アヴァロンの落とし子   作:ktomato

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閑話 遊びに行こう(下)

***5月11日(土)*** 

 

 チャイムが鳴り響き、その後を追う委員長の声に一人を除くクラスの全員が起立した。そんな眠ったままの葉加瀬に委員長は溜息をつくだけで起こそうとはしない。さっさと礼を済ませて、彼女は葉加瀬の元へ急いだ。

 和美と千雨も泉の席へと駆け寄ってゆく。逃げ場を塞がんばかりの二人に彼女は両手を挙げて苦笑する。それに乗っかるように二人は泉の両手をがっしり掴み、立ち上がらせた。

 

「へーいちょいまち」

「どったのパル?」

 

 振り返ろうとしてふと我に返り、今の状況に少し照れくささを感じたのか和美は泉から離れた。千雨もなんだか恥ずかしくなって少しだけ泉から距離をとった。泉は早乙女の後ろに立つ綾瀬とのどかに視線を注ぐ。綾瀬は彼女から目をそらそうとして、やっぱり合わせた。

 

「三人で、どこかにいくのかね」

「そうよー」

「んじゃ私らも混ぜてよ」

 

 少し申し訳無さそうな顔をして早乙女はさり気なく目線で和美に綾瀬を指し示す。

 

「うーん。千雨ちゃんは、いい?」

「お、おう」

 

 微妙にへたれている彼女を見なかったことにして、泉も軽く頷いてみせた。早乙女は安堵の笑みを浮かべ二人の手を引く。

 

「ほら」

「よ、よろしく」

「よろしくです」

 

 泉と和美が微笑むのに合わせて、千雨も何か反応を示そうとしたが彼女は厳かに会釈するだけでそれ以上前に踏み出せなかった。

 

「じゃあ、行くか」

 

 そう言って泉は龍宮をちらと伺い、彼女が首を縦に振るのを確認する。

 

「そだね」

「どこ行くのー?」

「君下さんところのスナック、知ってる? あそこ、1000円で歌い放題なんだよこの時間帯。今日は貸し切りにしてあるから」

「あぁ、用務員の。旦那さんがやってるの?」

「そうそう」

 

 廊下を我先にと駆け出していく生徒たちの波に飲み込まれないよう、彼女たちは窓際をゆっくりと歩いて行く。

 先頭の二人に軽く相槌を打ちながら、黙ってしまった隣の彼女に泉はちらと目を向ける。後ろの二人は何事かを相談しあっていて、千雨と会話するほどの余裕はなさそうだ。

 

「千雨は、何を歌う?」

「あぁー、アニソン」

 

 気遣ってくれたのが分かって千雨は無意味にメガネの位置をずらし、直した。

 

「……いい天気だな」

「そうだな」

 

 

**

 

 

 電車の席は粗方埋まっていて、六人で固まるには少しばかり狭苦しい様子だった。彼女らは二手に別れ、あまりうるさくならないよう気をつけて、話し始めた。

 泉は渋る夕映とのどかを席につかせ、立ったまま他の三人をみやった。何の話題で盛り上がっているのかむっすりとした千雨を二人が宥めている。泉は吊り手へ僅かに体重を預けた。列車の揺れのリズムにさえ何か明るいものを感じて、彼女はシェードに締め切られた窓の光を眺めている。暖かい日差しに微睡むように淡く微笑んでいる泉に、夕映は触れがたさを感じて、いうべき何かを口の中に閉じ込めたまま彼女を見上げていた。

 

「ユエ」

「分かってるです」

 

 囁き交わす二人に思わず目を向けた泉に、ユエは今度こそしっかりと視線と言葉を返した。

 

「この間は、ありがとうございました」

「あぁ、いや。大したことは、」

「そんなことはないのです」

 

 勢い込んで彼女に飛びかかりそうになりながら、夕映は拳をつくって力一杯否定する。電車の揺れで倒れてしまうのではないかと、泉はそんな彼女の手を包み、留めた。それに何を思ったのか彼女は挑むように言葉を重ねていく。

