『初めまして、木原君』
自分とあまり歳の変わらない女の子を、研究者だと紹介された時は驚いた。
『indeed、この情報処理速度は凄まじいわね』
口調も変だし、人の頭の中を見てうっとりしてる変人。服装も何故か変な日がたびたびある上に、理由を聞いて俺はもっと変だと思った。このテストは平常時の脳波パターンや記憶信号の様子を見るものじゃないのか? と。特異なケースを測定したところでなにがわかるのだろうか?
……でも、彼女は天才だった。他の人の何倍も先に進んでいる姿だけは、純粋に凄いと思った。
俺の目標はああいう人間だ。教科書通りの事を詰め込むだけじゃなくて、独創性に富んでいて、その頭脳から"科学"を生み出す人間。父さんみたいな、常識の枠を壊して進んでいく科学者。
あんな人たちに、いつか俺も───
布団を撥ね除けて飛び起きると自室だった。どうやら夢を見ていたらしい。
「……今のは…」
明らかに俺の記憶ではない。『木原統一』の記憶か? 深く考えようとしても、夢の記憶は段々と抜け落ちていく。既に断片的なことしか思い出せない。
あえて言わせて貰うなら、木原数多を目指してたのか
もちろん、今の夢が現実のものだった証拠はない。原作知識を持っている俺が、勝手に夢の中で今の情景を連想したのかも。むしろ、その可能性が高い気がしてきた。
所詮は夢と割り切ろうとしても、どうにもうまくいかない。もう一度寝直そうという気にはならなかった。
夢の中の彼女は幸せそうだった。昨日の彼女にはない、光の灯った目をしていた。
「……起きるか」
時刻は朝の5時を回ったところだ。今日は朝から上条家を訪ねる予定がある。のんびりと準備をしよう。
「いってらっしゃいなんだよー」
上条当麻は今日も補習である。それも今回は朝、平常どおりの学校と同じ時間割でみっちりやられるらしい。小萌先生曰く、「思ったより上条ちゃんが勉強熱心なので、今のうちに叩き込めるだけ叩き込んであげるのです! 鉄は熱いうちに叩け! なのですよー」とのことだ。
……遅れを取り戻そうとした結果、補習の量が増えてスーパーの特売にも行けなくなった上条当麻。でも不幸だなんて言えない。小萌先生は休日返上で夏休みの補習をやっていた。その補習に行かず、2重に補習を組んでくれた小萌先生の提案をどうやって蹴れるだろうか。上条当麻は笑っていた。声を震わせながらである。合掌。
そして、その長い補習の間にインデックスは暇になる。その間の子守を俺は任されたのだ。
『例のお菓子は出来れば一袋までにしておいてくれ……』
俺が思っているより、上条家の料理格差は深刻なのかもしれない。俺や姫神がいない時のあの二人はどういう状況になっているのだろうか。もしかして俺の食料購入ってマイナスになってるんじゃ……
「きはらがいればご飯の心配はないんだよ!」
最近はご飯係(電子レンジ)として認識されつつある。インデックスの頭の上にいるスフィンクスも「にゃー」と主に同調を示しているような節が……上条家大丈夫か?
