2024年8月 第1層 はじまりの街 黒鉄宮<アインクラッド解放軍>司令部
「……交流会? 08小隊と?」
「ええ。……その、ゼルさ……ジーゼル中佐からのお誘いでして」
週末の休日を目前に控えたある日、私は104小隊の執務室で隊長と相対していた。読みかけの書類から目を上げた隊長は私の言葉に一瞬だけ顔を曇らせ、考えこむ仕草をしてみせた。
事の始まりは、前日にさかのぼる。
昼食後に立ち寄った中庭で偶然、08小隊隊長であるジーゼル中佐に会った私はそのまま先方の望むままに模擬戦闘訓練へ。結果は以前と変わらず私の負けに終わったのだけど、ゼルさんはその後でこう言ったのだ。
『なあ、キサラよ。最近オレは釣りに凝っているのだが、お前さんどこか良いポイントを知らんか?』
隊長からの接触禁止令が出される直前に私と先生、それにリーシィさんを加えた3人で第22層に釣りをしに出かけたのは記憶に新しい。楽しかった思い出を反芻しながらそのことを告げると、ゼルさんから続けて申し出があった。
『ほう、それはいいな。ちょうど明後日はオレたちも非番だし……どうだ、一緒に釣り遠足にでも』
これは、私にとっては実に魅力的な提案だった。この半月あまりは休日であっても気軽に外へ出かける機会に恵まれなかったし、また出られたとしてもお目付け役であるフラッシュ軍曹が常に一緒だった。四六時中ぴりぴりした隊長とも顔を合わせなければならない現状に、少しだけ息苦しさを感じてもいたのだ。
一も二もなく快諾した私に、ゼルさんは意外なオプションをつけてきた。すなわち、『どうせなら08小隊と104小隊全員が参加する、交流会にしよう』というものだ。私としてはそれでも構わなかったのだけど、問題は隊長だ。あの人は以前士官食堂でゼルさんと一緒に食事を摂ったときに、どこか彼を批判的な目で見ていた。性格的に合わないのだろうか……とその時に感じていたので、隊長がこのプランを承諾してくれるかどうかは良くて五分と五分。許可が出なければ、私と軍曹だけでの参加になるだろう。
どちらにせよ、今の私が司令部の外に出るためには隊長の許しを得なければならない。今日になって机仕事が一段落ついたと思われるタイミングを狙い、隊長に話しかけることにしたのだ。
「ダメ……でしょうか」
「……」
この頃の隊長は以前にも増して感情が読み取りにくく、私も自然と両手の人差し指をつつきあわせる不安な仕草をとってしまう。しばし無言で俯いていた隊長は机上にパサリと書類を放ると、こちらを見上げて言った。
「……いや、なかなか面白い提案だな。同じ軍に所属していながら、普段我々は他部隊との交流する機会が少ない。せっかくのお誘いだ、呼ばれることにしよう」
「本当ですか!」
「ああ。……私としても、あの<愚連隊長>には前々から確認しておきたいことがあったしな」
「確認しておきたいこと?」
首をかしげる私に、隊長は薄い笑みを浮かべた。
「……いや、きみたちには直接の関わりは無い話だ。いずれ話す時も来るだろう」
「そう、ですか」
どこか含みを持たせた隊長の態度に若干の疑問を抱きつつ、私はさっそくゼルさんにメッセージを送ることにした。隊長の許可はオーケー。後は104小隊のメンバーで調整するだけで、その皆も明日は特に予定がなかったはずだ。
仕事上接する必要のあった<オレンジ>プレイヤー以外では、久々に外部のーーとはいっても広義には『部内』のだけどーー人と出かけられるチャンスだ。隊長もまさか、ゼルさんたちと話すななどとは言わないだろう。
かくしてゼルさん起案による、第08小隊ならびに第104小隊による合同交流会が開かれる運びとなったのだった。
翌日 第22層 湖畔
「お初にお目にかかりまっす! 104小隊の頼れる切り込み隊長、フラッシュ軍曹っす! 22歳独身、絶賛恋人募集中!」
「お、おう……」
「……はい、よろしくお願いいたしますね」
晴れ渡った空に、何時にもまして陽気な軍曹の声が響く。彼の挨拶を受けた2人の女性は対照的に低いテンションでーーというか半ば引いた様子でそれに応えた。赤と青の鮮やかな髪色を持つ美人のお姉さん、カレンとアイリさんだ。
ゼルさんが彼女たちを連れてくる時点でこの光景は想像できたものの、やっぱり身内の露骨なアピールには多少の気恥ずかしさを感じてしまう。私の横に立っていたストーン曹長もそれは同じだったのか、片手で額を押さえつつうめいていた。
