アヴァロンの落とし子   作:ktomato

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第二話 アルバイト

 新田春夫の休日は一人で過ごす場合、おおよそ次のようなものだ。

 朝早くに起きて朝食を妻と二人で食べ、昼になるまでは読書し、それから昼食を食べた後には行きつけの古本屋に行って店主と何時間も話し込み、日が暮れる前にはその場を辞して人通りの少ない場所を選んでゆっくり歩きながら、日が沈んでいくのを見、家に帰る。

 

 しかし今日は一人ではないにも関わらず、彼は古本屋に赴いていた。新しい娘である新田泉がアルバイト先を紹介してほしいと頼んできたからだ。

 

 昨日、戸籍上新田の娘になってしまったことで家を出て行くことを諦めた彼女はとても、とても必死であった。

 彼ははじめ働く必要はないと突っぱねていたが、あまりにも泉が熱心に頼み込むので結局折れてしまったのである。泉が心苦しさを感じているのなら、慣れるまではそうさせた方がいいのかもしれないといい訳しつつ、現在は歩きながら娘とのコミュニケーションを図ろうとしている。

 

 泉はGパンにTシャツ、その上にジャケットを羽織ったラフな格好で、不格好にならない程度にサイズが大きく――新田が着なくなって死蔵状態だった服なので――女性特有の凹凸が隠されて、髪を短くすれば中性的といえそうな格好だった。

 

「泉は、本は好きかね?」

「どう、なんでしょうか。よくわかりません。読んでみればわかると思うのですが」

「なら丁度いい。今から古本屋に行くから、ついてきなさい。あそこでなら働いても安心だ。といってもアルバイトを募集しているかどうかはわからんがね」

 

 新田から見て泉は自分にも、ましてや妻にも心を開いているようには思えなかった。

 あの話からすれば泉自身の性格というモノはまだ形成されていず、今はある意味行動の全てがモノマネに過ぎないのだろうと彼は考える。それを育てていくのが自分たちなのだということを、嬉しく思う気持ちも春夫にはあった。

 

 同時に、性急に過ぎると感じる自分がいることをも春夫は認めていた。

 養子にするというのならもう少し段階を経てからの方がいいのではないか? しかし妻を押しとどめるのは……無理だな。ということで春夫は早々と諦めていたのでそういったことは大して気にしてはいなかった。大分問題のある大人である。

 

「一冊、泉の好きな本を買ってあげよう。それを持って、店主に話しかけなさい。気難しい男だから、私という伝手を辿るよりも自分からやった方が塩梅がいい。いいかね?」

「はい。アルバイト代が入ったら、きちんとお返しします」

「ダメだ。いいかね。私は泉の父親なのだ。少なくとも父親としての私は娘に借金させる気は毛頭ない……遠慮しなくていい。慣れるまで時間がかかるかもしれないが、慣れてくれ。妻はもっとひどい」

 

 子どもがいい慣れないお世辞を言って顔を赤くするように、新田の頬は言葉を重ねるごとに赤くなっていく。段々と早口になり、言葉もつっかえて、うまく言えているのかどうかわからないといった風だ。

 

 いい大人にも見える泉にこんなことをいうのが、照れくさいのかもしれなかった。

 

「……そうします。でも、ありがとうございます」

「なら敬語はやめてくれないか」

「え~っと、あ、ありがとう?」

「………」

「………」

「そういうことだ」

「??」

 

 昨日よりも今朝よりも一層戸惑った顔で、泉は新田の顔を凝視した。

 ぎこちない笑顔に、ぶっきらぼうな言葉で返す。常から言葉が足りない新田の悪癖を、泉はまだ理解できない。隣にかなえがいればきっと補足しただろう。「それが親子というモノだ」。

 

 

***

 

 

――本日休業――

 

 シャッターの降りた店を見て、春夫と泉は少々落ち込んでいた。

 近くに来るまでもなく、店が閉まっていることは確認できていたのだが春夫も泉もなんだか諦めきれない気分だった。

 

