2024年5月 第47層 主街区 転移門前広場
「わぁ……」
僕より一瞬遅れて現れたキサラが、ため息ともつかない歓声を上げた。
47層主街区<フローリア>の転移門前広場は、一面花景色が広がっている。
転移門を中心に十字に道が敷かれ、その周りにはレンガで組まれた花壇が配置されているのだ。
時刻はちょうど午前10時。
周囲には花壇に腰掛け話をしているプレイヤーが何組かいた。男女ペアの組み合わせが多いが、女3人や男2人といったものもいる。
当たりに視線をめぐらしつつ僕の隣に来たキサラの格好は防具こそ以前見た黒鉄色の軽鎧だが、下に着込んでいるのは空色のチュニックにデニム地のようなハーフパンツだ。
「ここが<フラワーガーデン>なんですね……」
「キサラさんは、来るのは初めて?」
「はい。ここのことはぐ……ギルドの友人から聞いていたんですけど」
47層はこの主街区だけでなく、フロア全体が花に覆われている。
このため女性プレイヤーに人気が高く、特にデートスポットとしても利用されている。
いわゆる観光地的な層なため、カップルに限らずグループで来る女性プレイヤーもいるようだ。
また、彼女らを狙うナンパ目的の男性プレイヤーも多く訪れると聞く。
「じゃあ、行きましょうか」
「はい、先生。……でも、本当に大丈夫でしょうか?この層と私のレベル、ほとんど同じなんですけど」
街の西側を目指して歩き出す。キサラは少し不安げな表情だ。
SAOでは層の数字イコールプレイヤーの適正レベルという分かりやすい設定なのだが、ほとんどのプレイヤーは安全マージンとしてそれよりプラス10のレベルを標準としている。
なにせゲームオーバーになれば本当に死んでしまうのだから、そこは石橋を叩いて渡るような慎重さが求められるのだ。
「ここに出現する敵は植物型モンスターがほとんどなのですが、見た目ほど強くないんです。今回受注するクエストも大型モンスターが相手ですが、攻撃力はだいぶ低いという話なので普通に気をつければ問題ありません」
「先生がそう仰るのなら……」
商店街を抜け、出口の門へ。転移結晶をはじめ必要な回復アイテムは万全だ。
ここから目的地まで、およそ1時間ほどだろうか。
「戦闘では、僕が壁役を務めます。キサラさんはスイッチで敵のHPを削ってください」
「了解しました!」
踵をそろえ、右手をこめかみ辺りに持って行こうとして……キサラは苦笑しつつ手を下ろした。
おそらく軍の敬礼する癖が出てしまったのだろう。
今日の彼女は軍人ではなく、1人の中層プレイヤーとして振る舞うつもりなのだ。
「今だ、スイッチ!」
「はいっ!」
歩く花の形をしたモンスターを左手の盾で殴りつけ、直後にバックステップする。
入れ替わりで前に飛び出たキサラが手にした槍を脇に構え、ソードスキルを発動。
緑色の光に包まれた槍の穂先を花型モンスターの足ーー緑色の茎めがけて横薙ぎにする。
ダメージエフェクトを散らし振りぬいた槍を返す手でもう一閃。下段2連撃槍スキル<グラスフェル>。
名前の通り草や木といった植物型モンスターに威力上昇の補正がかかる、この層にうってつけの技だ。
また、たまにではあるが足元を狙うことからか、相手を転倒させるスタン効果を発動するらしい。高レベルではないが使い勝手の良いスキルである。
「先生、お願いします!」
「おうっ!」
技使用後の硬直を受けるキサラの後を引き取り、僕もスキルを発動させる。
ダッシュにより加速された視界のなか、右手の剣をひねりながら突き上げる。片手剣基本突進技<レイジスパイク>。
地面に転がっていた花の根元、白い部分に切っ先が突き刺さり大きな火花を散らす。
残り僅かだった敵のHPバーは底をつき、花は一瞬の硬直の後にポリゴン片となって爆発した。
「おつかれ!」
振り向いてキサラとハイタッチ。
視界に紫のフォントで獲得経験値が表示された。
