アヴァロンの落とし子   作:ktomato

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第九話(下) 泣き虫

***4月20日(金)***

 

 

 水路に和する葉擦れの音以外、鳥の声さえ響かない細い坂道、もう粗方散りつくした桜の影を麻帆良の生徒が歩んでいく。

 

 坂の上には早くも咲き誇った花菖蒲の園が道の両側に広がり、その先の立派な玄関構えを彩っている。

 朝倉は息をついて、ケータイで時間を確認する。そして千雨に無理なお願いをしたことを思い出す。彼女にあんなことをさせるつもりはなかったのに。自分でも不思議に思うぐらい、深い後悔が湧きあがる。ケータイを閉じて、彼女はそんな気持ちに蓋をする――長谷川千雨という少女は、新田泉という女性は、これまでにないくらい早く、彼女の近くにやってきてはじりじりと、もっと奥深くへ近づこうとしている。常に第三者であろうとする朝倉和美にとってそれはあまり歓迎すべき事態ではない。けれど、それを喜んでいる自分がいることを否定する気にもならない。どうするべきなのか、彼女はまだ分からないでいた。

 

「これが青春ってやつかなー」

 

 道化た口調で一人ごちてすぐ気を取り直して彼女は、威勢よく「ごめんください」をいう。遠くから返事が響いて、重い足音が彼女に近づいてくる。

 

「……」

「こんにちは。朝倉と申しますが」

「あぁ。入れ」

 

 遮るようにそれだけ言って、大男は来た道を引き返して行った。大きな背中はずんずん遠ざかり今にも廊下を右に折れて見えなくなりそうだ。

 

「……お邪魔します」

 

 男について、彼女は廊下を急ぐ。障子で仕切られたいくつもの部屋、涼やかな石庭、まるで名のある古寺のようなその家の古めかしい暗さと冷たさに、彼女はどこか懐かしさを覚える。

 

 客間の明り障子をぴしゃりと開き、男は上座に胡坐をかいた。

 

「入れ」

「失礼します」

 

 ちゃぶ台を中央に囲い、二人は相対する。事前に用意していたのか彼は何も言わずに朝倉の茶を入れて籠ごと菓子をずいと突きだした。

 

「あ、ありがとうございます」 

 

 男を横目に見ながら、朝倉は番茶を啜る。

 身長は190センチほどだろうか。作務衣の上からも伺えるその鋼のような身体は非常な威圧感を放っている。朝倉には50半ばと見えた彼はその実70半ばであるが、白髪頭の生え際にさえ衰えが見出せない完全な健康体であるため、そう思うのがむしろ自然である。

 太い眉に厳格さを引きたてる眉間の皺、大きな青い目に睨まれて――本人に睨んでいるつもりはないのだが――朝倉は自然に背筋が張り詰めるのを感じる。高い鼻と褐色の肌が彼の養女との関わりを思わせる程度で、朝倉に親しみを抱かせるものは何もない。

 

 番茶を置いて、彼女は軽く会釈する。

 懐から素早く取り出したメモ帳とペンを手に、相手に怯みそうになる自分を蹴りたてて、彼女はにこりと笑って見せる。

 

「本日はお招きいただき、本当にありがとうございます」

「古本市の、取材だったか」

「はい」

「前置きはいい」

「では早速」

 

 

**

 

 

「ありがとうございました」

「……」

 

 顎に手を添え、目をつぶったまま重々しく頷く彼に朝倉は微笑んだ。

 

「遅くなって、しまったな」

「そういえば」

 

 いつのまにか明り障子からは陽光が途絶えている。それを意識した途端肌寒さが襲い、彼女は少し身体を震わせる。

 

「泊まっていけ。今日は、娘も来る」

「いえ、ですが」

「寮への連絡は任せてもらおう。これでも、顔が利く」

 

 彼が照れ隠しに片眉を引くつかせる様を見て、本当に善意でいっていることがわかって、朝倉は否とは言い辛くなってしまった。

 

「それは、ありがたいのですが」

「着替えは娘のものを使えばいい」

「恐縮ですが明日、朝からパーティーの準備を行うことになっています。ですので朝一に帰ることになると思います。申し訳ありませんが、それでもよろしければ」

「問題ない」

 

 難しそうな顔で頷く男に、遠慮するのも失礼だろうと彼女は頭を下げた。

 

「では、お願いいたします」

「承った」

 

