こちら、アインクラッド解放軍第104小隊   作:ハイランド

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24海辺の町で 1

 2024年6月 第1層 はじまりの街 転移門前広場

 

 >from:Kisara

 >sub:依頼の件について

 >to:hyde

 >こんにちは、先生。いつもお世話になっています。

 >突然ですが……。しばらくの間先生のお手伝いを休ませて下さい。

 >実は先日、軍の任務中ある危険人物と戦うことがありました。

 >敵の名前は<オレンジ>イービルデッド(ED)。でも、ただの犯罪者プレイヤーではありません。

 >彼は自身の思想のもと、積極的に<グリーン>プレイヤーを狙い……特に男女のカップルを標的に殺人まで犯しているのです。

 >私たち<アインクラッド解放軍>はこのEDを捕縛対象と認定し、現在拠点の特定を進めています。

 >(とはいえ、この作業は『憲兵隊』と呼ばれる内偵部隊が行っているのですが)

 >第104小隊のメンバーも再度の対決に向けて鋭意レベル上げ中であり、少々時間が取れない状況です。

 >本当は先生との冒険を楽しみにしていたのですけれど……。

 >そういうわけですので、ご一緒出来ないことをお詫びさせて下さい。

 >作戦にある程度の目処がつけばきっと時間も出来ますので、そのときにはまたご連絡差し上げます。

 >それでは、お体に気をつけて。

 

 >from:Kisara

 >sub:ついしn

 >to:hyde

 >あ、でもメールのやり取りだけは出来ますからね!

 >さすがに毎日までは難しいでしょうけど、お返事頂けたら、嬉しいです、

 >それでは

 

 ……こんな内容のメッセージがキサラから届いたのは、6月の上旬のことだった。

 そして今、僕の視界に映る日付表示は6月の下旬を指している。会うのは前回の<剣闘士>ゼルの件以来だから……実に3週間近く経っている。久々の待ち合わせだ。

 慌てて打ったらしい追伸の宣言通り、その間キサラからは頻繁にメッセージが送られて来た。僕も彼女の近況はなるべく知っておきたかったので、着信アイコンに気づいた時には即座にメッセージを開いたものだ。

 それによれば昨日の時点で、めでたくキサラ以外のメンバー全員が昇任し隊長などは『少佐』になったらしい。それがどれくらいの価値なのか、僕にはピンと来ないのだけれど……。

 しかし最初のメッセージにあった、標的であるイービルデッドの足取りは未だつかめていないとのことだ。

 僕としては好んで殺人を犯すような危険人物には近づいて欲しくなかったので、彼女には悪いが僥倖である。

「それにしても……」

 僕はちらりと時刻表示を確認した。現在はちょうど午前10時半。待ち合わせは、午前10時。

 キサラにしては、これほどまでの遅刻は珍しい。5分ほど前にじきに着く旨と合わせた謝罪文が届いたので、事故にあったということはないだろうけど……。

「ふう、こんなことならもう1本吸えたかな」

 別段隠しているわけではないのだけど、彼女の前での喫煙はなにか気が引けて控えるようにしている。

 キサラが未成年だということもあるが、これは僕のリアルでの生活の癖によるところが大だろう。

 口寂しさをごまかすためにNPCの露天商から買ったあめ玉をストレージから取り出そうか、と迷っていた時。

「……ご……!ごめんなさい、……先生!」

 ものすごい勢いで広場に飛び込んできたキサラが、開口一番謝ってきた。

 その顔は申し訳無さからか眉根が寄り、目尻が下がっている。なんというか……叱られた子犬のような感じだ。もし尻尾があったら間違いなく地面に垂れ下がっているだろう。

「遅刻ですよ、キサラさん」

 およそ30分間待たされたとはいえ、僕はそれほど時間に追われた生活をしているわけではない。たしなめる言葉も冗談半分のつもり……だったのだが。

「あ、あのあの……。本当にすみませんでした。先生と会えるの久しぶりだったから、それで……」

 わたわた、といった表現がしっくりくる様子でキサラは何度も頭を下げた。なんだか逆にこちらが申し訳ない気分になってくる。

「い、いいんですよ。キサラ……そんなに恐縮しなくても」

「でも、30分もお待たせしてしまいました。……せ、せっかく先生が時間を作ってくれたのに」

 泣きだしてしまうのではないか、と思えるほどに肩を落とすキサラ。

 ううん、どうしたものか……。こういう時には話題をそらすのが得策だろうか。

 よくよく見れば、キサラの服装は以前よりもオシャレというか……淡いブルーのスカートの裾には控えめなフリルが入っていたりして可愛らしい印象を受ける。……まあどうせ、あの中にはスパッツなどを履いているのだろうけど。

 ーーいや、違うだろ僕。なにを余計な部分まで透視しようとしてるんだ。ええと、そうじゃなくて……。おや、あれは?