「だいぶスイッチの感覚は掴めてきたかな。さすがキサラさん、飲み込みが早い」
「い、いえ。なんというか、この組み合わせに慣れているんです」
「組み合わせ?」
「先生が使う盾と片手直剣、うちの隊長と同じなんです」
「ああ、なるほど」
剣と盾、この組み合わせを装備するプレイヤーは多い。攻守のバランスもさることながら、なにより『王道的』なので人気があるのだ。
「ところで、先生。さっき先生がモンスターを盾で叩いた時、ちょっと敵のHPバーが減ったように見えたんですけど」
「ああ、あれですか」
SAOでは盾は基本的に防御のみに使用されるように出来ており、普通に盾で殴ってもダメージ判定はない。
僕が先ほどの<シールドバッシュ>ともいえる技で敵をひるませたのは、あるスキルによるものだ。
「僕の持つエクストラスキル<矛盾>のおかげでしょう。盾に攻撃判定を与える効果らしいです。覚えたのはつい最近ですが」
「<矛盾>……ですか……聞いたことありませんね」
キサラが微妙そうな顔をする。
気持ちはわかるので、僕も合わせて苦笑してしまう。
効果を考えると、元の熟語の意味に全く合っていない。初めて出現し、使ってみた時は僕も今のキサラと同じような顔していたはずだ。
「……も、もしかしてユニークスキルとか!?」
がばっ、と顔を上げ明るい声を出すキサラ。
SAOには初期に習得できる通常スキルの他に、取得条件が不明なエクストラスキルと呼ばれるものがある。
キサラの使う<体術>スキルも一応はこれに当たる。今では取得方法が広まっているので、そう珍しいものではないらしい。
だがユニークスキル、とは……?
「ユニークスキル?」
「ご存じないんですか。ユニークスキルというのはシステムに規定された名前ではないのですが……エクストラスキルの中でも全プレイヤー中1人だけが使えるように設定されている、と言われているスキルのことです」
「へえ。そんなものが」
「半分やっかみみたいな意思も含んだ呼び方なんですけどね。現時点でユニークスキル使いとされているのは言葉通りただ1人だけですから」
「なるほど。それなら僕の<矛盾>はユニークではありませんね。他にも使っている人がいるのを何度か見たことがあります」
「そうですか……」
<矛盾>は盾に攻撃判定をつけるだけの効果だ。盾の防御力を上げるようなこともなく、はっきり言ってかなり地味。
貴重なスキルスロットを1つ埋めてまで使用する価値はないため、いわゆるロマン技である。
僕が見た他の使用者も中層以下のプレイヤーだ。おそらく上層の、たとえば攻略組内では完全に『死にスキル』扱いだろう。キサラが知らないのも無理はない。
ちなみに取得方法はしつこく盾で相手を殴ることらしい。イベントも何もなく、覚え方も地味だ。
「でも、その今言われている1つだけのユニークスキルも盾と剣を使ったものなんですよ。もしかしたら、その<矛盾>を鍛えていけば覚えるのかも」
「どうなんでしょうか。情報屋から買った話では、最大値の1000まで鍛えた人がいたらしいんですが、何も新しいスキルは出現しなかったということですよ」
「う……。そうですか……」
かくっ、と肩を落とすキサラ。まあ、MMOにおいて他プレイヤーが持っていない要素を手に入れるというのは1つのステイタスであるから、敏感になるのも分かる。
最強の剣、最強の鎧……。そういったものに執着するのはネットゲーマーの性だ。ましてやこのSAOはデスゲームなのだから。
何度かの戦闘を経て、昼前には目的地に到着した。47層西端に位置する小さな村である。
入り口のアーチには藤の花が咲き、来訪者を迎えてくれる。これまでの道中ではチューリップやマリーゴールドに似た西洋系の花が多く見られたが、この村には桜や梅といった日本よりの花が配置されているらしい。
「きれいですねー」
