こちら、アインクラッド解放軍第104小隊   作:ハイランド

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34女の戦い、男のツール 後編

 ……来た。

 くんっ、と糸を強く引かれる感覚に私は身構えた。これは大きい。

 ウキが完全に沈み込み、釣り糸が張り詰める。私はタイミングを見計らってリールを巻き始めた。

「お願い、今度こそ……」

 釣り対決は、開始からすでに1時間半以上が経過していた。この間私とリーシィさんがそれぞれ釣り上げた魚はほぼ同数。

 スタートダッシュを決めたリーシィさんは前半戦こそ快調に釣り上げていたけど、徐々にエサだけを取られたりハズレを引く回数も増えてきた。

 対する私はエサの取り付けに時間がかかるものの、ハズレを引いたのは最初の1回きりだ。

 1時間が過ぎた段階でリーシィさんの獲得数の半分に追いつき、今は逆転を目指して猛追撃をかけている。ここで大物を釣れれば、一気に抜き去ることも期待できる。

「おお! キサラさん、ヒットしたようですな。なかなかの大物のようだ。慎重に行きましょう」

「は、はい!」

 ニシダさんのアドバイスに従い、確実な動作で竿を操る。無理にはリールを巻こうとはせず、相手の緩急の隙間を狙って力を加える。

 時には糸を放出し、泳ぎ回らせることで標的の体力を奪うことも忘れない。私がこの1時間半のあいだに体得したコツの1つだ。

 こうして釣り竿を通して魚と格闘していると、まるで強いプレイヤーとデュエルしているかのよう。

 なるほど、ストーン曹長やニシダさんが夢中になるのも頷ける。……面白い!

「っ! ここだっ!」

 綱引きに疲れたのか、標的がわずかに力を緩める気配を感じた。その瞬間、私は一気呵成とばかりにリールを回転させた。

 虚を突かれた標的は抵抗する間もなく、岸へと引き寄せられる。うっすらと水面に影が映り……。

「お、大きい~!?」

 ばしゃばしゃと水柱を立てる標的に、隣で竿を握っていたリーシィさんも驚きの声を上げる。

 間違いなく、今回最大のサイズだ。

「やっ!」

 短い気合とともに、標的を水面から引きずり出す。眼前に吊るされ、傾き始めた日の光をキラキラと反射するその姿は。

「……こりゃあ驚いた。キサラさん、コイですよ、コイ! 難しい魚なんですがなぁ!」

 ニシダさんが喜色満面で囃し立てる。

 大きな尾びれと黄みがかった鱗。体は全体的に丸みを帯びた円筒形で、顔には特徴的なヒゲが生えている。大きさは、1メートル近くもあった。

「やっ……た……。やりましたよ、先生ー!!」

 陸上で跳ねまわるコイを指さし、先生へと手を振る。自然と、私の足はぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

「おおー! おめでとう、キサラ!」

「むう~……。これはマズイかも」

 笑顔で拍手を贈ってくれる先生。私の横では、それを見たリーシィさんが頬をひきつらせていた。

「ここで決勝点か!? ……いやいや、まだあわてるような時間じゃない。リーシィ選手も頑張って!」

 白熱したニシダさんの実況が響き渡る。そうだ、まだ試合は続いている。ここで安心して手を緩めれば、リーシィさんに再逆転される可能性もあるのだ。

 私はコイをニシダさんに預け、残り少なくなったカエルをつまみ上げた。

 

 * * *

 

 池のほとり、高く幹を伸ばす針葉樹にハイドは背を預けていた。

 目の前では彼の友人である2人の女性プレイヤーが、歓声を上げながら釣りに興じている。

「……いやはや、元気なものですなあ」

 そう言いつつハイドの横に腰を下ろしたのは、今回の釣り対決で審判を申し出た男。ニシダだった。眼鏡を外し、服の裾でレンズをぬぐっている。

「ああ、ニシダさん。今日はありがとうございました。エサを分けてもらった上に、余計な仕事まで頼んでしまって」

「いやいや、ハイドさん。とんでもない、私は釣りをするのも好きだが、こうして人がやっているところを見るのも好きなんですよ」

 頭を下げるハイドに、ニシダは笑顔で答える。

「それに先ほども言いましたが、こうして釣り好きの人間が増えてくれれば私としても嬉しいものです。今日のことは、我がギルドの広報活動の一環として成功を納めたと言えるでしょうな」

