こちら、アインクラッド解放軍第104小隊   作:ハイランド

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※胸糞注意

今回は敵役、イービルデッドのお話です。
ベルセルクのワイアルドさんのようなキャラが嫌いな方はスルー推奨。
(まあ、あそこまで過激ではありませんが)
お読みいただかなくても、本編には差し支えないです。


35.5悪行【R-15】

「はあ、はあ……」

 薄暗い空間に、男の荒い息遣いが響いている。

 そこは四方を岩で塞がれた洞窟の小部屋だった。部屋の広さは現実世界でいうところのテニスコート半面ぶん位だろうか。部屋の出入口から見て真正面の壁には松明が備え付けられており、ゆらゆらと頼りない光を放っている。部屋には他に明かり取りの窓や穴もなく、松明が唯一の光源だ。

 男の声は、その松明の目の前の床から聞こえていた。床には擦り切れた毛布が1枚だけ敷かれており、よくよく目を凝らせばそこには男の他にもう1人の人物が仰向けに寝そべっているのが分かる。ごく若い女だ。

 男は女の身体に跨がり、下半身を前後に揺らしている。熱い吐息を漏らす男とは対照的に、組み伏せられた女はあくまで無表情。だらりと投げ出された四肢と、虚ろな目のままどこか遠くを見つめている様子はひどくつまらなそうで、『早く終わらないかな』などと考えていることがありありと分かる。

 現在行われている『行為』の性質上当然と言えば当然なのだが、2人はともに一切の服を纏っていなかった。唯一、女の首元には家猫がつけるような鈴付きの首輪が巻かれていた。男が身体を揺らすたびに、その鈴がささやかな音を立てる。

 ちりん、ちりん。

『行為』の終焉が近いのか、男は一層激しく身体を打ち付け始めた。息遣いもさらに荒くなる。

「はっ、はっ、はあっ……」

 ちりん、ちりん、ちりりん。

 

『私』はその光景を、2人から一歩引いた位置から見ていた。『行為』の主体となっている男からすれば至福のときなのかもしれないが、待たされる身としてはこの時間は退屈でしかない。女も『私』と同じのようで、男が『ど……どうだ、いいだろう?』などと囁くも全くの無反応。

 男はそんな女の態度に軽く舌打ちしたものの、慣れているのかさほど気にすることもなく再び『行為』に没入しだした。

 それから肉と肉とがぶつかり合う淫靡な音が十数回聞こえた頃。ついに男が『行為』の終着点に到達したらしい。一際つよく女に身体を密着させると、下半身を小刻みに震わせた。

「おっ、おっ、おおぉ……」

 聞きようによってはひどく間抜けなうめき声とともに、男の動きは止まった。どうやら今回の『行為』は終わったらしい。『私』は軽くため息をつくと、女とそれにかぶさるように倒れこんだ男に近づいた。男の方はうつ伏せで表情が窺えないが、どうせまたしまりのない顔をしているのだろう。女は先ほどと変わらずの無表情で、『行為』が終わったことにも気づいていないようだ。

『私』は跪き、女の耳元に囁いた。

『おつかれさま、……終わったよ』

 そしてそのまま、女の身体に向かって両手を伸ばす。『私』の手は男をすり抜け、女の手と重なった。青白い皮膚に押し返されることなく、同化していく。

 右手は右手、右足は右足へ。次は左手だ。『私』が仰向けになりながら女の身体に溶け込んでいくと、その途中で今まで見えなかった男の顔が視界に入った。予想通り、しまりのない表情だ。半開きになった口からはヨダレを垂らしている。汚い。

