こちら、アインクラッド解放軍第104小隊   作:ハイランド

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前回のあらすじ……という名のプロット

・男のコミュニケーションツール

女主を待ちながら、男主は考える
先日の商人は、なぜ彼女の前に現れたのか?
自分の副業が感づかれているのではないか…
そこへ女主がやってくるが、どこか調子が悪そうだ
聞けば、最近眠りが浅いのだという
理由を尋ねるが仕事のせいではないだろうかと曖昧な答え
男主としては、女主には万全でいてもらいたい
そこで今回は探索には行かず、息抜きを提案する
女主は了承し、2人は釣りに出かける
多数の湖が点在する階層で2人は釣り糸を垂らす
男主は何度か訪れており、釣具の扱いも慣れている
女主は小隊の軍曹も釣りが好きと明かすが、自身は今回が初めてという
男主はボウズだが、女主にはビギナーズラックなのか数匹の釣果
湖には他にも釣り人がおり、その一人ニシダが話しかけてくる
ニシダは2人が恋人かと問うてくる
女主は慌てるが男主はまあそんなものです、と気負うことなく答える
この淡白さに、女主はため息をつく
ニシダはタバコを吸い始め、それを見た男主も懐からタバコを取り出す
男主の喫煙する姿を初めて目にする女主
男主は、女主の前では控えていたという
ニシダは、人が吸っているのを見ると吸いたくなるものだと説明し、男主も同意する
女主も吸ってみたいと言い出すが、男2人は反対する
一口だけ、とねだる女主に折れる男主
一息でムセ、笑う男2人
今後一切吸わないと宣言する女主に、ニシダはタバコは男のコミュニケーションツールだという
女はそれがなくても人と話せるが、男は胸にため込みがちだから、煙と一緒に言葉を発するのだと
男主も同意し、釣りもまたそれにあたるものであるといった




35<オレンジ>疑惑

 日もとっぷりと暮れた夜道を、私たち4人は並んで歩いていた。

 SAOには珍しく、この22層のフィールドにはモンスターが出現しない。松明を灯して周囲を警戒しながら歩かなくても、さほど危険ではないのだ。

 システムの調光機能もあり、視界に困ることもない。

「いやあ、それにしても今日は参りましたよ……」

 私の隣を歩く先生が歩くのも億劫といった雰囲気でつぶやく。

「なにがですか?」

「この歳になって、1日に2度も女の子に……」

「あ、ああ。そのことですか」

 その言葉に、私は多少の居心地の悪さを感じた。先生は今日、朝と夕方の2回私のビンタを受けている。夕方はリーシィさんも加わっていたので、実質的には3回と言ってもいいだろう。

「……で、でも先生もいけないんですよ。あんなデリカシーのないこと……」

「まあ、朝の件は確かに僕も悪かったかと思いますが。……しかしさっきのきみたちは、なぜあんなに怒ったんです?」

「……知りませんよ、もう」

 事ここに至っても、先生は気づいていないらしい。まったく、のんきというかなんというか……。

「あの、ところで先生。1つお聞きしたいことがあるんですけど」

「なんですか?」

 私は先ほど気づいた疑問を尋ねてみることにする。声をややひそめているのは、前を行くリーシィさんとニシダさんのペアに聞かれないようにするためだ。

 ほんの些細な『気付き』だけど、先生に関する事柄はなるべく彼女には聞かれたくない……などと思ってしまう。ささやかなライバル心というか……。

 ……うん。やっぱり私、『重い』のかも。

「キサラ?」

「あ、ええとですね。……先生は右利き、なんですよね?」

「ええ。それがなにか?」

「その……。さっき先生がタバコを吸ってた時、左手で持っていたように見えたので」

 はっきり言って、余人にとってはとてつもなくどうでもいい情報だ。箸や鉛筆ならともかく、コーヒーカップやうちわのような取り扱いが簡単なものは別に利き手でなくても使うこともあるだろう。

