アヴァロンの落とし子   作:ktomato

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第九話(上) 旧式

***4月14日(土)18:00***

 

 

「新田ー、先帰ってるぞー」

「わかった」

 

 バッグを担いで教室を出た。薄暗い廊下にも、騒がしい声が響いている。

 なんだか火照った身体を持てあましながら、廊下をゆっくり、ゆっくりと歩く。帰ったら何をしようか、とか、そういったことはあまり思い浮かんでこない。慣れないことをしたせいか。それとも単なる運動不足か。まぁでも、そんなに悪い気分じゃない。

 

「千雨さん! 少しよろしいかしら?」

「あぁ」

 

 走って追いかけてきたいいんちょに、手を上げて答える。後から登場した朝倉には冷ややかな視線を向けた。自分なりの「良識」を持って暴走するバカにはこれぐらいが丁度いい。

 

「泉さんのお誕生日について、少しご相談したいことが」

「アスナの誕生日に、間に合わなかった春日と泉の誕生日会も、今年だけ一緒にやりたいんだってさ」

「ですので、お二人には泉さんのプレゼントの選定をお願いしたいんですの」

 

 「資金が足りない場合は遠慮なくお申し頂ければ」なんてことをいういいんちょに、私は肩をすくめる。

 

「4月21日なら、新田、バイトで出てこれないぞ?」

「そうでしたか……困りましたわね」

「まぁ、でも。お世話になってるし、それぐらいしてもバチはあたらないかもね」

 

 朝倉の言うとおりだった。あいつは料理だけじゃなく、掃除も食器洗いも手伝うし、壊れた機械の修理までこなす。その上、毎日毎日昼の弁当まで作ってくれている。たまに夕飯に間に合わない朝倉には二つ弁当を持たせることだってある。バイトで忙しいときにさえ、それを欠かすことはない。食費云々を差し引いても過剰なくらいだ。

 

「そうだな。21日に、何か渡すか」

「でしたら泉さんのバースデー・ケーキは予定通りこちらで用意いたしますわ」

「頼む。朝倉、明日空いてるか?」

「ごめん。ちょっと明日は無理。でも来週の水曜日ならいけるよ」

「なら、水曜日だな」

「お願いしますね、お二人とも」

「ラジャー」

「用件はそれだけか?」

「はい」

「じゃあ、またな」

「えぇ」

 

 淑やかに頷くいいんちょに背を向けて、窓の外を見やった。少し欠けた下弦の月が煌々と輝いている。雲一つない。追いすがる朝倉へテキトウに相槌を返しながら、帰路を急いだ。

 

 

***4月18日(水)***

 

 

 つり革につかまり、乗車客に視線が触れないよう通り過ぎていくビルの群れを見つめる。時折ビルの鏡面に反射する陽光が眩しくて、私は八つ当たりするように空を睨みつけた。

 

「千雨ちゃんは何か思いついた?」

 

 携帯を閉じて、朝倉が口を開く。

 

「あいつ、傘持ってないんだよな」

「えっ、そうだっけ」

「この間お前を迎えに行った時、私の傘をさしていったんだよ」

「そうだったんだ……」

 

 そう呆然と呟く朝倉の横顔に、私は少し意外な気がした。あまり弱みを見せない奴だとばかり思っていたが、そうでもないらしい。

 

「私は神田にでも行って古本を物色するつもりだったんだけど……そっちの方がいいかもねー」

 

 宮崎たちにあいつの好みを聞いてきたのだろう、詳細に書き込まれたメモをひらひらと掲げて、朝倉は無心に笑った。

 

「来年、それにすればいいだろう」

「来年も、付き合ってくれる?」

「多分な」

 

 電車がとまり、また人が乗り込んでくる。無理やり押し入ってきたサラリーマンたちのおかげで、私は朝倉と密着する羽目になる。背中に派手な女のブランドバッグが当たって、少し息苦しい。これじゃあ窓の外を見ることもできない。

 

