こちら、アインクラッド解放軍第104小隊   作:ハイランド

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39官民交流会

 2024年8月 第22層 ヌシの湖・湖畔

 

「そんなことがあったんですか」

「ええ、一時はどうなることかと思いました……」

 調理作業を進めていた手を一旦止め、私はイルに頷いた。時刻は午後6時を周るくらいの頃で、徐々に辺りも暗くなってきている。

 さっきの件以来さすがに私たちはちょっとぎくしゃくしていて、特に隊長は今も皆から距離をおいたままだ。針葉樹の幹に背を預けて瞑目している様子は、疲れて眠っているかのように見える。

 本来ならきっとあの時点で今回の遠足は中止になり、私たちは黒鉄宮の司令部に帰っていたと思う。その流れを変え、今こうしてイルと一緒に夕食の準備を進められるようにしてくれたのは……他ならぬ私のライバル、リーシィさんだった。

 

 * * *

 

 当初こそ先生との交流が許され、舞い上がっていた私。けれどもうなだれる隊長に気づくと、かける言葉も思いつかず気まずい思いで立ち尽くしてしまっていた。

「あの、隊長……」

「……」

「あ……」

 私の呼びかけを無視し、踵を返す隊長。明らかな拒絶。それはそうだろう、あんなにも私が先生との関わりを持つことに反対していたのに、それを覆されたのだ。先生やゼルさんの顔を窺うも、彼らも黙って首を振るだけだった。

「やれやれ……。さすがにふてくされてしまったか。キサラよ、今日の宴会はここまでにして一旦帰ったほうがいいかもしれんな」

「え、ええ……。残念ですけど」

「ちょ~っと、待った~!」

 ゼルさんの苦笑混じりの提案に私が同意しかけたところで、それを遮る声。ばたばたと着物の裾をはためかせ、つんのめりそうになりながら登場してきたのが彼女だった。

「り、リーシィさん!? 来てたんですか!」

「はあ、はあ……。あ、当たり前でしょ~! 皆でピクニックなんて楽しそうなこと、私が見逃すはずないじゃない!」

「まあ、確かに……」

 思えば、先生がこの場にいる時点で彼女の存在を予知してしかるべきだったのだ。前回の釣りでも、私以上に熱中していたし。

「一応、止めはしたんですけどね……。どうしても付いて行くと言って、きかなくて」

「……あ。じゃあもしかして、ニシダさんを連れてきたのも?」

「もっちろん! おじさん、喜んでたよ。『そんなにたくさん人があつまるなら、ぜひご一緒させてもらいたい』なんて言って」

 イベント好きな性格であるニシダさんのことだ。今もイルとクロくんを引き連れて例のヌシ釣りに挑戦しているし、先生の思惑とはまったく別のところでこの集まりを楽しんでいることだろう。それにしても……。

「あの、リーシィさん。……ところで、その格好は……?」

 私の目線は、彼女が登場してきたときから身につけていた衣装に釘付けになっていた。鮮やかな赤。以前彼女が来ていた服とは対照的に、露出はほとんどない。襟元の重なった生地の間からはわずかになめらかな肌と鎖骨が窺え、腹部のやや上には紺色に染められた帯が巻かれている。足元に目を落とすと、着物の裾からはピンク色の鼻緒を持った草履が。まごうことなき、『浴衣』姿である。

「これ? えへへ~、いいでしょ。せっかくの夏祭りだもん、フンパツしちゃった!」

「夏祭りって……」

 得意気にその場でくるくる回って見せるリーシィさん。

 ……うん。たしかに可愛い。可愛いのだけど……。

「……世界観、ぶち壊しですね」

 ぼそりと先生が呟く。西洋ファンタジーを基調に作られたSAOには、基本的に和服が登場しない。NPCの服屋に並んでいるのも、材質やデザインの差こそあれほとんどがありふれたチュニックだ。ここまで完全な和服を手に入れられるとしたら……。

「もしかして、プレイヤーメイド……ですか」

「そそ! なんとあの、アシュレイさんの作品なのだっ!」

「……へー!」

 彼女の口から出た名前に、思わず反応してしまった。

 お針子のアシュレイさんといえば、<裁縫>スキルの第一人者としてそのスジでは有名なプレイヤーだ。防具の製作を依頼するためには高級素材を持参しなければならず、さらにあまりの人気ぶりに順番待ちは避けられない。彼女の作る防具は高値で取引され、私を含めた多くの女性プレイヤーにとっては垂涎の品だ。