 

**

 

 

 見せたいものがある、そういって男は朝倉を連れて外に出た。

 母屋の裏手に周り、小川沿いに建てられた蔵へ。丸太ほどもある閂を軽々と外していく様を見て、やはりこの親子はどこかおかしいと朝倉は引き攣った笑いを浮かべている。無言で板戸を開けて進んでいく彼の背を追って、朝倉も蔵の中へ入った。

 

 定期的に手入れを行っているのか室内に埃っぽさはほとんどない。

 月灯りと小さな電燈以外に明りはなく、夜目のきかない朝倉は大人しく明りの下で待っていた。暫くして闇の中から姿を現した男に内心少しびくつきながらも、朝倉はその肩に担がれた巨大な桐箱を凝視する。

 

「……」

「これ、ですか?」

 

 男は頷きを返し、慎重に古めかしい箱を床へ置いた。そしてするすると紐を解き蓋を開ける。中には、何かの牙が仕舞われていた。尋常ではないその大きさに朝倉は目を見張る。

 

「鯨の歯? いや、でもこれは……」

「龍の牙だ」

「えっ」

 

 男は箱の中を見つめたまま、なんでもないことのように言い放つ。

 朝倉は頭がくらくらしてくるのを感じた。男がこんな冗談を言い放つ人間ではないことぐらい、彼女にも分かっている。かといってこんなファンタジーに足をどっぷり踏み入れて、現実とフィクションの境があやふやになってしまった頭の可哀想な人でもない。なら、真実だというのか? 朝倉はその牙から目を逸らせない。しゃがんでもっと近くで見てみようと前のめりになった彼女を、男は睨みつける。

 

「ご神体とはまた別のものだ。大分前に、俺が狩った」

「龍をですか!?」

「そうだ」

 

 興奮する彼女の頭に、男が手を添える。その唐突な行動に驚いて彼女はびくりと身体を震わせた。

 

「お前はこれが真実だと思うか?」

 

 手を離し、首を振りながら男は言う。

 

「分かりません。ですが、検討してみる価値はあると思います」

「危険だ」

「それでもです」

「お前だけではない。お前の周りの人間にも、その危険が及ぶ」

「あなたは、何を仰りたいのですか」

 

 俯いたままもう自分と目を合わせようとしない彼に、彼女は立ちあがって詰問する。

 男が何を思ってこんなことを言い出したのか、それが悪意からではないと感じているだけに、彼女は尚更意味が分からないでいる。

 

「お前は既に記憶を弄られている」

「えっ?」

「気をつけることだ。出来るなら、立ち入らないことだ。さもなければ」

 

 蓋を閉めて男が立ちあがる。それを肩に載せて、男はゆっくりと闇の中に消えて行った。

 

「お前は失うことになる」

 

 混乱の中で朝倉は口端を噛み締める。真実のために何かを失うのなら、私は構わない。そう主張するように一歩踏み出し、彼女は男を睨みつけた。闇の中で足音が響く――けれどもし千雨や泉に危害が及んだら? 自分だけならまだしも、彼女たちまで記憶を消されてしまうとして、自分はそれに構わずに進んで行けるだろうか? そんなのが、本当に自分の目指すものなのだろうか。大体、どこまでが本当なんだろう。一体私は何を忘れているんだろう――迷いは重なり、彼女はそれ以上進めなくなる。足音は途絶え、桐箱が降ろされる鈍い音が響いた。

 

「行くぞ」

 

 電気を消して、男は朝倉の手を引き、外へ出た。母屋の方から物音がするのに気がついて、男は微笑する。彼の娘が帰って来たのだ。

 

「他言無用で頼む。露見すると、いささか不味いものでな」

「言っても、誰も信じませんよ」

「そうか」

 

 抑揚のない返事に頷いて、男はずんずん進んで行く。

 朝倉は振り向いて蔵の中の龍の牙を思い、龍を殺したという男の手を握り返す。ごつごつとしたその手は握っただけでも分かるぐらい傷だらけで、大きく、暖かい。なぜこの人は私にあんなことをいったのだろう。彼女はその疑問を口に出そうとして、やめた。

 

 

**

 

 

 男は朝倉をかつての妻の寝室へ連れて行った。ある程度綺麗にしてあって、泊まっても問題がない部屋などそこしかなかったからだ。ベッドや鏡台もそのままにしてある洋風の部屋ならば朝倉にも居心地がよかろうという、それは彼なりの気遣いでもあった。

