春は別れの季節であり、出会いの季節でもある。
前者はともかく、その時の私にとっては後者が問題だった。
ソメイヨシノが程よく散り始める頃、関東北部の美しい開発指定地区であるこの街で、私は初めて彼女と対面した。
「私、鹿目まどか。よろしくね!」
純度イレブンナインの笑顔。背後の席という至近距離でこういう無垢な代物を向けられて、無下に切り捨てられる存在がこの太陽系に存在するだろうか。いや、いない。
市立見滝原中学校の入学初日、私と鹿目まどかとの邂逅は、こんな感じにまどかからの一方的な攻撃から始まった。
最初の席順は名前の順というのがデフォルトなせいで、『香波』と『鹿目』という名字の並びがもたらした不可避な出会い。
それは善・悪・中立の属性区分で言えば、圧倒的な善の一撃だ。自称中立の私の属性が悪だったならば、恐らく三葉ムツミの無邪気発言の直撃を受けた畑ランコのように『まぶしい』と呟きながらこの場で消滅していたに違いない。
そんな輝きに曝されながら、感情表現が得意ではない私はいつも通りの表情の乏しい顔で静かに思った。
神様、もしかして私のことがお嫌いですか、と。
事の始まりは2か月ほど前、冬将軍も絶好調の2月の午後6時。ちょうどお夕飯を作っている時の事だった。
場所は神戸の片隅の3階建てのアパートの角部屋、そのキッチンでロールキャベツに楊枝を突き刺している小学6年生の女子を想像してもらいたい。
ショートカットで背は中背。さほど珍しくもない量産型の女子児童。それが私だ。
見た目はそんな感じに無難ではあるのだが、顔面における感情表現が苦手なのが幼少時からの悩みだ。私なりに喜怒哀楽は顔に出ていると思うのだが、人が見ると来栖川芹香や夕叢霧香のように何があっても表情がほとんど変わらないらしい。『鉄面皮』という女の子には不似合いな綽名を頂戴したこともある。それを聞いた時は軽く流したのだが、その時抱いた黒い感情が『殺意』だったのだと気づいたのは5日後の事だった。
そんな私に、珍しく早くに帰宅した父がキッチンのテーブルでネクタイを緩めながら苦い顔を向けている。
「いつ?」
「4月から」
「……そう」
『転勤が決まったんだ』
帰宅して早々、父は開口一番私にそう言った。
父はメーカーの企画部所属で、今は主任を務めているそうだ。父の同僚が言うには父は優秀なスタッフで、周囲に結構頼りにされているらしい。人付き合いが苦手な訳でもないのにあまり遊びを知らない、真面目一徹の自慢の父だ。
「住宅とかは?」
「あっちで手配してくれるらしい。要望はもう伝えてある。お前の学校にも近いところを探してもらってる。キッチンも今と同じレベルのものは約束してもらった」
父が話す仔細を私は静かに聞き、事の次第を理解した。そういうことなら言えることは一つしかない。これも宮仕えの悲しさだ。
「……判った」
「すまないな、これから中学に上がるって時に」
「仕方がない。お仕事は大事なことだから」
周囲が見れば、私の小学生らしからぬ聞き分けの良さにはきっと違和感を感じるだろうと思う。
でもそれは仕方がない。
私の価値観は、この時間軸で過ごした11年間の資源だけで培われたものではないのだから。
前世のものと思しき、不可思議な記憶。
中二的空想世界では割とありがちな不思議な現象だが、実は私はそれの体現者だ。それが本当に前世のものかは判らない。ひねくれたアカシックレコードなのかも知れないし、ゆんゆんな電波を受信しているのかも知れない。そんなあれこれはいろいろ考えたが、どうせ真相は判らないことだ。いい加減考えるのが面倒なので、きっと転生したのだろうと思う事にしている。
生々しいまでにリアルなその記憶の断片は、恐らく20歳半ばくらいのものだろうと思う。年相応の精神年齢のまま受け止めるにはいささか重い、前世からの贈り物だ。ちっとは役に立つ知識があればよかったのだが、メインが貴腐人のそれと言うのが非常に残念ではある。
そういうソフトを幼児のボディというハードに押し込むとどうなるか。
