こちら、アインクラッド解放軍第104小隊   作:ハイランド

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01不審者

 2022年11月。ネットゲーム界、いや日本中を揺るがす事件が起きた。

 次世代VRMMORPGソードアート・オンラインのリリースと、それによる1万人もの意識不明者が発生する事態ーー通称<SAO事件>である。

 

 この事件は様々な波紋をもたらした。

 ゲームに囚われたプレイヤーの家族は嘆き悲しみ、警察を始めとした捜査機関や各研究機関は彼らの救出方法を模索し、政治の舞台ではVR技術規制の是非まで持ち上がった。

 だが、大多数の国民はこの事件の当事者ではなかったので、囚われた1万人の『ゲームオタク』に同情しつつも、自業自得であるとし1年も経たずにニュースの最注目の座を他に譲った。

 報道の頻度も下がり、熱心に続報を追いかける者も徐々に減っていった。ーー一部の層を除いて。

 誰あろう、この『祭り』に参加できなかった熱狂的なネットゲーマーたちである。

 生命の危険があるとはいえ、外から見れば実感など湧くはずもない。

 彼らの目には、現実のしがらみのないファンタジー世界で剣をふるい生きる1万人こそ理想の生き方であると映ったのである。

 よって彼らは、どこからか最新のアインクラッド攻略情報を仕入れ、共有していた。

 それによれば2024年4月現在、最前線は61層。

 ゲーム開始から1年半近くが経過していた。

 

 第1層 はじまりの街 黒鉄宮<アインクラッド解放軍>司令部

 

「副長、準備が整いました」

 そう声をかけてきたのは、部下の一人である大柄な男性プレイヤーだ。

 濃緑色の制服に黒鉄のプレートアーマーを身につけている。

「ありがとうございます。……隊長は?」

「指揮は副長にお任せする、と」

「わかりました。では、門の前に集合しておいてください。すぐに私も向かいますので」

「はっ」

 踵をカッ、と合わせ敬礼しつつ部屋を出て行く男性。

 階級的には軍曹である彼は、一つ一つの仕草がとても様になっている。

 少尉である私よりも、もしかしたら軍人らしいかもしれない。

「見回りは<圏内>だとはいえ……一応は武装しておかないとね」

 つぶやいて、右手の人差し指と中指をそろえて下に振る。

 鈴の音色とともに、紫色半透明のウインドウが現れた。

 右の装備フィギュアに軍の制式装備である黒鉄色の軽鎧と、主武装である槍をドラッグする。

 一瞬の光に包まれた後、私の姿は<アインクラッド解放軍>の戦闘服装に変わっていた。

「今さら、夜に出歩く人もいないと思うんだけどなぁ」

 軍の施策である夜間外出禁止令が始まってから、すでに2週間以上が過ぎている。

 この時間、ふらふらと街を歩いているのはNPCか何も知らない上層からの旅行者くらいのものだ。

 私達に見つかるような不運なひとが現れないことを祈りながら、私は軍曹達の待つ場所へ向かった。

 

