「なにあれ!!」
酒場から数メートル離れた時点で、キサラは怒りを爆発させた。
「ひとの事を『貸し出し』だの、『売約済み』だの……物みたいに扱って!」
先ほどまでシラヌイのなめるような視線を浴び、萎縮していた彼女と同一人物とは思えない。僕は思わず吹き出してしまった。
「あはは……。あれは彼なりのアプローチなんですよ、きっと」
「アプローチって……。話がしたいなら素直に言えばいいじゃないですか。手伝いをエサにして他人を自由にどうこうしようなんて、最低です」
「まあ、男性ネットゲーマーにはああいう女性慣れしていない人も多いですから。彼もキサラのような可愛い女の子を前に緊張したんですよ」
「か、かわっ……。女の子って……」
「彼は見たところ20歳前後のようですし。ある意味純真な……キサラ?」
今まで横を歩いていたキサラが、いつの間にか立ち止まっていた。顔は俯き、肩をわななかせている。
また知らぬ間に何か地雷を踏んでしまったのだろうか。そう考えていると不意にキサラは顔を上げ僕のとなりに並んだ。心なしか頬が赤い。
「何でもありません。……ところで先生、さっきから『キサラ』って……」
「ん……ああ、そう言えば。さっきの流れから、つい。すみませんキサラさん」
「い、いえ……。別に私は呼び捨てでも」
「そうですか?」
「はい。先生になら呼び捨てにされても、不快ではありませんから」
実を言うと、僕もキサラを呼ぶ時はさん付けしないほうがやりやすく感じていた。この際なので、お言葉に甘えることにしよう。
「じゃあ、キサラ。さっそくクエストを受けに行きましょう。彼らの話では難しそうだが、正攻法でもいいので試すことにします」
「……はい、先生!」
満面の笑みを浮かべるキサラ。
彼女は聞き逃してくれたのかも知れないが、今回のクエストはキサラが苦手だといった『蛇』が相手だ。正攻法ならば僕達でもクリア出来るだろうが、実際に蛇を目の前にした彼女がどのように動けるかは未知数である。
「……それと、先生。あの、さっきのこ、恋人っていうのは……」
「ああ、助かりましたよ。うまく話を合わせてくれて。あの手の輩はああいった展開に弱いんです」
「……ですよねー」
「キサラ?どうかしましたか?」
「いーえ。別に」
先ほどから一変、なぜか表情を消したキサラを連れて僕はクエスト発注者である農家へ向かうことにした。
それにしても、キサラは表情がコロコロと変わる。SAOの感情表現エンジンのオーバーさによるのだろうが……。百面相とはこういう子のことを言うのではないだろうか。
「……先生。本当にこんなもの買うんですか?」
僕達は今、村の雑貨屋に来ていた。
農夫からクエストを受注し、正攻法通り大蛇をおびき出すカエルのアイテムを手に入れるためだ。
やはり村の名産品ということで、雑貨屋には多種多様なカエル製品が並べられていた。カエルの干物に黒焼き、生の大きな食用カエルの足。生きたカエルの飼育セットまである。
キサラはクエスト受注時には顔をしかめはしたものの、大人しく従ってくれていた。
しかしカエル製品を扱うこの店に入る段階になって尻込みし始めたのだ。最初は店内に入ることも嫌がっていた。
僕が手に取っているウシガエルの剥製に、彼女は大きな嫌悪感を抱いているようだ。
「クエスト攻略のためには必要ですからね。……しかし迷うな。どれにしようか」
情報によれば、ここのカエル製品はどれでも大蛇をおびき寄せる効果を持つらしい。価格にバラつきがあるのは大蛇に効果を認識させる範囲と、持続時間の差によるもののようだ。
「……私、他のコーナー見てきます」
キサラはカエルに囲まれている状況に耐えられなくなったのか、店の奥にあるペナントや置物といったお土産品が陳列されている方へ去って行った。
「うーん、安く済ませられるならそれに越したことはないんだけど。そのぶん難易度が上がりそうだな……。ん?これは……」
僕はカエルコーナーの隅に置かれていた、ジャムが入っていそうな小瓶に目を付けた。ビンは不透明で、中身は見えない。
商品名は『ガマの油』。価格は……2000コル!?これは驚いた。他のカエル製品の平均額の100倍近くある。
