2024年4月 第1層 はじまりの街 裏路地
「……あの」
私は意を決して男性ーーハイドさんに声をかけた。
「ハイドさん、私に……いえ、キサラという名前に覚えはありませんか?」
ハイドさん含め、小隊のメンバーもきょとんとして私を見る。
「1年半前、あなたと同じ名前の方にお世話になったんです。あの手鏡で姿を変えられる前の事だったので、私も外見が変わってしまっているんですけど……」
ハイドさんは目を大きく見開いた後、口をパクパクさせた。
「き、きみは僕を知っているのか……?」
私から視線をそらし、考えこむ仕草。
ぶつぶつと『まさか、そんな……』などと呟いている。
この反応を見る限り、やっぱり……。
「覚えておられませんか。……そ、そうですよね」
なにせゲーム開始直後わずか4時間程度のことだ。
あの後大変な混乱もあったし、私のことも忘れてしまっていても仕方ない。分かっている。
分かってはいるのだけど……自然と声がしぼんでしまう。
「……いえ、失礼しました。きっと人違いなのでしょう。あなたの名前とその、雰囲気がその人とそっくりだったので」
そうだ。名前被りがあるSAOのことだ。
たまたま同じ名前で、似た背格好のプレイヤーがいてもおかしくはない。私はそう考えることにした。
「……待ってくれ!」
その時、ハイドさんが声を上げた。
「その、……よければその時の話を詳しく聞かせてくれませんか?もしかしたら、何か思い出せるかもしれない」
1時間後。
私とハイドさんは先程の場所からそう離れていないところにある、NPCレストランの席で向かい合っていた。
店の名前は<パニエ・ド・パン>。カフェを併設した作りのパン屋である。
小隊のメンバーには、残りの巡回ルートを回ってもらっている。
『得体のしれない男と副長を2人きりにさせられない』と軍曹は反対したが、伍長が説得してくれたのだ。
……別れるときに送られた、あの意味ありげな視線を考えると、後々このことでからかわれるかもしれない。
ともかく、私は1年半前の出来事をハイドさんに説明していた。
「……なるほど、そういうことか」
私の話が終わり、しばらく黙考していたハイドさんが頷きながら呟いた。
1つ咳払いをして、私と視線を合わせる。
「……うん。ぼんやりとだけど、思い出しました。そう……僕はキサラさんと別れたあとログインし直して、あの事件に巻き込まれたんです」
「本当ですかっ!?」
ーー嬉しい。やっぱりこの人は先生で、無事生きていてくれたのだ。
「僕もあの後、きみを探したんですが……やはり見つけられませんでした。街なかを歩くときは意識はしていたのですが……すみません」
ハイドさんが申し訳無さそうに頭をかく。
現実問題、SAOではお互いにプレイヤーネームが表示されないのがデフォルトである。
同じギルド員でもなく、フレンドでさえなかった私達がお互いを探すことはーー容姿すら変わっていたこともありーーほぼ不可能であったのだ。
「謝らいでください、せんせ……ハイドさんが生きていてくれて、また会えただけでも私嬉しいんです。……今日ばかりは夜警に当っていてよかったと思います」
「先生、でいいですよ。そう呼んでくれたほうが、僕も嬉しいですし」
にこりと優しい笑顔で言ってくれる『先生』。
「ところで、その夜警というのは……さっき言っていた<アインクラッド解放軍>とやらの任務ということですか?」
「ええ、そうです。軍という名前に変わったのはつい最近のことで……以前は<MMOトゥデイ>というギルドでした」
MMOトゥデイ(MTD)。一時期は構成員3000を数えたSAO最大のギルドだ。
創立者はシンカーという男性で、理念を一言で表すなら『共存共栄』。
得られた情報やアイテム、資金を公平に分配して攻略に臨み、全員でアインクラッドから脱出することを目的に作られた。
最初期にはそのマンパワーを駆使し攻略の最前線を拓いていた時もある。
しかし、第25層の双頭巨人型ボス攻略時。
送り込んだ精鋭メンバーのほとんどをロスト、壊滅状態に陥ったことをきっかけにその歩みは止まった。
ギルド員の多くが死を恐れ、前線に出ることを拒否したのだ。
攻略自体は他のギルドやソロプレイヤーもいたので、速度は落ちたにしろ続けられていた。
そして進む最前線開拓と、逆に停滞するMTD構成員の強化。
次第に<聖竜連合>や<血盟騎士団>を始めとした中小規模ギルドが台頭し、攻略意欲を持った数少ないメンバーもMTDに愛想を尽かしてそちらに移籍していった。
MTDはますます弱体化し、前線から姿を消した。
これに危機感を抱いたのが、ギルドサブマスターであったキバオウさん。
彼は組織体系を抜本から改革し、ギルド員のモチベーション向上のため新たな活動目標を掲げた。