 両手両足に胴体、最後に頭部が女と同化すると、その瞬間『私』の下腹部に生ぬるい感覚が到来した。どうやら男の放ったモノの残滓のようだ。気持ち悪い。

「きもち……る……」

『私』の感想を、女が声に出した。幸い男には言葉の前半しか聞こえなかったようで、醜い顔をニヤけさせながら『私』の頭を撫でた。

「そうか、そうか。気持ちよかったか。……まったくよう、それならお前ももっと声を出してみろよ。ヤってる相手の反応ねえと、こっちも燃えねえんだぜ」

 ……そうですか、ごめんなさい。でも。

「そうですか、ごめんなさい。でも」

『私』の思考と、女の言動が完全にシンクロする。怯えた気持ちを意識すると、女の口からはか細い声が出た。

 ……あんまりにあなたの顔が、気持ち悪いので。

「あんまりにあなたの……いえ。……恥ずかしくて」

 つい出そうになった本音を押さえつけ、男にとって都合のいい言葉にすり替える。『私』の答えを聞いた男はまんざらでもないのか、より柔らかい手つきで女の髪を梳った。

 ……やめてくれないかな。気持ち悪い。

「ありがとう……ございます」

 女は、……いや。

『私』は、甘える子猫のように男の胸板に顔をこすりつけると、心にもないことを口走ったのだった。

 

「ほら、ご褒美だ」

 そう言って男は、ストレージから1つのアイテムを取り出した。暗い松明の光の中でも分かる、乾いてボロボロの黒パン。『食品』カテゴリの中では、間違いなく最下級に位置するグレードだ。第1層の<はじまりの街>にいる浮浪者プレイヤーだって、もう少しましなものを食べているはず。私とて以前なら、こんなパンになど見向きもしなかっただろう。しかし……。

「い、いただきます……」

 しかしそれでも、『食品』は『食品』なのだ。お腹に入れられるものであるならば、この際たとえ毒でもかまわない。私は恭しく男の手から黒パンを受け取ると、震える指先でそれをちぎって口に放り込んだ。見た目を裏切らないパサパサの食感と、無いに等しいパンの味。いっそスポンジでも噛んでいるかのようだ。

「あっ、あう……」

 だというのに、私は夢中で黒パンを口に押し込んだ。ここがゲームの世界でなかったら、おそらくは喉に詰まらせて窒息死していたかもしれない。

「あー、あー。そんなにがっついちゃって。お行儀が悪いなー?」

 下卑た笑いを浮かべながら、男が見つめてくる。かまうものか、私にとってこのパンはおよそ3日ぶりの食事なのだ。72時間、四六時中空腹感に苛まれていた身としては、食事のマナーもなにもあったものではない。両手に収まるくらいの大きさしか無い黒パンはあっという間になくなり、私はようやく一息ついた。

「ごちそう、さまでした……。とても美味しかったです」

 三つ指をついて、深々と男に礼をする。たとえ与えられた食事が不服でもこうするのが、ここでのルールだ。本音を言えば全然足りないのだけど、おかわりを要求したり礼を怠ったりすれば、『しつけ』と称して今以上に食事の間隔が空けられてしまう。

 しかし男は私の心の中を見透かしたかのように、言った。

「まだまだ食べたいって顔してるぜ? 意地汚い女だなぁ。……欲しいなら、ねだってみちゃどうだい? しおらしく、可愛らしーく、な。ヒヒヒ」

「そ、そんなことは……」

「おいおい、遠慮すんなって。オレだって人間だからな、お前みたいな可愛い子ちゃんにお願いされたら、たまには優しくしてやりたくなるかもしれねーぜ?」

 粘ついた視線を私の身体に送ってくる。粗末な食事しか与えられていないにも関わらず、私の身体は歳相応の形を維持していた。丸みを帯びた肩に、ややくびれた腰。ここがリアルの世界だったら、今ごろは骨と皮だけのガリガリな身体になっていただろう。もしそうなっていたら、男もさすがに食事の量を増やしてくれていたかもしれない。

「……どうか」

 しかし残念なことに、このSAOでは体型が変わることがない。私の肉体は男にとって弄び甲斐のある質感を維持しており……頭がおかしくなりそうな飢餓感を伝えるためには言葉にするしかないのだ。私は再び男に対して頭を下げると、男の喜びそうなフレーズを選んで口にした。