「……やはり、人っ子一人歩いておりませんな」

「そうですね……」

 鎧をガチャガチャと鳴らしながらはじまりの街を歩く私達5人の周りには、NPCと動的オブジェクトとして設定されている野良犬・猫の他には誰も居ない。

 時刻は2000、つまり午後8時。

 以前ならアインクラッド最大の人口を抱える都市として、この時間帯は食事に向かう多くのプレイヤーで賑わっていたのだけど。

「こうやって毎日毎日、オレたち軍の人間がカツアゲじみた真似してりゃあ、だーれも寄り付かなくなりますって」

 茶化した口調で言うのは最後尾を歩く曲刀使いの伍長。

 先頭を行く軍曹がじろりと視線を向けると、「おっとと」と両手で口を塞ぐゼスチャーをした。

「でも、こんなに広い街なのに」

 私の後ろを歩く上等兵2人のうち、片方の女の子が言う。

「NPCの声とBGMしか聞こえないのは、やっぱり寂しいですね」

「ま、これが今の軍上層部の方針だからな。オレたち下っ端は命令通りに動くしかねえさ」

「伍長、嫌なら帰ってもいいのだぞ」

「マジか!……と言いたいとこだけど、あんたオレが帰ったら隊長に告げ口するんだろ」

「告げ口とは言葉が悪いな。上官に報告するのは部下の義務だよ。ホウ、レン、ソウだ」

「はいはい……。まったく、おっさんは言うことがいちいち堅いんだよなー」

「何か?伍長」

 伍長はまた両手で口を塞ぐ。

 私と女の子は顔を見合わせ、小さく笑った。

 週ごとに順番が回ってくるこの陰鬱な見回りも、彼らと一緒なら気が紛れる。

「……クロ?どうしたの、黙りこんで」

 女の子がもう片方の上等兵の男の子に声をかける。

 彼はこの上官2人がやりあっている時、軍曹側について伍長を言い負かそうとすることが多いので、不審に思ったのだろう。

「……ああ。副長、言いにくいんだけど」

「どうかしました?」

 彼が私に視線を向ける。

 男の子とは言っても私と身長はそう変わらないので、私もわずかに振り向くとそれに合わせた。

「プレイヤーの反応がある。5時の方向……多分、さっき曲がった角の向こう」

 彼は<索敵>スキルを持つシーフ系のビルドだ。

 今、その視界には私達には見えないプレイヤーのカーソルが点灯しているのだろう。

「カーソルの色は当然、グリーンだけど……オレたちが曲がった時は索敵圏内に反応はなかった」

「それはつまり、向こうから近づいて……いえ、追ってきている?」

「もしかしたら」

 私は歩調をわずかにゆるめ、考えた。

 この時間、この街を出歩くプレイヤーは何も知らない上層からの旅人か、やむを得ず外出する必要があった第1層の住人のどちらかだ。

 しかし旅人であればわざわざ物々しい雰囲気を出しながら歩く軍服姿の私達を尾けたりはしないだろうし、住人であれば逆に逃げだしているだろう。

「距離はどうですか?」

「変わらない。こっちが遅くしたら、向こうもそれに合わせたみたいだ」

 今夜は<当たり>になってしまったかもしれない。

 向こうに用件があり、それが後ろ暗いことでなければ、そのまま私達に声をかければいいのだから。

「……わかりました。みなさん、この先の道は丁字路になっていて、それぞれ分かれてからすぐにまた曲がり角があります。そこで二手に分かれて、お互いが見えない位置まで進みましょう」

 前を向きつつ独り言のようにつぶやく私に、軍曹と伍長は先程のやりとりを続けているかのように振る舞いながら、上等兵2人は自分のメニューを開きながら耳を傾ける。

 このへんの意思の疎通は阿吽の呼吸というか、雰囲気で感じ取れるようになっている。

 私達104小隊が編成されてからまだ1ヶ月程しか経っていない。

 連携を取りやすい人材を揃えた、隊長の手腕は確かなものであるといえる。

「そこで、相手がどちらについてくるのか様子を見ます。クロくんは相手のカーソルを補足し続けて、どちらに行ったのかをもう片方の班にインスタントで伝えてください」

「りょーかい」

 相手の名前を知っていれば使えるインスタントメッセージは、メニューを操作するふりをしながらでも送受信できる。

「片方が囮になるということですな」

「はい。それで、追われなかった方が引き返して……」

「挟み撃ち、ってわけだ。よし、チビ供はオレと来い」

 伍長が上等兵2人の肩に触れ、促す。

 ちょうど私達は丁字路に着き、追跡者にそれらしく見えるようお互いに敬礼などしながら別れた。

 クロくんが伍長に「誰がチビだって!?」などと抗議しているのを見送り、私と軍曹も反対の道に進む。

 