「まあ、とは言っても市場で買ったお下がりなんだけどね」

 その点だけが不服なのか、リーシィさんは舌を出して笑った。そうは言うけど、アシュレイさんの服が手に入っただけでもすごいことだ。言われてみれば、赤い生地に金糸で彫られた花火の意匠は繊細なもので、彼女の金髪によく似合っている。

「見事なものだな。まるでお嬢さんにあつらえたかのようだ」

 見れば、ゼルさんもリーシィさんの浴衣姿に唸っている。普段から美人のお姉さん2人を伴っているというのに、ちょっと鼻の下を伸ばして……。

 

「あれ、そう言えば……」

 こんなとき、まっさきに反応しそうな人物が珍しく割り込んでこない。さっきもカレンとアイリさんに言い寄って、曹長を呆れさせていたのに。

「……軍曹?」

 振り返ると、1人佇む隊長の方を気遣わしげに見つめるフラッシュ軍曹。あれだけ普段から女性に目がない姿を晒しているのに、今はリーシィさんの登場にも気づいていないかのようだった。

「……副長、今は放っておきましょう。ヤツと隊長は、我々より付き合いが長い。思うところもあるのでしょう」

「そう、ですね……」

 同じことを思ったのか、私の視線を追った曹長が囁く。男同士の友情、とも言うのだろうか。それは、私には立ち入れない領域に感じられた。軽々しく隊長に声をかけられない今の私にとって、彼のフォローは軍曹頼みだ。

 隊長から事情を知らされて、それでも私を責めずにいてくれた彼にはあとできちんとお礼を言わなくてはならない。同時に、いつも心配をかけていたにも関わらず今回まったくの蚊帳の外に置いてしまった曹長にも。

 

「さあさあ、というわけで!」

 改めて、とばかりにリーシィさんが手を打ち鳴らす。

「せっかくこの日のために高い買い物までしたんだから……。まさか、もう帰るなんて言わないよね~キサラちゃん?」

「う……」

 キラキラと輝く笑顔を振りまく彼女に、私はノーとは言えない気持ちになってしまった。まったく、どんなときにもマイペースなリーシィさんらしいというか……。

 ただ、今日ばかりはその天真爛漫さに救われた思いがした。本音を言えば私もまだ、しばらくぶりに会えた先生とも話したかったし、隊長との関係修復の手段を考える時間も欲しかった。それになにより。

「ほらほら、せんせー。浴衣だよ~、和服だよ~。萌えるでしょ? 帯引っ張って、『おやめ下さいまし、お殿様~』なんてしちゃう?」

「なにを言ってるんですか、きみは……」

 ……この状態の2人を、そのまま残して行きたくはなかったのだ。

 

 * * *

 

 野外で出来る料理は、方法が限られる。オーブンやコンロのある調理場ならともかく、作れるのは焚き火で素材を炙った串焼きや焼き魚くらいのものだ。ただ、幸いにも食材には困ることが無かった。午前と午後合わせて大量に釣れた魚のおかげで、予定よりも増えた喫食者の胃袋を満たすだけの食事は用意出来る。私はイルと協力し、手際よく皿を並べていった。

「さて……。あとはニシダさんたちが無事にヌシを釣れるかどうかですけど」

「やー、無理じゃないですか? ずぶの素人が一緒ですし」

「まあそう言わずに……。クロくんだって頑張ってるでしょうし」

 湖を見下ろす小高い丘に即席の食堂を展開している私たちには、固まって釣りに興じているグループの動向は窺えない。

 今はニシダさんを筆頭に、ゼルさんや曹長、『イルのために大物を釣ってくる』と息巻いていたクロくんが食材獲得の任に当たっている。リーシィさんも同行しているけど、動きにくい浴衣を着ているためか釣り竿は手にしていない。

 先生は焚き火の近くでカレンとアイリさんと談笑していて、久々の再会を楽しんでいるようだった。

「……それにしても、隊長も大人げないですよねー。キサラさんを取られたくないからって、先生さんを<オレンジ>にしようとしてたなんて」

 憤懣やるかたない、といった様子で荒い鼻息をつくイル。彼女にはこの調理作業中、すべての事情を打ち明けた。この数週間私が先生に会いに行かなかった……行けなかった理由は隊長の命により伏せられていたのだけど、それも今日限りで終わりだ。元々色恋沙汰の話題には敏感にセンサーを働かせているイルのこと、私の話を聞いた直後には怒髪天を突く勢いだった。