 読み返す必要のない率直な四文字を凝視する二人組は彼らが思っているよりも目立っていて、お隣の惣菜屋で話しこむ奥さんとアルバイターの強い視線を浴びていた。実直そうな、私服を着ていても教師然とした男と年齢不詳の、どこかしら無防備で美人な外人さんでは目立って当然である。

 

「……珍しいこともあったもんだ。ここの店主は水曜日以外は絶対に休まない、頑固な爺さんなんだが」

「あんたたち! ウチのお客さんかい? あら、新田さんじゃないかい」

 

 お隣の奥さんが話を切り上げて、ビニール袋を片手に二人へ寄ってきた。恰幅のいい、パーマをあてたおばさんだ。

 

「あぁ、奥さん。親爺さんに何かあったのかね?」

「ぎっくり腰だよ。もう年だからね~全治3週間。ほっとくとあのまま店番するだろうから病院にぶちこんでやったのよ~おかげでこっちは料理もせず、あの人の小言も聞かずに悠々と生活できるよ」

「……お気の毒に」

「それはそうと新田さん、そっちの子は誰なんだい? 見たところ外人さんみたいだけど」

「はじめまして。新田泉といいます」

「昨日、うちの子になった。私の娘だ。で、奥さん。今日は親爺さんに用があってきたんだが伝えてもらえないかね?」

 

 その言葉に少し面食らった様子だったが、おばさんは素早く気を取り直して人のよさそうな笑みを浮かべた。

 

「いいよ。どうせ後で見舞いにもいってやらないといけないからね」

 

 それからの流れは早かった。

 元々おばさんはアルバイトを雇うつもりだったらしく、丁度昨日その許可を親爺さんにもらったところだった、らしい。渡りに船、というところで問題は本を運んだりする程度の腕力があるかどうかだった。腕力測定器として、壊れて生半可な力では持ち上がらないシャッターを上げられるかどうか、泉は試してみることになったが。

 

「ふんぬ!」

「お~若いね~」

「……私より力がありそうだな」

 

すんなりシャッターを持ち上げるという結果を叩きだし、めでたく泉は「古本屋」店主代行と相成った。

 

 

***

 

 

「やっぱり、まだ、出て行くつもりでいる?」

「いえ。もう諦めました」

「いや、もう諦めたよ。でしょ?」

「はは……」

 

 妻と一緒になって皿洗いに勤しむ泉の後ろ姿を、春夫はぼんやりと眺めていた。

 なんとはなしに点けたTVが今日、2001年1月20日土曜日に起こった出来事や明日のことを垂れ流すのを聞くだけで――明日は雨ときどき曇りになるでしょう――夕食後の満腹感と風呂上がりの倦怠感から彼はソファーに座りこんで動くことができない。腹に力を入れるだけで胸のあたりの力が抜けて、どうしようもなくなるのだ。

 

「いいのよ。隠し事をしていても」

「ですが」

「私だって、泉ちゃんにハルの弱い所を尋ねられたら困るもの」

「そ、それは、そうでしょうが」

 

 全身の力が抜けてしまったように背もたれから少しずり落ちて、彼はそのまま眠りに落ちていった。

 

「あらっ、珍しいわね」

「そうなんですか?」

「えぇ。面倒な人だから」

 

 そう言いながらかすかに笑んで、新田に駆けよって行く彼女を、泉は眩しそうに眺めていた。

 

 

***

 

 

 翌日から、俺は古本屋で働くことになった。古本屋の名前は「古本屋」らしい。分かりづらいことこの上ない。

 

 業務時間は朝の10時から夕方の6時までで、時給は500円。とりあえず期間は学校が始まるまでということになった。

 

 店主の池波金太郎さんが復帰するまでの水曜休日の週六日勤務。

 ほとんどお客さんは来ないらしく、帳簿やメモや金太郎さんの本が据えられた小さな棚を右手に、ふかふかの椅子に座って売り物でも何でもいいから好きな本を読んでいればいいらしい。金太郎さんもそうしているそうだ。あとは出来るだけお客さんと話をするように、とのことだった。