第1層、はじまりの街を始めとした下層の治安維持である。
SAOでは安全圏内である主街地と周辺の村々にはモンスターは出現しないが、プレイヤーを狙うプレイヤーは別だ。
一度犯罪フラグを立てた者はそのカーソル色から<オレンジ>プレイヤーと呼ばれ主街地には入れないが、善良な<グリーン>プレイヤーを騙したり買収したりすることで圏内でも悪さをすることが出来る。
この<オレンジ>を取り締まるための組織としてMTDは再構成された。
ギルドの名称もそれまでのMTDから<アインクラッド解放軍>(ALF)に変更、プレイヤーのレベルを基本とした階級制を導入したのだ。
構成員の中に何人かいた、リアルで自衛隊員であったプレイヤーから行動様式を学び敬礼や行進の仕方を制定、果ては制服まで採用された。
私を含む女性プレイヤーには少々理解しがたい部分であるのだけど、この改変により構成員の多くーー主に男性プレイヤーーーが意欲を再燃させる。
特に制服採用の時には、なぜか50人近くもの出戻り組が現れたそうだ。
新規入隊者も増え、現在では構成員も最盛期の半分くらいを維持している。
この改革の功労者であるキバオウさんはサブマスターの地位に留まり、現在もシンカーさんがギルドマスターである。
もっとも、肩書きはそれぞれシンカー『司令』とキバオウ『副司令』に変化したのだけれど。
現在、各小隊ーー5~6人を基本構成とした、他ギルドでいうパーティのことだーーが週ごとに持ち回りで行っている夜警も、治安維持の一環というわけである。
「なるほど、MTDが変化したということですか」
私の説明を聞いた先生はしきりに頷いている。
「MTDのことはご存知なんですね」
「ええ、同じギルドの友人から聞いていましたので。キサラさんは、MTDの頃から?」
「はい。それ以前は友人と2人で活動してたんですけどね。彼女も今、軍に所属しています」
私の友人は数少ない生産系プレイヤーとして、軍の補給部署で腕を振るっている。
先生と再会できずにいたあの頃、もし彼女と出会えなかったら私はすでにゲームオーバーを迎えていたかもしれない。
「私がMTDに入ったのも、先生の助言からなんです。先生が大きなギルドに入って、色々な人と関わってみるといい……そう仰っていたので」
「あ、ああ……。そういえば、そんなことも言いましたっけ……」
曖昧に頷く先生。
「ところで……先生はもうギルドに入ってるんですね」
少し、残念なところである。
もし先生がフリーであったなら、軍に入隊してもらえるのに。
「ええ。今は、2つのギルドに籍を置かせてもらっています」
「そうなんで……え、2つ?そんなこと出来るんですか!?」
「し、知らなかったんですか?」
思わず大きな声が出てしまった。
SAOにおいて所属できるギルドは1つだけだと思っていたのに。
「他のMMOでは1つのギルドにしか入れないものもあるんですけどね。SAOでは複数のギルドに所属できるようですよ」
「知らなかった……」
さすがはネットゲームに詳しい先生である。
私は今まで他のギルドと掛け持ちなど、考えたこともなかった。
言われてみれば、先生のウインドウにはHPバーと2つのギルドタグが表示されている。どちらも見たことのないものだ。
「僕の所属しているギルドはこの2つ……<警務庁救命係>と<バウンティハンター>です」
「<バウンティハンター>はともかく……<警務庁救命係>って、なにか聞いたことある響きなんですけど。昔のドラマ……?」
「あはは。ギルマス……というかギルドの名付け親がふざけ半分でつけたものでして。仰るとおり、刑事ドラマのパロディらしいです」
やっぱりそうか。父が好きなシリーズで、幼い頃から何度も一緒に観た記憶がある。主演の刑事役の俳優さんの雰囲気がシブく、私も好きなドラマだ。
「活動方針としては、そうですね。キサラさんの軍と似たようなもので、人助けを目的としています」
「先生らしいですね!」
あの時、右も左も分からなかった私に懇切丁寧に基礎を教えてくれた先生らしい。きっと私の他にも何人もの『生徒』がいるのだろう。
「……先生、提案なんですけど。もしよかったら、先生も軍に入りませんか?」
先ほどは先生がフリーなら、と考えていたけどギルドに2つ以上入れるというのなら話は変わる。
先生のウインドウに3つ目のギルドタグが入るところを想像して、私は身を乗り出した。
「ええと……」
軽く身を引き、苦笑する先生。
「お気持ちはありがたいのですが……僕も正直、今の2つのギルドの活動で手一杯でして」
「そ、そうですか……」
がっくり。まあ確かに、軍は入隊したら基本教練と称した行進の練習などで多くの時間を必要とする。
