アヴァロンの落とし子   作:ktomato

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第四話 出発

***3月19日(火)休日 AM7:00 新田家***

 

 

 泉が寮に移る日の朝、休日であっても朝の早い彼らはいつもより少しだけ豪華な朝食を終えた今もまだ、食卓を囲んでいた。

 眠たそうにしているのはなんとなく眠れない夜を過ごしたかなえだけで、二人は平時と大して変わらないように見える。そんな彼女はぼんやりと、泉を見て、夫を見てを繰り返す。誰かが、口を開くのを待っているのだろう。

 

「大事な話が、あるんだ」

 

 その言葉で一気に目が覚めたのか、彼女はすぐさま姿勢を正した。

 

「いってみなさい」

 

「……俺は多分、年をとらない」

 

 淡々とそういう彼女に、春夫はどんな顔をすればいいのかわからず、ただ顔をしかめた。

 

「俺の記憶にあるエミヤシロウは、魔術師だった。エミヤは投影という魔術の使い手で、例えばこんな風に」

 

 と、どこからともなく現れたスプーンを手渡され、二人は息を飲む。

 

「物を創り出すことができた。本来のエミヤの魔術は剣を創り出すものだけど、俺には出来ない。なぜか、日用品だと問題ないんだけどな……エミヤは宝具と呼ばれる、たとえば古代ギリシアの英雄が使っていたような武器まで投影出来るぐらい、それが得意だった」

 

「先週、倒れたのはその、投影を試していたから?」

「あぁ。そして、これだ」

 

 申し訳なさそうに頷いてから、彼女は包丁を投影し、いきなり手のひらを刺し貫いた。

 

「な、何をしとるんだ!!」

「泉ちゃんっ?!」

 

「よく、見てくれ」

 

 消えた包丁の後に残った手のひらの風穴を彼らに向かって突き出し、いつも通りの口調で彼女が言う。そしてそれが猛スピードで塞がっていくのを見て、彼らは小さく安堵の息を漏らした。

 

「この通り、俺はそう簡単には死なない」

 

 黙り込んだ彼らを見て、泉は悔やむように手のひらを握りしめる。

 

――すぐにでも、出て行くべきだったのにな 

 

 そしてエミヤシロウならどうしただろう、アイリスフィールなら、どうしただろう。そんな風なとりとめのない思考が溢れ出していく。きっと、出て行ったに違いない。もっと、うまくやったに違いない、などと。

 

――でも、俺は、「ここ」にいたい。彼らから、離れたくない

 

「アイリスフィールも、エミヤシロウも、アヴァロンという鞘を、持っていたことがある」

 

 彼女があえて自らの異常性を告知したのには、きっと受け止めてくれるだろうという信頼もあったが、それ以上に自分を受け入れることの危険性を彼らに知っていてもらいたいという意図があった。その上で、選んで欲しかったのだ。

 

 甘ったれている自分を、泉は自覚せずにはいられない。

 

「本当はセイバーという女性がいないと十分機能しない代物なんだ。当然、ここに彼女はいない。だからなぜだかは、わからない。でもこういう現象は、アヴァロン以外では説明できないんだ」

 

 彼女はこの二カ月で学校に行って試験を受け、なんとか特待生資格を取得し、バイト代で教材も揃えた。そして制服や普段着などを投影することで、随分費用を節約している。それが彼女に出来る、精一杯だったのだろう。

 

「アヴァロンでもちょっと説明のつかないことがある。魔力量、っていっても分かるかな。魔術を使う時に必要なガソリンみたいなものなんだけど。その量がすごく多いんだ。この世界でも、そうないレベルだと思う」 

「そういう世界のことは、わからないが……それが原因で泉が狙われることもありうるのか?」

「あくまで推測だけど、まず間違いなく、学園長はそういう世界の住人だ」

「あの人は、お前をどうこうするような人間じゃない」

「あぁ、そこは父さんを信じるよ。でもそうだな。やっぱり、狙われることはあるんじゃないかと思う。まず異世界から来たというだけで狙う理由にもなるし、加えてこの魔力量も、この世界にはおそらくない魔術も宝具もそうだ……向うで、エミヤシロウも狙われていたしな」

 

