後半は三人称視点での、あの2人のシーンとなっております。
「……参ったよ。まさかあんな目立つことをしてくれるなんてな」
丸テーブルの向こうに座った黒ずくめの少年、キリトはうなだれた。
顔には濃い疲労の色が出ており、その原因である男ーーつまりは僕のことだーーを恨めしそうに見つめている。
「いやぁ、はは……。ついセーブが効かなくなって。申し訳ない」
頭をかきつつ謝罪するが、誠意が伝わらなかったのかキリトは渋い顔のままだ。
ふと見れば、彼の両隣に座る2人の少女……キサラとアスナも同じような視線を僕に向けている。
テーブルは円卓であるので、見ようによっては僕もキリトも両手に花状態だ。ただ何故だろう、キリトの両脇に女の子が座る光景は妙にしっくりとくる。
「最初はまともに見えたのになぁ。まさか、クラインと同じタイプだったとは」
「クライン?」
「ああ、いや……。こっちの話だ」
おそらくは人名なのだろうが、残念ながら聞き覚えがない。
キリトは肩をすくめる仕草で僕の疑問をスルーした。
僕たちは今、〈セルムブルグ〉中心地から少し離れた路地裏にある、あまり目立たないNPCレストランに避難していた。
先ほど僕が引き起こした凶行は、道を行く多くのプレイヤーたちの耳目を集める結果となった。
攻略組ギルド〈血盟騎士団〉の副団長アスナと言えば、SAOプレイヤーで知らぬものはいないだろう。おそらくは知名度で言えばキリトより上。
理由はもちろんその肩書きもあるが、なによりも大きいのは数多の男どもを虜にするルックスだ。
開発者である茅場晶彦の謀略によって、SAO内でプレイヤーが操るアバターはリアルでの容姿そのままになっている。
元がネットゲームである性質上、このSAOではそもそもの女性プレイヤーの数が少ない。そこに加えてアバターの外見すらもリアル仕様となると、ーーこれを言うのは大変心苦しいのだがーーアスナレベルの美少女は片手で数えられる位しかいないのだ。
そんなアスナに心酔している男性プレイヤーは数多い。中にはストーカーまがいの輩までいるというのだから恐れ入る。
キリトとはまた別の意味で、有名になるのも良し悪し……と言ったところか。
ともあれ、そんな彼女を衆人環視のなか夢中で撮影している僕の姿は、相当に悪目立ちしていたらしい。
キサラの視線で正気に返った僕がふと周りを見渡すと、そこには殺気立った男どもが仁王立ちしていた。
『おいお前、アスナ様が困ってらっしゃるじゃないか。いい加減にしろよ』
『ちょ……おま……自重しる……』
『ふひっ、キョドるアスナたんテラモエス!』
やいのやいのと騒ぎ立てる外野に、さすがに身の危険を感じた僕を助けてくれたのは、それまで押し黙っていた〈黒の剣士〉キリトだった。
なんでオレがこんなことを、と小声で毒づくと冷や汗をたらす僕とキサラに向き直り、こう言ったのだ。
『おいハイド、ここから離脱するぞ。アンタらの探してる船着き場は、たぶんこの〈閃光〉さまが知ってるはずだ。……オレのスピードについてこれたら、案内させてやる』
なにをするつもりだ?……と疑問を口にする間もなく、キリトは傍らに立つアスナの腰に手をかけひょいと持ち上げた。いわゆるお姫様ダッコというやつだ。
『きゃっ!?』
熱烈なファン連中の相手に専念していたアスナはとっさの抵抗もできずにキリトに抱え上げられる。
『ちょ……ちょっと、キリトくん!?』
『舌噛まないように気をつけろよ。……行くぞ!』
言うが早いが、キリトはアスナを腕に抱いたまま走り出した。
『っ、きゃああーー!?なにすんのよもう、この……ばかーーっ!』
僕とキサラはファン連中と同様、呆気にとられて目を丸くしていたのだが、先ほどのキリトの言葉を思い出す。
『……キサラ!追いかけますよ!』
『は、はいっ!』
彼の言を信じるなら、この街に住むアスナに目的地を教えてもらえる可能性がある。探す手間も大幅に省けるだろうし、なによりこのまま彼らと別れるのは少々惜しい。
見る間に小さくなっていく後ろ姿を目標と定め、僕とキサラは駆け出したのだった。