 私だって傘をさすときには時折持ち替えたりする。

 案の定先生はそれがどうした? と言わんばかりに怪訝な顔で見つめてきた。

「あ、いえ……。すみません、忘れて下さい」

 その視線に耐え切れず、私は思わず顔を逸らした。

 ……まったく、どうかしている。これしきのことに気づいたからといって、先生のリアルを知るリーシィさんに情報量で勝てるはずなんてないのに。

 今日の『勝負』が負け越しだったからか、そんな些細なことでさえ私は気にしてしまっている。と……。

「……ええ。よく気づきましたね、キサラ。僕は普段右手を使いますが、タバコを吸う時だけは左手なんです」

 まるで受け持つ教科について質問しに来た生徒と話す教師のように、先生は柔らかく笑って答えてくれた。

「そうなんですか。でも、どうして?」

「それは……これです」

 言いつつ、右手の人差し指と中指を揃えて縦に振るう。空中に浮かんだ見えないキーボードを操作する手が止まると、私の目の前に先生のステータス情報窓が現れた。

「可視モード……。あっ、そうか」

「リアルにいたころはタバコも右手で持っていたのですけどね。こちらに来てから、どうもやりづらくて」

 SAOでメニュー画面を呼び出すには、右手の2指を揃えて振る必要がある。1度メニューを出してしまえば操作自体はどちらの手でも出来るのだけど、最初のモーションだけはそうもいかない。

 現実世界の駅で切符の投入口が右側にあるように、このSAOは日本人に割合多い右利きに合わせて設計されているのだ。

 とはいえ、とっさの操作が生死を分ける可能性のあるデスゲーム内でのこと。オプションで変更できるようになっていても良かったのではないか……とも思う。

 左利きのプレイヤーには、文字通り死活問題になるのだから。

「僕はメッセージを確認するときにも、タバコを吸いながらすることが多いので。この際、自分で癖を変えてしまおうかと」

「難しいんじゃないですか? 矯正って」

「矯正というほどのものではありませんよ。変えるのに1週間もかかりませんでしたし。今では逆に、右手でタバコを持つと違和感があるくらいです」

「ふーん……」

 喫煙者には喫煙者なりの苦労があるようだ。ニシダさんは右手で吸っていたようだし、メニューを開くときにはタバコを口でくわえておいたり左手に持ち替えたりするのかもしれない。

「……そういうキサラこそ」

「え、私?」

 唐突に名前を呼ばれ、困惑する私。何のことだろう?