人によっては大人しい子だと言われることもあるが、多くの場合は可愛げのない子と思うのが本心だと思う。大人の価値観を理解する子供など不気味なだけだろうから仕方がない。私でもそう思う。
当然、そんな影響で若干精神年齢が実年齢からずれた身の上では、同年代の友達を作るのも難儀な仕事となる。
それでも女の子は小学校の高学年になると割と早熟な気配を見せ始めるので、ここ最近になってようやく肩の力を抜いて周囲に接することができるようになったところだった。
そんな経緯で友達も皆無とは言わないまでも少ない身の上だ、父の転勤によって引っ越すことになっても惜しんでくれる人の数は片手で足りる。
地元に残ろうにも頼れる親戚もいないし、私の誕生と引き換えに母が亡くなってから男手ひとつで私を育ててくれた父をほったらかしにはできない。しょっちゅうずっこけるメガネがトレードマークで、一見頼りなさそうながらも芯は強いあたりは男性としてはお買い得物件だと思うが、遺憾ながらカップラーメンとカップうどんとカップ焼きそばをこよなく愛する困った嗜好があるので食事については私がいないとどんどん堕落してしまうのだ。
後妻さんもらえばいいのになあ、といつも思うのだが、父は頑固に母への愛を貫いている。おかんも女冥利に尽きるものだ。
「行き先は?」
「本社だ」
本社と言うと東京か。年頃の娘さんなら繁華街に期待を示すところだろうが、生来田舎者の私は過度な都会は正直苦手だ。大阪でもキタは対応できてもミナミになると近寄りたくない。三宮辺りが私にはちょうどいいのだ。
「東京だと物価が高そう」
「いや、この間本社移転したんだよ」
おや、それは知らなかった。
「どこ?」
「みたきはら」
その言葉に、ロールキャベツをスープに投入する手が止まった。
「……え?」
思わず改めて振り返って訊いてしまった。
そんな私に、父はいつも通りにずり落ちたメガネを直しながらもう一度言った。
「見滝原市だよ。ニュースでよく言ってる科学実験都市の」
手から滑り落ちたロールキャベツが、スープに落ちてぼちゃりと音を立てた。
我ながらいい出来栄えのロールキャベツだったのだが、食べても味が判らないくらい私は静かに混乱していた。
脳のリソースの大半を割いてやっていたのは、前世の記憶の虫干しだ。
私が知る限り、前世のリアルな地名に見滝原という土地はない。浅学ゆえに私が知らないだけかも知れないが、私の中のライブラリではどちらかと言えば見滝原は『冬木市』とか『雛見沢』とか『東京西部の学園都市』とかと同列にされている類の地名だ。これでもかつては貴腐人の端くれ、これくらいの情報のストックは淑女の嗜みだ。
そこを舞台にした時空秩序創成の物語は今でもよく覚えている。
『魔法少女まどか☆マギカ』。
鹿目まどかと暁美ほむらの二人を軸にした、疑似百合系の大きなお友達御用達のダークファンタジーアニメだ。
ストーリーについても記憶にはあるが、記憶にあるだけに嫌な汗が止まらない。
アニメの通りに最後に主人公まどかが神の一柱に昇華するような展開であれば、極端に言えば所詮は他人事で済む話だ。好きなだけドンパチやって、心行くまで宇宙のための贄となってもらって構わない。悪魔に堕する暁美ほむらも大いに結構。世界が再構成されたとしても私の生活に影響がなければお好きにどうぞというところだ。
問題は、私がいるこの世界、その時間軸だか時間平面だかが本当にあのメインストーリーと同じであってくれるかどうかだ。
ワルプルギスの夜とか言う逆立ちした小林幸子みたいな魔女が、スーパーセルとして見滝原を蹂躙する未来。そこまでは鉄板だ。そこから先の分岐が、アルティメットまどかの誕生に繋がっているか否かが重要になってくる。
暁美ほむらが経験した無限の地獄の流れにおいて、かなり穏やかじゃない光景があったのを私は覚えている。その未来の悉くで見滝原は壊滅的なダメージを蒙っていたはずだ。
中でも魔女化したまどか、救済の魔女『クリームヒルト・グレートヒェン』によって破壊された見滝原の光景はこの上なく強烈で、見滝原があったはずの大地は隕石落着の現場のようなありさまだった。