「ご主人様、どうか……。卑しいあなたの、い、犬に……エサをお与え下さい」

「ふん、犬か。そりゃいいねー。……でもよ、犬だったらエサを貰うときに尻尾くらい振るもんじゃねーの?」

「……っ!」

 屈辱に震えそうになる肩をなんとか抑えて口上を述べるも、男の高圧的な態度は変わらない。こんな最低の男に土下座するだけでも悔しくて泣きたいくらいなのに。

 男は尻尾を振れ、などと言うが人間には当然そんな器官はない。だとすれば……。

「ん……っ」

「おっ!? わかってんじゃん。そうだよ、そう。もっと腰を上げな! まん丸い尻がよく見えるようにな!」

 男の言葉に、私は歯を噛み締めて従った。上半身は伏せたまま、後ろだけ膝を立たせて腰をふる。先ほどの『行為』が終わってから……いや、正確に言えば男によってこの部屋に監禁されてから今に至るまで、私は衣服を身につけることを許されてはいなかった。唯一、逆に着用を強制されたのが鈴付きの首輪だ。だから今の私は、あられもない姿をこの犯罪者にさらしている。父や母が目にしたら、卒倒してしまうかもしれない。

「へへへへ……。いいねェ、いい眺めだ。リアルにいた頃にゃ、想像もしなかったぜ。お前みたいな娘がオレの言いなりになってくれるなんてよう。SAOと茅場サマサマってところだな。……へへ、これまで散々オレをコケにしてくれた礼だ。たっぷりと返させてもらうぜ」

 男の言っていることの意味が、私にはよく分からない。コケにするもなにも、そこまで男の反感を買うようなことをしたことはないはずなのだが。私の疑問を察知したのわけでもないだろうけど、男はぽつりと呟いた。

「……お前ら女どもは、いつも見た目で男を選びやがる。口では『中身が大事』なんてキレイ事を言っちゃいるがな」

 男は腰を振り続ける私の眼前に、自分の足を差し出してきた。意図がつかめず首を傾げて見上げると、男が口から舌を出して見せてきた。舐めろ、ということらしい。

「……」

 数秒のためらいの後、仕方なく私は男の足の指を口に含んだ。赤ん坊がおしゃぶりをくわえるように、甘咬みしながら吸い付く。リアルとは違い、人の体臭がないのはせめてもの救いだった。

「フン。……人のことをキモいだの、臭いだの。何様のつもりだっつの。こちとら小坊から高校出るまでずーっと女に避けられてきた。オレが告ったらあいつら、ゴミでも見るような目で見やがって……。次の日には話が広まってて、クラス中から笑い者よ。そのくせちょっとばかりツラがいい男にはあっさりと股をひろげやがる。そんなビッチどもがオレを見下す権利がどこにある?」

 男の独白が耳に入ってくる。どうやら男は、現実世界では女の子とコミュニケーションを取る機会に恵まれなかったらしい。先ほど男が言った『コケにする』というのは過去のクラスメイトのことで、その鬱憤を今晴らしているつもりなのだろう。

 確かに私の学校にもそういった立ち位置の男子生徒はいた。いわゆる、学内ヒエラルキーの最下層にいる存在。同性からはバカにされ、異性からは敬遠され……。

「一皮むけば、女なんてこんなもんよ。エサ欲しさにオレみたいな醜男相手にも簡単に身体を許す浅ましい生き物。だったら最初から黙って男に従ってりゃいいんだよ。……なあ、お前もそう思うだろう?」

 ……バカじゃないの。あんたが女の子から嫌われるのは、そんなふうに被害妄想に取り憑かれて歪んだ気持ちで生きてるからだよ。外見も確かに良くないかもしれないけど、それ以上に考え方がキモイんだよ。

