魔法少女まどか☆マギカ 続かない物語    作:FTR

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第12話

「二人揃って何をやっているの、貴女たちは」

 

 翌日の昼休み、あすみとのコンタクトの結果を報告するなり、ほむらは柳眉を逆立てて怒った。

 まどかに向って『貴女はどこまで愚かなの』と怒った時のように、まき散らしている怒気のせいで地響きが聞こえてきそうだ。

 そんなほむらが、ギロリという擬音が似合いそうな目つきでマミさんを睨みつける。

 

「巴マミ、貴女は自分が何をやったか理解しているの?」

 

「もちろん理解しているわ。あそこで介入しなかったら、この子が殺されていたわね」

 

「その結果、貴女がどういう状況に陥ったのかも分かっているの?」

 

「……分かっているつもりよ」

 

「彼女の責任ではない。私の読み間違いが最大の原因。責任は私にある」

 

 ほむらの剣幕にしどろもどろになってしまったマミさんとほむらの間に入り、私は素直に自分の非を認めた。

 私が下手を打ったのをバックアップしてくれたマミさんだったが、結果的に歩くデスノートである神名あすみに対して面が割れてしまった。あすみの力の発現要件については分からないが、ほむらの言い分ももっともだ。

 私の弁解に、ほむらは深くため息をついた。

 

「もういいわ。それより昨日の事、詳しく話してくれないかしら」

 

 私は頷いて、自分なりのレポートを語った。

 あすみの狙いは、皆が持つグリーフシードであること。

 淫獣の狙いはあすみとマミさんたちが潰し合う事だろうという私たちの予測が間違いではなかったという事。

 そして、あすみのソウルジェムの事。

 

「報告は以上。神名あすみのソウルジェムの消耗が、私の目から見ても通常の魔法少女より遥かに早いように思えた。私はこのことについて警戒するべきだと考えている。魔法少女の活動において、ソウルジェムの消耗はどのように進むのか教えて欲しい」

 

 ほむらに問うと、割とあっさりその問いに答えてくれた。

 

「場合によるわ。魔法少女の能力を少し使うだけでも魔力は消耗する。戦闘ともなればなおさらね。無茶な使い方をしていればその分消耗は進むし、そうでなければそれなりよ」

 

「精神的なストレスが及ぼす影響は?」

 

「小さくはないわ。でも、そんなレベルまで消耗が進むというのは余程の事ね。そんな状態だとしたら、その魔法少女はそう長くは持たないはずよ」

 

 そうだとしたら、早い時期に神名あすみは今一度私たちのところを訪ねてくるだろう。明確な略奪の意思を持って。

 休戦をしてくれるというのであれば1個くらいは提供するのも手かもしれないが、私たちを偽善者呼ばわりするあの姿勢を考えると円満な解決は難しいだろう。

 そしてもう一つ、小骨のようにチクつく要素を説明しなければなるまい。

 

「情報としてもう一つ。佐倉杏子の協力により、神名あすみの生い立ちについて詳細なところが判明している。彼女が魔女になった経緯にも関係している。これも判断材料に加えたい」

 

「生い立ち?」

 

 そこから彼女たちに説明したのは、杏子が調べてくれた彼女の味わってきた辛酸の数々だ。

 然様な生き地獄の中、ついに絶望した後に他者を呪うために彼女は魔法少女になった。

 そんな異形の魔法少女の誕生秘話に、マミさんは顔を顰めた。

 

「気の毒と言えば、気の毒ね」

 

 マミさんの呟きに、私は頷いた。

 

「私たちには譲れないものがある。でも、これだけ情報が揃っている状況で短絡的な衝突だけを選択肢とすることは、昨日の衝突を踏まえてなお、私としては早計と思われる。可能であれば彼女に状況を説明する機会を持ちたい」

 

 そうでないと、このままでは救いがなさすぎる。私が求めるものは、あすみに対して軌道修正のための材料を与える機会だ。

 だが、そんな私の主張を当然ながら許してくれない存在がこの場にはいる。

 

「昨日で懲りなかったようね。あまり甘いことを言っていると貴女、死ぬわよ」

 

 私の意見を快刀乱麻な勢いでバッサリと切り捨てるほむら。さすが武闘派。実に威勢が良い。

 

「貴女が今ここにいられることは、たまたま運がよかったからでしかないわ。リスクを考えれば速やかな排除が望ましいことは、貴女も理解しているでしょう?」

 

 確かに。昨日マミさんが来てくれなかったら、今頃私は良くて総白髪だっただろう。

 

「私も暁美さんの意見に賛成。残念だけど、先手を取らないとこっちが危ないわ」

 

 マミさんもほむらの意見に票を投じた。

 これもごもっとも。

 最前線に立つからには先手必勝が闘争の鉄則だ。昨日実際に手合せしたマミさんにしてみても、そんな情けをかける余裕はないと判断するだろう。

 だが、それでも見聞きしたあすみの事情が心の端っこに引っ掛かっていた。

 

「不満なようね」

 

 ほむらの言葉に私は頷いた。

 

「確かに神名あすみの魔法の影響は深刻。だが、私としては、まだ彼女の中には他人を呪うことに対する葛藤があるように思える」

 

「葛藤?」

 

「彼女のソウルジェムの穢れはかなり酷い状態だった。彼女自身の言葉からも、グリーフシードの供給が追いつかない速さで消耗していると推測される。先ほどの貴女の見解にもあるように、その原因は彼女自身が呪いを生み出していることの影響、また、それは同時に彼女自身が本心では望んでいない力を行使しているストレスに起因していると推測する」

 

 脳裏をよぎるのは、原作で打ちのめされたさやかだ。

 本心とはかけ離れた言動を取らなければ心が維持できなかったさやかが徐々に追い詰められていったシーンは、魔法少女の暗黒面そのものだった。そんなさやかの前にうっかり居合わせてしまったホストの二人がどうなったのかは知らんが、最終的には人すら殺めたかも知れないくらい壊れてしまっていた。

 さやかを最終的に絶望まで追い詰めたものは、そんな彼女自身の精神的なストレスだ。

 あすみの姿が、どことなくあの時のさやかと被るのだ。

 神名あすみは、真性の悪ではない。本来は幸せな家庭を夢見る、純粋無垢な女の子だったはずなのだ。

『Entbehrliche Braut』。

 不要な花嫁。

 精神的に追い詰められた彼女が魔女に成り果てた時の姿が、そのことを担保する根拠だ。

 そんな歪んだ存在が偽悪的に呪いを振りまけば、その反動は澱のようにソウルジェムに穢れとなって降り積もるのだろうと私は推測する。

 そして彼女が自身の行動を否定し良心の呵責に耐えかねた時、ソウルジェムが絶望色に染まるとも聞いていた。

 あすみが真性の悪ではないという判断根拠はここにある。

 どっかの神父ではないが、本当の外道であれば人の不幸は愉悦であるはずなのだ。

 

「原因である過度な消耗の根本を修正できれば、彼女の方針を変えられる可能性はあると思われる」

 

