影絵   作:箱女

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二十一

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 「なんだ、今年はヘンテコな縁にでも恵まれてんのかね」

 

 へらへらと自身にだけ向けた薄っぺらな笑いをこぼしたあと、三尋木咏は視線を前に戻した。季節は真夏。容赦のない太陽の光が、どしゃ降りの雨なんかよりもはるかに絶え間なく叩きつける午後。空に雲は点在してはいるが、それは空の明るさを損なうことのない位置と大きさでアクセント程度に浮かんでいるといった具合だ。彼女はサイズの小さな、光を遮るためだろう和傘を肩にかけて差している。薄手の着物に和傘といった出で立ちは現代日本においてしっくりくるものとは言い難いはずなのだが、どうしてか彼女がその恰好をしているのは自然である印象が常に残った。あるいはイメージの力なのかもしれない。

 

 咏の視線の先にはひとりの少女が立っている。外見に強い特徴があるわけではないが、どこか印象に引っかかるところがある。それは目なのかもしれない。立ち姿なのかもしれない。あるいは総合的に見た時のわずかなアンバランスさがそうさせるのかもしれない。陽光に打たれていながら、その少女はほとんど汗をかいていないように見える。眩しそうな様子さえ見せない。あり得ない話ではあるが、少女は太陽光を無視することができるのかもしれない。

 

 「話があんだろ?」

 

 顔を合わせたきり一向に口を開かない少女に対して、咏は水を向けてやることにした。何も言わずにただ見つめてくるだけの少女の意図が、どうしてか咏にははっきりとわかる。むしろ彼女の中では、それ以外の回答が存在していたとしたらそれは驚きに類することですらあった。咏が無言で立っているだけのわけのわからない人物に対して応じたのには理由がある。たしかに今日はインターハイの解説が終わった直後のフリーの一日だが、それを休むための日と位置付けて無意味な時間を過ごすつもりはさらさらない。こんなにいい天気の日に退屈に過ごすなどというのは咏にとってみればそれこそ罪悪に等しいことで、つまるところ、逃げ切ることの難しそうな案件をさっさと片付けてしまいたいという考えがあった。

 

 少女はこくりと頷いて、下げた視線をもういちど咏へと戻した。その動作には躊躇のようなものはなく、咏に対しての強い意志かその正反対の無関心のどちらかが読み取れた。たとえばスイッチのオンとオフのように、そこに中間はなかった。人が何を考えているかなどいつだって知れたものではないが、なるほどこいつは特殊だ、と咏でさえ思わずにはいられなかった。

 

 二人が立っているのは駅前にある立体的な広場の一角であり、夏休みということもあって人の行き来は学生を中心に多いものとなっている。普段であれば咏がそんなところを歩いていれば、人が群がるとまではいかなくとも、すこし距離を置いたところから無遠慮な視線やひそひそ話が飛んでくる。しかし今日に限ってはそれがまったくない。上品な地域にいるわけでも行きつけの店にいるわけでもないというのに、そんな状況はかなり珍しいことだった。もしかしたら数字を見ただけで熱中症を起こしたくなるような気温のせいで歩いている人たちは顔さえ上げたくなくなっているのかもしれない。咏も日傘を差してはいるものの、だからといっていつまでもこの場に立ちっぱなしで快適に過ごせるとはちらとも考えていない。夏の駅前というのは人いきれと道路や線路を行き交う交通手段の影響でどうしたって暑さと息苦しさというものを意識せざるを得ないし、また実際に多少は気温が高いのが実情だった。

 

 「せめて日陰いこーぜ、こんなとこで急に話し出されても困るしね」

 

 そこにあったのは問いかけに対する返答以外にはほとんど意図を伝えるつもりのないアクションと片一方だけが音声を発するというきわめて不完全に見えるコミュニケーションだったが、当人たちのあいだではどうやら外から見た以上に成立しているようだった。少女がなにも言っていないのに話がある程度は長くなることが前提とされていたし、和気あいあいとした会話を楽しむようなつもりがないことは二人が顔を合わせた段階から決まっていたことのようだった。

 

 

 駅前をすこし離れて住宅街のほうへと入っていくと、そこには誰でも簡単にイメージできそうな小さな公園があった。ブランコがあって砂場があって、すべり台のあるどこにでもあるような公園。道路と公園の内部を隔てるように、低い柵とその手前に植込みや木や花が植わった土の領域がある。多くの小さな子たちがアリの巣を見つけるようなそんな場所だ。夏の真ん中にあって青々とした葉をたくさんつけた木の下にはベンチがあり、そしてそのベンチは真昼の太陽の光を遮られた陰にあった。二人はそこにちょうど一人分のスペースを空けて並んで座り、まるで申し合わせたように視線を前に飛ばしていた。公園には二人を除いて誰もいない。ちょうどお昼時ということもあってか、主な利用層である小さな子どもたちがいないことが大きいのだろう。ときおり低い柵を挟んだ道路を車が通るだけで静かなものだ。不思議なことにセミですらこの公園にはいないらしい。

 

 どちらも口を開かない。急ぐ必要ない真夏の真昼という特別なゆっくりとした時間だけがただ流れていく。太陽の光が強すぎるせいで、道路の向こうにある家屋の色味が強調されているような感覚が残る。いくつかの匂いが混じりあった土の匂いとしか表現できないものが空気を伝ってやってくる。変わらず生物の気配は感じられない。

 

 「あなたは私を知っている」

 

 不意に照が発した言葉は語法としてはむちゃくちゃなものだった。

 

 「ああ、知ってるよ。もしかしたらお前よりもね」

 