行動も基本的に軍内部で集めたパーティで行うことになるので、掛け持ちは難しいかもしれない。
「そのかわりといってはなんですが」
ぴっ、と人差し指を立てて先生が言う。
「キサラさんが必要としてくれるなら、いつでも付き合いますよ。……そうだ、この機会にフレンド登録をしましょうか」
「あ……」
その言葉は、1年半前のあの時にも聞いたものだ。でも、結局それは果たされなかった。
先生が右手を振り、メニューを呼び出す。慣れた手つきで、今度はウインドウの展開もスムーズに。
私の目の前にフレンド承認の確認ダイアログが現れた。
「……」
OKボタンに、おそるおそる触れる。
<hydeとフレンドになりました>。そっけないウインドウの文字列が、私と先生がフレンド関係になったことを告げる。
「これで、フレンドメッセージのやり取りが出来ます。呼び出してくれれば、いつでも……き、キサラさん?」
ふいにぼやけた視界の中で、先生が取り乱している。
頬に違和感を感じ手を当てると、かすかに濡れていた。……泣いているのだ、私は。
「も、もしかして、嫌でしたか?」
慌てた声で心配してくれる先生に泣き顔を見られたくなくて、私は俯いた。
両目を手でおさえ、首を横にふる。
「……いいえ。いいえ……!」
あの日の約束が、いま果たされた。
先生が今日、はじまりの街を訪れたこと。
今週の夜警担当が私の小隊だったこと。
先生が私達を見かけ、追いかけてきたこと。
数々の偶然が重なり、1年半越しに『フレンドになる』ことができた。私はそれが……。
「嬉しいんです、私。やっと……やっと先生と……」
SAOの過剰気味な感情表現によって涙を流し続ける私の頭を、先生は無言で優しく撫でてくれた。
「落ち着きましたか?」
「はい。……すみません、みっともない所を……」
ようやく泣き止んだ私を前に、先生はNPCのおばさんに食事を注文した。まだ夕飯をとっていなかったらしい。
「……先生、軍に入れば衣食住すべて保証されますよ?」
もちろんこれは本気の勧誘ではない。照れ隠しというか、まあ……話題のすり替えだ。
先生もそれはわかっているようで、笑顔で応じてくる。
「それは魅力的ですね。食事のメニューは選べるのですか?」
「いえ、残念ながら。なにせ大所帯なもので、食堂では同じ品を人数分作るだけでいっぱいみたいです……ただ」
「ただ?」
おばさんが食事を運んでくる。
丸いくるみパンとポタージュスープ、それに生野菜の付け合せ。
先生は手を合わせて食べ始めた。
「私の104小隊に配属されれば、美味しい食事ができますよ。隊員の1人が料理スキル持ちなんです」
「それはキサラさんではなく?」
「あはは……私は戦闘向きのスキルビルドなので……。得意なのは上等兵の女の子でして。彼女は調合スキルもあって、隊に欠かせない後方支援役なんです」
「料理スキル持ちは、全ての隊に配置されているわけではないのですか?」
「はい。小隊の編成権はその隊長が持つのですが、うちの隊長は前衛と後衛の配分をバランスよく集めてくれたようです」
隊長ーーウィンスレー大尉の姿を思い出す。
隊長は戦闘では防御を優先した盾持ち片手直剣使いのタンクで、軍曹と共に戦線を支えてくれる。
料理担当、イルカ上等兵を隊にスカウトしたのも隊長である。曰く、『兵隊の楽しみの7割は食事である』とか。
「私は戦闘では、槍と体術スキルを使う中衛を務めているのですが……」
「ああ。そういえばさっきのパンチはなかなかに効きましたねぇ」
「す、すす……すみませんでした!」
<圏内>とはいえ、先生を素手でふっ飛ばし民家の壁にぶつけたのを思い出し、私は頭を下げた。
いや、でもあれは……先生が逃げようとしたからとっさに……ねえ?
「コホン。とにかく、我が小隊は隊長を中心によくまとまっているんです。明日も皆一緒に練兵場へ……」
そこまで言って、思い出した。明日は小隊で訓練に行く予定だったのだ。
連続した戦闘をこなすことになるので、早めに休んでおかなければならない。
視界に映る時刻表示に目を走らせる。
「2345……しまった」
時刻はすでに0時近い。小隊の皆はすでに寝ているだろう。
「キサラさん?」
食後のコーヒーをすすっていた先生が、私のつぶやきに怪訝そうな顔をする。
「先生、すみません。私、明日ちょっと忙しくて……」
「ああ、気にしないでください。僕はもう少ししてから帰りますので」
「ありがとうございますっ」
立ち上がり、急いで出口に向かう。と……。
ドアノブを掴んだ所で振り返り、言う。
「先生、あとでメールしますから!絶対、一緒に冒険しましょうね!」
先生の返事も聞かずに飛び出した。
これからは、先生といつでも連絡が取れる。
そのことを考えると、隊舎に向かう足取りもいつもより軽くなるのだった。