上を見上げながらついてくるキサラ。藤棚の大きさはなかなかのもので、入り口から10メートルほど続いている。
村の位置が外周に近いこともあり、紫の花越しに見える空は青い。
「ふふふ、前を見て歩かないと危ないですよ。……この村は稲作を行っているんです。そこの食堂で昼食にしましょうか」
僕たちは村に1軒だけらしい、酒場を併設した宿屋に入ることにした。INN&PUBの看板がかかるドアをくぐると、どうやら1階が酒場のようだ。
昼時であるからか、なかなかに騒々しい。NPCも食事をとるのだろうか……と思い店内を見回すと、近くの席に座って騒ぐ4人組の男たちの頭上にはプレイヤーを示す緑のカーソルが浮かんでいた。
1人が振り向き視線が合ったので、軽く黙礼する。彼は僕達をじろじろと観察すると鼻で息をつき、興味を失ったように仲間との談笑に戻った。
離れた席につき、店主らしい中年男性のNPCを呼んだ。ここのおすすめは薬膳粥というので、2人同じものを注文する。
「はあ、お腹ぺこぺこですよー」
「戦闘で激しく動きましたからね。……それにしても」
「?」
「キサラさんはここのモンスターを気持ち悪がらないんですね。歩く花というのは結構グロテスクなように感じるのですが」
「ええ。最初は、なんだコレ!?って思いましたけど。見慣れてしまえばただのモンスターですよ」
「順応が早いというか……なかなかの胆力ですね。僕は初見の相手には足がすくむというか、気後れしてしまうのですが。キサラさんには苦手なものはないのですか?」
テーブルに乗った水差しから2つのコップに注ぎ、片方をキサラに差し出す。
彼女はなぜかポカンとしていた。
「……あ、ありがとうございます。昔、同じことを言われたので思い出してました。……苦手なものは、そうですね。カエルとか蛇とか、爬虫類系でしょうか」
昔言われた、とは軍の友人のことだろうか。彼女は受け取ったコップを傾けた。
しかし、そうか。蛇が苦手となると……。
ちょうどそのとき、店主が料理を運んできた。皿からは湯気が上がっている。
「わ、おいしそう。いただきます」
キサラが手を合わせ、食べ始める。僕も木のスプーンを手に取り粥を口に含んだ。
粥には何かの肉が入っており、食感としては鶏肉に近い。味の方は……。
「うーん、やっぱり何かもの足りないというか。美味しいんですけど……」
「塩だけで味付けした感じですね。出汁がSAOでも取れればいいのですが」
SAOはファンタジーものらしく中世ヨーロッパをベースに作られているので、食べ物の味付けもそれに近い。
醤油や味噌、だし汁などは出回っておらず、どことなく和風な雰囲気を持つこの村でもそれは同じようだ。
「まあ、お米が食べられただけでも嬉しいんですけどね」
キサラが微笑む。軍の食堂ではコストパフォマンスを重視するらしく、安価な黒パンが主に供されるらしい。
「ところで先生、さっき入り口で見かけた人たちなんですけど」
「彼らが何か?」
「あの人達、たぶん<聖竜連合>です」
「<聖竜連合>?」
「……先生って、微妙に知識がかたよってますよね。……<閃光>さんのいる<KoB>は知ってたくせに」
何故か半眼で睨んでくるキサラ。よからぬ気配を感じた僕は慌てて<聖竜連合>の説明を求めた。
ギルド<聖竜連合(DDA)>。最前線を拓く攻略組の一角を占め、規模で言えば<KoB>を超える……らしい。
最強ギルドであることにこだわり、レアアイテム獲得のためなら一時的なオレンジ化も辞さない。同様の理由でボスのラストアタック・ボーナスにも固執するという。
手にする情報はギルド内で独占され、外部に提供されることはほとんど無い。
「昨年末のクリスマスイベントでも自分たちでアイテムを独占しようとして暗躍してたんですけど……噂だと他の攻略組ギルドに邪魔されて失敗したらしいですよ」
「それって、<KoB>とか?」
