・海辺の町で
前回から少々間の空いた待ち合わせ
女主は隊長から釘をさされたこともあり、ノルマ以上の仕事を片付けての参加だった
海辺の町で、未開拓クエストを開始させた2人
町長の息子ロブは海岸で拾った娘ディーネに恋していた
ディーネが喋れないのをどうにかしてほしいという
ディーネを探す2人は入江の奥で歌う彼女を見つける
彼女は自身が人間ではなく人魚の化身であることを告白する
ディーネは喋れないのではなく、自身の声がロブを魅了してしまうのを恐れていた
彼女は海底に住む一族のスパイで、人間に奪われた至宝を取り返す使命を持っていた
至宝は現在灯台の種火として使われ、化身の足ではそこまで登っていけない
ロブを騙して取りに行かせるつもりだったが、情が移り実行できないという
考えられる選択肢は2つ
1つはロブの代わりに至宝を取りに行き、ディーネに渡すこと
これをすればディーネはとどまる理由がなくなり、海に帰る
2つ目はロブにディーネの正体を明かし、至宝を彼から海に返させること
こちらはその代償としてディーネを娶ることができそうだ
男主は代行案を、女主は告白案を推すが最終的に告白案をとる
ロブを呼び出し、ディーネの人魚としての姿を見せる
ロブは動揺し、人魚としてのディーネを拒絶する
昔、彼の母を乗せた船が海神一族により沈められたのだ
ディーネは自らの一族の仕業ではないと弁解するが、ロブは信じない
絶望するディーネは毒をあおり海の泡と消える
ロブは嘆き、至宝を海へと返す
自分であれば信じ切れたかと悩む女主に、明らかにしないほうがいい秘密もあるのではと男主はつぶやく
2024年7月 第1層 はじまりの街 黒鉄宮<アインクラッド解放軍>司令部
デジタルフォト・フレーム。
現実世界でもインテリアとしてよく見かける品だが、SAOにも同じアイテムが存在する。
用途もやはり同じで、撮影した画像を複数枚保存しランダムで写しだしてくれる。この撮影のために使うのはデジカメではなく、ライトグリーン色の<記録結晶>だ。
今、私の手の中にあるそれも先日登録した画像を投影していた。ちょうど葉書くらいのサイズに、海を背にした1人のプレイヤーの姿が写っている。
「……はあ」
ベッドに寝転びながら、何度目とも分からないため息をつく。時刻は0700、つまり午前7時。そろそろ朝食に行かないと食堂が閉まってしまう。
それは分かっているのだけど、私は未だ寝間着のまま部屋から出られないでいた。今朝はあまり食欲が無い。
先日の海辺の町での出来事からずっとこの調子だ。仕事には支障がないように気をつけているけど、それも隊の皆にはお見通しのようだ。
とくに曹長ーーストーン元軍曹は顕著で、いつも私の体調を気遣ってくれている。それは今日も……。
「副長、よろしいですかな」
「は、はいっ!?」
軽くドアがノックされ、ずっしりとした雰囲気の声が聞こえてきた。噂をすれば影というやつで、さっそく訪ねてきてくれたらしい。
私はフォト・フレームをベッドに投げ出すと、急いで飛び起きた。
「ちょっと待って下さい、いま着替えますので……」
右手の指先を垂直に振り、メニューを呼び出す。ストレージから着慣れた軍服を取り出して装備フィギュアにドラッグすれば着替えは完了だ。
ただし、装備が切り替わる一瞬だけプレイヤーの姿は下着姿になってしまう。同室のイルの前では別段気にすることもなく着替えるのだが、さすがに年上の男性の眼前でそれをする勇気はない。
「……お待たせしました」
深緑色の軍服に身を包んだ私がドアを開けると、そこにいたのはやはりストーン曹長だった。心なしか、険しい表情をしている。
「お早うございます、副長。……どうやら、食事がお済みではないようですが?」
パリっとした動作で敬礼しつつ、曹長は問いかけてくる。本来彼らが食事を摂る兵員食堂と私たちが使う士官食堂は分かれているので、よほど注意しておかなければ双方の喫食状況は分からない。
曹長もどのような手段によってか、私が朝食を摂っていないことを察知したようだ。
「ご、ごめんなさい。その、今起きた所でして」
苦し紛れの嘘をつくが、曹長に通じたかどうか。彼は鼻で小さく息をつくと、両腕を組んで私を半眼で見下ろしてきた。
「昨日もそう仰られましたな。いくら体調が優れずとも、朝の食事は摂ったほうがいい。朝食は活力の源です」
「う……。そうですね、今から行ってきます」
私が頭を下げると、曹長はやれやれといった感じで肩をすくめ去っていった。このところ、彼には小言を言われる機会が増えてしまった。