「そう言っていただけると、ありがたいです。……失礼」

 ハイドは懐からタバコとマッチを取り出し、ニシダに掲げてみせた。ここで吸ってもいいか、という意思確認だ。

「おお、ハイドさんはそれを嗜むんですな。では私もお付き合いさせて頂くとしよう」

 男2人、肩を並べて紫煙を吐き出す。竿を握る女性陣は審判がいなくなったことにも気づかずにいた。

 煙に含まれるタールにより発生する(ように『設定』されている)、わずかな酩酊感を噛み締めながらニシダは言う。

「いやあ、ここに来て良かったと思えるのは、コレが存分に吸えるということですな。向こうじゃ1本吸う毎に50円近くを捨てているようなものですから」

「ははは、確かに。まさかここ数年で10年前の倍以上値上がりするとは、予想も出来ませんでしたからね」

「ええ、しかもこっちじゃいくら吸っても肺が黒くならない。……まあ、実際にはニコチン漬け以上の不健康状態なのでしょうが……」

 ニシダの言う不健康状態とは、現実世界において自分たちの身体が置かれているであろう状態のことだ。

 おそらくは病院のベッドで生命維持に必要な装置に囲まれ、身体には幾本ものチューブが接続されていることだろう。

 本来このSAO内で現実世界の話題はタブーだが、若年プレイヤーと違い長年の人生経験を積んだニシダにしてみればやはり『あちら』が本当の世界だった。

 ハイドがその話題に拒否感を示さなかったことにニシダは安心し、話を続ける。

「……ハイドさん。私は向こうでは、通信インフラ関係の仕事をしとったんですが……。そちらは?」

「僕は……。しがないフリーターです。大学を出た後、何年かは教鞭を執っていたこともあるのですが……」

「ほうほう! ではあの2人が言うように本物の『先生』だったんですな! いやあ、お若いのに立派だ」

「ははは……。とは言っても、ここに来る時にはすでに退職していましたから」

「それはもったいない。なんでまた……ああいや、立ち入った話でしたな。これは失礼」

 寂しげな笑いを漏らすハイドに気付き、ニシダは口をつぐんだ。

 話好きな自分の性質はよく理解しているつもりだったが、少し油断すればこうして他人のデリケートな領域に足を突っ込んでしまう。

 年甲斐もない……と反省しつつ眼鏡をかけ直す。

 