 私はそう言ってやりたかったけど、さすがにここでそんな反論をすればどうなるかくらいは分かっている。ぐっと気持ちを抑えて、男の言い分を肯定した。

「はい、その通りです。……ご主人様は正しいです」

 案の定男は気持ち悪いニヤけ顔をさら歪ませ、私の頭を撫でてきた。

「フフン、お前はビッチにしては自分の立場をよくわかってるよなぁ。……よしよし、可愛いペットにエサをやるとしようか」

 足を引っ込ませあぐらをかくと、右手を振り下ろす。私には見えないけど、アイテム欄を操作しているのだろう。

 屈辱に耐えて従順なふりをした甲斐があった。はやくパンが欲しい。

「……んー?」

「どうかし、されましたか?」

 しかし男は期待に満ちた私の視線を裏切るかのように、早々とメニュー操作をやめてしまった。その手にはパンはおろか、なにも握られていない。

「……残念、今回はさっきのパンしか持ってきてなかったみたいだ。エサはまた今度だな」

「そ、んな……」

 愕然とする。それじゃあ私は、なんのために家畜のような真似をさせられたのか。ここから出られない以上、食事は男が持ってくるものを待つしか無い。空腹感に加えて、無為に心を踏みにじられたことで大きな脱力感が襲ってくる。

 男はそんな私の様子が面白いのか、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。

「く、くく……。ひゃははははっ! いいねェ、その顔! 最高にキュートだ」

 気づけば、私は涙を流していた。癇に障る男の嗤い声が不快なのか、エサに釣られて男の言いなりになるしかない悔しさからなのか……。あるいは、そのどちらもなのかもしれない。

 私の泣き顔は男のサディスティックな感情を刺激したらしく、その一部位が息を吹き返す。

「へへへ、お前の泣き顔はそそるよなぁ。……そうだ、もう一戦終わったらスープでも買ってきてやることにするか。誠心誠意尽くして、オレを満足させてみな」

「す、スープ……」

 思わず、ごくりと喉を鳴らす。男の提案には、抗いがたい魅力があった。この数週間というもの、例の黒パンしか口にしていない。たとえ豆だけしか入っていないスープでも、今の私にとっては喉から手が出るほど欲しい。

 無造作に投げ出された男の下半身の、その部位に手を這わせる。

「……失礼、します」

「そう、いい子だ。情熱的に頼むぜ」

 本当は私だって、こんな男と身体を重ねたくなんかない。でも、消えない空腹感を満たすためにはこうするしかないのだ。これは自分がしたくてしていることではない。仕方なく、やらされているんだ。『行為』をしているのはただのゲームのアバターであって、『私』はそれを傍観している他人でしかない……。そう自分に言い聞かせ、ソレを口に含む。

 その瞬間、再び『私』の意識は身体から切り離された。目の前には口の端を歪ませた爬虫類じみた顔の男と、その下半身に顔を埋める『女』の姿。

『女』は淫らに身体をくねらせ、男はそんな女の様子を満足気に眺めている。

『私』は冷めた思いで、2人の情事が終わるのを待つばかりだった。

 ちりん、ちりん、ちりりん。

 鈴の音が聞こえる。

 

 男は仲間から、『グレゴール』と呼ばれていた。背の低い、目がギョロリとした男は『女』の嫌いな爬虫類を思わせる外見をしていた。

 2人は恋人同士というわけではない。むしろ、女にとっては憎むべき敵だ。

 女は数週間前、ふとした出来事がきっかけで自身が所属するギルドから飛び出した。自分たちのグループをまとめる男性プレイヤーと口論になり、感情的になった女は安全な<圏外>から出てしまった。

 その時、運悪く近くにいた<オレンジ>プレイヤーであるグレゴールたちのグループに目をつけられ……。一方的な『狩り』の結果囚われてしまったのだ。そして、その場で犯された。

 この時点では女も完全に自我を保っており、必死の抵抗をしてみせた。しかし逆にそれは男たちの嗜虐心を刺激することになった。リーダー格の大男が取り出した麻痺の毒薬に身体の自由を奪われた女は、男たちが手慣れた様子で自分の指先を操り、メニュー画面を呼び出すのをただ見ていることしか出来なかった。