「どちらでしょうかな?」

「さあ……軍曹はどう思います?」

「私が強盗のたぐいなら伍長側を狙います。あちらは3人だが、2人は子供だ。こちら側が2人とはいえ、片方がこのようなむさいオヤジでは気後れするでしょう」

「軍曹がむさい、なんて思いませんけど……なんて言いましたっけ、ちょいワルおやじ?な感じで」

「ははは……褒め言葉と受け取っておきますよ。しかし、ヤツはなにが目的なのでしょうか?」

「うーん。ここは<圏内>で、強盗どころか相手のHPも減らせない……しかも、私達は軍の制服を着ているわけですし」

「ヘタなことをすれば黒鉄宮の監獄エリアに連行されますからな」

「ただ上層プレイヤーが面白がって尾けている、くらいならいいのですけど……あ、待ってください」

 視界の隅に、メール着信を告げるアイコンが点滅する。

 右手をふりメニューを開くと、やはりクロくんからのインスタントメッセージだった。

『追跡者はそちらに向かいました。2045に仕掛けます』とある。

 現在時間は2040。あと5分後だ。

「軍曹、カンが外れたようですよ。追跡者はこちらに来ました……2045(フタマルヨンゴー)に仕掛けます」

「了解。ふむ、あえてこちらを選ぶとは……もしかしたら、相手の狙いは副長かもしれませんね」

「私?」

「ええ。軍での女性士官はまだ少ないですから、物珍しさに。もしかしたら記録結晶をポケットに詰め込んだファンかもしれません」

「そんな、アイドルじゃあるまいし……だいたい私、そんな綺麗な顔してませんよ」

 2041。あと4分。

 現実世界と寸分違わず作りかえられたアバターは、私が登校する前に毎朝見ていた鏡に映っていた姿そのものだ。

 目立った特徴もなく、地味な顔立ち。

 この世界に来た当初は少女マンガの主人公ばりに瞳を大きく、髪も金色のツインテールなどにしていたのだが、あの日以来黒に戻した。

 髪型も肩口で切りそろえたショートカットで、軍にいる友人などからは「お市さんか、まる子ちゃんね」などとからかわれる。

「いやいや、私は副長の軍服姿は似合っていると思いますよ。伍長などに言わせればイルカは服に着させられているが、副長はまだ着ている方だ、と」

「……褒め言葉と受け取っておきますよ」

 2043。あと2分。

 イルカというのは女の子の方の上等兵の名前だ。

 確かに彼女はまだ小柄で、軍の制服姿も上がりたての中学生のように見える。

「さて、どのように動きますか?」

「そうですね。いつもとは逆に、私が前に出ます。ここは<圏内>ですから、危険はないでしょう。軍曹は後詰をお願いします」

「ふむ。不審者相手とはいえ、応対には私のようなちょいワルおやじが出るより副長のほうがスムーズにいくでしょうからな」

 苦笑交じりでいう軍曹。

 ……ちょいワルおやじって、褒め言葉じゃなかったっけ?

 などと考えているうちに、残り時間は1分を切った。

 今頃伍長たちもタイミングを測っているだろう。

 あと30秒。20秒。10、9、8……。

「行きます」

「はっ」

 視界内の時計表示が2045になった瞬間、私は地を蹴った。

 