「……正直、自分の気持ちがよく分からなくなる時があるんです」

 出来てしまった空白の時間を埋めるかのように、ハイドがぽつりと漏らした。

「教師はもう辞めたはずなのに、今の僕はまた『先生』なんて呼ばれてる。そのことに、喜びを感じていることも確かで」

「ハイドさん……」

「それに、多少の後ろめたさもある。今ある彼女との関係は、偽物でしかありませんから……」

 ハイドの言葉を聞いたニシダは、吐き出した紫煙の向こう側に戯れる2人の少女を見た。

 大物を釣り上げたらしい金髪の少女が、盛大に笑っている。それを見た黒髪の少女も負けじと竿に力を込める。

「偽物、ですか。確かにこのSAOは作られたゲームの世界ですがね。……ハイドさん、少なくとも彼女たちにとって、あなたへの信頼は本物のように思えますよ。

 あの笑顔を見れば分かります。……部外者の私が言うのもなんですが、あの笑顔を曇らせるようなことだけはしちゃあいけません」

「そう、ですね……。肝に銘じます」

「ま、年寄りの戯言と思ってくれて構いませんわ。……それはそうとハイドさん」

「……なんですか?」

 真面目な話はこれで終わり、とばかりにニシダはニヤリと笑みを浮かべた。

 笑顔の裏に潜む意図を察しかね、ハイドはおののく。

「リーシィさんと、キサラさん。どちらが本命で?」

「な、なんで急にそんな話になるんですか! だいたい、僕は彼女たちをそんな目で見たことは……」

「悲しませちゃならんと、さっき言ったでしょう。どちらを選ぶにしても、もう片方は泣かせることになるわけで。それともハイドさん、あなたまさか」

「なん、でしょうか」

 鋭い眼光を向けてくるニシダに、ハイドは上半身を反らしてたじろぐ。

「……このままどちらの娘も自分の手元に置いておきたいなどと考えてはないでしょうな!? くぅーっ、なんたる欲深さ!」

「ちょ、ニシダさん?」

「確かにあの2人は、容姿も性格も正反対のようですからな。そんなふうに考えるのも無理は無い! 私も若いころ、ビア・フロの命題に悩んだものです。いっそのこと重婚できればと」

「そ、それって昔のゲームの話ですよね!?」

 先ほどした反省などどこ吹く風で、 腕を振り回し熱弁するニシダ。

 彼の手には火の着いたタバコが握られており、隣に座るハイドからすれば不安極まりない。現実世界と違い火傷するなどということはないのだろうが。

「まあ実際は同僚の事務員を嫁さんにしたんですがな。……ああ、あいつの作った煮付けが食べたい……」

「ニシダさん? そろそろ帰ってきてくれませんか……?」

 何故かスイッチが入りテンションが乱高下するニシダに、ハイドは対応しきれない。

 とりあえず距離を取ろうと腰を浮かせかけた時……。

「……あ、時間! 時間ですよニシダさん!」

 彼の視界の端に映る時計表示が、キサラとリーシィの試合終了時刻を告げていた。

 

 * * *

 