「……キサラ、今日のきみはオシャレですね。その、指輪もよく似あってますよ」

 とりあえず、目についた部分を褒めてみる。

 髪型でも服装でも、女性が変化した部分を指摘するのは基本中の基本だ。もっとも、それで世の女性全てが喜ぶというわけではないのが難しいところだが。

 キサラも女の子だし、なんだかんだいって身だしなみには敏感だろう。ただし髪型はいつもと同じストレートショートなので、そこに触れるとマイナス点になる。

 案の定彼女は僕の言葉に反応し、驚いた顔を見せた後……なぜか指輪をはめた右手をさっと背後に隠してしまった。

「あ、あの。これはですね……」

 しどろもどろになるキサラ。慌てようはさっきと同じだが、雰囲気が少し違うような。

「ん?」

「その、隊長……ウィンスレー、少佐に頂いたんです。EDの得意技の麻痺攻撃に備えるために」

 ED、イービルデッドか。たしかにSAOのアクセサリーにはそういう状態異常への抵抗力を高める効果を持つものが多い。

 しかし、女の子の口から『ED』という単語はあまり……。

「へぇ、いいんじゃないですか。デザインもシックですし。キサラの<体術>にも邪魔になりませんね」

「…………それだけ、ですか」

 無難な答えを返したつもりだったが、なぜか彼女は表情を曇らせた。ほっとしたような、残念そうなような。

 褒め方を間違えたのだろうか。やはり僕よりも7つ下とはいえ、キサラも女性だ。難しい……。

「あの、キサラさん?どうかしました?」

「いーえ、別に。……はぁ」

 先ほどまでの慌てぶりから一変、今度は落胆した様子。彼女の表情の豊かさには慣れたつもりだったが、3週間ぶりに見るとなかなか新鮮に感じる。

「ま、まあとにかく。そろそろ行きましょうか。今日はなかなかに面白い層だと思いますよ」

「はい……」

 沈んだまま返事をするキサラ。歩き出すが、その足取りは重い。

 まいったな……。まあ、今日の目的地に着けば多少は気分も良くなるだろう。それに賭けるしか無い。

「あ、ところで……」

「はい?」

 今しがた浮かんだ疑問をぶつけてみることにする。もしかしたら彼女は、言葉の意味を知らないのかもしれない。

「キサラ、『ED』ってなんのことか……わかります?」

「ED……。イービルデッド、ですよね?」

 何を今さら、といった顔で応えるキサラ。やはりあちらの意味を知らないで使っていたらしい。

「ええ、それもあるんですが。正直、あまり若い女の子からその言葉は聞きたくないというか。……ンン、実は現実世界でも『ED』という言葉があるんです。その意味が……」

 周囲を見回し、こっそり耳打ちする。

「……『男性機能低下』。つまり、『あの行為』ができない……ということです」

「そっ……!」

 瞬時に僕から身を引き、目をしばたかせるキサラ。

 あっという間にその顔が青くなり……そして今度は赤く染まった。

 言葉は発していないが、おそらく脳内では活発な議論が展開されていることだろう。

 うむ、相変わらずの百面相。実に面白い。

「ごちょ、いえ軍曹に曹長ぉ……!なんで教えてくれないのよ……!」

 小声で呟かれた呪詛の言葉は聞かないことにして、僕は彼女の手を取り転移門へと飛び込むのだった。

 

 2024年6月 第61層 主街区<セルムブルグ> 転移門前広場

 

