魔法少女まどか☆マギカ 続かない物語    作:FTR

3 / 15
第3話

 短い春休みがあっという間に過ぎ去り、私は運命の開幕の日を迎えた。

 中学2年生の始業式。

 特別な朝なはずなのに、ごく普通にお天道様は地平線からお出ましあそばした。今日も良い天気になるだろう。

 朝御飯を作るのと同時にお弁当を詰めながら、私はお腹の中ほどにごろりとした鈍い存在感を感じていた。

 黒くて重い何か。

 言葉にすると不安と言う感情が一番近いように思う。

 朝の教室で、あの黒髪の女の子は現れるだろうか。

 そんな不安を押し殺しながら準備を済ませ、残業明けでまだ寝ている父を起こして朝御飯を食べさせる。父は朝が割と苦手だ。この辺は私は母に似たのだろう。

 転勤早々でっかい仕事を抱えて青ざめていたのは1年前の事。直属の上司が実はまどかのお母さんだと知った時はちょっとだけ父に同情した。大人はみんな辛いもんだというまどかママの台詞は真理ではあるけれど、だからと言って暴走機関車のように突っ走られては道連れにされる周囲はたまらんだろう。当の女傑はその筋では『1人ブラック企業』と噂されているそうだが、そんな危険人物が社長の座を狙っていると知ったら関係各位はどう思うだろうか。

 そんなこんなで馬車馬が過労死しそうな状況が未だに続いている父の健康については、私が気を付けてあげねばならん。泊まり込む頻度も結構高く本当に体が心配だ。まあ、そんな状況だから私も夜な夜な気兼ねなく街を闊歩できるというのもあるが。

 今時珍しいと言われる純和風の朝御飯を食べていると、ようやく父のエンジンがかかってくる。父が好むアサリの味噌汁が効いているのだろうが、自画自賛ながら良い味を出していると思う。

 ようやく脳が活性化したのかてきぱきと準備を進め、スーツに身を固めて出かける父に弁当を持たせて玄関で見送る。精一杯お見送り用の笑顔を作っているつもりでも、多分うまくいっていないだろう。

 見送ったら洗い物をして炊飯器をセット。本当は釜で炊きたいのだが、時には味より効率が優先されることもあるのだ。

 それが終わったら私も出発だ。

 行き先は予定調和と言う名の決戦の前舞台。

 

 状況の推移は、概ね順調だ。

 マミさんへの対処は一段落。彼女がこの始業式より前にまどかと接触して、まどかが憧憬の念を抱いて魔法少女化するパターンは回避できていると思う。

 また、マミさんが傷つきながらも立ち直りつつあることは、まどかとさやかを巻き込むフラグを折るために有用なファクターだ。ここまでは順調。

 一連の流れで淫獣が固執したのはまどかだ。その流れにもっていかせないための原作のフラグブレイクの整理は徐々に付きつつある。

 

 問題は、次の一手。

 マミさんだけではワルプルギスの夜には勝てない。あれに対抗するためには既存の魔法少女との連合が不可欠だ。そのためにも新学期に現れる暁美ほむらを籠絡しなければならない。

 まどかを不用意に淫獣に近づけたくないという点では暁美ほむらと手が組める。そこから踏み込んでマミさんと連合させるのはちょっと難易度が高そうだが、既に淫獣の悪だくみを知っているマミさんならほむらとも手を握ってくれるだろう。

 問題は隣町にいる杏子をどうやって呼び寄せるかだ。

 私が識っている履歴を思い出すと、マミさんとまどか、そしてまどかとほむらのタッグで立ち向かった場合はワルプルギスの夜に返り討ちにあっている。戦いがどういう展開だったのかは判らないが、軍用火器で武装した暁美ほむらと互角以上にやりあったマミさんのあの火力でも勝てなかったのだ。相性の問題があったのかも知れない。

 そんな中、まだ未知数なのが杏子だ。マミさんとほむらのタッグに杏子というカードを加えた3人のチームならどうだろうか。彼女自身が場数を踏んだ武闘派魔法少女であることに加え、覇極流蛇轍槍をはじめとした多彩で強力な攻撃パターンを保有していることは魅力だ。マミさんとの過去と言うのがひっかかることもあってチームワークの問題はあるが、そこは出たとこ勝負で行くしかない。風見野市に行ってゲーセンで踊っていれば会えるのだろうか。

