こちら、アインクラッド解放軍第104小隊   作:ハイランド

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26海辺の町で 3

「先生、見てください!魚が飛んでますよ」

 船上から海を眺めていたキサラが声をはずませる。

 彼女の指差す方を見れば、穏やかな波間をぬって細い魚が滑空していた。

「トビウオですかねぇ。群れをなして……」

 あくびまじりに応えるが、そんな僕の態度などお構いなしにキサラはきゃあきゃあとはしゃいでいる。

 ふだん海に接する機会のない彼女にすれば、そんな光景も物珍しいのだろう。

 僕たちはいま主街区を離れ、島へと向かう小舟の上にいた。

 規模で言えば釣り船と大差なく、僕たち2人のほかには船頭であるNPCの男性が乗っているだけだ。

 <セルムブルグ>にプレイヤーホームを構えていることだけはあり、アスナは僕たちが午前中探しまわっても発見できなかった船着場を知っていた。

 最初は自身で案内すると申し出てくれたのだが、攻略組である彼女たちにそこまで手を煩わせるわけにもいかないのでそれは丁重に断り、場所を教えてもらうにとどめたのだ。

 以前使った<ミラージュ・スフィア>がここでも役に立ったかたちだ。

 細く入り組んだ路地の奥にあり、イメージとしては地元の住人が近場に漁に出るために設置されたようなそこは、主要港に比べれば格段に小さな場所だった。

 アスナの助けがなければ半日かかっても見つけることはできなかっただろう。

 彼女とキリトに出会えるきっかけを作ってくれたあのストーカーらしき男には、少々感謝したい気持ちではある。

「……キサラ、僕は少し寝ることにします。舟が島についたら起こして下さい」

 再度のあくびとともに、僕は目を閉じる。

 昼食時に飲んだアルコールが残っているのもあるが、ゆらゆらと揺れる小舟の上はゆりかごにも似て大変に眠気を誘うのだ。

 初夏にしてはそれほど暑くもなく、ほほをなでる潮風も気持ちいい。

「先生ったら……こんなにいい景色なのに、もったいない」

 キサラの声が聞こえる。目を閉じていても、呆れ顔が浮かぶようだ。

 どちらにせよ、彼女の機嫌がまた直ったのは間違いない。その安心感もあり、僕はまもなくまどろみ始めた。

「すごいなあ。アインクラッドでこんなのが見られるなんて」

 ぎしぎしと船板を踏みしめる足音が聞こえる。どうやらあちこちの方角を眺めるために移動しているらしい。

「……」

「そうだ、せっかくだから写真撮っとこう」

 パシャ、とシャッター音。先ほど僕から取り上げたままの記録結晶は、今度は健全な役割を果たしている。

 女性の旅先での写真好きさは、このSAOでも変わらない。あとで小隊の仲間にでも見せるつもりなのだろうか。

「……あーあ、こんなにアスナさんばっかり撮って。容量がいっぱいじゃないですか。……よし、少し消しちゃおう」

 なにやら不穏な言葉が聞こえたような気がしたが、重いまぶたを持ち上げるには足りない。僕が指先すらぴくりともさせないでいると。

「……先生?ほんとに寝ちゃったんですか」

「……」

「あんなに飲むからですよ、もう。しょうがないなぁ……。あ」

 ふいにキサラが船べりを移動する気配を感じる。数歩動いた後は微動だにせず、何かタイミングを見計らっているかのような。

 ーーパシャ。

 数秒の沈黙の後、シャッター音が響く。

「……ん、よし」

 目標の撮影に成功したのか、短く頷くかのような声が聞こえた。またトビウオか、あるいはウミネコでもいたのだろうか。

「あとは、データを転送して。こっちの方を消しておけば……」

 ぼそぼそとつぶやくキサラの声を最後に、僕の意識は闇に沈んでいくのだった。

 

 今日の目的は息抜きである、と告げた僕にキサラはお馴染みの呆れ顔を浮かべた。

 時刻は午後3時過ぎ。事故もなく島の海岸に辿り着いた僕たちは船頭NPCに礼を告げ、彼を見送った。迎えを依頼しておいたので、明日の同じ時間にまた来てくれるはずだ。

 三日月形に広がった海岸のあちらこちらには島民が使っているらしい漁具が並べられており、いかにも地方の漁村といった風情である。

「息抜きって……先生、いつもそれじゃないですか」

「いつも、とは?」

「だって……。前の蛇の時も、セッタくんの時も結果的にはクエストをクリアしたけど、最初の動機は食べ物だったり温泉だったり……。先生が真面目な理由で仕事してるところ、見たことありません」

