こちら、アインクラッド解放軍第104小隊   作:ハイランド

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33女の戦い、男のツール 中編

 歩き始めてから、どのくらい時間が経っただろうか。

 今まで青々と茂っていた森がふいに途切れ、目の前が開ける。野球場を4,5面繋げたくらいの空間に、大きな池が広がっていた。

 層全体から見た位置は、中央の湖の西端あたり。広場を囲む木々の間からは、近くに建てられた青い屋根の尖塔が見える。あれは、教会だろうか?

「ここは……?」

「さあ、ようやく着きましたね」

 目的地も聞かないままについて来た私には、ここが何なのか分からない。当惑する私をよそに、先生は地面に座って何かの道具を用意し始めた。

「先生、リーシィさん。いったい何を始めるんですか?」

「あれ、言ってなかったっけ」

「リーシィ、また貴女は……。ええとですね、キサラ。ここは釣り堀です」

「釣り?」

「ええ。まあ釣り堀とは言っても特段NPCが管理しているとか、そういうわけでもないのですが」

 

 釣り。

 それはSAOに実装されている、数ある生産系スキルの1つだ。イルが身につけている<料理>や<調合>、あるいは職人系プレイヤーが得意とする<鍛冶>や<裁縫>などの、アイテムを加工・生産する技術。

 戦闘には直接役立つものではないけど、それによって得られる恩恵はアインクラッドでの生活に欠かせないものばかりだ。

<釣り>は生産系スキルの中でも少々変わり種で、水辺に生息する魚系食材を獲得することを目的としながらも、むしろその作業自体を楽しむ人が多い。

 特に年齢層が上の方の男性プレイヤーには愛好家も多く、104小隊のストーン曹長も嗜んでいると聞いたことがある。

 その<釣り>を、今からここでやるということ……?

 

「この22層は、池や湖が多くて釣り師たちのメッカになっているんです。たまにものすごい大物も釣れるらしいですよ」

 言いつつ先生がストレージから取り出したのは、ちょうど長剣が収まりそうな大きさの筒。フタを開けると、そこには分割式の釣り竿が入っていた。

 確かに転移門広場で先生たちを待っている時に見かけた他のプレイヤーは皆、あのような筒を持っていた。

 彼らはきっとこの層で釣りを楽しむために来たグループなのだろう。

「ギルドで最近、釣りが流行っててね~。話を聞いたらなんだか楽しそうだったから、連れてきてもらうことにしたの。ね、せんせー?」

「せ、せん?」

 リーシィさんの言葉に、竿を取り落とす先生。無理もないだろう、つい先ほどまでは普通に名前で呼ばれていたのだから。

 そう言えば、この前リーシィさんは先生のことをそう呼ぶことにするなどと言っていたような。

 見ればリーシィさんはフフンと胸を張り、挑発するかのようにこちらを見つめている。

 ……なるほど。どうやらこれは彼女からの先制攻撃のようだ。せんせいだけに。

「へ、へえ。『先生』は釣りも出来るんですか」

「や、出来るとはいっても」

「そりゃそうだよ~。……キサラちゃんは知らないだろうけど、『せんせー』は他にも<革細工>とか<音楽>みたいな趣味スキルは色々試してるんだから。ねえ、『せんせー』?」

「ま、まあほとんど3日坊主で」

「あー、そうなんですか。でも『先生』は<料理>だけは覚えてないみたいですけどねー。あ、ちなみに今日は私がお弁当を作ってきたので。楽しみにしてて下さいね、『先生』?」

 先生を挟んだ位置で、正体不明のデッドヒートを繰り広げる私たち。お互いに『せんせい』と口にする時にやたらとアクセントを強調するので、その都度彼はビクリと反応していた。