「……軍曹、お前というやつはいつもいつも……」
「あはは……」
104小隊の面々が私の案内で、以前にも先生たちと訪れたこの池に来たのは午前10時過ぎ。幸いにも隊の全員の予定が合い、皆で来ることが出来た。湖畔に到着してから待つこと数分でゼルさん率いる08小隊の3人も表れ、交流会は順調な滑り出しを見せた。……軍曹の自身の欲望丸出しなナンパを除いて、だけど。
「あの、軍曹……そのくらいで。カレンとアイリさんは……」
「ん、なんすか副長? ……ははあ、さてはヤキモチかい? 心配すんなって、あとでちゃんとお兄さんが遊んでやるからさー」
「……」
やめた。
あの2人はゼルさんと付き合ってるから、いくらアプローチをかけても無駄ですよ、と言おうとしたのだけど。
軍曹の圧力が弱まった隙を突き、2人が改めてこちらに向き直った。
「……カレンだ。獲物は細剣」
「はじめまして、アイリと申します。……お久しぶりですね、キサラさん。ゼルやカレンとは何度かお会いしていたようですけど」
「あ、はい。ご無沙汰しています」
青黒い髪をかきあげ、やわらかい笑顔で話しかけてくるアイリさん。……うん、いつ見てもこの人は綺麗だ。私も大人になったらこんな風になれたらいいなあ。
「はじめまして。第104小隊所属、ストーン曹長です。このたびはこのようなイベントにお招きいただき、ありがとうございます。ほら、クロにイルカ。挨拶しなさい」
「……うっす。シュバルツ。……皆からはクロって」
「はじめましてー、イルカです」
年長者らしく落ち着いた自己紹介をした曹長に続き、クロくんとイルがそれぞれ頭を下げる。クロくんは普段接することのない大人の女性を前に緊張しているのか、表情が硬い。こころなしか、頬も赤くなっているように見える。傍らに立つイルが肘で小突き『ちゃんと挨拶しなさい』などと注意するも、彼ははにかんだようにそっぽを向くばかりだ。
「挨拶は済んだようだな」
ひと通り自己紹介が済んだ段階で、隊長が一歩前に踏み出してきた。カレンとアイリさんのやや後方に控えていたゼルさんに向かい、慇懃に敬礼の動作をする。
「解放軍第104小隊隊長、ウィンスレー少佐ほか5名。ジーゼル中佐の招待を受け、参りました。此度はお声をかけて頂き、光栄の至り」
「う、むう。まあ、そう固くなるな……104小隊の諸君、オレはジーゼルだ。気軽にゼルと呼んでくれてかまわん」
「いえ中佐、それは……」
礼式に則った隊長の挨拶にやや苦笑しながらも、フレンドリーに接してくれるゼルさん。くだけた形の答礼をする金髪の男性に、それでも隊長は規律を求めるように声を上げた。
「このような場とはいえど、上官をそのように呼ぶわけにはまいりません。階級を蔑ろにすれば、組織の乱れを生じます」
「やれやれ、お前さんは相変わらずだな。……まあ、だからこそあいつもこちらに話を振ってきたのだろうが」
「なにか?」
「いや、こちらの話だ。……ところで、ストーン曹長だったか。キサラに聞いたが、なかなかの釣りスキルのようだな?」
「はっ、手慰み程度ですが。向こうでも、趣味にしておりました」
「おお、それは心強い! オレはいいんだが、この2人が実のところ今日初めてでな。手ほどきを頼みたい」
急に話を振られた曹長だけど、そこは現実世界でも自衛官だった男性。ぴしりと背筋を伸ばし、首肯した。ただその顔は、いつもよりどこか誇らしげに見える。
「了解しました。釣具は用意されていますかな?」
「ああ。さっき買ったばかりだけど」
「よろしくお願いいたします。ワクワクしますね」
水を得た魚のようにてきぱきと道具を用意し始める曹長に、カレンとアイリさんもそれぞれに釣り竿を手にして見せる。
「よろしい。では、こちらに……」
「おいおいおいおい! なにオッサンだけいい目を見ようとしてるんだよ!? オレも仲間に入れろって!」
水辺に歩き出した3人に、慌てた様子で着いていこうとする軍曹。しかし曹長はそんな彼を射抜くような視線で睨みつけ、言った。
「……お前はあっちで火の番でもしておけ。ゴー、ホーム」
「犬!? 犬なの、オレ!? っていうかSAOで火事とかありえねーし!」
情けない顔で叫ぶ軍曹はまさにおあずけを食らった犬のようで、私とイルは思わず吹き出してしまった。見れば、ゼルさんやカレンたちも笑っていた。……どうやら、今回は何も心配せずに楽しめそうだ。