優しくも厳しい『お父さん』である曹長に促されては、さすがに食事を摂らないわけにはいかない。
部屋に戻り身支度を軽く整える。再びドアの前に立ちふと振り返ると。
「あ」
ベッドの上に放り出したままのフォト・フレームが目に入った。これはそのままにしておいてはいけない。もしイルの目に止まれば、またからかわれてしまう。
私はそれを自分の机の上に伏せて置く、……前にもう一度写真を見つめた。
SAOに搭載されている<ディティール・フォーカシング・システム>により、写真撮影は<記録結晶>を使えさえすればピンボケせずに出来る。
あまりカメラの扱いに慣れていない私でも美しく撮れたのはこのためだ。……ほとんど盗撮に近い形になってしまったが。
深く考えての行動ではなかった、と思う。ただ、あの無防備な寝顔を見た瞬間、不意に自分の手元に残しておきたくなったのだ。
「……はあ」
再びのため息とともに、今度こそフレームを伏せた。この胸のモヤモヤした感じは、まだしばらく消えそうにない。
0830、午前8時30分。
全体の朝礼を終えた私たち104小隊の面々は、今日の予定を決めるために小隊事務室に移動していた。
104小隊は隊長の方針で、ここしばらくは連日イービルデッド対策のためのレベル上げを行っている。今日もそれだろうと予想していた私は、しかし隊長から意外な言葉を聞かされた。
『本日のレベリングは中止だ。各自、書類仕事も溜まっているだろうからそちらを片付けてくれ。私は司令部の方で会議があるから席を外す。何かあれば連絡してくれ』
かくして私たちは久々のお気楽おしゃべりタイム……もとい、自選作業の時間を得た。
小隊の皆は休日にゆっくりしているのだろうけど、私は先生との約束があるのでこうして日中からぼーっと出来る機会は貴重だ。
隊長の言った書類仕事もそれほどの量でなく、2時間程度で片付いてしまった。
自分の席で頬杖をついてぼんやりしていると、曹長が話しかけてきた。
「……副長。なにやら最近の貴女は少々お疲れのようですが」
「え、そんなことは」
「隠そうとしても無駄です。食事の件もそうだが、今も気の抜けた表情をしておられる」
言われて、とっさに私は両手で顔をこする。そんなに締りのない顔をしていたのだろうか。
「もし何かお悩みでしたら、相談して下さい。……むろん、私でよろしければですが」
眉根をよせ、気遣わしげにこちらを覗きこんでくる曹長の瞳には私を心配してくれている様子がありありと浮かんでいた。やはり彼には全てお見通しらしい。
「だ、大丈夫ですよ曹長。ただちょっと……このところのレベル上げで疲れていただけです、きっと」
いくら曹長が優しい『お父さん』とはいえ、自分の抱える全ての悩みを打ち明けるのは気が引ける。ましてや今の私の悩み事というのは……。
「失礼します」
ちょうどその時、事務室の扉が開いた。中に入ってきたのは司令部入り口で受付を務めているプレイヤーだ。
「第104小隊、キサラ中尉は在室でしょうか?」
「あ、はい。私ですけど」
「貴女に面会人があります。受付までおいで下さい」
「面会人……?」
受付係の言葉に、私は首を傾げた。まるで心当たりがない。
軍のプレイヤーであればわざわざ受付を通さなくてもここまで来られるし、かといって私にとって部外で知り合いと呼べる人は数が限られている。
「その……。なるべくお早くお越しいただければ幸いです。現在偶然居合わせた、こちらのフラッシュ軍曹が応対しているのですが……。面会人は若い女性でして」
「分かりました行きましょう」
その一言で、私の疑念は遥か彼方に吹き飛んでいった。女性プレイヤーに目がない軍曹ーーフラッシュ元伍長のことだ。
放っておけば部内から逮捕者を出しかねない。私は急いで席を立つと、部屋を飛び出した。
「ねぇねぇ、いいじゃんよー。うちの副長に頼むより俺の方が早く見つけられるって、絶対!」
「こ、困ります……!」
私が受付に駆けつけた時目にしたのは、案の定というべきか……。面会人らしき金髪の女性プレイヤーにまとわりつき露骨にナンパする元伍長の姿だった。
カウンターに残っていたもう1人の受付係プレイヤーも辟易としており、私を認めるとほっとしたように胸を撫で下ろした。アイコンタクトで『私がどうにかします』と伝え、標的めがけて助走をつける。
「……この……! ごちょ、軍曹ッ!」
「ん? 副長……。ごふっ!」