 最初に他人からもウィンドウが見られる可視モードに切り替えられ、コルを含む所持品の全てを奪われた。この中には女が装備していた服も含まれていたため、女は犯罪者たちに下着姿を晒すことになった。

 次に、フレンドリストを開かれてそこにあった名前の全てを破棄。空っぽになったリストは<empty>と表示されるのみで、この段階で女はギルドの仲間に現在位置を知らせる方法と、メッセージ機能のほとんどを失ってしまう。

 そして最後に、<倫理コード>の解除。

 普段はメニューの奥深い階層に隠されているそれは、女自身も見るのは初めてだった。グレゴールたちに掴まれた指先はあっさりと解除ダイアログのイエスをタップし、最後の防壁が破られた。そして……。

 そこから先のことは、女……いや、『私』も覚えてはいない。

 どちらかといえば大人しめな容姿の女は男たちーーとくにグレゴールの嗜好に合っていたようで、次に意識を取り戻した頃には今いるこの洞窟に監禁されていた。洞窟は元々中層プレイヤーだった女にとっては立ち入り難いレベル帯にあり、武器も回復アイテムもない状況では出現するモンスター相手に太刀打ち出来ない。奥まったところにある安全地帯の小部屋の手前にはモンスターの湧出ポイントがあり、女単身での脱出は不可能だった。

 フレンドリストも破棄された状態では女のいる層すら仲間の誰にも分からないし、ダンジョン内ではフレンドメッセージ機能は使えない。<オレンジ>が隠れ家にするくらいだから、この洞窟にそうそう他のプレイヤーが足を踏み入れるとも思えない。他者からの救援は期待できそうになかった。

 ありがたいことにSAOでは風呂に入らなくても体臭が発生したりはしないが、空腹感だけは別だ。一度発生したそれはなにか食品アイテムを口にするまで消えることはなく、プレイヤーに一定周期での現金消費を強制する。

 しかし女は所持品の全てを奪われ、食品を新たに手に入れる手段もない。脱出も不可能となれば、残された方法は男たちが『餌付け』しに来るのを待つだけ。

 始めの数日間こそ空腹感に耐え、『行為』前に毎回抵抗してみせたもののそれも続かず。『空腹感』が『飢餓感』にまで育つと、耐えるのは難しくなった。餓死の概念もない世界では、飢餓感はある意味死よりも苦しい。

 1つの粗末な黒パンと引き換えに、女は『行為』を拒むのをやめた。

 かくして女は生殺与奪の全てをグレゴールたちに握られ、以降男たちの慰み者として飼われることになった。 

 女が犯罪者たちを受け入れ……『私』がそれを傍観するようになったのも、その頃からだ。アレは自分ではない、かわいそうな、名前も知らない女の子なんだ。そう思うことでしか、『私』は『私』を保てなかっただろう。

 ……ただ1つ気がかりなのが、『私』の心境の変化だ。以前は『行為』そのものは受け入れたものの、グレゴールの顔など見たくもなかった。でも、最近ではあの男がパンを届けに来るのを心待ちにしてしまっているような気がする。まるでパブロフの犬のように。

 暗い洞窟内で下着すら身につけることを許されていない身としては、あの下種男の体温すら温かく感じて……。

 

「グレゴール」

 と、その時。女に覆いかぶさっている男のものとは別の、野太い声が聞こえた。見れば部屋の入口にもう1人の人物が立っている。大柄な、恰幅のいい男だ。にこやかに笑うさまはまるで七福神のなかの、豊漁を司る一柱を思わせる。

「エビっさん」

 グレゴールは女との行為を中断し、大男と向き合った。さすがに男同士で肌を見せるのは恥ずかしいのか、床に敷いていた毛布を腰に巻きつけている。

「どうですか、彼女は?」

 エビっさんと呼ばれた大男は2人にゆっくりと近づいてくる。福福しい外見とは裏腹に、その目からはねっとりとした視線が女に注がれている。

「どうもこうも……。大人しく言うことを聞くようにはなったが、その分マグロになっちまった。特に本番中はまったく喘ぎもしねえっすよ」

「なるほど」

 そう言って大男は跪き、女の頭を撫でた。さらさらと片手で髪をもてあそんでいる。

「……もしかしたら、これはある種の防衛本能なのかもしれませんね。人は、あまりにつらい思いをすると身代わりの人格を立てることもあるといいますから。……可愛いものですねェ」