「たはは、これは痛いところを突かれましたね。……でもキサラ、これでも僕はきみと一緒の時以外はちゃんとギルドの仕事をしているのですよ」

 苦笑しつつ彼女の疑問に応える。言われてみれば、一番最初にキサラから手伝いをさせて欲しいと頼まれてからの僕は、常に道楽者ぶりを見せつけてしまっていた。

「それなんですけど、先生。先生のギルドの仕事って具体的にはどんなことをしてるんですか?人助けが目的って言ってましたけど」

「ううん、そうですねぇ」

 小首を傾げ、どこか不安げな顔で疑義を呈してくるキサラ。

 たしかに僕は彼女にギルド<警務庁特命係>の活動内容をそのように説明していた。もちろんそれで全てではないのだが、一から十まで明かすのは……。

「……まあ、ひとには誰しも秘密があるものです。キサラは僕のギルドを知らないでしょうが、僕も軍の活動全てを知っているわけではない。それでいいじゃないですか。いずれ時が来たら詳しくお話しますよ」

 少々突き放す言い方になってしまったが、仕方がない。彼女に僕のギルドの全てを説明すれば、ギルド員のみならず多くの関係者が不利益を被ることにつながりかねないのだ。

 それはもしかしたら、キサラ自身にも。そういった意味では、今回トップギルドの1つであるKoBのアスナやキリトと知り合ったのは微妙なところだ。無論、有益な部分もあるのだが。

 僕の答えを聞いたキサラは案の定、ふくれっ面になってしまった。

「……なんだかそれって、ズルいです。先生がそんなだから、隊長にだって……」

「隊長?」

「あ……。いえ、なんでもないです……」

 今度は逆に、語尾をうやむやに濁すキサラ。僕との関係について、軍内部でなにか問題があるのだろうか。

「そうですか。……キサラ、1つ言い訳をさせてもらえるなら、こうしてきみと息抜きに来るのは結果的に人助けにもつながっていると、僕は考えています」

 どういうことかと怪訝そうな顔をする彼女に、僕は説明した。

 最近彼女から受け取ったメッセージにあったように、現在<オレンジ>プレイヤーの動向が活発になりつつある。

 警察機構のないこのSAOでは、その役割を<アインクラッド解放軍>が担っており、キサラはその士官だ。

 訓練やレベリングに精を出すのは大事だが、取り締まる側の人間が無理をしすぎて戦えなくなったら元も子もない。

 治安維持のためには適度な休息も必要で、彼女が僕と一緒に外出することで少しでもその一助になれれば、と。……少々屁理屈じみた理由ではあるが。

「それともキサラは、僕と一緒では逆に疲れてしまいますかね?」

「い、いえまさか!そんなことは」

 最後の一言は、少し意地悪だったかもしれない。もし彼女がそのように感じていたなら、わざわざ時間を作ってまで僕に同行しようとはしないはずなのだから。

 思った通りキサラは慌てた様子で、僕の言葉を否定してくれた。

「良かった。……では、先に今日の宿を取りに行きましょうか」

 笑顔で問いかけると、不承不承といった感じでキサラが頷く。どうやらうまく話題をそらせたようだ。

 僕は彼女を伴い、漁村の片隅にある酒場へと向かうのだった。

 