体術スキル<台所流し>。以前のイービルデッド戦では不発に終わったが、女性プレイヤーを前にデレデレと蕩けた顔をしていた元伍長にはひとたまりもない。
彼のみぞおちに私の膝がのめり込み、吹き飛ばす。入り口ホールは体育館ほどの広さがあるにも関わらず、彼は壁へと激突していた。
「……すみませんでした」
「さーせんした」
復活したフラッシュ軍曹ともども、私は女性プレイヤーに頭を下げていた。
父から聞いた話では、昔ヒットしたドラマで『部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下の責任』なんてセリフがあったそうだけど、私としては一応の部下である軍曹の狼藉に責任を感じてしまう。
平身低頭謝罪する私たちに、金髪の女性プレイヤーはむしろ恐縮した様子で両手をふりふり言った。
「い、いえいえ。お気になさらないで下さい、なんともありませんから。……ただちょっと、びっくりしただけで」
女性プレイヤーの年齢は、見たところ私とそう変わらないだろうか。編みこんだおさげを左肩から前へと垂らしている。
よくよく見ればその容姿は可憐な美少女そのもので、軍曹がナンパに走ったのも仕方ない気もする。
たまご型の小柄な輪郭。ややつり目がちな瞳は大きく、アメジストのような綺麗な紫色をしている。唇は小さく、わずかに朱色がさした頬は肌のきめ細かさもあって、彼女をやや幼く印象づけていた。
SAOで1,2を争う美人と評判のアスナさんにも勝るとも劣らない、かもしれない。
「男のひとって……」
知らず、ため息が漏れる。私の呟きを耳にしたのか、軍曹が怪訝な顔で覗きこんできた。
「なんか言ったかい副長。……つーか酷くね? オレいつもおっさんには殴られてるけど、副長にここまでボコられるのは初めてなような。……私怨入ってなかったスか?」
「し、知りません! 自業自得です。……デレデレしちゃって。貴方も、先生も……」
江戸の仇を長崎で討つ、と言うわけではないつもりだけど。ナンパしていた軍曹のニヤけた顔と、アスナさんに夢中になってシャッターを切っていた先生の顔が一瞬だぶったのは秘密だ。
先生は女の子からメールも受け取っていたようだし。……そういえば、あの後先生はどうしたのだろう。メールをくれた子と食事にでも行ったのだろうか。
「あの……。自己紹介が遅れました。私、ヒナタっていいます」
悶々としていた私に、女性プレイヤーが笑顔で会釈してきた。慌てて頷き、言葉を返す。
「はじめまして、第104小隊のキサラ中尉です。私に何かご用があるとか」
「ヒナタちゃんかー、かわいいなー。オレはフラッシュ軍曹! 22歳独身で……もがっ」
間髪入れずにナンパを再開しようとした軍曹の口を手で押さえつける。こんなことなら曹長にも来てもらえばよかったかもしれない。
唖然とした様子でやり取りを見ていたヒナタさんに向き直る。
「……とりあえず、落ち着ける場所に移動しましょう。すぐ近くに隊員の食堂がありますので、よろしければそちらに」
「え、ええ。……なんというか、軍曹さんはすごいですね。色々な意味で」
辟易した様子のヒナタさんに、なおもアピールする機会を狙う軍曹。
私は両者の間に入り彼を牽制しながら、食堂への順路を案内するのだった。
「軍曹さんには、先ほど少しお話したのですが……。私、普段は商人をやっているんです。どういったものか、知ってます?」
「ええ、まあ。人並み程度には」
商人プレイヤー。それは生産職とならんでSAOにおける攻略の縁の下の力持ち的な存在だ。
上層の開拓をすすめる攻略プレイヤーは、回復アイテムなどの各種消耗品の補充や自身の生命線である装備品の整備など、とかくお金を使う機会が多い。
クエストの報酬でコルを得る方法もあるが、主たる収入源はやはりダンジョンやモンスタードロップで得たアイテムの売却だ。
しかしこのアイテム売却というのが曲者で、街にいるNPC商人相手に品物を持ち込んでも対価はすずめの涙……というわけではないのだけど、画一的なものになってしまう。
このSAOはネットゲーム。少しでも高く売りたければそれを必要としているプレイヤーに売るのが一番。しかし、実際にはそう都合よく買い手と売り手が出会えるものでもない。
そこで登場するのが商人プレイヤーだ。彼らは両者の仲介役を務め、需要と供給のバランスを保っている。
売るにしても買うにしてもまずお互いの信頼関係がなければなりたたないので、商人プレイヤーには比較的誠実な人物が多い……と聞く。