 大男は、グレゴールたちのグループのリーダーだ。最初に女を麻痺状態にさせたのもこの男。グレゴールの『飼育小屋』に訪れる機会は少ないものの、これまでに数回女を抱きに来ている。<僧正>を名乗り法衣を思わせる衣装に身を包んでいるにも関わらず、精力は他の2人よりも強い。とんだ生臭坊主である。

「……ですがそれは、彼女にとってあくまで不自然な状態です。元に戻してあげるとしましょうか」

いったい、何をするつもりなのだろうか。大男が仰向けにされた女の耳元に囁く。

「つらかったですねぇ。見ず知らずの男性に監禁されて、何度も陵辱されて。……食事をたてにされていたとはいえ、女性の身には屈辱的だったでしょう」

 さも同情しているかのように言うが、それを口にする資格はこの男にはないはずだ。そもそもこの状況に女を追いやったのは、大男自身なのだから。

『私』は内心に怒りを感じ、女もそんな戯言には耳を貸さない。これまでと同様、人形のような無表情を貫いている。けれども、次に大男が発した言葉にはかすかな反応を示した。

「……しかし、それももう終わりです。じきに解放されるのですよ、貴女は」

「……?」

「ちょっ、エビっさん!?」

 大男の唐突な解放宣言に、グレゴールも驚きを示した。

 犯罪者、<オレンジ>プレイヤーはだまし討ちが常套手段だ。今の言葉が真実であるはずがない。『私』もそれはよく知っている。それでも、グレゴールの素で驚いた様子からしたら、もしかしたら……?

「ほんとう、なの……?」

 女に、『私』の心にかすかな希望が差し込んだ。首領である大男が言うのだから、配下のグレゴールはその決定に反対することもないだろう。

「ええ。我々はもう十分に楽しませて頂きましたから。……それに、新しい獲物も見つかりましたので。早ければ、3日以内にも晴れて自由の身です」

「……!」

 女の心は、大きく揺さぶられた。大男の言う『新しい獲物』とは、おそらくは女と同じように監禁し陵辱するための女性プレイヤーのことなのだろう。代わりの『生贄』になる女の子には気の毒なことになる。もちろん、それも3人の『狩り』が成功すればの話なのだけれど……。でももし、狩りが成功したら。

 ……帰れる。皆の、あの人の所に。

「ウソ……?」

「ワタクシは神職です。ウソは申しません」

 

 次の瞬間、『私』の意思は自身の身体に引き戻されていた。背中に冷たい岩の感覚があるけれど、それも気にならない。

 ……帰れるんだ。帰れるんだ! どうしよう、きっと皆心配してる。ギルドのメンバーも、それに……あの人も。解放されたら、すぐに会いに行こう。そして以前のように一緒に色々な街を見て回るんだ。美味しいものを食べて、たくさん遊んで……。

「どうやら、『戻って』来たようですねェ……!」

 しかし胸の内から沸き立つ歓喜の感情は、大男の声で断ち切られた。目の前には、あのおぞましいグレゴールのニヤけ顔。傍らに膝をつく大男は私の下腹部を撫でまわしている。

「いっ、イヤッ!」

 大男の手を払いのけ、即座に後ろへと飛び退る。狭い小部屋の中では十分に距離を取ることも出来ず、すぐに壁際に追い詰められてしまう。

 両腕を使い、それぞれ胸と下腹部を隠すも全くの空手では心もとない。

「おー、おー。いいねイイねぇ、その反応! やっぱり女をヤるんなら、こうでなくちゃ」

 新しいオモチャを与えられた……いや、壊れたお気に入りのオモチャを直してもらった子どものように、グレゴールが目を輝かせている。大男も満面の笑みを湛えると、配下の男に向けて指示を出した。