「おやじさん、これはどういう効果があるんですか?」
僕は番台に座るNPC店主に声をかけた。SAOでは商店に並べられた品物や意味のあるオブジェクトを指し示しNPCへ質問すると、ヘルプメッセージを提供してくれるのだ。
「そいつは特別でね、月に1度しか入荷しないんだ。飲めば敏捷値が上がり、体に塗れば筋力値が上がるよ。効果は永続さ」
なるほど、いわゆるドーピングアイテムということか。SAOではこの手のアイテムは珍しく、入手が困難であると聞いている。それを考えればこの値段も納得がいくが……。
僕はキサラに飲ませる所を想像してみた。カエルの汗、と聞いたら卒倒してしまうかもしれない。
「先生!ちょっと来てください」
ちょうどその折、キサラから声がかかった。彼女はまだお土産品コーナーにいるらしい。
「どうしました?」
「これ、見てください」
キサラが示した先の壁には、畳1畳ぶんはありそうな大きなタペストリーが掛けられていた。
一面の青空が描かれ、中心に円盤状に切り取られた大地が浮かんでいる。大地には山や川、集落らしきものもあり、人間もいる。
「これって……」
「アインクラッド、みたいじゃないですか?」
確かに円盤状の大地は、同じものを縦に積み重ねればこの浮遊城のようになるだろう。
値札はついていないので、非売品のようだ。これだけ目立つもので、非売品……。これはもしかして。
「おやじさん、これはなんですか?」
僕は店主を呼び、タペストリーを指し示した。果たして店主は、意味あるオブジェクトに対するヘルプメッセージを発し始めた。
「これはこの世界の創世を表したものだと言われてる。はるか昔、神が大地を切り取り空に浮かべた。……しかしその大地はすぐに崩れてしまった。重みに耐えかね、ボロボロと落ちていったという。……そこで神は、大地を補強することにした。見てみなさい、ここを」
店主が指し示したのは、円盤の端の部分だ。そこにはよく見ると1匹の大きな蛇。
蛇は自分の尾をくわえ、円環状になっている。円盤状の大地を、蛇が1周しているのだ。
「この蛇は、『永遠』の象徴だ。大地のふちを永遠の蛇に締め付けさせることによって、神は大地の崩落を防ぐことに成功したという。……それが今わしらの住む世界だ」
「……永遠の、蛇」
キサラが呆然と呟いた。
SAOでは浮遊城の成り立ちについてはっきりとは記されていない。各層にいるNPCやダンジョンの碑などに、それらを匂わせるフレーバーテキストがちりばめられているだけだ。おそらくこのタペストリーもその1つなのだろう。
そしてリアルの創世記が各宗教や神話によって違うように、SAOでも創世記は各層によりバラつきがある。
「……最近、村の畑を荒らす大蛇はこいつの末裔という意見もある。神の御使いがモンスターになるとは……皮肉なものだよ」
そう言って店主は説明を終え……。
次の瞬間、僕の脳裏に1つの閃きが生まれた。
大蛇の好物。
場に不釣り合いなほど高価なガマの油。
創世記の、自らの尾を飲み込む蛇。
「……キサラ。もしかしたら僕達は、大蛇を『討伐』できるかもしれません」
「先生?」
怪訝な顔をする彼女に、僕は笑顔で頷いた。
「本当に可能なんでしょうか……」
時は夕刻。僕達は大蛇の出現ポイントである畑近くに潜んでいた。
あれから買い物を済ませ、装備の手入れし、作戦会議をおこなった。
最初は僕の作戦に否定的だったキサラも、使用するアイテムがカエル要素を感じさせないガマの油になると聞くと、半信半疑になるまでは信じてくれた。
例え正攻法であれ、僕達が今から試す搦め手であれ、カエルアイテムを手にする役を務めるのはキサラなのだ。それならば黒焼きよりも油の方がまだマシなのだろう。
「<聖竜連合>の言っていたことを信じれば、大蛇は<不死属性>や<破壊不能オブジェクト>ではありません。SAOのデザイナーが本当に正攻法しか想定していなければ、それらの設定を大蛇に与えているはずです。おそらくは、僕らの方法が隠された討伐手段なのではないでしょうか」