 夕飯までしばし待てとだけ言って去って行った男の足音が消えるのも待たずに、朝倉はベッドへとダイブした。仰向けになって天井を見つめながらメモ帳をめくり、最近の自分が何をやってきたのかを調べて行く――4月19日、豪徳寺薫との対談。4月18日、黒い傘を購入。4月17日、報道部に出向。4月16日、探偵部室の資料整理。4月15日、豪徳寺との対談後、部室で寝こけていたところを泉がレスキュー。

 

「あれ? ここ、一度消してる?」

 

 ほんの少しだが4月15日のページには消し跡が残っていた。

 少し消すならともかく一日分のメモを全て消してから書き直すなんて真似を、朝倉がやることはまずない。まして4月15日は別になんてことのない一日だったはずなのだ――4月15日、彼女は朝から喫茶池波にて豪徳寺と泉の情報をやりとりし、その後は新宿で買い物をした。昼からは学校に帰って報道部に出て、大分遅くなってから探偵部室によって資料整理をしていたところ、疲れていたのかそのまま眠ってしまい、泉に起こされた。彼女は心配そうに怒っていた二人の顔を思い出す。

 

 何か不自然な点があっただろうかと朝倉は考える。一つだけある。なぜ自分はわざわざメモを一度念入りに消したのか。それがどうしてなのか、わからない――その不自然さ。たった五日前のことが思い出せない自分に感じる奇妙なこのもどかしさ。その感触に彼女はにやりと口端を歪める。

 

「――――朝倉、夕餉が出来たぞ」

「え? あ……ありがと」

「あぁ、すまない。眠っていたのか」

 

 音もなく入室した龍宮真名に、慌てて上体を起こした朝倉は無意識のうちにメモ帳を懐に仕舞いこんでいた。そんな彼女を訝しむでもなく、制服の上にエプロンをつけた龍宮は鏡台の埃をさっと払って浅く腰をおろす。そして小さく、沈黙が満ちた。

 

「龍宮のお父さんがいってたんだけどさ」

「なんだ?」

「龍宮神社のご神体は本物の龍で、また別に、自分で狩ってきた龍の牙がここにあるって」

 

 冷やかに薄く笑みを浮かべた龍宮に、朝倉は背筋に雫が伝うのを感じる。肩膝を抱え、龍宮は朝倉の胸元を見据えた。吸い込まれそうなその瞳からはこれっぽっちも感情が伺えない。

 

「で、私の記憶も弄られちゃってるんだってさ」

「それで、そんなことを私に伝えてどうする? それより早くいかないとご飯が冷めてしまう」

「ごめん。でも、どうしても気になるんだよね。龍宮のお父さんがなぜわざわざ私に、そんなことをいったのか? 私は指摘されるまで自分の記憶にどこか不自然なところがあるなんて、全然わかってなかった」

「荒唐無稽な話だな。龍なんて、地球()上のどこにも存在しない。それと同じように現代科学ではそんな真似は不可能だ」

「そうかもしれない。だけどそうじゃないかもしれない」

 

 大きく息を吸って朝倉は勢いよくベッドから降りた。そして手を広げ、室内を歩きまわりながら語り続ける。

 

「私はね。ほんのちょっとだけ龍宮を疑ってる。あなたが私の記憶を弄ったんじゃないかって。なぜって? あなたと私に関わりのないことを、あなたのお父さんがわざわざ私に、今日言うかどうか。あなたのお父さんはなんとなくそんな無駄なことのために危ない橋を渡らないと思うんだよね。私の論拠はまぁ、そういう些細な引っ掛かりだけだから。本当にちょーっぴりだけ疑ってるのよ」

「仮に私がお前の記憶を消したとして、私に何の得がある?」

「もしかしたら私は巨悪の真実を知ってしまったのかも」

「それはないだろう」

「夢を壊さないでよー。だけど、知ってはいけないことを知ってしまったのなら。危害を加えるべき相手でもない人間がそうしてしまったなら……一番てっとりばやいのはMIBみたいにピカッとやっちゃうことだと思うんだよ。そう思わない?」

「あいにく、私はKでもJでもない」

「仮に、仮にだけど」

 