「そこまで! お2人とも、終了ですよ!」

「……え?」

「もう!?」

 ニシダさんの声で、私たちは我に返った。気づけば当初の予定だった2時間はすでにオーバーしている。

 足元には、大量の魚たち。私もリーシィさんも釣り上げるそばから無造作に放っておいたので、ストレージに収納もしていなかった。

 というか、釣果を受け取る係のニシダさんが途中から姿を消していたことに気づかないほどに熱中していたのだ。

「いつの間にこんな……」

「気が付かなかったね~、あはは。これじゃ、私とキサラちゃんのどっちが釣ったのかも分からないや」

 リーシィさんの言うとおり、山と積まれた魚は私と彼女のちょうど中間地点にある。

 最初の頃はニシダさんがカウントしてくれていたはずだけど、この状態ではどちらがどの魚を釣ったのかは判別できない。

「あの、ニシダさん?」

「えー……。すみませんな、キサラさん。リーシィさん。ほんのちょっと席を外すつもりだったのですが……。思いのほかハイドさんとの話が弾んでしまいまして」

 困ったように笑いながら、後頭部をかくニシダさん。

 近くの樹にもたれかかる先生も、両手を上げて降参のポーズを取っている。リーシィさんも不満顔だ。

「そんな~。それじゃあ、どうするの?」

「むむむ……。お2人のログを遡っていけば仕分けはできるでしょうが……この量となると」

「大変な手間、ですね……」

 それに、プレイヤーの取った行動や得たアイテムを自動で記録するその機能は、表示できる情報量が有限だ。

 ニシダさんが何分前の時点から席を外していたのかは分からないけど、もしかしたらログからも消えた部分があるかもしれず……。

 そうなれば厳密にはこの魚の山を選別することは出来ない。

「今の私の手元にあるぶんはどちらが釣ったのか分かっていますので、それだけだったら判定も出来るのですが……。しかしそうなると……」

 前半が快調だったリーシィさんと、後半に追い上げた私。

 仮に私があのコイを釣り上げた段階で試合が終わっていれば、私の逆転勝ちだったかもしれない。

 けれども敵もさるもの、窮地に立たされたリーシィさんはそこから前半以上の伸びを見せたのだ。私自身も自分の竿に夢中になっていたので、確かなことは言えないのだけど。

「……あの。もうこの際、勝負は引き分けでも」

 思い切って提案してみる。

 最初は確かにリーシィさんに勝ちたくて持ちかけた勝負だけれど、途中からはそれを忘れるくらいに釣りそのものに意識が持って行かれてしまっていた。

 正直に言えばその体験だけでお腹いっぱいというか……。

 ……いえ、決して負けを認めたくないというわけではないですよ? 大物も釣れたし。私が勝っててもおかしくなかったし。

「はぁ。キサラさんがそう仰るのなら。……リーシィさんはいかがですかな?」

 私の提案にほっとした様子でニシダさんが同意する。審判の役目を果たせずに終わってしまったことに、少なからず引け目を感じてしまっていたようだ。

 水を向けられたリーシィさんは一瞬眉を寄せ、不満そうに顔をしかめたものの。

「え~! そんなのダメだよ~。この勝負は私とキサラちゃんの……」

 そこで不意に言葉を切ると両目を見開き、人差し指を立てた。マンガだったらピコン、と頭上に豆電球でも浮かんでいそうだ。何かを閃いたのだろうか。

「リーシィさん?」

「……ねえキサラちゃん。この勝負、やっぱり私の負けだよ。あんなに大物を取られちゃったら、もう降参するしかないし~」

「え。で、でも」

「それに~。……『コイ』を釣り上げたんだったら、これはもう勝負あり! って感じだよね」

「だ、ダジャレ……」

 ぐふふ、といつぞやのように顔に似合わない笑い方をするリーシィさん。

 まあ、私としては彼女がそう言ってくれるなら喜んで勝ちを拾いたいけど……。あのリーシィさんが、こんなにあっさりと棄権?

「……決まったようですな。では、勝者……キサラ選手!」

 訝しむ私の様子をどう受け取ったのか、ニシダさんは大声でそう宣言した。私の手を取り、高々と掲げる。

「キサラ選手の粘り腰が呼んだ勝利に惜しみない拍手を! いやあ、私もあのコイを釣り上げた時は驚きました」

「おめでと~。またやろうね! 今度は負けないよ」

「さすがですね、キサラ。やはりきみは飲み込みが早い。<釣り>スキルも、もう僕よりレベルが上なんじゃないですか?」

 ニシダさんの上げた勝ち名乗りに、リーシィさんと先生が笑顔で応えてくれる。

 最初は戸惑っていた私だけれど、その雰囲気に思わず顔がほころんだ。

「あ、あの。……ありがとうございます!」

 嬉しい。

 まがりなりにも私が自分の勝利を納得できるのは、あの大きなコイのおかげだ。

 たとえスタートが遅れても、いつかチャンスはやってくる。不利な状況でも焦らないで、自分の信じたやり方を続ければ道は開けるんだ。

 今回の釣り対決では、そのことが証明された気がした。……なんて、ちょっと都合がいいかな?

 

「では、最後に今日の記念撮影といきませんか?」

 大量の魚を前に、先生がそう提案してきた。

 ちなみにこの釣果の半分は私が受け取ることになった。さすがのニシダさんも、これだけの魚は食べきれないとのこと。これはイルへのお土産と、私自身の<料理>スキル向上のために使わせてもらおう。

「それって、この前の記録結晶で……ですか?」

「ええ。幸い、今日も持ってきていますので」

 そう言いつつ、先生がポーチから黄緑色の結晶アイテムを取り出した。

「せっかくの大漁ですからね。これを活かせる構図は……」

 両手で形作ったフレームを覗き込みながら、うろうろと歩きまわる。

 この前のアスナさんの件でもそうだったけど、先生は写真を撮る時に妙にアングルにこだわるような気がする。

「わ、は、は。ハイドさん、それなら私が撮りましょうか」

 その様子を見ていたニシダさんが、ずいと身を乗り出してきた。

「……そうですな。全体的な構図としてはその山を背景に、3人で並んで立つというのはいかがですかな? この時間なら池を背にすれば逆光にはなりませんし、いい画になると思うのですが」