 ただでさえ辺鄙な離島にあり、目立ったダンジョンもない。

 <セルムブルグ>からここに来るまでの道中すれ違う舟もなかったことから分かるように、漁村には僕たち以外のプレイヤーはいないようだ。

 がら空きの宿はすんなりと予約が取れ、僕たちは併設された酒場で今後の予定を話し合うことにした。

「本当なら、ここの名産の魚介類が目当てだったんですけどね。先ほど美味しいものは食べてしまいましたから」

「じゃあ、これからどうしますか?」

「そうですねぇ。せっかくですから、島を散策してみましょうか。ちょうど日没も近いですし、綺麗な夕焼けが見られるかもしれませんよ」

 あともう少し来る時期が遅ければ水着を着用しての海水浴も楽しめたかもしれない。

 リゾート観光地とまではいかないにしろ、ここの砂浜は白く遠浅だ。SAOでは日焼けや脱水症状なども起きないので、飽きるまで甲羅干しも出来たのだろうけど。

 そんな事を話していた時、カランとドアベルの音と一緒に1人の男性が酒場に入ってきた。

 頭上には金色のクエスチョンマーク。受諾可能なクエストをもつNPCの証だ。

「先生、あの人」

 目ざとく見つけたキサラが促してくる。彼女もれっきとしたSAOプレイヤーの一員なので、気になるのだろう。

 男性はきょろきょろと酒場内を見回し、何かを探しているようだ。僕はキサラに1つ頷くと、彼に近づいた。

「なにかお困りですか?」

 クエスト受諾フレーズを口にすると、男性は今しがた僕の存在に気づいたかのように目を見開いた。

「ああ、旅の剣士さん。これはどうも」

 男性の外見は20代前半といったところだろうか。寂れた漁村の住民にしては身なりが清潔そうであり、他の村民NPCと少々毛色が違う印象を受ける。

「……僕は、ここの村長の息子でロブといいます。実は、僕の家族が行方不明でして」

 どうやらこのクエストは人探し系らしい。モンスターが出没するダンジョンのないこの島では、必然的にそうなるのだろうけど。

 第一印象どおり育ちのいいらしいロブの話をまとめると、こうだ。

 

 彼の家系は代々島にある灯台の守り人を務めており、灯台は本島とこの島を結ぶ航路に欠かせない存在であるという。

 灯台の種火は消えることのない輝きを宿した玉で、村の宝であるとか。

 ロブはこの宝玉の管理を父から任されており、毎日宝玉が納められた灯台に足繁く通っていた。

 幼いころ母を海難事故で亡くしたロブには兄弟がおらず、いずれ村長の後を継ぐのは自分だ。その責任感もあり、彼は自分の仕事に誇りを持っていたようだ。

 そんなある日の帰り道、海岸で1人の女性が倒れているのを発見する。見目麗しい女性で、年はロブと同じくらい。

 彼女は村民ではなくどうやら他の島から流れ着いたらしい。そのショックのためか言葉を話せず、どこから来たのかが判然としない。

 一時的にということで村長宅で彼女を預かることになり、ロブは彼女を献身的に介護した。

 便宜上『ディーネ』と呼ぶことになった娘はやがてロブに心を開き、話せないまでも2人は親密になっていった。

「僕には、ディーネがどこの誰であろうと関係ない。彼女にも秘密にしたいことはあるだろうし、詮索はしないつもりです。その上で……」

 ロブ自身としてはディーネにはこの村に残ってもらい、いずれは自分の妻になって欲しいと考えるようになったという。

 ディーネも彼の想いを打ち明けられ、首を縦に振った。あとは式の日取りを決めるだけ。

 しかし今日、ロブが日課の灯台点検から帰ると家にディーネがいない。彼女の身体は完治したとは言いがたく、そう遠くまで歩けるはずがない。

 彼は自宅付近を探してみたが、彼女は見つからなかった。日暮れも近いということでだんだんと心配が募ってくる。

 困ったロブは村民の集まる酒場で情報を得ようとドアを開きーー今に至るというわけだ。

「お願いします、剣士さん。もしディーネの身になにかあったらと思うと僕は……」

 悲壮感すら漂わせるロブの懇願に僕たち、いやキサラが否と答えるはずがなかった。

「わかりました、ロブさん。私たちにお任せ下さい。きっとディーネさんを見つけてみせます」

 本来の受諾者である僕を押しのけるような勢いで快諾するキサラに、僕も断ることができなくなった。

 まあどちらにせよ今回はとくにこれといった目的もなかったので、彼女が意欲を燃やすならそれに付き合おうとも思ったのだ。

 いつの間にか日が沈みかけて赤く染まった村の中を歩きまわり、ディーネを探す。

 途中道具屋に寄り足元を照らすためのランプを買うと、僕たちは村の外れにまで足を伸ばすことにした。

 