 立ち止まり、朝倉はいつのまにか無表情になった龍宮を見つめる。遠くから、TVの音が聞こえてくる。龍宮の父が野球中継を見ているのだろう。しかし贔屓のチームが負けて見る気がなくなったのか、すぐに歓声は途絶えた。痛いほどの静寂。龍宮は立ち上がり、ひどく近くまで朝倉に身体を寄せる。

 

「もし龍宮がMIBで、私が宇宙人に遭遇した一般人だとしてさ。しばらくしてから記憶の齟齬に気がついたらどうする? 真実を嗅ぎまわろうとやっきになり始めたなら」

「またニューラライザーを起動して終わりだ。まぁ、しばらくは監視をつけるだろうが」

「ちょっと健康に問題ありそうじゃない? そんな立て続けにやったらガンになりそうだよ」

「宇宙を守るためだ。仕方がない」

 

 龍宮は首を振り、朝倉から離れた。朝倉はその背中から目を離すことができない。龍宮の手が懐に伸びる。そのままの姿勢で数秒固まってから、彼女は首だけで朝倉に振り向いた。

 

「先に行ってるよ。また後で」

「うん。後でねー」

 

 龍宮が音もなく去っていってからしばらくして、彼女はようやく大きく息を吐いた。

 

「否定、しないんだね」

 

 またベッドに横たわりそうになる自分を抑えて、懐からケータイを取り出し時間を確かめる。19:20。彼女は鏡台にもたれ、思い切り伸びをした。

 

「まったく敵か味方かカウボーイだよ!」

 

 そう小さく吠えたてて、彼女はケータイの電話帳を開いた。スクロールしてハカセの番号をプッシュしようとして突然、何かに気づき慌てたように乱雑に、彼女は別の番号を選択した。

 

 

**

 

 

 千雨にとって、旧式は小さく生きているに過ぎなかった。

 

 三段ベッドの天辺で彼女は膝を抱えて考えていた。

 本当はそのまま眠ってしまうつもりだったのだろう。電気は消されており、布団は蹴っ飛ばされたように乱されている。泉はどこで何をしているのか、まだ帰ってこない。

 

 千雨は自分が聖人ではないことを知っている。絶対的なものなど存在しないのだということも、自分たちが相対的な世界の中に生きているのだということも。

 彼女は蚊が寄ってくれば叩き潰すし、ゴキブリが這いずりまわっていればあらゆる手段を用いて抹殺するだろう。それらを殺すことに彼女は小さな罪悪感を抱くだけだ。それらは人間のように何かを考えるということはない。それらは千雨と新田泉や朝倉和美のように彼女の友人であることはできない。それらは、小さく生きている過ぎない。

 

 彼女にとって人間は言語を介して相対性を築き、言語を解して知を得、それを元手に再調整を行う。そうして絶対的「フィクション」という矛盾の中に生きる奇妙な生き物だ。

 その相対性という名の偉大なるフィクション(ex.親子、自己、世界)の群れ、誰かと誰か、それらと私、といった幾多の関係を築き上げては保持し、それらを知という細分化されたフィクションによって支え、人間同士ぶつかり合っては相対性の調整(破壊と再生)を繰り返していく。それぞれの人間にとってその偉大なるフィクションは基本的に絶対であり、それらは相互に大きく重なり合っている。人間はその中で生きているものだ。紛い物であれ、もし「絶対的」なものにしたがって生きている人間を殺せば千雨は深い罪悪感を抱くだろう。その中では人間もまたある意味において絶対であるのだから。

 

 けれどあのロボットは本当に小さく生きていたものに過ぎなかったのだろうか。

 千雨はこんな疑問が湧きあがる時点で自分の世界観に無理があるのだということを悟っていた。小さく大きな生、フィクションと絶対的フィクション、それらは種類ではなく程度の差に過ぎない。彼女が旧式へ虫に対するように、関係ということを全く意識せずに語りかけていたこと自体矛盾の証しなのだ。普段の彼女なら「虫」に語りかけることなどしない。そこにありうる関係性は人間と人間の偉大なるフィクションの結びつきではない。虫は絶対性を求めなどしないからだ――虫は絶対的フィクションなどというまやかしに頼りはしない。虫は長谷川千雨に語りかけなどしない。虫は死の寸前まで、彼女に何かを伝えようとしたりはしない。

 

