こちら、アインクラッド解放軍第104小隊   作:ハイランド

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前回のあらすじ……という名のプロット

・オレンジ疑惑
ニシダと別れ、帰路に就く2人
女主は、いつの間にか気持ちが軽くなっていたことに気付く
男主は満足げにその顔を見ている
機会があれば、小隊員と釣りで交流を持ちたいと提案する男主に、女主も頷いた
男主と別れ自室に向かう女主に、メールが届く
相手は隊長で、話があるので今から会えないかという
司令部の小隊執務室で向かい合う2人
隊長はまず女主の最近の働きぶりから、寄り道せず軍の任務に専念すべきと言ったことを詫びる
その上で、男主との付き合いを止めるべきと語る
何故なのかと問う女主
隊長はまた最近の女主の様子を挙げ、感情の起伏が激しく冷静さを欠いているのではないかと指摘
さらに隊長は、女主が男主の素性をどれだけ知っているのかを問う
隊長は今日の2人を、憲兵隊に尾行させていた
それによれば男主は女主と分かれた後、人目を避けるかのように単身ダンジョンに潜り消息を絶ったという
覗き見されていたことに怒りを爆発させる女主
それを遮り、隊長は男主がオレンジのスパイなのではないかと口にする
当惑する女主に、隊長は次々と疑惑をぶつける
何か隠しているような様子はなかったか?
女主と会う時間の他は何をしているのか?
女主以外の交友はどうなのか?
所属ギルドはどのような所なのか?
軍について興味がありそうな様子ではなかったか?
そのすべてに、明確に反論できない女主
脳裏には、海辺の町でのイベントが再生されていた
明かすべきでない秘密もあるのでは、という男主の言葉が蘇る
自分に近づいたのは軍の内情を探るため?
茫然と女主は立ち尽くす


36ため息橋

 2024年8月 第1層 はじまりの街 黒鉄宮<アインクラッド解放軍>司令部

 

 あれから、2週間が経った。

 私は平日は104小隊の軍人として活動し、週末には小隊員の親睦を深めるという名目でイルと一緒に食事会を開いたりしている。おかげで私の<料理>スキルは以前にも増して強化されたのだけれど、心のどこかには焦りにも似た感情がくすぶっている。

 営倉送りにはならなかったものの隊長の監視の目は厳しく、私1人での外出には許可がおりない。ちょっとした買い物にもフラッシュ軍曹を伴わせーー今の彼には急遽作られた『副隊長付』という役職が与えられているーー隊長自身が司令部を離れている際にも先生に会いに行くことは出来なかった。

 先ほどのべた『食事会』も、元はといえば隊長が提案したものだ。親睦を深める、というのは体の良い理由付けで、実際は私を自分の手の届く所に置いておきたい意図は明らかだ。

 ただ、不幸中の幸いというべきか。今の私は先生とも連絡が取れているし、それによればまだ先生は憲兵隊のカイト大尉に捕まってはいないらしい。

 ここが現実世界であれば、内通者の疑いを掛けられている私から外部との連絡手段を取り上げるのは当然のことだ。だけど、このSAOではメッセージのやり取りに携帯端末を必要としない。右手の指を振り下ろせばメニューは呼び出せるし、そこからフレンドリストを選択すればいい。最初は私に先生とのフレンド登録すら破棄するように要求してきた隊長だけれど、それだけは絶対に従えない。噛み付きそうな勢いで拒絶した私に、さすがの隊長も諦めてくれたのだ。

 ただし、憲兵隊の捜査状況は完全にシャットアウトされた。あのときカイト憲兵大尉は『私個人による予備審問を行う』と言っていた。その言葉が本当なのか、あるいはすでに憲兵隊本隊による捜査が始まっているのかは分からない。いつ先生のもとに憲兵隊が姿を表わすのか……。私としては気が気でない。

 

 >from:hyde

 >sub:Re:大丈夫ですか?

 >to:Kisara

 >ご心配なく。今日もお縄につくことなく済みました。アルゲードは複雑な街ですから、カイト大尉とやらも僕たちを補足するのは難しいでしょう。

 >僕としては、きみが疑いを晴らすために無茶をしないかが心配です。本当はきみの上司と直接話す機会ができればいいのですが。…どうでしょう、今度三者面談でも開きませんか?