「…………あの。さっきから何なんです、きみたちは? 笑顔で握手してたかと思えば今度は睨み合ったり……」

 大岡越前の昔話に出てきた子どものように、キョロキョロとせわしなく私たちを見比べる。そこへ……。

「せんせーは……」

「気にしないでください!」

「……は、はい」

 異口同音に発せられた言葉に、先生は顔をひきつらせて押し黙った。

 ……そう。この争いには、公明正大なお奉行様がいるわけでもない。昔話とは違って先に手を離した方が負けるのだ。

 ぴりぴりとした空気の中、私たちは顔に笑みを貼り付けながら見つめ合っていた。

 

 SAOにおける釣りには、待ち時間というものがほとんどない。

 エサと重り、それにウキを取り付けた『仕掛け』が着水してからおよそ数十秒の間に、当たり外れの判定がなされる。

 当たれば食材アイテムの魚が手に入り、外れれば取り付けたエサを失う。料理もそうだけど、この世界では作業の手順がいくらか簡略化されているのだ。

「……またか」

 私が引き上げた釣り糸の先には、仕込んでおいたはずのエサが無かった。ハズレだ。

 傍らに置いたエサ箱に手を差し込む。指先で摘んで取り出したのは、デフォルメされたミミズのような虫だ。私の掌の上でにょろにょろとのたくっている。

「うう……」

 ミミズに釣り針を重ね、軽くタップ。エサは現実世界とは違い自分で針に突き刺すことまでは要求されないので、気持ち悪いながらもなんとか出来る。

 だけど、正直ミミズは苦手だ。大きさは掌サイズでも、形は私の嫌う蛇にそっくり。大きすぎる蛇も嫌だけど、これはこれでなるべく触りたくない。

 こんなことなら……。

「ああ~……。せんせー、まただめだったよ~」

「ううむ、今日は調子が悪いですね……」

「じゃあせんせー、ごめんだけど……。またお願いね?」

「仕方ありませんね」

 ちらりと視線を送る。私の陣取った場所から3メートルも離れていないところで、先生とリーシィさんが話していた。

 2人の距離は密着していると言っていいほど近く、先生は彼女の釣り針にエサをセットしていた。

 リーシィさんはそんな先生の手元を覗き込み、『お~、さすが~』などと呟いている。

 ……そう、彼女は最初先生の取り出したエサ箱を見た時、こう言ったのだ。

『え、ミミズ? えっと~、うん。……ムリムリ! そんなの触れないよ~!?』

 かくしてリーシィさんの使う釣餌の整備は、先生が行うことになった。虫が苦手という弱点を見せることで男性の庇護欲をかきたてる、女子力を駆使したテクニックの1つだ。

 ちなみに私は、リーシィさんの『虫が苦手』という話をブラフと見ている。彼女がエサをミミズと認識してから、拒否反応を示すまでに数秒のタイムラグが発生していた。

 おそらくはあの瞬間に算盤を弾いたのだろう。リーシィさん……おそろしい子!

「……私も虫が苦手って言っとけばよかった……」

 ため息とともにつぶやくも、後の祭り。ここ1時間ほどのあいだ、先生はリーシィさんに独占され続けていたのだった。

 

「釣れますか」

 そんな暗澹たる気分に浸っていた時、ふいに後ろから声をかけられた。

 振り返り見上げると、そこに立っていたのは眼鏡をかけた男性。見た感じでは50代くらいだろうか。

 初老といってもいい雰囲気をまとっている。

「あなたは……?」

「見たところ、なかなかに苦戦しておられるようだ」

 男性は腰を曲げ、私の手元を覗きこんでくる。これはなにかのイベントの導入部分なのだろうか。

 肉付きのいい体を持つ男性は、まさにNPCによくいる『村のおじさん』といった感じ。

 もしかしたら、ここで何度も釣りを失敗すると発生するクエストなのかもしれない。

「え、と。……『なにか、お困りですか?』」

 そう考えた私は、とりあえずクエスト受注の定型文を口にしてみる。ところが……。

「いや、お困りなのは貴女のほうでは……?」

「え……。ぷ、プレイヤー……!?」

「そうです。意外でしょうが、ね……」

『わ、は、は』と身体を揺らし、豪快に笑う男性。

 SAOは元がネットゲームという性質上、圧倒的に若いプレイヤーが多い。

 私が知っている中でも年長者と呼べるのはストーン曹長くらいのもので、それ以上の年齢層がログインしているとは考えてもみなかった。

 男女比の著しい不均衡が話題に上ることは多いものの、実はそれ以上に年配のプレイヤーという存在は珍しいのだ。

 しかしよく見れば男性の頭上には、彼がプレイヤーであることを示す緑色のウインドウが表示されていた。

 