 いつの間にか咏は体を前に屈めて自分の膝に肘をついている。和傘は閉じられ立てかけられている。その一方で照は背筋をまっすぐに伸ばし、軽くあごを引き、両手は膝の上に置かれている。言ってしまえば雀卓についている時の姿勢とまるで変わりがなかった。

 

 二人の言葉には明らかに表に出てきていない部分でのやりとりがあった。会話としては支離滅裂であり、親睦を深める目的も疑問を追求する情熱もない。しかし彼女たちにとってはそれでよかった。それらのものは互いに必要とされていなかったのだから。

 

 「お前みたいなヤツはね、程度の差はあれどこにでもいるのさ。()()()()()()()()()()()()

 

 「問題かどうかはどうでもいい。菫に手を出さないでほしい」

 

 からかうような調子の咏に対して、内容を問わないことにすれば照の返答は毅然としたものだった。視線はずっと前へと維持されたままだ。まるで閉じられたような空間となっている公園の空気をただ二人の短い言葉だけが震わせる。その震えもほんのわずかな間だけであり、彼女たち以外には誰にも認識できない。公園には二人だけしかいないのに、どうしてか彼女たちの会話はかならずいくらかの間を挟んだ。あるいは言葉のやりとりのあいだに高速で頭を働かせているのかもしれない。それか言葉のあいだの時間が何かしらの意味を持っているかのどちらかだ。そう考えなければ論理的な説明はつきそうにない。

 

 「なあ宮永、お前さ、弘世ちゃんの意味わかってんの?」

 

 「菫は私に正しく立ち向かえる存在」

 

 「おいおいよせよ、あの子はお前に喰われるためにいるんじゃないんだぜ」

 

 「あなたのもとにいても同じこと」

 

 それまでの照の言葉と違ってそこにはわずかな怒気が混じっていた。語り口はいつも通りの平板なものではあったが、確実な違いがそこにはあった。日陰のせいとは言い切れない冷たい空気がかすかに滲む。咏は肘をついたままで、瞼をほんの少しだけ下げたまま遠くを見据えている。隣の怒気などどこ吹く風といったように平静を保っている。照は照できれいな姿勢を維持したままで厳しい視線を前に向けている。二人からはある種の対照性も感じ取れるが、反面どこか似通っている部分もあるように思われる。もし二人を真正面から映像として捉えたなら、二人のあいだに文字を挟んで何かのポスターに使えそうだ。そういう意味での訴えかけるものがある。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一陣の風が吹く。太陽に照らされて乾いた地面の砂が波打つことで風の軌跡がはっきりとわかる。音を立てるものが他にないからか、砂がさらさらと心地良い音を立てるのが聞こえた気がした。二人が公園に来てからまるで吹いていなかった風はそのぶんだけよく目立った。低い柵の向こうを車がゆっくり走る。排気音を抑えた車種のようで、空気は震えても音はあまり聞こえなかった。しかしそれでも人の姿は見当たらない。

 

 「どうして菫に関わるの?」

 

 「そりゃ未来ある若者が潰れていくのを黙って見てるわけにはいかねーからさね」

 

 「嘘」

 

 それを聞いて咏はからからと笑った。短い笑いだった。

 

 言うだけ言ったと判断したのか照は黙っていた。一人ぶんだけスペースを空けた隣には変わらず咏が座っているが、先ほどまでと明らかに変わって表情がほころんでいる。楽しさに類することを見出したのだろうことには疑いがないが、その正確なところを導くのは不可能だった。彼女は彼女にしかわからない理由で笑い、そして気分を良くした。きっと説明を求めたところで、そしてそれに彼女が答えてくれたとして、それを理解することは誰にもできないのに違いない。その意味でコミュニケーションの不全はどこにでも顔を出す。

 

 物思いに耽っているとも取れる機嫌の良さそうな表情でそれなりの時間を過ごすと、咏は出し抜けに立ち上がった。足を踏み出した先は眩しい日なたで、差した和傘が振り向いた彼女の顔に陰を作った。南中を過ぎてわずかに光の角度を変えた太陽が差し込んで、咏の着物の裾だけを奇妙に明るく映えさせる。その姿は公園や住宅街を驚くほどに背景へと変えて、三尋木咏という存在をくっきりと描き出していた。

 

 「なあ宮永、アタシはな、お前が過去未来とどれだけ喰う喰ったなんて興味はないんだ」

 

 でもな、と咏はゆっくり言葉をつなぐ。

 

 「お前さ、そっち側から、日陰から出てくるなよ? こいつは忠告で、警告だ」

 

 和傘の陰の奥に童女のような笑みが浮かぶ。重たい言葉とは似ても似つかない表情だが、そこには有無を言わせぬ何かがある。夏の青空が目に痛い。現代日本にそぐわない和装に違和感を見出すことは未だにできない。子どものいないブランコも、子どものいない砂場も、子どものいないすべり台も光に焼き付けられて本来の意味を失ってしまったように見える。

 

 「もう一度言ってやる。アタシはお前を知っている」

 

 「…………」

 

 「そして弘世ちゃんは日陰にいちゃいけないのさ、だからアタシが引きずり出す」

 

 それじゃあね、と身を翻して咏は公園から出て行った。それから十秒も経たない辺りで、昼食を終えたのだろう子どもたちが照の残った公園へと駆け込んできた。わあきゃあと楽しそうに、また独自のルールで遊び始めた子どもたちの顔は一様に剥き出しの感情を湛えていた。五分前の公園の風景と比べて、同じ場所だとはとても信じられないほどだ。木陰のベンチに座っていた照は立つつもりがないのか、きれいな姿勢のままでいた。

 

 

―――――

 

 

 

 その日、照はふと気になった雀荘で、淡と出会うことになる。

 

 

 

 

 

 

 


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