影絵   作:箱女

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君 (半年という締切) を守ってやれなかった……


二十六

―――

 

 

 高校麻雀における春季団体戦は基本的にその前の夏の実績、つまりはインターハイだ、によって出場校が選抜される。辞退や想定外のことがあった場合には繰り上がりで別の高校が出てくることもあるが、やはりそれは例外にあたる。

 夏の団体を連覇した白糸台高校が漏れるわけはなく、トーナメント表を見れば隅の第一シードが割り当てられていた。二年生にして個人戦を制してみせた宮永照がいるならばそれも当然だと見る向きが多かったが、関係者のあいだではそれだけに留まらないだろうという声も多く上がっていた。急激に伸びた新二年生の存在の噂もあれば新しく入ってくる怪物の噂もあった。しかしそれ以上に弘世菫の名前がそのコミュニティの中では強烈に響いていた。

 

 

―――

 

 

 三月も上旬とあればまだまだ寒い。

 外を歩く人々のほとんどはコートを羽織っている。吐息は白く、鼻の頭は赤い。春の選抜が行われるホールの外は思った以上に閑散としていた。気温が10℃前後のところをわざわざうろつく気にもならないのだろう。その証拠にホールの中は盛況だった。観戦を楽しむ客からすればそれは祭りに違いなかったし、寒い外より暖かい室内はそれだけで気分が上向くものだった。

 ざわめくホールの中の人のいない隅の、そのソファがある一角にひとりの少女がいる。似合わないお茶のペットボトルを手に、外から見る限りは気持ちを落ち着けようと歩き回っているらしい。黒く艶のある長い髪が歩調に合わせてしなやかに揺れる。鋭い眼光は床に向けられている。もはや美しいと呼べる領域に入った彼女の顔を見られないことと必要以上に力の入った視線に射抜かれずに済むことを天秤にかけたとき、どちらに軍配が上がるかは議論の起こるところに違いない。

 菫が団体レギュラーを除いた部の引率を遠山に任せてから三十分近くが経っていた。

 

「ひとりでいるところを見かけるとは思わなかったな」

 

 そう声をかけられて菫が振り返ると、どこかの制服を着た少女が立っていた。かたちのいい目とやわらかい質の髪が印象的だ。物覚えに関しては多少の自負のある菫ではあったが、しかし彼女の記憶がとんとない。もし一度見かけたことがあるとするならこの整った顔立ちを忘れるというのは難しそうだ。ならば初対面とするのが自然だが、どうやら相手の様子からみるに知己のようではあるらしい。さてヒントはあるだろうかと考えて、彼女の制服に見覚えがあるのに思い当たった。しかしそれまでだった。まさかよその学校の制服を見ただけでどこの生徒かを当てるような芸当ができるはずもない。これはもう仕方ないと諦めようかと思った瞬間だった。

 

「ほれ、やから言うたやろ。お前がそのナリで話しかけてもすーちゃん困るだけやー、て」

 

「……本当にメガネを外したくらいで私とわからなくなるものなのか」

 

「他にも変更点いろいろあるやろ」

 

 後ろからひょっこり出てきたのが姫松高校のエースを務める愛宕洋榎であるのを認め、菫は軽い混乱に襲われた。愛宕洋榎とセットで自分に話しかけてくる人物はたった一人しか思いつかず、その彼女の印象と目の前の少女の印象があまりにも違うものだったからだ。菫の知るその人物の印象は、もっと鋭く、立ち居振る舞いに強さを感じさせるものですらある。しかしいま目の前にいるのは、言われてみれば態度こそ似たようなものではあるものの、誰も文句の言えない普遍的なレベルの美少女だ。ひと目で同一人物だと見抜くのは不可能だろうと菫は叫びたくなった。

 一歩下がって全体像を眺めてみる。後ろに一本に下げていた髪は、やわらかい髪質であればこう広がっても不自然はない。メガネの奥にあったはずの鋭い目も思い出してみれば卓を囲んだその向こう側にしか見られなかったものだ。それでも菫にはまだ違和感が残り、つい口走ってしまった。

 

「……あ、いや、胸のサイズが」

 

「こいつ打つときサラシ巻いとんねん、ビッタァァァいうて。中学からやで?」

 

「うるさいな、余計な動きがないほうが集中できるだろう」

 

「っかああ、聞いた? なあすーちゃん、これ、この余裕。持てるモンの論理よ」

 

 そう言って洋榎は自分の胸を見下ろし、一撫でして菫のほうを向いた。

 

「…………うちだけやんか」

 

 勝手にどよどよした空気をまとい始めた洋榎は収拾がつかないと判断したのか、辻垣内智葉は二人に対応できるように向けていた身を菫のほうへと向け直した。考えてみれば全国でも間違いなくトップに数えられる二人がこんな会場の隅にやって来ていることが菫には不思議に思えた。気まぐれに足を運ぶような場所ではないことは菫自身がよくわかっている。

 

「で、弘世、部の連中は?」

 

「ああ、他の部員に任せたんだ。優秀な仲間がいて助かっているよ」

 

「ふむ、にしてもお前、いまさら緊張か? こんなところをうろうろと」

 

「いや違うよ、緊張はないんだ。全国なら夏にも出てたわけだし」

 

「それもそうか。それならなおさら理由がわからないが」

 

「なんだか視線を集めてるようで落ち着かないんだよ、ロビーなんかとくにひどかった」

 