中には攻略組相手に詐欺まがいというか、足元を見た取引をする人もいるらしいけど。
商人として成功するための条件は、実績と知名度。その点で言えば、このヒナタさんは商人として必要な資質の2つめに大きなアドバンテージがあると思う。
なにせこの容姿なのだ。女性プレイヤーというだけでも目を引くのに、お人形さんのような可憐さは注目度を数倍にも引き上げるだろう。
「それで、今日は取引のためにこの街に来たんです。でも……」
「でも?」
表情を曇らせ、言葉を切るヒナタさん。
「先方との連絡が取れないんです。メッセージは何度も飛ばしているんですけど」
彼女が言うには今回の取引相手は納入先、つまりヒナタさんが品物を渡して代金を受け取るつもりだったそうだ。
商人プレイヤーは取引の際、円滑にことを進めるために相手と一時的にフレンド登録することもある。
相手の名前さえ知っていればインスタントメッセージは使えるが、それは双方が同じ層にいるときだけしかやり取りできない。
その点フレンドはメッセージ交換機能に加え、相手の位置追跡機能もある。現金のからむ関係だけに、万一の際の保険は必要というわけだ。
本日、約束の時間を迎えたヒナタさんは待ち合わせ場所に来たものの、相手は一向に現れない。品物は代金と引き換えになっていたためこのまま取引がふいになっても彼女は困らないが、一応の確認は取りたい。
そこで彼女は位置追跡機能を使い、相手のいる場所を確かめようとした。しかし……。
「彼がこの街にいることは間違いないんです。でも、ここはとても広いでしょう? 大体の位置はつかめているんですけど、何度道をたどっても行き止まりになっていたりして……」
「そうですね……。ここは入り組んでいる所も多いですからね」
先生と再会したときを思い出す。普段<はじまりの街>を拠点としている私たちならともかく、中層以上のプレイヤーで街の全容を把握しているひとは珍しいだろう。
もっともそのおかげで、あの時は罠を張ることができたのだけど。
「そこで、この街に詳しい人に協力してもらおうと思ったんです。はじめは別のプレイヤーに頼んだのですけど……。ちょっと、不快な目にあってしまって」
「なるほど」
「な、なんでそこでオレを見るんスか? 副長……」
軍曹がばつの悪そうな苦笑を浮かべる。ヒナタさんのことだ、きっと案内を頼んだ男性から逆にナンパでもされてしまったのだろう。ちょうど先ほどの彼のように。
「それでその時、思い出したんです。ここが<軍>の本拠地だってことを」
<アインクラッド解放軍>の主たる活動目的は、下層の治安維持。<オレンジ>プレイヤーの捕縛やダンジョンの危険箇所の注意喚起をしつつも、その性質上現実世界での警察のような仕事も期待されている。
交番での道案内や交通ルールの指導などは、軍ではそのまま<はじまりの街>にある各種ショップなどの施設案内と、SAOで犯罪者<オレンジ>にならないためのルール広報に当てはめられる。
ヒナタさんもそれを知っていて、だから司令部にまで足を運んだのだろう。しかし……。
「話は分かりました。でも、なぜ私を指名したんですか? そういった道案内などには、専門の部署があるはずですが……」
「ええ。確かに最初受付ではそのように案内されました。でも」
「誰かから副長の評判を聞いてたらしいっすよ、ヒナタちゃんは」
軍曹が横から口を挟む。割り込まれたヒナタさんは一瞬ぴくりと反応したが説明を彼に任せることにしたのだろう、無言で頷いた。
「どうしても104小隊のキサラ中尉にお願いしたい、って受付のやつと押し問答してたときにオレがたまたま通りかかったんすよ」
「そうなんですか。……でも、その『誰か』っていうのは?」
こうしてわざわざ名指しで訪ねて来てくれるくらいだから、その評判とやらは決して悪いものではないのだろう。自分自身の働きがこうした形で評価されるのは嬉しい。
ただし。言いにくいことだけど、私には軍以外での知り合いは少ない。ヒナタさんに私のことを紹介した人物とはいったい……。
まさか、あの<メービウス>? いや、それはないか。彼らは部外の人間だけど、軍にいい印象を持っていない。だいいちあの時、私は名乗らなかったはずだ。
じゃあ、ゼル中佐とか? あの人たちは軍人だけど、外のプレイヤーと交流をもっていてもおかしくなさそうな。
「ええと……。すみません、それはちょっと」
私の疑問に、ヒナタさんが申し訳なさそうに言葉を濁す。何か明かしたくない事情でもあるのだろうか。その紹介者に口止めされているとか?