「で、どんな傘にする?」

「……日傘と雨傘を、兼ねたやつがいいんじゃないか。あの肌の白さだ。あまり陽射しには強くないだろ」

「確かに。泉って全然そういう対策してないしねぇ。うん。色は黒か赤かな。陽射しには、色が濃い方がいいんだっけ」

「黒が一番いいはずだ。あいつなら黒でも大丈夫だろ」

「むしろ大人っぽい黒の方が似合うかもね」

 

 電車がまた動き始める。抑えた声で意見交換していた私たちは、少しボリュームを上げた。

 

「じゃあ次で降りよっか」

「新宿に傘屋なんてあったか? まぁ、百貨店でもいいとは思うが」

「ちょっと歩くけど、あるよ」

 

 朝倉は胸ポケットから手帳を取り出してパラパラめくり、あるページに目を止めて、こちらに手渡した。その際に少しバランスを崩し、私たちは抱き合う形になる。すぐに離れようとして誰かにぶつかった。私が奥へつめたと勘違いでもしたのか、女はそこから動こうとしない。どうにもならないので身体を捩り、なんとか少しだけ朝倉との距離をとって、内容を確かめた。

 

「ここ、値段的にはどうなんだ?」

「高くても5000円くらいだよ」

「なら、いいんちょに頼むまでもないか」

「あんまり高いと泉が遠慮しそうだしね」

 

 鼻先で苦笑する朝倉に内心で頷きを返す。あいつの場合、私たちの誕生日に倍返しするぐらいじゃすまないだろう。ほどほどにしておかないと、何をするかわからない妙な恐ろしさがある。

 

 アナウンスが停車を告げ、電車が大きく揺れた。後ろの女に押されて倒れそうになって、朝倉に抱きとめられた。すまんと呟いて、朝倉に抱かれたまま電車が止まるのを待った。揺れが収まるとすぐに私は朝倉に手帳をおしつけ、外へ出た。

 

「待ってよ千雨ちゃーん!」

 

 

**

 

 

 新国立劇場から京王線沿いに大分歩いて、ようやくその傘屋に辿りついた。

 足が痛い。ケチらずに近くまで電車で来ればよかったと後悔しながら、店内へ入る。かなり広々としている中に所狭しと傘が並んでいて、見るからに傘屋といった風の店だった。

 

「いらっしゃい!」

 

 と野太い声で吠えたスキンヘッドの店長は顔も上げず、すぐに傘の修理を再開する。年は50過ぎだろうか。大柄でいかにも気むずかしそうに取り澄ました男だ。

 カウンターに張られたポスターには創業100周年とあり、結構な歴史を誇っている店だと分かる。客は私たちの他に一人。店内には陽気なシャンソンが鳴り響いていた。

 

「あっちが婦人用みたいだね」

 

 右手奥のコーナーへと先行する朝倉を追って、私もそちらへ向かう。

 

 とりあえずいくつか黒い傘を手にとり、開いて模様を確かめてみた。結構日傘兼用の雨傘は多いらしく、黒だけでもかなりのヴァリエーションがあった。

 

「どれにする?」

「うーん。朝倉はどれがいいと思うんだ」

「……これかなぁ」

 

 朝倉の開いた傘は籐のハンドルが渋い、凝った刺繍の傘だった。

 傘の端に花柄が綿密に刺繍されてあり、傘布にも飛び飛びにそれとは違う何かの花模様がある。これだけ着飾った傘なのに、それほど派手さがない。傘の形が至極普通なもののせいかむしろ控えめに見える。

 

「これでいいんじゃないか? いや、これがいいだろ」

 

 大きさも丁度いいし、値段は……ちょっと高いがまぁ、いいだろう。割り勘すればそんなでもない。

 

 先に金額の半分を朝倉へ渡し、私はここで待つことにした。

 

「よしっ。じゃあ買ってくるね!」

「おぉ」

 

 嬉しそうに駆けて行く朝倉に、目を細める。

 本当、悪いやつじゃないんだけどなぁ。

 

 

***4月20日(金)放課後***

 

 