 そんなプランをあれこれ考えてはいるのだが、リスクとしてあんまり跳ね回ると淫獣が私を消しに来るかもしれないというのがある。直接に手を出してこないとは思うが、十重二十重の搦め手で私を窮地に陥れるくらいは平気でやるだろう。おつむについてはあっちの方が上だということは忘れてはならない。

 

 

 その日の朝は、本来の流れであれば小さな変化から始まるはずだった。

 アイテム『かわいいリボン』装備でアニメ版にアップグレードされたまどかを軸にした、いつもどおりの賑やかな通学になるのが本来の歴史なはずだ。

 だが、その予定調和をさやかが見事に台無しにしていた。

 朝の待合場所に行くと、さやかが何とも言えない味のある顔をしていた。

 真っ赤なような真っ青なような。

 ドラえもんがどら焼きの海で溺死寸前になるとこんな顔になるかも知れない。

 

「……どうしたの?」

 

「い、いや~、何でも、ないよ」

 

 私の問いにも、どこか上の空のさやか。

 

「何かあったんでしょうか?」

 

「さあ」

 

 心配そうな顔をする仁美に、私は首を傾げた。

 そんなやり取りをしていると、最後のまどかが駆け足で到着。きちんとおニューのリボンで武装しているのを見て私はちょっと安堵した。 

 イメチェンリボン装備のまどかは確かに可愛らしい。その辺が今朝の話の肴になるはずだったのが、さやかが自分の世界に行ったきりなので場の空気は『何があったの?』という気配一色だ。仕方がないのでまどかのリボンについては私の方で拾っておく。

 

「似合ってる」

 

「そ、そうかな、派手すぎない?」

 

「そんなことはない」

 

 そんな感じのやり取りで充分まどかは笑顔になっている。仁美のラブレターについては私としてはどうでもいい。モテる女には羨望の眼より血の制裁こそが相応しい。聞いた時は『混ぜるな危険』の現場であってもスルーしてやろうとちびっと考えたくらいだ。

 そんな黒いオーラをまき散らす私の隣で、まどかがついにさやか相手に一歩踏み込んだ。

 

「本当にどうしたの、さやかちゃん」

 

 ずいと迫るまどかに、さやかもさすがにとぼけることを諦めたようだ。

 やたら手や視線を動かして話すのは犯罪者と恋路を成就させたリア充にありがちの挙動と聞いたことがあるが、さて。

 

「あ、ああ、ちょっといい話があってさ」

 

 予想通りに落ち着きのない所作でさやかが説明し始めた。

 

「いい話、ですか?」

 

 仁美の問いに、さやかが答える。

 

「その、恭介の指がさ、動くようになったって」

 

 その言葉に、まどかと仁美が息を飲んだ。

 

「それじゃ、またヴァイオリンが弾けるようになるんだ!?」

 

 まどかが弾けるような笑顔で手を叩いた。本当に嬉しそうだ。何と言うか、本当にいい子だね、君。

 

「それはこれからのリハビリ次第だって」

 

 心配するな、段階を追ってきちんと動くようになるように味付けしてもらってある。

 そんなやり取りを聞きながら、私は胸の内でマミさんに感謝していた。

 

 

 一昨日の夜のことだ。

 草木も爆睡する時間帯に、私は病院前の通りの片隅で事の結果を待っていた。

 やるべき作業はそう難しいものではなく、彼女であれば恐らくそう時間がかかることではないだろうと思っていたし、ナースセンターやカメラなどが心配だったが、事前に聞いてみたら『多分大丈夫よ』と言っていた。詳しいことは判らないが、それなりにやり方があるのだろうと思った。

 

 20分ほどで、彼女は病院の玄関から割と堂々と帰って来た。

 辺りを憚ることが全くないようだが、気配遮断の魔法でも使えるのだろうか。格好が格好なのでいささか心配ではあった。

 