『私の戦場はここじゃない』と暁美ほむらが自己陶酔するシーンは作品中の名シーンの一つなだけに記憶もこの上なく鮮明だ。
それを考えた時、私の中に渦巻く意識はただ一つに集約される。
この世界があれだったらどうすんねん。
当然ではあるが、私はまだ命は惜しい。もちろん父にだって死んで欲しくない
特にクリームヒルトは全地球規模の脅威だ。もしかしたら私に与えられたこの世界の役割は、実はバケツを被った魔法少女的なものなのではないだろうかとも思うくらいだが、まどかを亡き者にしてもワルプルギスの夜がいる以上は見滝原の破壊は規模の大小の問題だけで回避できるものではない。あの舞台装置の魔女は『観客』がいる方を目指して移動してくるという非常に迷惑な習性を有していたはず。避難所にいても命の保証はない。
そんな感じに思考はぐるぐると回り続けて混乱が増すばかりだった。
吐き出したレーザーで名古屋城を破壊しそうな勢いで美味い美味いと晩御飯を綺麗に平らげてくれた父に熱めのお茶を出し、洗い物をしようと腕をまくったところで私ははたと我に返った。
馬鹿馬鹿しい。
冷静になってみれば、そんなアホみたいな現実があろうはずがないではないか。
ここはリアルの世界であって、魔法少女だのプリキュアだのファンタズムーンだのがうろついているような世界ではないのだ。
私が知らないところに見滝原と言う行政区があるというだけの話だ。そうに決まっている。
空想と現実をごっちゃにしちゃいけない。
それがリアルに生きる者の鉄則だ。
そう思っていた時期が、私にもありました。
「引っ越してきたばかりなんでしょ、お店とか案内してあげる!」
天照大神もサングラスを欲しがるような眩い笑顔でこう言われて断れる存在がこの太陽系に以下省略。
そんな感じに、入学早々に放課後に繁華街での小遣いも省みぬ買い食いに引きずり回される羽目になった。
以来、有無を言わせず私を連行することは半ばまどかの既得権益と化してしまい、基本的にほぼ毎日連れ出されることになった。そのため、貯金どころか小遣い日前は残金が小銭数枚という赤貧がデフォになった。無論彼女らも私同様にお小遣いで細々とやっているのだが、私の場合は美味しいものを食べると再現したくてそのための食材を買ってしまうがために発生してしまうやむを得ない格差だ。
そんな私の懐事情はともかく、接してみれば鹿目まどかという子は非常にいい子だった。
何がすごいと言えば、まず人の悪口を言わない。これは年頃の女の子にとって稀有と言えよう。
加えて、泣き言や愚痴を言わない。
さらに言えば大抵の事を良い方向に捉えてしまう。どこの聖女様ですか、と思うくらいよくできた娘さんだった。友達いなかった暁美ほむらがコロリとやられてしまうのもむべなるかな。そりゃ神様にだってなれるわ。
むしろ純粋すぎて結婚詐欺の類に引っ掛からなければいいのだがと思うくらいだけど、そこは優秀な衛兵がいるから問題ないだろう。
衛兵の名はもちろん美樹さやか。恋路に破れて黒化してしまうあたりメンタルが弱いと思えなくないが、自分の事はそうであっても他者に対しては思いやりのある子なのは映画を見れば判る。付き合ってみれば気さくでさっぱりしており、一緒にいて肩が凝らない。まどかとは違った意味でいい奴だ。口数が多くない私にも遠慮なくネタを振って来る辺りは漫才文化圏の人のようで、関西出身者としては内心忸怩たる思いがしないでもない。不憫なことにそういう男前なところもあるせいで上条君からは女認定されなかったんだろう。恥じらいを覚える前の幼児期からの付き合いと言うのも不利に働くんだと思う。
そんな二人に上品なおっとりお嬢様である志筑仁美が加わって、小学校以来の仲良しトリオを結成している模様。
正直、この面子と付き合っていると大は因果操作の奇跡、小は必殺腹パンチなど、命が幾つあっても足りないのであまり近づきたくなかったのだが、愛想もなく人付き合いが苦手な私の何が気に入ったのか、まどかに懐かれたのが運の尽きだった。捨てられそうな子犬のような上目づかいで放課後の遊びの誘いをかけられては、私には抗う術がないのだ。
