茶か?」

 

───だが違うのだ。他人同士では距離感なんてあっても当然。その遥かな道のりを、互いに一歩一歩埋めていくことこそに価値がある。俺自身が感じている温度差は他者と自分を区別するだけの境界線。その極限に立つ悪魔の存在は、他ならない俺たちが作り上げた幻想にすぎない。

 

「西瓜紅茶。ごめんなさい、これぐらいしか食事に合いそうなのが無かったのよ」

 

「謝ることなんてないさ……ありがとう」

 

 感謝の気持ちが少しでも伝わるようにと、俺はぎこちなく布束に微笑んだ。その場しのぎでも未来への打算でもない。普段は出さない想いを形にして、歩み寄るための小さな一歩を。祈りと共に踏み出した。

 

「……ええ、どういたしまして」

 

 顔を赤らめてそっぽを向きながら、布束はそっけなく言葉を返した。この反応を見るにまだまだ仲直りには程遠いかもしれない。それでも、もう俺の心には絶望は無かった。

 

(ちょっとずつでもいい、歩み寄る事をやめなければ幸せな結末(ハッピーエンド)にたどり着ける……か。上条が言うと説得力がスゲーや)

 

 存外、俺はあの不思議な右手を持つ少年の事を見くびっていたのかもしれない。そんな事を考えつつ、俺はグラスを傾けた。

 

 

 

 


 

 

 

 

『上条の手を借りて、ようやく得た結論が先延ばしか。随分とお粗末なモノだ』

 

 上条たちのいる学食レストラン、その一角にあるテーブルに腰を落ち付けながら少年はそう呟いた。呟く、ともいってもその声は学園都市にいるどの人間の耳にも届いてはいない。声が小さ過ぎるわけでもレストランの喧騒が声をかき消したわけでもなく。では高周波や低周波のような人間が知覚できないレベルでの物理現象だったのかと問われればそうでもなく。唯々彼の存在自体が、通常の人間のいる場所とは少しズレているというだけの事であった。

 

『そんな事はないと思います。とても頑張っていますよ、もう一人の貴方は』

 

 届けられた反論に少年は眉をひそめた。今この場で彼を知覚できる唯一の存在。名を風斬氷華と冠するAIM拡散力場の申し子は、グラスを傾けながら少年を見つめていた。普段の彼女からは想像もつかない強い口調で、はっきりと否定の意を示したのだ。当然ながらその声もまた、上条たちには届かない方法で、少年の元へと届けられた。

 

『はっ、随分と威勢のいい物言いじゃないか。さっきまでの上条たちへの態度は、猫を被ってましたって所かな?』

 

『別に、彼らと違って貴方とはもう幾度となく言葉を交わしていますからね。遠慮も配慮も要らないとわかっているだけです……それに貴方こそ、彼を(そそのか)した時はもう少し優しい口調だったと思いますよ』

 

『唆したとは言ってくれるじゃないかエセ天使。流石、能力開発の果てに生まれた意味不明な生物は言う事が違うな。まさか、ご自分を彼らと同列だとでも思っているのかい?』

 

 そう言うと、風斬は反論も出来ずに黙り込んだ。どことなく悲しそうな表情を浮かべる彼女を見て、少年はバツが悪そうに表情を歪める。

 

『あー……そうだな。彼らに見えて、彼らと会話して、食事も出来ると。そこまでいけばそこそこ同じと言ってもいいのかな、うん』

 

 彼はいつもそうだった。何故か風斬を毛嫌いし、風斬が傷つくほどに悪態を吐くけれども。どこか一定のレベルを超えると途端にしおらしくなって取り繕う。取り繕うのならば最初からそう言わなければいいのに、言わずにはいられない。まるで何か見えないルールが彼を突き動かしているかのような。そんな印象を風斬は持っていた。ちぐはぐだが、その言葉は間違いなく全てが本音。そんな彼だからこそ、風斬ははっきりと自分の意見をぶつけることが出来るのかもしれない。

 

『それに、別に僕はもう一人の僕を唆したわけじゃない。これは彼とこの1か月半共に過ごして得た結論なんだが、彼は叩けば叩くほど伸びる気質を持ち合わせているんだよ。身体的にも精神的にもね。だからアレは、僕なりの応援(エール)というわけさ』

 

『……随分と、歪んだ応援だと思いますけど』

 

『ほう、それは心外だな。僕としてはそこそこに正統派だと思っていたのだけどね。それに───本当の応援はここからだよ』

 

 誰にも見えず、誰にも聞こえない。そして誰も見てくれなかったと思い込んでいた怪物は、ただこう告げた。

 

『条件は整えた。枷も用意した……さぁ、君の真価を問わせて貰おうか』

 

 

 

 

 

 

 









 更新遅くて申し訳ありません。

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