こちら、アインクラッド解放軍第104小隊   作:ハイランド

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22<オレンジ>イービルデッド 後編

「おらあっ!」

 最初の一撃は、伍長からだった。

 鞘に納めたままのカタナの柄を握り、姿勢を低く。刀身に淡い光が宿る。

 一瞬のタメののち、爆発的な瞬発力で踏み込む。目にも留まらぬ速さでカタナを抜くと、突進力をそのまま乗せた剣閃を放つ。

 <カタナ>スキル、<辻風>。居合にも似たソードスキルで初見での回避は到底不可能ーー。

「ふむ」

 しかし敵である大男、EDはだらりと下げたハンマーの頭をわずかに横に振るだけで、その軌跡を塞いだ。

 武器同士がぶつかる火花のようなエフェクトが散り、伍長の顔は驚愕に染まる。

「なん、だとぉ……!?」

 プレイヤーのレベルや筋力値、ぶつかった武器のパラメータなどがそれぞれ単純な数値に変換・比較され、優先判定を導き出す。

 伍長のカタナは切れ味鋭い武器ではあるが、どちらかと言えばスピード重視で力比べには向かない。

 間もなく火花が止み、攻撃を仕掛けた側の伍長が弾き飛ばされる。

 空中でくるりと回転し、両足から着地する伍長。

「やつの居合が受け止められた、だと」

 呆然と軍曹がつぶやく。それもそうだろう、彼は普段から伍長と模擬戦闘訓練を行っていて、そのカタナスキルのスピードには一目置いているのだ。

 私はEDがハンマーの頭を振ったのと逆の方向に出来た隙間を狙い、槍を突き出した。突進技<チャージ>。

「!」

 しかし敵は軽く身を捻ると、私の突撃をするりとかわした。

 標的を失った攻撃は空振りするが、体の動きは技の出し終わりまで止まらない。

 突き出した姿勢のままで両足が大地に着く。数秒の硬直。気持ちの悪い汗が一筋背中を流れる。

「副長!」

 スキルを出しきった直後の硬直は、プレイヤー・モンスターともに最大級の無防備な時間だ。

 SAOでの戦闘では基本的に相手のミスを誘い、強力な一撃を叩き込むのがセオリー。そのため対人戦のデュエルなどでは相手の技をどれだけ知っているかも重要な材料となる。

 軍曹が盾を構えて私とEDの間に割り込んでくれたのも、その反撃を防ぐためだ。

 私は硬直が解けてすぐに振り返り、そこで繰り広げられているであろうハンマーと盾のぶつかり合いを確認しようとーー。

「え?」

 しかし意外なことに、EDは先ほどの場所から一歩も動いていなかった。

 絶好の機会だというのに、なぜ?

