セッタ少年の村から主街区へ続く街道。
陽はとっぷり暮れ、辺りにはシステムの光源に補助された薄暗い景色が広がっている。
「ホンット、失礼しちゃう!」
「まあまあ、キサラ……。子供のすることですし」
「……先生、いやにセッタ君の肩を持つじゃないですか。いくら子供だからって、悪意があったらセクハラですよ、セクハラ!」
「そ、そんなに睨まなくても」
「……まあ、それだけ元気になってくれた、とも言えるんですけどね」
「そうそう、男の子はあれくらいやんちゃでないと。子供でも、ただ素直にはなれないだけで、女の子には興味があるんですよ」
「先生みたいに、ですか」
うっ、と言葉を詰まらせるハイド。
キサラは少しの間目をつり上げていたが、やがて短いため息をついた。
「……ふう。……男の方ですものね、仕方ないです」
「へえ、きみは理解がいいじゃないですか」
「……私、リアルにいた頃おとう……父の部屋をよく掃除してたんですけど」
「今時珍しい娘さんだなぁ」
「もう、茶化さないで下さいよ。……それで、ある時ベッドの下の掃除機をかけてたんです」
「まさか……」
「……はい、そのまさかです。その、女性のグラビア誌というか、そういったものがゴロゴロと」
「あっちゃあ……中学生レベルの隠し場所ですよ、それは」
「幸い、というかは分かりませんが……危ない嗜好ではなかったんですけどね。そのままにしておくのもなんだかシャクだったので、とりあえず机の上に並べて置きました」
「お母さんですか、あなたは」
「え?」
「いや……、それでどうなりました?」
「しばらくの間、父が母に対して優しくなったというか……。いえ、どちらかといえばあれは怯えてたような」
「ご愁傷様です」
今は遥か遠い場所にいる、キサラの父に向かって手を合わせるハイド。
「少し経ってから、今度は父が私にも優しくなって。ちょうどいい機会だったので、携帯を新しいのに替えてもらいました」
「きみはなかなかの策士ですね……」
「ね、狙ってやった訳じゃないですよ!……ただ」
「ただ?」
「買い替えて貰ったのって、SAOを始める1週間前だったんです。あの時は最新機種だったけど、今じゃ型遅れなんだろうなぁ」
肩を落とし、空を見上げるキサラ。
ハイドはそんな彼女を直視せず、視線を逸らしたまま呟いた。
「……話したい、ですか」
「え?」
「もし、その携帯が今手元にあったとしたら。……お父さんやお母さんと話したいですか?」
「うーん、そうですね……。いえ、それは止めておきます」
「ほう。それはなぜ?」
「今、ここで現実の家族と話しちゃうとこっちでの生活が薄くなるというか……。緊張感が無くなってしまうと思うんです」
「ふむ」
「それに、今は私にとっては104小隊の皆が家族みたいなものですから。ゲームクリアまでは、連絡しないと思います」
「そうですか」
満足したように笑顔で頷くハイド。
キサラはそんなハイドに小首を傾げている。
しばしの沈黙。
「……ねえ、先生」
「はい?」
「私、今回の冒険では、先生に嫌なところを沢山見せてしまいました」
「そうでしたか?」
「はい。……私、自分があんなに嫉妬深いというか、頑固だってこと知りませんでした」
「頑固、というのはともかく。嫉妬深い?」
「あ!ああ、いえ!そっちは違います」
「?」
「ンン。……とにかく、私が気になっているのはこれで先生に嫌われてないかってことです。先生の前では、なるべくいい子でいたかったのに」
「ははは、そんなことですか」
「そんなことって」
「別に僕はそれでキサラの印象が悪くなったりはしませんよ。長く付き合っていけば、色々な面が見えてくるものです。……人も、組織もね。僕はキサラの新しい一面を見られて、むしろ得した気分ですよ」
「……そう、ですか。良かった。私も先生の意外な……」
言葉を切るキサラ。ハイドは訝しげに顔を窺う。
「キサラ?」
「そうですよ。先生って意外とちゃらんぽらんな……。いえ、意外でもないか。最初に私に話しかけてきた時もナンパみたいだったし」
「き、キサラさん?」
「カレンと一緒にお風呂入ったりなんかして。やっぱり男性なんですよねぇ、先生も」
「なぜそこに繋がりますかね!?だ、だからあの時は事故で……ゼルもいましたし!だいたい、さっきお父上のことでも仕方ないと……」
白い目を向けてくるキサラに対し、必死に弁解するハイド。
その様子が面白かったのか、またも吹き出すキサラ。
「あははは、そんなにムキにならなくても。……でも、さっきの先生の言葉じゃないですけど、同じ解放軍にも色々な人がいたんですね」
「え、ええ。僕もゼルのような破天荒な人間が軍にいるとは想像もしませんでしたよ」
「私、今回の冒険でたくさん貴重な経験をさせてもらいました。先生といると、軍にいただけじゃ知らなかったことがどんどん分かるようになる気がするんです」
「そうですか、それは良かった。……そうだ、ゼルといえば」
「?」
「僕も分かりましたよ、キサラの『宿題』」
「あー。<矛盾>のことですね」
「ええ。……あれはキサラの武器が槍、つまり矛ということですね。僕の盾と合わせて矛盾、と」
どうだ、とばかりに解説するハイドに満面の笑みで頷くキサラ。
「正解です。……私、あの故事を知ったとき思ったんです。『それじゃあ、その矛と盾を両方持ったら無敵じゃない?』って」