 高畑とケーキの予約に行った何も知らない新田と春日を余所に、私たちは教室の飾り付けに勤しんでいた。

 陣頭指揮を執るいいんちょは大張りきりで、そのせいか思ったよりも早くに作業が終わってしまい、私は手持無沙汰になった。時間もまだある。どのみち新田を待つつもりでいたし、部室でコスプレでもしてるか。早乙女の誘いを断りながらそう決めて、鞄のポケットを探る。部室の鍵が無事見つかると、私は早速早足で歩き始めた。

 

 

**

 

 

「嘘だろ?」

 

 ジリリリリ、と耳に痛い音。金庫のダイヤルにかけた手を離して、ひとまずソファーにどっかりと身を沈めた。音はまだ鳴り止まない。諦めて姿勢を正し、黒電話に相対した。5秒待つ。5秒待って鳴り止まなかったらとろう。

 

「5、4、3、2、」

 

 音が消える。安堵の息をつき、金庫に向かおうとしたところでまた鳴りだした。こういう場合、どうすればいい? 5秒待って鳴り止み、また鳴りだしたわけだから。

 

「はぁ」

 

 不承不承、受話器を取り上げる。次からはケーブルを引っこ抜いておこう。

 

「もしもし。こちらスプリングフィールド」

 

 

**

 

 

 依頼はロボット工学研究会、つまりハカセの所属する大学の集まりからだった。

 どうやらロボットが逃げ出したらしく、研究に忙しい彼らは探索を旨とする部活にその探索を躊躇なく丸投げすることに決めたらしい。そしてそんな奇特なクラブは探偵クラブ以外にはなく、たまたま私しかいないときに電話がきたというわけだ。やってられない。私は静かにコスプレがしたいだけなのに。

 

 断る暇も与えずに電話を切った彼らにあたるように受話器を叩きつけて深呼吸し、朝倉に連絡を入れた。私も朝倉に丸投げすることには抵抗を感じない。

 

「ごめん。できれば、今日だけ千雨ちゃんがやってくれない?」

 

 しかし今日はとことんついていないらしく、朝倉は私に詳細な情報とハカセのアポと電話番号を伝え渡し、電話を切った。私はもう一度受話器を叩きつけ、タメ息をついた。本当についてない。

 

「はぁ」

 

 しかし、平日にコスプレを敢行した私にも責任がある。朝倉だけを責めるわけにもいかない。どうにも、間が悪かったとしか言いようがないのだ。

 

「……いくか」

 

 

**

 

 

 16:15、私がノックするとハカセはドアを開き、少し申し訳なさそうな笑みを浮かべて、私を招き入れた。

 雑多な部屋はケーブルとよくわからない機械部品にまみれていて、最低限の足の踏み場しかない。内心はタメ息が止まらないが、ハカセの手前、面倒臭いという顔をするだけに留めた。

 

「で、ポンコツロボットが逃げ出したって話らしいが」

「はいー。旧式のアンドロイドが探査ロボを追いかけて外に出てしまったらしいのです。先日、新しいAIが完成しまして、その旧式を素体に次のアンドロイドを作製しようとみんな作業にかかりきりなのです。それで長谷川さんに回収をお願いしようと先輩が連絡したわけです」

「本当に連絡しただけだったけどな……」

「4日眠っていないそうなので、判断能力が低下しているのだと思います。何かご質問はありますか?」

「その旧式が破損していた場合、どうすればいい?」

「こちらに連絡して頂ければ、回収に伺います。長谷川さんには場所の特定さえ行ってもらえれば」

「探知機とか、そういうものは仕込んでなかったのか」

「もうばらす寸前だったので……」

「なるほどな。で、報酬は?」

 

 そのことについては何も考えていなかったのか、ハカセは慌てて奥の部屋へ飛んで行った。

 

「これなんてどうですか!」

 

 自信満々にハカセは、どこかで見たことのあるピンクのスケボーを掲げてみせる。

 

「って、ホ●ーボードじゃねえか!」

「はい。タイムマシン制作に失敗した折、これだけは「再現」しようと奮闘しまして! これに乗れば理論上大気圏にだって突入できますし、バッテリーも30時間は持ちます! 使用する際は内緒でお願いしますね?」

 