 アイリスフィールが聖杯であったことや、自分の身体の中身が女の部分とその他の一部、新しく生えて眠ったままの魔術回路などを除けばエミヤシロウそっくりであることについて、彼女は最後まで触れようともしなかった。

 

「学園長に、保護を頼むべきじゃないか?」

「学園長自身がどうこうする人じゃなくても、組織はどうなのか、わからないんだ」

 

 そういって、泉が首を振る。

 

「でも、泉ちゃん。学園長先生が魔法使いなら、もうあなたのこと、知ってるんじゃない?」

「それが、そうともいえない」

「えっ、そうなの?」

「あの学園、俺が少し見ただけでも魔力を持っている人間がかなりいた。俺はあそこではその中の目立つ一人に過ぎない。それに俺の世界だと魔力を用いるためには魔術回路というものが必要で、それがないと魔力を生成できない。だけどそれを使うのはすごく痛い。下手すると命がけなんだ」

「こちらの世界の人間は、その、魔術回路? というものを持っていないわけか」

「あぁ。その可能性はすごく高いと思う。だから気をつけていれば、俺の魔力量は傍目にはわからないんじゃないかな」

「ぅうむ」 

 

 父の言葉に加え、エミヤシロウとアイリスフィールというフィルターを通して彼女が眺めていた学園長は、父や母、のどかたちを傷つけない程度の分別を持った得体のしれない「魔術師」に過ぎない。魔術の素質のある一生徒としかみなされていない可能性が高いのなら、下手に藪をつつかない方が得策だろうと彼女は考えていた。

 

 その判断の根拠はすんなり入学できたことの他に、学園を覆う結界にもあった。解析を通して知り得たその効果、認識を阻害し一般の生活を守るというそれである。

 

「でもやっぱり相談した方がいいと思うわ。悪いことをしてるわけじゃないんだから。ねぇ?」

「……その気は、ないようだな」

「あぁ」

 

 言葉には出さないが、泉はエミヤの戦闘経験が手段としては下の下以下だと告げる方針を採用している。

 自衛の手段を携えず、常に無防備であること。誰かに狙われたとしても、絶対に抵抗しないこと。狩るために強引な手段など必要としない、無害な危険人物でいることで、周囲の被害を抑える。そんな愚かな自己犠牲にしがみついていくことを彼らに伝える積りはないのか、彼女はただ沈黙している。

 

 それが我がままを押しとおすための、彼女なりの覚悟だった。

 しかし今も、彼女は迷い続けている。これから俺はどうやって生きていくつもりなんだろう、と――正義の味方を目指して? いいや、それは俺の夢じゃない。それとも愛する人のために? それがどんなことかも本当にはわかっていないくせに、どうしてそんなことができる?

 

「……泉ちゃん、悩み事はそれだけなの?」

 

 口調はエミヤシロウを参考に、髪の洗い方はアイリスフィールのやる通りに。料理に試験、歩き方に礼儀作法、……色んな時、色んな場所で、彼らに寄りかかり、澄ました顔でわかったようなふりをする。これが新田泉の生き方か? と、彼女は自問する。すぐに、彼女はわからないと自答した。そして同じように、こんなことで生きているといえるのか? 胸を張って、父と母に。わからないと彼女は否定する。

 

「そうだぞ」

 

 あまりに綺麗に笑う時、それは何かを誤魔化している時なのだと理解できる程度にはもう、彼らは彼女を知っていた。

 

「嘘つきね、泉ちゃんは」

 

 ぽつりとそう零すかなえに、泉は何も言い返せない。

 

「責めてるわけじゃないの。泉ちゃんの悩みは、泉ちゃんのものだもの」

「……すまない」

「強情だな、泉は」

「ハルにだけは言われたくないと思うの」

 

 ぐうの音も出ない春夫を見て、かなえが笑う。そして「少し、休憩しよっか」と妻が冷蔵庫から水だし紅茶の入ったピッチャーを取り出すのを見て、立ち上がろうとする泉を制し、春夫は棚からグラスを三つ取り出した。

 

 

「おいし」

 

 グラスの中で、氷が鳴る。

 暖房をかけて温度を引き上げ、冷たい物を飲むことは、アイスティーと夏を愛するかなえにとっては非常に安らぐ贅沢だった。

 

「ねぇ、ハル。教師なんだからこう、ぴきーんと悩みを当ててみせてよー」

 

