アヴァロンの落とし子   作:ktomato

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第六話 身体検査

***3月19日(月)18:30***

 

 

 麻帆良市西区のアパート二階、その殺風景な部屋のベランダに遠坂凛はぼんやりと佇んでいた。

 

「未練ね」

 

 凛の視線の先にはちゃぶ台を囲んで何事かを話し合う二人の男。

 カップラーメンにお湯を注ぐ黒い神父服の男は、尖った耳にその上から生えた角と見るからに人間ではない。壁に立てかけたギターケースの中身もギターではなく、魔法使いの杖である。直情的に唇を真一文字に結んだ、少し角ばった顔の美丈夫。赤髪を雑なオールバッグでまとめ、耳にピアスをつけているせいかどうにも雰囲気の軽い男だ。

 

「魔法生徒をやるときは、頼むぜ」

 

 黒いスーツ姿の男が、それに答えるように頷いた。 

 長い赤髪を靡かせる彼の耳もやはり尖っているが、その髪の中に埋もれてよくは見えない。彼に神父服の男のような角はないようで、床に鞘入りの剣を横たえていなければ普通の青年に見えなくもない。しかしスーツ越しにも分かる鍛え抜かれた四肢や、そんな物騒な頷きを返すところを見るとやはり彼も、まともな人間ではないのだろう。

 

 相方の分のお湯も入れ終わり、神父服の男は今か今かとラーメンを見つめている。

 

 遠坂凛は思う。完全なる世界は本気で来訪者を排そうとしているわけではないのだと。

 危険度Sの人間以外は殺さずに済ませ、逆に保護しているぐらいだ。しかし新田泉はその排すべき一握りの一人であり、彼らが本腰を入れざるをえない相手である。

 

 しかし彼らでは新田泉を殺しきることはできない。

 神父服の男、ジェラルドは優れた術師ではあるが如何せん相性が悪すぎる。いくら記憶を弄ったところで元の状態に戻ってしまう泉は、記憶方面に特化した彼にとって悪夢のような存在だ。フィリップという剣士に関しては少し事情は異なるが結論は同じである。彼は「非常に」優れた剣士で、非常にランクの高い宝剣を有している。だが彼にはその宝剣の性能を引き出す魔法の才能が全くない――それに見合う実力となるとそれこそ英霊クラスである――彼は、どこまでいっても対人特化の「剣士」に過ぎないのだ。消滅させても死ぬかどうか怪しい化け物相手では荷が勝ちすぎる。

 

「おぉ、うまいなこれは」

「お前のところの子の、おすすめだったか」

 

 完全なる世界が本腰を入れれば、凛でさえ手に負えないレベルの術者が出張って来るだろう。しかし彼らはそうしなかったし、重要な戦力であるとはいえ下っ端の彼らを、ここにやっただけなのだ。

 

「世界が違うから、味も違うかも……って寂しそうに笑いながら勧められたんだよ。食わないわけにはいかないだろ」

 

 加えて学園は新田泉を害するそぶりも見せていない。依然として疑いは尽きないようだが、それでも手厚く保護している。

 

「もしかしたら、あの子の世界とここは、似てるのかもな」

「さあな」

「……お前なぁ。もうちょっとリーディに向ける優しさを俺にも捧げろよ。親友だろ!」

 

 口角泡を飛ばしながら箸を向ける彼を無視して、フィリップもラーメンをすすり始めた。

 

「……ジェラルド、これは何の味だ」

「あぁ? えーっと、シーフードだろ」

「ふむ」

 

 そんな彼らを見て、彼女は新田泉にしてやれることなどほとんど何もないのだと、改めて思い知る。彼らを排除することはできない。そんなことをして奴らが本腰を入れれば遠坂凛だってタダでは済まない。いざというときに逃してやる、彼女にはそれぐらいしかできないのだ。

 

「腹もふくれたし、行くかぁ」

 

 それで十分じゃない、と凛は苦笑する。

 大体、新田泉は赤の他人に過ぎないのだ。大本は同じでも、今はもう「衛宮」士郎とは全く異なる存在になってしまっている。けれどそれでも、彼女には微かに衛宮士郎の匂いが残っている。それが理由で、彼女はまだ諦められないだけなのだ。