「お待たせ」

 

 小走りに私の所に寄ってきた笑顔のマミさん。

 

「首尾は?」

 

「完璧よ」

 

 そう言ってウインクを飛ばしてくるあたりは芸達者だと思う。ネタ系でいぢられていたのもよく判る。

 結果が判れば長居は無用。

 私たちは足早にその場を後にした。

 

 

 魔法少女は、武器を持ってドンパチやるばかりが能ではない。

 その願いに応じた個別の能力を併せ持つことが彼女たちの特徴だ。

 劇中、さやかの能力の事を淫獣が『彼女は癒しの祈りで魔法少女になった。回復力は人一倍さ』と抜かすシーンがあった。このことが今回のプランの発端だった。

 原作の第1話の最後のシーン、マミさんがほむらにボロ雑巾にされた淫獣を魔法で癒すシーンがある。

 では、マミさんが癒しの魔法の使い手かと言えばそれは違ったはず。

 彼女の魔法は拘束魔法。リボンを使ったあれこそが彼女の魔法の本質。鉄砲の方は外付けのハードウェアに過ぎない。

 マミさんの『命を繋ぎ止めたい』という願いが『結びあわせる』『縛る』と言う属性となったと記憶している。その流れでは、淫獣の傷を癒した魔法も恐らくは傷口を結び合わせる魔法であったと思われる。

 つまり、彼女には他者の傷を結び合わせる特性があると考えた。もちろん、癒しの魔法が使えるならそれはそれで好都合だ。

 これが『切って』『嗣ぐ』とかだったらこの世界の創造神的な意味でいささかまずいことになったかも知れないが、以上の事からマミさんの能力であれば分断した神経を修復することができる可能性はあろうというのが推測だった。

 まあダメでもともとの博打ということでマミさんに相談して深夜の病院に夜這ってもらい、上条君の腕の神経に魔法をかけてもらったのが今回の事の次第。彼女と知己になれたがために打てた一手だ。

 魔力を使うことはソウルジェムの濁りを招くので『できる範囲で可能なら』という条件で相談したのだが、先日私が作ったミルフィーユをいたく気に入ったマミさんは、そのレシピと引き換えにこの任務を引き受けてくれた。あれはあれで自信作ではあるのだが、同日に彼女が作ったレアチーズのほうが美味しいというのが私の評価。同好の志と思った彼女だが、お菓子作りに関しては悔しいがマミさんの方が遥かに上だ。

 ともあれ結果は上首尾に終わり、これで天才ヴァイオリン少年は奇跡の復活の一歩を踏み出したことだろう。

 

 それはそれでいいのだが、問題はさやかの表情だ。嘘が苦手なさやかの様子を見るに、それ以外にもイベントがあったと思われる。ただ指が動いただけなら飛び上がって喜ぶだろうに、今のさやかは嬉しいような困ったような恥ずかしいような、そんなハイブリッドな表情をしている。十中八九上条君から何か言われたのだろうが、ずどんと落ち込んでいないところを見ると、それはきっとネガティブなものではないのだろう。

 推測するに今のさやかの顔は、自分の幸せが信じられない、夢なんじゃないかしらと現実を疑ってかかっているそれだ。

 もし、事態が私が思った通りの展開だったとしたら、これは空前絶後の快挙だろう。瓢箪から駒と言っていいくらいの予想以上に好ましい展開だ。

 登校中も視線を彷徨わせている彼女の隣にそっと近寄り、小声で囁いた。

 

「何て言われた?」

 

 その言葉が耳に届くや、地球温暖化に悪影響を与えそうな勢いでさやかは真っ赤になった。鋭い視線を私に向け、小声で怒鳴るという器用な真似をして来た。

 

「あ、あんたなの!? あんたが吹き込んだの!?」

 

「何を?」

 

「何をって……」

 

 そう言って湯気を出して口ごもってしまったさやかを置いて、私は『変なさやか』とだけ告げて先行したまどかと仁美の後に続いた。

 

