2024年6月 第1層 はじまりの街 黒鉄宮<アインクラッド解放軍>司令部
「キサラさん、どうでしたか?」
小隊の執務室で書き物をしていた私に、イルがにこやかに話しかけてきた。
今、この部屋には私とイル、それに隊長の3人しかいない。残りの男性衆は一足先に昼食に向かっていた。
「どうって……なにがですか?」
「お弁当ですよ、お・べ・ん・と・う!」
質問の意味が分からず首を傾げた私に、イルは両手を合わせて興味津々といった顔で言う。
その一言で、先日のホットサンドの件だと気づいた。
「あ、あれですか。……ええ、イルのおかげで上手くいきました」
「彼氏さん、美味しいって?」
「はい、とても喜んでくれました。……でもイル、先生は私の恋人では」
苦笑とともに発した後半の言葉は、イルには届いていなかった。
染めた頬に両手を当て『きゃー、大成功!』などとはしゃいでいる。
「あの、イル?聞いてます?」
「キサラさん、やっぱり『男は胃袋でつかめ』ですよ!ウチの母もそう言ってたし」
机越しに身を乗り出してくるイル。力説する彼女の勢いに押され、私は上半身を反らした。
どうどう、といなす仕草をしつつ隊長の方をちらりと見やる。
隊長はこちらの騒ぎなど聞こえていないかのように、黙々とペンを走らせていた。
特に聞かれてまずい話題ではないのだけれど、あまりうるさくするのも悪いだろう。
私はイルのテンションを下げるために、こちらから切り出すことにした。
「ね、ねえイル。私の方はともかく、あなたはどうなの?」
「私ですか?」
「そうそう。最近あなた、クロ君とギン君とでよく一緒に行動しているでしょう?」
104小隊の最年少コンビであるイルとギン君のペアは、近頃では2人に教会のギン君を加えたトリオが常態となっている。
教会の責任者サーシャ先生の方針もあり戦闘行為は自粛しているものの、街なかで受けられるモノ探し系のクエストを中心に活動しているようだ。
もっぱらギン君の方から声がかかり、イルも基本的に断ることはない。クロ君はイルが承諾した時だけ、しぶしぶといった感じで付き合っている。
小隊の誰から見ても男子2人がイルに気があるのは明らかなので、この頃は伍長のからかいがクロ君に向けられがちだ。
私としてはありがたさ半分、兄にかまってもらえない妹気分の寂しさ半分といったところである。
「あー、あいつらですか。……ダメですね」
「だ、だめって」
スッとテンションを下げたイルの顔には、疲れとも諦めともつかない表情が浮かんでいる。
「まるっきり子供なんですもん。どっちの足が早いかだとか、クエストアイテムをどっちが見つけられるかとか。意味なく張り合ってばっかり。なんでああなんですかねー、男子って」
「そうですか……」
周囲からすれば明らかな好意も、肝心の当人には届いていないらしい。
たぶんイルの心境としては手のかかる弟とその悪友、位にしか見えていないのかもしれない。
「私としては、もっと包容力のある大人の男の人がいいです。……そういう意味じゃ、伍長もダメですね。体は大人、頭脳は子供って感じです」
「辛口ですね」
「それと……」
声を潜め、こっそり耳打ちする姿勢をとるイル。私も今度は身を乗り出し、耳をそばだてる。
「……隊長もアウトですね。ルックスはいいし、態度も大人なんですけど。……なんというか、たまに何考えてるか分かんないです」
「あはは……」
イルにかかれば、我が104小隊の男性陣は全て対象外になってしまうようだ。
かくいう私も、彼女に近い理由で彼らをそういった目では見られないのだけれど。
「まあ、あとは軍曹なんですけど。あの人はどちらかというと……」
「……お父さん?」
「って感じですよねー」
あはははははっ、とお互いに笑ってしまう。
小隊最年長である軍曹はクロ君や伍長には厳しいものの、私やイルに対しては柔らかな物腰で接してくれる。
時々、失敗したり心配させると叱られたり小言を言われたりするが、それも含めて『ガンコなお父さん』なイメージだ。
私の現実での父は家庭内では私や母に甘いところがあるので、軍曹の『お父さん』ぶりにはまた別の親しみを感じるのだ。
「……っとと」
思わず大きな声で笑っていたことに今さらながら気付き、慌てて口を押さえる。