 

「あぁ」

 

 ちょっと美人になり過ぎててむかつくけれどとジト目になりながら、凛はアパートを出た二人を追って、軽やかにベランダから飛び降りた。

 

 

***3月20日、12:50***

 

 

 魔族である可能性の高い女性、泉について龍宮が聞かされていたのはそれぐらいのことでしかない。

 面談に立ち会い、身体検査を手伝って欲しいと学園長に依頼された彼女は、そんなことを自分に頼むぐらいなのだからよほど戦力が必要なのだろうと予期してはいた。しかしまさかここまでのメンバーを集めているとも思わず、その女性とは一体どんな化け物なのだろうと、彼女の警戒心は強まるばかりだった。

 

 学園長室には龍宮を含め、6人の男女が集まっている。

 近衛近右衛門はソファに座って杖をつき、泉が来るのを静かに待っている。その背後をタカミチとガンドルフィーニが固め、向かいの、空席のままのソファの後ろを龍宮と葛葉が囲んでいた。そしてそれらを見下すように、エヴァンジェリンは窓際のデスクに寝転がっている。

 

 時折、男二人の世間話が聞こえてくるだけで、室内はひどく静かだった。

 

 

 そろそろ時間かと龍宮が壁掛け時計を見上げた時、弱くノックの音が響いた。彼女は右手に銃をぶら下げ、念のため、いつでも発砲できるよう安全装置を解除する。

 

「入りなさい」

 

 そして現れたのは龍宮が昨日、寮で見かけた赤髪の女性だった。今日はフォーマルな黒いズボンとカッターを着、髪もポニテールにしているので随分印象が違って見えるが間違いないと、彼女は少し驚いたように目を見開く。

 

 驚いていたのは相手も同じである。葛葉がおもむろに携えた野太刀と龍宮のデザートイーグルを見て、新田泉は一瞬悔やむように歯を食いしばった後、にこやかな作り笑いを浮かべ、頭を下げた。

 

「失礼します」

 

 涼やかな声が響いて、ドアが閉まる。

 

「座りなさい」

 

 隣の葛葉がやけにリラックスしているのに少し疑問を抱きながらも、龍宮はいつでも泉に弾丸を撃ち込めるようにと臨戦態勢をとっている。それはタカミチとガンドルフィーニも同様で、室内の空気はいやに張り詰めていた。その不敵ともとれる泉の行動に、エヴァンジェリンだけは興味深げに目を細めている。

 

「久しぶりじゃの、泉君」

「お久しぶりです」

「寮はどうじゃね。うまくやっとるかの」

「はい。二人とも、よくしてくれています」

「ふぉっふぉっふぉ。それはよかった」

 

 龍宮の心内にまさか本当にただ面談を行うだけなのか? との疑いが萌したが、世間話を終えた近右衛門は眼光鋭く泉を見据え、全く口調を変えずに問いかけた。

 

「のう、泉君。君は一体何者なんじゃ?」

「父にお話しした通りです」

「君の口から、もう一度説明してもらえんかね」

「わかりました」

 

 それから語られた内容は信じられないような、嘘のような話しだった。

 新田泉は異世界からやってきた、こんな姿をしているが元は男だ、などと魔法の世界であっても荒唐無稽としかいえない内容である。

 

「ふぉふぉ、すまんの」

「いえ、とんでもない」

 

 恐縮して頭を下げる彼女を、男二人は困惑しつつも警戒し、エヴァンジェリンは益々その笑みを深くする。最初から無警戒だった葛葉はやはり事情をしっていたのか、何の反応も示していない。龍宮はタメ息をつきそうになるのをこらえながら、仕事には関係のないことだと話しの真偽についての思考を打ち切った。

 

「紹介しておこうかの。この眼鏡をかけた男は高畑・T・タカミチ、泉君の担任じゃよ」

「よろしく」

「よろしくお願いします」

「生真面目そうなこの男はガンドルフィーニという。小さな嫁さんに尻をしかっれぱなしの先生じゃ」

 