昼食を挟んで、午後になっても釣りの会は和やかに進んだ。
曹長は前評判どおりにかなりの腕前で、ちょっとかじった程度の私ではとても釣り上げられなさそうな大物を何匹も捕まえていたし、クロくんはイルにいいところを見せたいのか頻繁に竿を振っていた。……残念ながら、3回に2回は長靴を釣り上げていたけど。隊長はゼルさんと並んで腰掛け、竿を握るのもほどほどに何事かを話し込んでいた。風に乗って聞こえてきた声の中には、『シンカー』『キバオウ』といった軍首脳部の名前がとぎれとぎれに入っていた。上級士官同士、なにか情報交換でもしているのかもしれない。そして私は……。
「……む」
「お、おい」
水面のウキが、わずかに動いた。すぐ横に座っていたカレンがこちらに視線を送ってきたのを感じたけど、竿を上げるのはまだ早い。ここは焦らずに。
「引いてるぞ、キサラ!」
「分かってます。…………ここだっ!」
ウキが一際強く引き込まれた瞬間を狙って腕を振り上げる。確かな重みを感じながら徐々に糸を引いていき……。
「お、おおお!」
水面を切って現れた魚に、カレンが感嘆の声を上げる。釣れたのは、50センチ近い体長の頭の上がぽっこりと膨らんだ魚ーーヘラブナだ。どことなくユーモラスな顔つきが可愛いかもしれない。
「やるじゃないか、キサラ! ……まさかあんたにそんな特技があるなんてね」
いつもは口の減らないカレンだけど、今日は私の腕を素直に褒めてくる。拍手しながら目を輝かせるその姿はイル以上に子供っぽくて、普段とのギャップが新鮮だ。
「大人しい顔してアクティブだよねぇ、あんた。もう始めて長いの?」
「いえ、ついこの前始めて竿を握ったくらいで」
「ほうほう、それでこれだけの腕前かー。魚を釣るのはお手の物ってわけだ。……でもさ」
「はい?」
「どうせなら、オトコもそんな風に釣れればいいのにな! 入れ食いって感じで。あははは」
「下品……」
本当に、カレンはもったいないと思う。黙っていれば美人なのに。
「……まあ。なんにせよ、さ」
不意に笑顔を引っ込めたカレンが呟く。湖面を見つめるその横顔には口元に穏やかな笑みを浮かべていて、さっきとは逆に急に大人びて見える。
「あんたが元気そうでよかったよ。この前はごちゃごちゃ考え過ぎてて、頭がショートしてそうな顔してたし」
「あはは……。その節はどうも」
カレンとは、以前に浴場で話したことがあった。あの時の私はリーシィさんのライバル宣言を受けて、心が大きく揺さぶられていた。私は先生のことをどう思っているのか。自分の心だというのに、その答えがつかめないでいた。カレンはそんな私の悩みを一言で切って捨て、解決の糸口を与えてくれたのだ。彼女と話せていなかったら、私は未だに先生のことを正しく意識できていなかったかもしれない。
「……で、どうなの? 最近は」
「どうって……」
「だから、ハイドとのことだよ。……まさかまだ、手を繋げて嬉しい! なーんてレベルじゃないだろうな?」
「……あの、その……。先生は」
軽く冗談混じりに言ってくるカレンに対し、私は意識せずに顔を曇らせてしまう。それを即座に読み取ったのか、彼女も笑顔を消してこちらを覗きこんできた。
「……どうした」
ここで、彼女に相談するべきなのだろうか。普段ふざけた態度で接してくるカレンだけど、根は誠実な人だと私は思っている。おそらくは私の悩みも、バカにしないで聞いてくれるだろう。ただし、それで今の問題が解決するかどうかは別の話だ。カレンのことだから、先生が隊長から<オレンジ>プレイヤーであると疑われていることを知ればその誤解を解くために、ゼルさんにも話すだろう。そしてゼルさんだったらきっと軍のルールに縛られることなく、動いてくれるはず。でもそうなれば、今度は08小隊が憲兵隊にマークされてしまうかもしれない。
隊長の話では元々が<愚連隊>などと揶揄されているくらいだから、上層部にもゼルさんたちを煙たがっている人たちはそれなりにいる。そんな彼らにとって、ゼルさんに<オレンジ>疑惑のある人物との交友関係があるという情報は棚から牡丹餅、かっこうの攻撃材料になってしまう。
「キサラ」
黙り込んだ私を怪訝そうに見つめてくるカレン。その瞳は真摯さに満ちていて、思わず縋りたくなる。けれど……。
「あの、カレン……」
「釣れますか」