「今日はあいさに渡す霊装が届いたんだよ」
なんとも装飾過多に見える箱を見ながらインデックスは言った。
「『歩く教会』の結界部分だけを抽出した品、だったか。……あれで
どんな理屈かは知らないがそうらしい。吸血殺しの能力はその存在自体が怪しい代物ではあるが、一応英国図書館に記載されている。魔術側にその存在が確認されている以上、対応する事も出来るというところだろうか。
「貴重な品なんだっけ?」
「そうなんだよ!だからとうまに右手で触れられちゃったら、替えが利かないかも」
要は超VIP用ということだ。そんな代物をよく渡してくれる気になったものだ。その辺はやはり紳士の国、英国ということなのか。それともその貴重な能力を発現させたまま学園都市に放置しておくリスクを考えたのか。
……断言してもいいが後者だな。学園都市に吸血鬼を捕獲されでもしたらヤバイという発想はわからなくもない。……まぁ不死身の存在はこの先別口で大量に沸いてくるので、学園都市としてはあまり必要としてないみたいだが。
「歩く教会、ねえ。インデックスが着ていた霊装ってさ、ホントはイギリスの要人とかが身につけるべき物じゃないのか?」
「そうだよ。私がそうかも」
いやそうじゃなくてだな……俺はこの先の未来の断片を知っているから言えるのだが、イギリス女王とか
「うーん、例えばイギリスの女王とかさ。これと同じか、それ以上の物を付けてたりするのか?」
「場合によっては、そうかもね。でもたぶん、外交上の問題とかでそれが許されない場合もあるんじゃないかな」
「外交上?」
「自分はこれだけ周囲を警戒しています、っていうアピールになっちゃうからね。自国にでも、他国でも、その他の人間を信頼していないっていうのは結構大きな問題になるんだよ」
「ああ、そういう事か。それなら理解できるな」
流石はインデックス。近代における魔術霊装の普及とその背景に関して的確な意見が聞けた。そう、やはり彼女はイギリス清教が誇る禁書目録なのだ。
「……解説してたらお腹が減ったかも」
「……俺のせいか?」
こうして、3時間ほどインデックスの昼食が前倒しになった。……これでも禁書目録。そう言い聞かせながら俺はインデックスの昼食を温めていた。
その後の展開といえば。
姫神がやってきて、インデックスが霊装に関する講釈を始め、それを聞いているのかいないのかよくわからない顔でうんうん頷く姫神だったり。
この時とうまはこうだったんだよ、というインデックスフィルターの掛かった当てにならない情報を、さらに情報が歪んでいくであろう姫神フィルターによって姫神秋沙に吸収されるのを、笑い出すのを必死で我慢したり。
インデックスが
逆に姫神が昼食でもない夕食でもない、インデックス食を作っているときには、インデックスから魔術講習を受けていたりした。ルーンのカードの改造案について色々意見を聞いたのだが、現実的な事を考えればステイルのカードデザインは理にかなっているし改良の余地は少ないのではないか、という意見だった。あくまで炎の術式を扱う、ルーンの魔術師の装備として、という前提での話だ。
だがこれはあくまで
そんなこんなで夕方である。もうすぐ上条も帰ってくるし、姫神ももう寮に帰らなければならない時間だ。姫神の住んでいる学生寮は第18学区。第7学区とは隣同士で移動には電車を使う。時間が遅くなってしまった場合、俺は姫神を駅まで送って行くのがお決まりのパターンというやつだ。
「別にいいのに」
「いいと言われてもだな、毎回インデックスにあそこまで催促されちゃ断れないし」
「む。そこは嘘でも。送らせてくれ。くらいの事は言うべき」
「えぇ……そんなもんか?」
「そう。木原君は人の心の機微には鋭いくせに。女性の扱いがダメダメ」
上条当麻の逆ということなのだろうか。いや、一概にそうとも言えないような。それにこれは姫神の意見、
「じゃ、上条はどうなんだよ」
「……上条君は。どっちもダメ」
……ハードル高過ぎませんか? 俺は知らないが、上条は女性関係の歩く高重力惑星みたいな部分を除けば、男子高校生なんてあんなもんじゃないかと思う。
「ただ……」
「ん?」
「上条君の。常にまっすぐであり続けようとする姿勢は素敵」
「顔を真っ赤にしてまで言わなくてよろしい」
何故こんなにも姫神が上条当麻に夢中なのか、疑問に思ってインデックスに尋ねた事がある。「姫神を連れてきた日、上条は彼女になんて言ったのか」と。完全記憶能力をもつ少女は答えた。「吸血鬼だとか吸血殺しなんて、そんな事はどうでもいい。俺はお前を助けるためにあの塾に乗り込んだんだ。……最後まで面倒を見させてくれ」と。
そんな背景を知ってる中でのこの発言は、もうこちらとしてはご馳走様と言う他ない。おそらくインデックスが知らない会話もたくさんあるのだろう。ちなみに「最後まで面倒を見させてくれ」とは吸血殺しの問題が解決するまでと言う意味だ。……だが姫神がそう受け取ったかどうかは別である。
「上条、か」
上条当麻。どこまでも真っ直ぐに人の心に向かっていくあの姿。一見簡単そうに見えて、実はとんでもなく難しい。昨日俺はそれを心から実感した。目の前にした相手の事や悩み事の背景も知っていて、その説得一つ満足に出来ないままに退散してしまった。まったく……情けない。
「上条君がどうかした?」
「いや、……俺も上条のああいう所はさ、尊敬してるんだよ。あんな風になるにはどうすりゃいいのかね、まったく」
「……上条君のように?」
姫神はまた怖そうな顔をしている。そんなにマズい事を俺は言ったのか?