 

「んな……っ」

 先生から返ってきたメッセージの内容に、私は絶句してしまった。

 ……のんきすぎる。この人は、ことの重大さがわかっていないのではないだろうか。

 面談もなにも、先生が目の前に現れた時点で隊長は彼を捕らえようとするだろう。そうなれば、監獄エリアに送られるのは必至。おそらくはこのSAOがクリアされるまで外に出られることは無いというのに。

「どうかしたんですか、キサラさん?」

 私の思わず漏らした声に、イルが小首を傾げつつ近づいてきた。風呂あがりの彼女の顔は上気しており、ゆったりとした寝間着に身体を包んでいる。

「あ、いえ……。ちょっと」

 とっさにメッセージウィンドウを閉じ、苦笑いを浮かべつつ振り返った。

 時刻は2010、午後8時過ぎ。自室のベッドに横になって文を読んでいたため、彼女が戻ってきていたことに気付かなかった。

 朝に送った先生の安否確認のためのメッセージだけど、返ってきたのはこの時間である。どちらかといえば筆不精なのか、先生は返信が遅い。基本的にはその日の内に返事があるものの、週に3日ほどまったく音沙汰もない時期もあったりしてやきもきさせられる。

「もしかして、例の先生さんですか?」

 私のすぐ横に腰を下ろしつつ、イルがにやにやと問うてくる。こういう時の彼女は、妙に感が鋭い。ごまかしてもすぐに見抜かれるだろうと思ったので、素直に頷くことにする。

「ええ。……まあ」

「やっぱりー。キサラさんも隅に置けませんね、毎日メールしてるし。でも、そんなに慌てて隠さなくてもいいじゃないですか」

 無邪気に笑うイル。彼女を含めた隊のメンバーには、私の置かれている立場……<オレンジ>疑惑のあるプレイヤーとの内通容疑は伏せられている。隊長が懐刀として信頼しているらしいフラッシュ軍曹を除いて。

 彼女からすれば今の私は恋人との私信を恥ずかしがって隠す乙女にでも見えているのだろう。実態はそんなに甘いものではないのだけど。

「でも、キサラさんも案外ズルいですよねー。隊長にも告られてるのに、別の男の人に夢中になっちゃって」

「いや、それは……」

 いたずらっぽく笑う様子から、その言葉が非難を込めたものではないことは容易に分かる。そう言えば、イルには私が隊長の好意を断ったことを伝えていなかったっけ。

「……あのね、イル。そのことなんだけど」

「はい?」

「私、隊長にははっきりと断ったの。隊長の気持ちは嬉しいけど、私には好きな人がいますからって」

「……へぇー!」

 目をきらきらと輝かせて身を寄せてくるイル。その顔は『もっと詳しく聞かせて』と雄弁に語っている。

「じゃあじゃあ、やっぱりあの先生さんがキサラさんの好きな人なんですか? この前までそんなことないって言ってたのに」

「ええと……。うん、そうなんです。その、紆余曲折ありまして」

「もう、キサラさんも素直じゃないからなー。私からすれば、遅いくらいですよ」

「そう、でしょうか」

「そうそう。……で、もう告白はしたんですか?」

「そ、それはまだ……」

 1人で盛り上がるイルに、私もしどろもどろになりながらも答える。悪意のない彼女との会話は、今の私にとって一種の清涼剤だ。少し前の状態だったら、こうしてツッコんでくるイルにリーシィさんとの『競争』のことを相談したりも出来たかもしれない。そう考えると、もっと早くに打ち明けていればよかったと思う。

「あれ、でも……。このところキサラさん、ずっと司令部にいますよね? ちょっと前まで休みの日には毎回お出かけしてたのに」

「……そうですね。最近はあまり、予定が合わなくて」

 じわりと苦味が胸中に広がる感覚。イルや皆に内密にしていることが心苦しく、もどかしい。隊長を説き伏せるためには、たぶん隊の皆に味方についてもらうのが最善だ。とくに年かさであるストーン曹長に相談すれば、妙案を授けてくれるかもしれない。

 しかし、それも五分と五分だ。隊長が先生への疑惑をフラッシュ軍曹にしか明かさない方針である以上、それを破って私が口外してしまえば余計に反感を買う可能性もある。

「……ふーん。でも、なんていうか……。そういう時も楽しかったりしますよね」

「え?」

「ほら、会いたくても会えない時って余計に相手への気持ちが強くなるっていうか。次に会えるのはいつだろうなー、とか。会えたらどんな話しようかなー、とか。そんな風に悩むのも恋愛の楽しみの1つかな……なんて」