 

「新田さん。あなたが、お祖父様の死を、それに耐え切れなかった私達をきちんと送り届けてくれたのです。耐えていたのは、崩折れそうになっていたのは、あなたもそうだったのに。それでもあなたはそうしてくれたです。だからそんな風に卑下しないでください。私はあなたに心底感謝しているです」

 

 依然として、あるいはより深く戸惑ったように曖昧な笑みを浮かべ続ける彼女の手を、夕映は逆に握り返し、しばし祈るように額を当てた。そして座席にもたれて、ちゃんと泉の目に届くように、彼女は無愛想な顔に精一杯の笑顔を浮かべてみせる。

 

「モモ、一生、大事にするです。本当にありがとうございました」

「どう、いたしまして」

 

 シェードに揺れる影を、のどかは眺めている。のどかと夕映の影の間を縫って彼女の影が日に焼けた白の上を揺れ、動いている。夕映は何も言わない。そんな夕映を影が見下ろしている。夕映は彼女の目元を見上げたまま微動だにしない。泉もまた。のどかがそっと手を伸ばした。シェードを勢いよく開け広げた音に、二人が驚いたように彼女を見やる。彼女は、過ぎ行きていく町並みに目を細めた。

 

「もうすぐだね」

 

 

 

 

 彼女らは麻帆良から三駅下ったところで下車し、少し閑散とした駅のホームを行き過ぎた。出てすぐ真正面には業務スーパーがあって、その裏手へ回って5分ほど坂道を下ると住宅の群れのうちに一際派手なドアを誂えた建物が見えてくる。ドア上部のガラスにはスナックの名が表示されていたのだろう。けれど掠れてしまってもう読むことは出来ない。

 

「こんにちはー」

「いらっしゃい」

 

 先頭に立って店のドアを開けた和美に続いて、皆も店主に挨拶をする。彼は軽くうなずいて席を勧めた。

 内装は和美の言うようにスナックそのままだった。けばけばしい色の絨毯は古びていて、壁に貼られた演歌歌手のポスターはひどく色あせている。カウンターの丸椅子に腰を下ろして泉は棚に並ぶボトルの名前をなんとはなしに眺め、中途で父の名前をみつけて驚いて、小さく声を漏らした。

 

「どうかしたですか?」

「あぁ、いや。父の名前が、あそこにあったから」

「おぉ、本当ですね」

 

 店主にドリンクの希望を言い、彼女らは早速分厚い歌本を囲いこむ。

 中央には和美と早乙女がいて早乙女の側にあの二人、和美の側に千雨、泉はせっせと店主がドリンクを配るのを手伝っている。そんな彼女を見て何を思ったのか、早乙女はリモコンを振りかぶって投げる素振りをした。何をやりだすんだこいつと渋い顔をしている千雨に構わず、早乙女が言う。

 

「君の選曲を聞こう! 新田泉!」

「俺か?」

 

 グラスを握りしめながら、泉が首をひねる。考えてみるとまともにCDを一枚通して聴いたこともないことに気がついて彼女は顔に出さずに狼狽えた。士郎に聞いてみても面白そうに目を眇めるだけで何も教えてはくれない。どうしようかと唸っていると彼女はあの日、ケーキ屋で高畑先生が耳を澄ませていた曲のことを思い出す。父が車で聴いていた曲のことも、時折部室でかけられていた音楽のことも。

 

「じゃあ、えぇと、My Sharonaで」

「……誰の歌?」

「すまん。知らない」

「The Knackだな」

 

 店主がぽつりと零すのに礼を言い、早乙女が曲を登録する。

 

「よーし次千雨ちゃんねー」

「ドリーム・シフト」

「絶対無敵ライジンオー、だっけ。懐かしいね」

 

 和美がそういうのに千雨がひどく意外そうな顔をする。

 