「可能性に期待するより、確実な手段をこの場合は優先するべきね」

 

 ほむらの主張にはブレがない。確かに、彼女の言う通りIFを期待しているだけでは命が幾つあっても足りないだろうことは私も理解している。

 

「承知している。これは私の我が儘。修正可能な範囲であれば、思考を停止せず戦闘を回避する事を模索したい」

 

 私の言葉に、ほむらは今度こそ呆れたようにため息をついた。

 

「そこまで言うのなら、もう言う事はないわ。貴女の好きになさい。でも、グリーフシードを求めて私のところに来た時には、私は交渉をするつもりはないわ」

 

 

 

 

 

 

 午後の授業に向け、私たちは解散して屋上を後にした。

 ばらばらに戻ることはまどか対策だ。一緒にいるところを見られると、またまどかが余計な気を回すかもしれない措置だが、そのため、今の私は学校ではぼっちさんだ。まあ、仕方がない。

 そんな寂しいことを考えていると、女子更衣室から出て来た人影とぶつかりそうになった。

 とっさに避けて謝ろうとした時、目の前にいた女生徒がさやかだったことに気づいた。

 一瞬視線が合い、さやかの表情が歪む。

 驚きから逡巡、そして今も燻る怒りと、少しだけ悲嘆。

 こんな感じに相手に表情で感情を伝えられればいいな、と思った私に何も言わず、さやかはそのまま教室に向かって歩き出した。

 ため息をつきたいところだったが、後ろからかけられた声にそれを邪魔された。

 

「香波」

 

 振り返ると、そこに気まずそうな顔をした通りすがりの中沢君がいた。悩むように視線を彷徨わせている彼は、何だか見てはいけない物を見てしまったような感じで頭をかいていた。

 

「お前たち、喧嘩でもしてるのか?」

 

 いきなりな質問に私は首を傾げた。

 

「どうして?」

 

「いや、最近お前たちが口きいてるの見てないし、今も何だか雰囲気悪かったからさ……」

 

 そう言って、中沢君は無理矢理な感じの笑みを浮かべた。

 

「俺が言う筋合いの事じゃないけどさ……志筑の事で何かあったのか知れないけど、早いとこ仲直りしろよ。何かいつも仲良くしてたお前たちがぎすぎすしてるの、やっぱちょっと気になるわ」

 

 ちょっとだけ照れつつ、視線を彷徨わせながら中沢君は言葉を紡いだ。

 そんな彼なりの不器用な気遣いが、胸に暖かかった。

 

「ありがとう」

 

 それだけ告げて、私は教室に戻った。

 

 

 

 

 

 

 放課後の日課は最近すっかりルーチンと化した病院詣。

 状態は安定しているそうなのでこっちも安心しているのだが、目を覚ましてくれないことには安心できない。

 面会時間が終わったら帰宅。何だかもうすっかり慣れてしまった。

 さすがに昨日の今日ではあすみも接触しては来ないだろう。

 いつもの公園で少しだけ様子を見たが、あすみの気配は毛ほどもない。

 管理事務所が動いたようで、壊れたベンチの残骸には『注意」の張り紙がしてあった。

 そのまま帰宅しようとした時、異変は今宵も見滝原を訪れた。

 私が足を止めたのは、視界のかなり先の方。距離にして100メートルほど先の路地を知っている人が歩いている様子だった。

 赤いメガネに、どちらかと言えば地味な服装の女性。

 我らの担任、早乙女先生だった。

 いつもならばそのまま見なかったことにして素通りしたかも知れない。

 だが、その足取りが明らかにおかしいのが目についた。

 例えるなら早足で歩いているゾンビのようだ。

 

 嫌な予感がした。

 

 角を曲がって消えて行った先生を追って、私は走り出した。

 程なく追いつくと、やはり様子がおかしい。

 

「先生」

 

 正面に回って顔を覗き込むと、死んだ魚のようにハイライトが乏しい目がメガネの奥にあった。ダウン系のいけない薬をキメたような感じだ。

 

「あら……香波さん。ダメですよ、夜遊びしてちゃ。もうじき神の子が再臨して黙示録の喇叭が鳴ろうとしているというのに……」

 

 何だかおかしなモードに入って薄ら笑いを浮かべている先生は、そんなことを言いながらも歩みを止めようとしない。私を押しのけてゾンビ歩きで歩いて行くが、ゾンビ歩きのくせにすごい力だった。女の力とは思えない。得体が知れない力が働いているのだろうかと思ったが、すれ違いざまに見えた彼女の首筋の烙印に、私は自分の嫌な予感が的中してしまったことを確信した。フラれたての精神状態につけ込まれたのだろうか。

 先生の後を追いながら携帯を取り出し、登録済みの番号を呼び出して通話ボタンを押した。

 コール3回で聞き慣れた声が聞こえる。

 

『もしもし?』

 

「私」

 

『香波さん? 何かあったの?』

 

 メールではなく電話と言うところでマミさんはすぐに異変に気づいてくれた。

 

「早乙女先生が魔女に魅入られた」

 

 スピーカーの向こうで、マミさんが息を飲む気配が分かった。

 

『すぐに行くわ。具体的な場所は?』

 

 手短に現在位置と予想進路を伝えるが、そうしている間にも先生はずんずんと郊外に向って歩いていく。

 

「詳細はメールで送る」

 

 それだけ告げて通話を切った。

 私ができるのは後は尾行だけ。そこから先は見滝原の魔法少女マミさん任せだ。

 

 

 

 それから20分ほど。早乙女先生が向かった先は、郊外にある工場の一角だった。

 先生だけではない。途中か同じようにハイライトが消えた目をした連中がわらわらと集まってくる。まるで『ハコの魔女』の時の被害者諸氏のようだ。

 仁美の事を思うと胸に激痛が走るが、今は同じ轍を踏まないように努力することが最優先。

 逐次メールで現在位置を知らせてはいるが、頼みの綱であるマミさんはまだ到着していない。ほむらにもCCで連絡は入れているが、こちらもリアクションがない。

 

 嫌な汗がこめかみを伝った時、早乙女先生たちの足が止まった。

 何事だろうかと身構えた時、それが合図だったかのように視界が唐突にブラックアウトした。

 正確には、ブラックアウトではない。すべてが白と黒に変化した感じだ。

 その光景に、私は見覚えがあった。

 奇妙な影絵の世界。

 奇怪な柄が浮き彫りになった天井。

 その中で、唯一の色彩を放つ、赤い塔のような偉容。

 

 影の魔女エルザ・マリア。性質は独善。

 

 おかしい。

 さやかにシメられてた原作の時系列に比して、かなり早い登場ではないだろうか。

 その姿が見えた時、スイッチを切ったように早乙女先生をはじめとした全員がその場にぱたりと倒れた。

 慌てて確認するが、死んではいないものの呼吸と脈拍は弱くて速い。何だか大切な何かを吸い取られたように思えたが、詳細は分からない。

 恐らく魔女の仕業だろうと視線を向けてみると、いくつもの触手、確かセバスチャンだかセバスティアンとか言っていたように思うそれらがうねうねと蠢いていたが、その手前に見覚えのある小さなシルエットが見えた。