「なるほど。……ふふ」

 彼女の言葉に、思わず私も頷いてしまう。言われてみれば、確かにそれらは少し前までの私の心境そのものだ。イービルデッド対策のために忙しくなっていた時期には、とくにそんなことを考えていたように思う。

 けれども今は、あの時以上にはっきりとした障害……明確な壁が私の前に立ちふさがっている。SAOプレイヤーとしての強さ、落ち着いた大人の男性としての性格……。尊敬していた部分も多かっただけに、豹変した隊長の態度には戸惑いを覚えてしまう。

 どうにかして、先生にかけられた嫌疑を晴らさなければならない。

「……そうですね、イル。貴女にも近いうちに改めて紹介させてもらいたいですね、先生のこと」

「はい、楽しみにしてます。キサラさんも先生さんも、早く会えるようになったらいいですね。……それに、告白も!」

「う……。善処します」

 

 今の私にできるのは、先生の無事を祈ることくらいしかない。あとは、軍の仕事をこれまで以上にこなして隊長の信用を少しでも勝ち取ることか。 

 結果さえ出せれば、隊長の態度も少しは軟化するはず。そうすれば、先生への疑惑……ひいては私にもかけられた内通者としての疑いを晴らす機会も得られるだろう。

 そうだ。イルとの約束を果たすためにも、粘り強く交渉にあたろう……。改めて決意を固め、私は彼女に微笑んだのだった。

 

「おら、きりきり歩けよー」

 連行者としてはやや緊張感の欠ける声で、軍曹が言った。

 

 よく晴れた平日の午後。私たち104小隊は、ある小規模な犯罪者グループの摘発に成功した。

 以前から追っていたイービルデッドたちのグループではない。レベル的には彼らより数段下の、主に中層以下の<グリーン>プレイヤーを獲物にする者たちだ。マッピングに訪れたフィールドの一画で、偶然『狩り』を行う彼らと遭遇したのだ。

 最初こそ私たちを普段下層から出てこない、規模だけが強みの<解放軍>の一部隊だと侮っていた彼らだけど、それも戦端を開くまでの間だった。私の槍と体術、隊長と曹長の片手剣。それに最近すっかり板についてきた軍曹のカタナも合わさって、制圧にはさほど苦労することもなかった。

 むしろ大変なのは、事後処理の方だった。基本的に、彼らのように捕らえられた<オレンジ>プレイヤーは解放軍司令部にある監獄エリアに収監される。普段はシステムから街への入場を拒否される<オレンジ>も、この施設だけは別だ。<はじまりの街>とフィールドとの境目のとある箇所に監獄への直通ルートがあり、軍のプレイヤーに守られたそこは<グリーン>も<オレンジ>も分け隔てなく通る事ができる。

 当然監獄エリアを通って街なかへも出られるのだけど、犯罪者がそれをすれば即座に屈強な衛兵NPCが飛んでくる。まあ、それ以前に看守役を務める軍プレイヤーが目を光らせているので、脱獄などはありえない。

 なんにせよ、捕縛した犯罪者はそこへと連れて行かなくてはならない。大抵の犯罪者は資金が潤沢で、転移結晶も持っているのでそれを使わせればいい。本当に食い扶持に困って、お金もアイテムもない状態で犯罪者へと身をやつしていた場合は……。一時的に転移結晶を建て替えるか、<オレンジ>である彼らを護衛しつつ迷宮区を通る、などといったある意味本末転倒な事態になってしまう。

 今回は幸いにして羽振りのいい方のグループだったので、結晶を使用しての短時間コースで済んだ。監獄入り口を転移先に指定させ、向こうで待ち構える門番に引き渡す。本来ならそこで捕まえた私たちの役目は済むのだけど、今日は時刻が夕方ということもあり、帰投のついでに監獄までの連行も私たち自身で行うことになった。

 

「ちっ……。偉そうにしやがって。大体なんで、軍の連中があんなところまで来てやがったんだ。こいつらの縄張りは下層だけだったはずだろ」

 彼らのグループでリーダー役を務めていた男性が、小声でぼやいているのが聞こえる。それに、前方を歩いていた軍曹が顔だだけ振り返りつつ応えた。

「ああ? おめーら、<オレンジ>のくせに情報収集が甘かったんじゃねーのか。確かにオレたちはほとんど前線まで行くことはないがな、いくつかの小隊……パーティが中層くらいまでなら出張してるんだぜ、治安維持のためにな。軍が存在してる限り、<オレンジ>なんぞに好き勝手にはさせねえさ」