「なるほど、それはいいですね。……でもそれだと、ニシダさんが」

「いやいや、いやいや……。私はお2人の素晴らしい釣りを見られただけで満足です。……それに、ですな。やはりルドマンとしては、リュカの邪魔をしたくはないのですよ」

「ニシダさん、だからそれは……」

「ルドマン? リュカ?」

 聞いたことのない言葉に首を傾げるも、先生は応えるつもりはないらしい。

 曖昧に笑ってなんでもない、と手を振り記録結晶をニシダさんに手渡した。

 魚の山を背後に、私と先生それにリーシィさんが並んで立つ。先生は中央に、その両脇を私たちが挟むかっこうだ。

「おお、いいですな。……ああキサラさん、もっとこう……中央に寄ってくださいませんか? フレームに収まりきらんので」

「こ、こう……ですか?」

 ニシダさんの指示にぎこちなく半歩横に移動する。改めて一緒の写真を撮るということを意識していたためか、私は少し気後れしていた。

 思えば、今日の朝から気恥ずかしさを感じていた気がする。つい先日まではなんともなかったはずなのに。

 ちなみにリーシィさんは、3人が並んだ段階からすでに先生の片腕に絡みついていた。空いた方の手でピースサインを作っている。

「そうそう。……うーむ、まだ表情が堅いですなぁ。ハイドさん、キサラさんの肩に手を載せてみて下さい」

「あー……。はい」

 ぽん、と私の肩に先生の手が置かれる。一瞬だけびくりと反応してしまったものの、そこから伝わる先生の手の温かさが私の緊張をほぐしてくれた。

「おお! その顔です、その顔。ではいきますよー。はい、バター」

 パシャリ、と撮影音が耳に届く。

 ……なんだか今、ニシダさんから発した言葉に違和感があるけど……気にしないでおこう。私以外の2人もツッコんでないし。

「見せて見せて~」

 記録結晶を返却された先生に、リーシィさんがせがむ。おやつを催促する子どものようなはしゃぎように、先生が苦笑しながらもウィンドウを可視モードに切り替えた。

「おお~。なかなか綺麗に撮れてる~」

「あ、本当……」

 私もリーシィさんと同じように先生の手元を覗きこむ。満点の笑顔のリーシィさんと、やや硬さを残して笑う私。間に立つ先生は穏やかな微笑をたたえている。

「ねえ、せんせー。この写真、私にもちょ~だい?」

「ええ、もちろんかまいませんよ。……これでどうですか?」

「あ、きたきた。……うん、オッケ~!」

 メッセージの添付機能を使ったのだろう、リーシィさんも自分のウィンドウを開くと送られてきた画像を確認していた。

 ……そうだ。私も言わなくちゃ。

 せっかく先生と一緒の写真が撮れたのだから、これは堂々ともらうチャンスだ。

 以前船上で撮影したときは先生の同意を得ないままだったので多少の後ろめたさがあったけど、今回は大丈夫。

 私は未だウィンドウを操作している先生に声をかけ……。

「せ、先生っ! あの、私にもその写真くだ……」

 と、その瞬間視界にメッセージの着信を告げるアイコンが点灯した。送信者は……先生?

 ふと見上げると、先生は優しい笑顔を浮かべていた。

「今ちょうど、きみにも送信しました。確認してもらえますか」

 メッセージを開くと、クリップのマーク。添付ファイルありの印だ。

「ええと……。あ、はい。大丈夫です」

 クリップマークを軽くタップすると、先ほど先生が見せてくれた画像と同じものが表示された。

 よし、これは後で部屋のフォトフレームに保存しよう。

「ありがとうございます」

「いえいえ、僕もいい思い出が出来ましたから。それにこの写真があれば、きみの……」

「……私の?」

「ああ、いえ……。なんでもありません」

 言いよどむ先生に聞き返すも、はぐらかされてしまった。今先生は、なんと言おうとしたのだろう?

