主街区〈セルムブルグ〉に向かう船上にて。
ハイドが進路方向を指し示す。
「……キサラ、ほら。見てください」
「?……わぁ……」
「〈セルムブルグ〉の街です。ここからはまだ遠いですが、よく見えますね」
「本当。街の灯りが水面に映って……。きれい」
「街からの景色もなかなかのものでしたが……こうして外から見ると、また別の趣がある」
「まるで海外の……ええと、なんて言いましたっけ。有名な観光地みたい。お城のある島で……」
「それはもしかして、フランスのモン・サン=ミシェルでは?」
「あ、たぶんそれです。先生は行ったことがあるんですか?」
「はは、まさか。写真で見ただけですよ。出来るなら、実際に行ってみたいですが」
暗い海面を、舟は街の灯りを目印に進んでいく。
海は凪いでおり、鏡のように〈セルムブルグ〉島を逆さに映していた。
「……どうやら、元気が出てきたようですね」
「あはは……おかげさまで。えっと、その……さっきは」
「……いやー、きみの泣くところは何度か目にしましたが、今日のは一段と激しかったですねえ」
「わあ!言わないで下さいよ恥ずかしい!」
「おや、気にしてたのですか?」
「絶対、わかってて言ってるでしょ……。先生が泣いてもいいって言ったのに」
「ふふふ、冗談ですよ」
頬を膨らませるキサラと、彼女をからかって楽しむハイド。
そこには先ほどの重苦しい空気はない。
「ですが真面目な話、泣くというのは悪いことではないんですよ。人間は泣くことでストレスを発散しているのだと言いますから」
「そうなんだ……」
「泣いて済むことばかりではありませんが、泣ける時には泣いた方がいい。……僕の胸なら、いつでもお貸ししますよ」
「っ!……い、いいえ結構です。これ以上、先生に弱点を見せたくありませんので」
「信用ないですねえ」
「初対面の女の子を、周りが引くくらいに撮るような人ですから。……あ、そうだ」
ポーチから記録結晶を取り出し、ハイドへと渡すキサラ。
「忘れるところでした。これ、お返しします」
「おや、いいのですか?」
「もともと先生のものでしたから。……正直、あまり渡したくないんですけど」
「おっと、それなら気が変わらないうちに受け取っておくとしますか。どれどれ……」
記録結晶を展開し、撮影した画像を確認する。
「……あの、キサラ?僕の記憶が確かなら、足りない写真があるような気がするのですが」
「さあ、気のせいじゃないですか。先生酔っ払ってたし」
「いやいやいや!アレを撮ったのは酒を飲む前ですよ!あの、アスナをギリッギリのローアングルから決めた会心の、いや奇跡の1枚……」
「気・の・せ・い、じゃないですか?」
「……そ、そうですね。うん、僕の記憶違いでした……」
身の危険を感じ、矛を収めるハイド。
そんな彼の様子に軽くため息をつきながらも、キサラは微笑む。
「……でも、不思議なんですよね。先生はこんなにちゃらんぽらんなのに」
「何の話です?」
「……馬鹿にしないで下さいよ?さっきの……ええと、私が泣いてた時のことなんですけど」
「ええ」
「ああやって、先生に頭を撫でてもらうのって今日で2回目じゃないですか。前は〈はじまりの街〉で会った時で……」
「ああ、そんなこともありましたね」
「それがなんだか、すごく落ち着くんです。……まるで、お父さんに撫でられてるみたいに」
「そ、そうですか」
「覚えてますか?1番最初の……SAOが始まった日のこと」
「え、ええ。おぼろげに……」
「先生に声をかけられたとき、私最初はナンパかと思ったんですよ。どう断ろうかなって……。でも」
「でも?」
「あの時先生が使っていたアバターが、リアルの父そっくりだったんです。びっくりしたけど、それでなんだか安心しちゃって。……もし先生のアバターが違ってたら、話も聞こうとしなかったかも」
「そんな偶然もあるんですね」
「はい。だからなのかな、安心するの。父もタバコを吸いますし」
「ああ、あれですか。僕もなるべくきみの前では、吸わないように心掛けていたのですが」
「別に気にしませんよ、慣れてますから。……ね、『お父さん』?」
「ちょ、ちょっと待って下さいよキサラ?確かに僕はきみより年上ですが、さすがにそんな歳では……」
「ふふふ。冗談、です。さっきのお返し」
「参ったなあ。きみには、かないませんよ」
やりこめられて苦笑するハイド。
キサラはひとしきり笑った後、真顔で切り出す。
「……どうしてああなっちゃったのかな」
「あの2人のことですか?」
「ええ、……特にロブさんのことなんですけど。いくらディーネさんが人魚だったからって、あんなに気持ちが変わっちゃうものでしょうか」
「……このSAOは、妙なところでリアルです。人の心というものは弱い。自分と異質な存在に過剰に反応してしまうのも、仕方のないことだと思います。例えば……」
「例えば?」
「キサラ、きみは『還魂の聖晶石』というアイテムを知っていますか?」
「はい。たしか、昨年のクリスマスイベントで話題になったものですよね。死亡したプレイヤーを生き返らせるっていう」
「そうです。もし仮に、その蘇生アイテムを無限に使えるプレイヤーがいたとしたら、きみはどう思いますか?ゲームオーバー、イコール死というこのSAOで」