「……何様のつもりだか」

「なに?」

 飄々とした態度で受け答えしていた軍曹に、男性が吐き捨てるかのように言った。

「なにが軍だ、治安維持だ。お前らのやってることは、ただの警察ごっこだろうが。国に認められた公権力でもないくせに、ただ人数が多いってだけでデカイ面しやがって」

「犯罪者に言われたくないっつーの」

「……なあ、お前らって何が楽しくてそんなことしてるワケ? ビーターや攻略組みたいに注目されてチヤホヤされるでもなし。オレたちみたいにこの『ゲーム』を楽しむ奴らの邪魔はするくらいなら、<はじまりの街>にいるヒキコモリ連中みたく大人しくしとけよ」

「『ゲーム』、だあ……?」

 その言葉に、軍曹がぴくりと反応した。足を止め振り返り、男性の目を覗きこむようにーー身長はわずかに軍曹の方が大きかったーー腰をかがめた。

「お前、本気で言ってるのか? このSAOで死んだら、プレイヤーも本当に……」

「ゲームだろうが。なんだ、あんたらはあの茅場の言ったことを信じてるのか? 『ヒットポイントがゼロになった瞬間、脳がナーヴギアによって破壊される』……だっけか。素直だねぇ」

 男性の言っていることは、当初の全SAOプレイヤーの間では共通の疑問だった。すなわち、本当にゲームオーバーイコール死、なのか。いくらリアルに作られていても、所詮は仮想現実。キャラクターデータの破棄くらいならともかく、現実の肉体が死ぬなんてありえない……。

 サービス開始直後にはそんな解釈が流れ、ある種楽観的だった時期もある。かくいう私も、茅場さんの宣言には半信半疑だったプレイヤーの1人だ。でも。

「……さんざん検証されただろ。大容量バッテリーが搭載されているナーヴギアなら、それも可能だって」

 私以外の熱心なゲームユーザー、SAOの発売以前からナーヴギアを保有していたグループの人たちはそんな私の希望的観測……いや、現実逃避を打ち砕いてしまった。なにより、ゲーム開始から1年と9ヶ月が過ぎた今でも現実世界からの救助がない現状がそれを物語っている。

「まあねぇ。でもさ、それにしたって結局は確認しようがないわけじゃん? リアルでいうところの『死後の世界』とおんなじでさ。……いや待てよ。もしこのSAOで死んだら、そのどっちも確かめられるってことになるな?」

「てめぇ……!」

「ひゃは、怒るなって。……自称『軍』の方々は、頭の硬さだけは本物そっくりみたいだなぁ。もっと柔軟に行こうぜ」

「っ!」

「軍曹、だめ!」

 挑発に乗せられた軍曹が拳を振り上げた所で、私は両者の間に割って入った。<オレンジ>カーソルである男性を殴った所で軍曹に犯罪者フラグが立つわけではないけど、とっさに体が動いてしまっていた。

「……ちっ」

「おー、こっちの女軍人さんは優しいねぇ。どうだい、お固い軍隊ごっこなんぞ辞めて、楽しい楽しい犯罪者ごっこに鞍替えしちゃあ」

「犯罪者ごっこって……」

「オレだって向こうじゃ、真面目な学生さんだったのよ? 交通違反すらしたことのない、善良な一般市民てやつさ」

 軍曹から引き離しつつ、男性に向き直る。先ほどの軍曹とは逆に、背の低い私のほうが見上げる形になっている。

「それが、この世界じゃなんでも出来るんだぜ? 考えてみろよ、ネトゲでPKしたからって警察に捕まるようなことなんてあったかよ」

「……それでも、皆が嫌がることを進んでやりたいとは思いません。ましてや、盗みだとか人殺しなんて。私には、あなたたちのようにSAOがただのゲームだなんて割り切ることは出来ない」

「もったいないねえ。何の罪に問われることもなく火遊びが出来るチャンスだってのに。あ、勘違いしないでくれよ? オレたちはまだ人殺しまではしてないぜ。なあ、お前ら」

「あったりまえよ。オレたちは良識派だからなー」

「く……」

 ケラケラ笑う<オレンジ>のグループ。

 現行犯逮捕でもなければ、彼らが殺人に手を染めていたかどうかを証明する術はない。言わば、言ったもの勝ちだ。ちなみに軍ではその罪状に関係なく、捕らえられた犯罪者は無期懲役の扱いになっている。現在黒鉄宮の監獄エリアには700人近い<オレンジ>プレイヤーが収監されており、その数は増えることこそすれ、基本的に減ることはない。彼らの食費は収監時に没収した各々の資産の一部から捻出されているから財政的には問題ないものの、配食の手間はかかる。これ以上の増加はキャパシティ的にも弊害が出てくる、というのが軍上層部での悩みのタネの1つらしい。