 輪郭で分からなくても、その手にある異形の得物を見ればあんな目に遭った後だ、嫌でも分かる。

 

 神名あすみ。

 

 その小柄な魔法少女が、肩で息をしながら真っ向から影の魔女と対峙していた。

 なるほど、この時間軸の影の魔女の出現タイミングの揺らぎのせいでほむらに先んじて会敵していたのか。その状況に鑑みると、早乙女先生たちは魔女があすみとの戦闘に際して燃料補給のために集めたのかも知れない。

 戦闘開始からどれほど時が経っているのか分からないが、あすみのその背中には昨日感じた覇気が感じられない。まるで原作アニメで当のエルザ・マリアと戦った時のさやかのようだ。

 どう見ても調子が悪そうなそんなあすみが、それでもボクサーのような短い息吹と共に棘鉄球を撃ち出していく。

 しかし、薔薇園の魔女の時や昨日のマミさんとの立会いの時には必殺の一撃と思えたそれが、影の魔女の網のように絡まる触手に勢いを殺されてその破壊力を充分発揮できていなかった。10本20本なら弾き飛ばして突進する棘鉄球も、三桁の単位で押し寄せる触手に絡まれてはいかんともしがたいようだ。何となくだが、棘鉄球の動きにもこれまでのようなキレもないように思う。

 素人である私の目から見てもこれはまずいだろう。調子が悪そうなのに加えて、得物と魔女の相性が悪いのだ。

 最大で2本の棘鉄球を操るあすみに対し、影の魔女の触手は無尽蔵。徐々に押し込まれるのは仕方がないだろう。

 何故もう一つの魔法を使わないのだろう。

 

 そんなことを思う間にも補給が終わって勢いを増した魔女の攻勢に、一気にあすみが劣勢になってきた。

 ついには横殴りに襲った触手を受け損なって弾き飛ばされ、数メートル離れたところでダウンした。よろよろと立ち上がってはいるが、どう見てもグロッキーだ。

 おかしい。なぜ逃げない?

 

 こうなるとピンチなのはあすみだけではない。

 あすみを無力化したとでも思ったのか、触手の何本かがうねうねと私に向って照準を合わせているのが見えた。

 身の危険を感じてその場からどうやって逃げようかと考え始めたが、その時心強い援軍が結界を破って突入してきた。

 

「お待たせ!」

 

 シルエットで浮かぶのは、見事なまでのプロポーション。いつ見ても中学生には見えない。

 もう聞きなれた彼女のそんな声は、凄まじい轟音にかき消されて最後まで聞こえなかった。

 白と黒の影絵の世界に火花を散らしながら、魔女に注がれる驟雨のような火線。

 まるでスリガオ海峡に突入した西村艦隊のように、影の魔女が無数の触手もろとも圧倒的な火力に粉砕されていく。

 相性というのは恐ろしい。影の魔女だって弱くないはずなのだが、勝負はほんの数秒でついてしまった。

 崩壊する魔女の後を追うように、結界そのものがひび割れて消えていく。

 やがて通常空間に戻った場所に立っていたのは私とマミさん、そしてあすみだけだった。

 

 結界が解けると同時にあすみが我に返ったように慌てて変身を解き、やや離れたところに転がる黒い塊に駆け寄った。

 グリーフシード。

 マミさんの取り分になるのが魔法少女のセオリーなのだが、そんなことに拘ってはおれぬという勢いでそれを手に取る彼女の姿は、言葉は悪いが餓死寸前に餌を見つけた野良犬のようだった。

 拾い上げたグリーフシードでソウルジェムの浄化を行うあすみだが、穢れが抜けていく様子を見つめるその表情がネガティブな色に染まっていく。

 浄化したにも関わらず、街灯に照らされた彼女のソウルジェムは依然として黒いままだった。

 

「……浄化が追いついていないわ」

 

 項垂れるあすみの様子にマミさんが苦いものを吐くように呟き、そのまま私を背後に庇うように前に出る。

 

 顔を上げたあすみが、首を巡らせて私達に視線を向けた。

 昨日と違い、その顔に余裕の笑みはない。

 

「ねえ、昨日の続きってことでいい? 嫌だと言っても逃がさないけど」

 

 銀光を発して再び魔法少女に変じるが、マミさんを睨みつけるあすみの座った目は追い詰められた者が放つ剣呑な輝きを放っていた。

 魔法少女は回復するのにも魔力を使う。昨日のマミさんとの戦いで負ったダメージは、軽いものはなかったのだろう。体の修復にはかなりの魔力を使ったのだと思う。昨日の戦いは、彼女の身体よりも魔力のストックに重大な打撃を与えたのだろう。

 そんなあすみの言葉に、マミさんは何丁ものマスケットを周囲に出現させて応じた。

 

「いいわよ。私も、次に会ったら話し合いで済ませるつもりはなかったし」

 

「昨日は油断したけど、今日はそうはいかないから」

 

 後がないという感じのあすみの言葉に、マミさんの腰が少しだけ落ちる。羽毛が落ちるような滑らかさと速さで、どの方向にも飛べるようにマミさんの重心が下がったのが分かった。

 だが、そんなところに聞こえてきたのは第三の声だった。

 

「それは無理ね」

 

 聞き覚えのある斎藤千和のような声。

 振り返ると、夜の闇から滲み出るようにほむらがログインしてきた。私の連絡は届いていたらしい。

 新たな魔法少女の登場に、さすがにあすみの表情が揺れた。

 

「貴女が神名あすみね。魔女が出たと聞いて来たけど、ちょうどいいわ。ここで決着をつけましょう」

 

 発する声の迫力がいつもより2割増しで重くて黒い。

 目つきも見たことがないほどに鋭く無機質。これは人殺しの眼だ。

 仕方がないと言えば仕方がない。あすみの特性を知る以上、ほむらが姿を現したということはあすみを生かして返す気はないということだろう。相性を考えても、ほむらはあすみとは違った意味で魔法少女の天敵たり得る。ほむらの魔法を防ぐにはマミさんのような一風変わった能力が必要だ。

 そんなほむらの潜在能力を悟ったのか、あすみがマミさんよりほむらに向かって身構えた。この期に及んでなお戦意を保てる辺りは見上げたものだと思う。

 凄まじいプレッシャーとなって押し寄せるほむらの殺気をあすみが等量のそれで押し返していた時、ブロッケン山の宴でもないのに更なる魔法少女が舞台に登場した。

 

「そいつはあたしに譲ってくれない?」

 

 新たに現れた声もまた、私たちが知るものだった。

 

「佐倉さん?」

 