作戦はこうだ。まずキサラは隠れておき、大蛇が出現したら僕が攻撃する。当然大蛇にダメージは通らないが、これはヘイト値を稼ぐためのおとり役だ。大蛇は見た目ほど攻撃力が高くないという話なので、普段から盾を使う僕ならばしばらくは耐えられるだろう。タンクの面目躍如というものだ。
ある程度ヘイト値が溜まったら、隠れていたキサラの出番。ガマの油を実体化させ、大蛇の尻尾に塗りつける。この時心配なのは、ガマの油に反応して大蛇がキサラを狙うことだ。慎重かつ素早く実行しなければならない。
キサラが油を塗り終えたら、一撃をくわえて離脱。大蛇がそちらに反応し、自身の尻尾に大好物のガマの油が塗られているのを発見する。
後は僕の想像通りに大蛇が自身を尻尾から飲み込んでくれることを祈るだけだ。<戦闘時回復>と大蛇の攻撃力と、どちらが勝るのかは分からない。それこそ僕のスキル<矛盾>の故事のようなものだ。
うまくいけば大蛇は自滅し、僕達は莫大な経験値を得ることができる、はずだ。
SAOはお約束を外さない、と言われている。本来倒せないボスが、特定の手順を踏むことにより撃破できるというのは古来からのRPGにおけるお約束と言える。
「まあ、何事も経験です。これが通用しなかったら正攻法に切り替えますから、そのつもりでいてください。……さて、そろそろですよ」
僕の言葉を待っていたわけではないだろうが、視線の先でモンスターのポップ現象が始まった。
光が集まりポリゴンが展開され、テクスチャが貼り付けられ……。
「うわっ……」
キサラが思わず、といったふうに声を上げる。目の前に現れたのは、眼球がバレーボールほどもありそうな、全長20メートル以上の黒い大蛇だった。
視線を向けた先に出現したウィンドウには、<the swallower>の文字。飲み込む者、といった意味だろうか。
「せ、先生……。今回ばかりは私、足がすくみそうなんですけど……」
「大丈夫です。ヤツの注意は僕が引きつけます。もし、ヤツがキサラを狙っても……僕が守ります。僕を信じて下さい」
「先生……は、はい!」
「では、始めますよ」
気丈にも頷いてくれたキサラを残し、僕は大蛇の正面に躍り出た。大蛇はとぐろを巻き、真っ赤な目でこちらに見据えてくる。
昔の映画で巨大なアナコンダを相手に戦うアクションものがあったが、この大蛇はその映画の蛇より遥かに大きい。
画面ごしのゲームとは違う、本能的な恐怖を呼び覚ます威圧感。……これがVRMMOの、SAOの戦闘。
挨拶がわりとばかりに、<レイジスパイク>を発動。僕の剣が大蛇の鱗を切り裂きダメージエフェクトを散らすが、敵のHPバーは数ドットしか減らず、それも即座に回復してしまう。
「<戦闘時回復>……!」
初めて目にするが、驚きの効果だ。もしもこんなスキルを使うプレイヤーがいたとしたら、そいつとは絶対に戦いたくはない。
大蛇は赤い目を怒りで燃え上がらせ、鎌首をもたげる。ビルの3階位の高さから一気に頭を振り下ろし、体当たりをしかけてきた。
「おっと……!」
サイドステップでギリギリの位置を回避。盾による防御はなるべく温存しておきたい。
地面に頭をうずめた隙を狙い<スラント>を発動。斜めに描かれた軌跡は火花を飛ばす。
大蛇が頭を地面から抜き出し、現れた眼球を狙い<矛盾>による盾の殴打を敢行。弱点部位だったらしく、思いのほかバーが減る。これでヘイト値は十分だろう。
「キサラ、今だ!」
茂みに身を隠すキサラに指示をとばす。彼女は即座に反応し、大蛇の横をすり抜けた。少しでも移動速度を上げるため、背中の槍はストレージに格納してある。
「こっちだ、ヘビ野郎!」
大蛇は横なぎに頭を振り回す。攻撃範囲が広く、ステップではかわせそうにない。姿勢を地面スレスレまで低くし、盾を構える。上方に受け流そうとしたのだがーー。
「なっ!?」
重い衝撃とともに吹き飛ばされた。受け身を取るが、視界のHPバーは3割ほど持っていかれた。
盾で防いでもこれとは……。大蛇の攻撃力は低い、というのはガセかもしれない。
ポーションを口に含み、大蛇の動きに意識を集中する。気を抜けば押し切られてしまいそうだ。
尻尾側では、キサラがガマの油を実体化させていた。ビンを開け、中身を取り出しーー。
「ひゃっ!!」
キサラが悲鳴を上げ、ビンを取り落とした。なにがあった?