 何か言いたそうにしながらも、ガンドルフィーニは黙って頭を下げた。

 

「後ろにいる女性は、あれでも泉君の同級生じゃよ」

「龍宮真名だ」

 

 「あれ」呼ばわりされて少し、いやかなりカチンと来たが、彼女も黙して会釈をする。

 

「そちらの女性は葛葉刀子という。ワシの指示で君の監視をしていた女性じゃ」

 

 抗議するように身を乗り出した葛葉を無視して、学園長は話しを続ける。

 

「そしてあそこで寝転がっとる幼女がエヴァンジェリンという吸血鬼じゃて。基本的に害はあるがの。よっぽどの無礼を働かん限り死にはせんよ」

「おいこらじじい、誰が幼女だ誰が」

「美女の間違いじゃったな。すまんの」

 

 戸惑ったような泉の視線を受けて、老人は咳払いをする。

 

「さて、今日来てもらったのは他でもない。泉君の身体を調べさせてもらいたいのじゃ」

「じじい! それで誤魔化したつもりか!」

「構いませんが」

「ふぉふぉ……フォッ!?」

「あ、あの?」

 

 戦意を見せないどころか自分の身体を許しさえする彼女に、彼らは困惑したように沈黙する。承諾の言葉を聞いた途端不機嫌そうに押し黙ったエヴァンジェリンを余所に、葛葉だけは心配そうに泉を見つめていた。

 

「本当に、よいのかの?」

「はい」

「こいつらがお前を害さないという保証はどこにもないのだぞ?」

 

 殺意さえ込めたガンドルフィーニと葛葉の視線を完全に無視して、彼女は机から飛び降りた。そして吸血鬼は悠々と泉に歩み寄り、口端にシニカルな笑みを浮かべる。

 

「それなら、それまでのことです」

 

 しかしその答えでエヴァンジェリンは完全に興味を失くしたのか、そのまま帰ろうと早足で歩きだした。

 

「どこへいく! まだ何も終わってはいないぞ!」

 

 それに振り向いて彼女はガンドルフィーニに向けて口を開き、アピールするように牙を見せる。その目には苛立たしさと、怒りがたゆたっている。彼女が何をするつもりか悟った葛葉が刀に手をかけるのを、学園長が一睨みして押し留めた。それにタカミチは意外そうに目を細めるばかりだ。よくよく考えてみれば面談に立ち会うこと以外、今の自分がすべきことなどなかったなと、龍宮は傍観している。歩み寄る吸血鬼に泉は、ただ姿勢を正して向き合っていた。

 

「学園長っ!」

 

 葛葉の叫びに、学園長は首を振る。そして泉に覆いかぶさるようにして、エヴァンジェリンはその白い首筋に牙を突き立てた。ついで何かが引きちぎられる音が響いて、鮮血が宙を舞う。床にびちゃりと落ちた肉が少し飛び跳ね、すぐに動きを止めた。泉はそのまま身じろぎもしない。すでに再生を始めているその首を見つめながら、エヴァンジェリンは吐き捨てるように、冷やかに断定した。

 

「ガンディー気取りの弱者に興味はない」

 

 ガンドルフィーニは震えそうになりながらもその赤く染まった唇をねめつける。

 そして今度こそ歩み去ろうとしたエヴァンジェリンは唐突に立ち止まり、学園長に振り返った。

 

「じじい、貸し一つだ」

「わかっておる」

 

「全く。不味い血だ」

 

「大丈夫ですか?」

 

 エヴァンジェリンが退出するとすぐに葛葉は泉の傍へ駆けよっていった。今度は、学園長も留めなかった。泉は大丈夫だというように首を傾げ、首筋の無傷をアピールしている。

 彼女のカッターに血がべっとりとついているのを、龍宮は再度確認する。しかし首筋には傷跡すら残っていない。下手をすれば首が飛びそうな傷を負ったのにである。それに対して悲鳴を上げるどころか、彼女は気にするそぶりも見せていない。そしてエヴァンジェリンに何か思うところがあるようにも見えない。