「ええ。以前していた指輪を、今日はしていないようですが。なにか心境の変化でも?」

「……え」

 ……気づいていた。

 散々私やリーシィさんに鈍感だの、にぶちんだのと言われていたこの先生が。

 私なんか、昨日隊長の前で指輪を外した時には『どうせ先生は気づかないだろう』などと考えていたのに。

 ……いや、しかし先生はこう見えて変なところでは鋭いのだ。私があの指輪を着けて会った日にも、真っ先に指摘されたし。

「ゆ、指輪は……。その、壊れちゃいまして……」

 うろたえた私は、とっさに嘘をついてしまう。隊長からもらった指輪は、今もストレージの中にあるというのに。

 そして、内心の動揺をごまかすために先生へ質問を返す。

「……あの、先生。先生は、いつから気がついていたんですか? もしかして、私が先生にビンタしちゃった時とか……」

「はは、まさか。……もちろん、今日の最初から。今朝きみと転移門の前で会った時からですよ。きみが僕を見てくれているように、僕もきみのことを、見ていますからね」

「っ……!」

 どきん、と心臓が跳ねる感覚がする。ただのポリゴン片で形作られたこの身体には、当然ながらそんな器官はない。

 現実世界の肉体から意識だけが切り離されている今、鼓動の高鳴りを感じるはずはないのだ。

 それでもこの、クラクラするような酩酊感と息苦しさは……間違いなく、本物だ。

「キサラ?」

 急に黙り込んだ私を気遣うような声音が聞こえる。

 ……今が夜で良かった。

 おそらく今の私は、例のごとく顔を真赤に染めているだろう。

 月に照らされているのと同じくらいしかないこの薄明かりの中では、先生に気づかれることはないはず。

「な、なんでもありません。……あ、ほら先生。ちょっと遅れてますよ。リーシィさんたちが待ってます」

 先生を置き去りに、小走りで駆け出す。

 私を呼び止めようとする先生の声がしたものの、そこは聞こえないふり。

 ……まったく、油断のならない人だ。普段は鈍感なくせに、ピンポイントで鋭くこちらの弱点を突いてくる。それもたぶん、無自覚に。

 それとも、これが大人の男性にとっては普通なのだろうか。少なくとも先ほどのようなセリフを臆面もなく口にするなんて、同級生の男の子には到底真似出来ないだろう。

 ……まあ、なんにせよ。

「『負け越し』ではない、かな。……たぶん」

 そう思わせてくれるだけの力が、先生の言葉にはあったのだった。

 

「それじゃあ私はお先に。ニシダさん、今日はありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ楽しかったですよ」

「おやすみ、キサラ」

「まったね~」

 22層の主街区<コラル>転移門前広場にて、私は先生たちと別れた。

 これから私は第1層へ、先生たちは50層の<アルゲード>に向かう。ニシダさんもこの街にあるギルドホームに帰るのだという。

 私は3人に見送られ、一足先に転移門へと飛び込んだ。

 青い光に包まれ、それが収まった時には見慣れた<はじまりの街>の広場に到着していた。

「……ふう。今日はなんだか、少し疲れたな」

 司令部へと向かう道すがら、ひとりごちる。

 今日は朝からいろいろなことがあった。待ちぼうけをくらったり、ナンパされたり。

 先生が毅然とした態度で彼らを追い払ってくれた時には、普段ののほほんとした雰囲気とのギャップもあり……ちょっとカッコ良かった。

 ……その後の展開がなければ、もっと良かったのだけど。

 リーシィさんは相変わらずだったな。彼女は私にとって先生をめぐるライバルではあるけれど、それを抜きにすれば貴重な同性の友人だ。

 自由奔放な性格に振り回されることも多いものの、一緒に遊ぶのは楽しい。

 これから夏本番だし、またあの場所へ釣りをしに行くのもいいかもしれない。その時は、私の方から誘ってみよう……。

 

「お疲れさまです」

 気づけばいつの間にか司令部、黒鉄宮の前まで来ていた。門の両脇に立つ守衛さんに会釈しつつ通り抜ける。

 名前のとおり、無機質な鋼材で建てられたこの城は歩いていると少し肌寒い印象を受ける。特に夜は尚更だ。

 夏とはいえ、今日の服装も私にしては露出が多い。早く自室に帰ってシャワーを浴びよう……。

「ん?」

 人通りのない廊下に足音をカツカツと響かせつつ帰室を急いでいた時、メッセージの着信を告げるアイコンが点灯した。

 差出人はウィンスレー隊長だ。

「ええっと……。『翌朝、食事前に出頭されたし』……これだけ?」

 元から多弁ではない隊長のこと、業務連絡でやり取りするメッセージの文面が短いのは別におかしなことではない。

 ただ、わざわざそんな時間に呼び出してまでする話とは一体……。

 私は隊長の意図がつかめずに、首をひねるばかりだった。

 