しかし私の逡巡は、不意にかけれらた声によって中断された。のんびりと落ち着いた男性の声。聞き覚えのあるこれは。
「あ……。に、ニシダさん!?」
振り返ったその先にいたのは、眼鏡をかけた肉付きのいい身体の男性。<釣り師>ニシダさんだった。
「……中尉。そちらの方は?」
「えっと……。<釣り師>のニシダさんです。以前、この層でお世話になった方で」
意外な人物との邂逅に驚いた私だけれど、とりあえずは皆に紹介することにした。見知らぬ男性プレイヤーを訝しむように見ていた隊長に、簡単に説明する。
「ニシダさんは、すごく釣りが上手なんです。私もこの人に教えてもらって……」
「……そうか。はじめまして、ニシダさん。私は<アインクラッド解放軍>所属、ウィンスレー少佐。キサラ中尉を含めた第104小隊の隊長を務めている」
「これはこれは、ご丁寧にどうも。ニシダと申します」
普段は部外の人間をあまり近くに寄せ着けたがらない隊長も、ニシダさんの柔和な雰囲気には警戒を解いたようだ。手を差し出し、握手を求める。
「いやあ、まさかキサラさんが兵隊さん? だとは……思いもよらなかったですわ」
「そう言えば、この前は言っていませんでしたね」
にこやかに隊長との握手を解いたニシダさんが、身体を揺すって笑う。体型といい、落ち着いた雰囲気といい、ニシダさんはどこか曹長に似たところがある。
そして、その曹長も私の紹介に興味を引かれたのかニシダさんに対して軽く頭を下げた。
「はじめまして、ストーンと申します。……ニシダさんは、釣りが得意だと?」
「ええ、それはもう。なんなら3度のメシよりも。わ、は、は」
「おお。奇遇ですね、私も釣りを嗜むのです」
それだけでどこか通じ合ったのか、2人はがっちりと握手を交わした。同性で年も近いーーとはいっても曹長の方がニシダさんより1回りくらい年下なのだろうけどーー2人である。趣味も一緒となれば、打ち解けるのにもそう時間はかからないかもしれない。
「いやあ、話には聞いとりましたがまさかこんなに大人数だとは。……なるほどこれなら、いけるかもしれませんな」
「え?」
ニシダさんの細められた眼の奥に、きらりと光が宿ったような気がする。私が首を傾げてみせるも、彼はそれには答えず皆に向かって言った。
「……どうでしょう、皆さん。この池での釣りもなかなかに面白いですが、……もっとアツいスポットがあるんですわ」
「アツい? それは大物が釣れるということですか?」
ニシダさんの言葉に、即座に曹長が反応する。普段皆から一歩引いた立場で流れを見守ることの多い彼にしては、珍しいような気がする。ニシダさんもそんな曹長の様子が嬉しいのか、にんまりと笑った。
「ええ、大物も大物。……いわゆる、ヌシですわ」
「……ほんとにそんなデカイ魚がいるのかよ? クジラ並って……竿で釣れるわけねーじゃん」
「あら、ここはゲームの中なのよ? 剣1本でゾウみたいな大きいモンスターも倒せるんだから、あると思うなー」
「いや、でもさ……」
「それに! もしそんな大きい魚が捕れたら、きっと美味しいわよ。ふふふ……腕が鳴るわ」
「っ! ……そうか、オレが釣ってイルが料理して……」
後ろから聞こえてくる年少組の会話に、思わず頬が緩む。
私たちはニシダさんの案内で、この層でも一際大きな湖を目指して歩いていた。
彼の話では超大型の魚……通称ヌシが確認されたのはつい最近の事だという。数多くの湖沼が点在するこの22層にあって、そこだけが妙に難度が高く設定されている湖。どんなエサや釣り竿を試しても釣れず、唯一主街区<コラル>の道具屋に並べられているエサの中で反応を示すものがあったのだとか。
ただしそのエサは他の品と比べると格段に高額で、おいそれと買えるものではないらしい。以前にニシダさんが挑戦したときにはまだ<釣り>スキルも上限まで達しておらず、釣り糸が切れて終わったのだと言っていた。
『今の私なら、おそらく糸が切れるようなことはないはずです。<釣り>スキルも<完全習得>しておりますでな』
そう、ニシダさんは意気込んで言う。スキルの<完全習得>……。いわゆるコンプリート、マスターレベルに達しているということだ。戦闘用スキルの1つすら未だにそこに至っていない私にとっては、それは遥か高みにある領域。さすが、<釣り師>を名乗ることだけはある。