 男性は、『ニシダ』と名乗った。

 聞けば無類の釣り好きで、この22層の湖を拠点に各地を渡り歩いているのだという。

「こりゃあ、エサがいけませんな」

 1時間以上に渡る釣果のなさを、ニシダさんはそう原因づけた。

「この層にはいくつもの池や釣り堀がありますがね、それぞれに適した釣餌が設定されとるようなんです……。このミミズは中央の湖ではそこそこ食いつきますが、ここではよほどスキルレベルが高くないと、かかりませんわ」

「そうなんですか」

「なるほど、どうりで……」

 私と先生が神妙な面持ちで頷く。ちなみにリーシィさんは先生を取られたことが面白く無いのか、地面に座り込んで頬を膨らませている。

「ビギナーがこの池を攻めるなら、ほら……。あそこに教会が見えるでしょう? あの辺には小さな村がありましてな。そこの道具屋で買える釣餌が必要なんですわ」

「先生……」

「だ、だから言ったでしょう。ほとんどが3日坊主だって」

 居心地悪そうに苦笑する先生。私の冷めた視線に耐え切れなくなったのか、『エサを買ってくる』などと言いつつ立ち上がろうとする。が……。

「や、それには及びません。……この機会ですからな、差し上げましょう」

 ニシダさんがそれを制し、自身のポーチから手のひら大の小箱を取り出した。

 突然の申し出に、私は箱とニシダさんの顔を交互に見比べてしまう。

「で、でも」

「いや、遠慮されることはない。私はこう見えて釣り師の集まるギルドをひらいておりましてな。お嬢さんらのような若い人が同好の士になってくれれば、それだけで嬉しい」

「いいじゃないですか、キサラ。せっかくですし、ご厚意に甘えましょうよ」

 ニシダさんの笑顔と先生ののほほんとした態度に押し切られ、私はエサ箱を受け取った。

 ミミズの入っていた箱よりいくらかずっしりとしており、グレードの違いを感じる。小エビでも入っているのだろうか?

「じゃ、じゃあ……。すみません、ありがとうござい……ま……」

 お礼を言い、さっそく箱のふたを開ける。

 しかし、予想に反し中に入っていたのは小エビなどではなく……。ソレを見た瞬間、私は絶句してしまっていた。

 

「……ごめんなさい、先生」

「いやいや、なんの。きみがコレを苦手なのは、よーく知ってますからね」

 どこか得意げな顔で釣り針にエサを取り付ける先生。

 緑色の、ぬらぬらと光沢を放つ表皮。ぎょろりとした、不気味な瞳。手足は胴体に比べて極端に細く、口元は何かを常に咀嚼しているかのように蠢いているその『エサ』。……カエルである。