まあ、商人プレイヤーというのはアイテムと一緒に情報を扱う人も多い。そういった場合、守秘義務を破れば信用を落とすことになりかねないので、彼女の態度もそれが原因なのかもしれない。
「そうですか。まあ、無理にとはいいませんけど」
「ありがとうございます。それで、改めましてキサラさんに道案内をお願いしたいのですが……」
小首をかしげ、私の様子をうかがってくるヒナタさん。背後からは軍曹が期待に満ちた視線を送ってきているのを感じるけど、私は即答を控えた。
たしかに一般プレイヤーに便宜を図り、ギルドの活動に理解を深めてもらうのは軍の仕事の1つだ。幸いにして、今日の私は体が空いている。引き受けること自体はなにも問題ないのだけど。
「ご指名は嬉しいですけど……。一応、隊長たちに相談してからでないと」
考えてみれば、私はろくに仕事の引継ぎもしないままで事務室を飛び出してきてしまった。彼女の依頼を受けるとしたら、まずその旨を隊長や曹長たちに伝えなければならない。
「ええっ!? そんなことしてたら、お客さんがまたどこかに行ってしまいますよ!……ただでさえ、キサラさんに会うまでに時間がかかってしまっているのに」
私に断られるとは思っていなかったのか、ヒナタさんは目を丸くし、次いで軍曹へと冷えた視線を向けた。
軍曹が受付でのやり取りを見て、すぐにでも小隊事務室まで彼女を通していれば時間のロスはだいぶ抑えられたはずだ。
それである程度は負い目を自覚したのか、軍曹も焦りながら追従する。
「そ、そうっすよ副長! 善良な市民に協力するのは軍人の義務でしょう? それなら、オレたちでヒナタちゃんのために動くのは……」
「……軍曹、あなたはただヒナタさんに恩を着せたいだけじゃないですか? はっきり言って、今の軍曹からは100%下心しか感じないんですけど」
「ちょっ、マジで今日オレの扱いひどくねーか!?」
嘆く軍曹を捨て置き、私は彼女に言った。
「それに、ヒナタさん。もしそのお客さんを探すなら、人手は多いほうがいいと思うんです。今日は皆ほとんど非番みたいなものですから、全員であたればもっと……」
「……てたのに」
「え?」
「『104小隊のキサラ中尉なら、どんな相談でも親身になって聞いてくれる』って言われてたのに」
ジト目で見てくる彼女に、一瞬たじろいでしまう。
「で、ですから……。効率を考えたら、私だけが行くよりも」
「効率とか、そんなのどうでもいいんです! 私がキサラさんがいいって言ってるんだから、すぐに動いてくれればいいじゃないですか!」
「……えーと」
半分涙目で訴えてくる。だいぶ感情的になっているようだ。
私が言うのもなんだけど、彼女はなかなかワガママな質らしい。ここで納得してもらうのは難しいかもしれない。
ここで押し問答を重ねて、更に時間をかけてしまえば本当に彼女はお客さんに会えなくなってしまう可能性もある。もしそうなれば……ただでさえ一般プレイヤーから敬遠されている軍の評価が、また落ちてしまいかねない。
先ほど挙げたように、商人プレイヤーは品物だけではなく各種のゴシップも扱うのだ。
「……わかりました! では、今から探しに行きましょう。軍曹、あなたも一緒に来てください」
「おうよっ! ヒナタちゃんのためならこのフラッシュ、いつでも……」
「あ、それは遠慮します」
先ほどの泣き顔はどこへやら、ケロリと表情を消したヒナタさんは意気込む軍曹に向かって首を振った。
肩透かしをくった彼はあんぐりと口を開け、目を点にしている。
「ど、どゆこと」
「だって……。軍曹さん? はちょっと怖いし……。安心できないっていうか」
「ぐはぁっ!?」
まだナンパの件を引きずっているらしい。私が駆けつけるまでの間、ずっとあの調子で迫られていたのだとしたら無理もないけど。
「……軍曹、今回は仕方ありません。ヒナタさんには私だけがついていきますから、あなたは隊の皆にこのことを知らせて下さい」
「そんなぁ……。後生だぜ、副長」
情けない顔で涙を流す軍曹。マンガなどでよく見られる表現だけど、こうして目の前でやられると少し引く。
彼も黙ってさえいればスマートに見えるのに、こうした仕草の1つ1つが女性を遠ざけていると思う。まさに以前イルが言っていた、『中身は子供』なかんじである。
未練たらしくしがみついてこようとする軍曹をなんとか引き剥がし、私とヒナタさんは黒鉄宮の出口に向かって歩き出した。
最後にちょっと振り返ると、とぼとぼと事務室の方へ歩いて行く軍曹の姿。まるで両肩に重石でも乗せているかのように、その背中は丸まっていた。