 私の怪訝な表情に気づいたのだろう、EDは片手を挙げて肩をすくめた。

「ほう、低中層のプレイヤーにしてはなかなかの強さですね。あちらの隊長さんはともかく、正直あなた方を見くびっていましたよ」

「てめーこそ、その見た目よりずっとすばしっこいじゃねえか。……デブのくせに」

 顔をしかめた伍長が毒を吐く。それにも相手は涼しい顔だ。

「ほほほ。ワタクシを怒らせてペースを乱そうとしても無駄ですよ。ワタクシはハート様以上の人格者ですから」

「……ちっ。見た目はクリソツなんだけど、な!」

 再び駆け出す伍長。斬撃を数発放つも、その全てが受け止められあるいはかわされる。

 私もタイミングを測って伍長の攻撃直後に槍を振るうが、かすりもしない。

「ふふ、いいリズムですねェ。それ……トン、トン、トトン、と」

 まるでダンスのステップを踏むように回避を続けるED。私達は焦りに顔をしかめるが、相手はあくまでも笑顔だ。

 遊ばれている。そう理解できるまで時間はかからなかった。

「副長、伍長。いったん引きなさい!」

 軍曹の声に意識を引き戻され、私達は攻撃を中止しバックステップ。敵から距離を取る。

 ……あぶない。深追いしすぎた。

 いつの間にか壁役の軍曹から大きく引き離されている。もし敵が反撃に転じていたら、私達は防ぐ手段がなく直撃を受けていただろう。

「おや、もう終わりですか?せっかくノーミスでハイスコアが狙えそうでしたのに」

 眉根をよせ、さも残念そうな顔をするED。

 私の傍らに立った軍曹は苦い顔だ。

「我々をダンレボの筐体扱いか。……貴様、なぜ仕掛けてこない?」

 射殺すような軍曹の視線を向けられても、敵は余裕の笑みを崩さない。

「ワタクシは<僧正>です。無益な殺生は控えたいのですよ。……この武器を見てもわかるでしょう?」

 そう言いつつ振りかざすのは、リアルであればスイカでもまるごとぺしゃんこに出来そうな大ハンマー。

 たしかに昔どこかで、僧侶は返り血を浴びないために武器として刃物を用いないと聞いたことがあるような気がするけど。

「<グリーン>を狩る<オレンジ>のセリフじゃねえな。だいたいさっきも、あの2人を襲ってたじゃねえか」

「ほほほほ……。控えるのは『無益な』殺生と申しましたでしょう。先ほどのアレは……そう、『有益な』行いなのですよ」

 吐き捨てる伍長をあざ笑うかのように言うED。

 ……襲撃が『有益』?わけがわからない。

 そもそも私には進んで<オレンジ>プレイヤーになる者の意図が掴めない。彼らの行為はSAOクリアを妨げ、結果的に現実世界への帰還を遅らせることに繋がるというのに。

「……てめぇ、1回や2回じゃないな。……何人殺した?」

「え?」

 伍長の言葉を、一瞬理解できない。

 先ほど私達が目撃したのは、彼らが2人の<グリーン>を襲撃している場面だ。たいていの<オレンジ>は金品を奪いこそすれ、命まで積極的にとろうとはしない。

 SAOで相手プレイヤーを殺すということは、現実世界でそのプレイヤーの脳を灼いて殺すのと同じことだと考えられているからだ。

 伍長の言葉が合っているなら、EDたちは<オレンジ>よりも更に危険な、システム上存在しない<レッド>プレイヤーと呼ばれる者たちであるということになる。

「ふむ、良い質問です。それではここで聖人の言葉を引かせて頂きましょうか。……そう、『おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?』とね」

「……貴様」

 背筋が震え、総毛立つ感覚。

 認めた。この男は、自分が殺人行為を積極的に行う犯罪者<レッド>プレイヤーであることを、世間話でもするかのように認めたのだ。

 しかもその口ぶりからすると、すでに何人も手にかけているらしい。

「それにしても伍長どの、でしたかな?なかなかカンが鋭くていらっしゃる。あなたもしや……」

「ケッ、冗談じゃねえ。オレは真っ当な軍人さ。ただ……そんなヤツが昔身近にいただけだ」

 苦虫を噛み潰したかのような顔をする伍長。彼の過去には少し興味がある……でも。

「……2人とも、武器を構えて下さい。このひとの狙いは、時間稼ぎです。一刻でも早く無力化して、隊長の援護に向かわなくては」

 意識したわけでもなく、硬い声が出る。

 EDが<レッド>ということは、連れの2人も同様のはずだ。隊長に危機が訪れる前に合流しなくてはならない。

「<オレンジ>、いえ<レッド>プレイヤーイービルデッド。あなたがどのような理由でこんな行為に及んでいるかは知りません。しかし、軍人としてあなたのような危険人物を野放しにはできない」