「私だってアニメぐらいみるよ。なんだと思ってるのさ」

「悪い悪い」

「みたような気がするけど、覚えてないなぁ私」

「のどか、ライジンオーとは何なのですか」

「う、うーん? ハルナもよく知らないみたいだし」

「ロボットアニメだ。そういえば、もう10年ぐらい前か」

「ほう。つまり合体ですね」

「いいや、無敵合体だ」

「そうなのですか」

 

「パル、私宇多田ね。HEROの」

「あいよ。じゃあ私は、ウインスペクターいこ。のどかとユエはどうするー」

「えと、私は」

 

 店主からマイクをもらって、何か緊張し始めた泉を他所に彼女らは他愛無い話に花を咲かせた。

 そして唐突に鳴り響く軽快なドラムの音が、彼女らの意識を少しだけ惹きつける。泉はすぐにリズムに乗って高い声で激しく歌い始めた。店主は驚いたように泉を見やる。音程を欠片も外さず、似合わない歌を彼女は懸命に歌い続けた。思ったより歌うのが楽しかったのか、彼女は心なしか嬉しそうに体を揺らしている。

 

「な、なんかすごいね泉。ロックシンガーみたい」

「家族が好きな曲か、何かか? あいつがCD聴いてるのなんてみたことないよな?」

「違うと思うよ。新田先生は洋楽聴かないし、奥さんとお姉さんは音楽自体にあまり興味がないから」

「……おう」

「本気で引かれると傷つくんだけど千雨ちゃん」

「ふーん。でもピアノ弾くのは好きなんでしょあの子」

「弾いてて、楽しそうではあるな。ほんとに」

「ねー! おーい!」

 

「泉、すごい」

「ネイティブ以上ですね。そういえば、新田さんはどこの国の方なのでしょうか」

「ドイツ人って、いってたような…」

「それは実に素晴らしいです」

「そりゃ初耳だな。じゃあ、あいつドイツ語までいけるのか」

「だと、思います」

「別に、敬語はいい。同い年で、クラスメイトだろ」

「は、う、うん」

 

「で、知ってたのパパラッチ」

「初耳」

「ストーカー失格ですな」

「考えてみると、気にしたことなかったからね」

「? あんたが?」

「うーん」

 

 考え込み始めた和美の頭をくしゃっと撫でて、彼女は歌い終わった泉を親指で指し示す。首を振って彼女は疑義を追い払う。小さな拍手とともにマイクが千雨に手渡された。泉は和美の横へ座り込み、オレンジジュースを軽く口に含んだ。

 

「泉ってさ、隠しごと多いよね」

「そうだな。最近は随分、増えてしまった」

 

 取り繕うこともせず、物憂げに呟く泉の前で和美は踏みとどまりそうになる自分を叱咤する。歌いながら千雨がこちらの声に耳を澄ませているのを意識して、和美はおかしそうに微笑んだ。ハルナがそっと席を立ち二人の元へ移動する。アイスコーヒーに口をつけて、和美は椅子を回して泉に相対した。

 

「泉、身体、どこか悪いんじゃない?」

「いや、どこも悪くはないさ」

「嘘」

「嘘じゃないさ」

「だったらこの間倒れたのはどう説明してくれるの?」

「単なる寝不足だ」

「さっきのはともかく、今のはどうあっても嘘だね」

「……すまない」

「謝ってほしいわけじゃないよ。ただ、頼ってほしいだけ」

 

 気合を入れて熱唱する千雨とアニメのPVに夕映とのどかは意外なほど熱中していた。懐かしそうに、ハルナがそれを小さく口ずさんでいる。

 

「泉が重たいこと抱えて、しんどい思いをして、それでも頑張ろうとして。そういうの、見てるとちょっと辛いからさ」

 

 困ったように頬を指で掻きながら、和美はしっかりと泉の目を捉えている。痛みを堪えるように眉をしかめた泉に和美は口元へ微苦笑を浮かべた。

 