「何の罪にも問われない、とは言いますが……。それは間違いです。少なくともここでは牢獄に入ってもらいますし、現実世界に戻ったらきっと……」

「はあ? リアル? おいおい姉ちゃん、そりゃあ違うだろ。オレたち<オレンジ>はあくまでもゲーム内で遊んでただけだぜ。悪者、っていう役割を演じてな。例えば……これは本当に仮定の話だが、もしもそれでリアルで人死にが出たとしてもそれはオレたちのせいじゃない。そんな危ないハードを作った茅場とアーガスの責任だ。オレたちは閉じ込められた被害者なんだぜ」

 詭弁、としか言い様がない。

 この世界に囚われていることが被害というなら、それを解決するためにも皆で協力してゲームクリアに臨むべきなのに。彼ら<オレンジ>に比べれば、<はじまりの街>で救助を待つグループの方がまだ建設的だ。それを妨害する行為をしながら、責任は他者に押し付けるなんて。あのイービルデッドもそうだけど、本当に彼らの考えがわからない。早く現実世界に戻りたくはないのだろうか?

 

「……ご高説を垂れているところ、すまないが」

 それまで沈黙を守っていた隊長が一歩踏み出し、口を開いた。私の肩に手を載せ下がるように促す。

「なんだあ?」

「君のその考え方にしても、『あの男』の受け売りにすぎないだろう。自分では善悪の判断もつかず、ただ流されるままに犯罪に手を染めているだけの者に我々軍の活動を否定する権利はない」

 隊長の言う、『あの男』。おそらくはSAO最大最悪の犯罪者グループ、<レッド>ギルド<ラフィン・コフィン>頭首のことだろう。黒鉄宮に収監されている犯罪者の多くがその名前を口にし、信奉している。

「へっ、あんたらこそオレたちのやり方をどうこういう資格なんてないぜ。正義の味方ごっこで悦に浸るのには、悪役が必要なんだ。怪人の出ない特撮ものなんて、誰も見やしねえだろ。むしろあんたらは、オレたちに感謝してもらいたいくらいだぜ」

「……フ。悪と和解するつもりなどない。どちらにせよ、君たちはここで終わりだ。解放の日まで、暗い牢獄で己の罪を噛みしめるといい。窓も無く、毎日代わり映えしない景色の中に身を置けば、そのうち後悔もしたくなるだろうよ。……さあ、着いたぞ」

「……ちっ」

 いつの間にか、私たちは牢獄エリアの入口目前まで来ていた。高い城壁に覆われた<はじまりの街>。正門からは遠く離れた位置に小さな勝手口のような扉があり、そこから細い橋が外に向けて伸びている。橋の下は底の見えない地割れが広がっていて、扉に入るためにはこの橋を渡らなければならない。

 今の時刻、夕焼けに染まる空は美しく、地割れの不気味さとは対照的だ。連行された犯罪者の多くは扉をくぐる直前に歩いてきた道を振り返り、その景色にため息をつく。これから始まる刑務所生活と、今まで送ってきた放埒の日々との境界線。

 今回のグループも口では強がっているものの多少の不安は感じているのだろう、例に漏れず全員が振り返った。意地を張っているらしいリーダーの男性プレイヤーを除き、それぞれが短く息を吐く。

 彼らはここから<圏内>で唯一<オレンジ>が入れる領域に足を踏み入れるのだけど、その前に強制されている通過儀礼がある。武装の全面解除……システム的に言うところの『全所持アイテムのオブジェクト化』だ。

 もちろん主要な装備は捕縛した時点で取り上げているのだけど、そのほかの消費アイテムなどは転移結晶のような逃走に使えそうな品物を除きここまで運ばせることになっている。大物の<オレンジ>プレイヤーともなるとその所持品は膨大な量になり、全アイテムを現場で回収しようとすれば軍プレイヤーのストレージに収まりきらない。今後の彼らの食費を捻出するためにも、取りこぼしは可能な限り避けるのが軍の方針だ。