「貴女は聡明な女性ですねェ。……そのような女性を組み伏せ、皮を一枚一枚剥いで果実を頂く。さぞ甘露でしょうね。……そう、水蜜桃のように」

 くく、と忍び笑いを浮かべるED。

 おぞましい想像に身の毛がよだつが、そんなことにかまってはいられない。

「何が<僧正>だ。とんだ生臭坊主だぜ」

「……いや、もはや破戒僧といったほうがいいだろうな」

 それぞれの武器を構え、前に出る伍長と軍曹。

 どんなに相手がすばしこくても、3人でスイッチを繰り返して休憩する機会を与えなければ、いずれは消耗するはずだ。

「どうやらスイッチが切り替わってしまったようですねェ。ではワタクシもそのように対応させて頂きましょうか。……ちなみに」

 言葉を切った瞬間、EDの姿が煙のように掻き消える……ように感じた。

 敵は圧倒的な瞬発力で接近してきたのだ。先ほどの伍長の居合もかくやといったスピードで間合いを詰め、ハンマーを頭上に振り上げる。

「はやいっ!?」

「『私の戦闘力はレベル70程度です……ですが、もちろんフルパワーであなたと戦う気はありませんからご心配なく……』。聖人の言葉です、一部改変していますが……ねっ!」

 風圧だけで押しつぶされそうな、速さと重さを乗せた一撃をすんでのところでかわす。

 地面に激突したハンマーヘッドは轟音を響かせ、大気の振動がびりびりと肌を刺した。

 レベル70。それはつまり、現在の最前線である第62層にも挑める強さであるということだ。EDの言葉が真実なら、敵はDDAやKoBのような攻略組にも匹敵する実力者ということになる。

「ほほほほほほッ!」

 耳障りな笑い声とともにEDはハンマーを振り回し、身体を中心に360度回転させた。その頭は赤い光に包まれている。

「……ソードスキル!軍曹!」

「はっ!」

 私の声に軍曹が即座に反応し、盾を構えて前へ。衝撃を逃すため盾を地面に突き刺し、ハンマーを受け止める。

 火花が盛大に散り、踏み込んだ軍曹の足が沈み込む。

 私はその隙に敵の背後に回りこんで体術スキル<弦月>を発動、爪先をEDの背中に叩き込んだ。

「ほう?」

 システムアシストにより、リアルであれば体格差で絶対不可能な『フロート』が発生しEDの身体がわずかに浮き上がる。

「伍長!」

「あいよおっ!」

 伍長が上段から撃ち落とすようにカタナを閃かせ、肩口にクリーンヒット。敵のHPバーが1割ほど削られる。

「もう一度……!」

 追撃しようと私が槍スキル<ダブルファング>を使い、石突を振り上げた……のだが。

「いい連携です」

 言葉とともにEDがハンマーを地面と垂直に勢い良く突き立て、その反動で大きくジャンブする。私の槍は空を切り、スキル使用後の硬直が発生してしまう。

 EDは巨体に見合わない身軽さで宙返りをすると、後方で着地。ハンマーを振りかぶりーー。

「ですが、甘い!」

 私たち3人の立つ位置のちょうど中央、誰もいない地面めがけて叩きつけた。

 ……空振り!?