 くつろぐ妻の無茶ぶりに苦笑しつつ、彼は紅茶を口に含んだ。

 そんな中横目に見る、表情を浮かべず、紅茶も飲まずに自分たちを見つめる泉は、彼にはなんだかひどく小さく見えた。

 

 

「わからないんだ」

 

 

「えっ?」

 

 その突然の、消え入りそうな呟きはひどく平坦で、何の感情もうかがえない。

 

「わからないんだ」

 

 無表情でそんなことを言い始めた泉に、彼女は驚いたように沈黙する。

 

「このままでいいのか、悪いのかも」

「悪いに決まっている」

「ハル!」

 

 手で無理やり妻を押し留め、春夫は続けた。

 

「泉は、学校で何をするつもりなんだね」

「勉強を」

「勉強は何のために行うものだと思う?」

「就職や、受験のために」

「確かにそうでもあるが……例えば就職に失敗し、例えば成績を上げようと努力する中で、様々な自分を経験し、未熟な自分を磨きあげる。私はそれが、学ぶということなのだと考えている」

 

 柔らかな笑みを浮かべる彼を、泉は呆然と見つめた。

 

「悩みがあるのなら、学校で答えを探しなさい。多分それは、私たちでは教えることのできないことだ」

 

「……はい」

 

――なんで、こんな、こんなに

 

「泣き虫ねぇ。泉ちゃんは」

  

 

**

 

 

 

――――――『全く、度し難いな』

 

 

 

***********************************

 

 

「こんなものか」

 

 と呟いた男の声は極めて事務的で、達成感の欠片も感じられない平凡なものだった。

 

 その薄暗い部屋の壁面に据えられた巨大なスクリーンには最初、新田泉が現れたコンビニを中心とした地図が広がっている。新田家には赤い光点が灯っており、そこには母に抱きしめられながら泣いている新田泉と彼女の簡易データが並んでいる。

 

――――名前:新田泉(戸籍上の名称に過ぎない。実際は不明)

――――年齢:不明

――――性別:女性

――――性格:非常におとなしく、彼女自身に戦意は全く見られない

――――危険度:S

 

「リーディ、ひとまずデータを調君に送っておいてくれないか」

「分かりました。フィリップももう休んでください」

「そうするよ。学園の監視についてはまた今度まとめて提出するから、そう報告しておいてくれ」

 

 スーツ姿の彼女は柔和な笑みを浮かべつつ、彼にカフェオレの入ったマグカップを手渡した。そして彼女は杖を振る。するとスクリーンの電源が消え、彼女の前に仄かな光となってデータが浮き上がった。

 

「じゃあ、先に帰ってるよ」

「私もすぐにいくわ。ごはん、食べられる?」

「待ってる」

 

 嬉しそうに微笑むフィリップはそう言って、赤い剣とバッグを手にフラフラと退出した。

 いつものように、人が変わったように仕事へ打ち込んでいた夫が、ようやく普段の姿に戻ったことを素直に喜ぶことはできないのか、彼女は悲しげに笑み、杖先に浮かぶデータに触れる。

 

「……この子が新しい来訪者、か」

 

 彼女は新田家の団欒を思った。

 遠からず、夫が打ち壊すだろうその情景を。

 

 

***

 

 

 新田家の庭にはいくつもの花壇がある。

 季節毎に咲き乱れる花々を見渡すためにか、花壇の中央にはアンティークベンチが据えられていた。彼が妻のためにそうしたのだろう、防水加工を施したクッションまで備え付けられている。そこへ遠慮なく座りこんで手に頤をのせたまま、ぼんやりと新田泉を見つめる遠坂凛は、呆れてものがいえないといった風な顔をしていた。

 

「呑気なものね」

 

 特殊な結界でも張り巡らしているのか、彼らにも、スクリーン越しに彼らを見つめる人々にも、彼女の姿は全く映っていない。

 

――アフターケアにしては、骨が折れそう

 

 屋根の上でしゃがんだまま、巨大な野太刀を軸にして微動だにしない葛葉刀子を見上げながら、彼女は心内でそうひとりごちた。

 

 どちらの組織も今すぐに新田泉を害そうという気がないこと、救いはそれぐらいかとタメ息をつきながら立ち上がった彼女は、数瞬の間をおいて、何処なりへと姿を消した。


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