千璃は天宮市の一画にそびえるホテルの一室、リビングに置いてあるソファに座って煙草をふかしていた。
一応彼女は追われる身であるため、様々な場所に拠点を持っている。ここはその一つだ。
士道が〈ラタトスク〉ではなく自分たちと手を組むといった以上、今後はそちらのバックアップ体制も整えなければならない。
ますます狂三の力が必要不可欠、という訳だ。
彼女は先日の一件で学校をやめるつもりだったようだが、こうなった以上はそうもいかない。今後も士道と同じ学校に通い、〈ラタトスク〉に対する牽制を行うと同時に何かあった時のバックアップ要員として控えて貰うことになる。
他の精霊を探すにしても、レーダーは必要不可欠。
その後精霊の力を失った時の暮らし。
その他諸々を考えても、表向き使える拠点というのは必要になってくる。早めに用意するに越したことはないだろう。
「……そのためには偽造書類に金と。七罪ちゃんの手伝いが欲しいところだけど」
七罪の持つ〈
連絡はつくかもしれないが、現界しているかどうかがネックである。現界していなければ連絡も取れないのだから、当たり前といえば当たり前だが。
まぁ、その程度の手間なら惜しくはない。
なにせ、士道をウッドマン側から引きはがすことが出来た。五河琴里という精霊が残っているものの、彼女は士道を使えば引きはがすことも可能だろう。
そうなれば、晴れて千璃はウッドマンを殺すために動くことが出来る。
〈ラタトスク〉側であれば反感を抱いていたであろう士道も、離反して千璃と手を組んだことで「必要なこと」と理解する。恨みつらみがあるのはウッドマンだけである以上、ほかのメンバーには手を出さないという条件を付けてもいいくらいだ。
──もっとも、そのあたりの交渉を含めるとしても、時間は数日とないだろうが。
「随分と楽しそうですわね」
「おや、狂三ちゃん。まぁ、楽しそうってのは否定しないよ。目標に一歩近づけたってことでもあるしね。君もそうでしょ?」
「そうですわね。士道さんがこちら側についてくださるというなら、それは素敵なことですわ」
突然背後に現れた狂三に対し、最早慣れた千璃は驚くことも振り向くこともせずに言葉を返す。
士道がこちら側についたことが嬉しいのか、どことなく口調も上機嫌だ。
まだ半分も吸っていない煙草を灰皿に押し付け、窓を開けて換気する。子供のいるところで煙草を吸わないのは千璃なりのポリシーだ。
「ちなみに、ほかの精霊に知り合いはいる?」
「一人だけ。わたくしに士道さんのことを教えてくださった方が、貴女以外にいますの」
「……士道君の能力を知ってて、狂三ちゃんに教えるようなのが私以外にいたか」
難しい顔で考え込む千璃。
実際のところ、士道の精霊封印の力というのは特異なものだ。ほんの数か月前までは〈ラタトスク〉のみが知る機密情報で、それ以外に知る者などいないはずだった。
過去に発現したのは、五河琴里が精霊の力を暴走させた際に封じた時だけで──
「……なるほど。琴里ちゃんを精霊にしたのと同一人物か」
それ以前から知っているから、検証するためにも士道の傍にいる琴里に目を付けた。その可能性は非常に大きい。
そして、それなら千璃も知っている人物となる。可能性のある存在は一人しか思い当たらないのだから。
ソファに深く腰掛け、背中を預ける。
「……そいつ、目の前に居るのにどんな奴かわからなかったでしょ?」
「おや、お知合いですの?」
「知り合いといえば知り合いか。ただ、彼女と私の目的は決定的に違うだろうしねぇ……私が士道君を見つけられたのは運が良かったからだけど、彼女の場合は意図的だろうし」
「……どういうことですの?」
「そいつ、妙な感じしなかった? そこにいるのにどんな姿か認識できない。老若男女誰にでもとれる、そんな奴?」
「えぇ。そこにいるのにわかるのに、誰ともわからない……姿かたちはおろか、声すら思い出せない方でした」
「私はそいつを『ネームレス』って呼んでる。厄介なことに、『認識の阻害』って能力を持ってるやつでね」
彼女が能力を発動している間、どんな手段を以てしても彼女の姿形、声などを正しく認識できなくなる。
ただ、強力な攻撃を当ててやればその隠ぺいは剥がれるが、それ以外で見破る方法など無い。どちらかといえば裏方向きの能力だ。
その能力の特性上、探そうと思っても見つけられるものではない。聞きたいことは幾らかあるが、彼女は千璃を敵視している可能性が大きい。接触したところでまともな答えが返ってくる可能性は少ないだろう。
「……全く、あの子たちはどうして私を敵視するかね」
「たち、ということは複数人いますの?」