「いえ、副長これは……!」

 軍曹の焦った声が耳に届くとほぼ同時に、大ハンマーが衝撃を生み出した。

 よくよく見れば、その頭には微細な雷光が宿っている。小さな稲妻が私たちの身体に触れた途端。

「うそ……っ?」

 がくん、といった感じで私の身体は自分の意志と関係なく膝をついてしまった。これは……スタン状態だ。

 慌てて視線を走らせると、私以外の2人も同じように地面に手を付けている。

「なんだよ、これは!?」

「……<ナミング・インパクト>。両手槌スキルの効果です」

 悔しげに歯を食いしばる伍長に、EDは悠然と応える。

「安心なさい、そのスタン効果はごく短い時間しか発生しませんから。……そこで、これです」

 ゆっくりした口調とは裏腹に、尋常ではないスピードで装備を換装するED。

 大ハンマーを消したその手に次に握られていたのは、ナイフ。りんごの皮を剥くのにちょうどよさそうな、小さなナイフだった。

 空いているもう片方の手でポーチから液体の入った小瓶を取り出し、中に入っていた透明な液体をナイフの刃に垂らす。

 と、それを無造作に軍曹、続けて伍長の首筋に突き立てた。

「軍曹!伍長!」

 かろうじて動く視線を巡らせ、2人のHPバーを確認する。幸いというべきか、両方共バーは1ドット程度しか減っていない。

 ……なぜあんな無意味な攻撃を?

 疑念が浮かんだが、タイミングよく私のスタン状態が切れる。とにかく今は敵を遠ざけなくては。

 EDめがけて走りだし、体術スキル<台所流し>を発動。飛び膝蹴りをみぞおちに当ててからーー。

「いけねえ、副長!そいつは『麻痺』を狙ってる!」

 インパクトの瞬間、伍長の声が響く。しかし時すでに遅し、私の膝当てとEDの鎖かたびらが火花を散らしていた。

 EDは前身に力を込め、私の攻撃を受け止める。数秒の力比べの後、優先判定が導き出され……システムアシストを失った私は、蹴りの姿勢のまま地面に落下していた。

 押し負けた。そう意識する間もなく、今度は硬直状態にある私の首筋にEDがナイフを突き立てる。

「あ……っ」

「ふふ、足癖の悪いお嬢さんですねェ。まあ、こういうじゃじゃ馬を躾けるのも楽しそうではありますが」

 慌てて自身のHPバーを確認すると、軍曹たち2人と同じようにダメージはさほどの物ではない。しかし……。

 先ほどは焦りのあまり彼らのHPバー残量を見るだけにしてしまったので気付かなかったが、私のバーの周囲は緑に点滅する光に縁取られていた。

 状態異常『麻痺』。数あるSAOの状態異常の中でも、最も危険なものとされるバッドステータス。

 効果はスタンと同じようにアバターの硬直・操作不能。しかし持続時間はその比ではない。毒の強さにもよるが、だいたい5分前後もの行動不能状態に陥るのだ。

「さて、と……」

 わずか数分間に全員が行動不能にされ、地面に伏す私たちをEDは悠然と見回した。その顔には嗜虐的な笑みが浮かんでいる。

 足元に転がっていた私の身体を爪先でごろりと仰向けにし、顔を覗きこんできた。

「いかがでした?ワタクシのスタン・コンボは。……ワタクシはこの瞬間が大好きなんです。戦うことも逃げることもできず、生殺与奪を握られたプレイヤーの皆さんが浮かべる絶望の美しさは、どんな名画にも勝る。特に貴女のような可愛らしい女性のものはねェ」

 言いつつEDは、私の髪を一房手に取り弄ぶ。さらさらと指の間から流れる黒髪は、まるで命の残量を表す砂時計を見ているかのようだ。

「さわる、な……!」

 意思を奮い立たせ、どうにか口にする。しかしEDはそれを全く無視し、髪を弄っていた手を滑らせ指先で私の顔をなぞった。

 額から鼻筋、頬から顎へと。首筋を往復し、引き結んだ唇に触れられた時にはまるでナメクジに這われているかのような不快感があった。

 なんとか指先から逃れようと顔を背けるが、引き剥がすのは不可能だ。

「ン……!」

「ほほほほ……。いい、実にイイ。あなた方に邪魔された時は少々腹が立ちましたが、結果的に釣果が増えたと考えればそれも良しとしましょう」

 私の反応が楽しいのか、EDは執拗に唇をなぞる。人差し指を使い、親指を使い……。伍長が『やめろ!変態坊主!』と叫ぶ声が聞こえるが、馬耳東風といった体だ。

 ツンツンとつつき、わずかな隙間を見つけ口の中まで侵入しようとーー。

 ーー噛みきってやる!