そんなこんなで徐々にまどかトリオに引きずり込まれ、半年も経過する頃には周囲から見ればカルテットの一角と言われるような存在に仕立て上げられてしまった。
そんな彼女たちとの交流を心地よいと感じてしまったのがすべての間違いの始まりだったのだろうが、しまったと思った時にはもう遅かった。
自己弁護のようだが、これは仕方がないことだ。
それは紛れもなく、賑々しくて楽しい日々だったのだから。
そんな色とりどりの記憶に溢れる1年は、駆け足で過ぎ行く。
窓際最後方の席で初春の日差しを浴びながら、私はやや霞んだ見滝原の空を見ていた。
間もなく期末テストと3学期の終業式が行われ、春休みが明ければ私たちは中学2年に進級することになる。
この世界が本当に私が知る物語と同一のものであったとしたら、そこから起こることを私は識っている。
瞼の裏に見えるのは、水が貯まったクレーターになった見滝原、あるいは魔に堕した暁美ほむらの姿だ。
それは悲劇。それとも惨劇。
全員が、幸せになれない未来。
仮に、ここが本当に魔法少女のいる世界なのだとしたら、現状維持では恐らくかなりの高確率でそのルートに迷い込むことになるだろう。
見滝原壊滅エンドなら当然暁美ほむら以外は皆揃って不幸な幕引きだし、メインストーリーもまた救いがあるように見えて魔法少女の行きつく涯ては穏やかな消滅だ。良さげな雰囲気のBGMとか『円環の理』という耳触りのいい文字列に騙されてはいけない。あれは魔女になるよりはマシと言う程度の悲しい結末なのだ。
どっちに転んでも まどかもさやかもかけがえのない日常には帰って来られない。早乙女先生の言葉では、仁美もまたさやかの行く末により打ちのめされることになる。これを看過して、明日食べる御飯が美味しい訳があろうはずがないではないか。
今さら知らん顔しようにも、まどかにもさやかにも仁美にも、もうたっぷり情が移ってしまっている。
この1年間、こんな私に本当によくしてくれた3人だ。
毎日一緒に登校したこと、夏の花火にみんなで浴衣を着て出掛けたこと、仁美の招きで海に行ったこと、秋のお祭りや、私の家でやった闇鍋会。
もちろん楽しいことばかりではなかった。嫌な事件の最たるところは先日の上条君の事故だ。狼狽えるさやかを皆で宥め励ましたのは記憶に新しい。そうやって、互いをフォローし合って来た。
見滝原に来て以来積み重ねてきたそうした記憶が、鮮やかな風景画のように私の裡に並んでいる。
友人と言うもののありがたさを、私は今一度この子たちに教えてもらった。
この世の神なんてものがいるとして、それが含むところがあって私と言う存在をこのような境遇に放り込んだのだとしたらずいぶん意地悪だ。甘美な夢は、覚めるときに必ず痛みを伴うというのに。
「だ~れだ」
不意に視界が暗くなり、背後から喜多村英梨みたいな声が聞こえた。
「……八坂真尋」
「残念、さやかちゃんでした、って八坂真尋って誰よ?」
いつの間に背後に回ったのか、さやかがいつも通りに明るい笑顔を浮かべていた。
「全宇宙屈指のフォークの使い手。知らない?」
「知らない。それより、ごめん有季、数学の課題見せてくれない?」
さてはまた課題を忘れたな、さやかっち。
「ハーゲンダッツのバニラ」
「そ、それは厳しい。スーパーカップで勘弁してよ」
「どうしようかな」
他愛もない、友人とのじゃれ合い。
こんな日々が壊れる日が来ることを知っているのに、何もせずに傍観者を決め込むことは私にはできない。
でも、運命とやらを決めつけて人々を玩弄する神とやらに文句を言っているだけでは物事は何も変わらない。
理不尽な運命であるならば、それをどうやってひっくり返すかを考えられるのは知的生命体である人間の特権だ。
神の一柱アルティメットまどかに脳内で八つ当たりの卍固めをかける自分を想像しながら、当面取れるオプションを模索する。
まずは、何を置いても確かめなければならない。