 あのアンドロイドは、彼女の目の前で大きく死に絶えたのだ。あのアンドロイドもまたか弱いまやかしの中で必死に生きていたのだ。

 それが分かって彼女は泣きだしそうになる自分の頬を引っぱたいた。それでも自己憐憫に浸ろうとする自分が許せなくて、彼女は素早くベッドから降りて、電気を灯し、カーテンを開いた。もう、夜だ。どれだけの時間こうしていたのかと彼女は自嘲気味に笑う。

 

「まったく」

 

 ふと、ケータイのバイブレーションが鳴り響いているのに気がついて、彼女はこたつのスイッチを入れ、中に潜り込みながらケータイを開いた。

 

「もしもし」

「千雨ちゃん今大丈夫?」

「大丈夫だ。どうした」

「昼間はごめんね。それで、ちょっと今日龍宮の実家に泊まることになってさ」

「晩御飯はいらないってことか?」

「うん。もう、食べちゃったかな?」

「いや、まだだ。新田に伝えておけばいいか?」

「うん。お願いします」

「了解、用事はそれだけか?」

「それだけー。今日は、ほんっとにごめんね。もうこういうことはないようにするから」

「気にするな」

「……本当に、大丈夫?」

「何がだ」

「いやでもさ、ちょっと声が」

「大丈夫だ。大丈夫に決まってるだろ」

 

 無意識に上がったボリューム、イラついた声が室内に響き渡る。それに朝倉は押し黙るでもなく明るい声で答えて電話を切った。

 

「んー。それだけ元気があれば大丈夫だね。じゃ、また明日ー」

 

 切断音を消して、千雨はケータイに低く語りかける。

 

「大丈夫さ。大丈夫。私は、タフな女だからな」

 

 

**

 

 

 夜も更け、朝倉が眠りに着いたころ、龍宮親子は居間でTVを見ていた。番組は最近好評を博している戦え!アルカイザーである。

 朝倉が残した和菓子を咀嚼する父に龍宮はちらりと目を向ける。結構真剣にTVを見ている彼にタメ息をついて、カイザァアアアアウィイイイングッッッというやかましい声が消えるのと同時に、彼女は父へ問いかけた。

 

「父、なぜ朝倉にあんなことをいった」

「なんのことやら」

「撃つぞ」

 

 TVからを目を離さず、彼女はどこからか取り出したデザートイーグルを父に向ける。CMに入ったところでTVを消し、彼は銃口と向き合った。

 

「真名。今のお前は学生だ。仕事でやっているつもりなのかもしれんが、そうではない。力を貸したければ、貸してやればいい。気に入らなければ貸さずとも構わんのだ。ここは魔法世界ではない。金なら、ある程度は俺がなんとかできる。孤児院の経営に携わっているのは何もお前だけではないのだぞ。嘆かわしいことに、お前が働かなければ治療費云々にまで手が回らないのも事実だが」

「……朝倉がヤられていたのに気づいたのは魔法先生でも、私でもない。新田泉だ。解除してくれと頼んだのも、彼女だよ」

「随分、嫌そうな顔をする」

「親心からつい余計な事をする父が目の前にいるものでな」

「それはすまないことをした」

 

 悪びれもせずにTVのスイッチを押し、再開したアニメを彼は真摯に鑑賞し始める。トリガーガードの内側をこするようにして銃を回転させ、彼女は「何処かへ」デザートイーグルを放りこんだ。

 

「父、私は私が思うようにやっている。あなたのいうような形ではないのかもしれない。それでも、私は誰かに何かを強いられているわけじゃない。私は、私の目的のためにただ金を集めているだけだよ」

「ならよいさ」

「……私はもう眠るよ。明日も早い。おやすみ、父」

「おやすみ」

 

 

***4月21日(土)***

 

 

 誕生日パーティーから一足先に抜け出して、二人は自室で待機していた。

 余ったケーキを並べ、コーヒーも入れた。クラスメイトからのプレゼントもきちんと整理し、豪徳寺薫からの花束も玄関にセットしてある。あとは泉の帰宅を待って、冷蔵庫のいいんちょ家特製ディナーを温めるばかり。そんな中、二人はTVも明りもつけず、こたつに潜って隣り合い、じっと縮こまっていた。

 

「遅いな、新田のやつ」

「そういえば古本市の寄合に出るとか、龍宮がいってた気が」

「マジかよ……」

「そんなに遅くはならないと思うよ。龍宮だってパーティーのこと知ってるしさ」

「まぁ、そうだろうが」

 