「上条君を目指してはダメ」
「……何故?」
「木原君が死んでしまう」
冗談に聞こえるが言い方がそんなに軽いものではなかった。真面目な話らしい。
「上条君はとても強い」
「まぁそうだろうな」
正直アイツは人間辞めてるんじゃないかなと思う。一人の読者視点でだが。
「腕っ節の話じゃなくて心の話。私は上条君と出会って日が浅いけど。彼ほどに心の強い人は見たことがない」
それは吸血殺しとしての人生を歩んできた者の言葉なのか。上条を見続けてきた乙女の戯言なのかはわからない。だがその言葉が、俺には戯言には聞こえなかった。実際、上条当麻は精神的にも怪物だからだ。
「木原君には木原君のやり方があるはず。焦らないほうがいい」
まさか姫神にこんな事を言われるとは思わなかった。そこまで焦ってるように見えたのか俺は。
「もしかしてだけど、俺って今日おかしかったか?」
「どこか変だった。インデックスも気づいていた」
なんてこった。彼女たちが鋭いのか俺がわかりやすいのか。
『嘘が下手ね』
……不意にあの布束のセリフが思い起こされる。俺がわかりやすいのかもしれない。
姫神を送り届けた後、俺は帰宅した。
ルーンのデザインを考え直したり、インデックスと喋った今日の内容を纏めたりしているのだがどうにも落ち着かない。
『木原君には木原君のやり方があるはず。焦らないほうがいい』
姫神秋沙はこう言った。
『でも、昔のような会話ができて嬉しかったわ』
布束砥信は優しく微笑んでいた。あの時の彼女だけは、今朝方に見た夢の中の彼女と同じ表情をしていた。
時刻は20時50分。あと10分後に第九九八二実験が行われる。俺が正確な実験場所を知っている数少ない実験の一つであり、上条当麻が介入する予定の実験を除けば、
一方通行の戦闘データは、結局手に入らなかった。
ならば、直接の観察でデータを入手するべきではないか。
そう考えても、実際に足が動く事はなかった。以前にもこういう事があった気がするのだ。上条と神裂の戦闘を見に行った時がそうだろう。あの時は興味本位で出て行って、手痛いしっぺ返しを食らった。流石にその二の舞は避けたい。
と、考えつつも今回の場合。手痛いしっぺ返しなどもらう要素があるのだろうかという疑問もある。記憶が正しければあの後、
『貴方が計画に関わっているとは思えないし。これ以上首を突っ込むのは止めなさい。
……布束の言うとおりだ。あの計画はおそらく彼女が考える以上に闇が深い。
「出来るわけねーじゃねーか」
つまりはそういう事だった。
少年が足を動かすだけで足元の地面がえぐれ、砂利が少女の身体に叩きつけられる。ベクトル操作。学園都市の超能力者第1位との戦闘というのは、それ自体が無謀と言う他ない。ほんの些細な動作が攻撃へと転化され、こちらの攻撃は全てが無力化される。この光景を見た人はこう言うだろう。これは本当に戦闘なのだろうか、と。
少女はあちこちから血を流しながらもフラフラと、少年から逃げる事をやめない。彼女の今回の実験での目的、それを果たすまでは死ねない。
倒れこんだ少女に少年が追いつく。その瞬間、少年の足元が爆発した。少女はあらかじめ罠を仕掛けていた。少年の能力がバリアのような物だと判断した彼女は、足元からの一撃によりその突破を試みたのだ。
……だがしかし、その試みは失敗に終わる。
