アヴァロンの落とし子   作:ktomato

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第七話 入学式

***4月9日(月)***

 

 

 二度寝は後の心配がないからやるものであって、入学・始業式1時間前にやるようなことじゃない。あぁ理性よ。そんなことぐらいわかってる。しかし眠いんだ。暖かいんだ。離れたくないんだこたつから。

 

「あぁ~」

「いい加減起きないか」

 

 無慈悲に、新田がコンセントを根元から引き抜いた。

 こたつの明かりが消えたのを、膝裏で感じとる。ため息を何度か繰り返すうちに、眠気も消えていった。

 

 立ち上がって、身体全体で伸びをする。シャツがズボンから飛び出して、へそに冷たい空気が触れる。寒い……寒い。寒い。寒い。寒い。こ、こたつ……

 

「いってきまーす」

「おう。後でなー」

 

 朝倉がいないと思ったらもう出て行ったらしい。

 

 引き返してくる新田はいつも通りのエプロン姿だが、その下はすでに制服だった。どう見てもコスプレ。意味もなく今すぐブログにうpして晒したくなるほどの出来だ。

 

「長谷川さんも、早く着替えたほうがいい。あと、」

「あぁ。あと、なんだ?」

 

 こたつに朝食を並べながら、新田はぶっきらぼうに言い放つ。

 

「おはよう」

「……おはよう」

 

 背を向けて、ハンガーから制服を下ろしながら、私も同じように返した。

 

 

***

 

 

「掲示板は見なくてもいいのか?」

 

 人だかりを躊躇なく通り越すことに抵抗でもあるのか、新田はしきりに後ろを気にしながら追いかけてくる。

 

「部屋割りはクラス別なんだよ」

 

 またあいつらか、と思わなくもないが…まぁ、人生諦めが肝心だって言うしな。

 そして今年からは奴らに美人・美少女・美幼女が多数加わる。そこそこ容姿に自信のあった私が霞むような奴ばかりだ。おまけにリアリティに欠ける超人じみたのまでいる。

 

「長谷川さん」

「なんだ?」

 

 そしてお前もだ。

 大体だな、あんな量の荷物一人で運んでこれるような筋力はどう見てもその細腕にはないだろうそうだろうその通り! 私は間違ってない。

 

「あ~……どのクラスなんだ?」

 

 ふぅ、落ち着け私。

 

「1年A組」

 

 振り返らずにそう言い捨てて、急いで先へ進む。

 何が珍しいのか、新田はずっと辺りを見回している。校舎に入り、喧騒が穏やかなものになるのに合わせて、私も歩を緩めた。示し合わせたように、追いかけてくる足音のテンポも緩む。

 

 試しに、何度か同じことを繰り返す。寸分違わず、足音は私のテンポに即座に対応していた。馬鹿馬鹿しい。私はひとつ息をついて、新田の隣に並ぶ。その顔にかすかな驚きを見てとって、私は大いに満足した。

 

 

***

 

 

「このクラスの担当の、タカミチ・T・高畑です。一年間、よろしく頼むよ」

 

 方々で、よろしくお願いします、なんていう元気のいい声が上がる。一際でかい声を出していたのは左前の神楽坂だ。いつも通りのうるささ。愛嬌があって憎めないあたりが憎らしいともいえないあたり……やめだ、ゲシュタルト崩壊してきた。

 

 テキトウに座ったわりに、神楽坂が一番前に座らなかったのは担任が誰か知らなかったからだろう。

 朝倉が幽霊の噂をどこかから嗅ぎつけて、すでに隣の席を激写して掲示板に張ってあるぐらいなんだから一言聞いてみればいいものを。どうやらあの様子じゃ、幽霊なんていなかったようだが。

 

 そしてどこに座ってもいいからといって、なぜか親しくもない神楽坂の前に座る新田。相変わらずよくわからない奴だ。

 

「さて、まずはじめに」

 

 高畑先生は結構有能な人のようで、クラスの異様な騒がしさにも関わらずスムーズに雑事を終了させてくれた。これなら授業も期待できるかもしれない。

 