 

「ねぇねぇ、キサラちゃん。こっちに来て! せんせーも」

 その時、リーシィさんが声をかけてきた。見ればニシダさんの横で手招きをしている。

「どうしたんですか?」

「あのね、今日のお礼ってわけじゃないんだけど……。おじさんにも写真をあげようかと思って」

「ほう、それはいい考えですね」

「うん。それでね、今度はせんせーにシャッターを押して欲しいんだ。もちろん、キサラちゃんも入るんだよ~」

 つまり、先ほどの撮影と同じ立ち位置で先生とニシダさんだけが入れ替わる構図になるというわけだ。

「で、でも……。リーシィさんならともかく、私が一緒に写っても……」

 輝く金髪を持つリーシィさんは写真うつりも良く、とても華やかな雰囲気になるだろう。それに、今日の午前中は2人はずっと一緒にいた。

 父と娘以上に意気投合していたのは見ていても分かったし、一緒に写ればいい記念撮影になるはずだ。でも私は……。

「いいのいいの! ほら、よく言うじゃない? 『枯れ木も山のにぎわい』って」

「……いやリーシィ、それ褒めてませんから」

 額を押さえる先生。

「わ、は、は。いやぁ、リーシィさんは仰ることが面白いですなぁ。……キサラさん、私からもお願いします。将来有望な釣り人現る、とギルドの連中にも教えてやりたいですからな」

「は、はい。ニシダさんがそう言ってくれるなら」

 そうして私とリーシィさんは、ニシダさんを挟んで写真撮影に臨むことになった。

 ニシダさんの提案でそれぞれが今日釣り上げた最大の獲物ーー私は例のコイだーーを抱えてのポージングだ。

 ちなみに、今日だけで私の<釣り>スキルレベルは50近くも上がっている。スキルスロットを空けるために消したのは、少し前に修行しかけた<両手剣>だ。

 今度は曹長を誘ってみようかな。釣りはエサさえ選べればすごく楽しいし。

「はい、どうぞ」

「おお! これはいい。まさしく両手に花ですな!」

 先生から受け取った写真を見て、顔をほころばせるニシダさん。喜んでくれたようで、なによりだ。

「……ふむ。つくづく、ハイドさんが羨ましいですな。ビア・フロのどちらかを選ぶのか、気になるところですが……」

「ビア・フロ?」

「ああ、喩え話ですよ。つまり……」

「に、ニシダさんっ! その話はそこでストップ!」

 ひどく慌てた様子で先生が割って入ってくる。先ほどのルドマンやらリュカやら……。いったい何のことだろう? 先生とニシダさんの間では通じているようだけど。

「そ~いえばさ~。せんせーとおじさんは、さっき何の話をしてたの?」

 私と同じ疑問を抱いたのか、リーシィさんが小動物のようにきょとんと小首を傾げた。

 審判役だったニシダさんが、私とリーシィさんの試合を忘れるくらいにのめりこんでいたのだから相当に盛り上がっていたのだろうけど。

「ああ、それは……。ちょっとした世間話ですよ。まあ……。平たく言えば、男同士の話題です」

「ふ~ん?」

「ハイドさんがタバコを吸うのを見て、つい私も一服したくなりましてな。いやぁ、やはり喫煙者同士だと分かり合える部分も多くて」

「それはありますね。リアルでも、職場の喫煙所に行くといつも同じメンツが集まるから自然と話すようになったり」

「まあ、ある種のコミュニケーションツールというやつですな。男というのは、女性のようにうまく気持ちを言葉にするのが苦手ですからなぁ」

 そういうものなのだろうか。

 私の父は家族の前ではタバコを吸わないようにしていたけど、それでも普段からよく喋る方だった。家の外で吸っているときは、それ以上に饒舌になっている……?

