こちら、アインクラッド解放軍第104小隊   作:ハイランド

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38切腹

 2024年8月 第22層 ヌシの湖・湖畔

 

「先生、どうしてここに……! いえ、それよりも」

 思わぬ所で先生に会えた嬉しさに駆け出しそうになりながらも、今の状況を思い出す。周囲を見回せば、私の後ろに立っていた隊長が驚愕の表情を浮かべていた。

「貴様は……」

 まずい、と思った時には遅かった。私が制止する間もなく抜刀し、先生に向けて踏み込む。

「よくもノコノコと顔を出せたものだな……。軍曹!」

 先生の喉元に剣を突きつけ、部下に指示を飛ばす隊長。フラッシュ軍曹は戸惑いを浮かべながらも、カタナの柄に手を当てていつでも斬りかかれる位置に移動する。取り残されるかたちになったストーン曹長はわけがわからない、といった様子で隊長と先生を交互に見比べていた。

「いつカイト大尉が貴様を私の前に引きずり出してくれるかと楽しみにしていたが……その手間が省けたようだ」

「隊長、待ってください!」

 両手を広げ、先生を守るために剣の前に飛び出す。隊長は一瞬目を丸くした後、その顔を怒りに染めた。

「どけ、中尉……邪魔立てする気か!?」

「いいえ、どきません! 軍曹、隊長を止めて!」

「い、いや。しかしよう……」

 両者の板挟みになった軍曹は眉間にしわを寄せ硬直していた。彼が隊長から先生のことを、どう聞かされていたのかは分からない。けれども、こうして躊躇を見せているということは先生が悪人であると100パーセント認識してはいないのかもしれない。

「隊長、これはいったい……」

「曹長、副長を押さえておけ! この男は彼女をたぶらかした犯罪者だ」

 説明を求める曹長に対しても激高を隠そうともせず怒鳴り散らす隊長。もしここで曹長までもが隊長側につけば、私1人では先生が捕まるのを止めることは出来なくなってしまう。

「そんなの、ただの言いがかりです! お願いだから、話を聞いて!」

「副長……」

 と、その時。四者四様に動きの取れないなか、渦中の人である先生が私を押しのけて前に進み出た。

「……僕は、逃げも隠れもしませんよ。どうも、あなたがキサラの上官ですね。はじめまして」

「先生……」

 立ち上る夏の熱気を湖から吹く風が吹き流していくなか、私の肩に置かれた先生の手は周囲の温度よりいくぶんか冷たく感じられた。見上げれば、いつものように優しい笑顔で頷いて見せる先生。言外に『任せておけ』と言われたようで、私は落ち着きを取り戻すことが出来たのだった。

 いくら先生が脳天気な性格をしているとはいえ、何も考えずに私や隊長の前に姿を表したとは思えない。この数週間の間に、軍に捕らえられることへの危険さは伝えてある。以前一緒にいくつものクエストを攻略したときにも、私はこの顔をした先生に助けられてきたのだ。きっと、大丈夫。

「そちらのお二方は、4月にもお会いしたことがありましたね。いつも彼女にはお世話になっています」

「お、おう……」

「……」

 剣を突きつけられているというのに、あくまでも飄々とした態度を崩さない先生。モンスターが出ないとはいえ、ここは<圏外>だ。剣で斬りつけられれば怪我をするし、首をはねられでもしたら死んでしまう。今の先生はまともに防具すら身につけてはおらず、隊長の持つあの幅広の剣の前にはあまりにも無防備だ。

「犯罪者風情が……。何を余裕ぶっている?」

 その態度が気に入らないのか、隊長はさらに一歩踏み出して来た。先生の顎の下に剣の切っ先を滑りこませる。あと数センチでも前に腕を突き出せば、そこから血ーー被ダメージ時の火花のようなエフェクトーーが吹き出すだろう。

「別に余裕ぶってなどはいませんよ。今も膝がガクガクしているくらいなんですから。……ただ、隊長さん。その剣を突き立てる前に、少しだけ僕の話を聞いてくれると嬉しいのですが。……<オレンジ>になりたくなければ、ね?」

「……なに?」

 最後の部分だけ凄みを利かせた先生の言葉に、隊長がぴくりと反応を示した。

「僕のカーソルを見て下さい。何色に見えますか?」

「……。くっ」

 先生のカーソルは、見紛うことなき緑色だ。SAOでは元から<オレンジ>のプレイヤーに対しては攻撃しても何の問題もないけど、<グリーン>を傷つければその時点で攻撃した方に犯罪者フラグが立ってしまう。