 翌朝。

 私は昨夜の指示通り、起きてすぐに隊長の部屋へと向かった。

「おはようございます」

 入ってすぐの所に立つ隊長に、右手を挙げる敬礼をする。

 ふと気づけば、室内にはもう1人の男性がいた。私たち一般兵と違う、黒い制服。階級は……。

「おはよう、中尉。早くに来てもらってすまないな。こちらは、カイト憲兵大尉。きみにも、彼の話を聞いて欲しくてね」

 私の疑問を読み取ったのか、隊長が簡潔に紹介してくれる。

 カイト憲兵大尉と呼ばれたその男性は中肉中背のこれといって目立つ特徴のないプレイヤーで、制服さえ着ていなければNPCの町人と見分けがつかないかもしれない。

「は、はじめまして。第104小隊副隊長、キサラ中尉です」

「どうも。……まあ、そこまで固くならずに」

 私の敬礼に軽く頷いて返したカイト憲兵大尉は、柔和な笑みを浮かべて言った。

 人好きのしそうな笑顔だけど、どこか空々しいというか……。憲兵大尉という肩書きからも、警戒心を抱いてしまう。

 憲兵隊は、軍の内部につくられた諜報部門だ。設立したのはキバオウ副指令で、その活動内容は主に内外の情報収集。

 一般プレイヤーの情報屋に頼らない攻略情報の獲得のため、日夜を問わず働いているという。

 また、噂では軍内部のプレイヤーの身辺調査も請け負っているらしい。軍規に違反した人間を監視し、確証が得られれば問答無用で監獄エリアに送られるとか。

 普段生活しているぶんにはあまり接触する機会のない部隊の人たちなので、私も詳しいことは分からない。

 その憲兵隊の大尉が、なぜやって来たのだろうか。

「……もしかして、イービルデッドの拠点が見つかったとか?」

 思いついたことを尋ねてみる。

<レッド>プレイヤー、イービルデッドは最初の戦い以降、私たちの前に姿を表していない。

 危険人物を捕縛するのも軍の仕事であるので、その活動拠点を発見し身柄を押さえることは急務だ。

 隊長は以前から、彼らの足取りをつかむために憲兵隊へと調査を依頼していた。

「いえ、残念ながら。我々も、日々努力してはいるのですが」

 しかしカイト大尉は私の期待とは裏腹に、決まりが悪そうに頬をかいた。

「そうですか……。では、なぜおいでになったんですか?」

「それは……」

「そのことについては私から説明しよう、中尉」

 答えようとしたカイト大尉を遮り、隊長が口を開く。

「単刀直入に言おう。……中尉、きみはあのハイド氏にだまされている」

 

「……え?」

 隊長の言った言葉が理解できない。誰が、誰にだまされているって?

「いや、正確に言えばその可能性が極めて高い……といったところだな。きみには伏せておいたのだが、実は昨日1日ずっと監視をつけさせていたのだ」

「かん、し……?」

「我々憲兵隊員の多くは、<隠蔽><忍び足><追跡>、そして<聞き耳>といった隠密行動に必要なスキルを身につけているのです。そしてウィンスレー少佐は、私にハイドの身辺調査を依頼された……」

 ちょっと待ってほしい。

 隊長とカイト大尉が矢継ぎ早に説明してくるけど、私の脳はそれにまったくついていけてない。

 昨日1日、ずっと私は……正確には先生が、カイト大尉に監視されていた? それも、私には黙って行うなんて。

 それではまるで、隊長は先生がスパイか何かであると疑っているようではないか。

「その経緯は逐一私に報告されていた。1914時にきみは22層<コラル>で彼らと別れ、司令部へと帰ってきたわけだが……。問題なのは、その後の彼らの行動だ。大尉、説明を」

「は。……私はハイドと女が50層<アルゲード>に転移したのを確認し、追いかけました。彼らは複雑な路地を迷うことなく進み、ある建物へと入っていった。なんの変哲もない、普通の民家です」