司令部を出た私は、まずヒナタさんに取引相手の大まかな位置を探ってもらった。
可視化オプションでも使わない限り、他プレイヤーのウィンドウは見ることが出来ないのでここは彼女に任せるしかない。
それによれば彼女のお客さんは、街の東側にいるらしい。相談に来る前からそれほど動いてはいないということなので、もしかしたら宿にでも入っているのかもしれない。
「それじゃあ、行きましょうか」
「あ、待ってください」
さっそく走りだそうとした私の手をヒナタさんがつかみ、やんわりとした口調で言った。
先ほどまでの焦りが嘘のように、ゆったりと歩き出す。
「どうせなら、少しお話しながら行きましょうよ。私、キサラさんのこともっと知りたいです」
「……急いでたんじゃないですか?」
「ええ。でも、彼はまだ転移門からは遠い所にいますし。……ごめんなさい、そんなに急ぐ必要もなかったみたい」
言葉とは裏腹にまるきり悪気のない笑顔を浮かべる彼女に、私は二の句が継げない。
とはいえ今から司令部に戻って増援を要請するのも二度手間だ。今日のところはまったり時間は我慢して、ヒナタさんに付き合うしかないと腹をくくる私だった。
「キサラさんはすごいですね。私とそう年も変わらないのに、軍人さんだなんて」
「そんなことないですよ、軍には他にも女性プレイヤーはいますし。どちらかと言えば最前線で戦う攻略組の……例えば<閃光>アスナさんなんかの方がよっぽど大変だと思います」
先日海の街で会ったアスナさんは、噂に違わぬ可愛らしさだった。あれで実力もトップクラスだというのだから、人気があるのも頷ける。まあそのぶん、余計な気苦労もあるのだろうけど。
「……そう言えば、ヒナタさんも大変なんじゃないですか? その、さっきの軍曹みたいなこともよくあるんじゃ……」
商人という職業上、人と接する機会は並より多いはず。SAOの男性プレイヤー全てが軍曹や先生のようなちゃらんぽらんばかりではないだろうけど、彼女の容姿は同性の私でも憧れるものがある。
現に今も、道を行き交うプレイヤーの何人かに1人はすれ違いざまにこちらを振り向いてくる。
ヒナタさんは最初に私の手を取ってからずっと繋いだままだったので、はたから見れば仲の良い友達同士でショッピングにでも繰り出しているように映るだろう。
注目されているのは彼女だけなんだろうけど、多くの男性プレイヤーから好奇の視線を向けられるのに慣れていない私としては落ち着かない。
中には『百合……?』などと謎の呟きを残す人もいる。
「ああ、そうですね~。正直ちょっとウンザリです……。その、キサラさんには悪いんですけど。あの軍曹さんも」
「軍曹が?」
「はい。生理的に無理ですね~」
「……」
とびきりの笑顔でとんでもない毒を吐くヒナタさん。『生理的に無理』ってアレですよ、女子が男性に対して下す評価の中でも最下級に位置する言葉ですよ。
なぜか一時期学校で流行って、軽い気持ちで父に言った時のあの落ち込みようといったら思い出すだけでも申し訳なくなってくる。あの時はフォローが大変だったなぁ……。
「その……。ヒナタさんって、見た目によらず……」
「口が悪い、ですか? ふふふふ、人を見た目で判断すると危ないですよ……?」
のほほんとした表情で言うが、その目はなぜか少しだけ冷たい印象を受けた。……ほんの少し、だけど。
「ここは……」
不意に立ち止まった私に、ヒナタさんが小首を傾げる。
彼女の言葉どおりに街を東に向かって進んでいた私たちは、いつの間にか東3区ーーあの教会の前まで来ていた。
そびえ立つ尖塔はあの時のままで、塀の向こうから聞こえてくる子供たちの歓声も相変わらずだ。
「この教会がどうかしたんですか?」
「ああ、いえ。前に少しお世話になった所で……そうだ」
せっかくここまで来たのだから、サーシャさんに挨拶していくのもいいかもしれない。
ギンくんはたまにイル達を誘うために司令部まで顔を見せに来てくれるけど、サーシャさんにはあの時以来会っていない。
「少し寄って行ってもいいですか? すぐ済みますので」
「……それじゃあ私は、ここで待ってますね」
私がヒナタさんに断りを入れると、彼女は一瞬表情を曇らせたものの了承してくれた。
するりと繋いでいた手を解いて塀に寄りかかったヒナタさんをそのままに、教会の門をくぐる。
「あっ!」
庭にいた子供たちは私の軍服姿を目にするや慌てて教会の扉に向けてかけ出した。どうやらまだ彼らにとって軍は悪者の印象が強いらしい。
「こんにちはー……」
なるべく威圧感を与えないように小声で挨拶をすると、子どもたちの何人かが立ち止まって振り向く。