「グレゴール、最後の3日間です。ラフィーも呼んで、せいぜいワタクシ達の味を身体に覚え込ませてあげましょう。……この娘には、一睡たりともさせてはなりませんよ」

「へへへへ……。了解、だぜ。エビっさん」

「やっ、嫌あっ! 離してッ!」

 もともとのレベル差がある上に、2対1では私に勝ち目なんてあるはずがない。あっさりと組み伏せられると、大男がのしかかってきた。胸、首筋、耳に唇。順番に舐め回され、なめくじが這いまわるような感覚が襲いかかってくる。

 気持ち悪くて、悔しくて。為す術もなく嬲られることに、私はただただ涙を流すことしか出来なかった。

 

「……あ」

 ふと我に返る。どうやら眠っていたらしい。あれからどのくらい時間が経ったのだろうか。大男は3日間と言っていたけど、体感的にはそれよりずっと長かった気がする。

 あの2人に押し倒されてから間もなく、メッセージで呼ばれでもしたのか3人目の犯罪者がやって来た。たしか名前は、ラフィーと言ったか。

「う……」

 そこまで思い出すと、あの『行為』がフラッシュバックしてきた。男たちは代わる代わる私の身体を撫でまわし、舌を這わせ……。1人が私の内部に欲望を吐き出している間、残りの2人は休憩をはさんで体力の回復に務めているようだった。男の1人の相手が終わったかと思えば控えていた別の男がやって来て、交代する。

 私はあの大男の宣言通り、三日三晩不眠不休で男たちの相手をさせられていたのだ。最後の方は疲れと眠さと、それに例の空腹感もごちゃ混ぜになって、意識が朦朧としていた。……今も、細部については思い出せない。

「お目覚めですね」

「!?」

 背後から聞こえた男の声に、私の心臓は大きく跳ねた。振り返ると、あの大男を含む犯罪者3人が立っている。

「……よく眠れたようですね、お疲れ様でした。これで約束の期日は過ぎました。貴女はこれから解放されるのです」

 大男は信者に説教をする神官のように穏やかな笑みを浮かべると、私の目の前に膝をついた。その手には、畳まれた衣類と数個の結晶アイテムが握られている。

「これは、ワタクシたちからの餞別です。さすがにそのままの格好で人前には出られませんでしょうし、ね」

 今も私は肌を外気にさらしたままだ。猫の首輪だけを着けたほぼ全裸の少女が街に入れば、好奇の視線を集めてしまうのは容易に想像できる。私は素直に大男から衣服を受け取ると、それに袖を通した。簡素な木綿で作られた、どこにでもあるチュニックだ。

「……温かい」

 人間の生活には、衣食住の3要素が不可欠であるという。このうち衣と食の2つを奪われていた私には、久々の着衣に多少の違和感すらあった。それでも、服を着るとようやく自分が人間であることを思い出せた気がする。

 衣服というのは、防寒のためだけではなくて人としての倫理観を維持するのにも必要なのかもしれない。

 大男は、服の上から自分の両肩を抱く私をじっと見つめると、改まった声で切り出した。

「……さて。貴女にはこれから街へとお帰り頂くのですが、1つお話したいことがあります。これは文字通り身を持って我々を楽しませてくれた、貴女へのお礼のつもりなのですが」

「……?」

「おそらく貴女にも、仲間がいるのでしょう。それはギルドメンバーだったり、あるいはそれ以外で繋がりを持った友人かも知れません。貴女ほど可愛らしい女性であれば、恋人……もいたかもしれませんね。しかし……」

 口の端をつり上げ、嗜虐的な笑みを浮かべる。

「彼らは貴女を受け入れてくれるでしょうか? 思い出してごらんなさい、今の自分を。行きずりの男たちに身体を許し、快楽に身を委ね……。そんな『汚い』女性を仲間として迎えてくれるでしょうか?」

