第三十八話 狐 最悪
麻帆良祭二日目に、一つのイベントが行われた。そこには多くの力自慢が集い、覇を争っている。各々が鍛え抜いた肉体と、その技術を持って戦い、一番強い者を決めるという単純明快にして、至極簡単な大会が開かれた。これに反応しない格闘団体はいない。ありとあらゆる腕自慢が集まり、大会はその現実離れした技に熱中した。一人の少女を除いて。
(ああ、本当に何なんだよ! 有り得ないだろう!? 遠当て? 気? 一体どんなCGだよ!!)
「畜生! 何だよ、こいつらは!!」
その少女は、伊達メガネをかけながらその試合を観戦していた。冷めた視線を送りながら、舞台を見て。他の人達が熱中して、狂乱している中を、独りだけ静かに観戦している。
イラつき、その胸に燻る黒い炎を如何にかしないと。そう考えるほどに、少女、長谷川千雨は追い詰められていた。その所為もあるのだろう。
「大丈夫かい、姉ちゃん」
「えっ、ああ、ありがと――」
(うっわ、まじかよ。ついてねぇ)
千雨は周りの熱気に充てられ、そして胸に燻る何かの所為で、少しふら付いてしまった。しかし隣から伸びた腕によって転ぶことはなかった。その腕の主にお礼を言おうとしたのだが、余りの姿にその言葉は途中で止まってしまった。何故なら、その人物は良い年をした成人男性でありながら、
「――ございます」
「『ありがとうございます』、か。ふん。しかし中々似合っているな、その眼鏡」
「えっ?」
(ナンパか何かか?)
そう千雨は思った。いきなりそんなこと言われれば、誰だってそう思うだろう。だが、帰ってきた言葉は千雨が予想していた物とは全く違うものだった。
「自分の本質を隠すための伊達メガネがな」
「な、なん、で……?」
「『何で』、か。ふん。そんな事が分からないとでも? 眼鏡の度が入っていないのは、レンズを見れば分かる。なら後はかけている理由だが、それ自体は大概決まっているもんだ。本当の自分を隠したい奴。そういう奴が伊達眼鏡をかけているんだよ」
自分が眼鏡をかけている理由を言われて動揺している千雨に、更に男は続ける。
「さて、お前さんに声をかけたのはそんなくだらない事が理由じゃない。なあ、お前さん。俺と一緒に
「はぁ!!?」
男が唐突に語った内容に、千雨は目を剥いて驚いた。現実的ではないとしても、世界を支配しようという方がまだ理解できる。しかし、千雨と話している男は、そうではなく世界を終わらせようとしているのだ。
しかも、初対面の相手にいきなりそんな事を言ってくるのに、驚かずにはいられなかった。
「何、簡単な話だ。俺はこの世界の終わりを見てみたい。お前はこの世界から抜け出したい。普通ではなく異常がはびこる世界から」
「何を言って」
「お前は普通でいたいのだろう? ほら、見てみろ」
男が指を出した方向につられて千雨は顔を向けた。その先には、アニメのような戦いが繰り広げられている。現実の光景とはとても思えない。それなのに、大勢の観客は盛り上がり、声を大にして応援している。
「異常だな。絶対にこんなことは起きるはずがない。なのに、それが実行されている。お前は常々思っているはずだ。こんな世界間違っている。正しい世界が必要だ」
「ど、どういう意味だよ」
「『どういう意味だよ』、か。ふん。言葉通りだ。何、俺はさっき言った通りに世界を壊したい。その為に人材を集めている。昔の人材はすでに崩壊しちまったのでな。ゆっくりと新しい階段を作ろうと思っていたが、今すぐに必要になったわけだ。その為に急遽スカウトしている訳だ」
「す、スカウト?」
「そうだ。それも普通の奴じゃだめだ。
「それこそ私をスカウトする理由が分からなくなるぜ。私は只の中学生だぞ? 私を誘うくらいなら、ネギ先生とかはどうなんだ? ネットで話題になっているぜ。悲劇のヒーローって」
それを聞いた狐面の男は、鼻で嗤いながら、落胆したかのような声で千雨に返した。
「『悲劇のヒーロー』、か。ふん。その程度なら、いくらでも代わりがいる。それこそ悲劇のヒーローと言葉にできる時点で、過去に同じような存在がいたという証拠だ。そんな存在を態々勧誘する価値はない。だが、お前は違う。
狐の面をかぶった男は、嗤う。それこそがお前が異常である証明だと。お前が普通でありたいという言葉は嘘にしかならず、如何しようもなく価値のない言葉でしかないと。そして、それは余りにも正しすぎた。
「ふ、ふざけんな! 何で、何でそんな事言われなくちゃ!」
「言ってしまえば、それがお前だからだよ。
「ふ、普通?」
「『普通?』、か。ふん。違う。それではない。
それは長谷川千雨という性質を端的に表していた。一人で完結しきった存在。強くもなく、弱くもない。只単に、そういう風に育ってしまった天然ものというだけ。
「人工的なあいつ等と違って、真にお前は貴重だ。だから俺はお前が欲しい。俺と一緒に来い。こんなくだらない世界はぶち壊して、終わらせようぜ? 俺に着いてきたら全てがどうでも良くなるくらい、気持ち良いぜ?」
世界がまるで変ったかのように思えた。その言葉を聞いた。ただそれだけでもうどうでも良くなった。只々目の前の男と一緒に行けば、何かが見れるだろう。そんな期待が千雨の中を走り抜けた。
だが、千雨は
「悪いがそれは断らせてもらうぜ」
「何?」
「簡単な事だ。私はある人に助けてもらった。その恩を返さないまでには、何もできやしない。それに私が不悉迂? そりゃ的外れな話だ。私は誰からも影響を受け続けるただの中学生さ」
「『ただの中学生』、か。ふん。振られたか。大人しく引き下がるとしよう。ではな、小娘。縁が《合ったら》、また会おう」
「会う事はないさ。アンタと私はきっと、会うべきじゃない。会うべき存在はきっと違う人だ。……何となくそう思っただけだけど」
千雨はそのまま目の前の光景をぼんやりと眺め、狐面の男は誰にも気が付かれずに会場を後にした。