「……ともかく、です。ハイドさん、あなたのおかげで私はしばらく部屋に帰れません。ひっじょ~~に遺憾ですけど、この人も含めここでご飯にするしかないですね」
膨れ面で言うアスナ。『この人』と言うときにキリトを親指で指し、ジト目を送る。どうやら彼女は彼女で、先ほどのハラスメント行為スレスレの逃走方法を根に持っているらしい。
「なんだよ、さっきはああするのが一番手っ取り早かっただろ」
「効率の問題じゃありません!女の子の同意を得ないまま、あ……あんな格好で街なかを走り回るなんて……!」
赤面するアスナ。顔からはもう、湯気が出るんじゃないかと思うくらいの勢いだ。
対するキリトは涼しい顔で、なにが悪いのかまったく理解していないご様子。
「ふーむ、とはいえ〈閃光〉さまのファンに斬りかかったりしたらオレがあいつらに殺されるだろうしなぁ。……あ、転移結晶を使えば良かったのか」
「こ、この……!」
火に油を注ぐキリト。斬りかかる以上の狼藉をファン連中の前で働き、しかもそれをまったく意識していないとは。
天然というやつだろうか。実に末恐ろしい少年である。
僕にとっては高価な転移結晶を気軽に使おうなどと言うあたり、実力的にはさすが攻略組プレイヤーなのだが……。
「あ、あの!……でもそのおかげで私たちもはぐれずに済んだっていうか。ここまで一緒に来られたのも、キリトさんがうまく誘導してくれたからなので……」
2人の雰囲気に居たたまれなくなったのか、キサラが口を挟んだ。彼女はすでに明王モードを解除し平常運転だ。
あのゴタゴタのおかげでそれどころではなくなったのだろう。そういった意味でも、キリトは僕の恩人である。
……とはいえ、あの時キサラに預けた記録結晶は未だ返却されていないのだけれど。
「たぶん、お2人が全力で走っていたら私たちじゃ追いつけなかったと思います。……さすが前線で戦っている方は違いますね」
「そ、そうそう。いやーやっぱり〈黒の剣士〉と〈閃光〉の通り名は伊達じゃないですね、うんうん。人気の理由もわかる気がしますよ」
たしかにキリトのスピードは驚異的だった。アスナを抱えた状態でさえ、僕たちの全速力でやっと追尾できた有り様だったのだ。
キサラのフォローに乗っかるかたちで僕も言葉を差し挟む。しかし……。
「……そもそもの原因を作ったひとに言われても、素直に喜べないんですケド」
「あんたのおかげで、また不名誉なあだ名が増えそうな気がするよ……」
先ほどまでの不和はどこへやら。まるで合わせたかのように非難の視線を向けてくる2人に、僕は逆にしどろもどろになってしまった。
「や、いやそれは……。ほらアレですよ!街なかで突然好きな芸能人に会ったら写メ撮りたくなっちゃうでしょ!?アレと同じで……」
なんだろう、この共同戦線。実はこの2人あうんの呼吸というか、ベストパートナーなんじゃなかろうか。
僕は4つの冷たい目に耐えられず、自身のパートナーである彼女に助けを求めるため振り返るが。
「ねえ、キサラ!わかるでしょう?」
「……それ、却下です」
4つが6つであることに気づかされただけだった。
ちくしょう、この場に同士はいないのか……。
怒りが再燃してしまったらしいキサラはじめ、この場の全員に平身低頭ペコペコと頭を下げる僕だった。
「おおっ、きたきた」
運ばれてきた料理を目にし、キリトが目を輝かせた。大皿に所狭しと乗せられたのは、黄金色が眩しい衣に包まれたフライ料理。様々な形をしたそれらは数切れごとに1本の棒に刺さっており……いわゆる『串揚げ』『串カツ』といったやつだ。
キリト同様、串揚げの放つ熱気に心躍らせる僕とは対照的に女性陣はどこか冷めた反応だ。
「うーん、なんでこんな店があるのかしら……」
「ちょっとこの街の雰囲気に合いませんよね。……カロリーも高そうだし」
彼女たちは年頃の娘さんらしく、揚げ物にあまりいい印象を持っていないらしい。
……でもキサラさん?カロリー云々とか言ってますけど以前フルーツパーラーでパフェをまるまる食べたのはどなたでしたっけ?