「……あれっ? お姉ちゃんは……」
「いい方の軍人さんだ!」
「うわあー、久しぶり!」
とたんに先ほどとは逆に、私の方へと駆け寄ってきた。足にしがみついてきた子をしゃがんで抱え上げ、『高い高い』をする。
「お久しぶりです、皆元気そうですね」
「きゃはははっ!」
くるくるとその場で回りながら言うと、子供は嬉しそうに笑う。
その様子が羨ましかったのか、他の子どもたちが我も我もと足元にしがみつき。
「あっ、ちょっと……。わ、うわっ!」
たたらを踏んだ私はバランスを崩し、その場で盛大に尻もちをついてしまった。抱えていた子どもは一瞬驚いた顔をしていたが、すぐにまた笑い始めた。
「ねーちゃん、ドジだなー」
「それで軍人さんが務まるのー?」
「あはは……。面目ない」
ずっと年下の子どもにからかわれてしまうが、それでもいいと思う。彼らにとって悪人の代名詞だった軍に、少しでも心を開いてくれさえすれば。
たとえ私個人が『ドジなお姉さん』と思われても。……少しかっこ悪いけど。
「その節は、お世話になりました」
子どもばかりの教会でただ1人、大人の女性であるサーシャさんが深々とお辞儀をした。
「いえいえ、こちらこそ。最近はうちのクロくんがお世話になってます」
お返しとばかりに私も彼女に頭を下げ、謝辞を述べる。
教会で低年齢プレイヤーの面倒を見るサーシャさんは、ゲームクリアを目指す攻略組やそれを支える生産職とは別の意味で尊敬に値する存在だ。
下層の治安維持を謳う私たち解放軍といえど、労働力として期待できない低年齢プレイヤーの面倒を見ることまではできていない。
誰からもかえりみられることがなくても、無償の愛を子どもたちにそそぐ彼女の姿は聖母そのもの。本来ならこんな人のために、軍があるべきなんだろうけど……。
「それで、今日はどういったご用向きで?」
「特に用があったというわけではないんですけど……。たまたま近くまで来たものですから」
「そうでしたか」
意味のない訪問であることを告げてもサーシャさんは気分を害した様子もなく、優しく微笑んでくれた。
いつかと同じく庭のベンチで向かい合う私たちだけど、今回は2人きりだ。クロくんのライバルとも言える少年プレイヤー、ギンくんは出かけているという。
どこに行ったのかはサーシャさんも聞いていないそうだけど、出て行く時に身なりをきっちりと整えていたというから……たぶん、イルの所だろう。入れ違いになったのかもしれない。
表にヒナタさんを待たせている以上、あまり長話もできない。お互いに簡単な近況報告をした後、私は教会を出ることにした。
「あ、そうだ。サーシャさん、最近誰かに私の事を話しましたか? ……その、褒めて宣伝してくれるようなかたちで」
最後の去り際、浮かんだ疑問を口にする。
サーシャさんは数少ない、部外での私の友人だ。ヒナタさんに良い評判を流してくれた人が彼女である可能性は無きにしもあらず。
情報を扱うヒナタさんがその入手経路の公開に慎重なスタンスをとっていても、大元の張本人が了承していれば問題はないはずだ。そう考えて質問してみたのだけど。
「そうですねぇ、一応は……。でも、あれは宣伝とは言えないと思います」
「というと?」
曖昧な肯定に、私は首をかしげる。サーシャさんはそんな私に苦笑すると、庭で遊ぶ子どもたちを指さした。
「あの子たちです。あれから何人か増えたの、分かります?」
聞けばサーシャさんは、今でも定期的に街を見まわって自活できない年少者を探しているのだという。その結果、幸か不幸か数人の家族が増えた。
新入りの子はあの時の出来事を知らないので、サーシャさんはその都度話して聞かせてくれているとのこと。
彼女の言った『宣伝にはなっていない』というのは、つまり私たち104小隊のことを知る人物が増えてもそれは結果的に身内だけに限られているという意味だ。
そしてサーシャさんは子どもたち以外には話していないという。
「……ということは、ヒナタさんに話したのは別の人ということになりますね……」
私の独白に怪訝な顔を浮かべるサーシャさん。私は笑顔で何でもないと伝え、今度こそ門を出た。
これで有力な候補が1つ潰れたことになる。いったい誰がヒナタさんに? ただの興味本位にしろ、やっぱり気になるものだ。
「遅~い!」
と、そこで当の本人であるヒナタさんが現れた。彼女は腕を組み頬をふくらませている。
その仕草はとても愛らしく、男性であれば即座に平謝りすること間違いなし。……というか、彼女が最初の印象よりだんだん子供っぽく見えてきているのは私の気のせいだろうか……?