 振り向いてすぐ目に映ったのは、背の高い男性だった。もちろん、NPCではない。

 彼はうろたえた様子だったが、迫る私達を前にし慌てて踵を返した。

「止まれ!」

 軍曹が叫ぶが、男性プレイヤーは走る。

 なかなかの敏捷値のようだ。それだけで、彼が第1層の住人でないことがわかる。

 角を曲がった男性プレイヤーを追い、私達も曲がる。

 するとすぐに、男性が立ち尽くしていた。彼の向こう側には、伍長たち3人の姿。各々に武器を手にしている。

「私はアインクラッド解放軍所属、キサラ少尉だ。彼ら、第104小隊の副隊長を任されている。我々の後を尾けていたな?……貴君の名と所属を示してもらいたい」

 私は背中の槍こそ抜いていないが、すぐに臨戦態勢を取れるようにしている。

 男性は迷った素振りをしたがーー素手の私の方が突破しやすいと踏んだのだろう、こちらに向かって突進してきた。

「副長!」

「止まれ!でなければ……」

 私の声を無視し、脇をすり抜けようとする男性。

 仕方なく、私はソレを発動させた。

 腰だめに構えた拳が赤い光を帯びる。

「ふっ!」

 拳が弾丸のように撃ちだされーー男性の脇腹にクリーンヒット。

 体術スキル<閃打>。<圏内>ゆえに相手のHPは減らず、私も犯罪者フラグを立てずに済むが、衝撃は残る。

 街なかであるためか、あるいは私達を尾行するためになのか男性は防具らしい防具も身につけていなかった。

 私より頭2つ分は高い身長が吹き飛び、民家の壁に激突する。

「ヒュウ。さっすが!」

 伍長の軽口が聞こえるが、気にせず片手を上げて合図する。

 仲間の4人が壁際に男性を取り囲み、武器を構えた。

「痛たぁ……」

 男性が苦悶の声を上げながら体を起こす。

 私は包囲から一歩踏み出し、意識して硬い声を出した。

「現在、このはじまりの街は我々軍の管轄下にある。夜間は軍により外出禁止令が出ているので、一般プレイヤーは宿か教会に戻ることとされている。もし貴君が宿賃を持たないのであれば軍の宿舎も利用可能だが、この場合軍に入隊し働きで返してもらうことになる」

 長い定型句を口にするが、男性は頭を振り唸っているだけで、聞こえているかどうかはわからない。

「貴君が上層からの旅人であるなら、それを証明するために事情聴取を受けることになるが、貴君の場合すでに我々の静止を聞かずに逃走しているので……」

 そこまで言った時、ようやく男性が顔を上げた。

 青みがかった黒髪、やや垂れ気味の目。瞼の奥にはルビーのように光る、赤い瞳。

 男性は慌てたように手を振りつつ、言う。

「ま、待ってくれ。僕は怪しい者じゃない」

「怪しいヤツは皆そう言うんだよ。……我々を尾行していたのはなぜだ?」

 軍曹が低い声で問う。

「え、ええと……。僕はこの街に来たのは久しぶりで……その、夜間外出禁止令?を知らなかったんです。プレイヤーが全然歩いていなかったから、何かあったんだろうかと」

 男性は降参の姿勢を示すためか、両手を上げながら立ち上がった。

 やはり私より背が高い。軍曹や伍長と同じくらいだろうか。

「それで、ふらふらと歩いてたら同じような服装をした集団……あなた方のことですが、が見えたんです。何かイベントでも始まるのかと思って、つい好奇心で」

「我々を知らんのか?」

 軍曹が、片手に持った盾に刻まれた紋章を示す。

 本拠地である黒鉄宮を図案化したそれは、<アインクラッド解放軍>のギルドシンボルだ。

「……はい。申し訳ありませんが」

 肩を落とす軍曹。

 確かに、私達の属する巨大ギルドが<アインクラッド解放軍>として名前を変え再編成されたのはそれほど昔のことではない。

 中層以上のプレイヤーなら、知らない人がいてもおかしくはないだろう。

「ま、そういうことなら仕方ねぇんじゃないの?オレだって、岩みたいな顔したおっさんがこん棒持って追いかけて来たら逃げ出すぜ。……あんた、名前は?」

 曲刀を鞘に納めた伍長がにこやかに言う。

 彼のいうこん棒を持ったおっさんとは、おそらく戦鎚と盾を主武装とする軍曹のことだろう。

 こういう時でも軽口を忘れない伍長は、ある意味芯が通っていると思う。

「ああ、申し遅れましたね。僕の名は、ハイドといいます」

「……ハイド?」

 

 聞いた名前に、私の記憶が刺激された。

 もう1年半以上前の、アインクラッド最初の記憶にして最も大切な思い出。

 まじまじと男性を見つめ、脳裏に浮かんだ顔と重ねてみる。

 髪型や瞳の色は、もちろん違う。輪郭も、ぴたりと一致はしない。

 それでも、男性を見上げた視線の角度は記憶にあるものと同じだ。『先生』を見上げ、話を聞かせてもらったあの時と。

 

 ーーもしかして。

 

 そうだ、『先生』と別れた後、アレがあったはずだ。

 茅場晶彦によるSAOチュートリアルと、あの手鏡。

 私と同じく『先生』もあの鏡でリアルの姿に戻されていたとしたら。

 

 ーーこの男性は、あの『先生』?


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