「男の子みたいな発想ですねぇ。まあ確かに無敵とは行かないまでも、あのゼルの剣を折ることには成功したわけですし」
「でしょ?私、先生のスキル名を聞いたときからずっと思ってたんです。すごくいい組み合わせだなって」
「パートナーとして認めてもらえて、僕も嬉しいですよ。……そういえば、君の方の『宿題』はどうなりましたか?スキルに関する事だと思いましたが」
「う。……やぶ蛇だったか」
首を傾げるハイド。
渋い顔をするキサラだったが、やがて意を決したようにストレージから小箱を取り出す。
「それは?」
「……お弁当です。本当は昨日の内にお渡しするつもりだったんですけど。昼は忙しかったし、夜はあんなことになってしまって……」
「これを、僕に?」
「はい。料理アイテムは耐久値が低いので、すぐにストレージにしまって下さい。……どうぞ」
「……ありがとう。いや、せっかくなのでここで頂きましょうか」
「こ、ここで!?その、心の準備が」
「キサラも言ったじゃないですか。耐久値が低いって。それなら美味しいうちに頂くのが吉でしょう」
「い、いえ。そうは言ってもストレージに入れておけば耐久値は減らないですし、SAOでは料理が冷めたりは……。あ、ああ」
ごにょごにょと呟くキサラを無視し、弁当箱を開けるハイド。
中にはこんがりと焼き目の付いたホットサンドが収まっている。
「おお、これは美味しそうです。では、失礼して」
手を合わせたハイドは、さっそく一切れほおばった。
「……ど、どうですか」
「……。うん、これは美味い!」
「本当ですか?はぁ、良かったぁ……」
「料理をするのは得意ではないんですか?」
「はい。前にも言ったかと思うんですけど、私のスキルビルドってほとんど戦闘用なんです。これもイルに教えてもらってようやく……って感じですね」
「しかし、いいのですか?貴重なスキルスロットを非戦闘用のものに充てて」
「先生にはいつもお世話になっていますから、お礼も兼ねて。それに、先生っていつも食べ物目当てでクエストに行くじゃないですか」
「いや、別にいつもと言うわけでは……」
「うそ。この前はカエルの雑炊で、今日は温泉卵でしょう。……はじまりの街で会った時もパンが堅いって言ってたし」
「たはは、見破られてましたか」
「もちろんです。……だから、私に付き合ってもらうからには何か用意したいなって、そう思ったんです」
「お心遣い、感謝します」
最後の一切れを飲み込むハイド。キサラはそれを嬉しそうに眺めている。
「……ごちそうさまでした。これは次回の冒険が楽しみですねぇ」
「もう、あんまりプレッシャーかけないで下さいよ。まだ覚えたてなんですから」
「いえいえ、この出来栄えなら毎日でも食べたいくらいですよ」
「嬉しいな。そう言ってもらえると、やりがいもありますよ。やっぱり誰かのために作る料理って、楽しいですし」
「……立ち入ったことを聞きますが、キサラはリアルでも?」
「はい。母の方針で、週に何日かは包丁を握ってました。SAOでは勝手が違うので、なかなか手こずりましたが」
「なるほど、この完成度も納得ですね」
「おだてても、何もでませんよ?」
「まさか。真意です」
顔を見合わせ、笑い合う2人。
次第に主街区の灯りが見えてくる。
「……お、そろそろ着きそうですね」
「本当だ。……はぁ、今日は疲れたなー」
「色々ありましたからね。ゼルとの決闘に、ランプ探しに……」
「それとセッタ君のことも!ああもう、思い出したらまたムカムカしてきちゃった」
「ま、まあまあ穏便に。……そういえば、キサラはあまりスカートを履かないのですね。……なんですか、その責めるような目は」
「私服のときは着てますよ!先生覚えてないんですか?前に<至誠堂>に行ったとき……」
「あ、ああ!そう言われれば!いや、覚えてますよモチロン。だから、『あまり』と言ったんです」
「どーだか」
「や、やはり軍の制服で決められているのですか?たとえばあの、KoBなんかは……」
「そーですねー。<閃光>さんは可愛いミニスカートがお似合いだってよく聞きますからねー」
「うぐ……こんどはこちらがやぶ蛇か」
「やっぱり先生はちゃらんぽらんです」
「申し訳ない……」
クスリと笑い、自らのズボンの裾をつまむキサラ。
「一応、軍の制服としてはこれとスカートも用意されてはいます。どちらかを選ぶかは自由なんですけど」
「では、なぜキサラはそちらを?見る方としてはやはり……いえ」
「はあ、伍長と同じこと言ってる。……まあ実際、男性隊員からはスカートの方が人気があると耳にするんですけどね。私の場合……」
「なにか問題が?」
「動きにくいし、その……見えちゃうじゃないですか。<体術>を使ったときに」
「なにが……って、ああ!パ……」
「じ、ジロジロ見ないで下さいよ!……ンン。とにかく、そういう訳です」
「重ね重ね申し訳ない」
「まったくもう、デリカシー無いんだから。……なので、同じ小隊でもイルはスカートだったりするんです」
「キサラの料理の先生ですね」
「はい。そうそう、あの子最近モテモテなんですよ。この前街の教会に住む男の子をフィールドで助けたことがあって。それから……」
ハイドに助言されたとおり、『自分が出来ること』を実践したと話すキサラ。
嬉しそうに説明する彼女を見るハイドは、話題が変わったことに胸をなで下ろしていた。
主街区のゲートはもう目と鼻の先である。