 淡々としたカイト大尉の声が響く。先ほどまで浮かべていた微笑は消され、能面のような無表情になっている。

「最初は彼らのギルドホームなのかと思いました。しかし調べてみるとどうやらそうではない。システム的にもギルドタグが付いていなかったのです」

「そんな……。だって、リーシィさんが」

<アルゲード>に先生たち<警務庁救命係>のギルドホームがあることは聞いていた。

 2人があの街で夜を過ごすとしたら、そこか宿屋でしか考えられない。

「<聞き耳>を使って内部の音を探ろうとしたのですが、不思議なことに物音1つしない。そこで私は道に迷ったプレイヤーのふりをしてドアを叩いてみたのですが……」

「そこには、誰もいなかった……と」

 先に話を聞いていたらしい隊長が先回りする。

「ええ。民家にはそこに住んでいるらしいNPCが数人いるだけでした。別のフロアも見てみたのですが、もぬけの殻。ちなみに建物の入口は私の入ったドアだけです」

「それって、どういうことなんですか」

「つまり……」

 ざわざわと胸の内が騒ぎ出すのを感じる。

 カイト大尉はもったいつけるかのように一旦言葉を切ると、瞳を閉じて言った。

「あのハイドか、あるいは女のほうが私の追跡を察知し転移結晶で離脱を図ったものと思われます。……なかなかの<索敵>スキルレベルのようです」

「私が思うに、その2人にはなにかしら後ろ暗いことがあったのだろうな。途中から大尉の追跡を感づいた彼らは、一芝居打って家屋に身を隠したのだ」

 カイト大尉の論に、隊長が追従する。

 基本的に安全な街なかでは、高価な転移結晶を使ってまで移動する必要性がない。

 別の層に行きたければ、転移門さえくぐればいいのだから。

 隊長とカイト大尉はその点について先生たちに疑惑を抱いているようだ。でも……。

「そんな、待ってください! それだけでどうして先生たちが私をだましているなんて言えるんですか!? なにか急いで移動する用事があったのかもしれないじゃないですか!

 それにそもそも、得体の知れない相手に後をつけられていたら誰だって嫌な気持ちになるはずです。それを棚に上げて……」

 思わず乱暴な口調になってしまう。

 私に断りもなくおとり捜査のようなことを展開していたことにも腹が立つけど、それ以上に先生のことをよく知りもしない人たちに悪く言われることが嫌だった。

「落ち着きたまえ、中尉。だからこそ私も先ほど、『その可能性がある』と言ったのだ。……それにこれは、きみの為を思ってのことなのだ」

「私のためって……」

 あくまで冷静な隊長に対し、ヒートアップした私の感情は高ぶったままだ。

「勘違いしないでもらいたいのは、この監視措置が私のハイド氏へ抱く個人的感情によるものではないということだ。……中尉、曹長の報告によれば、きみはここ最近えらく気落ちしていたようだな」

「そ、それは」

 数日前のことを言っているのだろう、確かにあの時の私は自分の気持ちを正面から捉えようとせずにいた。

 先生と過ごす休日はとても楽しい。その分、会えない時間はいつも心の中にぽっかりと穴が空いているかのように感じられ……それが恋心であると自覚したのはつい先日のことだ。

「そこで私はこう仮説を立てた……。そもそもハイド氏は<オレンジ>プレイヤー、ないしはそれに連なる者であり。軍人である中尉に近づいたのは当局の捜査情報を仲間に横流しするためではないかと。

 ハイド氏の逆ハニートラップ、この場合はロミオ諜報員とでも言おうか? ……にしてやられたきみは心身ともに骨抜きにされ……」

「っ!!」

 その言葉にカッとなり、隊長に飛びかかる。

 右手を振り上げ、平手打ちをーー。

 

「ふん」

 しかし私の掌は、隊長のほほに達する寸前で受け止められていた。

 奥歯が割れてしまうのではないかと思えるほどに強く噛み締め、睨みつける。目頭が熱い。

「いくら隊長でも、言っていいことと悪いことが……!」

<体術>スキルを持つ身とはいえ、総合的なレベルと筋力値は隊長の方が高い。

 押さえつけられた腕をねじ上げられ、私は爪先立ちの姿勢になる。それでも、怒りを乗せた視線は隊長から離さない。

「上官に手を上げるとは、重症のようだな。……以前にも、ハイド氏に対する疑いを持ったことがあったが……。思えばあの時からすでにきみの様子はおかしかったな」

「……隊長の考えは、飛躍しすぎです。確かに以前の私は先生に対する気持ちで不安定になっていたかもしれません。でも、あの人は絶対に<オレンジ>なんかじゃない」

「ああ、無論私はきみのことは信じている。きみがハイド氏を想っていることも聞いた。私は心からきみの幸せを願っているのだよ。……その相手が確かな人物であればね」

「だったら……!」

「それを確かめるための監視措置だったのだ。しかし残念ながら、ハイド氏はこちらの追跡を振りきった。確かに先ほどきみが言ったように、誰しも跡をつけられていることに気がつけば距離を取ろうとするだろう。