 驚いたマミさんが振り返ったところに、私服姿の杏子がスポーツ羊羹を齧りながら歩いて来た。魔女の波動を嗅ぎつけたのだろうか。やはり勘がいいな。

 そんなマミさんと違い、ほむらは杏子が登場してもあすみから視線を外そうとしない。知っていることだけど、この子本当にやる気になると怖いな。

 そんな剣呑な雰囲気の中を、杏子はすたすたと歩いてほむらの隣に並んだ。

 

「どういうつもり?」

 

「どういうつもりもねえけど、まあ、その、あれだ」

 

 羊羹を飲み込み、空になったパッケージをポッケにしまう。

 

「一人を大勢で寄ってたかってやっつけるってのも後味悪いじゃん」

 

「貴女、ふざけているの?」

 

「生憎、大真面目だよ」

 

 そう言ってソウルジェムを掲げるや、杏子が魔法少女に変身した。

 

「こいつは私が責任もってとっちめる。それでいいだろ?」

 

「本気?」

 

「ああ、大マジさ」

 

 手にした槍を一閃すると、杏子はあすみに向かって一歩前に出た。

 

「さて、あんたの相手はあたしだ」

 

 事の成り行きを黙って見ていたあすみが、その言葉にようやく再起動する。

 

「誰だか知らないけど、いきなり出て来て強気だね。それとも三人もいるから強く出てるの?」

 

「心配すんな。あたしが負けたら、後ろの二人は手出ししないよ。な?」

 

 そう言って他の魔法少女を振り返る杏子は、見慣れた肉食獣の笑みを浮かべていた。

 マミさんはともかく、ほむらはそんな約束絶対しないと思うんだが。むしろ時間操作して問答無用でズドンとやらなかった方が不思議なくらいなんだし。

 そんなほむらと、そしてマミさんと比較しても、あすみと対峙する相性において私は杏子の特性に不安を感じた。

 マミさんの袖を引っ張り、小声で耳打ちする。

 

「やめさせて欲しい。相性を考えると、この戦いはリスクが高すぎる」

 

 杏子はクロスレンジ担当だ。あすみの特性に鑑みれば、相性という意味では三人の中で最も不利だ。

 そんな私に、マミさんは困ったように首を振った。

 

「ああ言いだしたらあの子は聞かないわよ。それに、私たちが内輪もめして彼女をここで逃がしたら、私たちが負けるわ」

 

 私は言葉に詰まった。当然ではあるが、あすみの特殊能力を考えればここで仕留めるのが必須要件だ。杏子がごねだしたら面倒くさいことになるだろう。マミさんのことだから、杏子にもしものことがあった時は杏子の言葉を無視してフォローに回るつもりなのだろう。

 

「さて、話は決まりだ。そんじゃ、始めようぜ」

 

 そう言って頭上で槍を振り回す杏子。

 他に選択肢のないあすみもまた、手にしたモーニングスターを両手で構えた。

 

「……貴女くらいは道連れにしてあげる」

 

 そう言うや、あすみの手首が素早くうねった。

 もう聞きなれた鎖の音が響き、唸りを上げて棘鉄球が飛来する。

 必殺の勢いを持つ鈍器の一撃は、槍の柄でそれを弾く杏子の体がずれるほどの打撃だった。

 

「へえ、やるじゃん」

 

 そう言うや、杏子の槍も鋭い音を立てて分解した。

 そこから先は人外の戦いだ。

 物理的にあり得ない動きで、双方の得物が辺りを飛び交う。

 杏子の技量を悟ったあすみが例によって2本のモーニングスターを操るが、杏子の槍がその双方をいなしていく。

 速ええ。さすがは赤担当、通常の3倍という看板を掲げても違和感がないわ。最速を誇るランサーのサーヴァントと言われても信じるぞ。

 

 週刊少年ジャンプのバトル漫画の中のタイマンのような猛烈な応酬の中、徐々に前に出ているのは杏子の方だ。

 これもまた武器の相性だ。振りものであるモーニングスターより、槍の刺突の動きの方が攻撃の回転が速いのだ。一振りの槍で二本のモーニングスターを押している理由はそこにあるように思えた。

 だが、そんなやり取りの中で鬼のような形相になっていた劣勢のあすみが不意に笑みを浮かべた。

 ひときわ大きなモーションで棘鉄球を打ち出したあすみだが、そんな一撃はあっさりと杏子に躱され、返す杏子の穂先があすみを襲った。

 

「!?」

 

 勝利の一撃を放っておきながら、驚愕の表情を浮かべたのは杏子だった。

 切っ先があすみを突いたと思った時、周囲に響いたのは金属が金属を打つ甲高い音。

 穂先が当たるその瞬間にあすみの姿がぼやけ、直径1メートルほどの棘鉄球に変じた。

 

「残念」

 

 その声は、杏子の背後から聞こえた。

 杏子が振り返るより早く、あすみのモーニングスターが横殴りに杏子を襲う。

 棘鉄球と自分を繋ぐ鎖の両端を一瞬で入れ替える順逆自在の術。

 魔法少女と言うのはたいてい一癖か二癖ある芸達者な人が多いが、あすみもまたこの手の小技を多く使うのだと私は知った。

 それを見切れなかった杏子はあすみの必殺の一撃を食らうしかない、と思った私はまだこの赤い魔法少女のポテンシャルを理解できていなかった。

 目の前の杏子を捉えたはずのあすみの棘鉄球が、まるで影を打ったかのように杏子の体を何の抵抗もなくすり抜けた。

 

「残念賞はそっちだよ」

 

 驚きに目を見張るあすみのさらに背後に、杏子の本体は回り込んでいた。

 私は一体いつから、杏子はロッソ・ファンタズマを使わないと錯覚していた?

 幻術を使った駆け引きについては、杏子の方に一日の長があった。

 振り回した柄の一撃があすみのテンプルを捉え、鈍い打撃音が響いてあすみが吹き飛んだ。

 勢いそのままにコンクリの壁にぶつかって動きを止めたあすみに、杏子の穂先が迫る。

 もはや状況は即詰みのあすみだが、その顔にはまだ笑みがあった。

 見覚えのある、邪悪な笑みだ。

 

「残念賞は、やっぱりそっちだわ」

 

「あん?」

 

「ねえ、相手が何もできないままに勝利が決まることを何て言うか知ってる?」

 

「何だそりゃ?」

 

「サヨナラ勝ちって言うんだよ」

 

 その呟きと杏子の足元に魔法陣が煌めくのは同時だった。

 名称は不明ながら、幾度も目にし自分も食らった精神攻撃の魔法陣だ。

 その陣に取り込まれた杏子の表情が一変する。

 どういうトラウマが彼女を襲っているのかは分からないが、その苦悶の表情と自分の経験から、それが口にするのも忌まわしいえげつないものであることは容易に想像できる。

 まずい。完全に極まってしまった。息を飲む私の周囲で一斉にフォローに動く魔法少女二人。マミさんがマスケットを構え、ほむらが腕の盾に手を伸ばす。

 だが、それより早くその声は周囲にこだました。

 

「手ぇ出すな!」

 

