第三十五話 厄招 悪魔
雨が降り続ける中、四つの影が麻帆良に存在していた。
それは一つの大きな影と、小さな三つの影に分かれて行動し始めた。
「犬上小太郎君についての監視は、あの子たちに任せて大丈夫だろう。それにしても運命というものもなかなか面白い」
そう大きな影はつぶやいて、地面の下、影の中に潜んでいく。今はまだ準備が整っていないからだ。しかしひとたびその準備が整ったのなら、彼は、いや彼らはその牙をもって襲いかかるだろう。
竹刀袋に真剣を入れた少女、刹那は寮の廊下を歩いていた。
「……何だ? 何かの気配がしたようだが」
だが、彼女は何かが気になり、その歩みを止めて辺りを見回し始めていた。
そんな彼女に、一人の少女が話しかけた。
「せっちゃん」
そう言って話しかけた少女は、
「なっ!」
驚いて一瞬動きが止まり、
「切り裂かれていろ、偽物が」
一瞬で近衛木乃香は、桜咲刹那の手によって切り裂かれていた。
「な!?」
切り裂かれた木乃香は、一瞬で水のような液体生物へと変わり逃げ出す。
「報告が違ウ! 桜咲刹那は、近衛木乃香が相手になると冷静じゃなくなるんじゃなかったのカ!?」
「阿呆。何処の世界に裸で外をうろうろする莫迦がいる。そんな事をこのちゃんがするとでも?」
廊下という狭い空間であるがゆえに、長大な野太刀は使いづらい。そう判断した刹那は懐にしまっておいた小太刀を取り出して抜き放つ。
「斬空剣!」
「うわ!」
しかし、相性が悪すぎた。刀では水は切れない。その正体がスライムである彼女は、斬撃を受けることなく逃げ切った。
「逃がしたか。このちゃんに警戒するよう伝えておかないと」
刹那は携帯を取り出して連絡したのだが、それは少々遅すぎたようだった。
木乃香たちの部屋には、三人の人影が有った。一つは木乃香であり、もう一つは気絶させられた明日菜。最後の一人は背の高い男だった。それはさらに詳しく言うと、長身の、変態という名の紳士だった。
「アスナを攫ってどうするん? この変態?」
「おや、それは少々、いや非常に失礼というものではないかね。初対面の、しかも私のような老紳士相手に」
「紳士は初対面の人の部屋に押し入って、少女を攫わんよ」
目の前の男は顎ひげを蓄えた、老紳士風な格好だったが、それが偽の姿であることにすぐに気が付いた木乃香はすぐに戦闘態勢へと入っていた。
「ふむ。それは確かに。いやはや、こんな少女に紳士の心構えを教えてもらえるとは。今の日本の若者も捨てたものではないものだ」
笑いながら、しかし次の瞬間に笑みは消え去り、冷酷な顔になった男性は木乃香に告げる。
「さて、悪いが一緒に来てもらえないかね? 手荒な真似は余り支度はない。今一緒に来てくれるのなら、私は君に手荒な真似をしなくて済む」
「いややね。そもそもアスナを攫っている時点で、そんな話信用できる訳が無いやろ。それに私の力は貴重やからね。アンタ程度でも気を払わんといかんのよ、なあ、悪魔さん?」
「何と! 大和撫子かと思えば、そこまでの気の強さ。いや、これこそが真の大和撫子というものか! 私は感動しているよ。しかし、残念だ。素直についてきてくれれば、私もこんなことはしなくて済むのだがな」
悪魔は普通の人間では認識できないほど早く踏み込み、木乃香を気絶させるための拳を放つ。その一撃は喰らえば確実に気を失う程には力が込められていた。
鳩尾を狙って放たれた拳は、しかしすぐに木乃香の手によって止められた。
「なんと!?」
「どれだけ力が強くとも、その力の元がずれてしもうたら、まともな力は出んよな?」
悪魔の腕は木乃香の手で捻じられていた。拳を必要以上に曲げられてしまった事で悪魔の力は弱くなり、身体強化魔法を使った木乃香の力でも対抗できる程度させられてしまったのだ。
「明日菜を返してくれへん?」
「悪いが、それはできないのでね」
「そうなん? じゃあ、運が悪かったと思ってね」
その言葉と同時に、木乃香は腕をさらに捻じる。その結果は、悪魔が横に自分から飛ぶという結果だ。関節を決めてしまえば、投げるのは子供の筋力でもできる。魔力で強化した今の状態では、なおさら簡単だ。
「うおおおおお!!?」
悲鳴とともに投げ飛ばされた悪魔は、しかし近距離への転移魔法を使って、木乃香の手から逃げ出した。
「恐ろしい御嬢さんだ。私も引くとしよう。あの子たちも失敗したようだからね」
それだけ告げると悪魔はアスナを抱えたまま、壊した扉から逃走していってしまった。
「しもうた! 逃がしてしもうた」
慌てて追いかけようとしたが悪魔は速く、既に木乃香では追いつけないところまで逃げきってしまっている。
「どない仕様?」
その場に座り込み、考えている木乃香に一つの音が聞こえてくる。
「これは、せっちゃんからの電話?」
「じゃあ、お爺ちゃんに連絡しておいてな。私はネギ君たちを探しておくから。心配してくれるん? 大丈夫やよ。
木乃香は笑いながら、まだ声が聞こえる携帯を切って準備を始める。
足首に魔法発動体を装着して、服も動きやすい服に着替えて先ほどから魔力の高まっている場所へと向かっていく。
「変態紳士も、まあ少々痛い目見てもらうんしかないかな? まーくんがいればもっと簡単に話がつくんやろうけど、今はいんしな」
屋外の雨が降りしきる中のコンサート会場で、ネギは京都を逃げ出した狗族の少年と戦っていた。相手は三匹のスライム。それに一体の悪魔。今はスライムたちが傍観して、悪魔と戦っている。
だが何故だか、放出系の魔法は通用せず、一方的なまでの肉弾戦が行われていた。単純な実力が違いすぎるのだ。
「悪魔パンチ!」
「っく!」
「うわ!」
魔法を主に使ってきた、特にネギにとって、この状態は余りにも不利だ。せめて、せめて魔法が使えれば勝てるかもしれないのだが。
「何か策有るか。ネギ?」
「……今のところないよ」
「そうか。じゃあ、戦いながら考えろ」
「うん」
小太郎とネギの戦い方は、やはり気や魔法を使った戦い方だ。確かに段々と接近戦の方法を手に入れ始めてはいる。しかし、それは付け焼刃でしかない。この練度の相手には到底及ばない。
「やれやれ。君にはがっかりだよ。ネギ君」
そんな時に、悪魔はネギに話しかけてきた。
「君は本気で戦っていない。それが私には残念だ」
「それは、如何いう?」
「簡単なことだよ。君は力をふるう際に、誰かの為にと言い訳して力を使う。それではだめだ。力とは己が目的を達成するためのものだ。それを他者の為と言い訳している時点で、君の力は全力を出し切れない」
そう言って、悪魔は拳を止める。
「君は実につまらない。只々力をふるう事に恐怖を覚えているのかね? あの雪の日の恐怖を?」
雪の日。それはネギが心の奥底で怯えている恐怖。力をふるう事に対する恐怖の象徴。悪魔たちが振るった
力によって起きたあの夜の事。それがネギの心の底で、本来の力を出し切らせない。
そして、悪魔にとってそれはつまらなさ過ぎる。
「ならば、こうして恐怖と対面させるしかないかね?」
「え?」
ネギの前には、あの時スタンを石に変えた悪魔が素顔をさらしていた。
ドクリとネギの中で何かがはじけた。