 入学式の説明を5分で済まし、その後きちんと教科書、プリントその他を配布して、明日のテストなんていう凶報も伝達し、最後に席順は一年これで通すからとさらりと言ってのけた。落ち込んでいるのは神楽坂だけだ。

 

「じゃあ、出席番号順に廊下で並んでくれるかい?」

 

 断る理由もない。騒々しい返事の中、私はさっさと廊下に出た。

 

 

***

 

 

「勉学に励めとは言わん。努力しろとも、耐えろともの」

 

 あぁ~記入用紙結構あったなー。部活は帰宅部だから空欄で済むとして。先生への要望とか今いわれてもなぁ。

 

「しかし、しかしじゃ」

 

 終わってから考えよう。

 

 入学式の学園長の話に思うことなんて皆似たりよったりなのか、大半の視線が微妙に壇上から逸れている。

 

 途中、朝倉と目が合い、口端に笑みを浮かべながら意味深にウインクされる。新田にも同じようなことをした後、朝倉は壇上に視線を戻した。

 

 朝倉の奴、何か企んでるな。

 

「起立!」

 

 おっと、いつのまに。

 

 

***

 

 

「探偵クラブに入らない?」

 

 宮崎に勧誘を受けていた新田を引き剥がすようにして教室から5分、私もろとも引きずってきた朝倉はそんなことを意味ありげな笑みとともに嘯いた。

 

 ここに私たちしかいないということは、他に誘った人間はいないのだろう。ギリギリの三人で部活を存続させるつもりらしい。この部屋を放置しておくのがもったいないというのには同意だが。

 

「いや。俺は土日にバイトがあるから、」

「無問題。新田は平日の放課後だけここにいてくれればいいから」

「そ、そうか」

 

 新田にキスでもしたいのかという距離で、朝倉は勧誘を続けている。

 

 部屋には、薄い埃の膜がかかっていた。

 どこか無法地帯を思わせる雑多な部屋――窓際のステレオの前に積み上げられたCD、壁全体を覆う戸棚にはファイルや本が押し込まれている。中央の背の低いシステムデスクを囲むようにして鎮座する二つのソファ、机上にはPC、黒電話などが置かれてある。そして右のドア近くに備え付けられた巨大な灰色の金庫、冷蔵庫などなど――部室というより、何かの仕事部屋みたいだ。

 

「千雨ちゃんは土日にここにつめてればいいだけ。別に来なくてもいいし。鍵もかけられて、プライベートを保つのには絶好の場所だよん?」

「メリットはそれだけか?」

「内申書によーく響いてくれるし、シャワーつきな上にキッチンつき、金庫の使用は千雨ちゃんに限る。どう?」

「ネット環境は」

「完璧。私はここの資料に用があるだけだし、ついでに拠点も作ろうとかいう魂胆。つまり、」

「アカウントを別に作れば問題ないな」

「ざっつらいと」

 

 背中からソファーに落ち沈みながら、朝倉は快活に笑った。その向かいに腰を下ろそうとした新田は、舞い上がった埃に目を眇めている。

 

――新たなプライベートスペースは大歓迎だった。コスプレ中に新田と目が合い、気まずげに目を逸らされ、いたたまれない空気の中、気にしないふりをしつつブログを更新しなくてもよくなるのなら、もう何でもする。この際部活に入ったっていい。体育系以外なら。

 

 金庫の隣のドアにもたれて、埃を吸い込まないよう、私は小さく息を吸った。

 

「新田、長谷川、朝倉の三名が、」

 

 歌うように言葉を口にしながら、埃を気にした風もなく、朝倉は足を振りおろした勢いで飛ぶように立ち上がり、ソファーを飛び越え、窓を乱暴に開ききった。

 

 風が埃を入り口に押しやる。すると折りよく戸が開き、うちの担任の姿が現れた。咳き込むわけでもなく、ただ代わり映えのしない微笑を浮かべている。そこで待ち伏せでもしていたのかダンディー。