「……それにしても、どうしてディーネは毎晩家を抜けだすんでしょうかね。あんなにロブに心配をかけてまで」

「わかってないですね、先生。たぶんディーネさんは不安なんですよ。……幸せすぎて」

 砂浜を踏みしめながら歩く僕がふと思った疑問を口にすると、訳知り顔でキサラが言う。

 すでに遠くの空には星が瞬き、ロブが通うという灯台からは煌々とした光が投射されていた。

 幸せなのに、不安。僕は彼女の言った言葉の意味がつかめず首を傾げる。

「つまり、マリッジブルー……っていうやつですよ。身元の分からない自分を助けてくれて、しかも好きだって言ってもらえたことが嬉しかったんです、きっと」

「そういうものですかねぇ」

 ここらへんは男女の意識の違いというか、僕にはピンと来ない分野である。

 キサラも若いとはいえ女性であるので、彼女は合点がいった感じでしきりに頷いている。

「そういうものです。ディーネさんを見つけ出して説得すれば、彼女の悩みも解決できますって」

 ……しかし、このSAOをデザインした人間が誰であるかを考えるとそのようなロマンチックな理由だけではないのではないだろうか。

 結婚に夢を抱いているらしい笑顔のキサラとは対照的に、僕は一抹の不安を胸に抱えて歩く。素直にあの2人が幸せになれるエピソードだと良いのだが……。

「……待って下さい」

 思考を巡らせていた僕の腕を、キサラがつかむ。顔を見下ろすと彼女は目を閉じ、なにかに意識を集中させているようだ。

 立ち止まった姿勢のまま数秒。ぱっとまぶたを開いたキサラは、海岸の向こうにある岩場の方向を指し示した。

「あっちの方から音が聞こえます。……なんだろうコレ、歌?」

 言われて僕も耳に手を当て、聴覚を研ぎ澄ませる。たしかにキサラの言うとおり、岩場の向こう側から人が歌っているかのようなメロディーがかすかに聞こえてくる。

「行ってみましょう」

 僕は彼女と頷き合うと、早足でその場に向かった。

 

 岩場の向こうは、小さな入江になっていた。差し渡し10メートルにも満たないくらいだろうか。浅い海面から岩がいくつか頭をのぞかせている。

 僕とキサラが気配を消しつつ岩の影からこっそり見てみると、突き出している岩の中でも一番大きなものの上に『それ』はいた。

 腰までありそうな長い亜麻色の髪。ランプの光が届かずシステム補助のぼんやりとした灯りだけでもわかる白磁の肌。身につけているのは細いストラップで胸当てを吊ったビキニ型の水着のようなもの。