 中が熱くなってきて、千雨はさらに奥深くへ入ってこたつの温度を弱にした。外へ顔を出すと朝倉がこちらを見ている。なんとなく彼女は自分から話しかける気もおきない。そのまま二人が見つめ合って、少しの時間が流れた。

 

「昨日の依頼だけど、さ」

「あぁ」

「ハカセから聞いたよ」

「あぁ~あの物騒なホバー●ードなら、お前にやるよ」

 

 誤魔化すように顔を逸らした千雨に、朝倉は手を伸ばして無理やり首を捻じ曲げた。悲鳴を上げながら涙目になっている千雨の抗議を無視して、彼女がいう。

 

「次のアンドロイドは早くて五月、最悪七月には完成するらしいよ」

「そうかよ!」

「完成したら連絡するようにいってあるから、その時には三人で見に行こう?」

 

 一瞬泣きそうに見えた千雨の頬に手を当てて、朝倉は首を傾げる。

 そんな朝倉になぜか昨日の自分を見透かされたような気がして、羞恥に真っ赤になりながら千雨が軽くその手を払う。今度こそ背を向けた千雨に苦笑しながら、朝倉が小さく問いかけた。

 

「いかないの?」

「……いくよ」

「じゃ、泉にも言わないとね」

 

「ただいま。ん? おーい。長谷川さーん? 朝倉ー?」

 

 その声に異様な素早さで立ちあがった千雨が部屋の明りを灯すのに合わせて、朝倉がクラッカーを鳴らす。続いて顔を赤くした千雨もクラッカーを鳴らすのに、泉は鳩が豆鉄砲でも食らったような間抜け面を晒した。

 

「「ハッピーバースデー!」」

「えっ」

 

 どこかで髪を切ってきたのか、前髪を切り揃え、後ろ髪をバッサリやってショートカットになった泉に、似合う似合うと褒めそやしつつ、朝倉は彼女からジャケットを取り去ってハンガーにかけた。

 

「さぁ、座って座って」

「いや、おい朝倉」

 

 混乱して全く状況を把握できていない泉をしり目に、千雨は黙々とレンジにディナーを放り込んでいく。

 

「なぁ、どういう……?」

「今日はアスナだけじゃなくて、春日と泉の誕生日パーティーもやってたんだよ」

「なっ、えぇっ!?」

「はい。これ全部泉へのプレゼント」

 

 クラスメイトからの本やお菓子などが入った大きな籠を受け取り、泉は困ったように言葉を濁した。

 

「いや、だが」

「送り主の名前はちゃんと書かれてあるから」

「はいおまちー」

「おぉー美味しそうー」

 

 鳥のもも肉の照り焼きやトマトサラダ、サーモン春巻きなど比較的庶民的な素材を用いた豪勢な夕飯。雪広家お抱えの料理人によって作られたそれらは冷めても問題ないように配慮がなされている。取り除けたラップの下から漂い出る匂いに千雨は思わず喉を鳴らした。

 

「千雨ちゃん、これで最後?」

「おう」

「じゃあ、はい。泉」

「大したものじゃないが、受け取ってくれ」

 

 色々なプレゼントに呆然としていた泉は、さらに二人の手によって差し出された黒い傘を、無言で握りしめた。

 

「お、おい、大丈夫か?」

「泉?」

 

 黒い傘を抱えて、表情もなく彼女は静かに泣き始める。それにしばし固まっていた二人は一体どうしたのかと慌てて近寄った。

 そもそもスルーせずに髪をバッサリいった理由を聞いておくべきだったかと囁きかわす二人に、泉は手を突き出して目元を乱暴に拭いながら、大丈夫だとかすれた声で呟いた。いや大丈夫なわけないだろと接近していく千雨の首根っこをひっつかんで、朝倉が小さく叱りつける。それに小さく文句を言う千雨の様子がおかしかったのか、泉は咳をするように笑った。

 

「ありがとう」

「お、おう。いつも、世話になってるからな」

「そうそう」

 

 乾いた音が響く。頬を思いっきり両手で叩いて、泉はまたちょっと涙目になりながら、一緒になって首を縦に振る二人に、誓うように強い口調で言い放った。

 

「大切にする。絶対に、ずっと、ずっと、大切にするから」

 

 また泣きだしそうになっている泉へと走り寄る千雨を、朝倉も今度は引き止めなかった。

 

「意外と、泣き虫だね。泉は」


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