 隊長はその事実に思い至ったのか、わなわなと腕を震わせながら剣を下ろした。

 とりあえず危機を脱したことに安堵する私。周囲で成り行きを見守っていたあとの2人も、短く息をついて緊張状態を解除したようだ。

「……だが、どちらにせよ貴様は逃げられん。大人しく司令部まで……」

「まだ話を聞いてくれる気にはなりませんか。仕方ありませんね。……ゼル!」

 それでも言い募ろうとする隊長に、先生は苦笑しながら大声で叫んだ。それに、離れた位置で寝転がっていたゼルさんが反応する。

「んん? なんだァ……お、ハイドか! お前さん、ようやく来たのか」

「ええ……。遅くなりまして」

 のそのそと歩いてくると、先生の肩をばしばしと叩き笑うゼルさん。先生がこの場にいることに何の疑問も持っていない様子で、私を始めとした104小隊のメンバーは面食らってしまう。

「中佐……。彼と知り合いなのですか?」

「おお、そうだ。言っていなかったか、曹長? 今日オレがお前さんら104小隊を誘ったのは、このハイドに頼まれたからなんだ」

「先生が、ゼルさんに……?」

「つい先日、メッセージをもらってな。……なあウィンスレーよ。お前さん、最近なにやら穏やかじゃない動きをしているらしいじゃないか」

「そ、それは……」

 上官であるゼルさんに問われ、隊長は苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた。対するゼルさんは顔こそ笑っているものの、眼の奥には咎めるかのような非難の色が浮かんでいる。

「聞けば、憲兵隊までもが動いているらしいな。……だが、不思議なことにそんな情報はオレの耳に届いていない。アランガも冷たいやつだよ、あいつとは長い付き合いになるのにな?」

「っ! アランガ、憲兵少佐は……この件には……」

 

 腕を組んで悠然と構えるゼルさんだけど、しっかりと結ばれた口元からは不快感がありありと伝わってくる。

 アランガ憲兵少佐。ゼルさんの口にした名前は、おそらく階級的にカイト大尉の上官のことだろう。正規の手続きを踏んでいれば、当然憲兵隊の上層部も承知しているはず。そして、これは私の想像でしかないけどーー隊長は正しいルートで憲兵隊に通報してはいない。ゼルさんもそのことを踏まえた上で、確認あるいは牽制のために言ったのだ。

 先生は隊長を説得するための強力な助っ人として、ゼルさんに仲介を依頼したのだろう。確かに有効な手段だと思う。仲間思いのゼルさんならば、先生が濡れ衣を着させられていると知ればその疑いを晴らすために自ら動いてくれるはず。

 それに加えて、隊長が個人的に憲兵隊を運用した疑いをリークしておけば、先程の私が考えていた懸念も解消される。隊長がいくら<愚連隊長>ことゼルさんと<オレンジ>疑惑のある先生との関係性を指摘しても、それは単なる憶測に過ぎず……反対に、部隊の私的運用という明確なルール違反を犯しているぶん、隊長の方が旗色は悪い。

 

「……たしかに、憲兵隊を動かしたのは私の独断でした。ですが、それも隊の機密保持を考えてのこと。もしも私の懸念が正しく、ハイド氏が<オレンジ>であった場合……少々の専行は不問に付されるものかと」

「おいおい。お前さん、そりゃあ……」

「いいでしょう」

 それまで黙っていた先生が、呆れた様子でため息をつくゼルさんの言葉を遮った。いつの間にやら、その手元には可視化を施したメニューウィンドウが浮かんでいる。

「……先生?」

「僕はキサラに危害を加えようと思ったことはありません。ですが、それを第3者である貴方に信じてもらうのが難しいのも事実。ですので……」

 言いつつ、先生はウィンドウの端と端を両手で押さえピンチイン操作。胸を弓なりになるほど反らせると、その前には黒板の半分くらいのサイズにまで拡大されたメニュー画面が映しだされた。紫色の矩形の上部にはプレイヤーネームである<hyde>の文字列とHP、経験値のバー。右半分には男性型の装備フィギュアが表示され、左半分には……。

「せ、先生! なにを……!?」

<片手用直剣>712、<武器防御>687、<威嚇>343、<釣り>103。そして……<矛盾>520。他にも<両手剣>や<裁縫>といった細々とした名前が出ているもの、どれも数値的には低い。これは、先生のスキルビルド表だ。SAOプレイヤーにとって他人から最も秘匿すべきパーソナルデータ。それをこの人は、学校の授業で使う教材のプロジェクター投影をするがごとく公開しているのだ。

「僕のレベルは現在、66。これでもレベリングは頑張っている方なんですけどね。……攻略組入りは難しそうです」

 

 SAOには、<結婚>と呼ばれるシステムがある。仲の良い男女がーー聞く所によれば同性同士の組み合わせもあったり、なかったりーーお互いを信頼し、結ぶ誓い。その効果は全情報と全アイテムの共有という非常にリスキーなもので、最大の生命線を差し出すに等しい。