「……なにか?」
「い、いえいえ」
口に出した訳ではないのに、何故かキサラは僕の視線に含まれたものを感じ取ったらしい。例の笑顔で見つめてくる。
慌ててごまかすが、あの勘の良さはなんなのだろう。くわばらくわばら。
どこか中世ヨーロッパじみた〈セルムブルグ〉の中にあっては異質なこの店は、『串処 リョーマ』といった。
内装、メニュー、席の雰囲気などはリアルの東京・新橋に数多ある立ち飲み屋そっくりだ。
NPCの店員さんも割烹着に前掛けと、西洋らしさ皆無である。
「前にキリトくんに連れ込まれたラーメン屋もどきよりはマシそうだけど……」
「おいおい、『アルゲードそば』を馬鹿にするなよ。オレは今でも週1で通ってるんだからな」
「ラーメン屋……?」
〈アルゲード〉といえば、SAO全100層の中間地点、第50層主街区の名前だったはずだ。あの街はとてつもなく入り組んでおり、得体の知れない店や迷い込んだら帰って来れない路地があるなどともっぱらの噂だ。
「ああ、ハイドたちがもし〈アルゲード〉に来る機会があったら案内するよ。なかなかイケるんだぜ」
「この人の味覚、信用しない方がいいわよ。料理スキル持ちの私が保証します」
「あはは……」
アスナに耳打ちされたキサラが苦笑いを浮かべる。同じく〈料理〉スキル持ちの身としては少々気になるのだろう。
「まあとにかく……」
「そうだな、まずは……」
串揚げの山を目の前にした僕の切り出しに、キリトも合わせてくる。
さすがにそろそろ我慢の限界だ。
左右を見れば、女性陣はやれやれといった顔つきで僕たちを見ている。
「ですね」
「はいはい、それじゃ……」
ぱんっ!
『いただきまーす!』
四者四様に手を合わせて唱和すると、それぞれに皿へと手を伸ばした。
向かいのキリトはさすがの〈黒の剣士〉、一級品のスピードで串カツをさらっていった。テーブルに備え付けられたソースだまりに串をつけ、一口。
「……うっま!」
目が見開かれ、ものすごい勢いで咀嚼する。あっというまに1本平らげると、次の串へと取りかかった。
「もう、お行儀悪いなあキリトくんは」
ガツガツと食らいつく彼を見つめるアスナは優しく微笑んでおり、その様はまるで恋人に焦がれる乙女か、弟を見守る姉のようだった。
僕もチーズが刺さった串揚げを手に取り、口に含む。サクサクの衣と、それに包まれたとろけるようなチーズの食感が絶品だ。ソースとの相性もいい。
「……っていうか、なんでお醤油はないのにソースはあるんですかね?」
「気にしたら負けです。もしかしたらこの店はシステムが偶然作り出した、デザイナーも意図していなかったスポットかもしれません。もしそうなら、茅場氏に修正される前に味わっておくべきです。……ほらキサラ、このミニトマトの揚げたやつも美味しいですよ」
僕の熱のこもった弁論に呆れ顔を浮かべるキサラだが、勧められるままに串を口にすると顔をほころばせた。
今ごろ彼女の口の中では、はじけたミニトマトの果汁が爽やかな甘酸っぱさを広げていることだろう。
夏も近いこの時期、ここの料理はまさにうってつけ……。
「……そうだ」
「先生?」
店員を呼び寄せ、あるものを注文する僕。キサラはその内容に小首を傾げたが、次に僕がストレージから取り出したものを見て納得したようだった。
「ハイド、それは?」
テーブルに置かれたビンを指し、キリトが首を傾げた。大きさは肘から指先くらい。色は茶色で、王冠でフタをされた……ようはビールビンだ。
「これは最近の僕のお気に入りでして。ここの料理に合うと思うんです。もしよろしければ一緒にどうですか?」