「……でも、ニシダさん。おせっかいですけどあんまりご自身のスキルレベルとか、構成とかは他人に話さないほうがいいですよ。そこから弱点を探られて、犯罪者に狙われたりもしますから……」
<オレンジ>から一般プレイヤーを守る立場の人間として、私はそう忠告した。このSAOでは自分のレベルやスキル構成、それにプレイヤーネームすらも無闇に口外するべきではない。知性を持たないモンスターと違い、人間は考える力を持っている。そして悪いことに、それはむしろ他人を貶めるときにこそ本領を発揮しがちなのだ。お金で動く情報屋さえも、他人のパーソナルデータを取り扱うのには慎重になる。
親しき仲にも礼儀ありと言うけれど、私自身厳密なスキル構成については隊の仲間にすら開示していない。レベルは軍の階級を設定するのに必要だから別としても、それ以外の情報は基本的に各個人の自己申告制になっている。
そう言えば、私は先生の詳細な情報を知らない。<片手剣><威嚇>に<釣り>、それにエクストラスキルの<矛盾>を持っているのは分かるのだけど……。
「わ、は、は。大丈夫ですよ、キサラさん。こんな釣りバカを襲っても旨味が無いことくらい、彼らも分かっているでしょう。カーソルが<オレンジ>に染まるデメリットに比べたら手間に合わない。ハイリスク・ローリターン、ですよ」
「それは、そうかもしれませんけど……」
私の心配をよそに、ニシダさんは笑う。年齢的に、普段私以上にゲームから縁遠そうな彼はこのデスゲーム内にあってもステータスがただの数値にしか見えないのかもしれない。
「ところで……。あの、ニシダさん。さっきちょっと気になることを言ってましたよね? 『話に聞いてた』とか……」
私の勘違いでなければ、ニシダさんは私たちがあの場所で釣りをしていたことを知っていたような素振りを見せていた。モンスターが出ないとはいえ、この広い森の中で偶然に出会うとは考えにくい。確かにあの池は以前私たちとニシダさんが出会った場所だから、彼がそこに来てもおかしくはない。だけどタイミングが良すぎる気がする。まるで今日、あの時間あの場所で私たちが交流会を開くことを事前に誰かから聞かされていたかのような……。
「おや? キサラさん。私は彼女から、貴女が待ち合わせ場所を間違えたようだからと……」
「え?」
「おお、ここか!」
唐突に視界が開け、眼前に壮大な景色が広がった。視界の端から端まで覆い尽くしそうな湖面は透き通っており、そこから吹いてくる風は夏特有の身体にまとわりつくような空気も洗い流してくれるかのよう。太陽は中天を通り過ぎた時刻とはいえまだ日は長く、湖の周辺をふちどるように生えている木々の影に入れば気持ちよく昼寝が出来そうだ。辺りを飛び回る大きなトンボは、実態が無い視覚エフェクトに過ぎないと分かっていても、俊敏な動きで私の目を奪う。
「こりゃあいい! キサラよ、お前さんはいい友だちを持ったなぁ!」
いの一番に飛び出していくゼルさん。剣を握っている時の彼は猛々しいライオンのような雰囲気なのに、今の姿はまるで無邪気に庭を駆け回る猫のようだ。続いて、クロくんとイルも駆け出していく。
「きれい……」
「気に入ってもらえたようですなあ。私も来てもらった甲斐があるというものです」
呆然と呟き、一歩踏み出す。頬を撫でる風が気持ちいい。
……ああ。この景色は、先生にも見せてあげたかったな。
まあ、あの人のことだからきっとそんなに感動することもなく受け入れてしまうのかもしれないけど。例えば、すぐそこの木陰に横になりながら『キサラ、僕はちょっと昼寝するので食事の時間になったら起こして下さい』なんて言ったりして。
「……なんてね」
そんなことを考えながら、ふと周りを見渡してみた。高い針葉樹で出来た大きめの木陰があり、枕にするのにちょうど良さそうな太さの根が張り出している。そこに……。
「……っ!」
見間違い、かと思った。
けれども何度目をしばたいてみても、その形は消えることがない。木の根の上に両手を重ね、そこに頭を乗せて気持ちよさそうに眠っている姿。
遠目からも分かる高めの身長に、黒い頭髪。間違いない、あれは……。
「せん……せい……?」
口内で呟いた私の声が届いた、というわけではないと思う。けれども彼は……先生はまぶたを開くと、ゆっくりと上体を起こした。そして、呆然と見つめる私を認めると相好を崩し、言った。
「やあ、キサラ。久しぶりですね」