「私達に手伝えることなら、いって欲しい。私達も、そのときはきっと泉にいうから」

「ありがとう」

「どういたしまして」

 

 また泣き出しそうになっているのを隠そうとして泉は勢いよくカウンターに向き直り、オレンジジュースを一息に飲み干した。和美が笑っているのがわかって泉は頬が熱くなるのをどうすることもできない。曲が終わり、マイクをのどかに手渡しながら千雨はそんな二人をみて大きく息をついた。

 

「いらっしゃい」

「こんにちはぁー」

「ありゃ、葉加瀬?」

「おぉ、みなさんお揃いで」

 

 目元に大きなクマを作って白衣のまま登場した彼女に、皆が一様に驚きの声を上げる。ふらふらと空いた席にすべりこんで、隣から訝しげな視線を送ってくる千雨に彼女はそれでも嬉しそうに声を張り上げた。

 

「打ち上げですよー」

「おぉ、そりゃ、ご苦労さん」

 

 帰って寝たほうがいいように思うがという言葉を飲み下して、彼女は店主に熱々のコーヒーを注文してやった。

 

「打ち上げってことは」

「はい。完成しました。B2の、お目見えです!」

 

 万歳三唱をはじめた彼女に千雨はなんとも言いがたい顔をした。歌っているのどかが音程を外してしまう程度には険しい表情を。

 

「こらーちうたん!」

「ちうたん言うな! すまん宮崎」

 

 思い切り首を振る彼女にもう一度頭を下げて、まだ万歳を続けている葉加瀬に彼女は説明を求めた。

 

「あのロボットの、後継機か?」

「はいそうですー。データは前回のものも使用していますので、目覚めは長谷川さんに何かを伝えようとしていたところからになりますね。ですので出来れば起動の際には長谷川さんにもお立会いいただければと」

「あのときから、か」

「そうなりますね」

 

 店主のコーヒーを啜り、彼女は大きく息をついて目元を揉みほぐし遠慮無くカウンターに身を預けた。ぐったりしたまま顔をこちらに向けてくるゾンビ染みたそれに千雨は「おつかれ」とだけいい、目をそらした。

 

「ありがとうございます」

「寝てろ」

「いいや、歌います。仮面ライダーBLACKのオープニング入れてくださーい」

「あいよ! 仮面ライダーBLACK一丁!」

「……程々にな」

 

 店主がそっと差し出してきたブランケットを、千雨は彼女の肩にかけてやった。もう眠りについたらしい彼女に向かって、千雨が頬杖をつく。B2。ならばあのロボットの名はB1だったのだろうか。そんな益体もないことを彼女は曲が終わるまでずっと考えていた。

 

 

**

 

 

 派手なドアを後ろ手に閉めて、のどかはなんとなくため息をついた。そんな彼女を見咎めてハルナが肩を抱いてのどかを揺らす。

 

「どうしたー元気ないぞー?」

「わぷ」

 

 先を行こうとしていた5人も立ち止まって俯くのどかを注視した。集まった視線に慄いて、彼女はすでに出来上がっている言葉を口の中で無意味に執拗に転がしている。

 

「楽しかったものな」

 

 何気なく、そう泉が言う。見たこともないような柔らかい笑みを零す彼女に、千雨は内心で茶々を入れる事もできなかった。和美はポケットからカメラを取り出して、一歩輪から外に出る。

 

「また来ればいいじゃん」

「部活も、そこまで厳しいところではないと先輩が仰っていましたし。また集まることも出来るでしょう」

 

 葉加瀬に肘でつつかれて千雨もやっと我に返った。不安な顔をして彼女の賛否を伺うのどかに、千雨ははっきりと頷いてみせた。

 

「そう、だな。たまには、悪くない」

「私も機会があればご一緒しますよ」

「勿論、私もね。じゃ、みんな写真とるよー」

 

 

「はい。笑って、笑って」


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