 これはすごい。

 予想以上の上首尾に私は内心で快哉を叫んだ。

 さやかが命を張るのは、上条君の慟哭を見たがためだ。

 その条件をキャンセルしたからには、もう彼女がおかしな未来に向かう可能性はないだろう。

 もちろん歴史の修正力なんてものがあれば違ってくるけど、その時はその時だ。

 

 

 

 HRが始まると、早乙女先生がこれまた残念な方向の予定調和通りに荒れていた。

 目玉焼きは嗜好が大きく別れる食べ物なのだから、付き合ってすぐに抑えるべき情報だろうと私は思う。他には白味噌と赤味噌の区分と入れる具の好み、ニンジンとタマネギとピーマンと納豆辺りの得手不得手の情報は基本だろう。男は胃袋を押さえつけて手に入れるものだ。包丁を持つ者としてのその辺の常識を、一度先生に意見してやらねばなるまい。

 

 そんな散らかった時間が過ぎ、継続する予定調和の真打は静かに教室内に現れた。

 すべてのトリガー、災厄の始まりを告げる喇叭の奏者の登場だ。

 艶やかな黒髪、しなやかな手足、凛とした白皙の美貌。

 三つ編みメガネの可能性のあるかも知れないと思っていた私の期待は、呆気なく空振りに終わった。

 

「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 

 淡々とそう名乗った彼女はホワイトボードに名を書くと、一礼の後に静かにまどかに視線を向けた。

 これでこの時間平面のおおよそのことは見当がついた。

 やはり、アニメ原作のメインストーリーの流れの中に私はいるらしい。

 暁美ほむらが私と言う存在についてどう見ているかには興味があったが、彼女は全く気にした風はない。彼女にとって映画で顔がぼやけてしまう程度のモブの一人程度の扱いだったのかも知れない。そう言えば中沢君は映画のあのシーンでも顔がちゃんと出てたな。

 

 

 閑話休題。

 次の休み時間の事。

 

「不思議な雰囲気の人ですね、暁美さん」

 

 仁美の呟きは、恐らくまどかたち全員の感想だろう。あのガン垂れは確かに初対面にしては毒がありすぎる。無限地獄を今なお歩み続ける彼女の心情を考えるとそれも仕方がないとも思うが、もうちょい手心と言うものが欲しいところだ。

 物見高い連中に囲まれて質問攻めにされるほむらの様子をまどかたちとぼけっと眺めていると、案の定ほむらは席を立った。

 

「ごめんなさい、何だか緊張しすぎたみたいで、ちょっと気分が。保健室に行かせて貰えるかしら」

 

 お……きたきたきましたよ。知っている者の視点で見ていると結構わざとらしいのう、ほむの字よ。

 周囲と簡単なやり取りの後、ほむらはまどかの所に歩いてきた。

 

「鹿目まどかさん、あなたがこのクラスの保健係よね?」

 

 口調は穏やかだけど、目つきはカツアゲ中のヤンキーみたいに鋭い。ちょいとほむらさん、うちのまどかが怯えてるじゃないですか。

 

「連れてってもらえる、保健室」

 

 そんなこんなでまどかと一緒に教室を出ていく暁美ほむら君。その途中、一瞬だけ私に向ってほむらが視線を向けてきた。明らかな異物を見る目だったが、その瞳の闇の深さに私は一瞬息を飲んだ。私の表情筋の機能が活発だったら何か気取られたかもしれないが、至って無表情な私から彼女は先に視線を外した。

 ここから先はほむらVSまどかの訳の判らん質疑応答タイムだろう。私の方で関知すべきことは特にない。

 そう思った時、自分が知らぬ間に手のひらにべっとりと汗をかいていたことに気付いた。

 

「ねえ、有季」

 

 スカートで手のひらを拭っていると、さやかが私のほっぺたを突いてきた。

 

「あんたも何だか転校生にガン飛ばされてたけど、もしかしてまどかじゃなくてあんたの方の知り合い?」

 

「違う」

 

 私は反射的に否定した。

 それは生理的な嫌悪からのものだったと思う。

 ほむらの眼を見た時から、心の底からじわりと滲み出てきた嫌な感じが止まらない。彼女の瞳の中に見えた、底が知れない闇が恐かった。

 もしかしたら、この時から既に彼女は狂っていたのかも知れないと私は感じていた。

 そんな精神状態が隙を産んでしまい、うっかりポロリと本音が零れ落ちた。

 