 

「探偵クラブの部員です! 高畑先生!」

 

……思ったより恥ずかしい奴だったんだな、朝倉。

 

 高畑はクールに「よかった」とだけ言って、新田の向かいに腰を下ろし、PCのケーブルに絡まった灰皿を取り出して膝に乗せた。しかし、すぐに生徒の前だということに思い当たったのか、ポケットの手が動くのをやめる。

 

「危うく廃部になるところだったからね」

「朝倉にしては殊勝な行いだな」

「さて! 探偵の名前を決めないとねぇっ」

 

 わざとらしい誤魔化しの言葉を声高に叫んで、朝倉は足元のCDケースをいくらか両手に抱え込んだ。私と新田の何がなんだかわからない、という主張を暗黙裡に受け取って、高畑は機嫌良さ気に説明する。

 

「このクラブの伝統でね。その都度、探偵の名前を決めるんだよ。前回は確か……チェスタトンだったかな」

 

 次いで朝倉は窓枠にCDケースの束を縦に置き、順々に読み上げていく。

 探偵の名前を決める……つまりどういうことだってばよ、とは突っ込まないぞ私は。どうせ麻帆良のことだから、本格的に依頼が舞い込んだりするんだろう。そこら辺は朝倉が嬉々として引き受けるだろうから私には関係ない。全面的に。

 

「ホリーズのベスト、ビートルズのフリー・アズ・ア・バード、バッファロー・スプリングフィールドのアゲイン、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズのカモン・アイリーン、オーティス・レディングのベスト」

「その中から選べってことか?」

「何かピンとくるものない?」

 

 朝倉は完全に私に任せることにしたようで、それ以上何も言わない。新田と高畑も沈黙を守っている。仕方がないと、やけ気味にその中の、なんとなく響きのいい文字列を呟いた。

 

「スプリングフィールド、アイリーン」

「アイリーン・スプリングフィールド、になるのか?」

「女の名前だと舐められそうだ。スプリングフィールドにしよう」

 

 そんなに悪い名前でもないだろうに、なぜか高畑は頬を引きつらせている。

 

「部長、これでいい?」

「……部長?」

 

 悪戯っぽく笑いながら、朝倉は新田に豆鉄砲を食らわせた。そしてCDケースの蓋を開け、ステレオの電源をONにする。

 

「スプリングフィールドでいいのか? 部長」

 

 まさか私まで便乗してくるとは思わなかったのか、新田は苦々しげに口元をかすかに歪めた。 

 

「……………………あぁ」

 

 音楽が始まると同時に、新田は厳かな頷きを返す。朝倉は笑って新田に近寄り、その肩を軽く叩いて席に戻った。

 

 観念したようにため息をつく新田に笑いかけながら、高畑が訓告を垂れる。

 

「部屋の管理だけはしっかりとお願いするよ。まぁ、僕は他の部活も担当しているから、週に一度様子を見にこれるかどうかのお飾りだけど。うん。二度目になるけど、三年間、よろしく頼むよ」

 

 こちらこそ、というように新田が口の端に笑みを浮かべ、朝倉が右手を上げた。私はかすかに頷いて、天井を見上げる。ドアに、後頭部がコツンと当たった。それから目を閉じて、音楽に耳を傾ける。

 

「なんだよ。ストーンズのパクリじゃないか」

 

 すぐに目を開いて腕を組み、非難するように朝倉を睨んだ。新田が机上のリモコンを持ち上げて、高畑を見た。

 

「オマージュか創造的模倣とでも思えばいいんじゃないの」

「何が変わるってんだよ」

「ちょっとはイライラが減るさ~」

「無理があるだろ」

「切るぞ」

「「えっ」」

 

 そしてメロディーは途絶えた。

 満足には程遠い。そんな気持ちが朝倉の目顔に映り、私も口をへの字に曲げる。その様子を見かねてか、新田が肩をすくめる。そして高畑に目礼し、新田はリモコンのスイッチを押した。

 

 目を閉じる。


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