「いえ、あそこよりもっと小規模の精鋭ギルドだという話です。ギルマスは変なバンダナをした刀使いで……」
そこまで言ってキサラは首をかしげる仕草をした。小声で『まさかな……』と呟いている。
「まあとにかく<聖竜連合>なんですけど、以前幹部の1人があるプレイヤーを黒鉄宮の監獄エリアに収監しに来たんです。名前はシュミット……だったかな?その時偶然私も居合わせたので、彼らのシンボルも見たことがあるんです」
まったくの他人が相手でも、その人の所属するギルドタグは確認できる。
先ほどすれ違った時にキサラは彼らのタグを見たのだろう。
僕も振り返って、談笑する彼らのギルドタグを盗み見る。
「そんな連中が、なぜこんな中間層に?最前線は60層を超えていたはずですが」
「さあ……そこまでは。なにか彼らにとって美味しいクエストでもあるんじゃないでしょうか」
クエスト、と聞いて思いつくことがあったが……さすがにそれはあるまい。
昨日情報屋から買った話では、今回この村で受けるクエストは難易度も低い代わりに、獲得できるアイテムも経験値も大したことはない。
攻略組である彼らからすれば雀の涙ほどの数値だ。
注目していたためか、彼らの話し声が聞こえてきた。
「……しかし、今回のクエはしょぼい報酬だったな。経験値はそこそこだが、手間につり合わない」
「ば、<戦闘時回復(バトルヒーリング)>持ちの敵でしたからね。あ、あの回復値は、異常ですよ」
リーダーらしい白銀の長髪を持つプレイヤーに、線の細い不健康そうな男が応える。
「ここが最前線であった頃ならあの経験値も大きい意味があったのだろうが……今の私達には微々たるものだ」
「そ、それでも……オレ、レベルいっこ上がりましたよ。ちょうどスキルスロット増えたし。な、何にしようかなぁ……」
「お前には、<聞き耳>スキル習得の計画が当てられていただろう?残念だが、選べんよ」
細い男はそう言われるも、『ふひょっ』と奇妙な声を上げて笑った。
「そ、そういえばそうでしたね。<連合>の方針には従わないと……。で、でもオレ<聞き耳>には前から興味あったんで……」
「まあ、お前のようなヤツにはお似合いだよ……。メシが終わったらすぐに帰投して報告だ。検証の結果、大蛇は討伐可能。しかしDDAには不要だとな」
「えぇ?ど、どうせ今日はもうヒマじゃないですか。オレい、今から<聞き耳>スキル覚えて、<フローリア>の転移門前で……」
大蛇を討伐、という言葉が聞こえたとき僕は思わず立ち上がっていた。
まさしくその蛇を『撃退』するのが、今回受けるクエストだからだ。しかし、『討伐』とは……?
彼らに近寄り、声をかける。
「あの、失礼ですが」
「ん?」
銀髪の男が見上げてくる。男の顔に見えたのは一瞬の驚きとーーかすかな侮蔑の表情。
「ギルド<聖竜連合>の方々とお見受けします。先ほど聞こえてしまったのですが……皆さんは蛇を『討伐』されたとか?」
「なん、なんだよおま……」
不審なものを見るように声を上げる細い男と、それを片手で制す銀髪。
「いかにも。……あんたは?」
「申し遅れました。私、この辺りを根城にしている中層プレイヤーでして。ちょうど今日、蛇撃退クエを受けようと思っていた所、皆さんが蛇を倒した、と仰っているのが聞こえたもので」
「じょ、情報ならやらねぇぞ。お、オレたちをれ、<連合>と知ってるなら、それくらい分かるだろう」
「待て、シラヌイ。……どうせこのクエはもうDDAじゃ使わないんだ。少しくらいならいいだろう」
シラヌイと呼ばれた細い男は不機嫌そうに顔を背けると、一歩下がった。
銀髪は改めてこちらに向き直り、見下すような半笑いで言う。
「……言っておくが、あんたのような中層連中の力量じゃ『討伐』は無理だ。元々のこのクエがどういうものかは、知っているな?」
「はい。存じております」
<畑を荒らす大蛇の討伐依頼>。情報屋から買った情報によれば、それがこの村で受けられるクエストの正式名称だ。曰くーー。