「男は感情を自分の中で処理しようとする生き物です。だから、たまには煙と一緒に溜め込んだ気持ちを吐き出す……。釣りもそうですが、この世界にタバコがあって良かったなぁ。

 そうでなければ、私は今ごろストレスで引き篭もっていましたよ、きっと」

 ぺちん、と自分の額を平手打ちするニシダさん。

 正直、このアクティブなおじさんが引きこもる場面なんて想像も出来ないけど……。

 

 すると、話を聞いたリーシィさんがタバコに興味を持ったのかこんなことを言い出した。

「……ねぇねぇ。私も吸ってみていい? タバコ」

「ダメです」

「え~、なんでよ~」

「リーシィ、きみはまだ未成年でしょう? 世間的には、タバコは百害あって一利なしと言われているんですから」

「そうそう。リーシィさん、若い女性が興味本位で始めるのはおすすめしませんな」

 先生とニシダさんがそろってたしなめるも、基本的に言い出したら聞かないリーシィさんのことだ。今回も……。

「い~じゃないの~! SAOで吸っても実際の身体に悪影響があるわけでもないでしょ~?」

 ひし、と先生にしがみつくリーシィさん。

 ……ああもう、なにドサクサに紛れて身体を押し付けてるんですか……。

「……」

「き、キサラ……。その、目が怖いですよ……。って」

「とった~!」

 先生が私の視線に怖気づいた隙に、リーシィさんが彼のポーチからタバコセットを取り出した。

 2人が止める間もなくマッチを擦り、火を灯す。

「えっと、こうかな? す~っと……!? ……ごっ、わふっ!」

 次の瞬間、煙を吸い込んだリーシィさんが盛大にむせた。肺に入れた煙はたちまち空気中に霧散し、目には涙を浮かべている。

「なっ、なに……コレ……。けほっ」

 喉をおさえてのたうち回るリーシィさんに、先生が呆れた様子で言う。

「だから言ったでしょう……。ほら、水です」

「こ、こんなのが美味しいなんておかしいよ~! 絶対やめたほうがいいって!」

 先生から差し出されたビンを受け取り、中の水を喉に流し込むと、リーシィさんは代わりに手にしていたタバコを押し付けた。

「もういらない! せんせー、あげる!」

「まったくきみは……。ん、しかしこれはまだ吸えるな」

 リーシィさんが1口しか吸っていないタバコはまだだいぶ長かった。貧乏性なのか、先生は渡されたタバコを一瞥するとためらいなく自身の口へと運んだ。

「あっ……」

「……ふう。大体ですね、リーシィ。いきなり肺に吸い込もうとするのがいけないんです。初心者はまず口の中だけで……。ん、キサラ? どうかしました?」

 紫煙をくゆらせながら、先生が訝しげな視線を送ってくる。

 ……いや、だってソレ。今さっきまでリーシィさんが口をつけてたんですけど。ソレを先生が吸うってことは、つまり。

「い・わ・ゆ・る~……。『間接キ~ッス!』ってやつだね、キサラちゃん!」

 まるで私の心の中を読んだかのように、リーシィさんが叫んだ。

 私と先生はポカンとし、なぜかニシダさんはニヤリと笑い。

「まさか……」

 狙ってやったというのか。先生からタバコを取り上げ、1口だけ吸ってみせて。大げさにむせたのも演技? 先生の『MOTTAINAI精神』を逆手に取った、見事な奇襲攻撃……!

「油断大敵、不届千万! 釣り勝負で勝ちを譲ったからって、安心してちゃダメだよ~? えほっ。……まあ、あの煙たさは予想以上だったケド」

「リーシィさん、貴女ってひとは……ッ!」

 微妙に間違っているような四字熟語を並べつつも挑発してくるリーシィさんに、私も闘志を抱く。

 しかし彼女は、そんな私の射るような視線をさらりとかわし先生に向き直った。

「ねぇ~ん、せんせー。タバコ、無駄にしちゃってごめんなさい。でもね、実は私もちょっとストレスが溜まっちゃってたの……。今日も午後はせんせーがキサラちゃんにつきっきりだったでしょ。