 

「先に、あれを片付けた方がいいですね」

「新田泉、君は……」

 

 立ち上がってそんなことを口走る血だらけの泉に、ガンドルフィーニはそれ以上何も言えないでいる。

 

「私がやっておきましょう」

 

 その異常とも言える態度に、龍宮は再び警戒心を募らせる。

 この手の輩は大切なものに手を出されると何をしでかすかかわからないということを、龍宮はよく知っていた。自分自身が傷ついたときにではなくそれが傷ついたときにこそ深く傷つき、静かに激しく怒り狂う。そして往々にして、それは他人にとっては何でもないようなものであったりするのだ。

 

「すみません」

「いいのよ」

 

 席に戻る泉を眺めながら、彼女は思考を巡らせる――エヴァンジェリンがどう思ったのかはわからないが、この女は、いざとなればその手を汚せる。

 

「学園長、ご説明いただけますか?」

 

 ポケットに手を入れ、にっこりと笑うタカミチに頷いて、冷や汗をかきながら近右衛門は説明を始める。

 

「泉君、ワシは君のことをもうほとんど疑っておらん」

「ありがとうございます」

「しかし、君が膨大な魔力を持ち、異世界の魔法とアーティファクトを、それも魔族のそれに近いものを携えてやってきたことに、ワシはある種の恐怖すら感じておる」

「だから、わざとエヴァンジェリンさんを同席させたのですか?」

 

 ガンドルフィーニと葛葉が、驚いたように学園長を見据える。

 

「幸いというべきじゃろうな。泉君は殺意どころか、人の悪意にさらされたこともない。じゃが、君が明確な敵意に対して、その暴力に対して、どのような対応をするのか、ワシは知らねばならなかった」

「俺は、」

「それ以上言わんでいい。もう充分じゃ。ワシは君を歓迎する。お主らはどうじゃ?」

 

 先生方がそれぞれ頷くのを見て、龍宮も追従するように頷きを返す。しかしこんな小芝居に付き合う自分が滑稽でならないのか、龍宮は浮かんできそうになる笑みを必死になって口元だけで留めおいている。

 

「これ以上、ワシらが泉君を害さないことを約束する。すまなかった」

「頭を下げないでください。先生が悪いわけじゃありません」

「ではお言葉に甘えて検査を始めるとするかの」

 

 深々と下げた頭をすぐに上向けて、近右衛門は先ほどまでの謝意をにこやかに霧散させる。それに呆れたように苦笑するタカミチから居合い拳の気配を感じて、近右衛門は真顔に戻った。

 

「先に言っておこうかの。泉君にはこれからも、常時護衛をつけるつもりじゃ」

「……これから「も」ですか」

「葛葉君は途中から君の護衛をしとったからのう」

 

 さすがに言葉が出てこない様子の泉に、彼らは同情的な視線を向ける。

 

「春休みも終わったことじゃし、もう葛葉君に頼むわけにもいかんがそれなりの腕利きを見繕うつもりじゃて」

「しかし」

「これは泉君への詫びでもあり、ワシらのためでもあるのじゃ」

「……ありがとうございます」

「なら、僕たちはもう出ておいた方がいいね」

「高畑先生?」

「生徒へのセクハラは学園長に任せておくべきでしょう」

「ふぉっ」

「いや、しかし」

「そういえば来週、ガンドルフィーニさんのご家族と食事を」

「さぁ、行こうか高畑君!」

 

 葛葉の凍りついたような視線を浴びる学園長を置き去りにして、二人は退出していった。

 

「検査は、どこで行うことになっているんですか?」

 

 何事もなかったように問いかける泉に、学園長はホッとしたように息を吐いた。

 

「ここで、じゃ。龍宮君にも手伝ってもらうつもりでおるよ」

 

 なんとなく上機嫌な龍宮を見上げ、泉が頷く。やっとまともな仕事の時間だと、喜んででもいるのだろう。

 

「よろしく」

「うん。では、とりあえず服を脱いでもらおうか」

 

 左目の魔眼を発動させながら、龍宮は真顔でそう命令した。

 