僕はビンを軽くタップして開栓する。中身を店員に持ってきてもらったグラスに注ぐと、杯は蠱惑敵な黄金色の液体に満たされた。
「先生……それってもしかしなくてもビール、ですよね?」
泡立つ液体を前に、キサラが怪訝な顔をする。
「ご明察。これは〈ヴァイツェン・エール〉というお酒です。美味しいですよ」
SAOではNPCのレストランで、飲み物の持ち込みが出来る。現実世界でのコーラのようなノンアルコールからウォッカ顔負けのお酒まで、多種多様なドリンクが存在しているのだ。
また、中にはステータス値まで変動させられる品まであるらしいが、残念ながら僕はお目にかかったことがない。
この〈ヴァイツェン・エール〉も単に嗜好品として設定されており、割と安価で手に入れられる。
「こんな昼間からお酒なんて……。ちょっと不健全なんじゃないですか?」
キサラ同様、アスナも難色を示していた。……が。
「……いや、いいんじゃないか。ハイド、オレにも1杯くれないか」
「き、キリトくん!?」
「おお、さすがキリト。話がわかりますね」
女性陣とは対照的に乗り気なキリトの持つ杯にビールを注ぎ、チンと打ち鳴らす。
「今日1日で有名人2人とお近づきになれた幸運に」
「……妙な男と知り合って、騒動に巻き込まれた理不尽さに」
乾杯、と唱和し一息にあおる。
弾けるかのような泡の爽快さとともに、フルーティーな香りが鼻腔を通り抜ける。……うまい。
「ぷはーっ、夏ですねぇ」
「……うん、これはなかなか飲みやすいな」
タン、と杯をテーブルに置きしきりに頷くキリト。彼はけっこうイケる口らしい。
「でしょう?これはビールの中では苦味が弱いほうなんです。初心者にもオススメですよ。……君たちもいかがですか?」
渋い顔をしている女性陣にもグラスを掲げて見せるが……。
「私はいいです、お茶がありますから。……キリトくん、そんなにガブガブ飲んだらダメだよ!」
「私も……。ていうか先生、未成年にお酒を勧めるのってどうなんですか」
案の定、断られてしまった。加えてキサラには白けた視線を向けられる。
SAOでは酒・タバコに類するアイテムの使用が、未成年者プレイヤーには推奨されていない。
そう、あくまで『推奨されていない』だけで、禁止されているわけではないのだ。でなければ、例えば先ほど挙げたステータス値上昇効果のある酒などは使える者が限られ、不公平感につながってしまうからだ。
しかしながら、今回のビールはただの嗜好品。無理強いをするつもりもないので、それ以上は勧めないことにする。
「まあまあ、今日のところは大目に見て下さい。……いずれきみにも、晩酌する相手が出来ますよ」
さらりと非難の視線をかわす僕の言動に、彼女はさらにあきれた様子を見せるのだった。
* * *
「……行っちゃったね」
「ああ。騒がしいやつだったな」
アルコールを交えた昼食会から1時間後、テーブル席にはキリトとアスナの姿があった。食事を共にした中層プレイヤーの2人、ハイドとキサラはすでに店を出た後だ。
この街に居を構えるアスナは、2人の探す船着き場を知っていた。彼女のアドバイスによりハイドたちは目的地に向かったのだった。
酒のためか顔をやや紅潮させているキリトに対し、アスナはからかうような口調で言う。
「キリトくんも楽しそうだったけど。あのキサラさんもきみのファンだったみたいだし、悪い気はしないんじゃないの?」
別れる間際、キサラはキリトに対しあることを要望していた。彼女の持つ記録結晶ーーもとはハイドの持ち物だがーーを使い、記念撮影を頼んだのだ。アスナはそれを言っていた。
「あれは違うだろ、オレ単体じゃなくてアスナも込みだったし。でもまあ……」