 一歩譲って問題は、そのときの彼らがカイト大尉のギルドタグに気づいていたかどうか……だ」

 街に入れる偽<グリーン>プレイヤーが獲物を<圏外>に連れ出しPKする手口はリーシィさんも知っていた。

 おそらくはカイト大尉も私服で尾行していただろうし、タグに気づかなかったら自分たちを追っているのが軍人ではなく、不審者だと判断してもおかしくはない。

 逆に、先生たちが追跡者の正体に気づいていた上で逃走したのだとすれば、隊長の『読み』が正しいことにされてしまう。

 知っていたか、いなかったか。その違いを、日本の法律では悪意・善意と呼ぶらしい。以前読んだ本に書かれていたことを思い出す。

 ただ、この違いを証明することは難しい。第3者からは当人の心までは覗けないのだから。

「……じゃあ、そのことを確認させてください。私が先生とリーシィさんに話を聞いてからでも、判断するのは遅くは……」

「それはいけませんね、中尉」

 なんとか先生の疑いを晴らそうと必死に頭をひねる私に、それまで成り行きを見守っていたカイト大尉が口を開いた。

「憲兵隊の見解としては、貴女はすでにハイドに取り込まれています。そんな貴女がハイドに事情聴取したところで、言いくるめられて帰ってくるのがオチです」

「取り込まれているもなにも、先生はスパイなんかじゃないんだったら!」

「それを判断するのは中尉、貴女ではない。我々の仕事だ」

 底冷えのする視線に射抜かれ、私は言葉を飲み込んでしまう。

「ハイドには、私が直接事情聴取を行います。これは私個人の手による予備審問となります。ウィンスレー少佐が、あまり表立った行動をしてほしくないとの意向ですので。そしてその間貴女には……」

 ちらりと視線を交わす隊長とカイト大尉。

 彼らはすでに打ち合わせをしていたのか、話し合うこともなく私への処遇を告げた。

 

「……部外の人間との接触を一切禁止させて頂きます。本来なら監獄エリアに入って頂くのが妥当ですが……。これも少佐の意向でしてね」

「……そん……な……」

 カイト大尉の言葉に、目の前が真っ暗になる。

 部外者、とは当然先生も含まれるだろう。先生に、会えない。

 あの穏やかな時間が。光差す春の庭で昼寝するような温かな空間が。

 ……なくなる、ということ?

「ハイド氏が協力的であれば、大尉の審問もすぐに終わるだろう。疑惑が消えれば、晴れてきみは自由の身になれる。窮屈な生活になってしまうかもしれんが、耐えて欲しい。もっとも……」

「……?」

「私は彼が99パーセント、何かを隠し、きみを欺いていると思っているがね」

「っ……!」

 隊長の言葉に、ついに私の膝から力が抜けた。

 一瞬隊長の手にぶら下がる状態になるも、それを察知した隊長が私の身体をゆっくりと床に下ろしてくる。

 ……だめだ、このままじゃ。審判する側が最初から疑っていたら……魔女裁判と同じじゃないか。

 先生は罪状ありきで捕らえられ、無実の身で監獄エリアに放り込まれる。

 それからはもう2度と会えなくなるだろう。そして、その原因を……隊長に疑念を抱かせてしまったのは他ならぬ私なのだ。

「せん……せい……」

 

 床に両手両膝をつくと、黒鉄の冷たさに全身の熱が奪われていくかのように感じられたのだった。




今回以降、投稿のペースが落ちるかもしれません。
理由としては、リアルが少々忙しくなってきたということで……。
10月さえ乗り切れば執筆に当てられる時間も確保出来ると思いますので、お待ちいただければ幸いです。

そして前書きのあらすじが本編とぜんぜん違う……。
リーシィさん自由に動きすぎですわ

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