 

**16:20**

 

 

「大丈夫?」

「はい」

 

 さすがに老人と同級生に全身をまさぐられたことで羞恥が萌したのか、裸のままの泉は顔を真っ赤にして縮こまっている。検査の間に持ってきた自分の服と下着を彼女に手渡して、葛葉は早く着替えるよう勧めた。

 

「ありがとうございます」

 

 依然として窓際でこの上なく真剣に検査結果を協議し続ける二人に、葛葉は思わずタメ息をついた。

 

「……これを、渡しておきますね」

 

 式紙・ミニ葛葉を着替え終わった泉の手に握らせて、失くさないようにと微笑む彼女に、泉は小さな声で「ありがとうございます」と呟くように言った。

 

「有事の際はそれで連絡してください。火をつけないようにするんですよ?」

 

 それに初めて無心に笑って見せた泉の隣に座って、葛葉が囁きかける。

 

「むやみやたらと危険に首を突っ込まないようにしなさい。私だって暇ではありませんから」

「肝に銘じます」

 

 神妙に頷く泉の頭をポンと叩いて、彼女はまた元の立ち位置についた。ようやく議論を終えた二人がこちらにやってきたのだ。

 

 泉の向かいのソファに腰掛けて、二人は検査の詳細を語り始める。

 

「結論から述べようかのう。まず、泉君が人間であり、異世界人であることはほぼ確定したといっていいじゃろう。龍宮君」

「新田の体内のアーティファクト、アヴァロンが最上位魔族のそれとは異なることが判明した。そして新田は肉体的にも人間といえることから、魔族との関わりは現時点では見出せない。だが魔術回路と呼ばれる器官については、学園長も私も、見たことも聞いたこともない」

「やはり、そうでしたか」

「うむ。泉君の魔術回路とやらは恣意的に、マナや精神力といった万物に宿るエネルギー――ここでは生命力とでもいっておこうかの――を魔力、つまり術的な生命力へと転換するようじゃが、ワシらのそれは自動的なのじゃ。そのために、ワシらは泉君の魔力量の測定にてこずったのじゃろうて……まだ決定的な定説は出てきておらんのだが、まぁ、一般論としてこちらのそれにも触れておくとするかの」

「お願いします」

 

 向かいのソファに隣り合った二人に、彼女は軽く頭を下げた。

 

「ワシらが魔力を蓄えることで生命の危険を犯すようなことはまずないのじゃよ。もちろん、場合によっては事故が起こることもあるがの。器自体が自動的に魔力を蓄えておるから、そのような例は極めて少ないのじゃ。その仕組み自体はいまだ解明されておらん。そこに蓄えられた魔力を操るために、精神力、つまりは自身の生命力を用い、術法を駆使することで魔力を従え、魔法を放つ。いってしまえばこの精神力の操り方と術法にのみ傾注してきたのがワシらの魔法なのじゃ。魔力など一定時間経てば回復する、その程度にしか考えられておらんのじゃよ」

 

「人間でも魔族でも、それは変わらない。新田の魔術回路とは大分趣を異にしているといえるな」

 

「むしろワシらの気の運用に近い所があるのう。簡単にいえば気とは先ほどの精神力、つまり体内の生命力を燃焼させたものじゃ――精神力と体力の違いはそれが魂に起因するか、身体に起因するかの違いだとされておるから、厳密には異なると同時に、根本的には同じものなのじゃが――それはともかく、気を用いての身体強化や武器の硬質化などその応用の幅は存外に広い。これも極めれば魔法と遜色ないレベルに達することがあるぐらいじゃ。まぁ、この分野は魔法以上に感覚的に理解されておるから、どのように生命力を燃焼させておるのか、その一般論すら成り立っておらんのが現状じゃがの。確実に分かっておるのは一般に、気は年を経るごとに練りにくくなり、魔法はその逆だということじゃな。ワシのような例外もあるがの」

「新田の場合は、そちらの世界でもかなり特殊な例かもしれないな。そちらでは主に魔力量は術者の技量と魔術回路に依存するようだが、お前のそれは大体がアーティファクトに依存している」