「そん……!」

 そんなことは、ありえない。私が、汚い? 違う、それは違う。だって私は自分の意思でここに来たわけではないし、犯罪者たちと肌を重ねたのだって食事をたてに無理やりさせられていたためだ。第一、大男の言うようにあの行為を気持ちいいなんて思ったこともないし、快楽に身を委ねたなんていうのはありもしないでまかせだ。

「ち、違う! 私は無理やりあなたたちに……!」

「いいえ、違いません! ……さあ、ここに動かぬ証拠があります。いかに貴女がふしだらで、性欲にとりつかれた汚い女であるかということを示す、確かな証拠が」

 そう言って、大男は手に持った結晶アイテムを放り投げた。黄緑色の光を放つそれは、記録結晶と呼ばれる映像や音声を録っておくことのできる品物だ。私がキャッチしたそれを恐る恐るタップすると、すでに1つの映像が保存されていることが表示された。データの日付は、今日。つい数時間前に録画されたものだ。そこには……。

 

『……あ、あはっ。ねえ、もっとちょうだい……。もっと、ぎゅってして……』

『やだっ! 離さないで……。あったかいの、気持ちいいよ……』

『うんっ、うんっ! 私も好き! ずっと一緒に……』

『だって……。キス、気持ちいいから……』

 

「う、そ……。ウソだ……」

 そこに映っていたのは、紛れも無く私自身の姿だった。

 代わる代わる肌を重ねてくる3人の男たち相手に、淫らに腰を振って嬌声を上げている。それは自分でも見たことのない、動物としての本能に従った『メス』の動き。

 記録結晶を持つ指先が震え、力が抜けてそれを取り落とす。黄緑色のクリスタルはそれでも映像の再生を止めず、私に叫喚絵図を見せつけた。

 ……嫌だ、嫌だ。こんなの、私じゃない。見たくない……見たくないよ……。

「ほほほほ。睡眠欲に食欲、それに性欲。……人間の三大欲求のうち、2つを抑制しておいた賜物でしょうか。昨夜の貴女は特に乱れておりましたよ。そう、それこそ繁殖に勤しむ家畜のように。いやはや、ワタクシも体力には自信があったほうなのですが……。さすがにあそこまで求められては、疲れてしまいました」

「かみ、さま……」

「残念ですが……『家畜に神はいない』。とある聖人の言葉です」

 頭を抱えてうずくまる私の頭上から、無情な響きが聞こえてくる。2時間以上にも及ぶ記録映像は、まだまだ終わる気配も見せない。私は視界に映る映像のウィンドウを閉じようと手を伸ばすも、それは大男の腕によって押さえられてしまう。

「真実から目を背けてはなりません! これが貴女の本当の姿、あるべきかたちなのです! 恥ずかしがることではありませんよ……」

「いや……。お願い、離して……。もう、止めて」

 泣きながらかぶりを振るも、いつの間にか近くに来ていたラフィーとグレゴールに頭を固定され、映像を無理やり見せつけられる。

「へへへへ……。すンげぇよなぁ、こんなに激しく腰振っちゃってさあ。このビデオ、オレもコピーしてもらってるんだぜ」

「っ! それって……」

「これからお前さんはお仲間の所に帰っちまうわけだが、オレたちとフレンド登録はしておいてもらうぜ。しばらくはこのビデオで我慢するが、やっぱり生の女の方がいいからなァ。……呼び出しに答えなかったら、どうなるかわかってるだろうな?」

 解放。

 大男はそう言い、確かにそれは果たされようとしている。しかしこれでは……。

「家畜に神はいませんが……貴女は幸運です。ワタクシは<僧正>イービルデッド、神職にある者。貴女の汚れた色欲の罪も、ワタクシとともにあれば赦されることでしょう。……告解は、定期的に来られることをおすすめしますよ」

 大男、イービルデッドが酷薄な笑顔で私の頭を撫でる。

 その弾みで、先ほど外し忘れていた首輪の鈴が軽やかな音を立てた。

 

 ちりん、ちりん、ちりりん。

 

 光の刺さない洞窟に、反響が広がっていく。


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