「それは……たぶん、納得できないと思います。皆、それがあるから必死にレベリングとか、レアアイテム探しをしてるはずですし」
「それが当たり前の反応ですね。……そう考えれば、ロブの態度も仕方ないのではないでしょうか?ここでは、人魚は人間と違って不老長寿とされているようですから」
「たしかに……そうかもしれませんけど。でも……」
ハイドの説に、釈然としないながらも頷くキサラ。
彼女が反論しようとしたとき、ハイドの視界にアイコンが点滅する。
「ン、失礼。……メッセージが届いたようです」
「どうぞ」
「ありがとう。では……」
話が中断したことで、手持ちぶさたになるキサラ。
ハイドはメッセージを読み進めるうち、表情を曇らせた。
「……まったく、あの子は……」
「お友達ですか?」
「え、ええまあ。ギルドの仲間ですよ。……どうやら、僕に会いにこの層に来ているようで」
「そうなんですか。先生のお友達……、私も会ってみたいな」
「い……いやいや、やめた方がいい。あの子は年こそきみと近いですが、性格的には正反対で……」
「……へぇ」
「き、キサラさん?」
「先生、その方……。女性、なんですか」
「……なぜ、そう思うんです?」
「なんとなく。勘です」
気温の微妙な低下を感じつつも、ハイドは笑顔を浮かべる。
しかしそれは口角が引きつり、ややぎこちないものだった。
「と、とにかく。残念ですがキサラ、きみを見送れるのは転移門前広場までです。きみが門に入ったら、僕もその子のところに向かうことにします」
「別に、私が転移するまで見届けなくてもいいじゃないですか?なんだか、後ろめたいことがあるみたいですよ」
「まさか!ただ本当に、きみには少々刺激の強い相手になってしまうんじゃないかと……」
「刺激が強いって。女の子同士なのに、そんなのあるんですか?伍長みたいな男性ならともかく」
「彼女は、きみのように素直な性格じゃないんですよ。なんというか、トラブルメーカー的な……」
「……認めましたね」
「なにを……。って、ああ!」
しまった、とばかり口に両手をそえるハイド。
彼を見つめるキサラの視線は鋭い。
「……まあ、別に先生がどんな女性と待ち合わせしようが私には関係ありません。大人のお付き合いもあるでしょうし、お好きにどーぞ」
「いや、だから彼女と僕はそんな関係ではありませんよ!ただ同じギルドに所属しているだけで……。ちょっ、キサラさん?聞いてますか?」
「……」
2人を乗せた舟は、<セルムブルグ>市内を走る水路の入り口めがけて進んでいく。
ランドマークである古城はすでに視界を覆うくらいまで接近しており、短い船旅は終わりの時を迎えようとしていた。
* * *
1時間後、<セルムブルグ>市内のとある酒場にて。
「……まったく、来るなら来るで前もって連絡しておいてくれれば……」
「ええ~?ちゃんとメッセージ送ったじゃないですか~」
「着信時間の10分後に待ち合わせなんて、出来るわけないでしょう」
「冷たいですね~ハイドは。せっかくこの私が会いに来てあげたのに」
「その自信はどこから来るんでしょうかねえ。きみには奥ゆかしさが足りませんよ」
「やだハイド、言うことが古臭いですよ~」
ハイドの正面に座った女性プレイヤーは、ゆるくウェーブのかかった金髪をさっとかきあげた。
肩口よりもやや伸びたそれは、ランプの灯りを反射してキラキラと輝く。
「これでもハイドを待ってるあいだ、何人にも声をかけられたんですからね。ぜんぶお断りしましたけど~」
「まあ、きみは容姿だけならアスナにも引けをとらないでしょうが……」
「むぅ。容姿『だけ』ってなんですか、だけって。こ~んな可憐な美少女をつかまえて」
「自分で美少女などと言うあたりが、ちょっと……。というか、そろそろ本題に入りませんか」
「あれえ?ハイド、なにか怒ってます?」
「……別にそんなことは。ただ、ちょっと友人とのトラブルが発生しましてね」
「なるほど~。例の、キサラちゃんですね?お仕事のためとはいえ、大変ですね~」
蠱惑的に笑う女性プレイヤーと対照的に、疲れた表情のハイド。
彼女は人差し指を立て、口元にあてると小首をかしげた。
「まあ、仕事熱心になるのもいいですけど。あんまり過度な接触はよくありませんよ~?感情移入のしすぎは禁物ですって、言われてたじゃないですか」
「……きみに言われなくても、分かっているつもりです」
「ふ~ん?ま、ハイドに限ってつまらないミスはしないでしょうケド。……じゃあ早速聞かせてもらいましょうか?最新情報~!」
「やれやれ……。どうせギルドの例会で通達されるんですから、別に今日でなくてもいいと思うのですがね、リーシィ?」
「いいからいいから!私がハイドから聞きたいだけだし!」
「はいはい。……では、これは彼女から聞いた話ですが。最近、<軍>には標的としている<オレンジ>プレイヤーがいるということで……」
店内には、NPCしかいない。
それでも2人は人目をはばかるかのように、小声で話を続けていた。
今回の話で、全体の折り返し地点を過ぎたといったところです。
タイトルに陸海空の文字を入れたいと考えていたのですが、今回の話で無事達成することができました。
ほっとしています。
キリトとアスナの2人には、後半にまた出てきてもらうつもりです。