「まぁね。子供か孫も同然の子に嫌われるってのは意外と堪えるもんだけど、そんなことまで一々気にしてられないし」
実年齢を考えれば確かに子や孫がいてもおかしくはないが、千璃は未婚だ。子や孫も同然、ということは孤児でも引き取っていたのだろうか。
そんなことを考える狂三だが、どうにもイメージがわかない。マッドサイエンティストとしての一面が大きすぎるため、子育てなどできそうにもないのだが。
このあたりのことも調べる必要がありそうですわね、と狂三は思う。
いずれ敵対する可能性もある。目的がわからない以上は最悪の可能性を予測するべきだ。でなければ目も当てられないことになってしまう。
──原初の精霊を殺す。その目的の為には、手段など選んでいる余地はない。
●
鳶一折紙に両親はいない。
五年前のある日、精霊に殺された。
だから折紙は復讐のためにASTに入った。そのために己を律して、苦しく辛い訓練にも弱音を吐かずに取り組み続けた。
そして──ようやく仇を見つけた。
「──〈イフリート〉」
まるで呪いのようにその名を呼ぶ。
五年前に一度だけ現れた炎を操る精霊。町一つを火の海に変え、目の前で両親を殺害した最も忌むべき精霊。
病院のベッドに横になったまま、先日現れたその存在を思い出す。直後に意識を落とされたせいで記憶があいまいだが、炎を纏う和装の少女ということは覚えている。
疑問に思うのは、彼女の姿をどこか別の場所で見たことがあるような──そんな気がするのだ。
五年前から現れていない以上、そんなことなどあるはずがないというのに。
あるいは士道や十香ならばその姿をはっきりとみているかもしれない。十香は隣に居たので折紙と同じように意識を落とされた可能性が高いとしても、士道ならその姿を見ているはずだ。
──と、そこまで考えたところでその当人が無事なのかどうかがひどく気にかかった。
折紙が殺されずにここにいる以上、士道もまた同じような扱いをされているかもしれない。だが、狂三の狙いは士道だった。彼だけが──という可能性は決して捨てきれない。
いてもたってもいられず、折紙は点滴をスタンドに移してから立ち上がる。
携帯を手に持って通話できる専用のスペースへと移動し、士道へと電話を掛ける。
「…………」
焦燥感にかられつつコール音が止むのを待つ。
すると、数コール後に聞き慣れた声が聞こえてきた。
『──もしもし。鳶一?』
いつも通りの士道の声に、緊張していた折紙はわずかに息を吐いて安堵する。怪我はしているかもしれないが、声を聞く分だと元気そうだ。
わずかに表情を崩す折紙だが、このスペースには誰もいないのでこの珍しい状況を見ていない。
「無事でよかった」
『お、おう……鳶一は怪我、大丈夫なのか?』
「問題ない。かすり傷」
士道の手前強がっては見たものの、頭部には包帯が巻かれて肢体には湿布。かすり傷とは到底言えなかった。
それでも重傷というほどではないので、折紙からすればかすり傷程度なのかもしれないが。
『ちょうどいいから聞きたいんだが、真那はどうなんだ? 無事だったのか?』
「……彼女は真正面から狂三と戦っていた。怪我の具合は私の比ではないはず」
実際、多数の銃火器を相手に先陣切って乗り込んだのは彼女だ。妹であるなら心配も当然するだろうという折紙の配慮で、受付に行って聞いてみることにした。
一旦通話を切って往復すること十数分。もう一度士道にかけ直し、その結果を伝える。
『面会謝絶? そんなにひどい怪我なのか?』
「どちらかといえば怪我よりも治療に使う機器の方。彼女の治療に使われている医療用顕現装置は機密性が高い。だから、彼女と面会したいなら日を改めたほうがいい」
真那はDEMからの出向社員だが、現在は軍部の人間として扱われているためにこの病院で治療を受けられる。本来一般人が来るような病院ではないのだ、ここは。
折紙もまた精霊と戦うASTの一員であるため、この病院の使用権が認められている。それゆえ事情にもある程度通じているが、一般人である士道が幾ら家族だからと言っても機密保持のために面会を断られるのは当然だろうと折紙は思う。
一般病棟ならばまた話は別で、そこには機密となるようなものもないので面会も可能となる。
だが、回復までどれほどの時間がかかるかわからない以上、少なくとも近日中に会うことは不可能だ。
『そっか……ありがとう、折紙。俺が行ってもそこまでわからなかったろうから、助かったよ』
「別に構わない。代わりに──」
『うん?』
「代わりに、私のことを折紙と呼んでほしい」
士道にどうしても名前で呼んでほしいのか、折紙は携帯に力を込めつつ言う。