「……そらよ、これでいいのか?」

 男性が忌々しげにメニューを操作する。次の瞬間、彼の足元には大量のオブジェクトが出現した。小さなピンク色の結晶から大きな両手剣、私の筋力値では持ち上げるのがやっとになりそうなフルプレートアーマーまで。男性自身の服装も簡素な初期状態のチュニック姿になり、威圧的な態度も心なしか鳴りを潜めたようだった。

 隊のメンバーでそれらの品物を拾い上げ、各自のストレージに格納していく。男性以外のプレイヤーも同じように続き、全員が武装解除を済ませた。今回は全てがストレージ内に収まる量だったようで、散らばったアイテムを余すこと無く回収することが出来た。と……。

「あれ? 隊長、その剣は……」

 つい先程までなかった一振りの剣が、隊長の腰に吊られている。もともと隊長が使っていた剣と合わせて、2本の剣が剣帯にあった。丸い柄頭に宝石がはめこんであり、片手剣としてはやや幅広にも見える。いかにも硬い鋼で作られていそうなそれは、質実剛健な隊長の雰囲気に不思議と合っていた。

「ああ、これか。……ちょうどこれだけがストレージに入りきらなくてな。このまま持って行くことにする」

「でしたら、私が預りましょうか? まだ私の方には空きがありますし」

 しかし隊長は、メニューを呼びだすために振り上げた私の右手をやんわりと押さえた。どうやらそれには及ばない、ということらしい。

 隊長は踵を返すと、丸腰になった犯罪者たちのほうに歩いて行った。立っていた門番に扉を開かせ、手で中に入るように促す。彼らはしぶしぶといった様子でそれに従い、1人ずつ扉をくぐっていった。あとは中にいる刑務係の軍人が彼らを牢に連れて行ってくれるだろう。

 私たちも隊長に続き、回収した物品を兵站部に引き渡すべく倉庫に向かうのだった。

 

「はーい、おつかれー」

 そう言って私たちを出迎えたのは、空色の髪をもつ女の子だった。くりんと毛先が外側にカールした活発そうな髪型で、ねぎらうように明るい声を掛けてくれる。兵站部所属のアヤメ曹長ーー私と同時期に<アインクラッド解放軍>に入隊した同期生だ。

「アヤメ、今日は貴女が当直だったの」

「そーよー。まあ私の場合、仕事があろとなかろうとココにいるんだけどね」

 事務机に座ったまま、くるくるとペンを指先で弄んでいる。あまり真面目に職務に取り組んでいなさそうな雰囲気だけど、こう見えて彼女は有能だ。4ケタを数える解放軍所属のプレイヤーに回復薬などの必需品を過不足なく行き渡らせる兵站部は、地味な立ち位置ながらも屋台骨を支える重要な部署だ。その兵站部にあって士官にも見劣りしない激務を平然とこなす彼女を、私は密かに尊敬している。

「おっすー、アヤメちゃん。おひさ」

「……あんたも一緒だったか」

 私の横から、軍曹がひらひらと手を振りながら挨拶する。階級的には目上であるにも関わらず、彼はまるで同世代の友達に接するかのように話しかけていた。対するアヤメも相手が年上の男性ということをまったく意識していない様子で応える。

「どーよ、アヤメちゃん。いいカタナ入った?」

「しつこいねー、あんたも。いい加減、金貯めて部外の鍛冶屋にでも頼みなさいよ……めんどくさい」

「そんなこと言うなよ-。プレイヤーメイドってめちゃくちゃ高けえんだぜ? 軍の給料じゃ10万コルも貯められないって」

 以前、軍曹は<カタナ>スキル習得時にこの兵站部に連日通いつめ、強力なカタナを受領するためにしつこくアヤメにまとわりついていた。辟易した彼女が軍曹の上司である私にクレームをつけ、それをやめさせた経緯がある。どうやら彼はまだ自分の獲物に満足していないらしい。

「ほれ、軍曹。バカをやっていないでさっさと物品を納めんか」

 しかし今回はそんな事態に陥る前に、ストーン曹長が間に入ってくれた。軍曹の襟首を後ろからつまみ上げ、軽く横に放り投げる。

 軍曹はぶちぶちと文句をたれながらも、大人しくストレージを開いた。トレードウィンドウを開き、範囲選択した分をアヤメに送りつける。アヤメは送られてきたアイテム群をすさまじい勢いで分別し、それぞれの倉庫に送っていく。ついさっきまでのだらりとした雰囲気はどこへやら、見たことはないけれど会社でこういう人が『経理の鬼』などと呼ばれるんだろうなあ。