「いじわる……」

「あはは。しかし、きみもよく分かりませんね。ミミズは平気なのに、カエルはダメだなんて」

「ほ、ほんとはミミズも嫌だったんですよ!? 見た目がヘビみたいだし。ただ……。ヘビに関してはあの時以来、少しは耐性が付いてたみたいです」

「あの時というと……。ああ、あれですか。きみがカエルのジャムを……」

「思い出させないでくださいよっ!」

 先生の横腹に思わず手刀を突き入れる。しかし先生はそれにも動じず、笑いを噛み殺しながら竿を差し出してきた。

 ……まったく、嫌な思い出だ。

 先生と一緒に<フラワーガーデン>こと第47層に向かったのは春のことだったか。

 私が大の苦手とするヘビと戦い、カエルの内蔵に手を突っ込み……。あまつさえ気づかないうちに、カエルの肉まで食べていた。

 あの感触と食感は、今思い出しても身震いしてしまう。

「……でも、まあ悪いことばかりじゃないですね」

 竿を受け取り水面に向き合ってから、つぶやく。先生は聞こえなかったのか、続いて自分の仕掛けを用意すると私のウキの近くに投げ入れた。

 今、この場には私と先生しかいない。

 リーシィさんはニシダさんと一緒に、およそ10メートルほど離れたポイントで竿を振っている。

 実を言えば先ほどニシダさんからもらったエサがカエルだとわかった時、私は1度水辺から離れて休憩しようとした。

 いくら無害な釣餌とはいえ、なるべくなら触りたくない。

『それなら、キサラのぶんのエサは僕がつけましょう』

 先生からそんな申し出があったのはその時だ。リーシィさんは不服を申し立てたけど、最初の1時間は彼女につきっきりだったということで、先生がなんとか説得してくれたのだ。

 結果、私は先生に。そしてリーシィさんはニシダさんに面倒を見てもらうことになった。

 災い転じて福となすとでもいうべきか、ニシダさんがくれたエサがカエルだったことに少しだけ感謝だ。

「……それにしても」

 ウキを見つめたまま、先生がつぶやく。

「さっきの一撃はなかなかに効きましたね。<圏内>とはいえ、あそこまで吹き飛ばされるとは……。さすがはキサラです」

「蒸し返す気ですか? あれは先生が私の、その……見たから」

「あー。あれは確かに役得ではありましたが……。って違う! そういうつもりではなくて」

「……」

 それ以上思い出すな、と無言でかけた私の圧力に先生は咳払いをする。

「ンン。……ただ、懐かしいなあと思いまして。きみに最初に会った時も、あんな風に殴り飛ばされましたし」

「ああ、そう言えば……」

 4月のあの夜。<はじまりの街>で先生と遭遇したとき、私は軍務の一環として隊の皆と一緒に夜警をしていた。

 巡回する私たちの後をつけてくる不審な男性をクロくんが発見し……。身元を確認しようとしたところ逃走したため、とっさに<閃打>で無力化したのだ。

 もしもあの時彼を取り逃がしていたら、男性が先生であることに気づかず、再会の機会を失っていたかもしれない。我ながらファインプレーだったと思う。

「でも先生、1つ間違ってますよ」

「え?」

「私と先生が会ったのは、あの夜が2回めです。SAOのサービス開始日に会ったのが1番最初。……っていうか、これと同じ話をあの夜にしましたよね?」

「あ、ああ……。そうだそうだ、うん。いやもちろん、忘れてなんかいませんよ?」

 曖昧に笑って頷く先生。

 ……この顔は、絶対忘れてる。

 自分にとっては鮮烈な印象の残る出来事も、相手からすれば何気ない日常の1コマにすぎないのだろうか。そう言えば、あの夜も先生はこんな表情をしていた。

「……ずるいな」

 私は先生のことをずっと覚えていたのに、先生は違った。

 今だってそう。先生は私のことを仲の良いフレンドくらいにしか思っていないのだろうけど、私は……。

「なにか言いました?」

「いえ、別に。……先生、それ引いてるんじゃないですか」

 私が指差した先では、先生のウキがくいくいと動いている。

 先生は慌てて竿を引いたようだけど、針の先にはなにも残っていなかった。

「あちゃあ、けっこう大きそうだったのに」

「逃した魚は大きいって言いますからね。……にぶい人は、それだけチャンスを掴み損ねることも多いんじゃないですか」

「……なにやら険のある言い方に聞こえるんですが」

「気のせいです」

 素知らぬ顔で、私は自分のウキを見つめていた。

 