 血を吐くような迫力のある制止の声が、杏子から飛んできた。

 次いで杏子は槍を構え、雄たけびを上げながら地面の魔法陣に突き刺した。

 その途端、爆発的に魔力の物と思われるエーテル光が弾ける。

 光が消えた時、忌まわしい魔法陣は影も形もなく消えていた。どういう力が働いたのか知らないが、それだけで解呪が済んだらしい。魔力をぶつけて相殺させて消したのか、陣そのものを物理的に破壊したのか、はたまた杏子の槍には破邪の紅薔薇みたいな効果でもあるのか。

 理由はどうあれあすみの魔法は消滅し、その跡地には肩で息をしている杏子が立っていた。

 何者だ、この子は。

 

「つまんねえ真似しやがって」

 

 そう言うや、杏子が切っ先をあすみに突きつけた。

 

「人の嫌な記憶を抉り出して精神的に痛めつけるのがあんたの魔法みたいだけどな、あたしはそういうのを全部飲み込んで生きてるんだ。今更あんな魔法でおたおたすると思ったら大間違いだよ」

 

 男前すぎる啖呵を切りながら、詰め寄る杏子の姿に私は彼女の持つ他の魔法少女にはない一つの特性を思い出した。

 彼女は、一種の超越者だ。

 自身の望みと等量の絶望を突き付けられ、それを跳ね返した強い意志の持ち主。

 精神力が強いというのもあるだろうが、思考の柔軟性というのもあるだろう。都合のいい祈りのしっぺ返しを食らって崩れてゆくのが運命である魔法少女でありながら、絶望しなかった魔法少女。

 そんな杏子に、あすみが膝を震わせながら立ち上がって応じる。

 振るわれる棘鉄球。だが、既にその一撃に当初の勢いはない。杏子の槍捌きの前に、あすみは一歩一歩と下がっていく。

 

「あんたの境遇には同情はするさ。でもな、だからってそうやって他人に当り散らしていいってもんじゃないんだよ」

 

 その先の展開は見るまでもない。

 切り札すら通用しなかったあすみには、もはや杏子の勢いを止めるだけの力は残っていない。

 あすみが一撃を振るう前に杏子の二撃が飛び、二撃を振るう前に四撃を受ける。

 じり貧のままに圧倒され、ついにその手から彼女の象徴である暁の星の名を持つ得物が弾き飛ばされた。

 それが終劇の合図だったかのように、あすみが腰から地に崩れ落ちた。

 肩で息をしながら項垂れ、力尽きたようにその身を纏う魔法少女の装束が解けて消えた。

 

 

 杏子も余裕はなかったようで、槍を杖に荒い息を吐きながら視線をあすみに据えたまま動かなかった。

 そんな両者の呼吸が落ち着きかけるまで、1分ほどを要した。

 

「……はは、負けちゃった」

 

 蚊の鳴くような、乾いた声がその小さな唇から零れたのが聞こえた。

 

「そうだよね……世の中なんて、こんなものなんだよね」

 

 うつろな瞳が、目の前に転がっている自分のソウルジェム、彼女自身の魂を静かに見つめていた。

 

「殺せば?……私の負けよ」

 

 呟くような声で、あすみが杏子に問う。

 

「殺して欲しいのか?」

 

「私はこの力で、何人もの人を破滅させて来たわ。だったら、自分が負けた時も同じようになるべきよ」

 

「いい覚悟だな」

 

 そう言って応じる杏子だが、槍を振りかぶる気配はない。

 槍の代わりに杏子が振るったのは、意外な言葉だった。

 

「命のやり取りをした仲だ、死にてえっていうなら介錯くらいしてやるけど、その前にちょっと話くらいしないか?」

 

 予想外の言葉に、あすみのみならず、ほむらもマミさんも驚きの表情を浮かべた。

 

「あんたがあんたの身内にやったことはともかく、あたしの仲間にまで呪いをかけたことは許せない。でも、あんたの境遇についてはあたしなりに考えるとこがあるんだよ。そこをあいつにつけ込まれたっていうのも知っているさ。その辺、いっぺん腹を割って、本音を話してみねえか? その上であたしとあんたの気が変わらないって言うのなら、望みどおりにしてやるから」

 

 あすみが顔を上げ、信じられないものを見るような目で杏子を見上げた。

 

「貴女……甘いね」

 

「自分でもそう思うけど、自分があんたの立場だったらどうするかって考えると、あんたと同じことしない自信がないのは確かだね」

 

「つまらない同情はやめて」

 

「同情ってのとは違うよ。今のあんたのあり方が、どうにも気に入らないってだけさ」

 

「……どういう意味?」

 

 その問いに、杏子は肩の力を抜いて話し出した。

 

「大した話じゃない。魔法少女なんてもんは、な~んもない奴が一縷の望みを祈りに託して縋るようにしてなるもんだ。でも、あんたの祈りにはそんな望みがない。それはおかしいんだ。そんなこと、あっちゃいけないんだよ。奇跡ってのは、魔法少女がもらえるたった一つの希望さ。それなのに、希望ではなく呪いを望んじまったあんたは、願いがかなったように見えて、何も得られていないんだ」

 

 杏子の言葉に、あすみの瞳が初めて揺れた。

 

「これはあたしの勝手な都合さ。あたしは自分のためだけに生きている。自業自得の人生さ。誰にも貸し借りはない。でも、あんたの人生は、多分今もただ毟り取られ続けている。どんだけあんたが苦しんでそんなことになったのか、そこを弁えないままあんたをばっさりやっちまうと……多分明日の飯が美味くないんだよ」

 

 そう言ってあすみを見つめ返す杏子の笑みは、どこか優しげだ。

 思い出すのは原作のさやかと教会で対峙した時の杏子の表情。そこで浮き彫りになっていたのは、母性にも似た彼女の心の在り方だった。まゆの時もきっとこうだったのだろう。

 強い奴ほど笑顔は優しい、というのは何の言葉だっただろうか。

 その優しさこそが、他の魔法少女には真似のできない、魔法少女佐倉杏子の魔法のような気がした。

 多分、そんな杏子の優しさは、あすみに届いたのだろう。

 届いてしまったが故に、それは不可避なことだった。

 

 居合わせた皆の耳に届いたのは、微かな異音。

 それはガラスの欠片を踏んだような、乾いた音。

 本当に微かな、崩壊の音。

 その音を聞いたことがあるのは、ほむらと私だけだ。

 ほむらはいつかの時間にまどかのソウルジェムが砕ける時に、私は原作最終話でチベット装束の魔法少女が力尽きそうになったその時に。

 それは、濁り切ったあすみのソウルジェムに罅が入った音だった。 

 

 世の中を恨み、すべてを呪って魔法少女になった神名あすみ。

 もしかしたら、人ならぬ力を手に入れ、それを用いて多くの復讐を果たしてきた彼女の本当の希望は、そんな自分を誰かに罰してもらうことだったのではないだろうかと私は思った。