 気持ち悪さに萎縮していたが、いつまでもいいように遊ばれてもいられない。私はEDの指先が唇を割り入り歯に触れた瞬間を狙い、噛み付いた。

「おっと……!」

 しかしEDはとっさに手を引っ込め、私の歯をかわした。空を切り、かちんと噛み合わさる。

「危ない危ない。まあ、あまりワタクシ1人で楽しんでいたらグレゴールに怒られてしまいますからねェ。戯れはこれ位にしておきましょうか」

 呟いてEDは立ち上がり、再度あの大ハンマーを装備する。

 軽い足取りで向かったのは軍曹の元だ。

「麻痺が解ける前に、お務めを果たしておくとしますか。神よ、あなたの忠実な下僕が御元に1つの魂をお返し致します。……ハレルヤあぁッ!」

 恍惚とした表情を浮かべ、大ハンマーを振り下ろす。防御のしようがない軍曹は直撃を受け、HPバーが一気にイエローゾーンを切った。

「ぐわあっ!」

「軍曹ーーーー!!」

 悲鳴混じりに声を上げるが、身体はぴくりとも動かない。EDは私の叫びすらも心地よく感じるのかにたにたと嗤い、しきりに頷いている。

 どうしよう、どうしよう。このままじゃ軍曹がこ……殺されちゃう……。

 手が動かなければポーチから回復アイテムも取り出せない。隊長はまだEDの仲間2人と戦っているだろうし、クロ君たちはここから遠い。

 仮に彼とイルが助けに来てくれても、高レベルプレイヤーのEDの攻撃をかわしつつ私たちを麻痺から回復させるのは難しいだろう。

 あとできることと言えば、麻痺の効果時間切れを待つしかない。なんとか時間を稼がないと……。

「もうやめてッ!どうしてあなた達はこんなことをするの!?」

 先ほどは切り捨てた疑問だが、この際EDの注意が引ければそれでいい。果たして敵は私の声に反応し、こちらを振り向いた。

「ふむ、中尉どのは我々の教義に興味がおありですかな?……よろしい、では説教させて頂きましょう。こちらのお2人も、自分が召される理由くらい知っておきたいでしょうからねェ」

 EDはハンマーを地面に突き立てると、鷹揚に両手を広げる体勢をとった。あたかもそれは、海外ドラマで見る神父のような姿だ。

「……あなた方は先ほどワタクシを破戒僧、と言いましたがそれは違う。ワタクシたちこそが、神の定めた世界の条理を再現する役割を担っているのです。……あなた方は、このSAOでの男女比率をご存知ですかな?」

 SAOでの男女比率。ついさっきも伍長がぼやいていたが、確かにこの世界での男女プレイヤーの比率は著しく偏っている。

 性格な統計が取られたことは無いが、聞くところによると8対2の大差で男性が多いらしい。

 私は口には出さなかったが、EDはそれでも理解したものと解したのだろう、話を続けた。

「そう、圧倒的に男性が多いのです。これは本来あり得ない姿なのです。現実世界を思い出してご覧なさい。どのような国・地域でも自然と男女比は概ね拮抗している。日本においても現在の総人口は1億人近くと減少していますが、その中の男女比は不思議と保たれているのです」

「……何が言いたいんだ、てめぇ。オンゲーなんて昔からそんなもんだろうが」

「ええ、普通のMMOであればそれは自然な姿です。しかし、このSAOは違う。我々が囚われ、もうすでに1年と7ヶ月が経過している。もはやこのSAOはただのゲームではない、独立した1つの世界なのです」

 『これは、ゲームであっても遊びではない』。SAOプログラマーである茅場晶彦が雑誌の取材で語ったという言葉。私はSAOを始めるまでまったく知らなかったけど、この1年半あまりの間接した多くのプレイヤーからその言葉を聞かされた。