イルもはっとすると笑いを止め、隊長の方を窺った。
「……ふむ、午前はこんなものか。……ん、どうしたのだ?2人してこちらを見て」
「い、いえ」
さすがは鋼の心の隊長である。私達の馬鹿笑いなど最初から意識の外だったらしい。
隊長はペンを机に置き大きく伸びをすると、時計を確認した。
「さて、そろそろ昼食にしようか」
「はい。あの、隊長」
席を立ち、食堂に向かおうとする隊長を呼び止めた。
「なにか?中尉」
「……あの、私も今日は士官食堂で食べたいのですが」
意を決して言葉にする。私は以前から隊長に『士官は士官食堂で食事し、交流を持つべし』と諭されていたのだが、なにかと理由をつけて逃げていたのだ。
軍曹たちやイルが利用する兵員食堂に行けば彼女の作る美味しい食事が食べられるし、他部隊の士官との交流というのも気が進まない。
どうせクエストや戦闘は104小隊の仲間だけでするのだから、顔も知らない相手と食べても美味しくは無いだろう。情報交換という側面も、隊長が代行してくれる。
今まではそう考えていたのだが、先日の中佐ーージーゼルさん達との出会いによってそれは改められた。
他部隊の士官にも、強くて魅力的な人物がいる。
その事実を知ったことは私の足を士官食堂に向かわせるのに十分な理由だった。
「……だめ、でしょうか?」
沈黙していた隊長の顔を恐る恐る見上げ、尋ねる。
隊長からすれば今まで散々命じても応じなかった私が急に従うことに、当惑を覚えても仕方がない。
「……いや、問題ない。嬉しいよ中尉、ようやく一緒に来てくれる気になったようだね」
最初はぽかんとしていた隊長だったが、笑顔でそう言うと私をエスコートするかのように先導し始めてくれた。
「じゃあイル、また後で」
「はい」
兵員食堂に向かおうとするイルに手を振ると、私は隊長に続いた。
「……落ち着きませんね、これ」
「すぐに慣れるさ」
食堂に入り、席に着いた私はそわそわしていた。
士官食堂はセルフサービス形式の兵員食堂と違い、席まで給仕の隊員が料理を運んできてくれる。
後片付けも全て彼らがしてくれるので、私達としてはただ食べるだけでいい。……のだが。
「なんだか、悪い気がします。それくらい自分で出来るのに」
「慎み深いな、中尉は。……では、レストランに食事に来たとでも考えればいいのではないかな」
隊長はさすがに慣れた態度だ。見渡せば、他の士官プレイヤーも当たり前のように構えておりきょろきょろしているのは私だけである。
「しかし、今日は少々配食の手際が悪いのではないか?ウィンスレー大尉」
「これは、コーバッツ少佐」
不意に上座に座る士官が話しかけてきた。面識は無いが、とりあえず目礼する。
「私が思うに、今日の給仕係は新人の割合が高いのではないでしょうか。先日入隊した隊員が数名、調理に回されたと聞いておりますが」
「それにしても、我々実働部隊の者が腹を空かして来るのは分かっているのだから、対処のしようはあるだろう。奴らも軍の一員として恩恵を受けているのだから、その分の義務は果たしてもらいたいものだな」
コーバッツ少佐、と呼ばれた男性士官は顔をしかめた。椅子に座っていても分かるくらいの長身である。年齢としては30代といったところだろうか。
「ははは、少佐は手厳しいですな」
「……む。空腹で少々気が立っていたのかもしれぬ、すまんな。それより……」
コーバッツ少佐は私に視線を送ると、隊長に問うた。
「こちらのお嬢さんはきみの部下かね?あまり見ない顔だが」
「は。……中尉、ご挨拶を」
急に指名された私は戸惑ったが、背筋を伸ばして自己紹介をした。
名前と階級、104小隊で大尉の副官を務めていること。またついでに、士官食堂は久々に来るので勝手が分からない事、等々である。
「ふむ。大尉の説得でついにデビューといったところか。それは重畳」
「恐れいります」
「よ、よろしくお願いします」
頭を下げる隊長に続き、私はぎこちなく笑顔を浮かべる。
他部隊の士官、しかも隊長より上の少佐が相手となれば緊張するなというほうが無理な話だ。
しかも聞けば、コーバッツ少佐は第04小隊の隊長を務めているという。雲上人の最精鋭『ヒトケタ』である。
あれ、でもジーゼルさんは中佐だけど確か……。
「なんにせよ、軍に女性士官が増えるのはいいことだ。食堂が華やかになるし、いい広告塔にもなる」