この村はアインクラッドには珍しく米を主食としており、それを育てる農家が何軒かある。ただしこの村は水量が十分でなく、通常の水田は作れない。
このため村では陸稲(おかぼ)と呼ばれる生育にあまり水を必要としない品種を育てているのだが、種まきのこの時期にどこからか大蛇が現れ畑の土を種ごと飲み込み、荒らしていくのだという。
凶暴な大蛇に対向する手段を持たない村人は困り果てるが、そこに通りかかったのが旅の剣士ーープレイヤーである。
村人は剣士に大蛇の討伐を依頼し、剣士はこれを引き受ける。剣士は大蛇に挑むが、異常な再生力を持つ大蛇に剣士の攻撃は通じない。
一度退散した剣士は、大蛇が畑を襲う理由を調べる。するとどうやら大蛇は陸稲の種のために畑を荒らしているわけではなく、畑に住むカエルを食べに来ているらしい。
この村は米の他に食用カエルも名産としており、道具屋にはカエルの干物や黒焼きなどが陳列されている。
剣士はこの中からいずれかを購入すると、再び現れた大蛇の眼前にエサをぶら下げ誘導する。
村外れには地の底まで続くかのような地割れがあり、剣士はそこまで大蛇を連れてくるとエサを地割れに放り込む。
大蛇はエサを追いかけ地割れに落ち、村には平和が訪れたのだった。ーーめでたしめでたし。
これが蛇クエストの概要だ。タイトルに『討伐』と書いておきながら実際に出来るのは『撃退』。
SAOデザイナーの意地の悪いところだ。
ここが最前線であったころ幾人かが討伐に挑んだものの、敵は強力な<戦闘時回復>によってHPをほぼ満タンに維持し続け失敗。
結局先ほどの攻略法が確立されるが、これにより村人から得られる報酬はいくばくかのコル(現金)と名産のカエル肉。
しょぼい報酬にプレイヤーはすぐに離れ、割に合わない『死にクエ』として忘れ去られていった。
その後前線が拓かれ、ここが観光地となった今でも<フラワーガーデン>に相応しくない大蛇が相手ということで、相変わらずの低人気ぶりだという。
「私達は以前このクエストで『討伐』を試みたグループでな。あの時は敵のHPを削りきれなかったが、今のレベルと装備なら可能ではないかと考えたのだ」
つまり捲土重来、というわけか。
スタンドアロンRPGでも、以前の強敵が物語後半にはザコに変わっていることがある。あれと同じことだ。
「……ヤツの<戦闘時回復>は健在だったが、こちらはあの時より数段強くなっていた。自動回復を押し切り、討伐に成功した。……早い話が、ゴリ押ししたということだな」
そこで彼は肩をすくめ、ため息をついた。
「討伐にどれほどかかったと思う?……3時間だ。私達攻略組の精鋭にしてもそれほどの時間を要したのだ。確かに討伐によって得られた経験値はあんた方中層プレイヤーにとっては破格の数値だが、そもそも倒せはしないよ」
「……そういうことでしたか、確かにそれは難しそうですね。破格の経験値というのには惹かれるのですが……。そうだ、もしよろしければご協力していただけないかと……」
「せ、先生っ!」
僕の声にキサラが慌てた様子でかぶせてくる。振り返ればいつのまにやら彼女もすぐ近くに来ていた。
「キサラさん。どうしました?」
「どうしました、じゃないですよ!DDAにそんな……」
再び彼らを見ると、こちらを……というか僕を珍獣を見るかのような目で見ていた。
「……おいおい」
「お、オレ達を使おうとは、面白い中層だな。ほ、本当にオレ達を知ってるのか?」
額に手をやり鼻で笑う銀髪と、腕組みして顔を歪ませるシラヌイ。
確かに僕は<聖竜連合>の名前自体先ほどキサラから聞いたばかりだ。
だが、いかに最強ギルドとはいえ中級者を手助けしてはならない、などとギルド規約があるわけでもあるまい。
シラヌイは『どうせ今日はヒマ』と言っていたのだから時間はあるはずだ。