まずいことに、大蛇はその声と好物の匂いに反応してしまった。首をひねり、後部へ視線をめぐらせる。
「キサラ!」
僕は再度<レイジスパイク>を発動させ距離を詰めると、大蛇のわき腹に剣先を突き刺した。わずかな硬直が解けると剣を引き抜き、即座にキサラの元へ走る。
「せ、先生……ごめんなさい!」
顔面蒼白の彼女の足元を見ると、ビンの中身らしきものがこぼれていた。
「うわ……これは」
ぶちまけられたソレは、まさしくカエルのジャムだった。ぐちゃぐちゃにかき混ぜられながらも、原型を留めた目玉や内臓が認識できる。
「黒焼きのほうがマシだったかな」
カエルが苦手云々の前に、一番グロテスクなアイテムを使わせてしまったらしい。どこがガマの油なのか。体に塗るのはともかく、これを飲むというのは相当の難易度だろう。
大蛇がキサラ目掛けて頭を振り下ろす。僕はその前に立ち盾で防御姿勢を取った。再度の重い衝撃。
HPバーが危険域を示すイエローに突入する。
「せ、先生!」
「キサラ、僕は大丈夫だ。ここは凌ぐから、君はなんとしても尻尾にソレを塗ってくれ」
「は、はいっ」
僕の檄にキサラは表情を引き締めると、ビンを拾い上げて尻尾に向かった。
リキャストタイムが残っているので、ポーションは使用できない。僕はポーチからピンク色の回復結晶を取り出し使用した。しがない中層プレイヤーにはたいへん高価なアイテムだが、背に腹は代えられない。
瞬時にHPバーが満タンになり、戦いは仕切り直しになる。
「あの子には、手出しさせない」
僕は剣と盾を構え、大蛇とにらみ合った。
「先生!終わりました!」
大蛇との数合の応酬の結果、再びイエローゾーンまでHPを減らしていた僕の耳に、待ちかねた報告が入ってきた。
「了解!」
地面に盾を突き刺し、体当たりの衝撃を受け止める。ついに耐久値を全損させた盾は砕け散り、ポリゴン片と散った。
視線の先ではキサラが足で上空を蹴り上げる<体術>スキルを発動させていた。ねらい違わず尻尾の先端にクリーンヒット。
ダメージを感じた大蛇は振り向き、尻尾の先を見つめる。そこに塗られているのはーー。
「キサラ、離脱!」
「はいっ!」
一挙に距離を取る僕とキサラ。大蛇は追いかけて来ず、僕たちは合流に成功した。
「どうでしょうか?」
「……見てごらん」
キサラを促した僕の視線の先には、巨大な輪になった大蛇の姿があった。口腔から火を噴くようなダメージエフェクトを散らしている。
それでも大蛇は自らの尻尾を飲み込み、喰らっていく。HPバーは回復とダメージの一進一退を続けるものの、次第に量を減らしていった。
「……すごい」
「うまくいったようだね」
グリーンからイエローへ、そして瀕死を表すレッドへと。大蛇の全長が最初のおよそ半分になったころ、バーは尽きた。
「『永遠』の蛇が……」
キサラの呟き。
一瞬の硬直ののち、大蛇は膨大なポリゴン片を撒き散らしながら爆散した。