そこまで思考したが、コーバッツ少佐の声で途切れてしまった。
……というか、何?今の言い方だとまるで軍の女性プレイヤーは飾り物、みたいに聞こえるんですけど。
「少佐。お言葉ですが、彼女は実務面でも有能です。先日の『大蛇クエスト』の攻略法も彼女が発見したのですよ」
私の気持ちを代弁してくれるかのような隊長の言葉に、コーバッツ少佐は鼻白んだ様子を見せた。
「……そうか、それは失礼した。……お、ようやく料理が来た。待ちかねたぞ」
その言葉に会話は打ち切られ、私達は昼食を開始した。
緊張感からか、ろくに味も感じられない食事を終える。
開いた皿の代わりに出されたのは食後のコーヒーだ。私としてはお茶のほうが好みなのだけれど、無用なわがままは口にしないことにした。
コーバッツ少佐はそれには手を付けないまま、さっさと食堂を出て行ってしまった。
04小隊のレベリングがあり、午後は忙しいのだという。
「……なんだか私、こっちの空気が肌に合いません」
周りの士官も三々五々と食堂を後にし、隊長とほとんど2人きりの状態になってから私は小声で切り出した。
<聞き耳>スキル持ちのプレイヤーでもいない限り、誰かに聞かれることはないだろう。
私の言葉に隊長は肩をすくめ、やれやれといった調子で言った。
「……今回は運がなかったな。あのコーバッツ少佐は、軍内部でも生粋のタカ派として知られているんだ」
「軍の士官って、あんな人ばっかりなんですか?……階級差があると言ったって、突き詰めればただのレベル差じゃないですか。あんな、仕えられて当然みたいな……」
「ふふ、置物扱いされたことを根に持っているようだな。まあ、あの少佐も悪気があって言ったのではないよ。現に士官クラスの女性プレイヤーは少ないからな、彼も少々舞い上がっていたのだろう」
あくまで落ち着いたもの言いをする隊長に、私のボルテージも冷却されていく。
たしかに、ただでさえ少ないのがSAOの女性プレイヤー。その中で軍に所属しており、さらに士官以上のレベルを維持しているのは限られた人数に過ぎない。
イルや私の同期の曹長も、分類すると兵卒と下士官だ。
軍内部で最も有名な女性プレイヤーはシンカー司令の副官を務めるユリエールさんという人物だが、彼女のように登りつめる人は稀だろう。
「……だが、きみの憤りももっともだな。現在の軍上層部には、ああして他者を見下す風潮があるのは確かだ」
「どうにか出来ないんですか?」
「アインクラッドで最大勢力をほこる解放軍に、正面から組織批判できる者はいない。攻略組が連合して言ってくれるなら話は別だが、そんなことをすれば両者は全面衝突だ。……可能性があるとすれば、私やきみが登極し上から組織を変えるしかないな」
隊長の言葉に、暗澹たる気分になってしまう。いまだ中尉の身分でしかない私に出来ることではない。
もし出来る人物がいるとすれば、現時点ですでに佐官以上の位にあり行動力と発言力を有する人間だろう。例えば、あのーー。
「おお、キサラじゃないか!お前さんもメシか?」
ライオンのたてがみのような金髪をなびかせ、さっそうと食堂内を近づいてくるのは<アインクラッド解放軍>第08小隊隊長、ジーゼル中佐だった。
「ゼルさ……中佐!?なぜここに」
「おいおい、キサラよ。約束を忘れちまったのか?オレとお前さんはハイドクラブのダチじゃないか」
目の前まで来たジーゼルさんに対し、私と隊長は立ち上がって敬礼する。
彼はぞんざいな返礼をすると、私の横の席にどかっと腰を下ろした。
「……中佐。私の副官と面識がおありで?」
「ん?おお、大尉。そうさ、つい先日旅行先でちょっとな」
私達も座り直した。隊長はジーゼルさんの斜め向かいに位置している。
その表情はなんだか、先ほどのコーバッツ少佐を相手にしていた時より曇っているように見えた。
「先ほどの質問だが、ただ昼飯を食いに来ただけだ。オレもこう見えて一応士官だからな。そこでたまたまお前さん達がいたというわけだ」
「な、なるほど」
今度は待たせずに届けられた昼食をむしゃむしゃと頬張りながら、ジーゼルさんは隊長に私達のことを話した。
08小隊の慰安旅行中、偶然居合わせた先生と私のパーティ。
そこであったハプニングと決闘。それこそ微に入り細を穿つ説明をしてくれた。