「もちろん、ただでとは申しません。なにかしらのお礼はさせて頂くつもりですが……」
「……なあ。仮に我々が同行するとして、あんたにそれに見合う報酬を用意できるのかい?」
銀髪が立ち上がって僕に視線を合わせる。身長では僕の方が幾分高いので見下ろす形になるが、放つ威圧感はかなりのものだ。
「我々はDDAだぞ。攻略組のなかでも最強のギルドだ。あんたが出せるであろう装備も金も、我々にとっちゃゴミみたいなものなんだよ」
「先ほどのじょ、情報提供だけでも本来ならあ、ありえないものだ……ち、中層が調子にのるな」
「……そうですか」
どうやら彼らにとって、中層プレイヤーというのは蔑みの対象らしい。先ほどから『中層』という言葉を蔑称のように使っている。
これ以上の交渉は無意味だろう。僕は彼らに一礼したのち背を向け、元の席に戻ろうとした。
「……ま、待て」
シラヌイが呼び止めてくる。僕が再び彼らに向き直ると、シラヌイはニヤニヤといやらしい笑顔を浮かべていた。
「そ、そのお、女はお前のツレだろう?」
シラヌイは僕の後ろに立つキサラに、粘っこい視線を送っている。
「オレはきょ、今日の午後はヒマだ。一緒に行ってやってもいい。……ただし」
人差し指を立てて、言う。
「条件があ、ある。オレがお前らを手伝った時間のさ、3倍ぶん、その女をオレに貸し出せ」
「……は?」
指名された当の本人は何を言われたのか分からない、といった表情でぽかんとしている。
銀髪はやれやれ、とばかりに肩をすくめ着席した。
「ど、どうせお前ら中層がどんなに頑張っても、前線でのパワーレベリングに比べればひ、非効率もいいとこだ。オレがと、特別コーチをしてやるよ」
彼らでさえ、討伐には3時間かかったというのだ。戦力に劣る僕達が挑めば、シラヌイの協力があったとしても4時間、場合によっては5時間以上かかってしまうかもれない。
その時間の3倍ということは、確実に半日以上はキサラを預けなければならない。
確かに上層での高レベルモンスターを相手にする強引なレベル上げは、協力者さえいれば効率的ではあるのだが。
「……」
シラヌイには、それ以外の意図があるようにしか見えない。キサラも黙り込み、身を守るように自身をかき抱いていた。
「ど、どうだ。そのお、女がお前のコレというわけでもあるまい?」
今度は小指を立てるシラヌイ。
まあ、確かに僕とキサラは恋人というわけではないのだが……。
半日以上の貸し出しとなると、キサラの貴重な空き時間が浪費されてしまう。軍務を放り出してまでこの男につき合わせるのは気が引けるというものだ。
「えーと……」
こちらから頼んでおいてナンだが、その条件は割に合わない。とはいえシラヌイはすでにその気になっているようである。ここをうまく断るには……。
「……申し訳ありませんが、彼女は私のフィアンセなんです。この層に来たのもハネムーンの一環でして。……な、キサラ?」
ちらりとキサラに目配せをすると、彼女はぼーっとした顔で見返してきた。すると僕の意図に気付いたのか、慌てて首を縦に振る。
「え、あ……はい!そうなんですそうなんです!私とせん……ハイドはその、こ、恋人同士でして。お誘いはありがたいのですが……」
唖然とした顔をしたシラヌイは、やがて舌打ちをした。
「なんだも、もう売約済みかよ……」
「はははっ!それはそうだろう、シラヌイ。男女2人でこの層に来てる時点でそいつらの関係なんて分かるだろうよ」
呵々と笑う銀髪。シラヌイはこちらに背を向けると忌々しげに呟いた。
「な、ならさっきの話は無しだ……こ、このリア充どもが」
「……まあ、自力で頑張ってみたまえ。中層は中層らしく正攻法でクリアすることだな。どちらにせよ、大したアイテムは手に入らんよ」
どうやらうまく切り抜けたらしい。最後までこちらを見下した態度を取る銀髪たち4人に一礼し、僕達は酒場を後にした。