「せんせー! キサラちゃ~ん!」

 釣餌を変えた甲斐あってか、私と先生が何匹目かの魚を釣り上げた時にリーシィさんが近づいてきた。

 その手には、見たところ50センチ以上はありそうな大物が抱えられている。

「見て見て! こんなの釣れちゃったよ! すごいでしょ~」

「お、おお……。これは確かに」

「私たちも何匹かは釣れましたけど、そこまで大きい魚はいませんでしたね。……あの時以外は」

「はは、は……」

 先生が乾いた笑い声を漏らす。

「ん~? なにかあったの?」

「ええ、まあ……。僕が少し失敗したという話です」

「ふ~ん? ……あ、それより聞いて! おじさんったらすっごく上手いの。私が釣れたのもおじさんのおかげなんだから」

 そう言って、リーシィさんは後ろからついて来たニシダさんの手を取る。

 ニシダさんは照れたように笑いながら前に出た。

「わ、は、は。いやぁ、私は全然手を出しとりませんよ。この釣果は、彼女の腕によるものです。……リーシィさん、貴女はスジがいい。出来ることなら、私の釣りギルドに誘いたいくらいだ」

「も~、褒めてもなにも出ないよ~?」

 和気あいあいと談笑する2人。父娘ほども年が離れているのに、まるで仲の良い友人同士のようだ。

 短時間でここまで打ち解け合えたのは、リーシィさんの明るい性格によるものだろうか。

「それでね、せんせー? たくさん釣れたのはいいんだけど、おじさんのくれた分のエサが無くなっちゃったの。もしせんせーたちの方で余ってたら、分けて欲しいな~なんて」

「ああ、そういうことですか。それならこちらにはまだ残りがありますから、丁度いいでしょう」

 魚をストレージに収納し、両手を合わせるリーシィさんに微笑む先生。

 トレードウィンドウを開くと、彼女にエサの半分を差し出した。

「ありがと~!」

「いえいえ。それにしても、まさかきみがここまで釣りが出来るとは思いませんでしたよ」

「まあね、先生が良いし! それに……」

 ちらりとこちらを振り向き、笑うリーシィさん。

「やっぱりこういうのって、駆け引きが大事じゃない? 私、普段から得意だからね~。か・け・ひ・き!」

「むっ」

 何についての、とはあえて聞くまい。

 釣りと『その事』を同列に扱うのは彼女の当てこすりに感じられるけど、ここはあえてその挑発に乗ろうじゃないか。

「……駆け引きも大事ですけど、そういうことってある程度の慎重さが求められるじゃないですか。無理に力を入れたら、線が切れる可能性もありますし」

「え~? でもでも、待ってるだけじゃ結果は出ないよ? ……キサラちゃん、ちょっと臆病なんじゃないの~?」

「そんな。私だってその気になれば……」

「甘い甘い、あま~い! 『その気になれば勝てる』? 気持ちのスタートダッシュが遅れた時点で、半分負けてるよ~」

「そん、そんなことありません! むしろ最初は温存したぶん、後半からが勝負なんです! ……それよりも、相手の気を引くために小手先の技を使うような人こそ、誠実さに欠けるんじゃないですか?」

「ふふ~ん、勝てば官軍だよ~。……駆け引きも演技も、できることは何でもやらなきゃ。誠実さ、なんて負けた時にはただの言い訳にしか聞こえないよ?」

「演技って……。やっぱりさっきのは……!」

「何のことかな~? ……ねえせんせー、大事なのは結果だよね~?」

 ヒートアップする私の口撃をさらりとかわし、先生に向き直るリーシィさん。

 先生は一瞬戸惑ったものの、ぎこちなく頷く。

「え? ええ、まあ……。実際、リーシィは大漁のようですし。……あの、これって釣りの話ですよね?」

「もっちろん! 私とキサラちゃんのやり方の違いで、すご~く差がついちゃうよって話」

「ぐ……」

 悔しいけど、反論できない。彼女には釣果はもちろんのこと、先ほどそれぞれに与えられた、先生との2人きりの時間の過ごし方も負けている。

 リーシィさんは積極的にアプローチしていたのに、私はいつものように変に突っかかるだけで終わってしまったのだから。

 ……いや。それならば、せめて。

「……わかりました。そこまで言うなら、リーシィさん。勝負しましょう」

「ほえ?」

 感情を押し殺した私の声に、リーシィさんが小首を傾げる。

「最初から『技術を駆使して』飛ばすリーシィさんのスタイルと、出遅れてもじっくりと追い上げる私のやり方。どちらが実を結ぶのか、勝負です。……これで」

 私は宣言とともに、彼女の眼前に釣り竿を掲げたのだった。

 