……ていうか先生あなたの説明だとだいぶ端折られていた部分が事細かに分かりましたよなんですか前も洗うって前もってことはつまりあの部分も洗ってもらったってことですよねそもそもなんで断らないんですか勢いとか流れとかそんな言い訳が通じると思ってるんですかそこのところ小一時間ほど問い詰めーー。
「……サラ。おい、キサラ?」
「は、はいっ!?」
どうやらぼーっとしていたらしい。
目の前で手を振るジーゼルさんの声でようやく私は意識を取り戻した。
「大丈夫か?なにやら顔が赤いが」
「い、いえ。何でもないです。……それで、何を話してましたっけ」
「あの後ハイドとどこまで行ったのかって話だ」
「ど、どこまでって。……まだ手もつないでないですけど」
「は?」
ぽかんとした表情のジーゼルさんと隊長。
……いけない、私はいったい何を口走っているんだ。
「いいえ。……あの、無事にクエストを達成できました」
<少年の天命>クエストの概略と、昔話をヒントにしたその解決法。
天のロウソクならぬ、空のランプを先生の機転でクリアできたことを話した。
「……そうか。いや、さすがはオレの認めた男だなハイドは」
「ええ、実は、以前の『大蛇クエスト』も先生の発想で突破出来たんです」
上層部に上げた報告書では、先生の意見で攻略法を見つけたのは私単独ということになっている。
私は先生の功績を皆に認めてもらいたかったのだけど、彼は丁重にそれを辞退したのだ。
「ふむ。つくづく、不思議な男だな。あの観察眼と見識はなかなかのものだが。……ヤツの所属しているギルドタグも見覚えのないものだったし、謎の多いことだ」
しきりに頷きながらも、首をひねるジーゼルさん。
確かに、私も先生の所属するギルド<警務庁救命係>と<バウンティハンター>についてはその名前を聞かされただけで、具体的な活動内容や構成員については知らない。
今までさして興味も沸かなかったが、今度聞いてみようか。
いつの間にかジーゼルさんは食事を終え、両手を合わせていた。
「ごちそうさま、と。……それじゃあ、そろそろオレは行くとするか。キサラよ、今度暇な時にでも<体術>スキルのレクチャーを頼むぞ」
「あの話、本気だったんですか」
正直、あのスキルの習得方法についてはあまり思い出したくない。
<体術>スキルの会得には大変な根気と労力が要り、しかも会得するまでの間とても人前に出られない姿にされてしまうのだ。
……でもまあ、ジーゼルさんなら半日もかからないで会得クエストもクリア出来そうだけど。
彼の整った顔に墨が塗りたくられるところを想像するが、それはそれでサマになっていそうである。
私達は席を立つジーゼルさんを見送るため立ち上がって敬礼しようとするが、彼はそれを制すると自分で使った食器を洗い場に持っていった。
「ごっそーさん!」
給仕係の隊員が目を白黒させるが、それにも構わずのっしのっしと食堂を出て行ってしまった。
「……はあ。なんというか、やっぱり型破りな方ですね」
ジーゼルさんが去った後、行儀が悪いとは思いながらも私はテーブル上に突っ伏した。
あの人と話すのは先ほどのコーバッツ少佐を相手にするよりもずっと気楽なのだけど、いらぬ情報を与えられた脳が処理に困って熱暴走してしまった感じだ。
そう言えば、さっき隊長はジーゼルさんが来た時になぜか渋い顔をしていたような気がする。
そっと顔を上げ、隊長の様子を窺ってみると。
「……愚連隊長、ジーゼル中佐か」
「愚連隊?」
再び曇った表情とともにつぶやかれたその言葉は、今まで耳にしたことのないものだった。
「彼の率いる第08小隊のことだ。たった3人という少人数ながら、その実力は全小隊の中でも1,2を争う。……にも関わらず、彼らは軍の方針に積極的に従おうとしない。そのために付けられたアダ名だ」
「3人だけで!?」
「まあ、直接中佐と剣を交えたきみのほうがその実力は分かっていると思うが」
やや冷ややかな視線を送られ、思わず頭をかいてしまう。
……でも、それならば。
あの破天荒なジーゼル中佐が軍のトップに立てば、組織は変えられるかもしれない。実力もカリスマ性も文句のない人物のはずだ。
そう考えていた私を、隊長の一言が否定した。