 私も先生とはアイテムの共有タブを作っているものの、それはあくまでも任意の品を格納することで機能する。問答無用にストレージを統合してしまう結婚という仕組みは、現在のSAOがデスゲームである仕様上ほとんど使う人のいない廃システムになっていた。

 また、それは情報の方も同じ。先ほどニシダさんに忠告したように、各プレイヤーのスキル構成は無闇に明かすべきものではない。<索敵>を持っていないプレイヤーには<隠蔽>が有効だし、<短剣>や<体術>しか持っていない相手にはロングレンジで戦える<鞭>や<投剣>を使えば一方的に攻撃が出来る。<オレンジ>によるPK行為が蔓延している現状、信頼出来ない相手へのスキルビルド公開は自殺行為に近いとも言えた。それこそ、愛を誓い合った恋人同士でもない限り。

 

「な……」

「……なんのつもりだ、貴様」

 口をぱくぱくとさせる私の横で、隊長も目を丸くしていた。

「時代劇などでよく見られる『切腹』というのは、ただの自殺というわけではありません。腹を切り裂いて、自分には何も含むところがない……と証明するためのものであるとも言われています。もっとも、このSAOでは腹を切ったところでポリゴンの空洞しかないでしょうけど、ね」

 肩をすくめ、自嘲的にも見える笑いを浮かべる先生。

「こうして情報を公開したところで、相手が正義の徒である貴方たち軍の人間である以上、リスクなどほとんど無いように思われるかもしれません。ですが、これが僕なりの『切腹』です。江戸時代の武士には遠く及びませんが、身の潔白を信じてもらいたい」

 SAOで犯罪者に狙われたくなければ、究極的には自分のプレイヤーネームさえも偽るべし。

 今や全プレイヤーの常識とも言える個人情報秘匿の風潮を、逆に信用獲得のために利用するなんて。アインクラッド最大のギルドに属する私では……いや、だからこそこのような発想は出来ない。そしてそれは、この場にいる先生以外の誰もが。

「だ……だが……。だからといって私の中尉を……」

「もう、やめろ。……ウィンスレ-」

 拳をきつく握りしめ、震わせる隊長の肩をゼルさんが軽く叩いた。振り返った隊長に対し、頭を左右に振る。

「もしも本当にこの男が<オレンジ>であったなら、軍の人間にここまで自身の情報を晒すことなどありえん。ましてやハイドは、この何ヶ月もの間キサラと行動を共にしているのだ。本来、モンスター狩りやトレジャーハントよりも効率がいいという理由でPKをするような輩がここまで時間と手間をかけるはずはない」

「中佐……」

 ゼルさんに向き直っている隊長の表情は、私の立ち位置からでは窺うことが出来ない。やがて肩を落とし、十数秒足元を見つめていた彼の口から、ぼそりと聞き取るのが難しいくらいの声量で言葉が漏れた。

「…………好きに、しろ……」

 

 ついに、隊長が折れた。これまで何度も私が説得を試みても、全く聞く耳を持たないでいたあの隊長が。

 ……信じられない。夢じゃないの?

 ウィンドウを納めた先生を呆然と見上げる。私の視線に気づいたようで、彼ははにかんだように笑みを浮かべていた。

「……と、いうことです。キサラ、今後とも宜しく」

「せ、先生……」

 その言葉に、ようやく実感が湧いてきた。これでまた、先生と一緒に冒険が出来る。一緒にいられる。……嬉しい。

「っと……。き、キサラ?」

 気づいた時には、私は先生の胸に飛び込んでいた。一瞬戸惑ったように身体を硬直させた先生だけど、すぐ後には優しく私の頭を撫でてくれる。

「……先生は、ずるいです」

「ずるいって……?」

「私、ずっと悩んでたのに。どうすれば先生が捕まらないように出来るかって。それなのにこんな、1日もかからないで解決しちゃうなんて。私の悩みが、バカみたいじゃないですか」

 子どもじみた言いがかりであることは、自分でも分かっている。

 結果だけを見れば先生の疑惑は払拭されたのだから、何も問題はない。ただ、そこに私が貢献できた部分がまったく無かったのが不満だった。好きな人のことだから、力になりたかったのに。

「……ありがとう、キサラ。その気持ちだけで十分です」

 私の言い分を聞いてもなお、先生は私の髪を梳く手を止めずにいてくれた。本当にこの人にはいつも助けられてばかりで……かなわない。いつの間にかあふれていた涙もそのままに、私は先生の胸に顔を押し付ける。

 

 ……この時点で周囲からは何組もの好奇の視線が私たちに突き刺さっていたのだけど、それに気づいたのはしばらく時間が経ってからのことだった。

 

 




一山乗り切った感じ!
交流会、もう少し続きます。

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