「えー、それでは今日のメイン・エベントを決行します。……両選手、前へ!」

 ニシダさんの生き生きとした取り仕切りに、私とリーシィさんが1歩踏み出す。

 それぞれ手にするのは先生から借り受けた全く同性能の釣り竿と、残ったカエル入りのエサ箱。エサの数も同数なので、条件は同等だ。

「ルールは、先ほど決めたとおり。お二方には今から2時間釣りをしていただいて、その釣果で勝敗を決します。釣果は魚の大きさと獲得数、それに種類のレアリティで判定しますが、その役割は不肖このニシダが務めさせていただきます。なお……」

 そこで一旦言葉を止め、場の3人をニコニコと見渡すニシダさん。

「釣れた魚は、この後スタッフがおいしくいただきますのでご安心を。……まあ私のことですがな!」

 例のごとく、『わ、は、は』と笑う。

 元から好々爺とした印象だったけど、私とリーシィさんが釣り対決をする段になると彼はますます上機嫌になった。

 進行役も慣れているようだし、どうやらこうしたイベントをよく開催しているようだ。

「……あの、キサラ。本当にいいのですか?」

 横に立った先生がこっそりと言う。

「きみはあのカエルを、さわれないほど嫌っていたではないですか。それなのに……」

「大丈夫です、気合です」

「いや、しかしこれはちょっとしたハンデになってしまいますよ」

「ご心配なく、自分で出来ますから。先生はそこで座って、結果を見届けてください」

「で、でも。……うむぅ……。いや、きみがそう言うなら……」

 私の決意が堅いことを悟ったのか、先生はそれ以上食い下がることなく踵を返した。

 彼が気にしているのは、この試合で私たちが使うエサ……あのカエルをそれぞれ自分の手で針に取り付けるという点だ。

 確かに午前中の一幕では、私はカエルに全く手をつけることなく先生に任せきりにしていた。

 一方のリーシィさんはと言うと、先生のもとを離れる時に『虫が苦手』という設定を置き忘れたのか……。ニシダさん曰く『実に男らしい』手つきでセットしていたという。

 当初リーシィさんはその点を指摘し、エサの取り付けだけは先生に任せてもいいよなどと言ってきた。

 無論、私としてはそのほうがありがたかった。しかし。

「……ここで意地を見せなきゃ、勝ち目なんてないからね」

 口中でつぶやく。この釣り対決は本筋とはなんら関係のない、いわば『予備戦』だ。ただの意地の張り合いでしかない。

 それでも……いや、だからこそ今回は私だけでリーシィさんに勝ちたい。それこそ『本戦』は、1対1で決着をつけなくてはならないのだから。

「よろしいですかな。では、……スターーートゥハッ!」

 そして、ニシダさんの号令で対決が始まった。

 