悩むこと数秒、士道はまぁそれくらいならと今回のお礼も兼ねて名前で呼ぶことにした。前回も言ってきたことを考えると、また言ってきそうな気もするので早めに妥協しておこうという考えもあったのかもしれない。
『分かったよ、とび……じゃない、折紙』
携帯から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた瞬間、折紙は思わずガッツポーズをする。無表情ながら携帯を持っていない方の手で作るガッツポーズは、とても力強かった。
それを知らない士道は通話を切ろうとするが、折紙はそれを許さなかった。
『それじゃ、また学校で──』
「もう一回呼んで」
『──な?』
「もう一回、名前で呼んで」
『……折紙?』
「ワンモア」
『……折紙』
もう入院の必要性はないんじゃなかろうかというほどの気力に満ち溢れた顔で、折紙は別れの挨拶と共に通話を切る。
これであと十年は戦え──いや、流石に十年は厳しい。定期的に愛を囁いて貰えれば百年でも戦うけど。
そんなことを脳裏に浮かべつつ、上機嫌で病室へと戻る折紙。そういえば、あの時屋上にはもう一人一緒にいたような気もするが、まあどうでもいいかと思い直して歩き続けた。
●
同時刻、五河家。
先程まで折紙と電話していた士道は今後どうするかで頭を悩ませており、十香は士道が折紙と電話したことでご機嫌ななめだった。
最初は真那のこともあったのでまだよかったのだが、最後は折紙のことを名前で呼ぶことになり、一気に不機嫌になった。
そんな名前を呼ぶくらいで……とも思うが、現状切羽詰っているのは〈ラタトスク〉に関してだった。
いくら士道が手を切るといったところで、あちら側がそれを認めるとも思えない。世界でただ一人の「精霊の力を封印する能力」かもしれないのだから、スペアなど最初から存在していない。
「……どうすっかなぁ」
「……正直に言えばいいのではないか?」
「そりゃそっちの方がいいんだろうけど……」
正直に全部言った場合、どうなるのか?
今の士道は〈ラタトスク〉に対して最大級の不信感を抱いている。それこそ千璃や狂三と手を組むことを辞さないほどに。
琴里はショックを受けるだろうか。怒鳴り散らして戻って来いというかもしれない。
だが、どんな理由があってもこうなった以上後には退けない。
士道は〈ラタトスク〉を裏切ったし、琴里や神無月、令音を敵に回した。四糸乃はまだわからないが、今後〈ラタトスク〉に利用される可能性が出てきたら対処しようと考えている。
そうしなければならないほど、今は自分のことで手一杯なのだ。
「……やっぱ、琴里に正面から言っておくのが一番いいのか?」
「おすすめはしませんわね」
部屋の中の影が蠢動した。
どこかから士道と十香以外の声がしたために驚く二人。更には陰から狂三が現れたのだ。心臓に悪いことこの上ない。
いつもの黒と赤のドレス。左右不均等のツインテール。極め付けには時計を模した金色の左目。
「狂三……その現れ方はやめてくれ。驚くから。あと靴は脱げ」
「すみません。ですが、表から入ると〈ラタトスク〉の方々に見つかってしまいますので」
律儀に靴を脱いで玄関先においてきた後で、狂三は言葉を続ける。
「わたくしたちとしては、士道さんには引っ越していただこうかと思いまして」
「引っ越し?」
「わたくしたちの拠点の一つに住んでいただきたいのです。もちろん十香さんも一緒ですわ。──女の子と一つ屋根の下、という経験はおありのようですけれどね」
くすくすと笑う狂三。
顔を赤くして目を逸らす士道と、きょとんとした顔のままの十香。
士道からすれば気恥ずかしさやら何やらでつい十香の方から顔をそむけてしまったが、十香は本当に一時期士道と一緒に住んでいた。また一緒に住むと聞いて、喜びはすれど嫌がる素振りはない。
どこからその情報が、とは言わない。どうせ千璃が調べて教えたのだろうというのは士道でも想像がつく。
「とはいえ、一時的なものですけれど」
「そ、それに何か意味はあるのか?」
「〈ラタトスク〉側と交渉しますのよ」
士道がこちら側に属する存在である、ということを明確にするためのものだ。〈ラタトスク〉が下手に接触すれば報復も辞さないという意味も込めて。
本当は二人には狂三と千璃の拠点に住んでほしかったのだが、二人とも学生だし、そもそも士道には琴里がいる。
士道の目的が『精霊を救う』ことである以上、妹の琴里もまたその範囲内だ。第一、それで人間をないがしろにしていいという訳でもないというのは千璃でなくても予想できる。