「キサラ、着きましたよ。……キサラ」

 まばゆい光が収まり、視界が元に戻るとそこに広がっていたのは中世ヨーロッパのような瀟洒な街並み。

 <セルムブルグ>は華奢な尖塔を備える古城を中心に家々が立ち並んでおり、白亜の花崗岩で作りこまれた建物とふんだんに植えられた街路樹の緑とのコントラストが美しい。

 61層は全面が巨大な湖に覆われていて、街はその中心にある島に建てられている。

 古城の正面にある転移門前広場からは南方に伸びる商店街と、その先にある青い湖面を一望することができ、訪れた者を魅了する。

 キサラもご多分にもれず、僕の呼びかけに反応できないくらい感嘆しているらしい。

「……わ。うわぁ……」

 やがてその口から漏れでた言葉もただただ呆然とした様子を表したもので、数秒間固まっていた。

 僕は自分たちの後から途切れなく入ってくる訪問者の邪魔にならぬよう、彼女の手を引いて道端に身を寄せる。

 現在の最前線とそう変わらないこの層に訪れるプレイヤーは多く、いかついプレートアーマーを装備した攻略組と思しき者たちや、僕たちのように明らかに観光目的で来たようなおのぼりさんもいる。

 攻略組の方はともかく、観光組はもれなくキサラと同じように門から出た瞬間に足を止めるので、転移門付近はなかなかの盛況ぶりだ。

「すごい……。すごく綺麗なところですね、先生!」

 ぽかんと口を開けた状態から回復すると、今度は笑顔でぴょんぴょんと僕の周りを飛び跳ねるキサラ。無邪気にはしゃぐその姿は、まさしくお気に入りの散歩コースに連れだされた子犬のようである。

 どうやらここを選んだのは正解だったらしい。彼女の機嫌が快方に向かっていることを悟り、僕はこっそり安堵のため息をついた。

「キサラは、この街に来るのは初めてですか?」

「はい、『街開き』の時に話題になったので一度行ってみたいとは思っていたんですけど」

 『街開き』とはその言葉どおり、迷宮区を突破しその上層にある主街区へのゲートが開かれた時に行われる一種のお祭りのようなものだ。

 一度アクティベートされた転移門は下層のどの街からも行き来が自由となるため、解放された当日から数日間は新しもの見たさに多くのプレイヤーが最前線の街に足を運ぶ。

 それ目当てに露天を広げる商人プレイヤーも多く、娯楽の少ないSAO内ではこの日のおとずれを楽しみにしている人がほとんどだ。

 まあ、この<セルムブルグ>はそれを抜きにしても観光に来る価値はあると思う。開放的な景観は人間の心を軽くしてくれる。

「……でも、先生。ここはだいぶ最前線に近いですよ?私たちのレベルでは危険なんじゃ……」

 ひとしきりはしゃいで落ち着きを取り戻したのか、キサラがやや不安げな表情で僕を見上げる。

 彼女の心配はもっともだ。いくらキサラの104小隊がこの数日間レベリングに勤しんでいたとはいえ、彼女のレベルはせいぜい50半ば位だろう。

 このゲームでの安全マージンを考えると、あとプラス5レベル位は必要になる。

「ああ、それなら大丈夫です。僕たちが今回向かうのはモンスターの出る迷宮区やダンジョンではありませんので」

 彼女の不安を和らげるために笑顔でそう言うと、僕は歩き出した。

「行くのは船着場……この街の港です」

 

 第61層は全面湖、というか規模的には海であることは先に述べたとおりだ。

 中心に<セルムブルグ>島があり、上層へと続く迷宮区は海を隔てた離島にある。移動手段が基本的に徒歩あるいはレンタルによる乗馬のみであるこのSAOにおいて、他のRPGでの飛空艇や不死鳥のような空を飛ぶ乗り物は存在しない。

 では、迷宮区へはどのように渡るか?

 答えは明白である。古式ゆかしい帆船だ。主街区南端にある<セルムブルグ>港から、この層の各島々へと渡れる定期便が出ているのだ。

 城塞都市<セルムブルグ>は、同時に港湾都市でもあるというわけだ。しかし基本的に底意地の悪い人間によってデザインされたこのSAOのこと、<セルムブルグ>港にさえ行けば全ての島に渡れるようには作られていない。

 島には主要港以外にも小規模な港が点在し、船守を努めるNPCによって不定期に便が出ている。

 今回僕たちが目的地にしているのはこの小規模便だけで行けるという、ある離島の小さな港町。つまり僕たちはまずその島に渡るための船着場を探さなければならないのだ。が……。

「……見つからん」

 軽く街なかをキサラと観光したのち、彼女に経緯を伝え僕たちは分担して船着場を探すことになった。

 同じ層にさえいればインスタントメッセージで瞬時に情報のやり取りができるので、どちらかが見つけさえすればもう片方に知らせればいい。

 主街区が広いとはいえ手分けして探索すれば楽勝だろう、という当初の楽観は裏切られ昼近くとなった現在でも見つからない。

 <セルムブルグ>港からスタートし、島の東側を担当することになった僕は海岸線を半周し北端で一度キサラと合流、しかし双方に芳しい発見が無いことを報告し合うと再び時計回りで南端まで戻ってきたのだ。