「うう……」

 小箱を開ける。そこにいるのは、ぎっしりとまではいかないものの何匹もが積み重なったカエルたち。

 大変ありがたいことに、カエルは『生き餌』として設定されており箱のなかでもぞもぞと動いている。ここから取り出すのか……。

 カエルたちはフタが開けられたことで光が差し込んだのを感じたのか、一斉にこちらを見上げてくる。

「なるべく目を合わせないように……」

 顔を背け、手探りで手を差し入れる。その瞬間。

「ひゃっ……」

 カエルの1匹が私の人差し指に張り付いてきた。慌てて手を振り回したくなる気持ちを抑え、それを掌に載せる。

 あとはこの子を釣り針に重ねて、タップすれば……。

「おっさき~!」

 私がもたついている間に、リーシィさんは早々とカエルを取り付けていた。竿を上段に構え、勢い良く振り下ろす。

「ナイス、キャスティン!」

 審判のニシダさんが拍手している。これは、私も急がないと。

 改めてカエルに視線を向け、針に重ねてタップ。釣り竿が使用可能となる。

 本当に、SAOの釣りが簡略化されていて良かった。もしも自分の手でカエルを針に突き刺せと言われたら、私の手は止まっていただろう。

「……それっ!」

 竿を正眼に構え、わずかに前方へ倒す。そのまま後方へ引き、再び前へ。反動をつけてのキャスティングだ。

 私の放った仕掛けはリーシィさんのものよりずっと近い位置に着水した。

「キサラさんも、なかなかによろしいですな」

 ニシダさんが笑顔で褒めてくれる。あとは魚が針にかかるのを待つだけなんだけど……。

「おっ!? きた~!」

 十数秒のアドバンテージを得ているリーシィさんには、すでに最初の食い付きが来ていた。

 リールを回し、一旦止めて竿を引き起こす。竿を倒しつつリールを回し、再び竿を引き……その動作をおよそ5回。

 水面に浮かんできた魚影は次第に岸に近づく。水中で抵抗しているようで、尾が水しぶきを蹴り立てる。

「リーシィさん、ファイトです!」

 ニシダさんがやや興奮した様子で手を叩く。リーシィさんにも余裕があるようで、一瞬片手を放してVサインなどを作っていたりする。

「とどめだっ! ……フィ~ッシュ!」

 ざばり、と魚が姿を表わす。リーシィさんの竿から吊り下がっていたのは、丸めの体に尖った頭部を持った魚。

 鱗は青みがかった色をしており、大きさは両手から少しはみ出すくらいだろうか。

「お見事! こりゃあ、フナですな。煮付けにすると美味いんだが……。おっと、失礼。先制点はリーシィ選手! さあ、次はキサラ選手の番ですよ!」

 魚をストレージに収めつつ、ニシダさんが実況する。彼の言うとおり、そろそろ私の方にも成否判定が発生してもいいころなんだけど……。

「あっ?」

 次の瞬間、見つめていたウキがわずかに沈んだ。どうやら何かかかったようだ。

 ……どうする? 今すぐ引き上げるべきか……。

 一瞬焦ったものの、私はそれをこらえ様子を見ることにした。沈んだウキは浮き上がり、再度水面に頭を覗かせている。これがもう一度沈んだら……。

「……きたっ」

 今度は先ほどよりも大きくウキが沈む。このタイミングだ。私は竿を持つ両手に力を込めた。

 リーシィさんと同じようにリールを巻き、竿を引き起こし、またリールを回し。

 魚影が水面に近づく。少しだけ、姿を表わした。真っ黒い表皮に、陽光が反射している。……あれ、これって。鱗が、無い?

 いや、鱗どころか魚はろくに抵抗もしていない。私に引かれるままに、くったりと水面を移動してくる。

 重く感じるのは水の抵抗によるものだろうか。

「えい!」

 ともあれ私は、獲物を釣り上げることに成功した。水面を割り、水をしたたらせながら出てきたのは……。

「なん……これ……」

「……えー。キサラ選手、初手は。……長靴、ですな」

 片足しかない、ゴムで出来たように見える長靴だった。中に水がたっぷりと入っており、それが重さの原因だったのだろう。

 ……いや、それにしても。

「靴が、どうしてカエルに食いつくのよーっ!?」

「……まあ、いわゆるお約束というやつでしょうかねぇ。SAOは、こういったイベントではお約束を外さないと聞きますし。……誰も中にいませんでしたからねぇ、小魚でも中にいれば良かったんですけどねぇ」

 私の絶叫に、後方に控える先生がのんびりと解説を加えたのだった。


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