神様はきっといる。
だって、こんなにも素晴らしい力を与えてくれたんだから。
●
士道はかなり難儀していた。
何故かといえば、単純に美九が男嫌いだからであり、ただそれだけの理由で最早どうしようもなくなっているからである。
精霊の霊力を封印するためにはデレさせなければならないのだが、男嫌いではその前提を達成できない。どうにもいい考えが浮かばずに机に突っ伏したままふて寝をする始末だ。
「……どうすりゃいいんだ、これ」
「女装でもしてみる? 士道君女顔だし、意外といけるかもよ」
「そんなことするくらいなら舌噛み切ってやりますよ」
男としての尊厳は捨てたくない。
というか、どう考えても女装した後男だとばれた時がヤバい。霊力封印を施した後でもほぼ全て逆流するような事態になれば一緒なのだから、そんな方法は無意味極まりない。
それくらいは千璃だってわかっているはずなのだが、それに頼らざるを得ないくらいに美九は鉄壁だった。
天央祭の運営委員として近づこうにも絶対に近寄らせようとはせず。
話しかけようにも側近と思しき女の子に止められる。
挙句の果てに無理矢理席の位置を遠ざける始末。
これで一体どう攻略しろというのか──というのがまさに本音だった。
「どうしたもんですかねぇ……」
「どうしたもんだろうねぇ……」
千璃と士道は二人そろって机に突っ伏して会話をやめる。会話も出来ないというのにどう攻略しろというのだ。
「ただいまー」
そんな折、呑気な声を出しながら家に帰ってくる七罪。
ただいまと言って入ってくるあたり、今更だが完全に居候状態である。家賃も何も払ってないうえに時々千璃のお菓子を盗み食いしているので、千璃からはやや面倒がられている状態だが。
千璃から与えられたお小遣いで買ってきたお菓子を片手に台所に入った瞬間、机に突っ伏している二人を見て微妙に引く七罪。
顔だけそちらへ向けて七罪に声をかける千璃。
「おかえり。ちょっとお菓子買ってくるって言ってた割にずいぶん遅かったのね」
「ちょっとね……はい、これ」
「ん……?」
七罪は士道に近づき、一枚の紙を手渡す。のそりと起き上って受け取って確認してみると、そこにかかれていたのは日時と場所だった。
なんだこれ、と思いながら七罪の方を見ると、彼女は肩をすくめながら言う。
「誘宵美九って子、精霊なんでしょ? 手詰まりっぽい感じだったから、ちょっとこっちからコンタクトを取ったの。そこにかかれてる場所に一人で来るって話だから、当日は君と私の二人が行くのよ」
七罪の説明を聞いて士道と千璃はぽかんとする。どうしようかと悩んでいたところに突如として現れたチャンスに、二人は顔を見合わせて頷く。
これを逃す手はない。
しかし一体どんな手を使ったのか、参考までに千璃は七罪に問い質してみる。
「え? 話を聞くだけ聞いてみて、って言っただけよ。代わりに一日デートする羽目になったけど」
霊装を纏える七罪なら美九の『破軍歌姫』に対抗できる。それは念入りに千璃に問い質したことだし、実際美九に対して自分が精霊であることの証左にも使った。
半分博打のようなものだったが、日頃の恩を返すつもりで賭けた。結果的に賭けに勝ったからよかったものの、負けていればと思うとゾッとしない。
千璃としては恩を返すとか七罪ちゃんのキャラじゃないけどなー、などと考えていたのだが。
「しかしグッジョブ七罪ちゃん。これで解決への糸口がつかめた」
「でもこれだけよ。どうにも反応は悪かったし、厳しいと思うけど」
「その時はその時よ。どうしようもなくなったら一回精神ぶっ壊して士道君に依存させてやるわ」
「冗談でもそういうのはやめて下さい」
冗談ではなく半ば本気の言葉だったが、千璃はそれを訂正しない。ここまで厄介だと本当にそうしたほうが早く思えてくるから不思議なものだ。
倫理的に言うと外道もいいところなのでそんなやり方など士道は絶対に認めないのだろうけど。
「──まぁ、そっちはそんな方向でいいわ。とりあえず気になってるのはこの子の親の方なんだよね」
「親? 一緒に住んでるんじゃないんですか?」
「この子一人暮らしよ。親が行方不明になってるけど、その時期とこの子が精霊に成ったであろう時期も重なってるし──ま、単純に考えて不幸な事故でもあったんでしょうね」
ファンに裏切られ、唯一の味方であったであろう親もいなくなった。ならこうなるのも仕方ない。
裏切られて殺されたことさえある千璃からすれば「何を軟弱な」と吐き捨てるだろうが、美九はまだ学生の身だ。親の存在というのは何物にも代えがたく、それを失った彼女の精神的ダメージは千璃には予測がつかない。
理解できないことを予測しろという方が無理な話で、親への感情もまた、千璃には欠けているモノだった。
「親が何を想っていたのかなんて知らないし、興味もないけど……うちと違ってクズでないだけマシでしょうね」
「親をクズって……俺にはそっちの方が気になりますけど」