 賑わいを見せる主要港のざわめきが少々うらめしい。この港から船が出てさえいれば、こんな苦労をすることもなかったろうに。

「とりあえず、広場に戻ろうか……」

 誰にともなくつぶやくと、古城へと続く坂道を登り始める。キサラにメッセージを送ると、彼女はまだ時計の文字盤でいう8時くらいの位置にいるとのことだったので、僕が先に到着して待つかたちになるだろう。

「情報代、ケチらなければよかったかな」

 今となっては遅いが、情報屋相手に下手に値切ってしまったことが悔やまれる。この街はまだ人気層で、各種クエストや観光スポットの情報は高値で取引されていたのだ。

 あの、見た目の割には海千山千といった雰囲気の情報屋……妙なしゃべり方をする女の子に一杯食わされたか。……はあ。

 軽いため息をついてからふと視線を上げると、1人のプレイヤーが目についた。

 長髪を後ろで束ねた痩せた男。三白眼ぎみの落ち窪んだ目を持ったそいつは、見るからに金のかかってそうな華美な剣を背に吊るし街頭に佇んでいた。

 視線をキョロキョロと動かし、まるで誰かを探しているかのような……いや、どちらかといえばあれは自分を注目する者がいないか確認しているのか?

 ともかく、男は僕の視線には気づかなかったのか人波がある程度途切れたタイミングを見計らい、すっと目抜き通りから一本折れた道へと忍び込んだ。

「……なんだアレ」

 その挙動不審さからほんの少し興味がわいた僕は、キサラを待つ時間つぶしもかねて男の観察をしてみることにした。

 何気ない風を装って男の入っていった道へと足を向ける。すると意外なことに、男は角を過ぎてすぐの所に立っていた。

 ただし、そこは建物と建物の間……現実世界で言えば新宿あたりの歓楽街でゴミ置き場にでも使われていそうなごくごく細い路地である。

「……」

 男はそこから僕の方に背を向け、向かいに建てられた3階建ての小洒落たメゾネットの一室を凝視していた。

 視線の先にある窓にはカーテンが引かれており、中の様子を窺い知ることは出来ない。

 背後に立つ僕にも気づかず、一心不乱に部屋を観察するさまはまるで……。

「……ストーカー?」

 思わず口をついて出てしまった僕の声が聞こえたのか、男はものすごい勢いでこちらを振り向くと驚愕に見開かれた目で見つめてきた。

 慌てて視線を外しメニュー操作をする振りでごまかそうとしたのだが、男は聞こえよがしに舌打ちすると乱暴な足取りで目抜き通り方面へと消えていった。

 もしかしたら僕が誰かにメッセージを送るかと思ったのかもしれない。

 男は背負った大剣のほかは目立たない旅装をしていたので、その姿はあっという間に雑踏に紛れてしまった。

 怖い怖い。『キレる現代の若者、会社員を刺して死なす』などといったニュースの見出しが珍しくもない昨今、下手に関われば命が危ない。

 もっとも、ここは<圏内>なのでいきなり殺されるようなことはないだろうけど……。

「しかし、なにを熱心に見ていたんだ」

 男が去った後、僕は気になって彼と同じように路地の入り口に立ち、メゾネットの3階を見てみた。

 なんの変哲もない、住宅。しいて言えば窓の向こうに見えるカーテンのセンスが女性的であることか。

 とすると、もしかしたらこの建物は個人のプレイヤーホームで、男は本当にここに住む女性プレイヤー目当てに来ていたのかもしれない。

「……おい、アンタ。そこでなにやってる」

 どきりと、心臓が跳ねる。

 考え込んでいた僕は、背後に誰かが立っていたことに気づかなかったようだ。ちょうど先ほどの男と僕のように。

 別に悪いことはしていないはずなのだが、ほんの少しの後ろめたさから恐る恐る背後を振り向くと……そこにいたのは、全身を黒い装備で固めた歳若い男性プレイヤーだった。

 