 こちらに背を向けているため顔は分からないが、紛れも無く女性だ。しかし……。

「……人魚?」

 横にいるキサラが小声でつぶやく。

 彼女の言葉通り岩の上で歌う女性の下半身は人間のそれではなく、優雅な曲線を描く魚のヒレのような形をしていた。

 星明かりだけでうっすらと照らされた無人の入江に、美しい歌声をもつ人魚。

 まるでおとぎ話のいち場面のような光景に、僕とキサラはしばらくの間見入っていた。

「……そこにいるのは、誰だ?」

 やがて歌い終えた人魚がゆっくりとこちらを振り向きつつ言う。どうやら彼女はすでにこちらの存在を察知していたらしい。

 このSAOにおいて外見を変えるためのアイテムは数多くあれど、自身の顔や体格まで変更するような品は存在しないとされている。

 ましてや脚を魚のような形にするものなど。ということはこの人魚はモンスター、あるいはNPCということになる。

 素早く人魚の頭上に視線を走らせると、そこにはモンスターであれば存在しているはずの赤い情報窓がない。

 僕は肩の力をぬき、人魚に向き合った。ナリは半人半魚でも、彼女はNPCだ。聞けば下層にはエルフのNPCなども存在していたというし、彼女もそのタイプなのだろう。

「覗くような真似をして、失礼しました。……僕はハイド、旅の剣士です。こちらは仲間のキサラ。あなたはいったい?」

 一礼し、自己紹介をする。これで人魚には僕たちの名前が登録され、何らかのイベントが発生するはずだ。

「ハイドにキサラか。……村の人間ではないのだな。私は、見ての通り人間ではない。名は、そう……今はディーネと名乗っている」

「!」

 人魚の言葉にキサラが反応した。困惑した表情で僕のほうを見上げてくる。

 『ディーネ』。ロブに頼まれ、先ほどから僕たちが探している彼のフィアンセだ。ロブの話ではディーネは言葉を発せず、ましてや人魚であるなどとは聞かされていなかったが。

「ディーネさん……あなたは村長の息子、ロブという人を知っていますか?」

「ああ。……そなたたちは、ロブに頼まれて私を探しに来たのか」

 僕の質問に、ディーネは首肯する。やはり彼女はロブの恋人と同一人物らしい。彼女にロブが探していることを伝えると。

「……そうか、ロブには心配をかけてしまったな。しかし私は……」

 そこまで口にした時、ディーネの頭上に金色のクエスチョンマークが点灯した。クエスト発生の証だ。

「……『なにか、お困りですか?』」

 物憂げな様子で顔を伏せたディーネに、いつもの定型句を投げかける。

「……旅の剣士よ。そなたたちになら、聞かせても問題はないだろう。長い話になるが、聞いてくれるか?」

 システムに規定された反応を示し、彼女はぽつりぽつりと語り始めた。

 

 むかしむかし。

 この大地がまだ地表にあったころ、<セルムブルグ>を中心とした海域は人間のみならず多くの種族が生活し、共存共栄の関係を築いていた。

 人間、人魚と半魚人、セイレーン……。陸海空をそれぞれに住処とした彼らは、互いの生活圏を侵さず物々交換などして適度な交流を続けていたという。

 中には人間と人魚が結ばれたり、人間とセイレーンとの間で子をなすこともあった。

 しかし、ある時状況が一変する。<セルムブルグ>海域の、<アインクラッド>への併呑だ。

 突然地表から切り取られた多島海は、たちまち資源に困窮した。外縁部から絶えず流れ落ちる海水は不思議なことに海底から補充され続けたものの、動植物はそうもいかない。

 人間は残った島々で細々と農業を続けたが、それでは足りない。種族間の盟約により人魚たちにのみ進入が許されていた海域で漁業をするようになるまで、そう時間はかからなかった。

 食糧に困っていたのは海の一族も同じ。ほどなくして両者は対立し、人魚たちにセイレーン一族を加えた海・空の連合軍と<セルムブルグ>城を本拠とする人間たちの間で戦争が勃発。

 双方に甚大な被害が発生し、半魚人とセイレーンは絶滅、人間側は人口のおよそ半分を失った。

 わずかに生き残った人魚族は人間との停戦協定に同意し、<セルムブルグ>島から離れた海域に散っていった。

 ディーネの一族もその1つで、今では自分たちを<海神の一族>と呼称しているという。

 

「今でも、我々は海の覇権を取り戻す日を夢見ている。さすがに正面切って戦をしかけようなどとは考えていないが……」

 そんな彼らにも、一度だけ人間との戦争が行われそうになった時期がある。

 海神の一族には、ある宝があった。海の色を凝縮したかのような鮮やかなサファイアブルーの宝石で、それは一族の長が代々その位に就く証として使われていた。

 ある時、いたずら好きの王女が宝石を城外に持ちだした。宝石は陽の光が届かない海底でも淡く光り、見るものを魅了する。

 そんな宝石に眩い太陽の光をあてれば、さぞ美しく輝くだろうーー。

 軽い気持ちで宝石を持ったまま島の海岸まで近づいた彼女は、あろうことか人間に捕らえられてしまう。

 現実世界での人魚伝説にたびたび語られるように、現在のこの世界でも人魚は不老不死と信じられていた。

 自らが持ち得ないものを持つ者を、人は敵視する。捕らえられた王女は殺され、宝石も奪われてしまったのだ。

 海神一族はこれに激怒し、報復論者が多数を占めた。

 再びの戦火が広がるかーー。

 そう思われたのだが、当時の王は冷静だった。自分の娘が殺されたものの、激情にまかせて戦争をしかけては一族に絶滅の危機をもたらしてしまう。

 彼は涙を飲んで一族を静め、喪に服させた。

 それ以来、宝石は人間の手に渡ったままである。いつの日か、自分たちの手に取り戻す日が来ることを信じて。

 