 しかし、そんな彼女に差しのべられたものは断罪の鉄槌ではなく、彼女の苦悩を理解しようとしている杏子の手だった。

 それが、彼女のソウルジェムを砕く一撃になった。

 神名あすみはマイナスの魔法少女だ。

 恨みで始まり呪いで終わる。そんな歪な運命を強いられた存在だったはず。

 だが、そんな魔法少女はその本来の精神性ゆえに歪みを内包する。

 血闘を経てなお手を差し伸べている杏子の言葉に、あすみの中の歪みが顕在化したのだろう。

 

「お、おい!」

 

 異変を感じ、泡を食う杏子の前で、あすみのソウルジェムの崩壊が進む。

 マミさんも見たこともない状況に身動きが取れなかった。

 私とて、取れる行動は思い浮かびはしない。

 そんな中でただ一人、あすみに向かって歩みを進めた者がいた。

 それがほむらだった。

 影のような音のない身のこなしであすみに歩み寄ると、その場に腰を落としてあすみのソウルジェムに手を伸ばす。

 その白い指が持っているものは、グリーフシード。

 何をするのかと皆が怪訝な顔をする中、限界まで濁ったあすみのソウルジェムから、穢れがグリーフシードに転嫁されていく。

 穢れの浄化にはグリーフシード一つでは足りなかった。

 二つ目を費やし、ようやく多少マシというレベルに落ち着いた。

 大盤振る舞いだ。

 

「……何故?」

 

 あすみのその言葉は、この場の全員の感想だった。私が知る彼女なら、問答無用で崩壊前にあすみのソウルジェムを撃ち抜いていただろう。

 混乱しているあすみに、ほむらがいつも通りの冷たい声で言った。

 

「勘違いしないで。貴女にここで魔女になられても迷惑なのよ」

 

 ちょっとほむらさん、せっかく浄化したソウルジェムが再度曇るようなこと言わないでください。それともそういういじめですか、これ。

 

「はっきり言うけど、この子と違って私は貴女がどうなろうと構わない。むしろ消えてもらった方が好都合よ」

 

 あまりの言葉責めに本気でいじめを心配したが、ほむらの真意は次の言葉に込められていた。

 

「でも……どうせ死ぬなら、真実を知ってから死になさい」

 

 意外な言葉に、あすみの頭上に疑問符が浮かんだように見えた。

 

「真実?」

 

「詳しいことはあっちにいる子に聞いてみるといいわ。貴女が知らない、本当のことを教えてくれるはずよ」

 

 そう言ってほむらが視線を向けてきた。私の方に。

 丸投げですか、ほむらさん。

 いきなりな展開に戸惑わざるを得ないが、他の二人の魔法少女の視線も同意の念に溢れている。

 そんな場からほむらが踵を返して去ろうとした。その背中に杏子の言葉が飛ぶ。

 

「あんたは来ないのか?」

 

「インキュベーターの行動が気になるのよ。こういう隙を見逃すような奴じゃないわ」

 

 それは確かに。まどかのガードをあまり空けるのは好ましくない。

 去り際に、ほむらが小声で私につぶやいた。

 

「分かっていると思うけど、上手く説得できなかったら、その時は本当にあの子の事は諦めなさい」

 

 予想外の行動をとったほむらに、私は訊いた。

 

「理由を聞いても?」

 

 少し沈黙し、ほむらは視線を逸らして答えた。

 

「……佐倉杏子に変に感化された、とでも言っておくわ」

 

「それでいい。ありがとう」

 

 感謝の言葉を述べた私に反応せず、ほむらは宵闇にログアウトしていった。

 

 これは後になって思ったことだ。

 ほむらにしては彼女らしくないと思った一連の行動について、ある夜、ふと思った。

 確かに杏子の言う通り、あすみの祈りには救いがない。

 だが、純粋にただ周囲に不幸を振りまくことを望んだというのなら、彼女はあんなことにはならなかっただろう。それが彼女が真の悪党ではないことの証左だ。

 では、彼女の中の本質的な部分が欲していたものは何だったのか。

 もしかしたらあすみは、誰かに自分のことを罰して欲しかったのではないかと思うのだ。そうして、この世から消えていくことが彼女の望みだったのではないかと。

 誰かを呪い、偽悪的に周囲を不幸に貶めた先にあるのは、どう考えても袋小路だ。それくらいはあすみも分かっていただろう。

 そんな悪行を誰かに咎められ、その誰かに打倒されることが彼女の中の本質的な部分が求めていたものではなかったのか。

 しかし、戦いの果てに自分を倒した杏子に最後の希望を告げた時、杏子はそれを拒絶した。

 あそこで杏子に討たれることが、あすみ中で贖罪に位置付けられていたとしたらどうだろう。

 罰がなければ罪は償えない。

 だから、杏子の言葉を聞いたところで、行き場をなくしたあすみの罪の意識が彼女を押しつぶすように魔女化が加速したのではないかと思うのだ。

 

 ほむらは、その事に気づいていたのではないだろうか。

 そんな彼女の祈りが何だったのか。それを思い出した時、私なりに彼女のあの時の行動が理解できた気がした。

 

『鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい』

 

 彼女の祈りは、まどかと再会し、そして彼女を守ることだった。

 確かに時間遡行の力を手にしてほむらはまどかと再会した。しかし、それは地獄の入口に足を踏み入れたようなものだった。

 幾度時間を遡ろうとも、まどかを守るどころかその遡行の数だけまどかが朽ちてゆく様を見せつけられ続け、祈りは成就する気配すらない。

 そうして時間遡行を繰り返す度に、徐々に磨滅していった彼女。

 淫獣が言っていたように、その歩みを止めると同時に自分が魔女に堕することは彼女自身も分かっていたのではないだろうか。だからこそ、まどかのことを『最後に残った道しるべ』としがみ付いていたのだと思う。

 ほむらもまた、あすみと同様に運命に毟られ続けている魔法少女なのだ。

 そんなほむらに、マイナスばかりの在り方を否定した杏子の言葉はどう届いただろうか。

 負債ばかりが積み上がり、じり貧になって押しつぶされるように朽ち果てようとしたあすみの姿が彼女の目にどう映っただろうか。

 本当の願いが叶わないと知った時の、絶望の果てにあるものを見せつけられた気持ちとは、どういうものだったのだろうか。

 帳尻が合わないという点において、この二人はよく似ている。

 まるでコインの裏と表のように。

 だからこそ、ほむらはあすみが壊れていくことを良しとしなかったのではないかと思うのだ。

 そこに、自分自身の目を背けたい何かが見えてしまったのではないかと。

 

 

 振り向けば、そんなほむらをよそに杏子があすみに手を伸ばして強引に立たせていた。

 

「ま、そういうことなら飯でも食いながら話そう。ちょっと歩くけど、内容は保証するよ」

 

 そう言う杏子が私の方に向き直り、いつもの笑みを浮かべて私に言った。

 

「で、任せていいんだろ?」

 