「……身の上話なんて楽しくないんだけど、まぁいいか。父親は虐待。母親は今でいうネグレクト。祖母は早くに死んで、祖父は私の体で人体実験と来た。これがクズでなくて何って話よね」
ある意味美九よりも壮絶な過去だ。へらへらと笑いながら話しているが、余りの重さに七罪と士道は絶句していた。
そんな環境で育てられた千璃がまともでなどあるはずがなく、彼女もまた人を人と思わぬ実験や研究を繰り返してきた。血は争えないとよく言ったものだ、と自虐する千璃。
今までのことを後悔などしていないし、これからも目的の為に続けるだろう。そこに感情などという余分なモノを持ちこむことはない。
「そっちはどうでもいいわ。どうせ何十年も前のことだし、士道君とは何の関係もないし」
「……なんか、聞いてすみません」
「別にいいわ。──それと、七罪ちゃんはご褒美に冷蔵庫の中のシュークリーム食べていいわよ」
「やたっ!」
飛び上がって冷蔵庫の方へと駆け出す七罪。買ってきたのは駄菓子なのでシュークリームを先に食べようという腹らしい。
その様子を見ながら苦笑する士道は、また少しだけ疑問に思った言葉を口にする。
「……お金ってどこから出てるんですか?」
「え? 祖父譲りのばれないイカサマギャンブル」
「アンタまだギャンブルで稼いでたのかよ」
●
そして当日。
学校が終わったのちに制服姿で指定されたカフェに行く──のだが、その前に七罪と合流するつもりだった士道は、頭の上にクエスチョンマークを乱立させていた。
主に集合場所にいた一人の少女に対して。
「……誰?」
「私よ、七罪。この姿で会ったから、この姿で行かないと意味ないし」
来禅高校の女子の制服をやや着崩して着ている少女。ぱっちりとした目に女子にしてはやや高い身長とガタイのいい体格──なんというか、士道を女装させるとこんな感じじゃないかと思うくらいに士道には似ていた。頭一つ分ほどは小さいのだが。
何故そんな恰好をする必要が、と士道は思うのだが、七罪は少し頬を赤くしてそっぽを向くだけで理由も何も教えてくれない。
まぁいいかと流すことにした士道は、七罪を伴って指定されたカフェへと歩きだす。
千璃は十香たちと留守番だが、服にはしっかり盗聴器を付けて指定されたカフェには様々な機材を勝手に設置している。士道には会話を聞くだけと言っているが、監視カメラとセンサー類も設置しているので当然有事の際にも駆けつけられるようにしていた。
「ちなみに、今のお前はなんて呼べばいいんだ? そんな格好してるんなら正直に七罪って教えたわけじゃないんだろ?」
「あら、結構鋭いのね。今は士道の妹の五河士織を名乗ってるわ」
「なんでさ……」
五河の姓を名乗る必要もなければ士道と兄妹であるという設定も必要なかった気がする。姿を変えるのはまぁわからないでもないのだが。
待ち合わせ場所として指定されたカフェの奥、仕切りがあって外や入口から見えない場所に案内された二人は、誘宵美九と対面した。
こうしてみるとやはり美人だと士道は思う。
竜胆寺の制服に身を包み、楚々とした雰囲気を醸し出す少女。今は物凄い嫌な顔をしながら士道を見ているが、先に入った七罪──もとい士織を見た瞬間は顔を輝かせていた。
「あ、ちょっとまってください」
椅子を引いて席につこうとした二人を止め、美九は七罪をちょいちょいと手招きする。それに疑問を浮かべつつも近づく七罪。
隣に来た時点で美九は七罪に抱き付いて笑みを浮かべ、士道に対して嘲るような笑みを浮かべて告げた。
「あぁ、あなたは帰っていいですよぉ。むしろさっさと帰ってくださいー」
「いや、それは……」
わかっていたことではあるが、彼女は士道がいること自体お気に召さないらしい。七罪が来ればそれでよし。士道は邪魔だから帰れと、そういっている。
苦笑しながら席につく士道。ここで退いては何のために来たのかわからないし、千璃が動く可能性を否定できない。
千璃なら本気で美九の精神を壊しにかかるだろうし、士道としてはそれをさせるわけにも認めるわけにもいかない。だから、ここで退くという選択肢は存在しないのだ。
だが、美九はそれが不満だったのだろう。
【──私が帰れと言っているんですよ】
「だから、それは出来ないって」
ここを監視している千璃ならばわかっただろうが──今の言葉には、間違いなく霊力がこもっていた。
具体的に霊力を感じるということが出来ないために七罪や士道は気付いていないが、確かに美九が発した言葉には「力」があった。
聞いた者を有無を言わさず従える、魔性の力が。
「……あなたも、精霊なんですか?」
だから、美九としてはそう判断せざるを得なかった。
精霊が女の子だけだという確証はなかったし、むしろ七罪が会ってほしいなどというからには精霊であるという可能性もわずかながらに存在していた。
しかし、士道にそれらを判断することは出来ない。いきなり精霊かどうかを問われて困惑しているだけだ。
その折に千璃から助け船が入る。
『──今、彼女は「天使」を使って君に言うことを聞かせようとした。それが効かなかったから君を精霊だと判断したんだと思うよ』