言葉を切るキリトに、小首を傾げるアスナ。
「あの子……キサラはちょっと懐かしい感じだったな」
「懐かしい?」
「ああ。髪型とか、雰囲気とかがウチのいも……親戚の子に似てたんだ」
「そうなんだ」
少しはにかむようなキリトに、アスナは笑顔で頷いた。普段冷静でぶっきらぼうな言動が多いこの少年の、意外な一面を見られたことが嬉しかったのだ。
キリトはそんなアスナの笑顔をどう解釈したのか、やや慌てたように言葉を紡いだ。
「だ、だからって特別な意味はないからな!?好きとかそういう話じゃ……だいたい、その親戚の子とも最近じゃあまり話さないし……」
「はいはい、分かってますって。きみにそんな甲斐性があったら、今ごろガールフレンドの1人や2人はいるはずだもんね」
「オレをその辺のナンパなプレイヤーと一緒にしないでくれよ」
「あら、それはどうかしら」
含みを持たせたアスナの物言いに、キリトは怪訝顔だ。そんな彼の反応を楽しむかのように、アスナは最近情報屋から仕入れた話を披露した。
「……少し前に、可愛らしい〈ビーストテイマー〉の女の子を助けたんですってねー」
「んなっ……」
「話題になってたわよ?〈黒の剣士〉がソロの看板を捨ててまで女の子のために〈オレンジ〉を大量捕縛したとか」
「そ、それはだなぁ!」
キリトにしてみれば、それは勘違いも甚だしい。〈フローリア〉での件はあくまで捕り物が本命で、〈ビーストテイマー〉シリカと行動を共にしたのは偶然の産物に過ぎないのだ。
(アルゴのやつだな)
ただの偶然を面白おかしくゴシップ調に仕立て上げるのは、キリトの知る情報屋の中でもただ1人しかいない。
今後の情報提供料を引き上げることを心に誓いつつ、アスナへの反撃を試みることにした。
「そ、それを言うならアスナだってハイドに写真撮られてた時、満更でもなさそうだったじゃないか!」
「慣れてるもの」
拍子抜けするくらいあっさりと言い放ったアスナに、キリトは二の句が継げない。口をパクパクとさせる彼の様子が可笑しいらしく、アスナは口元に手をやって微笑んだ。
「最初は戸惑ったけど、あんなの序の口よ。会ったこともないのにいきなりインスタントメッセージでフレンド登録申請されたり、盗撮まがいのことまでするプレイヤーもいたわ」
「さ、さいですか」
さすがSAOいちの有名人だけのことはある。カメコに囲まれるのもアスナにとっては日常茶飯事ということらしい。
少しの間をおいて驚きから回復したキリトが口を開く。
「……でもそう考えたら、ハイドはまだマシなほうなのかな。撮影する前に一応、許可は取ってたし」
「そうかもねー。でも……」
言葉を濁すアスナに、今度はキリトの方が首を傾げた。
「これは、自惚れとか思い上がりじゃないって……分かって欲しいんだけど」
そう前置きしたアスナは、言葉を選び慎重に話し出した。
曰わく、過去にもハイドのような男性プレイヤーに写真撮影をせがまれたことは何度もあった。その全てを許したわけではないが、許可した相手の九分九厘は撮影後にフレンド登録申請……あるいは交際を申し込んで来たのだ。
勿論、そのような軟弱なアプローチはアスナの好むところではなかったので、全て断ったのだが。
「それで今回は……」
「なにもなし。正直、拍子抜けというか……断って空気を悪くするのも嫌だから、結果的には良かったんだけど」
腕を組み、思案するキリト。
たしかに並みの男プレイヤーなら、アスナのような美少女と少しでもお近づきになりたいと考えるものだ。
彼ら、SAOプレイヤーはこの世界に文字通り『生きて』いるのだから。
だが、先ほどのアスナの話が正しいとすれば、ハイドの調子はキリトからすればやや不自然なように感じられた。