 大人しいスタイルの、黒い髪。眺めの前髪の下の、柔弱そうな両目。ともすれば女性プレイヤーに見えなくもない容姿だが、全身から放たれる威圧感はそれを否定して余りある。

 黒い皮鎧にグローブ、ズボンも羽織ったコートも全て黒。

 いくらSAOの天候操作システムにより極端な気温変動がない街なかといえど、今は夏も近い。

 少年のコーディネートは見ているだけでも少々暑苦しく感じられた。

「なにか、とは?……僕はただこの街並みが珍しくて散歩していただけですが」

 努めて平坦な口調で応えたが、これはまったくの嘘ではない。ただ、見ていたのが街ではなくて不審な男性プレイヤーの視線の先だっただけだ。

「アンタ、あの部屋を見てたろ。あそこにはオレの、……知り合いが住んでるんだ。SAOでも飛び抜けて美人なやつがな」

 飛び抜けた美人、という言葉に多少の興味が引かれたが、そこに飛びつくのも具合が悪い。

 おそらく少年は先ほどの僕と同じように、不審人物に対するストーカー疑惑を持っている。ひどい濡れ衣だ。それこそ、今までいた長髪の男のほうが該当するというのに。

「そう怖い顔しないで下さいよ。本当に僕はたまたま今日この街に来たばかりなんですから。……そうだ、きみの名前はなんというのです?ちなみに僕は、ハイドと言います」

 あくまでも笑顔でフレンドリーに。ここで少年の仲間、あるいは軍に通報されて黒鉄宮の監獄に収監などされたら、キサラに合わせる顔がない。

 両手を広げて敵意のないことを強調すると少年は数秒間僕の顔を見つめたのち、呆れたようにため息をついてうなだれた。

「……どうやら、危ない人間じゃなさそうだな。疑って悪かった。……オレの名前は、キリトだ」

 言いつつ、右手を差し出してくるキリト。

 威圧感は嘘のように消え去り、申し訳無さそうな表情をしている。なかなか素直な少年らしい。

 僕はキリトの握手に応えつつ、内心で刺のひっかかるような感覚を覚えていた。

 ……キリト。どこかで聞いたような。

「まあ、変な疑いが晴れてよかったですよ。ちなみに……僕の前にあの部屋を覗いていた男がいましたよ。痩せぎすの、派手な剣を背負ったプレイヤーでしたが」

「……そうなのか。まあ、あの<圏内事件>以降、あいつもますます有名になったからな。注意しておかないと……」

 握手をとき、ぶつぶつとひとりごちるキリト。

 その中のある言葉に、僕の記憶は呼び覚まされた。

 <圏内事件>。今年の4月にあったという、とある殺人事件。安全と思われた街なかの<圏内>でプレイヤーが殺され、一時期多くのSAOプレイヤーの話題をかっさらった事件だ。

 詳細は割愛するが、結局それはシステムの抜け穴が発見されたり新たなPK方法が編み出されたというわけではなく……ただの狂言だったとのこと。

 そしてその事件を解決に導いたのが目の前に立つ黒ずくめの少年、キリトであるという。

「そうか、きみがあの<黒の剣士>」

「オレを知ってるのか?」

 きょとんとした顔をするキリト。

 彼が自覚しているのかどうかは分からないが、SAOプレイヤーで彼を知らないものは少ない。

 曰く……孤高を貫くソロプレイヤー<黒の剣士>、飽くなき挑戦を続ける<最強バカ>。そして……<はぐれビーター>。

 MMORPGにおいて、他のプレイヤーに名前が知れ渡るというのは毒にも薬にもなる。強者への尊敬の念と、それに付随する嫉妬心。

 この少年プレイヤー、キリトはそれらの評価を一身に受けつつも常に最前線で剣をふるい道を拓いてきた『攻略組』の一員として、僕のギルドの例会でもたびたび話題に上がる人物だ。

 おそらく、このゲームのクリアに関わるであろう重要人物の1人として注目されている。

「ええ。きみは有名人ですから」

「う……。そうか」

 僕の肯定にキリトは気まずそうに頷くと、はにかんだ様子で頬をかいた。

 ……なんというか、実力とは裏腹にどこかあどけないこの仕草。直感だが、彼はなかなかに女の子にモテるのではないだろうか。

 自身の勝手な想像に、僕も苦笑いを浮かべて立ち尽くしてしまうのであった。

 