「そんな、イル。それは悪くとり過ぎですよ。……元はと言えば、私にも責任があると思うんです。隊長は軍の役割をとても大事にしている人ですから。先生のことは、しっかりと報告してなかったし」

「甘いですよ、キサラさん。もしかしたら本当に、先生さんが監獄エリアに入れられてたかもしれないんですよ? 私もう、隊長のこと信じられなくなりそう」

「イル……。でも、もう済んだことだし」

 私に同情してくれる友人の気持ちはありがたいのだけど、それが原因で部隊の不和を生じさせる訳にはいかない。なんとかイルをなだめようと、口を開きかけたとき。

「……そうカッカするなって、イル。そりゃあ、ちょっと行き過ぎた所もあったかもしれねえが……隊長も反省してるよ」

 私に代わってそうフォローを入れてくれたのは、すぐ近くの地面に横になっていた軍曹だ。手伝いをするでもなく、ゴロゴロと視界の範囲内でだらけられているのは、正直ちょっと邪魔だったりする。

「それに、それを言うならオレだって同罪さ。お前やおっさんたちにも秘密にしてたんだし。……副長にも、悪かったな」

「軍曹……」

 上半身を起こし、バツが悪そうに頬をかく軍曹。イルはそんな彼の姿に、少し呆れたようにため息をついた。

「はあ……。そうやって隊長をかばったりなんかして。いっつも思うんですけど、軍曹って隊長と仲良すぎじゃありません? ……もしかして、好きなの?」

「……どういう意味だ、そりゃ」

「だって。少し前に私が、軍曹のことを悪く言ったら隊長にものすごく怒られましたもん。だからもしかしたら付き合ってるのかな……って」

「コイツ……この年で腐ってやがる。早すぎだ……」

 いつの間にかイルの瞳には、私と先生の仲を聞きたがる時のものとは少しだけ種類の違う輝きが宿っていた。何の話だろう、聞きたいような。聞きたくないような。

 思わぬ反撃に虚を突かれた軍曹は頭を抱えて唸った。

「おい、変な妄想してるんじゃないぞ。前に話したと思うが……オレは隊長には借りがあるんだよ。ただそれだけだ! ……くそ、なんて日だよまったく。あの2人には相手にされないし、愛しのヒナ……じゃない、リーシィちゃんは先生どのに首ったけ! その上、ホモ疑惑まで持たれるなんてよぅ」

「あはは……」

「自業自得ですよ。隊長とグルになって、キサラさんをいじめたりするから。……『馬に蹴られて死んじゃえ』なんて言われないだけ、ありがたいと思って下さいねー」

「言ってる! 言ってるぞ、それ!? ……ちくしょう、あとでクロのやつで憂さ晴らししてやる……」

 軍曹が苦し紛れにそんな強がりを口にしたとき。噂をすれば影……というやつだろうか。ちょうどクロくんを含む釣りグループが戻って来た。

 皆が揃えば、食事会の開始になる。私たちが準備に当てられる時間もあとわずかということだ。

「さあ、イル。仕上げにかかりましょう。軍曹も手伝って下さい」

「はーい」

「仕方ねえなぁ」

 私の言葉に、それぞれ首肯を返す2人。

 イルの怒りの炎もすっかり鎮火したようで、口ではまだ小言を呟きながらもその目は笑っている。相手をする軍曹も彼女の機嫌が直ったことを察し、胸をなでおろしていた。

 ……よかった。これで心配していた1番のわだかまりも回避できたみたい。

 軍曹は普段、不真面目な態度で皆からのひんしゅくを買うことも多い。けれど、それももしかしたら1つのロールプレイなのかもしれない。彼の飛ばす冗談はいつも場の空気を和らげ、隊のムードメーカーになっている。それに今回も助けられてしまった。これからはほんの少し、敬意を持って接しようかな。

 後は曹長だけだけど、あの人はイルよりも上手に感情をコントロールしてくれるだろう。なにせ私とイルが認めた、『お父さん』なのだから。ねぎらいの意味も込めて、私は曹長たちに手を振って出迎えたのだった。

 

「だからさ、本当にクジラ並みの大きさだったんだって!」

「えー? あんた、本物のクジラ見たことないでしょ? 本当にヌシだったの?」

 身振りを交えて興奮気味に説明を続けるクロくんに、イルはあくまでも半信半疑だ。

 車座に焚き火を囲んでの、和やかな夕食会。話題の大きなウェートを占めたのは、ニシダさんたちが取り逃した湖のヌシのことだった。聞けば、その大きさは常識をはるかに超えたサイズであったとか。ニシダさんがこのために用意した高級な釣り竿もあえなく取り込まれてしまったらしい。<釣り師>の腕でも釣れないなんて、いったいヌシというのはどれだけの大物だったのだろう?