「もっとも、いくら実力があろうとも本人に出世する気が……いや、もしかしたら軍に対する思い入れすらないのだからどうしようもない。仮に軍が分裂するようなことがあったとしても、あの男は高みの見物を決め込むだろうな」
「確かに、言われてみれば……そんな感じですねぇ」
自由奔放で、強くて、不思議とこちらに壁を作らせないあけっぴろげな性格。ルックスも申し分ない。
それでも彼の力と魅力、興味は自分とあの2人のためだけのものだという気がする。
軍にいるのもただの気まぐれなんじゃないだろうか。<天境線>なんてギルドも作っているし。
そういう点が隊長はあまり好かないのかもしれない。実直な隊長は、軍人は軍の命令こそ至上と考えている節がある。
「ところで……」
「はい?」
問われて、上体を起こした。
隊長の目には真剣な光が宿っている。
「きみのその、先生……ハイド氏のことなのだが。なにか思うところはないかね?」
「なにか……って、なんです?」
どこか剣呑な隊長の雰囲気は、犯罪者ーー<オレンジ>プレイヤーを追い詰めるときのそれと似ていた。きみには悪いが、と前置きして言う。
「私には、ハイド氏がなにか目的を持ってきみに近づいているのではないかと思えてしまうのだ。……別ギルドに所属しながら、無償で軍人のきみを手伝う。それだけでも不可解だが、さらに行く先々で攻略組や軍の上位者と『偶然』出会う……」
「……なにが言いたいんですか」
偶然、という辺りに強いアクセントを置いた話し方に、私もつい刺のある雰囲気で返してしまう。
なんだろう、胸の辺りがもやもやする。隊長は何を言いたいのか?
しかし隊長は私の刺すような視線をさらりと受け流し、肩をすくめた。
「……いや、すまない。言葉が過ぎたようだ。元来、疑り深い性格でね。……かわいい部下を取られてしまうのではないかと心配なんだ」
「ええ?」
なかば喧嘩腰でいた私は、率直な謝罪の言葉に肩透かしをくらった形だ。
それにしても、取られる……というのはどういうことだろうか。私の疑問に気づいたのか、隊長は口をひらいた。
「つまりそう、例えば……他ギルドのヘッドハンターだとか。きみとハイド氏がSAO開始当初からの知り合いだというのは以前聞いた。……彼はどこかで、自分が蒔いた種であるきみが有能なプレイヤーに育っていたことを知ったとする」
「はあ」
「そこでハイド氏はきみを連れ回し実力を測るとともに、各地で有力な攻略組プレイヤーに声をかけスカウト活動に勤しんでいる……なんて説はどうかな」
私自分が有能かどうかはさておき、隊長の推論にはちょっとした説得力がある。
それならば私にギルドの事を話さないのも納得がいく。まずは様子を見て、もし軍に不満があるようなら身分を明かし移籍話を持ちかけるつもりなのだろう。しかし……。
「それはありませんよ、隊長」
思わず緊張が解けた笑顔で言った。
「だって最初に冒険をしたいと持ちかけたのは、私の方からなんですから……」
軍の外から世界を見たいと言った私に対して、先生はあくまでも軍務を優先し、空いた時間だけ同行を許可すると言った。
もし本当に私のヘッドハンティングが目的なら、むしろ軍務を後回しにさせていただろう。
「……そうだったのか。きみの方から声を」
顔の前で手を組み、俯いた隊長の表情は窺えない。
私は訝しく思ったが、次の隊長の言葉でそれも吹き飛んだ。
「となると、スカウトではなくきみの心が目的なのかな?……少なくとも、手料理を振る舞われる程度には成功しているようだし、な」
「はあっ!?」
素っ頓狂な声を上げてしまう。
食堂に残っていた何人かの士官がこちらを見るが、それに構う余裕もない。
「たたた隊長、聞いてたんですか!?」
執務室でイルと話していたことは、隊長の耳にしっかり届いていたのだ。ただ顔に出さなかっただけで。
よく見れば組まれた手の隙間から見える隊長の口角は、やや上がっている。
……笑っている、のだろうか?
「でで、ですからあれは私に付き合ってもらっているお礼としての意味しかなくてですね!……聞いてますか!?」
おそらくまた、私の顔は真っ赤になっているだろう。
必死に弁解する私と、それを聞いているのかいないのか……イル曰く『何考えてるか分かんない』隊長の姿は、昼休みの終了時間ぎりぎりまで士官食堂にあったのだった。