 ほんとは3人……ううん、おじさんも入れた4人で楽しく遊びたかったのにね。それに、キサラちゃんとの釣り対決にも負けちゃうし……」

「な……」

 ……いや違うでしょリーシィさんストレスが溜まったとかおっしゃいますけどどう見ても貴女は溜まる間もなく発散させるタイプですから大体午後に別れたあと釣りに夢中になって帰ってこなかったのは誰ですかそもそもあの試合で私に勝ちを譲ったのは……。

 しなを作って先生にもたれかかるリーシィさん。

 私は1つ1つ反論してあげたかったのだけど、なぜか先ほどから目をキラキラさせて私たちのやり取りを見つめているニシダさんが気になってしまう。

 結果、怒りの呪詛はぐるぐるとお腹の中を回るだけで。言いたいことも言えないこんな空気の中じゃ、毒……は溜まる一方だ。

「……だから、ね? 今度こそ私がキサラちゃんに勝てるように、釣りの特訓に付き合ってよ~。もちろん、その時は2人だけだよ?」

「ああこら、リーシィ。わかりましたから、そんなにベタベタくっついてこないで下さい。まだタバコには火が付いてるんですから」

 辟易しながらも、左手に持ったタバコを彼女から遠ざける先生。SAOのシステム上、あの程度の火種では火傷なんてするはずはないのだけど……。

 ……って、違う。そんな所をつぶさに観察している場合ではない。

「リーシィさん!? それはちょっと卑怯じゃありませんか? 負けたとは言っても、私と貴女では実際のところ差はなかったはずですよ! それなのに自分だけ特訓しようだなんて……」

「キサラちゃん、怖いよ~? そんなこと言うんだったら、キサラちゃんも特訓したらいいんじゃない。別に私止めないよ?」

「わっ、私が言いたいのはその特訓に先生を付き合わせるのが問題じゃないかということです! 再戦するにしても、これは私とリーシィさん2人だけの問題でしょ!?」

「え~? だって試合はキサラちゃんが勝ったじゃない。だったら負けた方にはハンデとしてコーチを付けてくれてもいいんじゃないの~?」

「くっ……」

 のらりくらりと私の異議をかわし、さらに先生へと身体を密着させるリーシィさん。

 ……そうか、そういうことか。

 おそらくリーシィさんは、あの試合の勝敗判定時に今の流れを作ることを思いついたのだ。

 試合に負けて、勝負に勝つ。

 昔から使われている言葉だけど、これはまさに今の状況だ。釣り試合では確かに私が勝ったものの、その後は彼女の独壇場だ。

 記念撮影では先生に密着し、タバコを使った間接キスを敢行。更には次のデートの約束まで……。朝からのことを考えると、これでは負け越しではないか。

「っ! ……先生! 先生はどう考えますか!?」

「えっ、……え?」

 渦中の人物だというのに、先生はのんきにも吸い殻を小さな革袋にしまっていた。どうやらあれは携帯灰皿らしい。

 というか、今の反応。まったく聞いていなかったのか。

「ですから、私とリーシィさん! 先生だったらどちらのコーチに就きたいと思いますか!?」

「と~ぜん、試合に負けちゃったカワイソウな私だよね~?」

「あれはリーシィさんの申告でそうなっただけです! 午前中からの分を合わせれば、むしろ私のほうが釣った量は少なかったはずです!」

「ああ。……ああ」

 ようやく話しの流れを理解したのか、ぼんやりとした顔でしきりに頷く先生。腕を組み、十数秒間考える仕草をした後……。

「……うん。2人とも、ニシダさんに教わればいいんじゃないかな? たぶん<釣り>スキルのレベルは、もう僕のほうが下になってるだろうし」

「……」

「……」

 すっ、と頭に上った血が冷えていく感覚。

 違う、そうじゃない。

 私が……私たちが期待していた答えは、それではないのだ。本当にこの人は……。

「この……」

 示し合わせたかのように、半歩後ろに下がる私たち。

 きょとんとした先生の顔に、両側から私とリーシィさんの平手が振りぬかれ。

『にぶちんっっ!!』

「ほぶっ!?」

 異口同音に発せられた罵声とともに、先生は張り倒されたのだった。


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