「……はい、終わり。次はー?」

 大量の品物を即座に仕分けし、ぐるりと肩を回すアヤメ。私は彼女の仕事ぶりに感心しながらも、回収したアイテムを渡すべくトレードウィンドウを開いたのだった。

 

「ふむ。いつもながら、見事な手際の良さだな曹長」

「いやー、そんなことないっすよー」

 最後に隊長がアイテムを渡し終え、納品が終わった。誰に対しても不遜な態度を取りがちなアヤメだけど、なぜか隊長に対してはへりくだった接し方をする。ただ、それもどこか体育会系というか……やや崩れた敬語になっている。現実世界でのくせなのだろうか。以前話した時には、陸上部だかに所属していたと言っていた。

「これで全部っすかねー?」

「ああ。……いや、そうだコレを忘れていたな」

 納品漏れがないかと確認するアヤメに、隊長は軽く首を横に振った。腰に下げていた2本の剣の内、片方を剣帯から取り外し机の上に置く。

「ほぇー、これはなかなかの業物ですね。それに、よく使い込んである。<オレンジ>の強奪品としては珍しいっす」

「……そうか。まあ、おそらくは上層クラスのプレイヤーから奪ったのだろう。換金すれば、それなりの額になるとは思うが」

「いやー、ウチとしてはありがたいっすよ。このところ納品をちょろまかす連中もいますからねえ……」

「嘆かわしいな」

 困ったように眉根をよせるアヤメに、隊長も同情するかのように頷く。軍の規則こそ第一、と考える隊長からすれば回収品の横領というのはもっとも許せない背信行為の1つに思えるのだろう。

 剣を倉庫に納め、代わりに大きな革袋を取り出すアヤメ。見るからに重そうなそれを隊長に手渡す。

「じゃあこれは、今回の報奨金ということで。それと、消耗品も補充しておきます」

「うむ」

「また来るね」

「うん。今度はなにか美味しいもの持ってきてよー」

 鷹揚に頷き、踵を返す隊長。私もアヤメに軽く手を振ると、隊長とともに部屋を後にした。

 普段は実働部隊以上に忙しい彼女だからなかなか気軽に会いには来られないけど、たまにはお茶に誘うのもいいかもしれない。

 

 司令部、黒鉄宮のエントランスに戻ってきた時にはすでに午後8時近くになっていた。

 この時間では士官食堂も科員食堂も開いてはいないので、食事をしたければどこか街なかの食堂にでも行く必要がある。

「さーて、報奨金も出たことだし。今日はパーッとやりますか!?」

「アホウが。考えなしに娯楽に使ってどうする……。まずは装備品の整備に必要な額を考えてだな」

「だーからオッサンは考えが固いんだって! なあクロ、イル。お前らもたまには美味いモン食べたいよなー?」

「いや、オレはべつに……。イルの作ったメシでいいし」

「っていうか軍曹、私たちをダシに使わないでくれません?」

 前を行く軍曹たちは一仕事終えたこともあってか、わいわいと緩んだ雰囲気を放っている。

 夏真っ盛りの今、夜でも気温は高めで冷たいものが食べたくなる。私だったら冷麺が食べたいな……などと考えながら軍曹たちに合流しようと歩調を早めた時。

「……隊長?」

 1人遅れて続く隊長が、いつの間にか足を止めているのに気がついた。片手で腰にさした剣の柄に触れ、もう片方の手でメニューを操作しているようだ。……あれ?

「……隊長、その剣は……」

 隊長に近寄り、腰の剣を指さす。私の記憶が確かなら、今彼が持っているのは先ほど<オレンジ>から取り上げた幅広なあの剣だ。つい今しがた、アヤメに納品したはずなのに。

「ん? ……中尉か。これはいいぞ、威力耐久値ともに申し分ない」

 私の訝しむさまを意に介さず、鞘から剣を抜き放つ。ぎらりと光を放つ刀身には傷1つなく、まっさらの新品であることがうかがえる。間違いない、この剣は……。

「ど……どうして隊長がそれを」

 思わず半歩後ずさり、隊長から距離を取る。刀身を眼前まで持ち上げた隊長は新しいオモチャを与えられた子どものように嬉々とした表情で言った。

「……道具の価値は、使い手に寄って大きく左右される。この剣も、犯罪者の手にあるよりは正義のために使われたほうがいい。そうは思わないかね、中尉?」

「わ、私が言ってるのはそうじゃなくて! ……<オレンジ>から取り上げたアイテムは全部兵站部に納品するのがルールじゃないですか。それなのに、どうして隊長は……」

「なに、問題ない。代わりに今まで私が使っていた剣を納めた。彼女も言っていただろう、なかなかの業物であると。資産価値としてはむしろ私にとってマイナスになったくらいだ」