 あんたも丸投げかい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 挑まれたからには受けて立つ。

 これもまた剣に拠らぬ戦いなのだ。

 

「食べたいものは?」

 

「別に」

 

 棘のある視線を向けながら、あすみの反応はそっけない。

 仕方がない。

 基本に忠実に事を運ぶとしよう。

 子供向けの料理の基本は、次の言葉に集約される。

 

 『おかあさんやすめ、ははきとく』

 『まごわやさしい』

 

 この二つは子供を対象とした食事において、心に留めておかないといけないゴロだ。

 これについて『おかあさんやすめ、ははきとく』には諸説あり、子供が好きなメニューと言う説とお母さんが楽できるメニューと言う説、そして子供の成育によくないメニューという説だ。

 これについて、私は『子供が好きなメニュー』説に一票を投じる。

 その理由は『か』の担当としてカレーライスがラインナップにあることだ。

 

 カレーライスはほぼ完全食品と言っていいメニューだ。不足するのはカルシウムと葉酸と言われているが、そんなものは具の選択次第でいくらでも対応できる。牛乳をサイドに加えてもいい。

 栄養価はもちろん、味も万人受けする絶妙なものだ。カレーを嫌う人は滅多にいないだろう。軍人が戦地で現地の生き物を焼いて食べる時もカレー粉が臭み消しに大活躍するとも聞く。

 しかも、カレーに使うスパイスは薬でもある。乱暴に言ってしまえばカレーのルーは漢方薬の集合体でもあるのだ。クミン、コリアンダー、カルダモン、オールスパイス、チリーペッパー、ターメリック。それらのスパイスをふんだんに使ったカレーはストレス抑制や冷え性の改善、アルツハイマー病の予防にも効果があると言われている。レトルトカレーにキャベジンや漢方胃腸薬を加えると味の深みが増すという意見もあるくらいだ。

 調べれば調べるほど、アンサイクロペディアのネタみたいに高機能食品。

 私のチョイスは、そのカレーライスだ。

 

 途中であれこれ買い物を済ませ、外で待っていた3人に合流する。

 杏子の立ち位置が、あすみを取り逃がさないようにする微妙な立ち位置なのが分かった。過保護だね、この人も。

 

 自宅に戻り、皆に茶を出して作戦開始。

 ニンジンとジャガイモ、タマネギの処理から。

 杏子たちを待たせているリビングの方は、思ったより重い空気にはなっていない。

 

「カレーライスとライスカレーの違いは知ってるか?」

 

 などと仏頂面のあすみに気さくに話しかける杏子の存在が今はありがたい。知らなかったが、杏子は人との間合いを詰めるのが抜群にうまいようだ。あすみにしてみればどう対応したらいいか悩ましいところだろう。

 そんな彼女らの様子にたまに視線を向けながら、ニンジンやジャガイモを刻んでいく。

 

「どういう展開なのかしらね、これ」

 

 野菜のカットを手伝ってもらっているマミさんが、複雑な表情で呟く。お菓子だけではなく、料理の腕もなかなかのものだけに助手としていてくれると非常に助かるマミさんだ。

 

「私も同じことを考えている」

 

「ついさっきまで敵だった子と同じ食卓を囲む度胸があるのって、佐倉さんくらいでしょうね」

 

「武道の最強の奥義というものは、殺しに来た敵と友達になることだと聞いたことがある」

 

「……笑えないわ、それ」

 

「現状では彼女に任せるしかないと思う。私たちは私たちができることをやるのが最善手」

 

「それもそうね。カレーも得意なんでしょ?」

 

「多少は」

 

 これでも私はカレーには拘りがある。スパイスからガチでルーを作れば弓のシエルや知恵留美子先生をも唸らせる自信があるが、今日は時間がない。ここはプライドを曲げて市販のルーにちょっとだけ手を加えるくらいにしよう。

 カレーは用いるメインの食材によって名称が変わる。

 ビーフカレー、チキンカレー、キーマカレー、シーフードカレー等々。

 私が選ぶのは王道、豚バラのブロックだ。

 肉好きが最後にたどりつく境地は豚バラのブロック。それが精肉業者に教えてもらった肉のプロの常識だ。

 そんな薀蓄は抜きにしても、カレーにおいて至高の具材であることは私の中では揺るがない。

 圧力鍋を動員してブロック肉を煮込んでも煮崩れない程度の柔らかさに下処理する。

 本格的なスタートはここから。

 刻んだタマネギをあめ色になるまで炒めるところから始めるのは基本だ。タマネギの甘さを出すためだが、この工程をコーヒー牛乳で代用する技もある。

 これに刻んだニンジンとジャガイモを入れて軽く炒める。このタイミングでおろしにんにくも投下。 

 本当は一晩おきたいところだが、今日の時点でも十分な味は保証しよう。

 それらを合体させて煮込みに入ったところで炊飯器が炊き上がりを知らせる音を立てた。

 さて、仕上がるまでの間にサラダを用意しておくか。

 

 

 

 出来上がったカレーは我ながらなかなかの出来栄え。

 だが、呉越同舟を絵に描いたような食卓に並べるにはちょっと力不足かも知れない気がした。

 どことなくあすみを警戒するマミさんと、ノーガードであすみに対する杏子。当のあすみは未だにその杏子の狂った距離感に戸惑っていた。

 

「どうぞ」

 

「よっし、いただきます」

 

 一人だけテンションの高い杏子が嬉しそうにスプーンを手に取った。 

 マミさんもあすみも食器を手に取る。

 戸惑いながらもカレーライスを口に運ぶあすみの様子を見つめる。

 別に毒なんか入ってないから心配すんな。

 そんな私の視線にあすみが気づいた。

 

「何?」

 

「肝心の一言を待っている」

 

「……いまいち」

 

 あすみが言った途端、あすみの後頭部が小気味よい音を立てた。

 

「適当なこと言ってんじゃねえ。ここまで美味いカレーがそうそうあってたまるか。おい、ちゃんと美味いからあんたも落ち込んでんじゃねえよ」

 

 プライドを破壊する予想外の打撃に項垂れた私に、杏子のフォローが入る。

 だが、あすみの言葉は私に対する嫌がらせのものではなかった。

 

「お母さんのカレーはもっと美味しかった」

 

 あすみのその言葉に、一瞬皆の動きが止まった。

 彼女たちの様子に、私はすぐにその理由を理解した。

 ここに居合わせた全員の共通項は、母親のカレーをもう食べられないという事だ。

 確かに、ライバルがそんな記憶の中のカレーと言う強敵では今の私ではいかんともしがたい。

 再起動を果たすまで3秒ほど。

 遠い目をしながら最初に再起動したのは杏子だった。

 

「あたしの家のカレーも美味かったけど、これとはちょっと比較はできないな。いつもチキンだったし。ま、どっちも美味いってのが感想かな」

 

「あら、うちもチキンが多かったわ」

 