 雑誌掲載時はゲームの枠を超えた異世界を体感できるという煽り文句として、そして実際にサービスが開始してからは遊びでは済まされない、命がけのデスゲームに参加させられたことへの揶揄として。

 このEDは、その言葉をさらに捻じ曲げた信条を持っている。つまり『SAOは遊びでも、ゲームですらなく異世界そのものだ』と。

「男女比の著しい不均衡は、いずれ軋轢を生みます。とはいえ今から女性を増やすことなど不可能。であれば……」

「男の方を間引いて数を揃えようってか。……イカれてるぜ」

 現時点でSAOには、およそ6000半ばのプレイヤーが生存している。男女比を当てはめれば男性5200人、女性1300人。この数字を同等にするには3900人もの男性プレイヤーを……。

「あなたには理解が難しいでしょうが、ワタクシの教義に同調してくださる者もいるのですよ。そう、あのラフィーとグレゴールのようにね」

「ご立派な教えだが、あの連中がそんな崇高な使命感で貴様に従っているとも思えんな。むしろ、自らの欲望のために動いているように見えたが。……それと、先ほどの貴様自身もな」

 皮肉交じりに軍曹が言うが、EDは意に介さない。

「ほほほ。それでいいのです。現実の宗教でも、厳格な信徒ばかりではない。自らの欲求と世界のあり方をすり合わせるための道標が宗教であるとワタクシは考えています。持ちつ持たれつなのですよ。彼らはワタクシの教義で大義名分を手に入れ、ワタクシは彼らの助力で大願を成す。それに……」

 ちらりとこちらに視線を向けるED。その目には抑えようのない欲望の光が宿っていた。

「教義とはまた別に、我々の心得は『エンジョイアンドエキサイティング』。目の前に美味しい果実がなっているのに食べない者がありますか」

「……どうやらそれが本音らしいな。人口バランスの調整など後付けの屁理屈にすぎん」

 確かに彼らの『教義』とやらが真実なら、先ほどのようにカップルを狙うより、男性のみで構成されたパーティを狙うほうが効率がいいだろう。

 やはり彼らは『殺人』と『性的行為』を楽しんでいる。それも進んで男女の仲を引き裂くという、歪んだ嗜好によって。

「く……」

 想像したら、思わず涙が出てしまった。愛し合っていたのに、そんな理由で恋人が殺されて。しかもその後……いや、場合によっては殺す前に恋人の目の前で装備を解除させられ、そして。

 ……絶対に許せない。

 私だったら、きっと立ち直れない。もしかしたら、大地の外縁部から飛び出して自殺してしまうかもしれない。

 しかもそれを引き起こした当の本人たちはのうのうと生きて、こうしてまた他のカップルを襲っているのだ。

「……副長」

「ほほ、泣かせるつもりはなかったのですが。怖がらせてしまいましたかねェ。安心なさい、中尉殿。貴女はじっくりと可愛がって差し上げますので」

 早く、早く。麻痺の効果時間切れが待ち遠しい。身体が自由に動かせたら、この男の心臓に槍を突き刺してやれるのに。 

 しかし私の焦燥をあざ笑うかのようにEDは再度ハンマーを手にし、言う。

「さて、それではそろそろよろしいでしょう。麻痺が切れては具合が悪い……お疲れ様でした、軍曹殿。心安らかに……ハレルヤ!」

「だ……ダメーーーーーッ!!」

 振り下ろされる凶刃。叫んでも、どうしようもできない。顔を背け、目を閉じる私の耳にハンマーの打撃音がーー。

 