「えっ」

 

「泉君自身の魔力量はそれほどでもないのじゃよ。しかしそのアーティファクトが蓄える魔力をも君のものとして扱った場合、その魔力量は膨大なものとなる。実際使えておるようじゃし」

「異常な再生能力は新田を維持しようとするそのアーティファクトの効用だろう。男性の記憶、女性の記憶、更には肉体的にも彼らを引き継いでしまったことで生じた歪みを、それが無理やり抑えている形だ。現在、魔力の大部分はそのために使われている」

「アヴァロンに、そんな機能はないなずなんだがな……」

「私たちは今、それがどのように新田に働きかけているのかを見たに過ぎない。本来の機能がどうであれ、だ……続けるぞ? そのアーティファクトだが、残念ながら新田から摘出することはできなかった。新田と一体化している上、どうやら量子化してしまっているようでな。だから学園長も魔族のそれと誤認したんだろう。機能的にはほぼあれと遜色ないからな……できるなら、これに関してはその道の科学者に意見を伺いたいところだが」

「そのような科学者に、心当たりはないのう」

「話しはこれぐらいだ。何か質問はあるか?」

「……すまない。今すぐには無理だ。思いつかない」

「思いついた時に、質問すればよかろうて。ではこの事以外に、何か聞きたいことはあるかの?」 

 

 泉は少し考えるように俯いた。

 

「俺の誕生日は、いつなんでしょうか?」

 

 想像していた以上に素朴な質問に、学園長は笑って答える。

 

「4月9日じゃよ」

「何か、由来があるんでしょうか?」

「新田君たちの、最初の子供の誕生日じゃな」

「えっ?」

「これ以上は、直接聞くことじゃの」

 

 それ以上は思いつかなかったのか、泉は質問を打ち切った。

 

「ではお開きとするかの」

「ありがとうございました。龍宮も」

「仕事だからな」

 

 帰りしな、葛葉にも礼を言い、後日服を返すと告げて、彼女はしっかりとした足取りで学園長室を後にした。

 

「情でも湧いたかの?」

 

 「では私も失礼します」といって立ち去ろうとした葛葉はその言葉に立ち止まり、はっきりと首を振った。

 

「護衛の任を受けた身としては当然のことです。ボーナス、期待してますよ」

「ふぉふぉ、恋人でも出来たとみえるのう」

「えぇ、何かと入り用で」

「そこは私も「大いに」期待したいところだな」

 

「心配せずともよい……全く、これは色をつけんと斬り捨てられるのう」

 

 後半の呟きは、すでに退出した彼女らには届かず、ただの独り言として部屋の中に響いて消えた。学園長はタメ息をついて絨毯に染み付いた血を眺め、今度はエヴァンジェリンに何を要求されるのかと気を重くしながら、またタメ息をついた。




 泉が帰ると、二人はこたつに入ってニュース番組を見ている最中だった。

「おかえりー」
「ぁ、あぁ、ただいま」

 空気の落差に戸惑っているのか、彼女は棒立ちになったままぼんやりとニュースキャスターの声を聞いている。

――「今年、シアトルマリナーズへ移籍したイチロー選手が、」

「今日も宮崎と綾瀬が来てたよ」
「それは、悪いことをしたな」
「あ、これ。綾瀬から。引越祝いだって」

 朝倉から天ざるの食券を受け取る彼女に、千雨が無愛想に呟きかけた。

「……おかえり」

 突然、パンっと頬を両手で叩いて気合を入れ、彼女は元気よく「ただいま」と返した。

「お、おう」
「よし、夕飯にするか」
 
 食券をポケットに入れて彼女は、今日の夕飯は豪勢なものにしようと拳を握る。

「なに作るの?」
「リクエストを聞こう」
「うーん、じゃあ豆腐ハンバーグで」
「了解。長谷川さんは?」 
「筑前煮」
「じゃあちょっとスーパーへ行って来る」
「食費はあとでまたいってねー」
「おう!」


「あいつ、どうしたんだ?」
「さあ……?」

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