あれだけはしゃいで撮影しておきながら、今後のアプローチに必須となる連絡先の交換を持ちかけないとは。
例えるなら以前自身がよく行った街、秋葉原の劇場に足繁く通う、絶対に付き合えないようなアイドルを応援するファンの姿ともいおうか。
距離感を自覚していながら、その中で最大限に楽しもうとしているような……。
(ただミーハーなだけかな。……いや、待てよ?)
そこまで考え、キリトは思い付く。
「単に、恋人に遠慮したんじゃないのか?ハイドとキサラはパーティを組んでたし」
「その理屈でいったら、きみと私も恋人同士になっちゃうんですけど?」
「あ、ううむ……。それはないな」
即座に否定され、うなだれるキリト。アスナはそんな彼を不満そうな顔で
見つめるが、キリトは気づかない。
「それに、これは私のカンだけど。……あの2人で言えば、キサラさんの片思いじゃないかな」
「片思い?」
「そう。きみたちと合流する前、キサラさんと少し話したんだけど……」
そこでアスナは、あの『撮影会』前にあった出来事を話し出した。
今日のキリトとの『約束』のために、アスナは在庫が心もとなくなった各種食材を求めて市場を歩いていた。
一通り必要な品物は手に入れ、帰る道すがらふと海の方角に目をやると辺りをきょろきょろと見回す女性プレイヤーの姿。
その様子からして何かを探しているのだと察したアスナは、彼女に声をかけることにした。男性プレイヤー相手ならば警戒心が先に来るが、女性プレイヤーが自分とそう年の変わらない見た目だったというのもあるだろう。
キサラと名乗った女性プレイヤーは最初、自分に声をかけてきた相手が泣く子も黙る攻略組の〈閃光〉アスナと知ると尻込みしたが、やがて口を開いた。
聞けば、迷宮区のある島ではない離島への便が出ている船着き場を探しているという。
〈セルムブルグ〉にホームを設定していたアスナにすれば、それは初心者には見つけにくい場所にあることが分かった。そこで口頭での説明ではなく、直接案内することにしたのだ。
幸い、キリトとの約束まで時間に余裕はある。まずはキサラの仲間であるハイドと合流することにしたのだが……。
『私、その先生とは別のギルドに所属してるんです。最近はギルドのレベリングが忙しかったから、なかなか一緒に行動できなくて……。今日が久々の待ち合わせだったんです。でも……』
そこでキサラは顔を伏せた。アスナが質すと、肝心の待ち合わせ時間に遅刻してしまったのだという。
『やっと先生と会えると思ったら、前日になかなか寝付かれなかったんです。服も選びたかったし。……浮かれすぎですよね』
『ううん。分かるわ、その気持ち。私もキ……気になる人と待ち合わせすることになったら、おしゃれには気を使いたいもの』
『き、気になるって……。先生はそんな人じゃ』
モゴモゴと言葉を濁らせるキサラだが、アスナからすれば彼女の想いなど一目瞭然だ。
しかしアスナはあえて追求することはせず、ただ相槌を打つに留めた。
恋心というのはある日突然自覚するものだとーーかつて自分がそうであったようにーー分かっていたからだ。
その後は攻略やレベリングに関する当たり障りのない話が続き……男2人との合流に至る、というわけだ。
「……なるほどな。興味深い話だ」
「そう?」
アスナの話を聞き、さらに思案するキリト。彼を攻略組の一角たらしめているのは、戦闘力の高さもあるが人一倍鋭いその洞察力もあるだろう。ぶつぶつと何かを呟いていたかと思うと、視線を上げチラリと向かいに座るアスナの顔を窺う。
「ああ。特に、アスナの気になる相手、ってのがな。……誰なんだ?」