「ああいう人、ちょっと苦手」

 

 その言葉に、さやかと仁美が目を丸くした。

 

「へえ、有季がそういうこと言うのって珍しいね」

 

「ごめん、今の忘れて」

 

 

 

 スーパー転校生暁美ほむらの名は、その後の授業や体力測定で明らかになる。勉強については前世知識補正があるだけに私も遅れは取らないが、体力的には人並みの私とはかけ離れたレベルの記録を打ち出すほむらに学年中が沸き立っていた。

 そんな騒動の後だけに、放課後に行きつけのファーストフードで話す話題には当然困らなかった。

 さやかのオーバーアクションが鬱陶しいのはいつもの事ではあるけれど、ここで重要なのはさやかではなくまどかのコメントだ。

 

「まどかさん、本当に暁美さんとは初対面ですの?」

 

 仁美の質問に、まどかは不安げな表情で答える。

 

「常識的にはそうなんだけど」

 

「何それ。非常識なとこで心当たりがあると?」

 

「あのね、昨夜、あの子と夢の中で会った……ような」

 

 まどかの言葉にさやかと仁美が大笑いをする。だが、まどかの隣に座って聞いている私としてはちっとも笑える話ではない。

 時が移ろうに従って、時間軸の裏付けがどんどん固まっていく。

 それは順調に最初の活劇の時間が迫っているということだ。その先にあるものを知る私としては、当然ではあるが布石は打ってある。

 今日、この場所に魔女の結界が広がるという情報はマミさんに伝えてある。そのついでにほむらとマミさんを引き合わせようというのが私の魂胆だ。

 昨夜電話でも念を押しておいた。

 

『明日は3階の喫茶店にいるようにするわ。何かあればすぐに駆け付けられるから安心して』

 

 そう言って自信たっぷりに笑うマミさん。その筋では最強の魔法少女とも言われる彼女なだけに、私は言葉通りに安心していた。

 

「感謝する」

 

『任せておいて』

 

 

 仁美がお茶の御稽古とのことで戦線離脱し、3人でCDショップに出向く。いつにも増してテンションの高いさやかはスキップしそうな勢いでクラシックのコーナーに一直線だ。ち、向こう側の住人め。

 アニソンとボカロ以外はあまり音楽を聞かなかった私は今生でもあまり音楽に興味がなくこういう店は敷居が高いが、事の流れに鑑みればまどかの傍を離れるわけにはいかない。私の記憶が確かなら、店の裏側では今頃ほむらと淫獣が追撃戦を展開中のはずだ。

 案の定、私の隣でヘッドフォンを耳に当てていたまどかが不意に顔を上げた。

 必死に耳を澄ます様子に、事の次第を確信した。

 やはり来たか、淫獣。

 追撃戦のどさくさに一本釣りを仕掛けてくるあたり、火事場泥棒みたいな野郎だ。

 だが、そうはさせない。

 

「どうしたの?」

 

 即座に問う私に、まどかは怪訝な顔をした。

 

「今、声が聞こえたの。『助けて』って」

 

「……まどかも聞こえたの?」

 

「有季ちゃんも聞こえたんだ?」

 

 私は頷いた。もちろん嘘だ。

 

「僕を助けて、って言ってる」

 

 私の言葉にまどかは目を丸くして驚いた。

 

「そう、それ。私も聞こえたの」

 

 驚きながらも、まどかは淫獣の声に導かれるように店を出て歩みを進める。

 いつもは真面目でいい子なのに、こういう時は思い切りがいいのか考えが足りないのか、スタッフオンリーの標識を踏み越えて戸惑いながらもバックヤードに入り込んでいく。

 

「まどか、ここ立ち入り禁止」

 

「でも、助けに行かなきゃ」

 

 そんなやり取りをしている時。

 

「どうしたのよ、二人とも」

 