「そんな、でも……。だってそれじゃあまるで」

「横領だ、とでも言いたいのかね」

 隊長の手に握られた剣柄の宝石が、街灯の灯りを反射してきらきらと光っている。同様の光をたたえた隊長の瞳はどこか病的で、私は視線を逸らした。

「なあ中尉、これは必要なことなのだよ。あの男もそうだったが、近頃は<ラフィン・コフィン>やそれに同調した犯罪者どもが勢力を拡大しつつある。治安維持にあたる軍は全体の強化が不可欠だが、実際に戦えるのはフタケタの小隊を始めわずかな者たちしかいない。それならば、戦力強化は希釈するよりも一極集中にするほうがいい。我々104小隊にはその資格がある。いや、むしろ義務と言うべきか。現に、キバオウ副指令も……」

「やめて下さいっ!」

 長広舌を振るう隊長を遮る。

 どこかおかしい。以前の隊長なら、間違いなく正規の手順どおりに略奪品を納めていたはずだ。相互扶助のための組織でありながらも、実際には自己強化を優先しがちな多くの軍人たち。その中にあって、実直にルールを厳守していた隊長は信頼に値する人だった。だからこそ、先生を<オレンジ>であると疑っている現状を正攻法で解決しようと思っていたのに。

 思えば、憲兵隊のカイト大尉を個人で動かしたのも妙な話だ。憲兵隊に通報すれば、その時点で捜査権は彼らに移る。どのような方法で調査を進めるかは憲兵隊に一任される形になるので、捜査員の指名などということは出来るはずもない。それなのに実際には、先生を追っているのはカイト大尉ただ1人のはず。これは階級差を利用した、組織の私的利用とも言えるのではないか……。

「……隊長、なんだか最近のあなたは少し変です。その、言葉は悪いですけど……独善的というか」

「……」

 しかし隊長は、上官侮辱とも取れる私の言葉にまったくの無反応だった。黙ったまま剣を鞘に納め、皆の待つ方へと歩き出す。

「隊長!」

「……<守るもの>」

 私の呼びかけにぴたりと立ち止まり、そのままの姿勢で呟く。<守るもの>……? なんのことだろうか。

「この剣の銘だよ。いい名だとは思わないか? 悪を砕き、正義と秩序を守る……<アインクラッド解放軍>のあるべき姿だ」

「……はい」

 先を行く4人はすでに私と隊長が遅れていることに気づいている。こちらにちらちらと視線をよこすものの、私たちが重要な話をしていることを察したのだろう、近づいてくることはなかった。

「私はなにも変わってはいないよ。この世界で果たすべき、自分の使命を忘れたことはない。それでもきみが私を変わったと感じているのなら、それはきみの視点が変わったのだ」

「そんなことは……」

 小声で呟いた私の声が聞こえた様子もなく、謳うように囁く隊長。

「……ああ、いっそのこと『彼』が今ここに表れてくれればいいのに。そうすればこの剣で、きみを変えてしまった元凶を倒し……きみの目を覚まさせてやれるのにな?」

「……!」

 くく、と低く忍び笑いを漏らす。愉悦に染まった隊長の横顔は、私がどんな言葉をかけても届かなさそうで……。

 やはり以前と『変わって』しまったことを改めて実感させられてしまう。

「さあ、中尉。皆が待っている……我々も行こう」

 うなだれる私の背を押すように手を添え、歩を進める。

 私は隊長に促されるままに歩き出すも、心の底に水銀が流れ込んだかのような重みを感じていた。

 

 ……どうすれば、隊長の誤解を解くことができるのだろう。

 気づけば私は、今日捕らえた<オレンジ>グループが投獄される直前にしたようにため息をついていた。

 ただし、彼らがしたようなごく短いものではなく……魂すら吐き出してしまいそうなくらいに長い、長いため息を。

 先生、私は……。




年末までには完結させたい!
と思っていたのですが……。このペースでは難しそうですね。
SAOアニメが終わってからも読んでいただければ嬉しいです。

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