「キサラさんは今、私に付き合ってくれてるんでしょ? だったら依頼主を長い時間ほっぽっておくのは感心しないな~」
「う、すみません……。つい話が弾んでしまって」
私が教会に入ってから出てくるまでの時間はものの10分もかからなかったはずだ。『長い時間』といえるかどうか、微妙なところだと思う。
それでも彼女を待たせてしまったのは事実だ。ここは素直に謝罪することにする。
「もう、仕方ないなぁ。……あ、そうだ! そんなことより大変なんですよ!」
可愛らしいふくれっ面から一転、ヒナタさんは慌てた様子で私の肩を掴んだ。
「キサラさんが教会の中にいる間に、私のお客さんがフィールドに出ちゃったみたいなんです! 追いかけないと……」
「ええっ!?」
なんてタイミングの悪さ。
彼女の話によれば、つい先ほどまでは一箇所に留まっていたお客さんの反応が数分前に動き出し、街から消えてしまったというのだ。
追跡自体はフィールドでも可能だけど、もし彼がダンジョンにでも入ってしまえばそれも途絶えてしまう。
「早く早くっ! たぶん、東門から出たはずだから」
「ちょ、ちょっと待って下さい! フィールドに出るんだったらちゃんと準備してからじゃないと……」
ぐいぐいと私の手を引っ張り走りだそうとするヒナタさん。
ここは最下層だから、たとえモンスターに囲まれても蹴散らすのは簡単だろうけど……。なにしろ<圏外>に出るのだから、それ以外の危険も考慮しなくてはならない。
そんな私の態度をどう取ったのか、彼女は明らかに落胆した様子でため息をついた。
「……キサラさんは軍人さんなのに臆病なんですね。それとも、私を守れる自信がないとか?」
「むっ……」
嘲るようなヒナタさんの言い方に、少しカチンときてしまった。
たしかに私は攻略組には及ばないけど、ここ最近のレベリングでハンパなプレイヤーよりは強くなっているはずだ。
少なくとも戦闘においては、商人プレイヤーである彼女に引けを取るつもりはない。
「わかりました……。東門ですね?」
「そうこなくっちゃ!」
頷いたヒナタさんの手を逆に引っ張り返し、最短ルートで門へと向かう。
こうなったら意地でも引き会わせてやる。私は彼女がついてこられるであろうギリギリのスピードで、路地を駆け抜けるのだった。
1230、午後0時半。
街から飛び出した私たちは昼食も摂らずに走り続けていた。<はじまりの街>はすでに遠く、初夏の風が吹き抜ける草原には私たち以外のプレイヤーの姿はない。
ときおり青イノシシを始めとしたモンスターがポップするけど、それも槍のひと突きで次々と倒していく。
「……あの、ヒナタさん。まだ遠いですか?」
槍をストレージに納め、後方に立っていたヒナタさんに声をかける。
戦闘になると一応自身の獲物であるナイフを手にするも、結局はすべて私に任せる彼女に疲労の色は薄い。
SAOではたとえ全力疾走を続けても息切れすることはないので、走るペースさえ私が合わせれば移動に支障はないのだ。
「だいぶ街からも離れてしまいましたし、もう一度メッセージを送ってみては……」
「……そうですね~。そろそろ頃合いですかね……」
私の提案に、笑顔で頷くヒナタさん。戦闘は終わり、近くにモンスターは影も形もない。にも関わらず、彼女はまだナイフを手にしていた。
くるくると曲芸のようにもてあそんでいる。その手つきはとても滑らかで、あまり戦う機会がないはずの商人プレイヤーにしては扱いなれているように見える。
「頃合い……?」
ほんの少しの、違和感。
それは人を追っている立場の人間が口にするには場違いなような……。
「ねえ、キサラさん。貴女って、とってもいい人ね。さっきも子どもたちに遊ばれてたし。でも……」
クスクス、と忍び笑いを浮かべる。整った容姿の彼女がすると、それはとても蠱惑的なものに映った。
まるで仕掛けたイタズラが今まさに発動する、その瞬間を待っているかのような無邪気な笑顔。
無意識に、私の足が1歩後ろに下がる。
「でも……?」
「ちょ~っと、警戒心が足りないんじゃないかなぁ?」
次の瞬間、ヒナタさんの姿が掻き消えた。
「!?」
いや、消えたのではない。彼女は圧倒的な瞬発力で、私の懐に踏み込んできていた。
極限まで体勢を低くしたために、私の視界から消えたように感じられたのだ。そして……。
するりと回りこまれ、背後から片手でお腹を押さえられる。もう片方の手にはナイフが握られており。
「……ほ~ら。絶体絶命、なんちゃって?」
それはビタリと、私の首筋に当てられていた。