 予想外なことにさやかがこのタイミングで追いついてきた。消火器攻撃というオプションはこれで取れなくなったか。

 でも、これは問題ない。

 私の狙いは、まどかと淫獣のファーストコンタクトを失敗に導くことにある。

 間もなく天井から落ちてくるであろう淫獣。

 奴を見つけ次第、それは南米に棲息する毒のある生き物だから近寄ってはいけないとでも説き伏せれば接触は回避できる。まどかはそういうところで素直だし。

 ダメならまどかを羽交い絞めにしてでもほむらに駆除してもらうまでだ。

 そう言えば、そもそも私には淫獣は見えるのだろうか。その点だけはいささか不安だ。

 

 しかし、そんな私の腹積もりは、意外な形で瓦解した。

 どこかでジャラリと鳴った鎖の音がきっかけだったように思う。 

 不意に目の前にキラキラとおかしな光が瞬き始め、得体が知れない蝶が何匹も舞い始めた。

 何だと、と心の中で呟いて私は驚愕した。

 

「何よこれ?」

 

 不意にさやかが素っ頓狂な声を出した。

 まどかも私同様に絶句しているが、絶句の内容はまどかと私とではかなり違っていた。

 目の前をフワフワと落書きみたいなオブジェが乱舞している。

 魔女の結界に取り込まれる瞬間と言うのは、思っていたよりもあっさりとしたものだった。

 なるほど、これが結界と言う奴か。ちょっと早すぎませんか。

 荒ぶる劇団イヌカレーな世界が私を取り巻いている。よりによって淫獣と遭遇する前に取り込まれてしまうとは思わなかった。

 

「もう、どうなってんのさ! どこよここ!」

 

「何かいる!」

 

 まどかの悲鳴じみた声が響き、毛玉のような怪生物がにょきにょきとお出ましになった。

 背筋に氷の塊を詰め込まれたような寒気を感じて周囲を見回すと、鉄条網と鋏を引きずりながら私たちを包囲した毛玉のような塊。生意気に生やしたカイゼル髭が癪に障る。

 

「ちょ、ちょっとどうなってんのよ!?」

 

 泡を食うさやかとまどかが身を寄せ合って周囲の様子に怯えている。私も私なりに慌ててはいるが、後で聞いたら普通に落ち着き払っているように見えたらしい。

 ポワポワした毛玉髭がじわじわ包囲を狭めてくる中、私は確認のため首筋を抑えた。幸い魔女の口づけとやらの感触はない。

 だいぶ予定と違ってきてはいるが、こうとなっては助っ人だけが頼りだ。恐らくマミさんも状況はキャッチしていると思う。今頃は既にどこかでドンパチやらかしていることだろう。

 問題は、彼女の到着までこっちが生きていられるかどうか。

 

「困った」

 

 思わず本音が口から零れ落ちた。

 こうも段取りとかけ離れた展開では、それこそ臨機応変に対応するしかない。高度な柔軟性とやらを考えようにも、一般人の私たちでは魔女の結界を破ることはできない。記憶に違いがなければ、人はこの迷宮のような結界の中を彷徨った挙句、現実世界で自殺や事故死に見えるように死に至るものであるらしい。

 泣こうが喚こうが、マミさんが到来するまでは私に打てる手はない。頼りになるのは持って生まれた2本のあんよだけだ。

 そう腹をくくればやることはひとつ。私は包囲に隙がないか視線を走らせた。おあつらえ向きに包囲が割と甘い場所が何カ所かある。まさかキルゾーンのためのものではあるまい。

 そう思ったときに、袖を引かれた。

 

「有季、逃げるよ!」

 

 これ以上ないくらい真面目な顔をしたさやかが、不安げなまどかの手を掴んで私に鋭い視線を向けてきた。

 さすがはさやか、ここ一番では度胸のある子だ。

 もちろん、三十六計に異存はない。

 私たちは呼吸を合わせるように走り出した。

 

 はずだった。

 

 それがきっかけだった訳ではないと思うが、私たちが遁走のための足を踏み出した瞬間に、いかなる訳かイヌカレーな柄の壁が爆発するように砕け散った。

 その余波を受けて、包囲網を敷いていた毛玉髭の半分が吹っ飛ばされてくれた。それはそれで結構なことなのだが、問題の本質は別の角度から私のもとを訪れた。

 壁の向こうから現れたのは待ち焦がれた妖怪乳鉄砲かと思いきや、果たしてそれはマミさんではなかった。

 煙幕のように煙る戦塵が晴れ、視界がクリアになってようやく壁に叩きつけられて地に伏すそれが小柄な女の子だということが判った。

 ボブカットの銀髪。ゴシックロリータ風の衣装をまとった可愛らしい容姿。

 思わず私の喉が鳴った。

 魔法少女?