 気持ちの置き場が見つからないといった表情の菫が状況の端的な説明をすると、目の前の少女の顔が怪訝な色に変わっていった。彼女には似合わないと言っていいもので、菫はそういった表情のレパートリーが智葉に存在するとは考えもしなかった。同時にそれほど困惑するような発言をしただろうかと振り返る。

 

「何を言っている? お前が視線を集めるのは当然だろう」

 

「それこそ何を言っている、だ。白糸台で注目されるのはあいつじゃないか」

 

 はあ、とわざとらしく智葉がため息をついた。意味するところはわざわざ言葉にするまでもないとでも言いたげだ。お前は何もわかっていないのか、と。

 その隣では復活を果たした洋榎がきょとんとしている。冗談だという訂正がすぐに入って笑い話になると思っていたものが、そのタイミングを失ってどう扱ってよいのかわからないといった表情そのものだ。

 

「……ああいや、お前が気付かないわけがないか。まったく、謙虚も行き過ぎれば下品だぞ」

 

「そういや雑誌のインタビューも期待しとったやろアレ。二か月くらい前に出たやつ」

 

「私が宮永照を倒します、とでも言えばよかったか?」

 

 それを聞いて洋榎はわかりやすく満足そうに何度もうなずいた。

 

「すーちゃんはもうこっち側の人間やからな、自分の中でもええからきちんと言葉にして覚悟しておかんとな」

 

「夏の大会にしろこのあいだの合同練習にしろ戦績は優秀なものだったしな、実際」

 

 菫に素直に湧いた感情は、うれしい、というものだった。何度も何度も中学のころからその対局映像を振り返り、目標とし憧れ続けた二人にこう言ってもらえたことはほとんど望外といっていいほどだった。もしかしたら照に認められたときよりも大きな感情だったかもしれない。そして、それとは違った理由で肌が粟立った。

 宮永照を理解した。あの秋の深まった廊下で告げられた内容が、季節をひとつ通り越したここで完全な意味をもって菫に下りてきた。彼女が言う “妹がいない” の意味を問うて返ってきた言葉を菫は一語たりとも忘れてはいない。もしそれが何の比喩でもなかったとしたら。

 

「あ、ま、待ってくれ、注目を集めるとは、そういう意味なのか?」

 

「みんなが注目するなら魔物どもも注目する。自然で難儀な話やな」

 

「連中もただ殺されるのを待っているわけにもいかないんだろうさ、わからなくはないが」

 

 妙に剣呑な表現を挟んだ智葉に目を向けると、彼女の疲れた視線は外されていた。決して冗談を言っているわけではないのだと菫は理解した。おそらくこの二人は既にその領域での戦いを経験している。つまり、殺す殺されるの領域の話だ。

 もし白糸台に入学していなかったら、宮永照と出会っていなければ、そんなことを聞かされたとしても菫は一笑に付しただろう。あるいは意識が正常かどうかを確かめたかもしれない。しかし今の彼女にはそれが冗談でないことがわかる。そうではないと理解はしていても、このおよそ二年間の生活がそれの現実に存在することへの説得力を強めるためだけの期間に過ぎないとさえ思えるほどの力を有していたからだ。

 

「だがな弘世、私たち人間のゲームに魔物が棲みつくのはルール違反なんだよ」

 

「ま、いうて打ってるのは人間なワケやから言い方に不満が残るかもしらんけど堪忍してな」

 

「殺す、っていうのは、つまり、そういう比喩なんだな?」

 

「ん、完ッ全に叩きのめすいうこっちゃ。したらそいつはもう出てこれん」

 

 照を理解したのと同時にぼんやりと見えた異質の存在たちの全体像が、彼女たちの言葉によって補強され、ピースが速度を増して組みあがっていく。個人としてのあの鉄面皮の奥に何が渦巻いていたのかを知る術はないが、いま自身がある意図のもとで見られている可能性を明確に認識した。吐き気が菫を襲う。おぞましい色をした感情が心臓から体中のあらゆる血管を通って全身を巡り神経のすべてを違う色へと変えていく。

 

「……確認させてくれ、私も狙われているんだな?」

 

「あいつらは自身に届き得る刃を食らって強くなる。そうとしか説明ができない」

 

「そんな深刻に考えんでもええとは思うけどな、強いのんと思いっ切り打つだけの話や」

 

 その領域で生き残ってきたのだろう二人の言葉は重く、そしてその流れが一般的には知る由もないかたちで連綿と受け継がれてきたことを想起させた。それはある意味では世界的な麻雀の流行と関連さえしているのかもしれない。近いところでも表舞台から突然姿を消した世界的に名を馳せた怪物の名も頭に浮かぶ。彼女がどちら側に属していたのかはわからないが、その流れの中にいたと考えるのが自然のように菫には思えた。

 

「ああ、夏が楽しみやな、天江みたいのがまた来るんやろ? わくわくが止まらんで」

 

「あんなのがホイホイ出てきてたまるか、面倒で仕方ない」

 

「か、面倒の一言で済ますんやからお前も大概やろ。それにすーちゃんのとこのあの金髪がおるやろ、辻垣内、お前あれと卓囲んだか?」

 

「思い出させるな」

 

 菫は頭痛をこれ以上進行させないために口を挟んだ。

 

「ところで愛宕、その “すーちゃん” というのは私のこと、……なんだよな?」

 

「なんや今さらかい。ええやろ、かわいいやろ」

 

 弘世菫という個は、おそらく夏に訪れるだろう決戦をここで覚悟した。

 

 

 

 

 

 


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