この世界が、本当に私が知っているあの狂った世界なのかどうかを。
そしてもし、本当にここがあの世界なのだとしたら、私は私として取るべき手段を講じなければならない。
どこまでの事が出来るかは、正直判らない。
でもやらなければ何も変わらない。
今持っている『記憶』と言う資源を使い、どのように状況を変えていくか。
まどかとさやかを魔法少女にしないことは絶対に譲れない。
ワルプルギスの夜を撃退することもまた、私たちが生き残るための必須項目だ。
その2つを成し遂げるための筋道と言う名のパズルを必死に考え、何を取って何を切り捨てるかをシミュレートする。
ここまで頭から煙が出そうなほど考えたのは初めての経験だと思う。
ある程度のプランが出来上がったのは、数日後のことだった。
その日の午後の授業、基本的に授業は真面目に聞く主義の私としては珍しいが、私はせこせこと内職に励んだ。端末主体の授業ではあまり使わないルーズリーフの一葉に、我ながら下手な字でボールペンを走らせる。
それを丁寧に折り曲げ、授業が終わると同時に2年生のフロアに向う。
事前の確認どおりに体育の関係で無人の教室を確認し、廊下に並ぶロッカーの、ある生徒のそれの扉の隙間に差し込んだ。
我ながら古風な一手。
『手紙公方作戦』。
細工は流々。仕上げは夜だ。
その夜、私は家を抜け出して公園のベンチに座って待った。
ここ最近、父の帰りは例外なく午前様だし、早く帰って来たとしても夕飯は得意の肉じゃがを用意して冷蔵庫において来てあるので後顧の憂いはない。
この見滝原では、子供の夜の外出はタブーとされていない。防犯機構が非常に行き届いていることもあるが、死角がない都市の造りと言うのもそういうことの一助となっている気配もある。古き良き日本の家族制度も怪しくなって久しいし、割と小さいうちから自立を促す教育省の方針も影響しているように思う。
そうして待つこと10分ほど。
公園の時計が午後7時をやや回ったところで、待ち人の足音は静かに私のもとを訪れた。
「こんばんは。待たせたかしら」
視線を上げ、私は静かに首を振った。
目の前に立っていたのは、巻き髪が特徴の、ややふっくらした可愛らしい女の子だった。
巴マミ。
豆腐メンタルで御馴染みの妖怪乳鉄砲。
私が知る時間軸では、すべてのきっかけは彼女から始まる。善意からであったとは言え、まどかやさやかをそっちの道に引きずり込むキーパーソンだ。
部外者である私がメインストーリーに絞って事態に干渉する方法を考える場合、コンタクトできる魔法少女の関係者はそう多くない。
それは3人。
巴マミ、佐倉杏子、そして暁美ほむら。
サイドストーリーで織莉子とかかずみなんてのもいたが、その辺まではカバーできん。そっちが出てきたら高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応するしかあるまい。
この3人にどう干渉すればいいかを、私なりに練ってみた。
まず、暁美ほむらは難しい。極度の人間不信に陥っている子をぽっと出の私が説得できるはずがない。理詰めで行くにしても、私が何故事情を知っているかを話すにはそれなりの仕込みが必要だろう。
佐倉杏子はギブアンドテイクができれば味方になってくれるとは思うが、貴奴は主に腕力担当だ。私は淫獣と表だって衝突をする気はない。奴と私では知能はあいつの方がはるかに高い。知略戦で勝ち目がない以上は、奴の謀の裏側から切り崩していくしかないのだ。そんな方針において杏子の性格を考えると搦め手のパートナーにするには厳しい。
残るは、1人。
それが彼女だ。
まどかが新学期が始まる前に魔法少女化している歴史もあったことを思うと、ここでこの人を抑えないといけなかったというものある。
顔見知りでもない私を見る彼女の視線は、刃物のように鋭利なものだった。
「貴女が私を呼び出した子でいいのかしら?」
私は頷いて応じた。
既に交渉は始まっている、油断はならん。
「香波有季」
私はシンプルに名乗った。