 さやかとまどかの息を飲むような悲鳴が聞こえたのはその時だった。

 振り返ると、そこに何とも形容しづらい外見の巨大なクリーチャーが蠢いているのが見えた。

 見覚えがあるグロい怪生物。

 薔薇園の魔女ゲルトルート。性質は不信。

 やばい、これはやばい。

 迫る魔女と、倒れ伏す劣勢の魔法少女の図。

 これは一種の絶体絶命なのではないだろうか。

 ダメもとでマミさんの名を叫ぼうとした時、全く予想もしなかった異変がまたも唐突に起こった。

 

 件の魔女が立つ地面に幾条もの光の線が走り、幾何学的な模様を構成していく。

 それが魔法陣だということは、かつて貴腐人だった私にはすぐに理解できた。

 その魔法陣がどういう作用をもたらしたのか、光に包まれた瞬間、薔薇園の魔女が不意にガタガタと震えだした。

 見えない何かに怯えるようなその姿が、ひどく滑稽だ。

 背後から聞こえた鎖を引きずるような乾いた音に思わず振り返った私が見たものは、荒木飛呂彦のキャラのごとく幽鬼のようにゆらりと立ち上がったゴスロリ装束の女の子だった。

 しかし、綺麗な銀髪の下のその端正な顔が浮かべた笑みは、その容姿とはかけ離れた剣呑なものだった。

 刃物で切れ込みを入れたような、酷薄な微笑み。どんなに贔屓目に見ても正義の味方の笑い方ではない。

 そんな彼女の手元で、鎖を弾くようなじゃらりという鈍い音が響いた。

 視認する余裕もない。不意に彼女の手元から飛び出した鎖付きの黒い塊が、魔女の頭みたいな部分を吹き飛ばした。重量とか質量とか、物理法則的にこういうことがありうるのだろうかというような吹っ飛び方だ。

 魔女にぶつかって初めて視認できたその黒い塊は、まるでガンダムハンマーみたいなトゲトゲした鉄球だった。

 攻撃はそれだけでは終わらない。手にした棍棒のような長柄から伸びる長い鎖を鞭のように自在に操り、女の子は鉄球を意のままに魔女に叩きつける。古い映画で『キル・ビル』と言うのがあったが、それに出て来た栗山千秋みたいな見事な手並みだ。

 肉を打つ、おぞましく湿った音が結界の中に満ちあふれること十数秒、唸る鉄球はついに魔女の急所を叩き潰し、私の記憶ではマミさんに狩られるはずの薔薇園の魔女は無数の蝶になって淡々と消えていった。

 

 呆気にとられるまどかとさやかをよそに、私の脳内検索システムは件の魔法少女のデータスキャンを完了していた。

 『できれば思い出したくない情報群』と銘打ったフォルダの中のデータの一つがヒットし、それを理解すると同時に全身から嫌な汗が噴き出してきた。

 銀髪。

 ゴスロリ。

 モーニングスター。

 私は、彼女を知っている。

 それを思い出した心臓が、異常なほど激しく鼓動を刻んだ。

 それは、私が抱いてたこの時間軸が『魔法少女まどか☆マギカ』の本流のものだという確信が崩れたことを知らせる鐘の音のようでもあった。

 

 青くなって呼吸を荒げる私に視線も向けぬまま、彼女はどう見てもダークヒーローそのものの陰のある笑顔で結界がほつれ始めた床面に落ちたグリーフシードを拾い、くつくつと笑いながら阿澄佳奈のような声で静かに言った。

 

 

「サヨナラ勝ち」

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。