「……なるほど」
それなら美九の嫌そうな顔も若干納得できる。……いや、士道に対してはずっと嫌そうな表情を浮かべているのだが。
嘘をついても仕方ないし、意味が無い。常に誠実でなければ美九はすぐにでも見切りをつけるだろうという確信が、士道にはなぜかあった。
だから、正直に話すことにした。
「俺は精霊じゃない。でも、精霊の力を封印できる力を持ってる」
今のままではきっとASTに命を狙われたままになる。折紙に捕捉された以上はそういうことだから、霊力を封印させてほしいと。
だが、美九は一切聞く耳を持たなかった。
あまつさえ、今まで封印した精霊に会わせてくれればそれでいいと。
「だが、君はつい最近一度空間震を起こしてるだろ? それは、自分の力を制御できていないってことじゃないのか?」
「よく知ってますねー。でも、そんなこと無意味ですよ。あれ、私の意思で起こしたものですし」
「は──?」
『……あぁ、やっぱそういうタイプか』
唖然とする士道の耳に、千璃の嘆息が小さく聞こえてきた。
つい最近、天宮アリーナの近くで空間震を起こしたのは本当だった。理由は、ただステージで歌ったことが無かったから。その為だけに赤の他人を追い出し、ステージを占拠した。
結果的に美九を発見できたから千璃としては良しとするところだが、士道はそうもいかない。
「……大勢の人がいたんだぞ」
「私が歌いたかったんですから、私優先に決まってるじゃないですかー」
「逃げ遅れた人がいたらどうするつもりだったんだ」
「まぁ、運が悪かったと思って諦めてもらうだけですねー」
「例えそれが、君に近しい人でも?」
「かわいい子がいなくなるっていうのは、まぁまた探すのが面倒なだけですからねー」
「……死んでしまったら、悲しいとは思わないのか?」
「いえ、悲しいですよー? お気に入りの子なら特に。でも──彼女たち、私が大好きですからねー。私のために死ねるならきっと本望じゃないんですかねー」
笑って他人を利用する人間というなら、千璃という前例がある。あちらとちがって美九は積極的に殺しをしようとしているわけではないが、士道に許容できるものではなかった。
爆発しなかったのは、ひとえに千璃の影響だろう。千璃なら「邪魔だったから一応殺した」と言っても不思議ではないし、四糸乃の時に実際それを見せつけられた過去がある。
彼女に比べれば幾分マシ──そう考えて、感情の爆発だけはしなかった。
『クズね』
アンタが言うな。という言葉をすんでのところで呑み込み、士道は口を開いた。
「……それでも、君は霊力を封印するべきだ。ASTに顔がばれたし、素性も既に調べられてる。近いうちに襲撃を受ける可能性だってある」
「では、またあのかわいい子に会えるんですかねー? それなら大歓迎なんですがー」
きっと彼女には何を言っても通じない。士道の言葉をそもそも聞く気がないのだから、単なる水掛け論にしかならないのだ。
だからと言って彼女のことを諦めて襲われるのを良しと出来るほど、士道は達観していなかった。
「ASTに君の『天使』は通じない。命の危険だってある──それでも?」
素性がばれているということは住所などまで全て知られているということだ。伊達に公的機関をやっているわけではないのだから、情報網は裏ルートを使う千璃よりも広い。
その分手続きは面倒だが、正規の情報が正規の方法で得られるという利点は大きい。
住む場所を追われ、空間震警報を鳴らされて襲われ続ける。精神にかかる負担は大きくなり、昔の十香のようになっていくだろう。
それは──それだけは、士道には許容できない。
「しつこいですねー。来たら何度でも追い払ってあげますよ。可愛い子がいたらその子だけ残してもらうのもありですけどー」
「……そうか」
千璃ならある程度情報を攪乱することも可能だろう。機械による検査なら誤魔化すことも可能なはずだ。
時間稼ぎなら出来る。その間になんとか彼女の霊力を封印しなければ、きっと後悔することになる。何故かはわからないが、士道は確信をもってそう言えた。
今日のところはこれで帰るしかない。彼女に伝えるべきことは伝えたし、千璃が調べたことだけではない、生の情報が手に入ったのだから良しとするべきだろう。
美九の隣では心配そうな顔をした七罪が士道を見ていたが、大丈夫だとでも言うように手を振って立ち上がる。
これ以上はいても無駄だろう。彼女に聞き入れる意思がないならいたところで時間の無駄にしかならない。
「今日一日、士織さんは私とデートして貰いますからー」
「デートって今日かよ」
放課後で、もう時間的にはそれなりに遅いはずだが──美九はそれでも構わないらしい。
「あまり遅くなるなよ」
「はーい」
いざとなれば『天使』を使うだろうと思い、士道は七罪に一度視線を送る。大丈夫だというように頷く七罪にはもういえることなど無く、士道はカフェを出ていった。
さて、どうすればいいのやら。と、途方に暮れながら。
千璃と同類扱いされる美九に同情を禁じ得ない。