「むおっ!?」

 がつっ、と鈍い音が響き渡る。しかしそれは、軍曹の鎧が打ち砕かれた音ではない。

 驚いたようなEDの声の後に、耳に馴染んだ張りのある男性の声が聞こえた。

「……私の部下をいたぶるのはそこまでにしてもらおうか、イービルデッド」

「た、隊長……?」

 恐る恐る開いたまぶたの先には、左手の盾でEDのハンマーを受け止める隊長の姿。攻撃は阻止され、軍曹は無事だ。

 突然の闖入者にEDは顔をひきつらせるが、即座にバックステップし距離をとる。

「……ラフィー!グレゴール!」

「すまねえ、エビッさん。そいつ突然走り出したもんだから、追いつけなかった」

 EDの呼び声に応え、近づいて来る男2人。短剣男グレゴールは苦々しい表情を浮かべていた。

 ちょうど麻痺が解けたのだろう、伍長が立ち上がってポーチから回復結晶を取り出し、軍曹の胸に当てる。

 『ヒール!』の一声とともに軍曹のHPバーはイエローゾーンを脱出し、満タンまで回復した。

「軍曹……良かった……」

 安堵感が胸に溢れ、私の目からはまたも雫がこぼれた。

「キサラさん!」

 未だ麻痺の解けない私を、イルが助け起こしてくれる。クロ君もすぐ近くにおり、どうやらあのカップルは安全圏まで退避出来たようだ。

 処方された解毒ポーションの効果で身体の自由を取り戻した私は、即座に唇を軍服の袖口でこすった。まだあの感覚が残っているようで、気持ち悪い。

「どうするの、イービル?アタシもう疲れてきちゃった」

 鞭男ラフィーはしなをつくり、手にした回復ポーションを飲み干した。よく見れば敵のHPバーはイエロー手前まで減少しており、1対2であそこまで追い込んだ隊長の手腕はさすがである。

「……あなたたちがそこまでダメージを受けるとは、さすがに想定外でした。どうやらこの隊長どのもワタクシが思っていた以上の使い手だったようですねェ」

 ふむ、とおとがいに手を当て思案顔を浮かべるED。

 あの恐るべきスタン・コンボも初見でこそなすすべもなく受けてしまったが、次はそうはさせない。

 イルも戦線に復帰したことだし、十分に対処できるはずだ。なにより……この邪悪な〈レッド〉プレイヤーはこの場で捕らえなくてはならない。

「……イービルデッド。私はあなたたちを許すわけにはいきません。本来ならここで被害者に懺悔させた上で処刑したいところですが、軍人である以上それは許されません。まずは黒鉄宮まで連行させて……」

 槍を突きつけ睨みつける私の言葉

を、敵は嘲笑で遮った。

「ほほほほほほ……。勇ましいことです。しかしご冗談を、ワタクシは神職ですよ。告解を受けるのはこちらの方です」

 じりじりと後ずさるED。

 逃亡の気配を感じた私が切り込もうと腰を落とした瞬間、EDはポーチから何かをつかみ出し、地面にたたきつけた。

 一瞬の炸裂音とともに辺りにもうもうと煙が立ち込め、周囲の視界を阻害する。

「煙幕……!?」

「中尉、私の後ろに下がれ!」

 この隙に攻撃をしかけるつもりかと考えたらしい隊長が私の腕を引くが、それは杞憂に終わる。

 煙を通した向こうからEDのばか丁寧な、しかし人を小馬鹿にしたような声が聞こえてきたのだ。

「……ひとまず、この場は退くとしましょう。祭事が失敗したのは残念ですが、楽しませて頂きました。中尉どの、先ほどの続きを受けたくなったらいつでも歓迎いたしますよ。……それではごきげんよう、<アインクラッド解放軍>第104小隊の皆さん」

 誰が!と叫びたい心境だったがなんとなくこの煙を吸いたくなくて、私は顔を服の袖に埋めていた。

 しばらく煙幕は残ったが、効果時間が切れたのか数十秒後には跡形もなく消え去る。そこには宣言通りすでにEDの姿はなく、緑で覆われた草原が広がっているだけだった。




EDは書いてて楽しいですが、「あれ、これってフ○ーザ様っぽくね?」と思ってしまいました。あの方よりよっぽどゲスですが。

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