必要最低限、〈ラタトスク〉側と縁を切るためのアクションだ。こればかりは避けては通れない。
「つきましては、
「……影に潜んで?」
「おはようからおやすみまで、というとどこぞのCMのようですが。二十四時間どんな時でも、というのが基本ですわね」
「……いやいやいやいや! さすがにそれはどうかと思うぞ!」
「ですが、あちら側の事ですから隙をついて接触を図る可能性は決してゼロではありません。流石に軟禁監禁といった可能性はないと思いたいところですが──貴方のその力、決して無視できるものでもありませんのよ?」
「だけど、精霊の力を封印できるってだけで──」
「
精霊一人の力でさえ「世界を殺す」と言われるほど莫大なのだ。それを複数人分その身に宿して何もない。これだけでも十分に常軌を逸していると言えるが、その奥にはもっと厄介な事実が眠っている。
宿した精霊の力──具体的には精霊の持っていた『天使』の使用。
それが可能となれば、それこそ士道は精霊と同格と言っていいほどの力を振るえることになる。これに危機感を抱かないわけがない。
〈ラタトスク〉の上層部にはウッドマンがいる。千璃の研究を詳しくは知らないにしても、多少の情報を持っているとみるべきだ。
それらを加味して、狂三は至極真剣な様子で話す。
「今後、士道さんの身に危険が迫ることもあるかもしれません。無論わたくしや千璃さんも死力を尽くしてそのようなことが起こらないようにしますが、最悪の事態というのは想定しておくべきですわ」
士道の近くには狂三がいる。あるいは十香が全力で力を振るえる状況が整う。もしくは千璃が戦える場合にある。
それらが何時でもあるとは限らない。だから、せめて狂三は普段の生活で士道が肩肘張らないようにと、護衛役を自ら買って出ているのだ。
狂三の思いを聞いて、それでも拒否できる要素は士道にはなかった。
「……せめて風呂とトイレだけは勘弁してくれ」
「あら、お風呂くらいなら一緒に入っても構いませんわよ?」
「ほんとに勘弁してくれ……」
笑みを浮かべる狂三に士道はため息を吐く。狂三ほどの美少女と風呂に入れるというのは嬉しい一面もあるが、それ以上に気恥ずかしかったりいろいろあるので士道としては遠慮したいのである。
こんなことを言っていると十香がまた不機嫌に──と思いきや、十香は難しい顔で何やら考えていて、話を聞いていなかったらしい。
「……十香?」
「……ん? どうした、シドー?」
「いや、ぼーっとしてどうしたんだ?」
「……先ほど、狂三が言っていただろう。私が全力で力を振るえる状況が、と」
そんなことがあるのか、という疑問が十香の中にあるのだろう。
狂三は十香の問いに一度頷き、答えを返した。
「琴里さんも一度は封印され、先日その霊力を再びその身に宿していますわ。千璃さんもまだよくわかっていないそうですが、封印された後でも霊力を取り返すことは可能ですのよ」
「なるほど……私も、もしもの時は士道を守れるのだな」
とはいえ、まだ方法がわからない。
この方法は千璃でさえも知らないのだ。データや状況などから逐次分析を進めているものの、そうすぐにわかることではない。
感情によって霊力が逆流するのだから、その感情の度合いによっては完全に霊力を戻すことも可能。そうふんだからこそ千璃は琴里を誘き出す作戦を練ったが、琴里はもっとスムーズに霊力を引き出していた。
このあたりは今後の課題だ、と千璃は張り切って調べている。
嬉々としてデータを見ている千璃はまるで子供のようだった。狂三は思わず苦笑してしまうほどに。
「まぁ、そんなわけですから。諦めてわたくしを影に入れておくことを了承してくださいませ」
了承しなくても影には潜むのだが、一応の確認のようなものだ。
守られる側としては非常に申し訳ない限りなのだが、狂三が士道のことを思って言っていることは言葉の節々からもわかる。
十香は「大丈夫だと思うぞ」と頷いて後押しし、士道も覚悟を決めて了承する。
にこりと笑みを浮かべる狂三は、影の中に沈みながら伝える。
「それでは、最低限数日分の荷物をまとめてくださいまし。後ほどまた伺いますわ」
「わかった。手間かけさせて悪いな、狂三」
「いえいえ。わたくしも楽しみですのよ──士道さんとの同衾は」
ぶふぅっ! と噴き出す士道と十香。顔を真っ赤にして慌てる二人を尻目に、狂三は影の中へと潜っていった。
……なんか狂三が便利キャラに……使いやすいってこういうことなんですね(おい
話が進んでませんが、琴里のことを考えるとむやみに時間を進めるわけにもいかず。
サクサク進んだ方がいいとは思ってるんですけどね。