「香波さん、ね。それで、話したいことって何かしら」
そう言いながら、マミさんは私が書いた手紙をひらひらと見せた。
『お前の秘密を知っている』と書いたわけではない。
ちょっと魔法少女について話がしたいと書いてあるだけだ。
この手紙を書きながら、魔法少女なんてものが存在しない可能性を私は願った。
もし、マミさんが魔法少女でなかったら、きっとここには現れなかっただろう。
笑って匿名の手紙を下らない悪戯と断じ、丸めてゴミ箱に捨ててくれればそれでよかった。
だが、そんな私の願いは天には届かなかったらしい。
欠片ほども冗談の気配を宿さぬ巴マミの鋭い視線が、その期待が無意味なものであったことを物語っていた。
噛み締めた奥歯が、鈍い音を立てる。
ここに、魔法少女という荒唐無稽な存在が確かに実在するのだと私は確信した。
「長い話になるけど、いい?」
彼女の圧力の高い視線を受け止めながら、私のデフォルトの平板な声と視線で応じる。
それを受け止め、マミさんは言った。
「……河岸を変えましょう」
彼女に案内されて向かった先は、アニメで見た彼女のマンションだった。
女性の一人暮らしの場合、表札に自分の名前だけ書いているといろいろ嫌な思いすることが多いのが私が知る日本だったが、この街は治安がいいのか彼女の部屋は堂々と『巴マミ』とだけ書いてあった。
入って、と言われて素直にお邪魔する。
知らない人を自宅に招くというのはいかがなものかと思うものの、魔術師の工房は外部者にとってこれ以上ないアウェーと言う説もあったと思う。映画の劇中で暁美ほむらと『それがやりたかっただけだろ』的なガンアクションを展開したのも、きっかけは彼女の自宅からだった。自宅であってもマミさんが油断をしない人と言うことの証拠だろう。
知ってはいたとは言え、実際に入ってみれば非常にいいお住まいだった。私もこれくらいの自室が欲しい。
実際、インフラがこれでもかと言うくらい整っている見滝原に住まうには相応の税負担が求められるそうなので、住んでる人は資産家が多い。恐らく彼女の縁者もそういう階層の人なのだろう。
指定されたクッションの上で正座をして待っていると、マミさんはお茶器を持ってキッチンから現れた。敵かどうか判らない存在に対して大層なもてなしだと思う。彼女にとっては得体が知れない相手であっても来客は嬉しいものと言う可能性もある。
差し出された紅茶はダージリン。良い香り。なかなかの手前だ。
毒などは入っていまいと、いただきますと短く告げて一口飲む。
うむ、実に美味しい。
「では、話と言うのを聞かせてもらおうかしら」
お茶をいただきながらこれから話すべきことを反芻していた私に、マミさんがズバリと切り出してきた。
さて、いよいよか。シナリオは充分に練ってある。
この場における、他者が絶対に持たない私の武器。
それは記憶の中から引きずり出した言葉の群だ。
私は少し俯き、ややあって口を開いた。
「……うまく言語化できない」
私の言葉に、マミさんの眉が少しだけ動いた。ちょっと怖い。
「情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない。でも、聞いて」
「……いいわよ」
居住まいを正すマミさんに、私は言った。
「私は、普通の人間ではない」
「はあ?」
一瞬、マミさんの顔のデッサンが崩れた。予想外の言葉だったのだろうから仕方がないが、これ見たらファン減るだろうなあ。
さすがに一瞬戸惑ってしまったが、慌ててももう遅い。賽は投げられたのだ。
「性格に普遍的な性質を持っていないという意味ではなく、文字通りの意味で、私は大多数の人間と同じとは言えない。また、貴女のような特定の性質を持った存在でもない」
「……どういうこと?」
「この銀河を統括する情報統合思念体によって造られた、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース。それが、私」
「……」
「通俗的な用語を使用すると、宇宙人に該当する存在」