 

 本の買い取りに関してもリストに乗っているモノ以外は俺の判断に任せられている。

 本当にそれでいいのかなんども聞いてみたけれど、リストを参考にすればある程度わかるし、あなたしっかりしてそうだから、という理由で退けられた。そのせいかなんだか緊張してきている。

 

 服装に関しても昨日のような格好で構わないらしく、俺は昨日とほとんど変わらない恰好で出勤した。違うのはTシャツの上へ、おばさんが貸してくれたエプロンをつけているところだけだ。引き戸も窓も閉め切っているので、1月とはいえこれで十分だった。

 

 

 まず、おばさんに家に入れてもらい、店を開ける前に掃除をする。

 本が埃で汚れないように丁寧に布でふき取り、重ねられた本に関してはハタキで払う。それが終われば床を箒で掃き、適当に読む本を見繕って机に置いてから店を開ける。

 

 店の大きさは棚を縦に二つ、壁際、中央の4列に並べられる程度の広さで、さらに気をつけなければ身体に引っ掛かりそうなぐらい棚の前に積まれた本が通路を浸蝕しているので実際の広さよりも幾分か狭く思えた。おかげで棚の下の方はかなり見えづらい。

 

 棚は余ったスペースにも並べられ、小さな文庫用の本棚が二つと縦に広い中くらいの本棚が一つ、他に外から見えるように据えられたものが一つあるので、合計12もある。

 

 なので最初の掃除には思ったよりも時間がかかった。おばさんに「これくらいでいいでしょうか」と聞くと、なぜか苦笑いしながら「十分だよ」と言ってもらえたので不備はなかったように思う。

 

 

 はじめに言われた通り、お客さんは少なかった。ほぼ皆無といっていい。

 

 言われた時は奇妙に思えたけれど、話しかけてきたお客さんと話をしたり、あまりにも長時間本棚を悩ましそうに見ているお客さんに話しかけることは、格好の暇つぶしであり実益も兼ねた行動なのだと、今は理解できる。本を読んでいても2時間もすれば集中が途切れてくるからだ。

 

 

 一人目のお客さんは傘を胸に抱き、顔を前髪で隠した可愛らしい女の子だった。

 俺から見て左の壁際の奥にある文庫コーナーの前で一時間近く悩む姿は非常に微笑ましく、読んでいた小説を脇に置いて鑑賞する気になるのには十分なものだった……この空間にいると思考がオヤジ地味てきているような気がしてならない。

 

「あ、あの、すみませんっ」

「はい。どうしました?」

 

 振り向いた女の子と視線が合わないように、途中から本を読むふりをしていた俺はようやく女の子と目を合わすことができた。前髪の隙間から覗くそれは少し、いやかなり緊張気味だ。傘をかけた手首を避けるようにして両腕で抱えられた本は4冊の文庫本で、一冊一冊がひどく厚い。

 

「お、お願いします」

「はい。えぇと、1000円になります」

「わ、わかりました」

 

 その本のタイトルを記憶して――『アレキサンドリア四重奏』――それと見比べるように手元の閉じられた本を見た。

 『ポンド氏の逆説』、200円。それから1000円札を受け取ると、後ろのガラス引き戸の前に置かれた、店主の椅子よりも座り心地のよさそうな椅子に女の子を座らせて、ゆっくりと白い包装紙で本を包み、丁寧に、無理やりにならないようピンクの花柄の紙袋に入れた……この柄は金太郎さんの趣味なんだろうか。

 

「はい、ありがとうございました」

「ありがとうございます」

 

 紙袋を手渡すと女の子は曖昧な笑みを浮かべ、その感触を確かめるように弱い力で握りしめた後に、小さく、率直な笑みを浮かべた。

 

「俺の名前は新田泉。君の名前は?」

「宮崎、のどかです」


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