「……私は海神一族でも身寄りのない孤児なんだ。それもあって今回、陛下からある使命を与えられてここにきたのだけれど……」

 今の海神一族の王はどちらかと言えばタカ派で、一族の復権を狙っているのだという。

 彼はあるとき一族の結束を高めつつ、人間の生活に不可欠な島の航路を妨害する手段を思いついた。

 それは昔話に語られる、宝玉の奪取。長らく失われている海神の至宝を人間の手から取り戻せれば種火を失った灯台は張子の虎となり、一石二鳥の成果がある。

 しかし武力による正攻法では、たとえ至宝を取り戻せたとしても人間側の報復が考えられる。

 至宝のある漁村は小規模だが、事態が<セルムブルグ>本島に伝われば討伐のための艦隊が編成されるかもしれない。そう考えた王は、ディーネにある事を命じた。

『人間に化け、秘密裏に村から至宝を取り戻すのだ』

 一族の呪術師が調合した薬により、ディーネは人間の女に化け村への潜入を図る。

 標的は至宝の納められた灯台の管理者である、村長一家。村長の息子であるロブに取り入り、灯台の鍵を開けさせるーー。

 いわゆるハニートラップというやつだ。

 薬の副作用により、人間に化けている間ディーネはしゃべることが出来ない。それでも言葉通り『人並み外れた』美しさはそのままなので、異性の心を惹くのは容易いだろう。

 はたして狙い通りに、ロブはディーネに恋心を抱いた。このまま結婚をするふりを続け、いずれは至宝を取り戻す。

 人魚は人間の思っているように不老不死ではないが、不老長寿ではある。計画が1、2年くらいかかろうとも、問題はない。

 事態は順調に推移していた、のだが……。

 

「……実を言えばな、もう嫌になってきたんだ」

 長い物語を、ディーネは溜息とともに締めくくった。その顔はつらそうに歪められ、彼女の苦悩を表しているかのようだ。

「嫌になった?なぜです?」

 僕の質問に、彼女はやや長い間を置いて答えた。

「……そなたたちの言葉で言えば、『ミイラ取りがミイラに』といったやつかな。ロブを骨抜きにするつもりが、逆に私が骨抜きにされてしまった。……今の私は、本気で彼を愛してしまっているんだ」

 僕が息を呑む横で、それまで黙って話を聞いていたキサラが『きゃーっ』などと黄色い声をあげていた。

 少女漫画でも読んでいるかのような気分なのだろう。異種族間の不幸な恋愛ものと言えば、物語の王道の1つだ。

 聞けば、彼女が病身を装っている時に献身的な看病をされたことがきっかけだという。

 家族のない彼女にしてみれば、種族が違うとはいえ温かい家庭に触れたことで海では得られなかった安らぎを感じることができたのだろう。

「私としては、出来るならこのまま人として暮らしたい。愛する男といつまでも一緒にいられたら……。そんなこと、叶うはずがないのにな」

 自嘲的な笑みを浮かべるディーネ。それを見たキサラが、先ほどまでのはしゃいだ様子から一変し怪訝な顔をする。

「どうして?ディーネさんは人間にもなれるんだから、ずっとそのままでいればいいじゃないですか」

「薬には、時間制限があるんだ。一度飲めばひと月は好きなように変身できるが、効果が切れたら強制的に元の姿に戻されてしまう。……私が今夜ここまで来たのも、その薬を仲間たちに届けてもらうためだ。報告も兼ねてな」

「ディーネ。ちなみに、その薬というのは……」

「薬は、呪術師にしか作れない。……おそらく、保険も兼ねているのだろうな。私が人間側に寝返らないように1度に1回分の量しか届けてもらえないのだ」

 ロブと暮らすことは不可能、と言ったディーネの言葉の意味はそれなのだろう。

 海神一族のスパイである彼女を送り込んだ王とやらは、相当に今回の計画にご執心だ。

「旅の剣士、ハイドにキサラよ。私はどうすればいいのだろうか?宝玉を取り戻せば海に帰らなくてはならないし、かと言ってずっと陛下をごまかし続けられるものでもない。なにより私はロブに嘘をつき続けることが……」

「どういうことだっ!?」

 ディーネの告解を、突然男の怒号が遮った。驚いた僕たちが声のした方向を振り向くと、そこにいたのは。

「ロブ!?どうしてここに……」

 先ほど見た優男の印象から一転、怒りに顔を歪ませた村長の息子ロブだった。


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