「いやいや、お嬢さん。あれは本当にありえない大きさ……。化け物でした。話に聞くだけで、私も実際に目にしたのは始めてでしたが……いやあ、惜しかったですなぁ」

「すみませんな、ニシダさん。私の筋力値がもっと高ければ……」

「いや。それを言うなら、オレにも責があるぞ曹長。もっとお前さんの近くにいれば、すぐに交代することもできた」

「わ、は、は。できれば今すぐにでも再挑戦したいくらいですがなぁ。この時間では店も閉まってるだろうし、またの機会にということで。……ただ、得られたものもある。今回の件で、釣りにも<スイッチ>が有効だと分かりました。なに、今度こそ捕まえてやりますよ」

 一仕事終えた男性陣は食欲も旺盛で、私もイルも給仕の手を休めるヒマがなかった。成り行きで軍曹にも手伝ってもらい、皆の合間を縫って慌ただしく歩きまわる。この頃には隊長も輪の中に復帰していて、釣りグループの話に聞き入っていた。残る、リーシィさんを含む女性陣はというと……。

 

「は~い、せんせー。あ~ん」

「い、いや……。1人で食べられますから」

「遠慮しないで~? ほら、箸から落ちちゃう。えいっ」

「あむっ!? こらリーシィ、無理やり押し込むのは……」

 忙しく働く私を尻目に、先生に密着するリーシィさん。浴衣姿のまましなだれかかる様子は傍から見ても扇情的で、接待を受ける先生も一応は体裁を整えようとしているものの、よくよく見れば顔がニヤけているのがわかる。そして彼女の反対側には、カレンとアイリさんの姿が。2人して虎視眈々と先生とのスキンシップの機会を狙っている、かのように見えた。

 ……つまづいたふりして、お皿ぶつけてやろうかしら。

「おー、おー。見せつけてくれるねぇ、あの先生。両手に花、どころか3方を花に囲まれてるじゃねえか」

「……」

 茶化すようにかけられた声に無視を決め込み、給仕を再開する。私の反応がないのをいいことに、声の主ーーフラッシュ軍曹はさらに機嫌よく言葉を紡いだ。

「のんびりウェイトレスなんかしてていいのかい、キサラちゃん?」

「……知りません」

「あのままじゃあ、大好きな先生がリーシィちゃんに取られちまうぞー? ほれ、お兄さんが代わってやるからチューの1つでもしてこいよ」

「こ、この……! ……軍曹、あなたねえ。どういうつもりなんですか、ついさっきまでは隊長の命令に従って私を先生に近づけさせない役目を負っていたのに……」

「はぁん? そんなのもう済んだことじゃねぇか。副長も自分で言ってたろ? ……それにオレは、隊長から『副長付』の役職を拝命したときからずっとウズウズしてたんだ。いつの日か、このネタで副長をからかってやろうってなー」

「……」

 前言撤回。

 やっぱりこの人は先生以上にちゃらんぽらんで、ロクデナシだ。ほんの1時間前に抱いた敬意と感謝の気持ちも、気の迷いだったに違いない。よし、先生の顔面に焼き魚のしっぽを叩きつける前に、このデリカシーゼロお兄さんを黙らせよう。

 ヘラヘラ笑う男性の向こう脛を蹴り飛ばしてやろうと、半歩身を引いた時。

「……しかしなー。やっぱりオレのこと、覚えていないみたいだなー。あの兄さん」

 おとがいに手を当て、思案顔を浮かべる軍曹。私は引いた足を元に戻し、首を傾げた。

「覚えてない……って、先生がですか? それは仕方ないですよ、私以外の皆は4月の夜に1度会ったきりで……」

「いんや? もっと前の話。たしか、SAO開始間もないころだったかな? 色々世話になってさ」

「な……え!? 軍曹、先生と面識があったんですか!?」

「4月に会った時は確信が持てなかったけどな。こうして明るいうちから顔をしっかり見て、間違いないって思ったぜ」

「そんな……」

 以外な事実。

 その一言では表現しきれないくらいの衝撃が、私の全身を走った。世間は狭いとよく言うものの、こんな身近な例に遭遇するとは思っても見なかった。

 思い返してみれば、確かに先生は以前こんなことを言っていた。『キサラさんが半人前になったら、次の教え甲斐のある初心者を探しますよ』……と。

 残念ながらその意思は果たされず、私が半人前にすら到達しないうちに先生とは離れ離れになってしまった。けれど、もし先生が初心者を指導して回るという当初の理念を持ったままでいたなら。ありえない話ではない。