 ホバー●ード(?)を受け取りながら、こめかみを強く押さえた。頭痛がする。こんなものもらってどうしろっていうんだ。

 

「他には、ないのか?」

「依頼品の余り物がありますよ。ゲ●タートマホークのレプリカ、ゴースト●スターズの除霊グッズ、A●IRAのバイクをモデルにした電気自転車、」

「もういい、もういい!」

「でしたらそれでお願いしますね」

「わかったよ……」

 

 そしてしたり顔のハカセは私に写真を二枚手渡した。一枚目にはモンシロチョウのようなロボット、二枚目にはTo●eartのセ●オに似たアンドロイドが映っている。凛々しいメイド姿が実にマニアックだ。

 

 一旦ボードをハカセに預けて写真を胸ポケットに押し込み、私は速やかに席を立った。

 

「長谷川さん」

「なんだ」

 

 ドアノブに手をかけたところで、ハカセが問うた。回し、引き、右足を外に置く。

 

「あなたはこういう場合、傍観に徹するはずです。今だって面倒臭いと思っているでしょう。なぜ引き受けたのですか? 無視すればそれでよかったのに。断ろうと思えば断れたのに。お二人に、お友達に迷惑をかけたくないからですか?」

「さあな」

 

 ドアを開いて、私はさっさと外に出た。

 

 

***

 

 

 朝倉マル秘情報によれば世界樹周辺でアンドロイドが目撃された、とのこと。

 昼間に脱走が発覚したばかりなのに、なぜ聞き込みが終了しているのかはさっぱりわからないが情報は情報だ。私はバカでかい「この木なんの木」を見上げ、その非常識さに憤りつつ、辺りを見渡した。何組かのカップルがいるだけで、壊れかけたロボットは見当たらない。

 

 いちゃついている連中を尻目に、私は世界樹の足元へもぐりこんだ。

 胸ポケットから写真を取り出す。写真のきりっとした横顔と、口を半開きにして頭にモンシロチョウを乗せた間抜け面とでは似ても似つかないが、確かにあれが旧式だろう。

 

 50メートルほど登ったところだろうか、一際太い枝の一つに旧式は腰かけていた。ビスクドールじみた関節に、琥珀のような瞳。異様に長い機械の耳殻は、さぞ高い機能を有していることだろう。

 

「降りてこい!」

 

 不思議そうな顔をした旧式は下を向き、かすかに頷いたかと思うと、枝から枝へ器用に飛びはね、すぐに、私の前へ降りてきた。フリルが揺れ、黒いドレスの裾が翻る。鋼の関節の曲がる嫌な音が、着地とともに起き上がる旧式から発せられ、私は思わず眉をしかめた。

 

「設定された帰還時刻まで残り322時間50秒ですが」

「知るかよ。まったく」

 

 その場に座り込んで、両手を地面に突き、私は頭上を見上げた。

 

「帰れ。ロボ研の連中がお前を探してる」

 

 旧式が答えないので、私はそのままの姿勢でじっとしていた。

 

 鈍く、首が痛みだす。うなじを手でさすりながら、旧式に目線を合わせた。錆ついてしまったように動かない旧式は私を不可思議なものでも見るように見つめている。

 

「……そのチョウが、お前の探していた探査ロボか?」

「はい」

「誰もお前にそんなこと頼んでない」

「はい」

「迷惑だ」

「はい」

 

 懐から携帯を取り出して、ハカセの番号をプッシュする。かからない。息をついて、リダイヤル。かからない。私は旧式を睨みつけた。

 

「お前ロボットだろ。もっと人の役に立つようなことしろよ」

「はい」

 

 転瞬、旧式の躯体が傾く。奴はいやに重い音を立てて倒れた。モンシロチョウが奴の耳に移り飛び、そのまま留まっている。長い、碧の髪が奴の顔面を覆い、躯体は背の低い雑草たちに隠された。奴はもう動かなくなりつつある口を動かして、私に答えを返そうとする。

 

「これからは人の役に立つ」

 

 それきり、旧式は動かなくなった。

 

 

「もしもし。もしもし? 長谷川さん?」

「終わったぞ」


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