爆炎の中から少年は無傷で姿を現す。驚愕の色に染まる彼女を引きずり倒し、そして───左足を引きちぎった。少年の手に掛かれば人の足だろうがなんだろうが、理論上壊せない物質は存在しない。彼の能力にかかれば、豆腐よりも簡単に人体を引き裂ける。
痛みに耐えながら、少女は電撃を放った。彼女のレベルは2~3程度だが、常人であれば十分通用する。問題は目の前の人間は常人ではないことだ。
反撃も虚しく、反射された電撃を浴びた彼女の服からバッジが外れ転がっていく。今日出会ったばかりの
足を引きちぎられた痛みに耐えながら、もう既に死を悟っている彼女はそのバッジを拾おうと地面を舐めるようにして進む。
まるでそれが、世界で一番大切な物だと言うように。
まるでそれが、この世界と自分を繋ぐ唯一のモノであるかのように。
役割を終えたはずの少女は何故か、生きる事をやめなかった。
その姿に呆れてしまったのか、少年は彼女に背を向けた。当然、その少女を見逃したわけではない。このつまらない戦闘を終わらせようと思い立ったからだ。
バッジの元に辿り着き、満足そうな表情を浮かべる少女に影がさす。少年のベクトル操作によって宙に飛ばされた機関車の車両が、重力に従い落下する。
これでこの少女の物語は終わる。
その死を阻むものはもう存在しない。
元よりこのために製造された命。
その筈だった。
突如として、少女の前に紅蓮の炎が立ち塞がる。
その名は『
その昔、一人の男が一人の少女を助けるために習得した術式。
その意味は、『必ず殺す』。
「あァ? なンだてめェは?」
一瞬の出来事だった。少女、ミサカ9982号を押しつぶすはずの攻撃を受け止め、それをあらん限りの力で投げ返した炎の巨人はそのまま消えてしまったのだ。
少年、一方通行の興味は投げ返された車両になぞない。
彼が興味を寄せているのは一人の少年。
痛みで気絶している少女を心配しているらしい。なにか布のような物で彼女の足を縛り、出血を食い止めているようだ。
少年は
「色々考えたんだけどな……そんなに戦闘データが欲しいなら、直接戦えばいいじゃねえかって思ってよ」
自分に言い聞かせるように独り言を呟く。これはこのクローンのための戦いではないと、そしてあのゴスロリ少女(17歳)のためではないと、誰かに示すように。
……少年は
「ついでにお前をぶっ殺しちまえば、俺の目的も達成できる」
倒すのではなく殺す。出来もしない事を呟き、自分を奮い立たせる。なぜなら、これから挑む壁の高さをよく知っているから。
『……アンタにとって、妹達ってなんなんだ?』
『……well、改めて聞かれると答えに困るわね。例えるなら───』
別に、あの一言に心動かされたわけではない。この戦いは、そんな単純な動機で発生したものではない。断じて、あのコスプレ暴力女のためなどではない。
「おい、なンだてめェはって聞いてンだよクソが」
「自殺志願者だよ、コスプレ少女好きのな」
一方通行は怪訝そうな顔をしている。目の前の人間が何を言っているかが理解できない。アレはそういう顔だ。
ステイルの時は選択肢がなかった。
インデックスの時は歴史通りの光景だった。
アウレオルスの時は想定外の登場だった。
だが今回は違う。木原統一は自分の意思で歴史を曲げる。
この世界の住人として、この街の最強に挑む。
9982号「ミサカの足がこうなる前に来れなかったのですか?とミサカは質問します」
統一「お前ら実験開始座標から動き過ぎ!」