「ただなぁ……。なんつーか、ちょっと違うんだよな」

「違う?」

「ああ。さっきは間違いないって言ったが、あの先生さんはオレの知ってる昔のあの人とは、どこか雰囲気……匂いが変わった気がする」

 私が突如知らされた人間関係に当惑している間に、軍曹はさらに思考を進めていた。

「最初に会った時も、先生さんは副長のことも覚えてないみたいなこと言ってたろ? オレだけならともかく、自分が関わった2人の人間を綺麗さっぱり忘れるなんてありえるのかな?」

「それは、そうかもしれませんけど」

「だとしたら考えられるのは、知っててあえて初対面のふりをしてたのか。もしくは……」

「もしくは……?」

 一抹の不安に曇らせた私の顔を楽しむかのように、そこで軍曹がニヤリと笑った。

「……別の人格に入れ替わってた、とか」

「はい?」

「知らないか? 多重人格ってやつだよ。小説とかゲームとか、けっこういろんな作品で取り入れられてるんだぜ」

「また、突拍子もないことを……」

 軍曹の意見を、鼻で笑い飛ばす。真面目な話を始めたかと思えば、すぐにこれだ。

 確かに先生は最初私のことを忘れてしまっていたようだけど、それも話す内にすぐ思い出してくれたのだ。なにより、今の私と先生の間にはこの4ヶ月にわたって積み重ねてきた思い出がある。それに比べればSAO開始日の出来事、たった数時間についての記憶の齟齬なんて取るに足らないことだ。

「ちっ……引っかからないか。面白い仮説だと思ったんだがなー」

 案の定軍曹自身も本気で考えていたことではなかったらしく、あっさりと持論を引き下げた。まったくこの男性は、ひとをからかうことに情熱を傾けすぎる。

 

「……さて、ようやく他の連中も腹が満たされたみたいだな」

「そうですね」

 出すそばから次々に消えていた皿の上の料理は、次第に減るペースが落ちていった。これだけ状況が落ち着けば、私も給仕に専念しなくても大丈夫だろう。ようやく一息つくことができる。

「なあ、副長。もういいだろ、そろそろ先生さんの所に行ってこいよ」

 その場に腰をおろしかけた私に、軍曹が囁いてくる。問うように視線を向けると、彼は意味ありげに微笑み先生たちの固まる方向に向けて顎をしゃくった。

「今回ばかりは、副長をからかいたいから言ってるわけじゃないぜ。恋する乙女は応援したくなるのさ、お兄さんは」

「軍曹……」

 珍しいこともあったものだ。捕ってきた魚の中に、毒を持っているものが混じり込んだりでもしていたのだろうか。

「……おい、今なにか失礼なこと考えなかったか?」

「い、いえ別に。でも、そうですね。今ならゆっくり話せそうですし……行ってきます」

 膝をついて立ち上がり、先生とリーシィさんたちが談笑する場に向けて踏み出す。すると、背後からの声が。

「がんばれよー。副長が先生さんとくっつけば、オレがリーシィちゃんを頂けるんだからさー」

「……あはは。サイテーですね」

 やっぱり軍曹は軍曹だった。思わず苦笑し、漁夫の利を狙うーーまあ、無理だろうけどーー彼に手を振ると、今度こそ歩き出した。

 

 私は大きく息を吸い込み、これから始まるリーシィさんとの競争に思いを馳せる。

 ただでさえ先生とは会えない期間が続いていたし、今日も今日とて彼女は積極的にアピールを繰り返している。普段とは違う浴衣姿も大きなアドバンテージで、対する私は普段の私服。戦況は不利だけれど、それは時として一瞬でひっくり返る。

 

 先生の見せてくれた逆転劇を、私も見習おう。……さあ、戦いの始まりだ。


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