 杏子の言葉に、マミさんが反応する。

 日本の幸せの原風景において、夕暮れ時に漂うカレーの匂いと言うのがあると思う。

 それこそソースをかけなければ食べられないような時代のカレーも、家族で食べるお母さんのカレーは、何物にも代えがたいごちそうだったことだろう。

 揃って遠い目をする杏子とマミさんだが、そんな2人を羨ましく思うのも事実だ。

 

「あんたん家はやっぱりポーク?」

 

 流れで振られた杏子の質問に、私は首を振った。

 

「私の原型の一系統であるジェニトリックスは、私の誕生時に機能を停止している。だから、私には彼女の作品を食べる機会がなかった」

 

 私には母がいない。

 愚にもつかない事だけ都合よく残っている記憶にも、母のカレーの記憶はない。

 家庭の味。おふくろの味。そう言ったものは作ってみたところで想像の域を出ず、レシピに倣って作ったそれは、どこかの洋食屋でも食べられるような一味足りない寂しさが付き纏う。

 あすみが言うように、彼女の母親のカレーと私の作品の間には、越えられない壁がある。

 それは、今の私ではいかなる技術を尽くしても越えられないものだ。

 いつか私が母親になれた時、多分その壁を越えられる何かがこの身に宿るのだろう。

 私の説明の意味が解らず頭上に疑問符を浮かべている杏子を見ながら、私はそう思った。

 

 

 

 会話があったようななかったような、そんな微妙な夕飯が終わった時のことだった。

 

「それで、本当の事って何? 話すならさっさと話して、私をどうするか決めて」

 

「あんた、せっかちだなあ」

 

 食後のフルーツオレを飲みながら、杏子が呆れたように言う。

 

「話をするために連れて来たんでしょう」

 

「そりゃそうだ。それじゃ早速だけど、あんた、何でこいつを呪ってんだ?」

 

「……貴女たちが偽善者だから」

 

「そうなのか?」

 

 杏子が私に訊く。

 

「否定する。私たちの目的は、やがてこの街を襲う強力な魔女を倒すこと。だが、世界の平和は副次的なものに過ぎない。その魔女の存在が、私の友人にとって不都合だということが一番大きい」

 

「友達?」

 

 怪訝な顔をするあすみに、私は答えた。

 

「彼女は魔法少女の適性がとても高い。そのためインキュベーターは、その友人を魔法少女にすることを望んでいる。それは許せることではない」

 

「……そんなにすごい才能があるなら、なればいいじゃない」

 

 その言葉に、私は首を振った。

 

「魔法少女は、不可逆な存在。希望を得た後に絶望を知り、何の対処もしなければ最終的に魔女になる定めにある。それがグリーフシードと魔法少女の秘められた真実。インキュベーターはその部分の説明を常に省略する」

 

 魔法少女のあり方は、基本的に破滅への一方通行だ。魔女化を避けるためには、杏子のような思考や価値観の根本的な切り替えが必要なのだが、それに気づかず闇に飲まれる魔法少女がほとんどだろう。

 私が述べたその事実に、あすみは苦々しげな表情を浮かべた。

 

「前にもそんなこと言ってたけど、嘘はやめてよ。そんなことしてあの子に何の得があるのよ」

 

「これは私と言う人の肉声ではなく、機器の表示として聞いて欲しい。魔法少女が魔女になる時、相当量の精神エネルギーが放出される。インキュベーターの目的はそのエネルギーを得ること。先刻貴女のソウルジェムが崩壊しかけた例で言えば、完全に崩壊した時にソウルジェムからそのエネルギーが放出されると思ってくれていい」

 

 己の身に起こったことを例にされ、ようやくあすみの顔色が少し変化した。

 

「貴女はインキュベーターからいろいろ説明を受けていると思われる。しかし、かなりの高確率でその内容は要所を端折って、私たちと貴女が衝突するように脚色されていたと推測する。グリーフシードの消費が激しすぎる貴女の状況は、それを必要とする貴女の意識をグリーフシードを保有する私たちに向けさせるインキュベーターの計算によるものであった可能性が高い」

 

「どうあっても、あの子の言葉が嘘だと言うの? 私には貴女が私とあの子を仲違いさせようとしているようにしか聞こえないわ」

 

 その言葉に、私は今一度首を振った。

 

「インキュベーターは嘘をつかない。しかし、全てを語ることもない。あの存在は、本当に重要なことを言わずに誤解を助長する。ソウルジェムのことはその一つ。私が貴方に伝えたいことは、そのインキュベーターの本当の思惑について」

 

 ここまでがまず一手。

 問題はここからだ。

 

「詳細を話す前に、貴女の祈りについて言っておきたいことがある」

 

 予想外の切り出しだったのか、あすみの肩が微かに震えた。

 

「貴女には、心に棚を作ることを覚えて欲しい。それが今の貴女にとって何をおいても重要なこと」

 

 あすみに向い、私は真正面からそう告げた。

 前世から贈られた知識の中でも、私が最も好きな言葉の一つを。

 

「……どういう意味?」

 

 さすがにあすみが怪訝な顔をする。杏子もマミさんも戸惑っていた。

 これは非常にいい言葉だから皆に覚えてもらいたい。

 

「もっと心を広く、最大限に活用するべき。狭く考えてはいけない」

 

 そうして、私は彼女の置かれてきた境遇について、私なりの正義の理論を説いた。

 ネグレクトをはじめとした児童虐待は、犯罪である。

 本来無償の愛を享受するべきあすみがそれを得られず、あまつさえ冷遇されたことは大いなる罪である事。

 あすみが願ったそれは天の裁きを待ってはおれず、この世の正義もあてにならなかったあすみが行った紛れもない自助努力なのだという事。

 確かに引き取り手である親戚はひどい目に遭っているらしいし、恐らくはあすみの実父も相応の目に遭っていると聞いていた。

 ちなみに、後日分かったことだが、あすみの実父も里親連中も、かなりえぐい目に遭ったようではあるが命ばかりは失わずにすんでいたようだ。死んだ方がマシという事もこの世にはあるが、それは私が知ることではない。詳しくは述べないが、流石あすみんと思わせるだけの状況だったことは付記しておく。

 だが、それは因果応報なのだ。

 あすみを、子供を、守られるべき存在を厄介者扱いした罪に対する罰としては許容されて然るべきなのだ。

 そのように、あすみの行動を徹底的に全肯定し、罪の意識を持つ必要など微塵もないことを説いた。

 

 これを話すのは、まずあすみに精神的に安定してもらわなければならないからだ。

 先程崩壊しかけたソウルジェムが、またぞろ危ない状態になってもらっては困るのだ。まず必要なのは彼女の中の精神的な負荷を少しでも軽くしておくこと。そうでなければより重い魔法少女の真実の話はできない。

 

「でも、私は貴女にも酷いことをしたわ」

 

 私のフォローを聞きながらも、当然ではあるがあすみは納得していない様子だった。

 

「それを許すことができるのは私だけ」

 

「許してくれると言うの?」

 

 戸惑ったようなあすみに、私は告げた。

 

 

「条件次第」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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