「……そうか。じゃあ、ハイドはその『船着場』を探してるんだな」

 僕たちはあれから間もなく、目抜き通りへと戻った。聞けばキリトもあの部屋の主……『SAOでも飛び抜けた美人』と待ち合わせをしているとのこと。

 キサラもおそらく<セルムブルグ>港から北上して広場に向かうだろうし、ここで待っていれば合流できるはずだ。

 そう考えた僕はキリトとともに通りの片隅で立ち話をして時間を潰すことにした。

「ええ。相棒と手分けして探しているのですが、見つからなくて。誰かこの街の地理に詳しい人がいればいいのですが」

「ふーん。それなら、ちょうど……あ」

 そこで言葉を切ったキリトは、坂を登ってくる2人のプレイヤーにふいに目を向けた。

 どちらも若い女性だ。まさかこのナリでナンパなどするつもりなのだろうか。やはり見かけによらずプレイボーイな……。

「って、あれは……」

「アスナ!」

 連れ立って歩く2人の女性のうち、見覚えのある方……キサラを認めた僕は彼女に合図しようとするが、それより先にキリトが手を振っていた。

「キリト君」

 それに応えたのはキサラと歩くもう1人の少女。栗色の長いストレートヘアをなびかせ、こちらに走り寄って来た。

 形の良い桜色の唇に、大きなはしばみ色の瞳。すらりとした身体に、赤と白を基調にした騎士風の衣装を纏っている。

 有り体に言って、美少女だ。それもかなりの高レベル。

 『SAOでも飛び抜けた美人』ーー。キリトの言葉を疑っていたわけではなかったが、その評価はたしかにふさわしい。

 ……いや待てよ。今キリトは何と言った?聞き間違いでなければ、確かに『アスナ』と。……まさか!?

「ごめんね、おまたせ。ちょっとこの人と話し込んじゃってて。……あの、そちらは?」

 アスナと呼ばれた美少女は小首を傾げ、僕を見る。その仕草は可憐な容姿と相まって犯罪的なまでに可愛らしい。

「ああ、この人はハイド。さっきそこでちょっと……」

「はじめまして!<血盟騎士団>のアスナさんですよね、ご高名はかねがね。いやぁ、実物を見るのは初めてですけどこんなに美人だとは……。あ、写真よろしいですか!?」

 超高速でストレージから黄緑色の記録結晶を取り出す。このアイテムは画像・音声・動画のいずれかを選択し撮影・記録再生できるスグレモノで、ようはデジカメである。

 情報屋が発行する新聞などはこの品物がなければ相当味気ない紙面になっていただろう。容量の上限まで達しなければ何度でも使えるので、僕も常にいくつか持ち歩いているのだ。

「は、はい……。あ、あの」

「ありがとうございます!」

 戸惑いながらも承諾してくれたアスナを、四方八方から撮りまくる。

 大昔の動画などで見られた、日本を訪れた外国人が『ファンタスティック!フジヤーマ、ニンージャ、サムラーイ!!』などと叫びながらシャッターを切る様子さながらである。

「あ、いいですねー。視線こっちにお願いしますー。……そうだ、どうせなら一緒に撮らせて頂いても……」

 誰か撮影してくれる人はいないだろうか。キリトに頼もうかとも思ったが、彼は顔をひきつらせて硬直しているし。

「……それなら、私が、撮りましょうか」

「あ、いいですか!?よろしくお願いしま……」

 おお、さすがは観光地。親切な人がいるものだ。

 背後から掛けられた静かな声にこれ幸いとばかり、記録結晶を渡そうと振り返った瞬間。

「……ッ!」

 観音菩薩。あるいは、不動明王。まるで相反する仏像のオーラをまとった『彼女』がそこにいた。

 ニコニコと今日見たなかでは極上の笑顔を浮かべているのに、その目を見るとなぜか背筋が冷たくなる。

 先ほどキリトが放った威圧感に勝るとも劣らない、もはや『殺気』と言ってもいいくらいの雰囲気を全身から放出している彼女。

 蛇に睨まれた蛙のように汗をだらだら流して固まる僕の手から、記録結晶をもぎ取る。

「……ちゃうねん」

「なにがです?ほらぁ、先生。笑って下さいよーせっかくの記念撮影なんですからー。……いきますよー、はいチーズ」

 彼女の声はあくまでも朗らかだ。怒りの感情などこれっぽちもにじませていない。

 だがそれでも……ぎこちない笑顔を浮かべたアスナの隣で、僕は出征前の軍人のように唇を引き結び、直立不動の姿勢を取ることしかできなかった。

 無論、撮影者である彼女と視線を合わせては……イ ケ  ナ イ。


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