「そこなの!?……た、例えばの話よ例えばの!っていうか、もしそんな人がいたってキリトくんに教えるはずないでしょ!」
ぶしつけな質問に、憤るアスナ。対するキリトはさほど残念でもなさそうな様子で、両手をテーブル上に投げ出した。
「むう……それもそうか。高く売れそうな情報だと思ったんだけどなあ」
瞬間、アスナの手が閃く。目にも留まらない速さでテーブルへと突き立てられたフォークは、キリトの左手スレスレの位置で鈍く光っていた。
本来破壊不能オブジェクトであるはずのテーブルすら貫通しそうな迫力に、キリトはごくりとつばを飲み込んだ。
「……なにか、仰いまして?」
「い、いいえ。……なんでもありません……」
「よろしい」
手のひらサイズの矛を納めたアスナは、改めて目の前の少年を睨みつけた。
キリトのSAO攻略に関する知識と発想力は彼女の認めるところだが、こうした人の感情を察することに対してはどこか抜けている。
まあ、そのような点すらあばたもえくぼということで、アスナの目には可愛らしく映るのだが。
「で、だな。話は変わるんだが……」
盛大に自身のもつ洞察力を誤作動させたキリトは1つ咳払いをすると、恐る恐るといった様子で切り出した。
「例の、約束の品はいつ披露して頂けるのでしょうか……?」
「……あっきれた。たった今、ごはん食べたばかりじゃない」
その言葉のとおり、しかめ面でため息をつくアスナ。まったくこの少年のマイペースさにはいつも振り回されてばかりである。
キリトの言う『約束』とは、この2人が今日待ち合わせをすることになったそもそもの理由を指す。
6月末現在、アインクラッドの最前線は第63層。迷宮区の攻略開始から1週間ほどが経ち、先日ついに最上階にてボス部屋が発見されたのだ。
すでに攻略組に属する各ギルドから数次にわたる偵察隊が派遣され、出現するボスの姿や攻撃方法も判明している。
今は本番戦に向けて、各ギルド間で連絡を取り合っている段階だ。早ければ2日後には、討伐隊が編成されるだろう。むろんキリトとアスナと参加する予定だ。
最終調整のつもりでレベリングに勤しんでいたキリトの元にフレンドメッセージが届いたのはつい昨日のこと。
差出人はアスナで、内容としてはキリトを食事に誘うものだった。
キリトはソロ、アスナは〈血盟騎士団〉の副団長。普段はあまり接点のない彼らだが、このやり取り自体は別段珍しいことではない。
攻略組のSAOプレイヤー間では、ボス戦前にちょっとした贅沢を楽しむ者が多いのだ。それは景気付けのためであったり、悔いを残さないためであったり。
基本的にはあまり目立つことを好まないキリトは、全プレイヤーいちの知名度を誇るアスナとの食事会に最初難色を示した。
しかしアスナのメッセージに書き添えられた一文に、心変わりを促されたのだ。その一文というのが……。
「『新作の手料理、試食させてあげる』って言ってたろ?今日のオレはそれが楽しみで来たんだ。腹の容量もまだ八分目、本番はこれからだぜ」
以前の〈圏内事件〉の折り、キリトはアスナの手料理を口にする機会に恵まれた。その時以来、彼女の料理の虜になっていたのだ。
攻略組プレイヤーでありながら趣味スキルである〈料理〉も高レベルまで鍛え上げたアスナの作る逸品は、NPCレストランでの食事とは雲泥の開きがある。
どの店でも提供されない、現実世界でいう『マヨネーズ』や『醤油』の再現にまで成功しているのだ。
キリトがエサをお預けされた子犬のように表情を曇らせ、上目遣いに『はやくはやくー』と催促するさまはアスナの母性本能を刺激する。
(……ああもう、可愛いなぁ!)
口には出さないものの、アスナは身悶えしたい心境だった。キリトに悟られぬよう、務めて冷静な声を出す。
「はいはい、仕方ないわね。……ほら、どうぞ」
ストレージから取り出した弁当箱をテーブルに乗せると、キリトが目を輝かせて手を伸ばす。その中身は……。
「こ、これは……みたらし団子?」
焼き目のついた球体が3つ串に刺さり、かけられたタレが艶やかな光沢を放っている。
キリトは手元の団子とアスナとを交互に見やる。心なしかアスナの顔は強ばっており、キリトと視線を合わせようとしない。
「……試しに、和風のお菓子を作ってみようと思ったの。これの他にもういろうとか、水ようかんとかも考えてみたんだけど」
「へぇ、意外だな。アスナって洋菓子好きそうなイメージがあるけど……。それにしても串揚げの後にコレってのはシャレが効いてるな」
「わ、私だってまさか今日のお昼が串ものになるなんて思ってもみなかったんだから!?文句があるなら食べなくて結構です!」
キリトが何気なく呟いた言葉に大きく反応するアスナ。形が似た品を続けて出すことでウケを狙った、などと思われたくないがための照れ隠しである。
実際、昼食がこの串揚げ屋になったのはまったくの偶然なのだから、アスナに落ち度はないのだが。
キリトの手から弁当箱をひったくろうとするも、素早くかわされる。
キリトは『ははは、悪い悪い』などと苦笑混じりに謝罪したあと、そのまま団子を口に含む。数秒間咀嚼し、ぴたりと動きを止めた。
「ど、どう……かな?」
口ではああ言ったが、やはり感想は気になるアスナ。不安げな表情で彼を見上げるが。
「すっ……げえよ!アスナ!もう100%、いや120%の再現率!こんなウマい団子、リアルでも食ったことない」
先ほどの串揚げのとき以上に満足げな笑顔を浮かべ、団子にむしゃぶりつくキリト。
アスナは内心ほっとしつつ、彼の食べっぷりを眺めていた。
「……キリトくん。勝とうね、絶対」
考えたわけでもなく、アスナはつぶやく。
ボス戦は近い。今まで何度も経験したことだが、その度にこうしてギルドの仲間や友人と勝利を祈念してきた。
『解放の日のために』
血盟騎士団団長であるヒースクリフがよく口にする言葉だが、その思いはアスナも一緒だ。
すべてはこのSAOを無事にクリアし、現実世界に帰還するため。
最初はあくまで自分のリアルを取り戻すための動機だったが、今日キサラたちと出会ったことで改めて気づいたことがある。
(みんな、生きてるんだ。生きて、誰かを好きになって……。私たち攻略組が100層を突破するのを待ってる)
アスナはキサラたちを前線で見かけたことはない。この層に来たのも観光目的だろう。
彼女たち中層プレイヤーにも生活があり、それぞれの想いがあるのだ。もちろん、アスナ自身にも。
「……ああ。大丈夫、オレたちならやれるさ」
団子を食べ終えたキリトも真顔で頷く。
攻略に臨むときの彼の表情はいつも真剣で、年少者じみた顔つきながらアスナには頼もしく見える。
(この人と一緒なら、きっとクリアできる)
そしていつの日か、自分自身の気持ちを伝えられる時が来ればいいーー。
アスナはそう考え、決意を新たにするのだった。